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2006-08-31

曖昧なものづくり

私が仕事でつくっているのはセミナーとかトレーニング、企業研修といったサービスだったり、それを効果的、効率的に運用するための仕組みや社内外の体制だったりと、一般的にモノとして分かりにくいものが多い。

数ヶ月せっせこまとめてきて今日リリースしたものは「自宅でできる課題セット」という、私の仕事の中では結構モノっぽいもの。とはいえやっぱり毎度のことながらアウトプットの主体は紙資料なので、「ものづくり」と括ると違和感があるかもしれない。が、仕事で何かをつくるときの大まかなプロセスは、どういうものであれ共通するところが多いはずで、私のこれも例外ではないはず、と勝手に信じている。(以降、頭の整理で書き出してみたメモ延々)

まずある大くくりなミッションから具体的な課題をこれとつかんで、こういう感じで解決できるかなぁという方向性をまとめて、じゃあ今回はこういうアプローチでこういうものをつくってあなたのお悩み解決します!と一つの企画にまとめてお客さんや関係各位に提案して、了解を得たらそのための具体的な道具なり仕組みなり体制なりを設計していく。それが形のあるものであれ、ないものであれ、この設計部分が一般に「ものづくり」イメージの一番強いところで、「編集する」とか「デザインする」とかいった表現もたぶん同じ感じだと思う。

ただ、実際設計段階に入ると周辺はとりあえず仕上がりまで姿を消すので、本当に問題解決のアプローチとして活きるように設計できているのか、できるだけ客観的な評価の目も自分に備えながら、一人この地道な作業に没入する。この時間が実は、まったく光が当たらないのに、最も職人気質のオタク心をくすぐる有意義な時間だったりもする。その辺のある種心地よい孤独感みたいな心もちも、ものづくりする人に共通する感覚なのではないかとひそかに思ったりしているのだが、そんな質問なかなかする機会がもてないので実際のところはよくわからない。

そうして、あるものは形ある何かとして完成し、またあるものは「資料一式整えました」という分かりにくいゴールに到達する。でも結局つくっただけでは外へのインパクトが何もないので、私のように家庭内手工業みたいなものづくりをしている場合は、人がそのものの価値を理解して、積極的に関わったり使ったりする状態までもっていくための動きを自分でとることがセットになる。

「はい、つくりました」で終わってしまうと、資料の見栄えだけで評価されることもあるので、実際にそれを利用してほしい対象や、そのために協力してほしい人たちにはオリエンやプレゼン機会をセッティングして、その特長や用途、価値や効果、使い方や手順を、別途プレゼンツールにまとめて直接働きかけていく。アーティストがテレビに出たりしてプロモーション活動しているのは、彼らにとって仕事の軸ではないんだなと実感する。一番には自分のつくったものを届けたい人たちに届けたいからなのだと。だからプロモーション活動っていってるじゃない。そうか、そうか。

そうしてあるところに着地させて、それを定着させて、最初に設定した目的に適っているか、課題が解決されているのか効果を検証していって、また次の課題に結び付けていく。これってあらゆる仕事に共通するものづくりプロセスではないだろうか。

つくったものがしっかりと人に受け入れられて価値を生んでいくように、みんなに愛されながらより良いものに育まれていくように、一つひとつのプロセスを重ねて曖昧なものづくりをしていく。生粋のものづくりの皆さんと、共通……していないでしょうか。していなかったらすみません。今のところ、同じような感じにちがいない、と信じています。

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