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2005-08-28

そういえば、夏が終わる

そうなのだ。もう少しで8月が終わるのだ。8月が終わるといえば夏の終わりだ。ご挨拶程度しか言葉を交わしたことがないけど隠れファン的に大好きな女性のブログがあって、そこに夏の終わりで切ないって書いてあったんだけど、私はそれを読んではじめて今が夏の終わりであることに気づいた。あぁ、やっぱり季節とともに生きている人は素敵だ。

私も夏の終わりはちょっとくらい切なくなっておきたい。今年の夏の出来事を振り返って、あぁ……と切ないため息一つ。それにしても、なんでこんなに振り返るネタがないんだろう。この際お祭り騒ぎな思い出でもいい。振り返ってみればバカ騒ぎだって切ない思い出に変わるというものだ。と折れてみても、とにかく夏っぽい思い出がまったく見当たらないではないか。

確かにロンドン旅行には行ったんだけど、それはちょっと別もので、ほら、花火大会とか夏祭りとか、みんなで海とか山に行って飲んで食べて語り合ってとか、夏の思い出というのはそういう大小さまざまな多種のイベントが散りばめられて成立するものじゃないですか。そういうのが、ないんだなぁ……。

本人のやる気の問題だと言われればまさにその通りで、そもそもそういうイベントごとに参加しようという若々しい意欲に欠けているところが問題の出発点なんだけど、一通り夏が終わってみるとやっぱりちょっと物足りないかも、という身勝手な後味の悪さを感じるわけで(っていうか味がない……)。何かないかなぁと検討の上、取り急ぎサザンを聴いてみた。うーん、切ないなぁ。

9月は山ごもりしている友だちのところに遊びにいこう。海にも散歩に行こう。

2005-08-25

かなわないもの

今日は思いっきり早く帰ってきた。19時くらいに会社を後にして、20時前に帰宅。なぜってそれは台風だから。

私は自然には敬意と畏れの気持ちを抱いて暮らすべきだと考えていて、だから台風の日には「へっちゃらさ」なんて決して思わないで、「逆らう気などさらさらございません」と背中を丸め、できるだけ早く外出先から戻って家にこもるようにしている。そうして家の窓から空を見上げて「私はあなたを畏れていますよー、だから堪忍してー」とアピールする。

何度「思いのほかあっさりしてたね」と台風が行き過ぎ、みんなが「どうせ今回も……」と気の緩みを見せようと、私の自然に対する畏れは揺るがない。

かなわないものがあるんだという意識は、私にとってとても大切なものだと思う。「敵わないものなんて何もない」「叶わないものなんて何もない」なんて世界、私には恐ろしくて生きていけない気がする。無重力状態の宇宙にいきなり放り出されるような感じだ。放り出されたことないけど。

人によって自分の目に映る世界はそれぞれで、人によってはもっと自由のきく、もっと可能性にあふれた世界が広がっているのかもしれない。その方が心地よいと感じれば、自分の目に映る世界をそのように導き、新しい自由を開拓していくのだろう。そういう人たちの恩恵を受けて、私も今この豊かな社会に住まわせてもらっているに違いない。

それでもやっぱり、私の目に映る世界がそれではちょっと恐ろしい。自分にはどうにもならないものがある世界、敵わないもの、叶わないものがある世界に生きていたい。そういうものに尊敬や畏怖の念を抱き、寄りかかったり心を配ったり身を小さくしながら生きていたい。そんなことを思う台風の夜であるよ。

2005-08-24

平日の休日日記

およよおよよしているうち、あっという間に一週間。今日は振替休日にあてる予定で朝から歯医者さんの予約をしていたので、これは真っ当せねば!ということで眠い目をこすりつつ近所の歯医者さんへ。昨日は仕事で終電帰り、今朝はなかなか体がしゃきっとしない状態で、診察台に腰掛けるやいなや口の中に麻酔をされたので、朝からくったり。なんでも下の奥歯は麻酔が効きづらいらしく、他のところを治療するより麻酔の量を多めにするのだとか。

麻酔された辺り一帯かなりの放心状態で、口半開きで新宿へ移動。コーヒーやさんに入るも、口元からコーヒーがぼたぼたと落ちる。あわわあわわとなんとも情けなく、その後別のお店でスコーンを食べるも、やっぱりボロボロボロボロ。「お客さん、食べ方汚いですね」とはもちろん言われなかったですが。

正午、前職のビルB1階でランチを買いにきた元同僚をパンやさん前でつかまえる。ロンドンのおみやげを渡してちょっと立ち話。しかしせっかく会えたのに少ししか話せないでさよならするっていうのは結構つらいものだ、と帰り道はちょっとしょんぼり。でもやっぱり久しぶりに顔を見てお話できたのは良かったし、ちょっとほっとしたし、近々ゆっくり会えばいいし、と自分を盛り立てる。

その後、今の会社に行って今日中に進めておきたい仕事を一件まとめて、今度はプールへ。一週間くらい前からかプール通いを復活させたのだ。やっぱり日常生活の中に運動する時間をもつと、とても健やかな気持ちになる。大切だなぁと思う。なんてアクティブな休日。ちょっと今日の体調にはマッチしていないかもしれないけど、まぁ気合だ。

プールから出てくると、そのままおうちに帰ってばたんきゅー。夜まで眠ってしまった。いいのか悪いのかという休日。まぁ良しとしよう。明日、明後日は台風なのに外出仕事。まぁ気合だ。ものすごい日記な日記だ。まぁ記録だ。

2005-08-21

自宅でする当たり前の格好

私は自宅でも服を着ている!今日まで当たり前のことだと思ってあえて公言してこなかったが、どうやら当たり前のことではなさそうなので、ここではっきりさせておく。

確かに一人暮らしともなると、お風呂あがりはしばらくまぁそれなりの格好になる。今年のような猛暑でも長袖で出かける私だが、家に着けばすぐさま長袖を脱ぎ捨て、かなり涼しい格好になる。とはいえ、とはいえ、ある程度の布は身につけている。家族と暮らす環境であればなおさら、部屋着なりパジャマなり、私は「服」と呼べるものを身に着けて自宅生活を営んできた。

これまで世の中も同じようにそうしていると信じて疑わなかったが、これは28年に及ぶ私の勝手な思い込みだったことが明らかになった。今日会った学生時代の友だちによると、A子は「寝る時はパンツ一丁」だと言う。一同「えぇ、パンツ(ズボンのアクセント)じゃないよ、パンツ(下着のアクセント)だよっ?」と確認するが、「パンツ(下着のアクセント)だよ」と平然と答える。in 表参道。

上には何か掛けるのかと問えば、「暑いからさぁ。お腹のとこにちょこっとだけ掛けるけど、すぐどこかに行っちゃう」。さみしくない?不安じゃない?心もとなくない?と思うのだが、そういうのは全部「暑いからさぁ」の一言で一蹴できてしまうものらしい。ま、まぁ一人暮らしだからね…ということで、どうにか気を落ち着けようとする私なのだが。

すると結婚してだんなさんと暮らしているB子が「お風呂あがりは下着だけで出てくる」と追攻撃を仕掛けてきた。加えて「全裸もありでしょ」くらいのことを言い出す。それでまた「えー!」と驚きの声をあげると、先のA子がその私の驚きに驚いているではないか。「え、それって普通じゃないの?」って顔して。夫婦・恋人ってそういうもの?世の中ってそうなのか?私が悪いのかっ!

さらにB子は、結婚前家族と同居している時も「お風呂あがりは下着だけで歩いていた」という。お父さんとお母さんの前で、20歳を超えた娘が下着一枚で歩く。ひぇー、ありえないっ!どんなに暑くて熱くとも、気持ち的にサムイっ。

「風呂あがりのパンツ一丁」をやるのはお父さんだけ、というのがC子と私の見解。でも、この場だけでみると2対2でおあいこ。つまり、世の中があっち派とこっち派で半々に構成されている可能性も決して否めないのである。もしかすると、こっち派の方が実は劣勢である可能性すらあるということだ。

そうなのだ。こういうことはえてして自分のやり方が世間一般のやり方であると誤解しがちだが、実際のところはかなりの確率で自分もみんなもずれていたりするのだ。だって人なんていろいろだもの。世間一般のやり方なんてあってないようなもの。あわてちゃダメだ。しっかり現実を見つめなきゃ。

2005-08-16

父を泣かせたリリーと私

今日も大きな地震があった。仕事をしていた時にあったのだけど、会社のある東京23区も実家のある千葉も震度4強。結構な揺れを感じたので、お昼休みに実家に電話をかけて両親とおうちの無事を確認した。お盆休み中の母が出て、特に問題ないとのこと。ほっとしてちょっと気になっていたことを質問。

先日私は、自分が号泣したリリー・フランキー著「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を何の連絡もなしに父に送りつけた。到着日には父から「ありがとう 本着きました 早速読み始めました」とメールがあったのだけど(どうやら句読点の打ち方がわからないらしい……)、その後一切音沙汰がなかったので、途中で読むの止めちゃったのかなぁと気になっていたのだ。

それで今日の電話で、母に「お父さん本読んだかなぁ、きちんと読んでおくように言っておいてね」と言ってみたら、「もう読んだわよ」と返ってきた。おぉ!読んでくれたのかぁと嬉しくなって「泣けたかなぁ」って尋ねたら、「350ページから泣けたって言ってた」と母。ってどこ?さらに「今おばさんに貸してる」んだそう。おばさんとは近くに住む母のお姉さんで、私の伯母。父にとっても人に薦めたい本になったらしいことが、なんだか妙に嬉しい。伯母も泣くだろうな。

本を送ろうと思ったのは、仕事を引退した父へ「読書のすすめ」というねらい。毎日スポーツクラブに通っているようだけど、とはいえ仕事をしていた時に比べれば時間をもてあましているようなので、いろんな刺激を与えてできるだけ文化的な楽しみを見つけてもらいたいという小生意気な娘心。

あとは単純に、この本はぜひ今の父に読んでもらいたいと感じたから。仕事を終えた今、ゆったりこれまでの人生を振り返ってみたり、生き生きとした気持ちで今後のことを考えるのに最適なプレゼントなんじゃないかなって感じたのだ。私にはできないけど、リリー・フランキーさんならやってくれる……。まだ父の1/2しか生きていない私でも、父からもらったかけがえのない思い出をたくさん再発見することができた。父が読めば、私が感じた倍以上の何かを味わえるに違いない、そう思った。

本の表紙にはぶっきらぼうなポストイット。「自分の中にこんなにたくさん家族の思い出があったのかと驚きました。お父さんも子供の頃のことなど回想しながら、ぜひ読んでみてください。いい話でした。」いつもぶっきらぼうな娘なので、ポストイットには精一杯の愛を込めて……。

2005-08-12

母からもらった価値観

日航機墜落事故、あれからもう20年も経ったのか……と思う。引き算すると、私が9歳、小学4年生の時のことだ。あの事故があって程なく、だから夏休みのことだったと思うけど、小学生だった私と兄はいつも通りとてもささいなことで口ゲンカをした。そして、私が母のところへ泣きつきに行ったときのこと。

「けんちゃんが“死ね”って言ったぁー、びぇー」とか何とか、兄の悪事を言いつけにいったのだったか。具体的なケンカの原因は憶えていないし母がどんな言葉をかけたのかもはっきりとは憶えていない。ただ、その時母に言われたことが、今の私の一部、それも相当に大切な部分を育んだのは間違いない。

その時“死ね”という言葉を兄だけが言ったのか、私も口にしたのかは、これまた憶えていない。母も、兄だけが言ったのだろうが私も口にしたのだろうがそんなことは大した問題じゃないといったふうに兄と私の双方を叱ったので、余計に記憶が曖昧だ。とにかく母は、ケンカの原因はさておき、金輪際一切のその言葉の使用(「死ぬ」を命令形で使うこと)を厳しく禁じたのだ。

その時の母の、何というか、今私はあなたたちに絶対的に正しいことを教えているという眼差しや姿勢みたいなものが、強く印象に残っている。これはもう絶対に間違いのないことで、生きていく上でとてもとても重要なこと。だから私はこの言葉を母への絶対的な信頼をもって受け止めなくてはならないと、そんなこと子どもの私に言葉にする術はないわけだけど、形にはならないながら「ドスン!」という感じで、そういう想いを受け止めていたのだった。

だから私は、以来兄とケンカしても妹とケンカしてもその言葉を発しなかったし、ケンカしても子どもなりにそこだけは冷静さを保って、「ばか」とか「あほ」とか無難な言葉を選んで口ゲンカした。最近じゃテレビでも街中でもこの言葉が氾濫しているけど、私は今だって冗談でもその言葉を発しない。他の人が口にするそれは、その人なりの使い方を汲んで受け止めるようにしていてあまり気にしないけど、自分の言葉としては決して採用しないでいる。親から学んだ、自分でも大切だと思うことは、とことん大切にしたいと思う。

価値観というのは、そういうふうに親から、身近な環境から身につけていくものなんだな、と思う。身近にいる大切な人から、「誰が何と言おうと、それはそういうものなの!」と有無を言わさず絶対的な眼差しと姿勢でもって注入されるもの。それが言葉として発せられたものであろうと、そうでなかろうと。その大元の価値観がそれぞれの成長過程で、いろんな人やもの、事象と交わりあってその人なりの変容を遂げていく。ただ、さまざまな変容を遂げても、その根幹には始めに注入された大元の価値観がどっしり居座っていることが多く、それを軸にしてポジティブにもネガティブにも着実に育まれていくのだと思う。国と国の歴史の問題とかもそういうところに通じているのだと思う。

実際その時母から学んだことは「死」という言葉の使い方に留まらなかった。軽く発してはならない言葉があるだけでなく、言葉というのはものすごい力をもっていて、その力はプラスにも働くし、使い方を間違えればものすごい凶器にもなる。私なりにさまざまな変容を遂げながら、そういう両面への理解を深めてきたつもり。また日常の何気ない言葉の積み重ねがその人の人となりを形成していくことも、それを起点に考えるようになった。だから、言葉を大切にする。もちろん、自分が発した言葉への後悔はまだまだ日常的にあるけど。

母の言葉とその時の眼差しと姿勢は、今の私の言葉の使い方、言葉とのつきあい方の根幹を成し、それを軸にして私は言葉との関係を人一倍意識して育んできた。20年。それなりの時間だな、と感慨深く思う。

2005-08-07

他の人にしかできないこと

当事者にはできないこと、他の人にしかできないことがある。当たり前のことだけど、「他の人」が主語になることは「他の人」にしかできないのだ。

例えば、ある人が失敗をしてある場所を放り出され、ある場所に舞い戻ってきたとする。そこにいる「他の人」が「彼を温かく受け入れるかどうか」「彼の次の舞台に期待するかどうか」「彼に次のチャンスを与えるかどうか」。その判断はどう頑張ったって「彼」にはできない、主語である「他の人」にしかできないことなのだ。

人は強い生き物でもあるけど、弱い生き物でもある。強いときもあれば、弱いときもあるから、「他の人」が受け入れてくれたり、期待してくれたり、次のチャンスを与えてくれたりすることって、どうしたって必要になるときがあるのだと私は思う。

だからこそ、私はとある「他の人」としてキャリアの転機に立つ人の近くに身を置いて、そういう場面で彼らを受け入れたり、彼らの次の舞台に期待したり、彼らに次のチャンスを与えられるところに自分の仕事場をもっていたいと思う。

今の職場に移ってからもすでに何度かめぐってきた。もしここに私が介在していなかったら、場合によっては彼はこのたった一回の失敗で見放されてしまっていたかもしれない。もしここに私が介在していなかったら、場合によっては彼は弱気になって自暴自棄に陥って自分の道を見失っていたかもしれない。

自分勝手な解釈かもしれないけど、自分がここにいて本当にささやかながらプラスの働きかけをしたことで、形ある一歩を踏み出せた彼らの笑顔に触れたとき、私は心から自分がここにいることの幸いを想う。

私はずっと人のキャリアの転機を職場に選んできた。これからも自分の役割を意識して、でしゃばらず静かに彼らの脇役を務めていけたらいいなと思う。

※文章がわけわからないことになっているかもしれません。すみません...。

2005-08-06

短編と長編の大切なお話

仕事は相変わらず大変で、多種の大物が目の前に立ちはだかっている。大物というのはもちろん自分の受け止めようによるのだけど、とにかく内向き外向きのあれこれを、右脳と左脳と手足をいろいろ動かしながら頑張って形にしているクモみたいな今日この頃である。

しばらくはちょっと大変なことになりそうだなぁということで、お盆明けの週末に泊まりで海に行く計画も断ってしまった。もっと潤いのある生活に改良しなくては!と、数日前誘いがあった時は二つ返事で応えたのだけど、今日時点で早くも「直前になってキャンセルするか」「無理やり行って海辺で仕事のことを考えるか」という暗い二択に怖じ気づく。いずれにしても友だちにとっちゃ迷惑な話にちがいなく、結局早め早めの平和で弱気な決断をするに至った。

愚痴が過ぎたが、そんな日々でも心に響くコトというのはそれはそれでしっかりとあるもので、ここ一週間ほどで出会った二つのお話。短編はアップルコンピュータCEOのスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(翻訳)。話題になっているのですでに読んでいる人も少なくないだろうけど、これは本当に素晴らしいスピーチ。こういう話は折りに触れて読み、何度だって刺激を受けたいので、ここに記録しておく。

ここで言わんとしている3つのことは私も一度は考えたことのあることで、そういう人はたくさんいると思うのだけど、何がすごいってそれをこれまでの自分の人生でもって語れるところがすごい。彼はその大切なことを、自分の体の中に、自分の生活の中に、しっかりと練りこませて生きている。頭の中でそう思っているだけじゃない。だからこその有無を言わさぬ説得力。私もこの3つのことをもっと自分の日常生活の中に練りこませて生きていこうと思う。

長編はリリー・フランキー著「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」。こんな号泣させられる本は久しぶりに読んだ。いや、初めてかもしれない。読んでいる間に昔の記憶がたくさん蘇ってきて、自分がこんなにたくさんの記憶を眠らせていたことに驚かされた。そして、これほどまで泣かせておいて、読後には地に足の着いた骨太な生命力を与えてくれるのがこの本の魅力。家で土曜に読んで正解。もう目がまっかっか。こんな本を薦めてくれる人とのつながりに心から感謝。そんなわけで、私も頑張るとするか、と思う週末の夜更け。

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