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2007-07-29

空白

空白の時間には、いろんなことを思い、考えてしまう。不安も楽観も、内省も志もごちゃまぜになって。そういう時間は大切な気がするし、無いときっとどっか がカラカラになっちゃうんだろうなぁと思うんだけど、あったからといってどこか明快なゴールに考えが至って実を結ぶわけでもない。

泳ぎながら考えていたことはシャワーを浴びているうちに流されてしまうし、コーヒーを飲みながら考えていたことは帰り道の車の波にのみこまれてしまって。結局「空白」というのはこれという足跡を残さずに去っていくんだよなぁと思う。放っておくと。

それでいいような気もするし、そもそも考えすぎなんだという見方もある一方、全然考えたらずでまったくダメなような気もする。きっと、こっちの方はもっと 考えて、きちんと反省して自分を磨くべきなんだ。で、こっちの方は「ま、いっか」とシャワーなり車の波なりに預けてしまうのが良いんだろう。全部に力んで いても仕方ないし、力点を見誤るのもよろしくない。

根っこから幹のところを大事に育てていって、枝葉のところは気にしないで勝手にそよそよさせておいて、あとはどうにでもなるだろうというか、あとはなるよ うにしかならないだろうという割り切りが大事ではないかと、思ったりした。うっすら残る空白時間の考えごとを思い起こしながら。

2007-07-26

河合隼雄さん逝去

一度も会ったことがない人の訃報を聞いて、こんなふうに心細い気持ちになったのは初めてのことだと思う。自分が生きている世界から、いなくなっちゃったんだなぁ……という心細さ。

河合隼雄さんが他界されて一週間。生前残してくれたものに感謝の気持ちを込めて、彼の著書を読み返してみた。彼の本を読んで、私は以前「浅薄な善意」という話を書いた。

この本のこと、河合先生のこと、ここで自分なりに紹介してみようと試みるも、なかなかうまく言い表せる言葉が見つからない。行間に含まれる、その素晴らしさを超えたスゴサみたいなものを表すには私の表現力が追いつかない。

だから、これからも何度だって読み返して、まだ読んでいない本も読んでいって、もっと彼が私たちに伝えようとしていたことを吸収しようと思う、まずは。そしていつかは、この本で語られていることをまるまる身にしみこませて、わが身をもって体現するような人になっていたい。

人が進歩する過程ではつきものの、その人が抱える不安や不安定さを前にしたとき、その不穏なものたちをほうきで掃うようにして片付けて「はい、もう大丈夫!」なんて一応の安心の得方、与え方は決して選びたくない。

自分のものであれ、人のものであれ、胸のうちに生じる不安や不安定さはそう簡単にどかせないものとしてしっかり受け止めて、討たれてざっくりきて七転八倒 しながらも、それでも壊れないしゆるがない、(彼がいうところの)「基礎的安定感」をもった人間として、自分とも人とも向き合えるようでありたいと思う。

逆に、表層を覆い隠してくれる、薄っぺらい見世物用の安定感なんていらないし、何事にも動じないその場しのぎ用の討たれ強さもいらない。傷つくことも覚悟 の上で、自分の基盤を支え続けられる安定感を持てているのがいい。言葉でいうほどたやすくないけど、それも踏まえつつ実はただ今実践中。ちっちゃなシャベ ルしか持っていないけど、静かに自分の奥行きを心のうちで掘り続けている。

2007-07-23

部屋とビニ傘と私

私はいつも重たいカバンを持ち歩いています。たいていは仕事道具に本を数冊、あと水着やらシャンプーやら歯ブラシなんかが入っています。休日もなんやかや と外で必要になるものが同じだったりするので、面倒くさくてそのままのカバンを使用することが多く、仕事カバンが万年カバンになっています。

が、近所を出歩くときなんかはカバンをもって出ませんし、基本的には何も持たず手ぶらで歩きたい性分なんです。手ぶらどころか、アクセサリーの類を一切身につけていないのも、ある意味では身につける行為とみなせるお化粧がものすっごい申し訳程度の仕上がりになっているのも、かなりの割合でこの性分に起因していると思われます。「何も持たず」を阻むプラスアルファ行為は、だいたい無意識のうちに苦手分野に割り振られているのです。

面倒くさがり、ずぼら、不器用、飾るという意識が著しく低いといった要因も挙げていくと、本当にどうしようもない人間のように思えてきますが、一つだけ弁 解の言葉を述べさせていただくとすれば、「素が清い」ということが何より重要ではないか!という信念もこの根本にないわけではない、というのを一応付け加 えておきます。なんか負け犬の遠吠え感が否めませんが……。

んなことはどうでもよくて、傘の話です。皆さんのおうちに傘は何本ありますか。私はこんな性分のせいで中途半端な天気のときには傘を持って出ないことも多く、それでもこれは傘がないと辛いよなぁという雨に降られたときにはビニール傘を買ってしまうわけで。そんなこんなで先日の雨をもって、私の家の傘は10本に達しました。折りたたみが1本、日傘が1本、あと8本は全部ビニール傘です。

おうちの面積とは関係ないのかもしれませんが、六畳一間なウサギ小屋の玄関口に10本の傘が並んでいるというのは、ちょっと分不相応な感が否めません。本 数だけは金持ち級。なんだけど、そこはビニール傘なんで、安かろう見た目で身分相応な感じにバランスとってくれているというかなんというか。

そんなわけなので、傘がなくて困ったときには、お気軽にお声がけください。タダであげます。お渡しできるときには雨あがってるかもしれませんけど。

おかしな日常

一つ前の話に寄せていただいたコメントに、わわわわーと熱くお返事(7/16)を書いて以来で帰ってきました。お久しぶりです。ちなみにこのコメントは、私にとってはある意味れっきとした「話」エントリーに値する思いの丈。一方、今日のはただの近況メモ。

今日は午前2時に起床。理由はないけど目が覚めた。最近喉が痛くて、起きた時体が熱いなぁと思ったので、もしや…と熱を測ってみたら34.9度だった。ぎゃふん。冬だけ低温化する変温動物だと思っていたら、夏場も低いんだな私って……という発見。これで私も恒温動物として認めてもらえるのか?

この週末は土日とも出勤で(先週末の3連休も日月出勤だったような……)、特に日曜は他に一人も出勤しないので、日中のあれこれが落ち着くと、夕暮れ時からかなりの仕事集中モードに入れた。が、誰もいないオフィスで「今日は日曜日だなぁ」と脳裏に引っかけながらの仕事は、徐々に胸に染み入ってくるものがあって残業もそう長続きしない。日曜は頑張っても19時半がいいとこ、というのも今日の発見。

ここ数週間を振り返ると、なんかものすごい勢いでとっかかると大変そうな仕事に周りをかためられていってる感。出勤する度に新しい仕事が舞い込んできているような。企画系、設計系、プレゼン系、レポート系とバラエティーも実に豊かで。決して器用な人間じゃないので、これは修行のようなものかも。

そういえば、ものすっごいひっさしぶりにナンパされた。仕事帰りに渋谷で、どっからどうみてもまさしくおじさんな方に(うちの父より5歳若いくらいか…)。予期せぬところで突然声をかけられるとびっくりして心臓が止まる。で体に障りつつも(触るじゃない)、「かわいいねぇ」となかなか聞けない貴重なコメントを頂いたので、無視してしまった割りにいい思い出。記念に記録しておこう。

2007-07-10

今回のコラムは転職話

「お仕事探し応援サイト」と冠された「キャリア」コーナーにコラムを寄せていて、転職活動について書くのはなんかちょっとベタだし、読み手の対象も一気に“今転職活動している人”に狭まっちゃう感じでつまらないよなぁと思って、濃厚にそれ系な話は避けてコラムを書き続けてきたのですが。

転職活動とかって分かりやすいそれだけが自分のキャリアを考えるってことじゃないというメッセージも胸のうちにあり。が、しかし……、

「お仕事探し応援サイト」と冠された「キャリア」コーナーにコラムを寄せていて、転職活動についてまったく書かないってのもそれはそれでどうなんだ?と、第9回にして思った次第です。のんびりのびた。

というわけで、今回は「転職理由」3つの顔。今とくに転職活動しているわけではない人には、あるいはさして興味をもてる内容ではないかもしれませんが、よろしければ目を通してみてください。採用する側で面接官など任されている方にも、どこか役立ててもらえるものがあれば嬉しいなぁと思います。

2007-07-09

拾った2千円

ここのところ、0時をまたぐ前にうたた寝を始めて午前3、4時に起床してしまうという日が頻発しているのだけど、さすがに今日はやりすぎで、何時におちたのかよくわからないけど、とにかく目が覚めたら午前0時半だった……。

まぁでも、さすがにここまで翌朝が遠いと、「あぁ、うたた寝しちゃった。寝巻きに着替えて眠り直そう」とすればいいわけだけど、明日というか来週というか今後というかが相当大変になりそうで、朝を迎えるのがちょっと怖いなぁという感じもあってなのか、なんやかんやと我慢筋力の緊張状態を続けているからなのか、おなかが空いているからなのか、体内時計があんぽんたんになっているからなのか、うまく眠れなくなってしまったので軽く深夜の徒然日記を。

数日前に近所の横断歩道で2千円を拾った。お金を拾うってそう機会のないもので、それも2千円ともなると見過ごすわけにもいかないので、とりあえず拾ってみた。そう遠くない距離に1枚、2枚と千円札がふらふらしていたのだ。お金を拾うというのは、それを交番に届けるだけの時間を自分の生活から損なうこととも捉えられて、不思議なもんだなぁと思った。また見方を変えれば、交番に足を運ぶという非日常経験を得ているとも捉えられるし。

で、とりあえずその日中に届けておいた方がいいんだろうなぁと夜中交番に向かったのだけど、道中もまた、そのプチ非日常にあれこれ考えを巡らせた。これが落とし主現れずで後々戻ってきても、どういう心持ちで受け入れていいかわからないなぁと、半年先に起こるかもしれないことに頭を悩ませ出した。

労働の対価でもないし、はなっから運試しで宝くじなりなんなりにかけて舞い込んできたというお金でもなく、あまりにどっちつかずで、自分が手にすることの意味が遠すぎて、戻ってこられてもうまく使えないし困っちゃうなぁと。それで思案した結果、コンビニの募金箱に入れるのが一番手っ取り早く、また落ち着き先としてもちょうど良いのではないかとひらめいたのだけど、あんなレジ前の目立つところでお札2枚入れるのも気が引けるよなぁと怖気づき……。

という辺りで近所の交番にたどり着き、かくかくしかじかと事情を説明してお金を引き取ってもらうと、例の話を持ち出された。考えまとまらぬまま「あ、いや、特に……」と拒否反応が出た。するとおまわりさんが苦笑して、「あ、じゃあ、ここに署名してね」と促してくれた。どうやら、そういう人用の選択肢が用意されているらしい。おまわりさんが「そうすると、このお金は東京都のものになるかな」と笑った。へぇ。まぁ、あとは落とし主の手元に戻すか都に募金とするか神さまにお任せします。という本当になんでもない話。

2007-07-08

痛みの音量

「ナゲキバト」を読んだ。にわかに仕事が積みあがってきて、今夏私はどうなってしまうんだろうか……と思ったら、反動で昨日は定時過ぎに会社を後にし、仕事とまったく関係ない物語を読みふけってしまった(次週の私に期待)。

両親を事故でなくした少年がおじいちゃんに引き取られて過ごす、春からクリスマスまでのお話。後半に進むにつれ、お話もドラマティックに展開。何より、おじいちゃんの少年に語りかける言葉の一つひとつが胸に染み入ってくる。

ある日、少年がおじいちゃんと釣りに行った時のこと。少年が「魚って、捕まえられると痛いの?」と尋ねると、おじいちゃんはこう返す。「わしら人間は、苦しんでいる者が出す音の量で苦しみの量をはかるんだね。もしも魚が痛がって泣き叫ぶとしたら、釣りをする人間の数はずっとへるだろう」

だまっている人の痛みは、なかなか人に伝わらない。だけど、黙して苦しんだことがある人なら誰しも、その人が発する音の量が、そのままその人の苦しみの量を表すものではないことを知っているわけで、つまり世の中の多くの人はそのことを知っているのだと思う。だけどやっぱり、だまっている人の痛みを察してあげるのって実際には難しい。

「黙っているんだから伝わらなくても仕方ない」という見方もあるだろうし、実際自分が黙する側であれば、黙っているのに人にわかってほしいと望むのは欲張りだと自分を律するのだけど、それでもやっぱり黙する人を前にした自分は、その人の気持ちに目を向けて音にならない苦しみの量を推し量れる人間でありたいと思う。

「ハニバル、人間は、あることをするか、しないか、自分でえらべるんだよ。どんなときでもね。だれかに、むりやりやらされるわけじゃない」という、おじいちゃんの言葉もある。これは私も日頃から意識していること。上の話で言えば、あえて黙っていることを選んでいる人だっているわけで、そういう人の思いに寄り添える人でありたい。

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