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2011-11-20

家族4人の食事会と、遺影の前の心持ち

今週末は、父と兄と、遠方から妹も呼び寄せて4人で食事会をした。4人で集まっておしゃべりするというのは、実はなかなか機会がなかった。というか初めて?母がいるときは、母と5人でとかだったし、母が亡くなってから葬儀やら四十九日やら新盆やら全員集合するときはだいたい親戚もいたし、あるいは兄一家と一緒にご飯を食べたりだったから、4人でご飯というのはそういえば近年なかったかもしれない(忘れっぽいのでまったく自信がないが)。

いずれにしても、なんだか家族の気の置けなさ120%という感じで、ホクホク好い時間を過ごせた。予約したお店も、(普通の居酒屋だと思っていたのに)行ってみたら店構えからして趣きがあり、お料理もどれもおいしそうであり、実際おいしかった。松茸となんとかの茶碗蒸しなんて、薄っぺらい松茸がちょろっと乗っているだけかと思いきや、中までごろごろ入っていて、なのになんだか品があって。決して高くないのだが、いやー、我ながらいいお店を選んだ。そこらの安い居酒屋に連れて行かれると思っていた父も(連れて行ったことがあるからだが…)たいそう満足げだった。

母が亡くなってからはちょこちょこ実家に帰っているが、母の遺影を横においた仏壇の前に座るときの心持ちは、あれから9ヶ月を経て、だいぶ静かで落ち着いたものとなった。なってしまった、と思わないくらいまでに落ち着いた。その安定を得るのと歩幅をあわせるようにして、死生観のようなものも、自分の中にしっかり根をはっていった感がある。それを死生観というのかはよくわからないけれど。また、その全容をうまく言葉に表すことはまだできないけれど。

母の死にあって、生のはかなさを知った。知りきってはいないけど、それまでは死についてほとんど何も知らなかったのだということを少なくとも知った。人間は生まれてきたら、死ぬんだなと、それが以前よりははっきりとわかるようになったし、その途中途中で人は人に会って、関係を深めたりすれ違ったり別れたりして、いつか必ず死別する。

何かに興味を覚えて、それに深く踏み込んだり、あるいは興味を失ったり、何かを成し遂げたりして、それもいつか必ず終わりがくる。その終わりの時期もわからない。思いのほか長いかもしれないし、思いのほか短いかもしれない。

でも、その生涯の長いの短いの、どっちが先に逝っただのというのは、宇宙から見下ろせば、なんてたいそうな視点を持ち出さなくても、近所を歩いている猫の視点を借りたって、それがなんだっていうのだ、という話なのだ。すべては、自分の知りうる世界の人間の中でのお話であって、人間の外にとっては人の生も死も、その長さも前後関係も自然現象だ。私もその現象の一つにすぎないんだなと、そんなことを思う。人間の生に意味をもたせたり、私の生に何かの意味を与えようとするのも、人間が人間だから人間の中だけでやっているだけで、外から見たらなんでもない。

そういう思いとあわせもって、人を失えば激しく混乱するし、小さなことで一喜一憂するし、これに仕えて生きていきたいと思って四苦八苦する自分がいる。その個体は私の中にあって、生涯離れない。この両方を私は私の中に共存させながら、生きるところまで生きていくんだなぁと、そういう感じでいる。うまいこと表現できないけど、今書けることをとりあえず書いてみると、そんな感じなのだ。

そして少なくともこの感覚は、1年前にはこう書き起こせるほど自分の意識になかったし、それは私の中で確かな変化だ。進化か退化か知らないけれど、個人的には好ましい一つの成長だと思っている。まとまりはないけど、まぁそんな感じで。

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コメント

はじめまして。
偶然拝見しました。
私は昨年義父を看送り、今、夫の実家に帰るたびに義父の遺影を眺め仏壇に手を合わせているので、読みながらいろいろな巡る思いに共感しました。
近い人が亡くなると、死生観とか、今まであまり考えないことをあれこれ考えるようになりますよね。
そうやって、人はまた自分の生き方をみつめて行くのだと思います。

Kimicoさん
はじめまして。読んでくださって、またコメントを寄せてくださってありがとうございます。
死にふれて生を感じたり、人をみて自分を知ったり、というのを感じる度、自分っていうのは生かされているんだなぁと思います。仏壇に手を合わせているときも、仏様をみているようでいて、自分をみているような気もしますね。

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