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2012-11-07

やわらかい設計

レオ・レオニという絵本作家が描いた「さかなはさかな」という作品がある。「授業を変える」という認知心理学系の教育本に紹介されていたのを興味深く読んだだけなので、絵本自体はまだ手に取っていないのだけど、素敵そうな物語だ。

おたまじゃくしと魚が池に住んでいた。ふたりはとても仲良しだった。けれど、おたまじゃくしはやがて蛙になって、池を出て行った。ある日、陸の暮らしを経て池に戻ってきた蛙は、陸で見聞きしたことを魚にお話しする。人間や鳥や牛のこと。陸に出たことがない魚は、蛙の話をきいて「尾ひれで立って歩く魚の体型をした人間」「翼のある魚の体型をした鳥」「乳房のある魚の体型をした牛」を思い浮かべる。こうした全部「魚の体型をした」絵が色彩豊かに描かれている。

これは途中までのあらまし。絵本のメインメッセージはこの先にありそうだけど、「授業を変える」の本ではここにフォーカスして取り上げられていた。

この童話は、既有知識を基礎にして新しい知識を構築することに内在する創造的な側面と誤解をもたらす危険性の両面を如実に示している。

一気に言葉が堅いが…、非常に示唆に富んだお話。ここから考えたことを3つ挙げるなら、1つ目は人に話をするとき、ものを教えるときのこと。こっちは「正しく伝えた」つもりでも、受けとる人の前提知識や世界観は実に多様なのであって、伝わり方によっては相手を全然違う認識へ導くということが、いくらでも起こりうるってこと。

いくらその事柄に精通していても、伝える相手に関心をもち、伝える相手のことを知らなければ、その事柄について「伝える」ことはなかなかできないもの(とか書くとどうしても長嶋茂雄監督が選手にバッティング指導するモノマネ芸人の姿が脳裏に浮かぶ…)。学習科学の世界にも「学習者中心設計」という言葉があるけれど、相手をおもうことの大切さはどの分野でも共通だ。

2つ目は、自分が人の話をきいたり、何かを教わる側にまわってみて考える。人の話をきいてその事柄をわかった気になっても、自分にはその背景や奥行き情報、周辺の知識が不足していたり、逆にその話のスムーズな理解を妨げる知識や価値観なんかがまとわりついていて、誤認する危険を負っているということ。自分に見えないものは不足に気づきづらいし、一旦自分に定着したものはまとわりついていることを自覚しづらい。というわけで、人の話をきいて「正しく理解した」つもりなのに、まるですっとんきょうな認識に陥っていることも、いくらでも起こりうる。くわばら、くわばら。

と「誤解をもたらす危険性」の話で終わっちゃいけない。対極の側面を見落としちゃいけない。3つ目。何かを知らないことで想像が働いて、何かを創造することもあるということ。逆に話し手の知らない何かを聞き手が知っていることで、話し手の想定外に聞き手の学びが広がることもあるということ。聞き手がその話を受け取って、話し手の想定範囲を超えた何かを創造することも多分にあるのだ。そして、こうした想定外を起こすのも、かけがえのない人の尊さである。

学習の場づくりをする立場としては、「創造的な側面と誤解をもたらす危険性の両面」を踏まえてつくりたいと切に思う。むやみに学習者の想像力・創造力をおしつぶさない、やわらかな設計をしたい。

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コメント

「いいね!」ボタンが欲しいです・・
すごく示唆に富む内容でした!

しゅんぺいさん、ありがとうございます!嬉しいです。
いいね!ボタン、ニフティの管理画面で簡単につけられるんだけどとっちゃってるんですよねぇ。色付きが入るとなんだかなぁと思って。つけようかなぁ。

追記
いや、違った…。簡単につけられるのはTwitterだけだった。当面手動いいね!で…

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