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2012-02-06

小説の読後に残るもの

なんの自慢にもならないが、私は読んだ小説のあらすじをあらかた覚えていない。あらすじをあらかた、というのだから、ほとんど覚えていない。自分でも恐ろしくなるほど読んだそばから忘れてしまう。2週間前に読み終えた本も、昨日読み終えた本すら、どんな本?と訊かれて説明できる自信がない。

じゃあ、何のために読んでいるのか、ということになるけれども、読んでいるときは楽しい。当たり前か…。あと、しばらく仕事関係の実務書ばかり読んでいると、なんとなくバランス悪いなぁというか、喉が渇いたなぁという気がしてきて、小説の類いを読みたくなる。から、手に取って読む。すると実際、バランスを取り戻した気分を味わえる…。

それじゃ別に、時折読みたくなって読んでみるけど、読んでいる間だけ楽しくて、後に何も残っていないのねってことになって、それはさすがに参るなぁと思い、改めて自問してみた。後に残っているものは何もないのか。

すると、何もってことはないなとひらめいた。あらすじはいまいち残らないんだけど、文体や文脈のようなものが残るのだ。うまく言えないんだけど、例えば最近読んだポール・オースターの「幻影の書」でいうと、

そんな彼を、卑怯者となじるのはたやすいが、と同時に、葛藤を抱えていた人間だと擁護することも等しく容易なはずである。

みたいなところが、ものすごい残るんだなぁ。といって、これも急に「そらで言え」と言われて口にできるわけじゃない。もっと正確に言うなら、「〜のはたやすいが、と同時に、〜ことも等しく容易なはずである」という、こういう事象の捉え方、言わば方略のようなものが残るのだ。人によっちゃほとんど空っぽじゃないかと思うかもしれないが、小説を読んだ後に自分の中に蓄積されていっているのって、こういうもののような気がする。

あとはもう、ただただ、シーンごと、ある出来事に対してどんな登場人物がどんな感情を抱き、どんな行動に出るのか、あるいは感情を抱きつつ行動に出ないか、その感情に自覚的か無自覚か、どれだけ深いところまで感情を深堀りしていって、そこからどんなふうに感情を変容させていくのか、その変化は一瞬のことかじわじわ変化していくものか、そういうのを起こるままに、ふむふむと受け入れていく感じがよい。

自分の想像しうる世界が読むごとに拡張していく、自分が到達しうる心の深度が読むごとにさらなる深海を開拓していく感じがよい。それで、とにかくふむふむと読んで、ふむふむと受け入れて、ふむふむと本を閉じ、あらすじはあらかた忘れてしまうのだった。

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コメント

ものすごくわかります。
私も同じ感じで読書しているなぁとあらためて気づかされました。

推理小説のあらすじもあらかた忘れているので、1年後くらいにもう一度読んで、犯人捜しにドキドキできます(笑)

おぉ、同士よ!
私も1年もおけば十分、初めて読むときの気分で楽しめますねぇ。小説には最適ですよね。一冊で何度でも。小説以外は…、ごくり。

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