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2010-10-24

「好き」のエネルギー

前の話の続編で、

「好き」のエネルギーについてはどうなんでしょうか? 「好き嫌い」って表裏一体でもあると思うんですが。

という質問について、自分なりに思うところを書いてみます。

まず考えたのは、「好き嫌い」というのは“表裏一体”なのだろうかと。いろいろ考えまわってみたら、そうかなと思い至ったのですが、その途中で“対極”ではないんだよなって思いました。「好き」の対極は、私のなかでは「無関心」です。決して「嫌い」ではない。「好き嫌い」というのは、どちらも対象に対して関心をもっているという点で共通しています。そういう意味では表裏一体か…と思い至った次第。

で、私が日常的に抱いているのは「好き」か「無関心」で、「嫌い」を取り出すってことはそうそうないなぁと。だってエネルギー使うでしょう。「好き」と「嫌い」はその対象に対して自分の人生のエネルギーを注ぐわけで、エネルギーを使いたい、あるいは使わざるをえないときにそう想うのです。そうでないケースなら、エネルギーを消耗しない「無関心」領域においておくのが、おさまりどころとしてちょうどいいのではと思うわけです。

ただ、対象を「無関心」と「嫌い」のどちら領域に置くかは、環境にも左右されます。「ゴキブリも嫌いだろう」と言われれば確かに。「ゴキブリ嫌い?」とふいに尋ねられたら「嫌い」と返してしまいます…。ただ、これはなかなか根の深い問題でして。

ここ東京では、しいたけにしろゴキブリにしろ、出会う確率が非常に高いわけです。どうしても距離が近い。ゆえに「嫌い」領域に入ってしまいやすい。これが、ゴキブリが出ない国や、しいたけをほとんど食さない地域に住んでいたらどうでしょう。私のしいたけやゴキブリに対する想いは、おそらく「無関心」領域に入ります。私には極力「嫌い」なものは少なくしておきたいという前提があるので。いやはや、「嫌い」か「無関心」かが環境に左右されるとなると、ますます「嫌い」と認定することの戸惑いは大きくなるばかりです。

まだ「好き」のエネルギーの話に踏み込めていませんが…。先に話したとおり、「嫌い」の感情については、好んでその感情を抱こうとか、表しようとは思わないという前提が私にはあります。なので、「嫌い」をもつには相応の理由が必要になる。

けれど、例えば仮想敵を作ることでエネルギーを起こすとかは性にあわないし、それよりは自分の内側で内的なエネルギーを起こしたほうが健やかに頑張れる。自分の劣等感をうやむやにするために人を下に見るのとかも、なんか人として弱いなぁと思うので、自分の感情としては採用しがたい。「嫌い」を望んでもつ動機はまず見当たらない。

それ以外で考えられるのは、「自ら望んでじゃないけど、嫌いになっちゃうのよ」ってケースだけど、まぁこれは仕方ない。でも、人の多様性を認められれば認められるほど、あと自分と対象との距離感をコントロールすることでも、「嫌い」エネルギーを注がずに済むことは多いんじゃないかなーと思う。この辺は職業柄日々鍛えていますが、まぁゴールのあるものじゃないので日々精進。

って結局「好き」のエネルギーについて、あまり話していないことになるのか…。とりあえず、「好き」という感情は肯定的に受け止めているという点で、そこには「嫌い」感情と対比して私のなかに大いなる差があるように思います。

もう一方で、「好き」と「嫌い」に向けた共通の捉え方というのも私のなかにはあって、それはどちらも行為ではなく状態として見ているなぁということ。「好きである」「嫌いである」という状態をできるだけ澄んだ目で「へぇ」と捉えようとしていて、「好きになろう」「嫌いになろう」と思うことってないかなぁと。これはみんなそうなのか、人それぞれなのかよくわからないけど。昭和時代のドラマとかではよく、「あの人を早く嫌いにならなきゃ」みたいなセリフありましたよね。ああいうのはもう古いのか、もともと仮想の感情だったのか。

あるものはある、ないものはない。行為として捉えることがあまりないというのは、言い換えると、自分の「好き嫌い」の感情に対してあまり関心がないってことですかね。それよりも、そこにどんな本質的価値があるのかに関心を向けるほうが有意味だと思っている感じがします。自分の感情に重きをおくと、大事なそれを取りのがしてしまうような怖さがありますね。なんだか相当遠いところにきてしまった気がするので、とりあえずこの辺で。何もまとまっていない…。

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コメント

こんにちはー。実は私も、嫌いという言葉は使いません。人に対してはかなり以前から使ってないけれど、物に対しても基本的に使いません。
で、多分似たような理由で人に向かって好きと言うのも非常に苦手です。

なんていうか、好きも嫌いも「結論」な気がするんですよ。いろんな経験を経て、そういう気持ちになって、言葉としてアウトプットするようなかんじ。
だから、なんか、簡単に結論を出していいのかなーとか考えてしまうのかもしれないです。

うわー、ふうりさん。いらっしゃい、いらっしゃい。
「結論」な気がするって、すごくわかります。すごいなぁ、一言で言い表してもらった感じがする。そうですね、そのあたりは結論を出さずに自由にふよふよ泳がせておきたい感じがしますねぇ。

うーーむ、しいたけのところから(いや、単純にしいたけだけじゃないけど)発端して、ここまで論理の展開が広がっていてすごいです。。

そして、人によって「嫌い」の置き方とか考え方が違うことにも新しい発見があったり、唸らされたり。。いつもためになる刺激をいただき本当に有難う、、と思います。

hysmrkさんの主張を読んだ後で言うには恥ずかしいですが、私は、、いやもしかすると半分くらいの人は、ここまで深く考えずに「嫌い」ということばをもっと簡単に使っていると思います。
おっしゃるように、対象が人の場合は「好き」も「嫌い」も本気で思おうとするとかなりエネルギーを使う。特に「嫌い」の場合は負のエネルギーですから、自分自身のことも恐らく醜くしているでしょうし、そういう相手のことを考える時間が無駄ですから、極力考えないようにしたり距離を置いて、自分が負の感情を抱かないようコントロールしたい。

しかし、そこまで重たいものではなく、もっと軽く、テレビを見てアクの強い俳優さんとか、甘ったるい口調で男性に媚を売る人を見たりなんかすると、動物の本能なのか、同性として「この人嫌いだ。。」と思ってしまうわけです。
政治家で、人を見下したようににしゃべる下品な方がいて、私も母もその人がテレビに出てくるといつも「この人嫌い」と何も考えずにすっと口から出てきてしまいます。これもしいたけと一緒で、ブラウン管を通してしか会うことがないから「嫌い」と言えるのであって、もし万が一、子供の友人のお父さんだった、、とか自分の身内だったりしたら、もっとその人のいい面に沢山接することができて、「あぁ実はいいところあるじゃないか」とわかることもあるんだと思います。

でも例え軽く口から出てしまったとしても、やはり人に対して「嫌い」と言ってしまうのは、あまりよろしくないな、、とブログを拝見して感じたので、これからは気をつけるようにします。

ベルさん、コメントありがとうございますー。しいたけからこんなところまでやってきてしまいました…。(笑)
「好き」や「嫌い」といった感情を表す言葉はとくに、その人なりの使い方というのがあるはずなので、そこを汲み取りながら受け止めたい言葉ですよね。自分が無自覚に使っている言葉のイメージで捉えちゃうと、相手はそういう意味で使っていなかったりするから。
言葉の受け手としては、その辺の心配りを大切にしたいなと思いますけど、使い手としては、ある意味自由でいいのかなとも思っています。私は自分の好き嫌いって感情に比較的無頓着なほうだと思いますが、好き嫌いがはっきりしている人、ずばずば言う人もいて、それはそれで面白いなぁと思いますし、言う人言わない人両方いるから世の中おもしろいんだろうなぁ、バランスしているんだろうなぁと思っています。
ただ、自分のもっている言葉のイメージにあんまり無自覚で、それによって相手を傷つけてしまうようなことは避けたいですよね。その辺りの自覚と配慮が大切なんだろうなぁと思います。
ちなみにテレビに出てきた人にぽろっと言う、みたいなのは、まぁいいんじゃないですかねーという気もします(笑)。気をつかいだすときりがなくて疲れちゃうかも。私は、テレビとか観たら結構ストレスになるような考え方に触れることもあるんだろうなぁと思って観ない環境に身をおいてしまっている面もあるので、それはそれで社会性が欠如していてどうなのかって別の問題を抱えています…。

hysさん、丁寧に答えてくださってありがとうございます。また僕の思ってもいなかった方向に話が進んでいて、なるほどーと思いながら読みました。印象に残ったのは、「感情」という言葉がたくさん出てきたこと。日々務めて理性的であろうとしているのかな、そういうお仕事なのかなと勝手に想像しました。

今更ながらですが、僕もあまり「嫌い」と言葉に出すことはないかもしれません。ただ、「嫌だな」と思うことは多々あります。この話もはじめると長くなりそうなので、カットします。。。

また思いついたことがあれば、コメントをポストしますね。引き続き、体調には気をつけて下さい!

sasakiさん、いえ、考える機会をいただいてお礼を申し上げるのはこちらのほうです。で結局、思ってもいなかった方向…ですよね(苦笑)。答えになってないっていうかなんというか。こんなん展開されても、話が違いすぎてコメントできんがな!っていうか…。でも、ありがとうございました。
つまるところ、あらゆる事象、人、物事について、自分の好き嫌いを発動するよりも、その意味を問う活動に向かうことを好むというか、性質みたいなものがあります。
こんな展開だったので、とりあえず近日中にポストしなきゃって気を遣わせてしまった部分が少なからずあったと思います。ほんとすみません…。でもまた、ふと思うところが出てきたら、ぜひ聴かせてくださいね。

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