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2005-09-25

仕事の隙間の世界の話

とにかく大変な一週間だったわけで、10月1日を前に自分のミッションやら業務範囲やら関わる人やら、にわかに変化が訪れ、また今動かしているプロジェクトも大詰めのすったもんだ、その他の仕事もてんこもりもりもりさんちゅう

三連休がなんぼのもんじゃい!と、金曜も出勤して自分のところだけひっそり電気をつけて背後からでんこちゃんに「早くしなさいよ」と急かされつつ仕事。夕方から取引先が来社され、休日で使いたい放題の会議室の隅っこにて打ち合わせ。席に戻ってまた仕事。週末も仕事するばかりで、気づいたら日曜の真夜中に流れ着いてしまった。あぁ……。

火曜、会社の歓送迎会で久しぶりにカラオケに行って「Love is over」を歌いました。なぜか私の歌として入っていて、歌ったら「とても似合う」と言われました。褒めて、ない。皆さん、「オーヤンフィーフィー」で変換して「欧陽菲菲」と出てきますか?私は出ます。昭和生まれの人は、今すぐ単語登録しよう。

土曜、ちょっと現実逃避して文庫本を読みふけりました。ある朝、営業さんが出勤してきて自席に向かう通り道、まるでハンカチ落としの鬼のようにさりげなく、私の机に本を置いていきました。「これ、面白かったよ」って。乃南アサさんの「風紋」「晩鐘」という続き物で、どちらも上下巻あって、4冊とも6~700ページくらいあるので、積み重ねると2500ページとかあるかもしれない。

はじめ新種のいじめかと思いましたが(嘘)、これがまたものすごくはまるのです。どんどん読み進めてしまうのです。読む遅さは相変わらずですけれど。ある殺人事件の被害者や加害者とその周辺、事件に関わる警察、マスコミ、様々な人たちの心情を実に丁寧に描いていきます。自分だったらたぶん手にしないタイプの作品だなぁと思うので、薦めてもらえて良かったなぁ。

最近、水泳の話とか本の話とか、仕事の合間に関係ないおしゃべりをしたりするのですが、いろんな人と関心事を交換しあうっていうのは、自分の関心分野を深めていったり広げていったり、またまったく新しい分野を開拓していったりするのに、とても良い効果を発揮してくれるものなんだな、と思います。ささやかながら、とても貴重な実感。自分のちっぽけさを気づかせてくれる環境としても常にもっていたいものです。映画の話とか音楽の話とかもしたいなぁ。

2005-09-18

ハムスター一家×ピーター・アーツ

世の中は三連休。今晩は家族でお食事会だった。両親を東京に呼び出して、ちょっと洒落たところで会食というのが恒例化しつつある。今回でまだ2回目だけど、今日「また呼んでね!」と言っていたので、来月もまた妹と計画を立てて両親を呼び出す予定。

先月は新宿のパークハイヤット41F。今回がカレッタ汐留の46F。せっかく東京に出てくるのだし、とにかく分かりやすくゴージャスな感じがお気に召すようなので、私も妹も大都会東京の背の高いビルの上の方にある「わぁ、宝石箱をひっくり返したみたーい!」な夜景が望めるお店を選ぶ。次回もすでにココと狙いを定めているところがある。この会以外ではなかなか訪れる機会もないので、結構楽しい(というのもわびしい……)。

家族と心地よい時間を過ごし満腹でお店を出てくると、1Fと46Fをつなぐ高速エレベーターホールへ。次に来るエレベーターをうちの家族とシェアすることになりそうなご一行様になんとなく視線を向けていると、妹が急にあわあわしだしたので、どうしたのか尋ねてみると、なんでも目の前にいる外国人はピーター・アーツなる有名なK1選手なのだとか。「確かにでっかいもんねぇ、見たことあるような気もするし」と思って眺めていると、予想をはるかに超えて妹が動揺しだし、つられて母もあわあわしだした。

エレベーターがやってきて一緒の箱に乗り込み、美しい夜景をバックに高速に降下する箱全体をぼーっと見渡していると、なんだかうちの家族がハムスター一家みたいに見える。妹はまだあわあわしていて、「カ……カメラ、カメラ」とかばんの中をごそごそやりだした。そんなにK1に興味あったんだねぇと妹の知られざる一面を新鮮に思いつつ、かわいらしいなぁと静かに状況を見守る。

妹は、VIPご一行様を下までお見送りするつもりらしいエレベーターガールなお寿司屋の店員さん(男)に声をかけ、「写真お願いしちゃだめですかねぇ」と尋ねる。店員さん「あぁ、ご遠慮いただけますか……」と苦笑い。そりゃまぁ、こう尋ねられりゃそう応えましょう。しかし、それを耳にしたご一行様が「いいよいいよ、ファンサービス、ファンサービス」と陽気に妹の願いに応えてくれる。

で、1Fに降りるやいなや父と母がカメラマンになって、私と妹がピーター・アーツさんと記念撮影。その後、向こうから笑顔で手をのばしてくれて握手。いやいや、優しい笑顔、あったかいおててでした。大都会東京には有名人もうじゃうじゃです。って、両親にカメラマンさせてちゃまだまだ。このおバカ姉妹は。

2005-09-17

「脱胃痛の意思表明」としつつ

表でむやみに甘えたこと言わないように、ここにこぼしておく泣き言話デス。

なんとなーくまずい感じなのである。私の場合、たいてい頭が気づくより先に体に反応が現れる。蕁麻疹のときもそうだったし、神経性胃炎のときもそうだった。基本的に私は自分について鈍感だ。自分が抱えている問題については、結構深刻な事態に陥っても察知することが難しい。というか、結構深刻な事態ってどこからがそれなのかよくわからない。今だってそんな事態に自分があるという認識はない。ただ、体に反応が現れた時点で、ということは私もそれなりに大変なのかもしれない、と曖昧な認識をしてみるだけである。痛みを感じたり涙が流れたり、体に教えられることは案外多いものだ。

今週頭から、胃の辺りが痛くなったりする。火曜は午後休をもらって家で気を失ってみたりしたのだけど、結局翌日の朝も鈍くだるくて、金曜にいたっては朝5時胃痛に起こされてしまった。もともと5時半起きで日帰り大阪出張の予定だったので、結局そのまま支度して7時半手前の新幹線で大阪へ。午前、午後とも主に自分がレクチャーする形でのミーティングがあり、あぁ私はなんて説明が下手なんだろう……と一人ボクシングで勝手に打ちのめされつつ、支店の皆さんにフォロー頂きながら夕方5時過ぎ一通りのスケジュールを終えて会社を後に。午後6時過ぎの新幹線で東京へと戻った。

可能であれば自費でもホテルだか旅館だかに泊まってゆっくりしてきたいところだったのだけど、翌日の今日は午前に歯医者、日中には会社のメールに届いているはずの書類を確認してそれをもとに電話打ち合わせをする必要があり、さらに連休中に片付けなきゃいけない仕事もてんこもりで、泊まりで旅行気分!なんてしたら、風見慎吾に「ぼーく、ぼーく、笑っちゃいます」って歌って踊ってへそでお茶沸かされちゃいそうな勢いだったので断念。結局大阪らしきものに触れることなく駅と地下道と支店の空気だけ吸って帰ってきた。とにかく仕事面で新幹線代分の意味を残せてきたのであればいいんだけど。

自宅に戻るとまたすぐ気を失い、目を覚ますと土曜の朝。歯医者さんに行った後、コーヒーやさんで少し文庫本を読んで午後出勤。ひとまず昨日確認できなかったメールの類をチェックしてみると、10月1日を前に人事通達が出ているではないか。突如現れた渦巻きの大きさを計りかね、今日中の仕事だけして帰路につく。うーん、とにもかくにもこの連休で脱胃痛!しておかねば。

2005-09-11

意味とか理由とか

「子どもって学校に入ったら絶対に意味が一番大事だっていうふうに教育されちゃうでしょ。確かに意味ってものを大事にしないと人間の社会では生きていけないんだけど、もっと生々しい世界の手触りみたいなものを子どもはちっちゃい時に知っているはずなんです。それを忘れさせられるのがくやしい。」

私が毎号買っている「ダ・ヴィンチ」という本の雑誌の10月号に載っている対談の中の、はふっ(息つぎ……)、詩人谷川俊太郎さんの言葉。

大人になっていく過程で、また社会人になると毎日のように意味とか理由を重視する世界で生活を営んでいくことになる。その辺を曖昧にしていると、「仕事のできない人」になってしまったり、言葉の通り「無意味な時間」を過ごしてしまったりするから。そういうのはいけないねぇって世界に長いことつかっていると、「社会人にとって」ではなくて「人間にとって」、何事にも意味とか理由を持った時間の積み重ねこそ素晴らしいような錯覚に陥る。

でも、「意味とか理由を重視する世界」から解放された「もっと生々しい世界」を生きながら、自分の必要に応じて「意味とか理由を重視する世界」に出入りできるようなのが、最も満腹感のある生き方なんじゃないかと思う。

谷川さんは「生きている源泉の喜び」と表現する。「喜びというと、お金が儲かって嬉しいとか恋人ができたから嬉しいとか理由のある喜びもあるんだけど、ただ生きてるだけでなんかニタニタ笑えてくるってあるんですよ。大人はそれ、忘れがちなんだけど。赤ん坊がなんであんなにキャッキャッ笑ってるのか、あれはただそこにいるだけで嬉しいってものなんじゃないの?」

二つの世界を自分の判断で自由に行き来できる人でありたい。「生きている源泉の喜び」を感じられる人でありたい。時にはキャッキャッ笑いたい。でも、ニタニタはちょっとこわいので遠慮しておきたい気もする。

2005-09-03

夏の終わり

人生には(といきなり大きく出ますが)、生の意味を問いたくなるぐらいの時間はあるけど、その答えを知るほどの時間は与えられていない。そういう生き物に生まれちゃったわけだから、「なぜ生きるのか」じゃなくて、「どうやって生きていこうか」をスタート地点に考え始めた方がいい。「なぜ生きるのか」から考え出したら間に合わないんだから。夏の終わり、セミの鳴き声を聞きながら、そんなことを思う帰り道。

家に着き横になる。今は人生80年?私は5、60歳くらいまででいいかなぁ。と思ったけど、それって今の親の年齢だ。そう考えるとちょっと早いかなぁ。父が今60歳でしょ。60歳って、どう頑張ってみても折り返し地点は過ぎている。それってちょっと怖いことだなぁ。私だって60歳までって考えると、もう折り返し地点まで間近に来ているんだ。これまた、結構怖いことだなぁ。

終わりがあるんだよね、私の人生にも。いつか消えていっちゃうんだ。私も、私の知っている人もみんな。怖いなぁ。老いるっていうのは、まぁもうたくさん生きたし、そろそろいっかーっていう感覚を深めていくことなのかもしれない。そういえば、この間読んだ伊坂幸太郎さんの「死神の精度」は良かったなぁ。そんなことを想いながら、少しずつ眠りの中へおちていく、夏の終わり。

2005-09-02

受注

私は営業部門に属したことがない。基本的に商品やサービスを開発・運営する側に立って、BtoCメインで個人に向かって仕事をしてきた。だから「受注する」場面に直面することがなかった。いや、断言していいかわからないけど、法人向けの百万単位以上の話って規模感で捉えると経験がないと思う。

それが今日、受注してしまった。もちろん営業さんのサポートあってこそなわけだけど、自分でクライアントにヒアリングして、自分で提案内容を固めて提案書を起こして、自分でプレゼンして、先方の意向より高めの見積もりだったにも関わらず、今日「お願いします」のお返事をいただいた。これは、もう純粋にものすごーく嬉しい。仕事はまぁ大変になるわけだけど、終わった時に「お願いして良かった」って思ってもらえるように精一杯頑張りたい。

私は現職でも基本的には個人に向けたサービスの企画・開発と運営をメインに仕事をしているのだけど、3~4割くらいで法人向けサービスを提供する役割を担っている。

これまでがこれまでだけに法人に対する抵抗感を少なからず抱いてきたのだけど、ここにきてようやく力みがとれてきた。対するは個人・法人問わず「人」に変わらないし、「顕在化している、または潜在的なお客さんの課題・要望を引き出して、それに対して精一杯こちらのできることを返していく」のもまた変わらない。「自分らしくやればいい」っていうのも、(たぶん)変わらない。

確かにアプローチの方法には独特のスキルが必要だったりするわけだけど、それはこの会社でせっかく機会を与えてもらえているので、一つ一つ経験を積み重ねながら高めていきたいと思う。ヒアリングして提案書を起こしてプレゼンして受注して、さらに提案内容を実現するためのプロジェクトを推進して実行してレポートをまとめて完了させるところまで。どんな領域に及んでもできるってものではないけど、自社のリソースを活かしてできることの精一杯を引き出して、しっかりコーディネートして、責任もって完遂できるようになりたい。

それは今まさにここで集中的に基礎固めすべき時なのだという気がする。前々職で一緒に仕事させてもらった姉御のことを最近よく思い出す。今の私が地に足をつけて頑張れているのは、間違いなく彼女のおかげだと思う。

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