« 表現を受け取った人の解釈 | トップページ | 哀愁のおじさん »

2006-06-07

自分の鼻をへしおる

誰かの発言や振る舞いなど、他の人の言行に明らかにおかしいと感じられる何かがあった場合、自分の意識はそちらに向けられ外に焦点が定められる。外に向かって批判力を発している時って、たいてい無意識のうちに自分に対する批判力はおろそかになっている。少なくとも自分はそうだと今日思った。

「他が明らかに誤っている場合、自分は正しい」が成立するなら、それでもさして問題ないのかもしれないが、そんな公式は成り立たない。他に対して「なんだか本質を見失っているよなぁ」とか思っている自分も本質を見失っていることはあるし、他に対して「なんか言ってることとやってることが違う気がする」とか嘆いている自分が、自分の言ってることに行動が伴っていないことだって起こりうる。他が明らかに誤っている場合でも、自分も別の誤りにはまっている可能性は十分にある。しかしながら、一旦外に目を奪われると、自分のことは棚にあげてそのまま視界の外に放っておいてしまうのが世の常、人の常。

情けないかな、実際あったんだよね、最近の自分の言行にそういう反省が。つまり前述の公式は成り立たないことを身をもって実証。「一緒にするな!」と言われれば確かにその通りなんだけど、まぁ一応同じ星のもと同じヒト科に生まれたよしみで、「世の常、人の常」ということにしておきましょう、穏便に。

で、気づかなければ気づかないで結構な距離を走り続けてしまえるものだなぁと思った次第。怖い、怖い。だから意識的に「そういう自分だって正しいのかどうか怪しいもんだよ」と自分の鼻をへしおる機会を設けるといいんだろう。自分のことを棚にあげようとつま先立ちしている最中に肩をたたいて声かけて。

「自分の心はきれいなはずだ」なんて思い込んでいると、知らぬうちにどんどん綿ぼこりがたまっている。掃除しないできれいな部屋を保つなんてできないことを知っておかないといけない。まして今よりもっときれいな部屋にしたいなら、日々小掃除したり、時には大掃除したりしてきちんとお手入れしないと。

そんなことを思って、ちょっと自分の鼻をへしおってみた。あいたた。でも生来の小者なので、思いがけず突然人にへしおられるより、その前にとりあえず自分で気づいて一度ぼきっとやっておくと安心。そうすると、後から同じところを人にへしおられても、素直にありがたい気持ちで受け止められるものだし。

いやいや、この先も人に指摘されずじまいで済むように先手先手で。ここ最近はいろいろ大変な局面もある一方で、人にたくさん支えてもらっている。せっかくの支えをきちんと自分の心身の立て直しに反映していかなくてはね。

« 表現を受け取った人の解釈 | トップページ | 哀愁のおじさん »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56452/11193777

この記事へのトラックバック一覧です: 自分の鼻をへしおる:

« 表現を受け取った人の解釈 | トップページ | 哀愁のおじさん »