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2012-01-31

創作者の仕事に関する最近のもやもや

以前は、あらゆる業界の「編集者の仕事」が今後はアルゴリズムに取って代わられるのかなぁと思ったりした。けど、これだけ玉石混淆あふれる情報/コンテンツが世の中の前提になっては、良質なものを目利きして届けるべき対象にしっかり届ける存在は重要だよね、という雰囲気にもなる。無駄なところの中抜きは起こるだろうけど、きちんとした仕事をなせばさまざまな業界で編集機能は求められ続けるのかな、という気分になってきた。

一方で最近気がかりになってきたのが、編集する以前に、コンテンツそのものを生み出している「創作者の仕事」。あらゆる人が情報/コンテンツを生み出す時代になって、質を問わなければそれらに触れて時間をやり過ごすことはいくらでもできるようになった。しかも無料で。無料コンテンツが飽和状態という感じ。

ゲームも音楽も映像も小説も、デジタルコンテンツはいくらだってある。それが良質なものでなくても、例えば自分の友だちが作ったものとかってつながり感があれば、それを享受する動機付けは成立するから、SNSで流れてくる関わりある人たちの作るコンテンツに触れていたら、あっという間に時間は経過してしまう。

誰々ちゃんの撮影した子どもの写真/動画、誰々ちゃんの作った漫画、誰々ちゃんのお友達の作った音楽を聴いているうちに、一晩二晩、一ヶ月、一年、その人の人生はいくらだって先に進めてしまうのではないか。さらに、広告つきのゲーム、広告つきの音楽、広告つきの映像となれば、触れられるコンテンツの量質はものすごい広がる。

そして人間は、なんてったって一日24時間しかもっておらず、人生は長生きしても100年かそこらという大前提をもっている。

それでいくと、見ず知らずの人が生み出した良質コンテンツに対して対価を払うという前提は、今以上に薄れていくんじゃないかと。今は「良質とは何たるかを知っているから、良いものにはお金を出しても手に入れるさ」と言う人が少なからずいるけれど、この辺の前提が薄れた世界で生まれ育っていくと、どうなるんだろう。そういう時代になっていくだけさと割り切れば話は終わるけど、そうしたら良質なものを生み出す人間の能力は退化していくのかな。

すばらしい創作をなす人が、お金持ちに飼われたり、名の知られた編集者や広告ビジネスに振り回されることなく、自身の創作活動に専念して、その創作そのものによって生計を成り立たせ、それがうまく伝播して人の手にわたっていって、その対価がまた次の作品を生み出すようなサイクルが成り立つ社会だと、豊かだなぁと思うんだけど、難しいのか。私の頭が単純指向すぎるのか。

世の中は、より複雑怪奇になっていくのか、圧倒的にシンプルになっていくのか、まったくよくわからない。ポール・オースターの素晴らしい小説を読む合間合間に最近思っていたことの走り書き。

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コメント

うん、この前にTechWave塾で岡田斗司夫さんが収益モデルに関して面白い事喋ってくれていたよ。
http://techwave.jp/archives/51726629.html
動画見る時間は無いかもしれないけれど、内容は何処かでまとめられてると良いね。

僕自身としてはコンテンツの作り方だけを教えるビジネスは成立しなくなったなぁ、という気持ち。
ただ、それじゃ創作は出来ないと思うので、やっぱりもやもやした感じ。

hirojkさん、コメントありがとうございます。リンク先も覗いてみました。岡田斗司夫さんのお話は面白いですね。どれくらい極端な変化が起こるかはわからないですけど、今まさに世の中の基軸が動いているような感覚はありますよね。
すばらしい創作に触れる度、こうした創作を成せる人間の力は、退化させちゃもったいないって思います。もやもや。

退化してもだいじょうぶ。
生きていけるから。

もったいないとか思う感覚も、2,3世代すれば消えるから。

とおりすがりさん、足をとめてくださってありがとうございます。何事も対極の見方があるから、あるところが退化するというのは、あるところが進化するということでもあるんでしょうしね。前を向きつつ、風に身を任せつつ。

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