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2010-01-06

不純な動機、できすぎた外見

“訳あって、今年の採用活動に出遅れます”というキヤノンマーケティングジャパンの「採用スケジュールに関する重要なお知らせ」が話題。キャリアカウンセラーの端くれとして、以前から新卒採用活動の異常な早期化は気になっていて、私は(いろいろ飲み込んじゃえば)基本この表明を肯定的に受け止めた…のだけど、いろいろ飲み込んだことをメモ。

ストーリーとしては、この決断の動機は「景気低迷、業績苦戦」だったんだけど、それをきっかけによく考えてみたら「学生が学業に専念する時間を大切にしよう」に至ったんだと。こうしたストーリーだと、今のネット事情ではリリース段階であれこれたたかれてしまうのは目に見えているけど、それも想定範囲内だったなら良いのかなと。

世間の素晴らしい達成の85%までは、不純な動機から始まっています。

って村上春樹さんの言葉は実に言いえているなぁと私は思うのだけど。この件も「女の子にもてたいから」とサッカーを始めた男の子が将来プロになって、それで活躍して子どもたちに夢を与えて、それの何が悪いのさ!っていうのとあまり変わらないかなと。つまり外野が何かを評価できるとしたら、その対象は動機ではなくて、実行したことがどれほど世の中的に意義深く発展を遂げたかってことかなと。

で、この件についてははっきりいって、今期だけではなんとも言えないだろうなと思う。つまり、まだ何かを評価するタイミングじゃないというか。来年とか再来年とか、3年後とか5年後とかまで見たときに本当のところが外側にも見えてくるのかなぁと。

公式表明したからには、来年、再来年に他社の動きが変わらなくとも、3年後、5年後に景気が復調しようとも、早期からの採用活動に戻さない覚悟があってしかるべきで。少なくとも、外からはそう見られる覚悟が必要だと思う。これがもし「景気が持ち直したので…」とか「やはり良い人材を一定数採用するには…」と時期をもとに戻したら、それこそ袋だたきの信頼失墜じゃないか(と思うと怖い)。

でも、それくらい企業側も発信する前に考えるだろうし、それ前提で発信したメッセージであれば、誠意をもった態度の表明ということにしておきたい。今のネット上の反応も中の人は想定範囲内で、「今はなんとでも言うだろう、けど長期的に信じてもらえるはず」と割り切っているくらいじゃないかと期待したい。

が、それとは別に、実際面でどうして見る側の気持ちをこれだけ不穏にしたのかって、このページのデザインが少なからぬ影響を及ぼしている気がしてならないのは私だけなのか。作られすぎた文章、なぜ全部画像?とか。なんというか、あんまりできすぎているところが、見ている側の反発を過剰にさせたのではないかと思った。

外側ができすぎているものをみると、人は内側が真逆なありようではないかと不安を覚えるものなのかもしれないなぁと。こんな手厚い感じで見た目を整えられると、中身はものすごい薄っぺらいんじゃないかと無意識に不安視してしまうのではないかしら。その不安が攻撃性につながっていくというか。あと、ここまで凝って作られると、これって中の人が書いた文章じゃなくて、外部のプロが書いた文章なんでしょ?みたいな気分にさせられるというか。

これが、もっとぺたっとしたテキストで、もう少し朴訥なプレスリリース調だったら、また反応は(多少)変わっていたのかもなぁと思うと、「できすぎ」ってのも怖いなぁと思う。時と場合によるんだろうけど、特にこういう内容だと見る側は意気揚々と前向きに見るものではないから、そういう心もちに配慮するって大事なのかもしれない。

それにしても新卒採用のスタート時期は法律で規制してもいいんじゃないかなぁと思う。大学3年生10月から本格始動って、そんなんないわと。半年ずらしたほうが国内外の学生・生徒にも、中小企業や地方の企業にも圧倒的に優しいと思う。これで少し風向きが変わるといいなぁ。

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コメント

採用業界に携わっている私としても、この際限のない前倒し傾向は何なのだ?!とずっと思っていました。
うん十年前、、私の頃は就職活動なんて当然4年生になってからで、4年生の10月に決まっていれば安心、、という感じでしたし、それから少しして「青田刈り」なんて言葉も出てきたのだった。。
今なんて、、青田よりもっと早い段階ですよね。
で、、こうなってくると今度は内定を出してから入社までに1年以上あったりするから内定辞退されぬよう採用担当者が内定者のモチベーション維持に労力を注がねばなりません。
私も絶対あと半年ずらしたほうがいいと思います。

本題に戻りますが、人が出来すぎたものを見ると不安になったり疑い深くなるのは、やっぱり人間が完全なものじゃないからかもしれませんね。。
人ってどこか心の中で、誰かの失敗見たり落ち込んだり弱っている姿を見ると、「あぁ自分だけじゃないんだ」とちょっとほっとしたりして、そしてその人に優しくなれたりしますよね。
まりさんが書かれているのはメッセージとかデザインとか、人間とはまた違ったものですが、通じるところは一緒ではないかと思いました。少しくらい突っ込みどころがあるほうが、血が通っているように感じられるのかもしれませんね。

ベルさん、コメントありがとうございます。そう、採用活動の前倒しすれば、その分内定者をケアする期間も長期化するし、内定辞退させない対応、した場合の対処も必要になる。採用活動の早期化って、みんなして疲弊していきますよね…。

今日一日、時々このことを思い出していたんですけど、これは私たちが人を信じるより疑うほうが精神的に楽だから、気を抜くとそうなっちゃうってことなのかもなって思いました。
裏切られるかもしれない不安を抱えながら人を信じるより、最初から疑っておいて、真実でなかったときに、ほらっ!で済ませられるように。
人は、相手と関係が深まってくればその人を信じようとする。それがときに、すごく精神的負荷が高いことを知っているから、浅い関係の人に対しては易きに流されやすいのかもと思ったりしました(相当妄想ですかね…笑)。
でもそこは、自分としてどうありたいかって自分で舵取りして、自分が相手を信じる意思をもちたいなぁって、個人的にそんなことを思いました。これって結構難しいですよね。

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