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2006-03-31

体温を2日で4度下げる

実は私、一昨日の晩に39度の熱を出しまして丸一日うなされていたんです。それで昨日は会社にお休みをもらって1日がかりで熱を下げて、今日はなんとか会社に出勤して、今年度最後の仕事日を過ごしてきました。日中ばたばた仕事をやって、終礼、打ち上げ、席替え、二次会。ひと通りの期末イベントをたいらげてもう満腹。この半期独特の感慨深さもあり、来期への思いもいろいろありつつ、とりあえず終電前に帰途につき、0時過ぎに家に帰ってきました。

おうちに帰って、おそるおそる体温を測ってみると、34.6度。行き過ぎ……。48時間で39度から一気に4.4度もマイナスに。大丈夫なんでしょうか、私の身体。まぁでも、いつもの低体温に戻ったと考えれば、早々風邪が完治して元気になったのだとも受け止められましょう。それにしたって、2日間で体温が4度変わるってすごいですよね、……というだけの話。来期もがんばろう。

2006-03-26

甥っ子の1歳のお誕生日

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ほんと、よく笑う子です。ごきげんです。彼も、私も。早くも1歳になりました。元気に歩きます。思いきり走ります。まだまだちっこいけど大きくなりました。一秒たりとも私たちを飽きさせない、わんぱくで天使のような子です。兄もすっかりパパになっていました。彼からもすっかりパパとして認められていました。

2006-03-25

直感とは非科学的なものにあらず

直感とか発想力とかっていうと、一見ものすごく非科学的なものに思われるけど、別に神さまが限られた一部の人の頭に、クルクルクルドーンってでっかい閃きを落っこどしているわけじゃないし、結局は本人の努力の積み重ねのたまものだと思うのです。

努力っていうとなんだか仰々しくて、当の本人にしてみればそんな気はさらさらないって話になるかもしれないけど、本人の意識しているしていないに関わらず、頑張っている頑張っていないに関わらず、日常の中でのその人の視点のもち方や考察の積み重ねが、ある瞬間に起こる直感とか発想力につながっていると考えたほうが自然でしょ。クルクルクルドーンよりも。

そして、その直感や発想力を実際に形にする人は、ものすごい集中力でもってそれをアウトプットしようとし、その過程で試行錯誤を繰り返してそれでもあきらめず、最終的にそれを固体化しているんじゃないかと思うわけです。程度の差はまぁいろいろあるわけですが、「ちびっこいのを数えるほど」なら私も経験があります。

といっても、私が言うだけじゃ説得力に欠けると思うので、エライ人にご登場いただきましょう。アメリカの哲学者、ジョン・デューイさん、どうぞこちらへ。

「直感は現実においては、長い期間においてゆっくりと養なわれるものであるが、(現象的には)古いものと新しいものとが出会ったときに、あらゆる形体の潜在意識(コンシャスネス)の中で再整理が起き、それがまるで天啓のひらめきのように素早く、予期していなかった突然の調和(ハーモニー)によって、再整理されることである」

「以前からその問題に関連のある事柄に意識して夢中になっており、ああでもない、こうでもないとくり返し考えていた人でなければ、めったにこうした発明、発見や解決といったものは生まれてこない」

カタカナの人が言っているとなんだかそれっぽいでしょ。え、そんな人知らない?いや、まぁ私も知らない人なんだけど。結果オーライですよ、こういうのは。思いたければそう思えばいいんだから。

私は「直感や発想力は限られた人に生まれながらに備えられている才能で、後天的に身につけるのは難しいものです」って思っちゃうと、先がないじゃない……って悲しくなるので、後天派に一票を投じて頑張ります。実際、すばらしい直感や発想力を発揮している人は十分に頑張っているし、心から尊敬の気持ちをもって向き合いたいと思うのです。

2006-03-22

コピーでデザインを理解する

今読んでいるのは「広告コピー概論[増補版]」(植条則夫著/宣伝会議)という教科書みたいな本。私はクリエイティブへの理解を深めようとするとき、本選びとしてはコピーライティングを軸にする。真っ向勝負でデザイン系の本を買ってもあまりに才能がなさすぎて本質をつかめないので、コピー系で攻めるのだ。文章表現とかテキストうんちゃらとかコピーライティングというアプローチに置き換えると、断然本質をつかみやすくなる。

例えば「表現することの難しさ」を理解しようとした場合。デザインする難しさは、そりゃ難しいなぁとは思うけれど、デザイナーにとっての難しさと私が言っている難しさはまったく異質のものだ。私の難しさは「てんでわからん」とか「何が難しいかわからん」とかそういうわけのわからない難しさ。デザイナーにとっての表現の難しさを本質的に理解することは私には難しい。

でも、それを文章表現とかコピーライティングに置き換えてイメージすると、形は別ものだけど、感じはよくわかる。あぁ、難しいよねぇっていう本質を共有できるのだ。作業としては、コピー表現の難しさをしみじみ実感して、その実感をクリエイティブ表現全般の難しさに一般化して、それを今度はデザイン表現に置き換えて擬似実感させる感じ。

クリエイティブな仕事をする人たちをサポートする上で、この擬似実感は私にとってとても大切なものだと考えている。まぁ、擬似じゃない実感ができれば話は早いんだけど、私のデザインセンスでは早々にあきらめるのが賢明…。

と長くなったけれど、そんなわけで、そういう本質の相互理解を図るためにも、ちょこちょことコピーライティングの本を読んでいる次第。もちろん文章におけるクリエイティブ表現そのものを学びたいという動機もあるわけだけど。ということは、「一粒で二度おいしい」思いをしているということなのね。それはいい。

この文章って、言っていることの意味伝わるのだろうか。ちょっと不安……。

2006-03-21

WBC

このところせわしなく動いていて、おうちに帰ってもラジオすら聴かない日が多かったので、ほとんど世の中の流れがわからない状態だったのだけど、週末友だちと会ったら、なにやらWBCというのが催されていて、これが今日本で結構熱いことになっているらしい。これまでのドラマを語られ、さらにその日は韓国戦に6-0で勝ったということで、俄然私も興味を持ち出した(遅い)。

私は、自分でやるなら個人競技が好きだ。水泳は一番好き。水の感じが心地よいのはもちろん、泳いでいる間人の目も気にならないし、誰にも話しかけられることなくもくもくと身体を動かせるのがいい。孤独好き……。でも、観る分には野球が好きだ。サッカーやラグビーも観れば確かに楽しみがあるけれど、やっぱり自分がルールを知っている野球のほうがより深い味わいがある。

というわけで、大変遅ればせながら、決勝のキューバ戦はぜひ観たいなぁと思っているのだけど、こういうとき家にテレビがないのは困る。どこかテレビのあるところに移動しなくてはと、ネットで調べるとスポーツカフェの検索サイトが見つかった(こういう軸の検索エンジンって何かの時にありがたいですよね)。でも結局、一人でこういうところで観るっていうのもなぁ……とうじうじ。

なので、ちょっと昭和的にどこか電気やさんのテレビ売り場前で何気なく立ち止まって、腕を組んで「おぉ」「あぁ」とかつぶやきながら隣のおじちゃんと感想述べ合いつつ観戦しているかもしれません……。ワンカップとかは持っていませんので堪忍、堪忍。

2006-03-20

日記メモ

ちょっと落ち着いた。週末企画・運営していたセミナーイベントが無事終わり、今日は先週起こした提案書をもってお客さんのところへプレゼンをしてきた。セミナーも高評だったし、お客さんの反応も良かった。良かった、良かった。

このところ毎日プールに通っている。水泳はやっぱり気持ちいい。さっぱりすっきりする。ぜい肉も少し落ちた。さっぱりすっきりした。良かった、良かった。

またまた今週&来週までにやらなきゃ!仕事は新たに生まれているけれど、期の変わり目もまた大変そうだけど、とりあえず今晩は一息ついて、ぼーっと過ごす。うーんと、えっと、とりあえず日記ということで。

2006-03-15

台風の目の中で眠る

大変、大変というのを書き連ねられてもあまり楽しくないと思うので(というのと実際話を書く時間が捻出できず)少々間があきましたが、やっぱりせっせこひたすら地味に、仕事をしていたここ数日です。一つ終われば次、も一つ終わっても次と新たに作るものが地面からにょきにょき姿を現してきて(というか、目先のコトが終わるまで、私が次や次の次のコトを土の下にしまい込んでるだけなんだけど……)とにかく仕事というのはなかなか私を飽きさせません。

ここ最近は平日の日中社内でばたばたと動いて、晩の自宅や休日の会社で一人もくもくと画面に向かってあーでもないこーでもないやって、キャリア系やら技術系やら一般教養系やらあれこれの書き物をあれやこれややってきて、先ほどようやっと一息ついたところ。そして明日はきっとお客さん向けの提案書を至急で起こさなくてはならなくなって、教材の校正もしなきゃ、ということになって、「また敵が現れた!」とあわわあわわしそうな気配。とにかく今日は早く眠っておくに限る。豊かな睡眠時間は健全な肉体と精神をつくります。

そんな仕事たちに取り囲まれながら、ただいま来期組織体制のあれこれで、これまた激動期。その風を思いっっっきり受けることになってしまい、昨日内示、本日発表、以降大変。お世話になっている人に「○さんは巻き込みやすいタイプですからねぇ」って言われたけど、巻き込まれやすいタイプって……。あぁ、暴風で髪の毛がぐちゃぐちゃ。仕事ってなんてドラマチックなんだろう。良くも悪くもどきどきの毎日です。こういう時は、ひとまず眠るに限ります。

2006-03-11

仕事とステーキ

あっはっはーと笑っちゃうほど仕事しています。今日も朝8時半に出勤して23時過ぎにビルから這い出てきて、朝から晩まで頭フル稼働で頑張りました。土曜にこれやると、ちょっと骨身にしみる。そして明日も朝から晩まで仕事しないとなぁ。

しかし明日頑張ったらゴール見えてくるかなぁというところ。大変だけど、前に進んでいる感を実感しながら、実際ゴールに向かっていくのは単純に楽しい。ゴールが見えてきたら、あっちとそっちも進めなきゃなぁと先も山積みだけど。

といいつつ、金曜の晩は青山でステーキとワインとおしゃべりを愉しむオトナの会に参加させていただいて、久々に酔っ払っていたりして、とても心地よく学びある時間を過ごした。自分の頑張っているところの中身に着眼して評価してくださるのって、とても嬉しいし、とても有り難い。そうやって道は続く。それが人生というもの。頑張ろう。おぅ。おやすみなさい。

2006-03-10

仕事没頭とお祝いメール

あぁ……、またもめちゃめちゃ仕事に没頭している間に日をまたいでいた。気づけば誕生日が終わっているではないか。今日もものすごーい集中して朝から晩の晩まであれもこれも頑張ったと思うんだなぁ。よく頑張った。誕生日に頑張ったときくらい、自分勝手に褒めてあげてもバチはあたらないだろう。よくやった。よくやった。えらいぞー。よーし、よしよし。

しかしまぁ、一つ仕上げたら次の一つがやってきてと、とりあえず今月末までは常時4つ、5つ仕上げなきゃならないものを抱えて走り続けることになりそうだ。大変だけど、まぁそういう時期なんだろうなぁ。仕事に没頭する時期、仕事による学びの多い時期なのだと快く受け止めて頑張ろう。前向きに生まれて良かったなぁ。

さて、お誕生日おめでとうメッセージをくださった方、ありがとうございました。皆さんのおかげで誕生日の仕事も快く乗り越えられたというものです。

ちなみに、その中に一通「Re: お誕生日おめでとう!」というタイトルで届いたメールあり。この良き日に送られてきた父のメール文面は「本日下巻を完読しました。非常におもしろかったです。読んでしまうと次がないのでさみしいです」と本の感想のみ。この間あげた「ダ・ヴィンチ・コード(上)」がお気に召したようで、自分で下巻を買ってそれも一日で読み終えたらしい報告メール。

報告もいいけど、せっかく娘の誕生日にメール送ってるんだから「おめでとう」の一言くらい添えてくれればいいのに。父は完全に忘れている。タイトルに書いてあるって?いやいや、これは実は昨年12月に私が書いた「おめでとう」。

「Re: お誕生日おめでとう!」はあくまで「Re:」。これは私が父の誕生日に送ったメールの返信なのだ。父はメールを新規に作成できない。返信メールしか作って送れないから、昨年の父の誕生日以来、私はずっと「Re: お誕生日おめでとう」というタイトルで父からメールを受け取り続けている。というわけで、今日のメールのタイトルも明らかに祝福の意味をなしていない。確実に忘れている。微妙。でも、まぁ、父らしい。

2006-03-09

三十路とニフティー8周年

あぁ……、めちゃめちゃ仕事に没頭している間に日をまたいでいた。三十路だ、三十路になっている。さようなら、ぴちぴち20代の私。こんにちは、オトナな30代の私。30歳かぁ。人生って早いなぁ。まぁ、楽しい30代にしましょう。

全然関係ないけど、3月8日に長いことプロバイダーとしてお世話になっているニフティーから【入会8周年】のメールが届いた。ちなみに、私が初めてインターネットなるものを触ったのは1996年8月。個人でプロバイダーに登録したのが1997年3月で、入会して早8年。今日から9年目。お世話になります。

ニフティーからの8周年メールの中に「コラム 1997年の通信速度」というのがあって、それによると「1997年当時NIFTY SERVE(っていうのが懐かしい)の通信速度は最大 64Kbps でした(HyperROAD64利用時)」のだそうで、「現在最も高速な光ファイバー接続サービス(最大100Mbps)はなんとその 1,500倍 のスピードになります」のだそうで。世の中すごいスピードで様変わりしているもの。

あれから8年かぁ。そりゃあ歳もとりますね。あぁ、本当に感慨深い。人生っていろいろありますよね。ちょっとマニアックにしみじみ……。今後ともごひいきに。皆さま、どうぞよろしくお願いします。それにしても今週は仕事の嵐だ。

2006-03-05

ひとまわりした後の「すとん」

この週末は家族のお食事会で、母と私の誕生日を祝った。上野公園内(精養軒の隣)にある「韻松亭」という創業明治8年のお店で。庭には梅の花、上野の景色も一望できて、借景を愉しめる素敵なところ。ごはんもおいしかった。

さて、日を追うごと、何かが満ちていくようでもあり、何かが損なわれていくようにも感じる。そろそろ、まずいなぁと思う。もうすぐ、飲み込まれる予感があるんだ。こわいなぁ、もう。すぐそこまでやってきてるのが見えるんだもの。

村上春樹さんの「村上ラヂオ」というエッセイ集の一番最後の話にこういうのがある。レイモンド・チャンドラーの小説の中に「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」という有名な台詞があって、それに対して村上さんは「人間というのはたぶん何かあって急にすとんと死ぬんじゃなくて、少しずついろんなものを積み重ねながら死んでいくものなんだね」って言っている。以下、引用。

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人は「さよなら」を言った直後には実はあまり死なないものだ。僕らが本当に死ぬのは、自分が「さよなら」を言ったという事実に、身体の真ん中で直面したときだ。別れを告げたものの重みを、自分自身のこととして実感したとき。でもだいたいの場合、そこに行きつくまでには、あたりをひとまわりする時間が必要になる。
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というわけで、まずはあたりをひとまわりするわけだけど、あたりをひとまわりし終えると、ある時「すとん」と来たりするんだよね。その「すとん」が断続的に続いたりしてさ。だから、あたりをひとまわりした後のしばらくが大変なんだ。しばらくっていうのも、数日数ヶ月じゃ済まなかったりしてさ。そんなこと言っているうちに、そろそろ入り口だよ。こわいなぁ。

2006-03-03

実は情熱的な人

ひょんなことからこのサイトのありかをお知らせすることになった会社の人に、「淡々としてて癒しキャラって感じだと思ってたけど、実はものすごい情熱的な人なんですねぇ」って言われた。淡々としてるのに実は情熱的。情熱的かぁ。自分が情熱的な人間なんて考えたこともなかったけど、「実は情熱的」っていうのは、バランスがちょうど良くて結構嬉しい。

情熱や愛情深さみたいなものは普段から外にさらしておくものではない、そう思っている。だってそんなの恥ずかしい。というのが、たぶん一番の理由だけど、まぁ一応私なりの見解を示すと、情熱や愛情深さっていうのは、自分が情熱的であるとか、愛情深い人であるとか、誰かにそれをアピールするためにそうあるわけじゃない。こうありたいって自分をやっていたら結果的にそうなっているだけのことだ。(ひっそりわかってもらえると、それはそれで結構嬉しいものだけど……)。

だから、いつもは当たり前のように自分の血管の中を流れていて、自分すら意識しないもの。なのに、必要なときにはものすごいパワーで自分を突き動かしたり、ものすごい温かさで人を包み込んだりする。無意識に、平常時には平常時の質量で、非常時には非常時の質量で、自分からそういうパワーが発せられている。そういうのが個人的な理想。そういう人としての温かみや深みを大切に育んでいきたいものです。

でも、世の中の人全員がこういう情熱や愛情の発し方だと、それはそれでつまらないんだな。情熱発しまくりな人も、愛情発しまくりな人もいて、いろんな人がいるから世界はステキなのだ、きっと。だから、これは超私向けな理想。個人的には、ものすごく純度の高い情熱と愛情を内側にひっそりと、ひたひたに隠しもっているスポンジみたいな人でありたいなぁと思う。

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