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2012-07-03

手帳を拾った

先月は、まるまる何も書かないまま終わってしまった。6月初めからどうにもこうにも…になって、7月に入って尚にんともかんとも…な状態なのだけれども、いい加減もう夏なので気分転換におしゃべり。

つい先日、落とし物を拾ったのさ。会社の近くで、道ばたに黄色いカバーがかかった手帳らしきものが落ちていて、あんまり存在感ある落とし物だったので目について寄っていった。ひょいと持ち上げてみると、ほぼ日手帳だった。

「読まないけど見る」くらいの適当さに視線をあわせてぺらぺらめくってみると、男性らしき筆跡で、仕事の手帳として使っているふう。表紙と裏表紙をチェックさせてもらうと、一枚だけ名刺が入っていた。お、と思って、抜き出してみると女性の名前。筆跡は男性っぽいから本人の名刺じゃないっぽいなーと思われた。ここで一旦思案。

人はここでどちらに動くべきなのか。名刺の女性に電話するか、警察に届けるか。名刺の女性は、うちの会社の近所にお勤めらしく、場合によってはさくっと取りに来てもらうこともできる距離。しかし、筆跡的におそらく本人ではない。

本人の知り合いってことになると、その間柄によっては最短経路で本人の手元に手帳が戻る可能性がある一方で、関係が近すぎたり遠すぎたりすると、下手に手帳が知り合いの手に渡るのは本人にとって都合が悪いかもしれない。むしろ警察に届けてほしいと思うかもしれない。

でも、警察に持っていった場合、本人が警察に届け出るとは限らないし、手帳に本人の名前が書いてあるわけじゃないから、警察も連絡があるまで放置ってことにするかもしれない。それだと問題は解決されない。手帳は本人のもとに返らない。返らないくらいなら、この女性に連絡をとったほうが良さそう。

と、そんなことを会社に戻るエレベーターの中で思案して、結局席に着くやいなや、名刺の女性の会社に電話をかけたのだった。女性に取り次いでもらうと、かくかくしかじかと事情を説明。まずは彼女の手帳かと確認してみたけれど、やはりそうではないらしい。でも「手帳を見れば当てがつけられるかも」と言って、こちらに来てくださることになった。

夕方、うちの会社の受付前でお会いして、やぁやぁどうもどうもと言いながら、その女性に手帳を見てもらうと、どうも会社の同僚だかなんだか、ある程度当たりがつくようで、この辺にきけば見つかるだろう的な雰囲気の手帳だという。

そこで一応、私の懸念を彼女に相談してみた。間柄によっては、下手に知り合いから返ってくるより、見ず知らずの人が警察に届けて、そこから戻ってきたというほうがいい場合もあるかなと思っているんだけど、どうですかねと。そうであれば、私のほうから警察に届けるのでも全く問題ないのだけど。すると彼女は、いや、この辺かなという当たりもつくし、このまま預かって持って帰りますよと、こざっぱり応えた。

そのこざっぱり感から、なんとなく、この女性と本人の間もこざっぱりした関係性で、本人も彼女からなら手帳が戻ってきたことをこざっぱり喜べるかなという感じがした。それで、ここは警察より、この女性に託したほうが正解だろうと直感して、そのまま持ち帰ってもらった。ほどなく彼女が電話をくれて、無事本人の手元に戻りました、とのこと。一件落着した。

そこで私の胸のうちにわいてきた思いが何だったかというと、あぁ少なくともこの手帳を失くした人にとって、私が生きていたことは役に立ったと言っていいんだろうということだった。ほっとして、それでずいぶん救われた。それを私の中のメタ人間が、けっこう参ってるねぇと傍観していた。

その日はまた、私が4年前に書いたブログのエントリーを読んだという方からメールをいただいて、仕事で悩んでいたところに光が射したというようなことが書かれていて、それでまた救われた。少なくとも、手帳を失くした人と、このメールをくださった人にとって、私が生きていたことは良かったってことになるんだと思えた。

そんなぎりぎりの気分は、一時的な落ち込みのせいで視野が狭まって起こっているということは頭でわかっているし、冷静にそういうのを観ている自分もいるのだけど、感情的にはその2つのことにずいぶん救われる、というようなことが人間てまぁあるもので。

手帳を拾うことも、ブログを読んで見ず知らずの人からあんな丁寧なメールをもらうことも、そうめったにあることじゃない。こんな気分の日にあてて、こんなイベントをもたらしてくれるなんて、自然の見えざる手にしみじみ感謝した。

最近はうむむうむむ頭のなかでもがきながらひっそり暮らすばかりなのだけど、そのせいなのかなんなのか、いつもの自分にない不可思議なことが頻繁に起こっていて、こりゃなんなんだろうなぁと思っている。浮世離れの末期症状か…。なんとなくいろんなものをぽかんと眺めている自分と、目の前の仕事でうむむうむむ言っている自分を行ったり来たりしながら、時間がどんどん流れていっている。そして、また夏がやってきたんだなぁ。いつものように。

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コメント

私も生きてますよ〜
いいかげん死にそうですけどw

Marikoさんがこの世界の何処かにいてくれるという
そのことに日々感謝しておりますよ

おぉ、noriyoさん!よかった。ずっと気にかけておりましたよ。ちょいちょいBill Evansを聴きながら。どんなかなぁと。季節がめぐっても、ずっと気にかけておりますよ。

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