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2006-02-15

その「どうでもいいこと」に頑張っている私は

いつの頃からか、「作り手」の視点をもって世の中とおつきあいすることができるようになった。かなりの駆け出しだし、私が生み出すのは決してパッと見クリエイティブなものではないけれど。そういう視点をもって日々を過ごすことは大切にしていきたいと心から思う。

見える世界の広がりと深みが大きく変化していく。つまり、こういうこと。

「受け手」は、一生「なんかいいよね」「なんかステキよね」と言い続けます。「作り手」は、「なぜいいのか。コレコレコウだからじゃないか」と考え続けます。(『新約 コピーバイブル』/編者:宣伝会議コピーライター養成講座)

日常にこういう訓練を組み込んで生活を営む習慣をつける。そういう体験を積み重ねて、主に仕事場面でそれを活かしている。目的を明確にして、構成要素を洗い出して、順番をつけて、適切な言葉を選びながら、見栄えも自分なりに配慮しつつ、実はやっとの思いでいろんなアウトプットを起こしている。

その自分の労苦が伝わらないのは、まぁ伝わらなくても役に立つモノができて自分にも学びがあったならそれでいいよねって処理できるんだけど、頭を使って作っているということ自体が伝わらないのは結構辛い。感性でやっているわけではないし(私は感性では絶対にできない)、なんとなく手を動かすだけ動かしてマウスとキーボードいじっていたらできましたってものでもない。

でも、たぶんそう思われているんだろうなぁって言葉にぶつかると、内心かなりへこむ。中身はどうでもいい、形ができたことに対するねぎらいの言葉。「その辺は任せる」「そういうのはどうでもいい」「いいね、いいね、ごくろうさま」。悪気なく会話の中にそんな一言を織り込まれると、だからこそ鋭く刺さる。私は「その辺」や「そういうの」こそ仕事と思って生みの苦しみを乗り越えているのにな。私が「その辺」に時間を割いてしまうのは、たぶんココにとっては悪なんだろうと思うと、申し訳ないような、やるせないような気分になる。

どこに苦しんで、どこに力を割いて作っているのか、「どこ」という要素ぐらい共通認識をもって仕事したいというのは、贅沢な悩みなんだろうか。そうなんだろうな。人の話を聞いても、本を読んでも、そういう苦しみは世の中のいたるところに溢れている。それでも頑張ろうって思えるのは、人の支えだったり音楽だったりコーヒーなんかによるものなのかもしれない。あぁ愚痴ってしまった。

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