« 喜劇の脇役 | トップページ | ひとり北斗の拳 »

2007-02-07

言葉は文脈の中にある

今日は休日でした。昨年からためこんでいる振替休日を、年明けから少しずつ平日にあてて消化していっています。結局毎週土曜出勤しているので、振休の残数が少なくなっているわけではないのですが、さらに積みあがっていく状況は回避できています。仕事量の積みあがり具合を考えると、来週から確実に平日休みは無理になる気がしますが、半休消化とかまだ策はあります。

そんなわけで、今日もやらなくてはならないことは方々に散在していて、朝からそれに時間をあてなくてはならなかったはずなのですが、結局日が暮れるまでほぼすべての時間をカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」に費やしてしまいました。忙しい忙しい言いながら、結局普通に休みをとってるじゃないか、と我ながらあきれてしまいます。でも、どうしても手をとめるわけにいかず、一度手にしたら読み終えるまで心を離さないお話でした。と、本のせい。

深い洞察と描写があちらこちらに埋め込まれていて、どう表現していいのか、自分の表現力の無さを感じざるをえませんが、人に表現できないまでも、自分がこの本から感受できたことの幸いを、とても嬉しく思いました。私にとって物語の素晴らしさの最たるは「文脈」にあって、登場する言葉やそのいくつかの連なり、またお話の結末は、二の次という感じがあります。

本に限らず、いろんなことに思うところですが、文脈をいかに豊かに汲み取れるかが、とても大切なことに思えてなりません。私にとっては、人としての優秀さを表す最も重要な要素の一つではないかとさえ感じられます。伝え手の思いを、その文脈からいかに適正な方向で、より豊かに受け止められるか、それが人としての優秀さを表す一つの要素になるのではないかと。

その優秀さを高めていくのに、頭の良いのも一つ、器用なのも一つ、心の健やかなのも一つ、感受性豊かなのも一つ、いろいろな高め方があるところに救いがあって、私はよくありがたいなって思います。私が頭の良さでは太刀打ちできないから勝手にそう信じこんでいるだけかもしれませんが、私はそれと違う方向で人としての優秀性を磨いていけばいいんだ、とある時から開き直るようになって、頭はそこそこ、心はごしごしと磨くようになりました。

« 喜劇の脇役 | トップページ | ひとり北斗の拳 »

コメント

まりさん、お忙しい中少しずつでも振休を使えているようで、良かったです。。

読書も、、素敵な休日の使い方だと思いますよ~。。
私は通勤の往復でしか読んでいないので(家に帰ると目が疲れちゃってて)なかなか遅々として進みませんが、読書はいい気分転換になります。

なんといっても、文字だけで空想してゆく「読書」というのは、映像で観るのとは全く違う感覚ですよね。

「文脈をいかに豊かに汲み取るか」、、まりさんらしいなぁ、、と思いました。
私が感じているのは逆に送り手側のことで、会社のメールや個人的なブログもそうですが、いかに相手に誤解なく、キツイ印象を与えずに事実や心情を伝えるか、、ということの難しさを日々感じています。

例えば職場のメールのやりとり一つとっても、「これってすごくきつくない?!」って思うような書き方の文面が届いても、実際その相手と話してみると、そこまで怒っていなかったりすることが多々あり、、
文章(特にメール)って気をつけないと相手の受け取り方で、こちらが意図していない方向に誤解されることもあるんだなぁ、、と感じます。。

まりさんは文章の発信側としても豊かな表現力をお持ちですし、受け取り側としても感性が磨かれていると思います。

私も、送り手側ももちろんですが、受けて側としても文面の背後にあるものまで細やかに受け止められるように、、読み取れるようになりたいなぁ、、とこのブログを拝見して思いました。

ベルさん、いつも温かなコメントをありがとうございます。ベルさんの中の私は、たいそう立派な人になっているようですが、お会いしてゆっくり語らえるまでしばらくは、とりあえずそういうことにしておいてください。(笑)

ひたすら読書して日が暮れていくって、ぜいたくな休日ですよねぇ。昨日は「いいのか、それで」って時々天からツッコミが入ってましたが……。

受け手にも発する側にも難しさはありますよね。私も日々、想像力を働かせつつの試行錯誤です。難しさとともに、苦しさを味わうことも少なくありません。とほほ。だから、相手が負の感情をもちかねない内容のときほど、メールを避けて、電話や直接対面して話すことを選んだりしています。

他の伝達手段と同様、文章だって万能ではないんですよね。文学作品というのは、表現を文章にしぼりこんでそれにすべてをたくした究極的な創造なんだと思いますが、通常のコミュニケーションでは逆に、設ける必要もない制限などあっさりとっぱらって、意識的に最適な伝達手段を好き勝手に組み合わせることが大切なんだとも思います。

ベルさんが、「実際その相手と話してみると、そこまで怒っていなかったりすることが多々あり」というのも、きっと日頃からベルさんがメールではない接触の仕方をうまくからませてバランスをとれていらっしゃるということなんだろうなぁと思いながらコメントを拝見しました。

ブログとかのコミュニケーションはまた難しそうですけど。できるかぎりの想像力をもって真摯に相手に向き合ったら、あとはもう、誤解が生じることだってある、必ずしも1回でどうにかできなくてもいいって開き直りがあってもいいのかもしれないですね。

「わたしを離さないで」は、2006年のマイベストワン小説でした!(といっても、本当に数少ない読書数の中ですが)

カズオ・イシグロの人間心理に対する深い洞察力と描写力には、いい意味で背筋をゾクゾクさせられます。

「日の名残り」も、本当に素晴らしかったし…。それ以外の著作もチェックしようと思う今日この頃です。

cremaさんも読まれたんですね!それも昨年のうちに。デザインにも文学にも通じる心をもっているなんてうらやましい。
ほんと、カズオ・イシグロは「洞察力」と「描写力」にやられますよね。この2つの単語が、読んでいる間中感じられた著者への印象です。
「日の名残り」も読まれたんですね。私もしばらく他の本を散策してから手にとってみようと思います。今度、読んだ本話をぜひ聴かせてください!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56452/13825958

この記事へのトラックバック一覧です: 言葉は文脈の中にある:

« 喜劇の脇役 | トップページ | ひとり北斗の拳 »