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2005-09-11

意味とか理由とか

「子どもって学校に入ったら絶対に意味が一番大事だっていうふうに教育されちゃうでしょ。確かに意味ってものを大事にしないと人間の社会では生きていけないんだけど、もっと生々しい世界の手触りみたいなものを子どもはちっちゃい時に知っているはずなんです。それを忘れさせられるのがくやしい。」

私が毎号買っている「ダ・ヴィンチ」という本の雑誌の10月号に載っている対談の中の、はふっ(息つぎ……)、詩人谷川俊太郎さんの言葉。

大人になっていく過程で、また社会人になると毎日のように意味とか理由を重視する世界で生活を営んでいくことになる。その辺を曖昧にしていると、「仕事のできない人」になってしまったり、言葉の通り「無意味な時間」を過ごしてしまったりするから。そういうのはいけないねぇって世界に長いことつかっていると、「社会人にとって」ではなくて「人間にとって」、何事にも意味とか理由を持った時間の積み重ねこそ素晴らしいような錯覚に陥る。

でも、「意味とか理由を重視する世界」から解放された「もっと生々しい世界」を生きながら、自分の必要に応じて「意味とか理由を重視する世界」に出入りできるようなのが、最も満腹感のある生き方なんじゃないかと思う。

谷川さんは「生きている源泉の喜び」と表現する。「喜びというと、お金が儲かって嬉しいとか恋人ができたから嬉しいとか理由のある喜びもあるんだけど、ただ生きてるだけでなんかニタニタ笑えてくるってあるんですよ。大人はそれ、忘れがちなんだけど。赤ん坊がなんであんなにキャッキャッ笑ってるのか、あれはただそこにいるだけで嬉しいってものなんじゃないの?」

二つの世界を自分の判断で自由に行き来できる人でありたい。「生きている源泉の喜び」を感じられる人でありたい。時にはキャッキャッ笑いたい。でも、ニタニタはちょっとこわいので遠慮しておきたい気もする。

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