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2007-03-21

「検索するな思索しろ」

私の好きな伊坂幸太郎さんの作品に「おまえ達のやっていることは検索で、思索ではない」(「魔王」講談社より)という言葉が出てくる。ちなみに私はまだこの作品を読んでいないのだけど。本の雑誌「ダ・ヴィンチ」の今月号が伊坂幸太郎特集で、ここの本人インタビュー記事で知った。

私たちは、「わからない時」あまりにも“検索して調べる”という行為に慣れすぎてしまった気がする。何かのやり方というのは、いつも「効率的」という長所をもつ一つの方法論に傾いていく。そうして通り一遍のやり方に慣れていって、それが当たり前になって、そのうち人は向こう側の手段を選ばないのではなく、選べなくなってしまう。

でも、私たちは元来「わからない時」の解決策として、それ以外の方法も持ってきたわけで、「検索」と対照的に「思索」という言葉が在るのも、その証なんだろう。検索して、すでに誰かが出している答えの中から、今の自分により適当なものを、できるだけ早く選択して解決。それは何より効率性が重視される場合に最適な手段であって、すべての「わからない」に最適じゃないと思う。

「検索するな思索しろ」というメッセージはものすごく突き刺さった。わからない時に、頭の中であれこれ思索するのも一つだし、足を動かして探索するのも一つ、手探りで模索したり、時には実際に試作して手にとってみるのだって一つだ。私たちはいろんなやり方を選べるのであって、ならばもっといろんなやり方を柔軟に選んでいくべきなんじゃないかと思わされる。検索だけで「わからない」をすべて解決していては、他の人がまだたどり着いていない答えを生み出すことはできないし、人の想像力も創造力も損なわれるばかりだ。

自分の視界って、狭まるのは無自覚に起こっていくのに、広げていくのは自覚的にやらないとできないものなんだよな。逆だったら楽ちんなのにね。最近そういうことをよく思う。そして、それを気づかせてくれるのはいつだって、本だったり会話だったり、自分じゃない人の言葉なんだよね。大切にしないとね。

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コメント

伊坂幸太郎×斉藤和義で歌が出来ています。
http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/01/0000256360.shtml

その元の文章を読んでないんですが、このエントリーを読んだ範囲内だけで思ったのは、「行為の目的を考えると検索と思索は不可分なのではないか?」ということです。

思索を伴わない検索行為に意味があるのか、また検索を伴わない思索行為が存在するのか。

と深い思索を経ていない走り書きをコメント。

あぁ、これ書いてて思いました!不可分。まさに。ずばり言い表してくれた感じです。
そうそう。結局先人に何らかのベースを築いてもらっているところに、私たちは何かを考えているんですよね。壮大な理論からちょっとした気づきまで、それに肯定的なんであれ否定的なんであれ、肉付けるんで削るんであれ。あらゆるものすべてにおいて。
それに対して自覚的でありたいし、どんな反応を返すのであっても感謝の気持ちをもって向き合いたいですよね。

zukieさんがくれたコメントがメールで届かなかった…。なんでだろ。

紅盤情報、ありがとーです。
これかー。おしりが紅い。紅、白、黒。
http://www.jvcmusic.co.jp/saito/

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