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2007-12-29

いさめてくれる人

先日同僚のお姉さまとランチに出かけた時、どんな経緯だったか私が熱く語っていたこと。歳を重ねれば重ねるほど、自分に苦言を呈してくれる人は少なく なっていく。それは紛れもない事実だ。だけど、それは途切れない時の流れの中でひっそりと始まっていき、ある時には決定的にそうなっているという類のもの だから、自分で意識しておかないと見事にはまってしまう。

すっかり雨は止んでいるのに、傘をさし続けている。誰も通りすがりに「もう雨あがってますよ」と声をかけてはくれない。そんなご時世では「悪いこと」に 限らず「ちょっとしたこと」だって人から指摘してもらえることを期待するのは難しい。これはある程度どうしようもないことと割り切って、それを前提にじゃ あどうすればいいかを考えたほうが、とりあえず建設的だと思う。

まずは、自分に苦言を呈する人を排除しないこと。なんでもかんでも打たれればいいというものでもないけれど、はなから心を閉ざさないでいったん受け止めて みる。そこからなんらか学べる要素があるなら「おいしいとこ」どりして多少痛くても学んでしまえばいい。そしてその人が健全で率直な人であれば、自分の弱 さに振り回されて安易に避けないで、その人を大切にすべきだ。その人が不健全で曲がりくねった人だったら、抜き足差し足忍び足だ…。

さらに、自分をいさめてくれる人がいる環境を、自ら作っていくべきだと思う。何か言ったら自分に被害が及ぶに違いないから言うのはやめておこうとか、言っ てぎくしゃくするくらいだったらとりあえずやめておこうと思われないように、何でも言ってもらえるような雰囲気をまとう。言ってくれたら、心から感謝して、心からお礼を言う。

さらにさらに、自分がまだまだなところの核心を引き出して、かつそれを具体的に指摘してくれる能力と愛情と率直さをもった人とつきあうようにする。そうい う人は歳を重ねれば重ねるほど稀有な存在になっていくから、そういう出会いは大切にする。そのためにはやっぱり意識的な働きかけが必要で、自分を奮い立た せないとできない局面だってたくさんあるし、なんとなくではできないことだと思う。

あとは、本。私は恥ずかしくなるほど大人になってから人並みに本を読むようになって、自分が井の中の蛙だったことを思い知った。世の中はもっともっと広く て、何においてももっともっとすごい人がたくさんいることを知った。でも一旦もってしまえばこの感覚を失うことは生涯ないと思うから、あとは継続すること だ。この感覚を持ち続け、本の著者との出会いを大切にし続ければ、自分をいさめてくれる人を失うことはとりあえずないと思う。

2007-12-28

表彰されました

会社の納会で表彰されました。といってもちょっとした余興の中での話です。業績云々とかそういうスゴイのではありません。でも表彰されるなんて私の人生でそうそうないものですから、これは一大ニュースとして記録に残しておかなくてはなりません。

うちの会社の納会はかなりノーマルなもので、そんなに大きくないお店を貸切りにして、立食で飲み放題で、基本的に歓談だけどビンゴ大会もあるよ、みたいなのです。ただ、今回は幹事の新卒の子たちが余興を用意していて、ちょっとした表彰式が行われたわけです。

新卒の子たちの事前の審査会によって「やさしい先輩」「見た目は怖いけど、実はさびしがりや」「無人島に行くならこの人と」「プライベートが謎」「ミスター/ミス うちの会社」みたいな、初々しい感じの各受賞者が発表されました。

大方検討はつくでしょうが、「ミス うちの会社」のはずがなく「プライベートが謎」な人に贈られる賞をいただきました。ありがとう、ありがとう。新卒の男の子から「普段どういう生活を送って いるのか、実にミステリアスです」とのコメントをいただきました。ありがとう、ありがとう、謎は謎のままで…。

それよりおかしかったのは、マイクを通して「プライベートが謎」賞が発表された時の、社員全体に沸く「異議なし」な空気感というか、妙にみんな納得してい る感じがあったというか。私は社内でそんなに目立った行動をせず粛々と仕事に励んでいると思うのですが、一体全体どこからその全員一致な納得感が得られた のか、そのほうが謎でした。

ともあれ、嬉しかったです。私は新卒の子たちと一緒のチームで働いているとかもないし、仕事の局面で濃厚に接触する機会もなかったので、何か賞を…と考え たときに対象者が100近くいる中で自分の顔を思い起こしてくれたなんて嬉しいかぎりです。たとえそれがどんなに「落ち」的な賞の位置づけであろうと も…。

2007-12-25

意味のある日

世の中的に意味のある日というのが、苦手だ。ある側面からみたクリスマスはその最たるもので、例えばメールを書くのでも、会おうと誰かを誘うのでも、躊躇が先に立ってしまう。

その人の価値観によっては、こんな大事な日に…ということになるかもしれないし、当人が気にしなくても当人の周囲にご迷惑がかかるかもしれない。不快感を与えるかもしれない。

そんなことを考えていると、できるだけ身をわきまえた行動をとらなくちゃなぁと思ったり、なんかそれもくだらないなぁと思ったり、トラウマにがんじがらめにされてるなぁと思ったり、あれこれ不毛なことを考えてとても疲れる。

で、大晦日とかお正月とかはいいっていうのは、私にとって意味のある日だからというわけで、なんとも勝手な話。…と、ここまで書いて、なんとも31歳独身女性の心のうちって感じだと失笑してしまったのだけど、まぁそれを書くとこだから仕方ないか…。

2007-12-14

今のために今やってる

今週は相当に頑張っております。毎日へとへとです。諸々やらなきゃ業務のあれこれと並行して、月曜日は数十枚の某案内資料を作り、火曜日はコラムを書い て、水曜日は朝っぱらパンフレットのコピーを書き、昼から晩にかけて提案書をこしらえて、そして火曜と木曜はお客さんとこでプレゼン。

5年前の私が聞いたらぶったまげるような仕事内容です。私は比較的「想定」に幅をもたせるほうですが、これはまったくの想定外です。5年前の私にしてみれ ば、企業向けの(それもおっきいとこの)提案書を書いてプレゼンするとか、きちんとしたとこでコラムを書くとか、超短時間で集中してコピー仕上げるとか、 そんな仕事をすることになろうとは思ってもいませんでした。

が、ここで間違っちゃいけないのが、この「仕事内容」がすごいわけではないということ。ましてや、この仕事をしている「自分」がすごいなんて取り違えは恐 ろしいことです。すごいとは、自分がその仕事をすごい「クオリティ」でできたときに言えること。こういうのって、口には出さないものの自分の頭の中で無意 識のうちにおかしがちな見誤りだから注意が必要だなって思います。

ただ、今の自分に対して「すごい機会に恵まれている」とは言えるかも、と思います。決して大きくない会社の中で、他に同じ役割を担っている人がいない環境 下では、規模の大小を問わず私の経験値も問わず、それ関連のことは一通り自分のとこに届き、あらゆることに意見や判断、提案を求められることになります。 これって、いろんな経験を得る上ではこの上ない環境です。

そして今私がすべきことは、与えられた機会を一つひとつ大切に受け止めて、お客さんに向き合っていくこと。自分の力量や経験不足を不安に思う暇があった ら、目の前のお客さんのことをしっかり見て、声を聴いて、それに対してできるサポートの限りをうんうん考えて、提案書にまとめてプレゼンして、意向を汲ん で調整して実際のサービスに落とし込んで提供していくことです。

その一つひとつが、ある時振り返ってみれば私の経験となり力となり、私なりのキャリアにもなっているはず。ですが、今は 「いつかのために」じゃなくて「今のために」。私はいつか活かせる経験やスキルを身につけるために仕事してるんじゃない。今の仕事をするために今仕事をし ている、今目の前にいるお客さんのために今目の前にある仕事をしているって感じがします。なんか三十路っぽい発想かも。

2007-12-13

コラム書きました

今回は「自分のこととして考える」と いうコラムを書きました。前回書いてからこの一ヶ月の間に某大御所から前回のコラムを読んでの編集指南を受けた(つまりダメ出しされた)ので、今回はその 辺も意識しつつ。というわけで、これまでより、私の文章に特徴的な「くどくど」「ながなが」「だらだら」(ってひどい文章だな)感はないと思いませんか?

思わない。あぁ、そうですか。まぁ、なかなかすぐどうこうってわけにもいかなくてですね、すごくベーシックな文章力の問題なので一朝一夕にはですね、えぇ…、えへへ。というわけで、まだまだ根本的な解決に至れていないのは否めません。

が、ダメ出しパンチをくらうことで、それ以前より適正に自分の能力をわきまえて、それ以前より厳しい評価の目をもてたわけで。今後とも亀ペースの成長を楽しみつつ、まぁとりあえず書いている内容のほうになんかひっかかるものがあったら嬉しいなぁって思います。

2007-12-09

体温がほしい

低温火傷ならぬ、低温発熱って書けばいいのか。本当にしゃれにならないのでやめてほしいんですが、今年もまた冬本番を迎え、低体温の持病が発症。寒い なぁ、寒いなぁと思いながら自室で布団かぶって体温を測ってみたところ、12月初旬にしてすでに体温34.7度を記録。先が思いやられます…。

そうなるとどうなるのって、とにかく寒いんです。体が冷たいんです。温度が低いから冷たい、そのまんまです。いやいや、本当に勘弁して。1、2月とかどう なっちゃうんだろうか。33度とか記録したくないなぁ。じわりじわり記録更新していくのをみていると、本当にまずいんじゃないかってさらに悪寒。

あぁ、もっと体温がほしい。すみません、ただそれだけです。近況は、さらにてんこもりな感じになってきました。というか、その自覚がもう少し必要かも、と 思った週末。今週はまた大変なプレゼンが…。あれの締め切りも。そっちのあれこれも。頑張らないとです。師走ですから、平はダッシュして温まろう。

2007-12-06

18時から22時

父の誕生日、会社を定時にあがって実家に向かった。実家には長いこと帰っておらず、また連絡もしていなかったので両親とも驚いていた。私としてはサプライ ズというより、なんだかどうしても、家に帰ってお祝いしたくてならなくなったというか。普段あまりに何にもせず、好き勝手に生かしてもらっている親不 孝者なので。

とはいえせっかく当日帰るなら、連絡なしに突然娘が帰ってきた方が、それもまた一つのプレゼントになりましょうということで、いつもなら最寄り駅まで迎えに来てもらうところ、この日は駅から家まで一人てくてくと歩いて帰った。

久しぶりに訪れた街のお店が入れ替わっていたり、何かあったようななかったようなところに駐車場やマンションができていたりするのは東京でもよくあること だけど、この辺では畑や空き地だったはずのところに道ができ住宅街ができていたりするから驚く。そういうのを目にすると、出ていった身で身勝手だなぁと思 いつつも、ショックで肩を落としてしまう。

それでも、右も左も畑で、向こうの遠くのほうまで見渡せて、空が360度に広がっている場所が残っていて、あぁ、ここは無事だったか、あぁ、空は広いなぁとその景色にしばしみとれた。

家に到着。門を静かに開けて、玄関を手際よくガチャッと開けてリビングへ。第一声「お誕生日おめでとう!」と中に入っていくと、父が「おぉ、おぉ、おぉ」と、母が「あら、あら、あら」と笑顔と驚き顔を半分こずつにして迎えてくれた。

誕生日プレゼントに手袋をあげて、あと今月の推薦図書をあげて、いろいろおしゃべりして。早寝の父が床につくと、今度は母と二人で一時間くらいあれこれとおしゃべりした。

実家にいたのは2時間くらい。22時には家を出て、帰りは最寄駅まで車で送ってもらって東京に帰ってきた。18時から22時。普段なら会社であっという間 に過ぎてしまう時間も、本人の使いようによって、まったく別の過ごし方ができるんだな、と体で思った。両親に幸せをあげにいったつもりが、私が持ち帰って きたもののほうがずっと、大きかったみたいだ。

2007-12-04

原因ときっかけ

5年つきあった恋人と、自分の言った「たった一言」が原因で別れたという人がいた。「あの一言が原因で……」と悔やむその人に、ある人が言った。その一言は原因ではないと、「5年もつきあって、たった一言が原因で別れるようなことはない」と。(山田ズーニー著「おとなの進路教室。」より)

恋愛に限らずとも、また「たった一言」のせいにしないにしても、実はきっかけに過ぎないことを自分の頭の中で原因に仕立て上げてしまっていることって結構 あると思う。私自身を振り返ってみると、ある。絶対の正解なんてないかもしれないけど、少なくとも思い当たることはある。

あれはただのきっかけに過ぎなくて、本当の原因はもっと別のところにあったんじゃないか、もっと前から始まっていたんじゃないかと思うことが。山田ズーニーさんの言葉を借りれば、「もっと水面下で、もっと静かに、もっと決定的に」分かれ道は始まっていたと思うこと。

でも、本当の原因を探り当てるのって、本当に大変なことで、5年10年経ってみないと見えてこないこともある。それだけの時間がどうしても必要なこともあ ると思う。自分の「あれはもしかすると…」と思い当たることも、もう何年も前のことを今振り返ってみるからそう思えることだ。

渦中にいる時、それもその原因が水面下にある場合、目の前のきっかけと本当の原因を明確に見分けて認識するなんて、相当に難しい。集中力も要するし、時間 も必要だ。さらに、きっかけに過ぎないものをきっかけと割り切って本質的な原因に向かうのは、時として自分の心の奥をえぐるようなとてもつらい行為だった りする。だから、無意識のうちに目の前の分かりやすい出来事を、自分の頭の中で原因に仕立て上げてしまいやすいんだと思う。

だから今も、5年後10年後に振り返ってみてみないとわからない原因ときっかけのすり替えを仕出かしてしまっているのかもしれない。けど、仕方ないよ ね。ってそういうオチでいいのか…。まぁ、そういう不確実な自分をわきまえておくと、自分に対する投げかけはもっと豊かにできるようになると思うんだな。

2007-12-02

小さな選択と大きな決断

成人してからの10年ちょっとを振り返ってみると、私にも結構大きな決断をしたなぁと思うコトが、5本の指でちょっと収まらないくらいはある。その大きさがいかほどのもので、その数が多いのか少ないのかもわからない、そもそもそこに答えなんてないんだろうけど。まぁ表向きは9割がた淡々と生きているふうの私にも、人並みに波乱万丈なあれこれはあったさ。

それはさておき、生来臆病者の私に、なぜそんな決断ができたのか。あぁ、こういうことか、と腑に落ちる文章に出会った。山田ズーニーさんの「おとなの進路教室。」より(部分的にもってきたのでちょっとわかりづらいのは堪忍)。

自分が、日々、一瞬一瞬、してきた、意志とはいえないほどのささやかな選択の積み重ね、それこそ「ピントのあわせかたひとつの違い」の集積が、自分を導いていって、そして、自分の道ができ、尊厳ができ、私たちは、自分で「選択」せざるをえないところまで来るのだ。

そう、人からみれば「大きな決断をした」と思われるようなことって、その答えを出すときの自分の心のうちは、実はものすごく静かな状態だったりした。答えはそこにあったから。それまでの「ささやかな選択の積み重ね」によって、それ以外の答えには行きようのないところまで来ちゃっていたのだ。

もう時間いっぱいのところに来ていたから、たとえそれが現実的に大きな結果や変化をもたらす決断であっても、答えを決めるのにもはや度胸など要らなかった。むしろ、何の結果や変化ももたらさない、そこに留まる答えを選ぶことの方がよっぽど度胸がいるというところまで。

そして今もまた、私はいくつかのテーマで日々「ささやかな選択の積み重ね」をしている。ちょっとずつ勇気とか度胸を使いながら。それがきっと、少し先のここというタイミングで「それしか選びようがない」大きな決断につながっていくんだと思う。それが武者震いするようなどでっかい決断であっても、つらく悲しい決断であっても、日々の選択と同じ心持ちでタイミング逃さず答えを出せるように、「ささやかな選択」の一つひとつを大切にしていきたいと思う。

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