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2006-09-03

朝プールと昼読書と

朝はプールで1kmほど泳ぐ。水の上にカラダを浮かべていると、それにつられてアタマも浮かんでくる。私の時間の多くは仕事にあてられていて、仕事をしているときはいつもどこかに着地しなきゃって観念によっている。それが水の中に入って足を浮かせていると、いつの間にかその観念から解き放たれていて、カラダもアタマも浮かんでいる。

アタマが着地点を必要としない。泳いでいるうち、そういう状態に移り変わっているのは、たぶんカラダのほうが足をついていないからだ。カラダっちが足をつかないで、それでもたのしくやっているんだったら、俺っちもきっと、今は着地することを考えなくていいんだろう。それくらいの信頼関係が、長年連れ添ったアタマとカラダの間にあっても何らおかしくない。

そんなことはまぁどうでもいいんだけど、とにかく水の中は気持ちいい。人に群れることが苦手な、けれどもさみしがりやなワガママ人間に、水泳はちょうどいいスポーツだと思う。水の音と振動がほどよくそばにいてくれて、人の声と影がほどよく遠くにいてくれる。

昼は本を読む。今日読み終えたのは森絵都さんの135回直木賞受賞作で、「風に舞いあがるビニールシート」(文芸春秋)。本の帯には「大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語」とあるけれど、この本には他にも、一つひとつの短篇をつなぐものが感じられた。先入観とか偏見とか既成概念とか、人が知らぬうちに身につけてしまうものを、「そういう人いるよねぇ」じゃなくて、「あぁ、知らぬうちに自分も身につけてしまっているかもしれない」と、自らに抵抗なく、でも確実に省みさせる機会を忍ばせている、気がした。

「私は先入観をもたないことを信条としている」という人間ほど、もってしまっている自分に気づくことが難しい。私とか、そのいい例。そういう人間は時々自分で自分のことを省みたり、ときには何らか身につけてしまっていることを前提に一掃する機会を設けないと危ない。この本はすがすがしくそういう機会をくれる本。6作ともバラエティに富んでいて、3作目から独自の味わいが出てきて、そこから6つ目まで読み進めるほどに味わい深くなっていくという印象。

そして夜。週末やらなきゃいけないことは、これからやる予定。日曜深夜のラジオを聴きながら、そろそろ着地する予定。

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