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2010-03-20

勉強会の構造づくり

講義やセミナーは、知識を習得するための学習手法じゃない。そこにはさほど貢献しない。これはよく考えれば当たり前のことながら、けっこう誤認されていることだ。

人は何もしなければ、話を聴いた20分後には4割を忘れ、1ヵ月後には8割を忘れる生き物。「エビングハウスの忘却曲線」で言われるその数字が何事にも共通するとは思わないが、この比率感は実際に自分の記憶をたどってみると、けっこう腑に落ちる数字じゃないかと思う(私だけじゃないことを祈る…)。

1ヶ月前に参加したあのセミナーの話の何割を覚えているか。これは「何もしなければ」の数字なので、聴いた話を活かせるように何らかの取り組みをする習慣がついている人は、もっと覚えている率が高いと感じるはずだけど。

セミナーに意味がないわけじゃない。知らないことに気づいたり、思い込みを排除できる発見の場として有効に働くし、忘れていた大事なことを再認識させてもらえる機会にもなる。自分が知らないことに気づく機会がなければ、その知識を習得するための努力もできない。そういう機会は他者との関わりの中でこそ得られるものだし、人が集う場に直接出向くことで動機づけられることも多分にある。短時間に多くの人に気づきを与え、心をドライブさせうるのも講義形式ならではのメリットだ。そうして多くの人が何かを持ち帰ってスタートを切れれば、そこには大きな意味が生まれる。

逆に言えば、「あぁそんなの知ってる」「あぁ、それは知らなかったな、へぇ」と思って聞き流しているだけでは、ほとんど何も残らない。つまり講義やセミナーの効果は当人によるところが相対的に大きいのだ。その話を受けて、その後自分がどうアクションを起こすかにかかっているから、それだけで終わらせている人には本質的な意味が生まれにくいとも言える。

仕事で学習の場をデザインする私はもちろんの責務として、参加する側もここの目的と手法の関係を正しく認識していると、もっと「自分個人の学習」と「社内外の人が集まる勉強会」の相乗効果を活かした学習ができると思う。特に仕事力の習得においては、片方だけではなかなか定着しないことも多い。

仲間同士で勉強会を企画するなら、何のためにやるのかを共有して、であればどういうやり方が効果的なのか吟味すると、もっとその場を活かせると思う。なんでもかんでも講義形式でいいというものではないし、講義形式ではつまらないからと演習形式を取り入れてみても、狙いにそぐうものでなければ、またそれに合わせて設計がなされていなければ、むしろ講義形式のほうが良かったね…ということにもなる。

私は、自分の仕事としては講義形式単体ではなくトレーニングやワークショップ形式を軸にしているけど、割ける時間と予算の条件を踏まえて意味のあるカリキュラムを生み出すには、それ一辺倒でものを考えていてもいけないと再認識した。

目的と対象をシャープに捉えて、割ける時間を前提に置いたとき、どこまでのゴール設定が妥当なのか、どこまでのゴール設定では無理があるのか、そうして設定したゴールに価値はあるのか、もっともっと考え抜けるはずで、それを踏まえた全体の構造づくりをする必要がある。まだまだ自分が磨けることはたくさんあるのだ。乱文御免なさい。とりあえず思いのまま。

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コメント

おいらは、セミナー行くなら飲み会つきの少人数のに行って、必ず質問してこいとアドバイスします。

とりあえず、セミナーいく時間をください!

「飲み会つき」「少人数」「質問する」までそろうと、一気に体験度合いが増すから、記憶にも残るでしょうね。がんばって時間捻出してください。(笑)

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