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2006-12-27

人生は一度きり

誰もが認めるとても大切なことなんだけど、毎日せわしなく過ごしていると忘れがちなことっていうのがいろいろある。その中でも最も大切なことの一つに挙げられるのが「人生は一度きり」というやつだ。

みんながわかっていることだけど、知ってるだけじゃなくて、普段から(とは言わないまでも、節目節目で)自分でこれを意識して生きているのと、しないで生きているのとでは、大きな違いがある、というか違いが出てくる、と思う。

でも、別に意識しなくても生きられるし、また意識して生きることの有意味性を実感的にとらえる機会も、普通に生活していく中でそう多くは発生しないから、なんとなくせわしない毎日に流されがちな知識だと思う。私はそう。

私が初めて「人生は一度きり」という言葉を発したのは、たぶん中学生くらいじゃなかったかなぁと思う。友だちと話している中で、そういうことを言ったことがあるような気がする。よく憶えていないけど。

その後、私が20歳を迎えた頃に母が言った「人生は一度きり」という言葉が、なんだか鮮明に記憶に残っている。それは、その言葉の持つ意味自体が鮮烈な印象を与えたのではなくて、母がそういう価値観をもって生きていること、さらにそういうことを自分の娘に押し付けでなくさりげなく語り継ぐ彼女の行為に対して、静かに心揺さぶられたし、それを誇りに思ったからだと思う。

先日、父の誕生日会を開いたときのこと。2人でおしゃべりしていたら、父が「人生は一度きりだから」と言った。母と同じことを言うんだな、母と同じものを持っているんだな、と10年前の記憶を思い出しながら、私は父のおしゃべりを聴いていた。父もまた、何を押し付けるでもなく、自分の話をする中でそれを口にしていた。むしろ自分の価値観を押し付けないがために、「俺にとっても、お前にとっても人生は一度きりなんだ」とでもいうように、それを語り継いだ。

私はこの両親に育てられたのだと思った。私が中学時代「人生は一度きり」と思っていたのは、たぶんこの両親に育てられていたからなんだろう。私がこの先もそれを明示的に意識して生きていきたいと思うのも、この両親に育てられたからなんだろう。そういうものは、きちんと受け継いで大切にしたい。今日、なんとなくいろんなものを見たり聴いたり読んだりしていたら、そんなことを思ったのでした。今年の反省と来年の目標、きちんと整理して考えよう。

2006-12-23

バランス型人間

数週間、いやもっと前から「飲もう、飲もう」と交わしてはお互い仕事にのまれて実現できていなかった会が、昨晩ようやっと実現に至った。せっかく同じ会社で働いているのだ、今日は出られそうだという日にしっかりした予定なく会社近くで一杯、という流れが一番実現しやすいのだなと今さらに思うが、とにかく昨晩9時頃になって他部署の女性と二人、仕事を切り上げて会社近くに飲みに出かけた。

ゆっくり話したことは一度もない、部署も違う。ただ、彼女と私とは、たぶんものすごく共有できる何かを持っているにちがいないと、それはものすごく感覚的で、でも絶対的な共鳴感をお互い持ち続けていた。そして、面白いほどに思っていたとおりだった。今まで一度も一緒に仕事する機会はもったことがないけれど、広い意味でずっと同じ釜の飯を食べてきたのだと思う。話せば話すほど、同時代を同じような刺激を胸に響かせて生きてきたんだなぁと感慨深く思った。

生粋のクリエイター型人間に触れる機会が多かった私たちは、生粋のバランス型人間として、どうしたってその過程で自分の存在意義を自問自答することになる。でも、20代のあるとき、見えてくることがある。彼らと比べ、自分はずっと下にあるんじゃなくて、別のタイプとして自分を研磨していけば、彼らのサポーターとして、彼らの理解者として、またあるときは彼らを守り、彼らのポテンシャルを最大限に引き出す稀有な存在として、彼らと肩を並べて生きていくこともできるんじゃないかと。

もちろん今の自分には足らぬ点ばかり。でも、そういう自分の立ち方を認めて納得できれば、バランス型人間としての自分をとことん極めて、彼らと刺激を分け合いながら、お互いを生かしあえるような人間になれるはず。それはものすごく他者から見えづらい中途半端で不恰好な立ち方なんだけど、自分の中で静かに潔くそこ目指して頑張っていると、それをわかってくれる人も出てきて、それは大いに励みになる。

そういう人は同タイプに限らず、タイプの異なるクリエイター型人間さんの中にもいてくれて、自分の日々の行いからそれをすくい上げて認めてくれた時や、型を超えて通じ合えた時に、この上ない幸福感を味わったりもする。そういう感覚を、彼女は私と同じようにもっている人だった。こういう土まみれな気持ちの共有は、ちょっと涙ちょちょぎれちゃう感じだ。

私たちはこれからも、クリエイター型人間を敬愛し、彼らの生き方を理解・尊重し、彼らを最大限サポートし、また彼らの力をさらに引き出せるような深みあるパートナーになれることを目指して、そういう仕事に就けていることに喜びを感じながら静かに潔くバランス型人間としての自分を磨いていくんだと思う。とても素敵な仲間に出会えた夜だった。

2006-12-17

くさった目薬

週末、土日かけてしっかりシゴトしなきゃ……と思っていたものの、土曜は結局気分だけで一向に進まず、ほとんど成果なし。日曜の午後、ようやっと働きマンになってきて、夕方から超集中モードに。こういうとこ、どうも成長がない。

ひと通り終えて、ふぃーと時計をみたら23時、鏡をみたら両目充血。目薬さそうと改まってみると、この目薬、使用期限が2003年1月って書いてある。しばらく置きっぱなしだったのを取り出してきて、ここ数年再び使うようになっていた目薬だったのだが……。あの目のしみる感じは、もしかして効能ではなく、期限切れだったからなのか。喉元で変な味もしてたなぁ。新しいの買おう。

さて、休日があと1時間残ってる!お風呂入って、湯船につかって読書して、sade聴いて床について、贅沢な1時間を過ごそう。至福の小一時間。あぁ、このままスムーズにいくといい、なぁ。あとは念力を送るのみだ。液晶画面が目にしみる。

2006-12-16

この街

私は自分の住んでいる街がとても好きだ。すごく近しい感じで好きというよりは、遠くのほうから静かに眺めている感じで、敬愛するように「大好きだよー」と想っている。

歴史ある街に一人でやってきて、少し場所を借りて暮らしを営ませてもらっている感が強いので、商店街のおじさんが何気なくしゃべりかけてきて愚痴とかこぼしてくれると、この街の一員として認めてもらえてる感が味わえて、幸せな気持ちになる。道を尋ねられてきちんと教えてあげられた時も、もう何年も住んでいるのに、「おぉ、この街の住人のようだ!」と嬉しい気持ちになる。なんとなく、そんな距離感で、私はこの街を好いている。

しかしまぁ、実際暮らしていると、ここにいる時間はそう長くなくて、最近ではまだ薄暗い早朝に家を出て、夜も相当深まってから帰宅するので、明るい街並みを目にする機会すらなく過ごしていた。

今日、久しぶりに明るい街並みにふれた。そこには銀杏並木が日に照らされ黄金に染められている様があった。しばらく見ぬ間に一気に大人びてしまったわが子に見惚れる母親のような心持ちになって(なったことないが)、改めてこの街を深く想った。私はこの街が好きだ。

2006-12-15

年の瀬サラリーマン

夜11時半、会社を出ると、駅までの道は大変な賑わいで、行き交う人の9割がたが酔っ払っているという異常事態になっていた。お酒を入れていない私のほうが異様だといわんばかり、その世界はもう完全にできあがっていた。

世の中の今は「年末の金曜の夜」なのだと、シラフ視線でみる年の瀬もまた味わい深い、ということにしておこう。今日は私だって、おっきい仕事がひとつ仕上がって梅酒の3杯や4杯味わいたかったさ……と思いつつ、駅に着くと、駅構内や電車の中も11月のそれとはまったく違う空間が広がっていた。

流行歌?をうたいながらプラットフォームを闊歩する20代サラリーマングループ(若いってすばらしい)、ビールのロング缶をプシューッとやりながら一人電車に乗り込んでくる30代サラリーマン(明らかにこれが1杯目だ、お疲れさまです)、眠ってるというよりは気絶してるふうの40代サラリーマン(あまりいい夢はみてなさそうだ、かわいそうに)、終点着いてもつり革もって揺れ続け、駅員さんに揺さぶられてる50代サラリーマン(遠めでみてると、かわいい)、年の瀬のサラリーマンは実に味わい深い。

来週はもう少しまっとうに、私も年の瀬サラリーマンをしたい。そのためにも、今週末は家と近所のコーヒーやにこもってもくもくと作業だ。もくもく、もくもく。

2006-12-12

本を貸してもらえる人

昨日、会社の人に本を貸してもらった。より正確に言うならば、会社の人が本を貸してくれた。私が本を見つけて貸してほしいと言ったのではなくて、その人が本を取り出して、貸してあげると言ったのだ。

この本はきっと私にとっても面白いだろうと思って、読んだ本を貸してもらえるというのは、とても感動的なことだ。何をそんなおおげさな……と思うかもしれないが。

私はあまり人から注目されるタイプじゃなく、どちらかというとのっぺらぼうな生き様なので、うっすらでも私という人間に対してある印象をもってもらえているというのは、とても嬉しい。例えば「この本、こいつも好きそうだな」みたいな。貧相な喜びだと感じられるかもしれないが、やっぱり嬉しいのだ。

あんまり色濃いのも性に合わないし、もともとそういうオーラも持ち合わせてはいないんだけど、ひっそりとうっすらと、でも確かな色をもって、人からお気に入りの本を貸してもらえるような人でありたい。そんなことを思ったのさ。

2006-12-09

ハイパフォーマーと能天気

公的なコラムとして月1ペースで「withD」に文章を寄せていますが、ここ2回真面目モードで書いてきて、なんかこのままの感じで3回目もいっちゃうってのはつまらないよなぁと思い、今回はちょっと違うアプローチにしてみました。

最近創刊された『Webデザインノート』が面白くて、これを取り上げて書きたいことがわいてきたので、(ちょっとチャレンジだったけど)「ただの感想文じゃん!」って言われないように頑張ってコラム化してみました。5つの共通点を導き出して、「トップクリエイターの歩み方」について勝手に語ったものです。

なにぶん経験が少なく、公的なコラムでただのおしゃべりに終わらせずして、かといって力みなく、有用な文章を届けるのって難しいなぁと、ものすごい初歩的なところで試行錯誤しながら書いていたりするんですが、今回もひとつ、仕事の息抜きなんぞに読んでみていただければ幸いです。

ここで取り上げられているトップクリエイターの皆さんもそうなんですが、身近でも最近、ものすごいパフォーマンスを発揮する人の様を目の当たりにする機会が立て続けにあって、自分の現状の非力さを改めて感じたりしました。

とくに焦燥感や無気力につながっているわけじゃないし、むしろ無意識のうちに自分に対して「おごり」を抱いているより、こういう非力な自覚症状のある方がいっかーと能天気に受け止めているんですが。

でも、「いっかー」っていうのは「その方が成長していく上ではむしろ好都合」という話であって、この先成長していかなきゃ「いっかー」の意味がないのよね、当たり前だけど。それにしても、まぁ本当に身近なところにこんなすごい人たちがいると、自分の非力さ加減が身にしみます。

正直、後々になっても自分が彼らと同等のパフォーマンスを発揮できるようになるとはイメージできないんだけど、結局のところ人と比べてどうこうじゃなく、自分のできることが一つひとつ深まったり広がったりして増えていければいいなぁという感じでもあり。またこういう人たちに、一緒に仕事したいとか、一緒に仕事してると気持ちいいとか楽しいとか思ってもらえるような仕事をしていきたいなぁと思うツクツク奉仕タイプなので、そんな感じでマイペースに頑張りたいと思います。

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