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2006-06-06

表現を受け取った人の解釈

前回の話。いきなり「歌詠みます」と言われてもね、「なんだこりゃ」って感じだったと思いますが、今回はその歌の解釈。頭で考えて詠んだわけじゃなくて、不意に口をついて出てきてしまったものだから、後から自分なりに振り返ってみるとって話なんだけど。でも、歌って本来そういう衝動の産物なのかも。

私の振り返りは実にそのまんま。「さみだれ」とは梅雨。梅雨に入るか入らないかというこの時期、一般的にいって梅雨入りはいやがられるところだけど、なんとなく求めている自分がいるんだな、なんでだか。振り返ってみるに、まぁそういう心情を表した歌だ、って本当にそのまんまじゃないか……。

しかし、もっと深い解釈を寄せてくれた方がいたのでちょっと拝借。ちょっとやるせない、自分でもてあましているハッキリしない気持ちを洗い流してくれるような五月雨を待っている。「もとめて」というところに、切ない気分と同時に、読み方を換えると、やけくそっぽい元気さを感じる。「ええ~い、早く降れ~」という思いの裏側に「雨の後はきっと元気になるだろう」という希望がある。

ちょっと手を加えさせていただきましたが、そんな感じ。一言でいうならば「切なさとやけくその共存」。いやぁ、すごいなぁ。本人が意識化できていないところまで掘り起こす感じ。自分が実際にそうかどうかなんてもうどうでもよくて、歌からこういう読み取りをするっていうことに面白さを感じる。それに私がこの解釈によってより深く自分の内面を知る手がかりを得ることに違いはない。

人に自分の表現するものを伝えていくことって大切なんだなって、改めて深くそう思った。いろんな効用があるんだろうけど、そのうちの重要な一つに今回のようなことがあるんだと思う。表現を受け取った人の解釈を聞いて、その対話の中から自分の知らない自分を知る。どこか自分で思い込んじゃっている自分の今のありようを取っ払ってみる機会になったり、いろいろ反省もわいてきたり。偏屈になっていることにも、バランスを取り戻せてくる。大事、大事。

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