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2010-09-11

仕事の手触り

自分の仕事の重み、責任のありかみたいなことをたくさん考えた1週間だった。私の預かっている仕事は、これという名前がつけづらい。世の中の大半の人はそうかもしれない。名前のない仕事領域を預かっていると、やっている本人も周囲も、なんとなく全容とか核になっている役割が把握しづらくて、所在なしの感覚を味わうこともある。

だけど、いろんな現実的な問題に直面して、それを一つひとつ乗り越えていくときに、自分のなかではっきりくっきりと思い知る。自分が何を担っているのか、自分がその求めに応えきれないと、現実的にどういう問題が起こるのか。

起こった問題の責任を他人に預けてしまうことは簡単だ。役割が不明瞭な仕事ほど、他人のせいにして片付けてしまうのは簡単かもしれない。だけど、自分の責任において何をしていればその問題に直面せず済んだのか、そういう面から問題を捉えれば必ず、自分の側でできたこと、やるべきだったことは出てくる。出てこないことはない。「いや、これは明らかに誰々のせいで、自分には一切の責任がない」と思える場合、まずは自分の想像力の貧しさを疑ったほうがいい。ごく個人的にだけど、私は自分の仕事をそういうふうにみる。意志というよりは、癖なだけだけど。

今回ある問題を乗り越えていく過程で、とにかく逃げないこと、これに尽きるのだと思った。誰より自分の責任として受け止めること。決して判断の健全性を失わずに、何のために、どうしたらいいか、誰より真剣に考えること、判断すること、動かすこと、これを繰り返して問題を一つひとつクリアしていく。これに尽きる。そうすると必ず問題は健全な解決に向かっていく。この繰り返しを途中で断念してしまうと、何にもいつまでも解決されない。逃げないこと。逃げないで建設的に問題解決にあたる人があっちとこっちに一人ずついれば、けっこういろんな問題は打破していけるのではないかと思う(もちろん問題の規模にもよるだろうけど)。

この過程で改めて思ったのは、問題を起こしたから辞任しますとか辞めさせましたとかは、最も安易で、何の解決にもならない一段落のつけ方だなということ。誰も成長しないし、何も解決しない。その人がよっぽどの骨なしで、隣によっぽど骨のある人が待機しているなら別だけど、そうでもないなら、辞める辞めさせる話で使っている時間を、本来的な問題解決にあてたほうがよっぽどいいと思う。そうじゃないと、ほんといつまでも何の価値も生み出さない。

というわけで、逃げずにやりきる。終わったらひとまわり大きい人間にもなっているはず。そうやって、私は名前のつかない仕事を、はっきりくっきりとした触感をもって手づかみして、その役割を深めたり広げたりしていこうと思っている。ここ何年かで、手の感触がだいぶはっきりくっきりしてきた。

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