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2006-08-03

戦友との再会

今日は18時半過ぎには仕事からあがって銀座へと走った。大好きな友だちが数日だけ東京に里帰りするというので、これはもうなにがなんでも!という感じで超集中モードであれこれを片付けて会社から出てきた。

彼女との再会はもう本当に素晴らしく、私の中に流れているものが、彼女との会話の中で、どんどん純度高くすこやかになっていく実感があった。私が自分のありたい姿だとか、大切にしたいことなど話していく中で、彼女は私の中にすこやかなパワーを感じてくれたようだけど、私からすれば、彼女と話す時間の中でそれを醸成していってもらっている感じで、そういうパワーって決して自分一人で作り出しているものではないんだなって再認識させられもした。

今は赤ちゃんのママの役割を生活の中心にしている彼女だけど、私は(まぁ仕事しかしていないので)自分の仕事の話をたくさんしたし、烏龍茶を飲む彼女を隣にして、結局梅酒を2杯いただいた。いろんなことを踏まえて、私は私のありのままで中途半端な気遣いはしないことを選んだ。

行為だけの偽物や中途半端はいらない。彼女はきっとやりたい仕事ができるように、守るべきものを守りながら生活を変化させていけると私は心から信じているし、これからもずっとつきあっていって、また一緒にお酒を飲む機会もやってくると思っている。だから、今日一日の中途半端な躊躇や気遣いは無しにしようって思いたかったんだと思う。

一人の人生の中でも、生活の中心にどの役割をおくかにはいろんな時期があって、仕事に奮闘する時期もあれば、奥さん、お母さんと現実的に重視する役割は時期によっていろいろ変化する。ただ、彼女が生活の軸をどの役割におこうと、変わらないことがある。それは、私にとってはずっとずっと私をすこやかにしてくれる大切な友だちで、仕事の魅力を分かり合える戦友みたいな人で、その関係性をこれからもずっとずっと深めていきたいと思う人ってことだ。私が彼女のことを「○○ちゃんのママ」と呼ぶことはないし、ずっとずっと彼女は彼女個人であり続ける。そういうのって、実はとっても大切なことだと思う。

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コメント

お友達との再会が、まりさんにとってどれほど素晴らしい時間だったか伝わってきます。。

学生時代の親友でも、互いの生活環境や育児の期間のタイミングがずれていると、ほとんど話を聞き役に回ってしまい、あまり楽しくないこともありがちですよね。
私もだいぶ昔ですが、学生時代の友達数人と集まったとき、早々と子供を産んだ友人たちが自分の子供の話ばかりをするのを聞いて、もっと昔の話や共通の友人の話をしたいのにな、、と思ったものですが、それは明らかに一過性のものでした。

「○○ちゃんのママ」ではなく、一人の人間としてそんな風に、まりさんから迎えられるその友達も、まりさんも、幸せだと思います。そしてそれが本当の友情、というものですよね。。

あらゆることのスピードが速い今の世の中では、一過性のものに目を奪われすぎちゃいけないなって思いますよね。
一過性のものに順応することも、もっと普遍的なものを見据えて動くことも同時に求められている、そういう時代の難しさを感じます。って誰だ、私は……。
ベルさんの素敵な女性っぷりには、いつも感服しています。(言い回し変ですが)ねっとりの真逆をいく愛情深さがあって、強さとしなやかさをうちに秘めていて、それがさわやかにかもし出されている感じ、私の理想を体現しているような女性です。次回こそ隣席でじっくり話し込みましょう。(^-^

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