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2006-05-28

村上龍×伊藤穣一

最近土曜に仕事に出ると、日曜はまったく動けない身体になってしまった。歳のせいだろうか……。というわけで、今日は夕方近くまで家でくったりして、日も暮れる頃ようやく活動を始め、ごくごく近所の本屋に出かけた。

小さな本屋さんなのでそう長居する用もなく、早々に出ようとしたところで入り口近くの平積みの帯に目を奪われる。「村上龍×伊藤穣一」。へぇ、これ面白そう。ということで、タイトルも確認しないままレジへ直行。まぁ、これからどこかへ出かけようという気力もないし、家に帰って読書でもしようと、潔く本日の外出終了の鐘をならす。

購入したのは「個」を見つめるダイアローグ。一番初めにインターネットが日本で騒がれだして、その少し後に「インターネットは儲からない」と言われ、今はというと「インターネットは儲かる」という認識が(その是非はともかく)社会に定着してきた時代じゃないかと思うんだけど、どうだろ。ともあれ私はこの本を読んで、そうか、「インターネットは儲からない」はある種普遍的な見方としてあり続けているんだなと、また振り出しに戻ってみた。

つまり、そもそもインターネットはお金を儲けることが目的のものではないということ。お金を儲けるための手段に使えることもある、というふうに時代が変化してきただけで、必ずしもお金を儲けるための道具じゃないことに変わりはない。ここ数年は経済至上主義をベースにインターネットを捉える傾向が強かったけど、今後ブログが普及するような勢いでインターネット上に民主主義が台頭してくると、多くのものが今以上にそれではお金儲けできなくなっていくんじゃないだろうか。

上質な情報を提供してくれるのは必ずしもマスコミではなくなるし、上質なサービスを提供してくれるのも必ずしも大手のサービスプロバイダーではなくなる。上質な情報を手づくりして、それを無償で提供しても、それが人のためになったらそれだけで嬉しいという個人がいれば、それが全員じゃなくても各分野ごと世界中に100人ずついたら、それだけで世の中は幸せにまわっていけるかもしれない。そうしたら、そこに金銭の受け渡しは不要となる。

発信する側と受信する側が良好なコミュニケーションそれ自体で満足を得られれば、それで十分バランスがとれてしまう。そして、そういうコミュニケーションを本来的な喜びとする人間は結構たくさんいるはずだし、そういう人たちがこれまでインターネットの根幹を支えてきたという実績もある。インターネットの「善」の部分が溢れ出してくる時代は、これから本格化していくのかもしれない。そうなったとき、企業が企業としてある価値は新たな創造の先にある。そんなことを思った。あんまりまとまっていないけど、とりあえず読書感想文。

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