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2010-10-19

しいたけと嫌い

今朝の夢は、しいたけだった。藤井フミヤと横並びで、キノコづくしみたいな料理を一人一皿ずつ前にして、キノコを食べている。その前にも長いストーリーがあったのだけど、どうもその仕事帰りのゴハンだったっぽい。

私はしいたけが食べられない。しいたけ以外のキノコはまったく問題ないのだけど、しいたけはダメなのだ。あれはまずい。しいたけは昔から今に至るまで、ずっと嫌いなのだ。どうしよう、よそってくれた、そして隣でもぐもぐ食べている藤井フミヤに、「私、実はしいたけが苦手でして…」と残す宣言をしていいだろうか。

いや、もう十分に大人なのだし、よそってくれたのは仕事相手なのだし、ここは克服する良いチャンスと割り切って、目の前のしいたけに手をかけるべきではないか。そしてしいたけをまじまじと見つめる。箸をかける。しかしこれ、克服のための第一歩にしてはあまりに大きすぎる。姿そのままで、サイズも10cmくらいに見える。これは大きすぎるだろう。

突き進むか引き返すかうじうじ考えながら、しいたけのお腹のあたりをしばらく見つめていると、気持ち悪くなってきて、うわぁー、やっぱりこれは無…というところで目が覚めた。ひどい夢だった。

私は「嫌い」という言葉をほとんど使わない。たぶん、ここ10年だか20年だか、記憶するところだとしいたけにしか使っていない。苦手なものはあるけれど、嫌いなものはしいたけぐらいだ。

若かりし頃、しいたけも苦手なものに位置させたほうがしっくりいくんじゃないかと検討したことがあった。嫌いなものはゼロにしたほうが気持ちよく生きられるのではないかと。でも、「嫌い」と思うものが一つもない人間として自分を認識するというのは、なんか完璧を追求しすぎて結局自分の本当の姿が見えなくなっている滑稽な人に通じる気がした。

嫌いという感情を正面から自他に公言できる存在を一つもっておくのは、それはそれで健全なのではないか。その役を人ではなく、寛大なしいたけに一任させるというのは、なかなか落ち着きがよい。ということで、長いことしいたけ嫌いを甘んじて受け入れている。

しいたけには、そういう意味では感謝しているのだ。本当だよ。その唯一無二の役割をずっと担い続けてくれているんだから。だから今後もそういう位置づけで、私のなかに大きな存在であり続ける。決して無視したり、無関心であったりって非情な気持ちはもたない。君のことは決して忘れないよ。だから、夢には出てこなくていいよ。スーパーで時折目に入る程度でいいから。

しかし、なぜ藤井フミヤだったのか…。

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コメント

またまたhysmrkさん独特の話の展開に感心しながら読んでいました。

私もしいたけは嫌いです。しかし、「苦手」と「嫌い」に区分しているとは思わなかった。無意識にしていたんだろうか。。

でも言われてみると、しいたけじゃなくて相手を人間に置き換えたら、「私あの人苦手」っていうのと「あの人嫌い」って言うのじゃ、ニュアンスが確実に違いますね。
「苦手」だと何かそりが合わないとか敬遠する意味も含むけど「嫌い」ははっきりした感情表現でそれ以上でも以下でもなく、きっぱりしてる。むしろ潔いじゃないか!

ちなみに私は、しいたけは「嫌い」と「苦手」の両方の領域に微妙に入っています。・・・というのは、薄く切ってあったりすごく細かくて他のものと紛れていたら、えいっと口に入れて飲み込めないこともない。(ただしカサのひだひだが分かるほど大きい切れ端はもうダメ)
味が染み込んでいる料理は好きじゃないけど食べなきゃダメと言われれば食べられなくもない、というラインです。
しかし牡蠣は完全に「嫌い」の領域で、これはどうされてもお金を積まれても食べられません。なので私もはっきり嫌いと公言できるものがあって良かったと思っていいのですね。

あと、たまに「なぜこの人が?」みたいな芸能人が夢に出てくることってありますね。

ベルさんもしいたけ嫌い、というのは妙にしっくりきます。そうでないはずがないというか。いやー、ほんと一緒ですねぇ。

そうそう、嫌いもあっていいのです。嫌いという感情がわからない、一度も味わったことがないというのは、感情体験の観点からいえば豊かでないということになるから。私はそういうふうに思って、甘んじていますねぇ、長いこと。(笑)

しいたけは、我慢できるか否かのラインってありますよねぇ。切り方や大きさによって。わかります、わかります。私も相当小さくきってあれば、食べられないこともないですけど、あるラインを超えた途端、もう無理!となります。

> あと、たまに「なぜこの人が?」みたいな芸能人が夢に出てくることってありますね。

には吹き出してしまいました。ほんと、そうですよねぇ。謎です。藤井フミヤ…。

嫌いという言葉は使わないんですか! それはスゴいことです。食べ物以外でもそうですか?

ちなみに藤井フミヤも嫌いではない、ですか?笑

そんなスゴいことじゃないですよ。(笑)
嫌いという言葉は使わないですね。食べ物以外でも使わないです。無自覚に使っているケースがあったらあれなんですが、少なくとも人については「嫌い」は使わないです。これは無意識的にもそうなるし、意識的にもそうしているので使っていないはずです。
あらゆるものをひっくるめて嫌いを使うのはしいたけくらいってことで、しいたけはだいぶ偉大な存在です。ときどき食べられないものを尋ねられて、「うなぎとしいたけ」と答えることがありますが、「うなぎが嫌い」というのは誤りで、うなぎは昔骨がのどにささって痛い思いをしたので食べたくない、つまりそれそのものの存在への嫌悪はなくて、あくまで出会い方が悪かったと認識しております。(笑)
私自身が、人から「嫌い」という感情を向けられたら相当きついなぁと思うからなのか、あるいは私自身のなかに「嫌い」という感情があることが自分的にきついなぁと思うからなのか、おそらく両方なのですが、特に後者の理由から自分の中に「嫌い」と認定されるような感情がわくことはないですね。
例えば、一般的に嫌悪感を与えそうな行動が誰かのふるまいに見られたとして、それの事情・背景を察する方向に意識がむくのが職業柄の使命のようにも思いますし、自然焦点はそこにあたります。ここ十数年はおおむねそんな捉え方をしてきたように思います。
藤井フミヤは、会ったことがないので好き嫌いでどうという答えが出てこないのですが、ラジオなんかで話しているのを聴くと、そういう考え方をする人かーと静かに受け容れる感じでしょうか。
状況に応じてですけど、2〜3割くらい本人を憑衣させて考えるのが癖みたいです。だから、嫌いというのはなかなか出てこないですね。あとは、そういう感情が出てくる危険性を伴う場合、そう思うところまでその人に近づかない、その人と自分との最も心地よい距離感を推し量ることで、好意を持ち続けたり、少なくとも嫌いにならないで済むってことはあるんじゃないですかね。
って、年寄りじみた話ですみません。むしろ私は、好き嫌いが激しい人のほうがエネルギッシュでスゴいなと思います。返信が一つのお話なみに長くなりましてすみません…。(笑)

今朝hysさんのレスを読んで、布団で大笑いしてしまいましたw hysさん、ユニークですね。皮肉ではありません。もっといろんなことに関する意見を訊いてみたいと思いました。

世の中の多くの人は、いつどこでも「あの人好き」「あの人嫌い」「あの商品好き」「あれは嫌い」という話をしてますよね。僕は広告やPRの仕事を通じて、人がどういうときにどういう反応をするのか多少なりとも考えてきたんですが、hysさんのような考え方をする方に会ったことがなく、とても新鮮でした。

ちなみに「好き」のエネルギーについてはどうなんでしょうか? 「好き嫌い」って表裏一体でもあると思うんですが。

興味深いコメント、ありがとうございます。
それにしても、
> 世の中の多くの人は、いつどこでも「あの人好き」「あの人嫌い」「あの商品好き」「あれは嫌い」という話をしてますよね
というのは、ほんとですか?!
「いつどこでも」だったら、さすがに私もそれくらい気づいておこうよと思うのですが、そう感じたことって一度もなかったので、驚きました。仕事のことと、形ないものとに関心も時間の使い方も偏っているからでしょうか…。あるいは「好き」「嫌い」という言葉には反応せず、別の言葉に置き換えながら人の話を聴いてきたのか。。これをきっかけに気づけることがあるかもしれません。
「好き」のエネルギーは、また言葉にするのが難しいですね。ちょっと待ってくださいね。ここか別のお話かで書いてみます。
ともあれ、コメント感謝感謝です。

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