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2008-09-14

新しすぎるもの

新しすぎるものに対峙したときに生まれる最近の世の中の批判の多くは、「モラルの低い社会を前提としたデメリットのあれこれ」ではないか。実際、最近の世の中は決してモラルが高いとはいえない状況にあるわけで、こんな意見こそ現実性を欠いた批判だと思われるかもしれないけれど、あんまり“現状”に 肩入れしない私は、「モラルのある社会を前提としたメリットのあれこれ」も同等のエネルギーを使って考えたい、と最近折に触れ思う。

同じ批判でも、両方検討した後での批判と、前者だけ検討した後での批判では、だいぶ厚みが違う。最近は世の中の意見を見聞きできる場がだいぶ増えたけれど、そこには「両方検討した上での批判」「前者だけ検討した上での批判」「後者だけ検討した上での肯定論」「両方検討した上での肯定論」「両方検討した上で何が何やらどっちつかず」が入り混じっている気がする。

たぶん人それぞれに、その新しいものが直感的に善いものか悪いものかを判断していて、それを足場に自分なりの意見を編み上げているんだろう。私もまたその直感にしたがって、無意識に「可能性を探るか」「問題点を探るか」いずれかの道を選んでいるんだろうと思う。それはどっちが先でも構わない。ただ、先にどちらかに進んだら、後でもう一方を検討するバランス感覚をもっていたい。

なぜそう思ったかといえば、その新しすぎるものの作り手はきっと、モラルのある社会を前提にして、ワクワクする未来を思い描いて作ったんだろうなぁと思うから。その人の目がそう言っているなら、そう信じてあげたい。それが、ささやかながらも生涯作り手のキャリアを支援していきたいなぁと思う私なりのモラルの浄化活動だと思う。

もう一つ大局的に。私たちはいつだって、何かの終わりに立っているのかもしれなくて、それは同時に何かの始まりに立っているってことなのかもしれない、どこかの曲がり角にいるのかもしれない、あるいは昨日と同じただ平坦な道の上に突っ立っているだけなのかもしれない。

今がどこなのかわからない。それは多くの場合、後から振り返ってみないと解釈しようのないものだし、後から振り返ってみたところで絶対的な答えなんて存在しない。ただ、どうにもわからないというのに、そういうことに考えが及んでしまうのが私たちだ、ともいえる。

だから、せめてわきまえておきたい。長い歴史の中で、私たちがどういう文脈の中で今を生きているのか、想像することはできても知ることはできないということを。そして、わきまえた上で、バランスをもって検討できる冷静さと、検討の後自分なりの意見をもてる熱っぽさを、胸のうちに育てながら生きていきたいと思う。(なんだ、唐突に…)

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