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2006-05-01

「共感」を取り戻して「論理」とバランスをとる

以前一緒に働いていた姉御が仕事の関係でうちの会社を訪れたので、帰り際に挨拶に行ったところ、GW中日という気の緩み?もあって「ちょっとコーヒーでも飲みながら……」と外に出ておしゃべりすることになった。それで話し始めたら、その30分強がものすごい濃厚な時間になった。

そもそも話の発端は、私自身が論理的思考の強化に傾注しすぎて、仕事を進める際に柔和さを欠いている気がするというぼやきだった(という言い回しがすでにイケてない……)。それを強く意識させられることも先日仕事場面で体験したばかりで、なんとなく良くないなぁって感じていたのだけど、話し出す時点ではまだまだ漠然とした思いだけだったのだ。

最近あった出来事っていうのは、論理的思考に基づけば「こちらが正しいと思う」という結論にしか至らないんだけど、結局のところ私たちは「正しいか正しくないか」を結論づけるために仕事しているわけじゃないし、そこで意固地になっても不毛なんだよね。別の部署の人でも別の会社の人でも、できるだけ気持ちよく一緒に仕事をして、より良い成果が出て、結果としてお客さんの幸せに結びつけば、それが一番の目的達成だし、それが一番素敵なことだ。

こう考えると、論理に寄ってばかりではなくて、お客さんはもちろん一緒に仕事をする人たちの気持ちに共感したり、こちらの見解にも共感してもらえるよう気持ちを育みながら仕事することに目を向けられるようになる。今回落ち込んだ一件にしてもそうなんだけど、このところ、そういう意識が少なからず弱まっていたんじゃないかって、自分の今後の課題を突き止められた気がする。

この1年は、論理的に思考して解決策を導き出して、具体的なアウトプットに落とし込むということを集中してやってきた。頭の動かし方もそれを軸にするよう努めた。それはたぶん、もともと私が「共感」を軸にして人と関わりあって仕事を進めてきて、それだけだとものすごく宙ぶらりんで頼りない自分に不安を感じていたからだ。そんな折、この会社では論理的思考力を必要とする仕事に取り囲まれて、これは良い機会だとその筋力を集中的に使って仕事力を高めることに力を尽くした。

実践で使うことで鍛えられる筋力だという意識もあったから、一所懸命がんばってみたんだろうと思うし、結局今時点での論理的思考力はこの1年で集中的に使ったからこそ得られたところも多分にあるので、それを後悔する必要もないんだろう。ただ、ずっとこのままでいいわけでもない。そろそろ少し放り出していた、本来大切にしていた共感性を意識的に取り戻して、今後はこの1年で強化したスキルをバランスよくブレンドしながら、双方の筋力を発揮して一層高めていく必要があるんじゃないかと思い至った。意識的にそういう構えに転換すべき時期がきたんじゃないかという気がした。

姉御が、そろそろ自分は得てきたものを世の中に還元していく時期にきたんだって言っていたけれど、私はまだまだその域には程遠くって、自分に不足しているものを筋トレして鍛えていかないとっていう気持ちが強い。ただ、そういうものと、その力を高めていくことで人の幸いに貢献できることが昨日より今日で高まっていったらいいっていう思いは双方持っているから、そういう意識で頑張ったら、いつか姉御の思いへと昇華できる日がくるのかもしれない。

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