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2009-12-30

ひとり占めを慎む

「せっかく自分が努力して身につけたんだから、人に言っちゃったらもったいない」というスタンスから、「みんなに共有してどんどんアウトプットしていったほうがいい、そのほうがその過程や結果として得られるインプットだって断然大きいよ」というスタンスに変わっていったのは、インターネットの普及とともに自然こういう空気感が広がっていったってことかなぁと漠然と思っていた。というか、その変化について深く考えたこともなかったのだけど。

松岡正剛さんの『多読術』に、「江戸の私塾」ですでにこういうスタンスの読書法が実践されていたことが紹介されていて、はっとさせられた。「慎読(しんどく)」といって、「読書した内容をひとり占めしないで、必ず他人に提供せよ。独善や独占を慎め」という教えが江戸時代にあった。松岡さんが大作「千夜千冊」を無料公開したのも、これを知って共鳴してのことだそう。

これを読んで、世の中の本当に大切なことは、もう全部きっと言い尽くされているんだろうなぁ、自分が知らないだけでなぁ、と改めて思った。こういうことは本を読むたびに思ったりするのだけど。

「ひとり占めを慎む」って心もちみたいなのも、きっと「慎読」が生まれる江戸よりも、ずっとずっとずーっと前からあったのだろうし、いろんな人がいろんな人に教え伝えて、江戸の池田草庵、吉田松陰、現代へと脈々と受け継がれてきたんだろうなぁと。

私はそれをのんびりながら学ばせてもらいつつ、現世の自分の行くみちなかで粛々と生かしていけたらいいなぁと思う。といっても自分が感銘を受けたと思うことを、なんとなくそんな世界観をもって生きていくってなものだけど…。悪くいうと努力ってのがない、フラットにいうと欲がない、良くいえば自然体。

話をすりかえて、『多読術』の別の章では「読書の効用」について尋ねられた松岡さんの回答も胸に響いた。「言うは易し行うは難し」ってまさにこれだなぁと。以下はごく一部を抜粋したもの。

読書は「わからないから読む」。それに尽きます。
本は「わかったつもり」で読まないほうがゼッタイにいい。
馬鹿にしてものごとを見たら、どんなものも「薬」にも「毒」にもならない。

本読んでいて疲れてくると無意識に、わからないところは読み流して、わかっているところだけ読んでふんふんと気持ちよくなって済ましていることがあって、あとで我に返って「なんという本末転倒…」と自分に突っ込むことがある。よくある。

「わからないから読む」というスタンスで、本とは常に真摯に、わくわくしながら向き合いたいもの。そして本との対話のなかで得られたものを、自分にも人にもうまく循環させていけるといいなぁと。慎読は心になじむ。

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コメント

「情けは人のためならず」って諺があるくらいだもんね。マクロ視点で考えると利他的な行動が集団の生存可能性を向上させるというのは生物学的にも研究成果として立証されてるらしいしね。一部の人間は昔からそれをわかってたんでしょうね。宗教や道徳的寓話の類はそういった一部の人が得た知恵に基づいて、その他の人々にも集団全体に有利な行動を取るように誘導する道具なのだよなあ、と思います。

> 「情けは人のためならず」って諺があるくらいだもんね。

確かに!それに生物学的な研究対象になっている時点で、なにか必然という感じがわいてきますねぇ。そしてこれを「宗教や道徳的寓話の類」まで広げて考えられることに脱帽。でも、なんとなくよくわかる気がします。いつの時代もそういうふうにまわるものっていうのが、世の中にはあるものですね。

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