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2008-11-16

「調べる」じゃない方法

大阪出張の朝、家を出る直前に、肝心の「大阪のどこに行けばいいか」を調べ損ねていることに気づいた。大阪支店は何度か行ったことがあるものの、前に行ったのは1年半くらい前のことで、新幹線を降りてからどうすればいいかよくわからなかった。それで家のPCで自社サイトにアクセスして大阪支店の地図を確認し、お手製の地図をこしらえて(家にプリンタがない)出発した。

それはそれで良かったんだけど、事なきを得て「じゃあ、この発覚が家を出た後だったら私はどうしていたんだろう」と考えた。PHSで自社サイトにアクセスして調べる、東京本社に電話して訊く(おまえなーと思われること請け合い)、おぼろげな記憶をたどりながら多少現地で人に訊いたりしてたどりついてみせる、風の呼ぶほうに誘われてみる、などなど。

で、最初の2つは「調べる」という行為のうちだけど、後半に行くにつれ「調べる」濃度が低くなる。この後半のやり口っていうのをやらないことが増え、“基本やらない”人口も増えているんじゃないかと思った。そんなこと考えている間に出かけろという感じなんだけど、そういうこと考えながら生きるのが癖…。

世の中にはすでによりどりみどりの選択肢が与えられていて、あらゆるものが考える前に選べたり調べられる状態になっている。それが乏しい時代のほうが、“ 多くの人が”一旦いろんな方法に意識を向けてみて、そこから自分なりの方法を取捨選択する上で好環境にあったかもしれない。

与えられる人と与える人がそう分断されていなくて、一人ひとりがその時々で立場を変えられていたんじゃないか。ゆえに“皆が”それなりに、いろんな手段を自由に発想する力を備えていたんじゃないかと。平均点が高かったというか。「調べる」だけじゃなくて、「考える」「想起する」「勘を働かせる」云々。

私は「すでに与えられているものの中から選ぶ」のでどうにかしていくんじゃなくて、一回いろんな方法を発想してみて、そこからこれって選択をするようでありたい。もちろん日常すべての判断にそう余裕があるわけじゃないけど、一旦拡げて収束させるというのは、ものによって1秒以内で処理できることも少なくない。ベースは常に、自分で選択肢を考えるところから始めて、最後はこれと答えを決めて、動ける人間でありたいなぁと思う。

昔のほうが良かったと振り返りたいわけじゃない。自分が申し分なくできているとも思わない。ただ、「調べる」が充実した今、それ以外ももっとバランスよく充実すれば、もっともっと人は豊かになるんじゃないかと思っただけ。だから今後出てくる製品・サービスも、そういうコンセプトのものがたくさん出てきたらいいなーと思うし、それによって「調べる」「選ぶ」以外の力が人に備わり、育まれるような社会基盤?ができていくといいなーと思う。私は私で、そういう学習の場づくりを大切にしていきたいなーと思う。

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コメント

うーーむ、、深いです。。深いですっ!
まりさんのこういう考え方、とても好きだし、またいろんなことを気づかせてくださいます。

少しレベルを落とした話になってしまいますが、子どもたちを見ていてそう感じることがしばしばありました。今もわからないことを親に聞いてくることもあるけど、少なくとも自分で辞書をひくとか図書館へ行って本で調べる、、ということが殆ど無く、すべてインターネットの検索で完了してしまいます。
情けないことに、夏休みの宿題でさえ、ネットの検索とそれをなんとかまとめるだけで終わってしまったりします。
今の子どもたちにとっては「調べる」=「ネット」という感覚になってしまっているようです。

私も初めての場所へ行く時など、ネットの地図を利用してとても有難く助かっていますが、逆にそれがなかったら働かせていたような方向感覚とか動物的な勘(?そんなもんないか?!)とかは、、人間としてどんどん退化しているのかもと思います。

うちは車はないですが、カーナビだって、、今はきっとつけてる人は、もうそれがないと考えられないようになっているのかも。。地図を見て、迷いながら行くという昔の感覚は遠ざかっているかもしれません。
(昔、元彼の助手席で地図を一生懸命見てナビゲーションしていて、よく車酔いしていたのをちょっと懐かしく思い出しています)

「とても好きだし」というのに、とても嬉しくなってしまいました。好きというのはなんておっきな幸いを運んでくれる言葉なんでしょうねー。ありがとうございます。

「レベルを落とした話」なんてとんでもない。まさにそういうことです!「調べられる手段が常に唯一の方法で目の前にある」というのは、実はとても恐ろしいことなんじゃないかと思います。いろんな手段を知った上でのことならいいけれど、知らないうちに一つの手段だけで解決する癖をつけてしまうと、もうそれ以上広げるのなんて億劫だし、そこで止まってしまう。でもその方法がないときの対応力が著しく低かったり、それでできなければ「じゃあ無理」と考えるようになってしまうのでは、あまりにもったいない。

環境があればそこに甘えるのは人間の性だと思っているところがあって、だから環境作りが大事なんだろうなって思います。私が家にテレビを置かないできたのもそこに理由があるわけですが…。意識的に、動物的な感覚とか感性が退化しない環境作りはしていきたいなって思います。

それにしても、彼の車の助手席で地図開いて車酔いっていうのは、なんだかほのかな思い出ですね。私も家族旅行や校外学習のバス移動なんかではよく車に酔っていました。地図開くのなんて、意を決して開いてせいぜい30秒くらいだった気がします…。

おいらは十度の方向音痴なので、携帯のナビはかかせません。なのでAUっこです。

地図があっても迷いますよ~

で、うっかり携帯を電車に置き忘れたときはあせった!!

うろ覚えで最寄の駅まで行き、最寄の交番で場所を聞き、なんと事務所が移転していることが判明して必死で交番を探して調べてもらって、電話までしてもらって大変な思いをしました。

困ったときのおまわりさんが神に見えましたね。

私は機械音痴なので、携帯のナビは使ってません。(笑)
さらに方向音痴でもありますが…。

「電話までしてもらった」ってすごいですね。おまわりさんから電話かかってきて、「yasuさんが迷子になっているんですが…」とか言われたら、うーむ、一生の思い出になります。(笑)

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