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2004-01-01

2004年前半の話(まとめ)

■2004/6/30(wed) お休みの日

結局全然病み上がっていなかった。会社の最寄駅まで行ったところで、この先会社までたどり着けたとしても仕事をできる状態じゃないなぁと悟り、上司に一報を入れてひとまず病院に行くことにした。

一言で表すと頭痛という症状なのだけど、実際痛いわけではない。頭の中身が酸欠になっているような感覚。お鍋のフタのように頭をぱかっと開けられ、脳みそをすくい取られ、真空パックに押し込まれてきっちり封をされ、もとの場所に戻されたような感じ、で辛いのだ。あと喉の痛み。

お医者さんの「あぁ、かなりひどいですねぇ」という一言にノックダウン。風邪関連のお薬を大量にいただいて帰宅。今日は会社を休むことにしてしまった。

■2004/6/29(tue) 早退理由は涙ぽろぽろ

熱が下がったからといって体調不良が終わったということではないのかもしれない。週末の高熱がいきなりのメインディッシュだったなら、今は最後のデザートなのか。それとも、あの高熱はアペタイザーに過ぎなかったというのか。

「調子いい?」「調子悪いの?」どちらを訊かれても「いや、特に」と返してしまいそうな感じで、どうもはっきりしない昨日今日。ただ、週明け月曜は時々咳が出る程度だったのに、今日は朝から不健康な声。今思えば、呼吸器系から消化器系もどうも落ち着かない様子で始終そわそわしていた。頭もぼーっと。

熱みたいにわかりやすくないと、自分でも自分の体調を把握できなくて困る。そんな私に業を煮やしたのか、夕方少しパソコンから目を離して目の前の同僚と話をしていたら、急に私の目から涙が出てきた。「なんだ?なんだ?」と自分でも驚いた。「いやいや、全然普通の会話だし、泣くところじゃないよ」とさすがの私も思わず突っ込んだ。それも、うっすらにじんでくるタイプではなく、ぽろぽろ落ちてくる大粒タイプ。場違いも甚だしい。

とりあえず、「全然訳がわからない」とか言いながら口で笑いつつ目が泣いている人間を目の当たりにしている同僚もさぞコワイ思いだろうと、席を立ってお手洗いに行ってみることにする。すると、戻ってきた時にはうちの島中、上司のところまで私のおかしさが知れ渡っていた。

それで定時まで1時間半ほどの勤務時間とてんこもりの仕事を残し、すぐさま早退することになった。なんとも訳わからない理由で。「おかしい」けど「痛い」わけではないので、帰る時も苦笑いで「どうもすみません」などと言いながら恐縮の塊を背負って失礼する。どうなんだろう、私。どうなんだろう、社会人として。とりあえずしっかり眠って明日普通の人間になって出勤するほかない。

しかし、早々床についても止まらぬ咳とむわぁんとした暑さが私の眠りの邪魔をする。それで、むくっと起きてこれを書いた次第。もう寝よう・・・。

■2004/6/27(sun) 病み上がりのお散歩

本当に熱が下がった。朝7時、すっきりとした目覚め。体温は36.1度。24時間のうちに3度上がって2.5度下がった。昨晩、汗をかきかき何度か起き上がっては顔を洗ってうがいをして着替えをして水をごくり。これを繰り返したのが良かったのか。とりあえず、明日からの仕事には支障なさそうでほっとした。

さて、今日をどうやって過ごそうか。さすがにプールに行くのはまずそうだし、ゴミゴミした街中に繰り出す気にもなれない。といって、家で安静にして一日を過ごすには身体が快復しすぎている。ということで、ちょっとだけ厚着をして近所をふらふらすることに。

ひとまず近所のコーヒーやさんに入り、食事をとりながら読みかけの本の残り数十ページを一気に読む。感動ものなので、ずびずび泣く。奥の奥の方の席だったので、たぶん周囲にはばれていなかったと思うが、病み上がりの鼻調もあいまってややうるさい客だった。

本を読み終えて目も乾いてきたところで、「そうだ、本屋さんに行こう!」と思い立つ。今時にしては湿気のないこざっぱりとした空気に触れながら、3駅分くらいをのんびり散歩して目的地にたどり着く。一歩足を踏み入れると、久々に時間を気にせずゆっくりじっくりと多種の本を堪能。

今日はなんとなく、文庫本や雑誌を買うというより、仕事関連の書籍を買って読みたい感じがする。そこで、本棚の中を2時間ほどぶらぶらした末にキャリアカウンセリングの本を購入。本屋さんを後にして、その近くのコーヒーやさんに入ると、早速新しい本を開いた。実践的な内容が充実しているので勉強になる。そこでも2時間ほどの開放的な時間が流れる。

しかし、病み上がりで外出をするとやっぱり疲れる。コーヒーやさんのクーラーに頭痛を感じ始め、これはまずい!と席を立って帰途につく。今晩は、明日に備えて早々寝るに限ると思い、すぐさま就寝。しかし、結局朝を迎えるまでに何度も目が覚めてしまって今に至る。18時に床についたのがいけなかったのか?病み上がりの私は扱いが難しい。

■2004/6/26(sat) 体温38.6度

今朝「喉が痛いなぁ」と思って体温を測った時は35.6度。半日のうちにまるまる3度上昇して、今日の体温は記録的な熱さとなりました。

明日までに治さねば一週間を乗り切っていけない。私はたぶん熱に強い方で、「38度を超えるとふらふらで歩けない」とかいうことはない。とはいえ、さすがに辛い。とにかく薬を飲んで布団をかぶって汗をかいて眠るに限る。これから第2ラウンドの眠りへ。

というわけで、猛熱は今日までで、明日は過ごしやすい一日になるでしょう。

■2004/6/25(fri) あっ

という間に6月も終わり。しばらく落ち着いて「話」をしたためる時間も持てず、ここまでやってきてしまった。仕事もなんだか忙しくて、といってもそう真夜中までガリガリやっているわけではないのだけど、頭のフル回転具合でいうと、かなり全力疾走の日々が続いている。1週間がものすごいスピードで過ぎ去っていく気がしてならない。

今年も気づけば半年経ってしまった。それでもただ流されてここまで来てしまった感はない。相変わらずの亀速度ながら、それなりに自分を見つめながらやってこられたかなぁという気がする。中でも、この一月ほどで、自分の方向性に関する考え方に広がりが出てきたのは大きな変化だと思う。

これまでは「このキャリア支援スキル強化期間を終えたら教育事業に戻ろう、戻りたい」とひたすら思っていた。自分はそう思っていると信じて疑わなかったのだと思う。でも、ここ数週間で「別に教育に固執しなくてもいいかな」という気持ちが強くなってきた。

私は「教育」を軸に仕事をしたいのではなく、「キャリア支援」を軸に仕事をしたいのかもしれない。そちらに軸足を置き換えた方が、より自分に合った仕事の領域に近づいていけるのではないかと、最近はそんな風に感じている。

こう思うようになったのは、もちろん現在の仕事の影響もあるだろうし、これまでのキャリアカウンセリングの勉強や、先日キャリアカウンセラーとして協会に登録したこと、最近会っておしゃべりした人との会話の中から見えてきたもの、様々にある。そういう物事や人々との関わりに心から感謝したいと思う。

まぁ、教育もキャリア支援の一環だし、そもそもキャリア支援という言葉自体、範囲の広いもの。私の今後がどう方向付けられたかというと別段何も進んでいないし、今回の感覚もまた一時的なものかもしれない。それでも、今の自分がどこに軸足を置いて生きていきたいと思っているのか、そこに意識を働かせて過ごすことは大切にしていきたいと思う。

この一年で、今後について何か見えてくるものがあるんじゃないかなぁって、実は漠然と思っていただけだったけれど、気にかけていると本当に何らかの気づきや、こうしてみようかなってことが巡ってきたりする。今後もそんな思いをぶらさげながら、少しずつ自分の進みたい方向に前進していけたらいいなと思う(なんか、下の「話」と文章の結び方が似てるけど・・・)。

■2004/6/6(sun) 梅雨入り

最近は出勤前の「朝プール」が定着してきた。前夜眠れる時は23時前に床についたりする。そうすると朝5時半にはぱちっと目が覚め、6時までうだうだしたとしても、8時には楽々プールサイドに立つことができる。なんとなくそうしたい日には、「朝7時コーヒーやさんにて朝食オプション」も組み込んでみる。これをした日は、それだけでたいそう贅沢に一日を過ごした気分になれる。

その後の仕事や、同僚との関わりも日々濃密になっている感がある今日この頃。集中して仕事に取り組み、昼休みと夕方に同僚とのおしゃべりを楽しみ、どっと疲れてあっという間に一日が過ぎ去っていく。週の中のある一日には、夜に会食なども入り、げらげら笑い転げたり、ゆるりと話し込んだり。そうこうしているうち、やはりあっという間に一週間が走り去っていく。週末がやってくればやってきたで、運動、読書、洗濯、掃除、昼寝、買い物・・・なんてことをしていると、あっという間に日曜の夜、月曜の朝、6月突入、梅雨入り・・・。

そんな日々ではあるけれど、いつでもほんのちょっとだけ先を見据えて時の風に乗っていけたらと思う。長期的な大目標は掲げられない私だけど、いつも半年くらい先のことを視野に入れながら、その時吹く風に無理にはむかったりもせず、よい風を快く感じながら自分の足で歩いていけたら幸せだと思う。

■2004/5/20(thu) 「いろいろあるものねぇ」と母

思えば、4月初旬の引越し以来初めて、実家に電話をした。母にCDA資格取得の報告をしたのだ。母は「そうなるとどうなるの?仕事がもらえるの?」とすぐ形を求める。そういう話もないわけじゃないけど、私にとってはそういうものじゃないのだ!と、昨日の「話」のようなことを切々と語る。「あ、そう、じゃあハローワークとかで雇ってもらえるのかしら?」って全然伝わっていない・・・。

それはさておき、という感じで、母は「こっちもいろいろあるのよ」と言う。良い話か悪い話か言わないので、どきどきしながら次を待つ。一つ目は私のいとこの結婚だった。ほっ。さほど親しいつきあいをしてきたわけではないけれど、昔一緒に遊んだ思い出はある。全然会っていない割に、昨年他のいとこの結婚式で会った時妙にフレンドリーだったのは、「自分も幸せいっぱい!」のおすそ分けだったのか・・・?ちなみに、身内初の出来ちゃった結婚だそうだ。

二つ目。父がこの度出向先の子会社で社長になるという。これまで副社長を務めていたということも初めて知ったが・・・。「あなたも社長の娘よ」と母。「あら、お母さんこそ社長夫人じゃないですか」と私。と言っても、さすがにこの歳になると、社長と聞けばその責任や負荷の大きさばかりが気になってしまうので、身内の私としては内心とても気がかり。でも、今度実家に帰ってしっかりお祝いをしてこようと思う。

で、最後にきたのがよくない話。昨日我が家に郵便が届き、それが○○研究会からの強迫めいた内容だったと言う。すでに父が警察にもっていっているそうだが。どうも、多くの人に手紙をばらまいてひっかかった人に的を絞って強迫するタイプのものに思われる。銀行の振込先が記されているので、警察でその辺りから調べがつくのだろうか?とにかくその辺りの細かいところは警察任せにするのが一番だと思う。母には冷静にそんな話をして電話を切った。

が、床についた辺りから一気に悲しさと憤りの思いが溢れ出した。そういう手紙を自分のものとして受け取った人の心の痛みはとても深いものだと思う。そういうことのある世界に生きていることを実感し、父と母が今そういう痛みを負っているのだと思うと、本当に苦しくなって、しばらく眠れなくなってしまった。

まとめようがない話だけれど、私たちは「いろいろある」世の中に生きているのだなぁということ。やっぱりまとまってない・・・。

■2004/5/19(wed) Career Development Adviser 資格取得

2003/8/8に書いた話「無言実行女」で触れたように、私は「公言したのに実現できなかったら辛い」という弱虫な理由から、有言実行というのを好んでやらない傾向にあります。それで、この件もこれまでずっと黙っていたわけですが、やりました!本日、日本キャリア開発協会より「厚生労働省キャリア・コンサルタント能力評価試験CDA資格認定」の合格通知が届きました!

っていうか何それ・・・って感じだと思うのですが、とにかく合格はめでたい!それは一人暮らしでも、思わず声を上げて手も万歳させて喜んでしまうおめでたさなのであります。たかが資格、されど資格、それでもやっぱり資格は資格にすぎないわけですが、それでもやっぱり合格は嬉しいものなので、今日はたっぷり喜びをかみしめます。明日もきっと引きずってしまいます。

この資格は、最近よく耳にするようになった「キャリアカウンセラー」の資格の一つです。実は昨年の7月末くらいから3ヶ月間の通信教育と1ヶ月間くらいの週末通学をしていました。そして、今年2月に1次の筆記試験を受け、4月に2次の面接&実技試験を受けました。この半年以上のあれこれを「だって、落ちたら恥ずかしいんだもん」という理由から、あまり公にしていませんでした・・・。情けない。でも、一応人知れず勉強をしていたわけであります。

さすがに実技のロールプレイはマズかったんでないかという感触だったのですが、なんと合格証明書には「評価レベル:A」と記されているではありませんか!ちなみに「A:大変良い B:良い C:普通 D:不十分 E:全く出来ていない」の5段階評価ですよ。さらに、この資格試験は回を重ねるごとにどんどん合格率が落ちてきていて、今回は一次で73.4%、二次で76.0%、通しての合格率は55%くらいです。スゴイ、スゴーイ。自画自賛。やや寒・・・。

少し真面目な話もすると、昨年の夏あたりからこの1年はキャリア支援スキルの強化期間にしようということで、どうせやるなら実務・理論の両面から集中的に吸収しようと考えたわけです。それで、そういう仕事に就き、そういう勉強をする環境を整えました。そして、目標達成の一つの目安として資格取得があったわけです。とはいえ、別段資格を取得したからといって、「今日から私はキャリアカウンセラー」なんて恐ろしいことは口が裂けても言いたくないわけですが、今後もこれまでに吸収したことを実践で活かしながら、引き続き実りあるキャリア支援強化期間を過ごしたいなぁと思っています。

最後にキャリアカウンセラーについて補足しておくと、この協会のパンフレットの言葉を借りれば「新たな世紀を迎え、日本では産業構造の変化や急速な少子高齢化の進展を背景に、人々の職業観が大きく変化しています。勤労者と企業の双方において自律的なキャリア選択が求められるようになってきました。こういった環境変化のなかで、人々の生涯にわたるキャリア開発を支援するのがキャリアカウンセラーの役割と考えております。」と、私も考えております・・・。以後、お見知りおきを。

■2004/5/16(sun) しとしと休日

今日は一日中雨が降っていた。風もなく、雨はただ空から地面にしとしと歩いているようだった。そんな中、私は時間を持て余し、文庫本をもって散歩に出かけた。東へとことこ、北へてくてく、南へのろのろ。宛てもなく適当に歩いて適当に迷子にもなり適当な発見をした。南の辺りで、体も冷え足も疲れてきたので、コーヒーやさんに入った。そうして、読みかけの文庫本を開き、のんびり読書をした。GW中に買ったよしもとばなな本をすべて読み終えた。また今度買いに出かけよう。次は何を読もうかな。帰り道、1週間分の晩ごはんとなる野菜を買って帰宅。野菜たっぷりスープを食べた。そんな休日だった。

■2004/5/15(sat) しぶとい神経

あの痛みから一週間。今週末も歯医者さんである。先週ある歯に注入した薬が、この一週間でその歯の神経を永眠させることになっている。一週間後の本日は、その毒薬が歯の下まで染み込んでいかないように取り除く作業をするそうなのだが、昨日冷たい水がその辺りで染みたのはどういうことだろう。神経、本当におなくなりになっているんだろうか。一抹の不安を抱きながら、てくてく歩いて近所の歯医者さんに向かう。

やってきて顔を合わせるや否や、院長先生が「痛かった?」と訊く。先週末の痛みを思い出し、そりゃーもう!と苦笑い。そして早速様子をみていただくのだが、やっぱり痛い、痛みを感じるのだ。うーん、嫌な予感。

「しぶといなぁ」ともらす先生の説明に耳を傾けると、普通の人が3本もっているところ、私の歯はなぜか4本神経をもっているとのこと。そして、あの毒薬は最も過敏な上層の1本目しか殺していないのだそうで、その下にまだ3本の生き残りがあるとのことだった。それで結局、生まれて初めて歯の神経を抜くことになってしまった・・・。

子どもの頃歯医者さんに行くと、「痛かったら言ってくださいねぇ」と言われ、(口を開きながら痛い!なんて言えない)と誰だって頭の中で突っ込んだことがあるはず。最近の歯医者さんはその辺がわかってきたのか、先生は自分の腕をつかませておいて、「痛くなったら強く握ること!」という方法をとってくれる。しかし、これってあまりオトナな患者さんには使えない方法かも?オトナな皆さん、歯医者さんにどういう方法で痛みを伝えるよう言われているんでしょうか。ちょっと疑問。

私の場合、28歳ながら、そうは見えない気の抜けた格好で通院していたことも手伝ってか、随分下に見積もってくれていたのかもしれない。まぁカルテをみているだろうけれど。とにかく子どもを扱うように丁寧にゆっくりと治療いただき、確かに痛かったけれど激痛は走らなかった。治療を終えると、先生は「おりこうさんでした!」と言って私の頭をイイコイイコした。私何歳だっけ・・・?とりあえず、子ども扱いでも何でも痛みが少ないに越したことはない。痛みこそが天敵だ。このまま気の抜けた格好で通院しようと心に決める私だった。

■2004/5/11(tue) 予知感覚

我が家にはサボテンがいる。デン!という感じでいる。なので、引越しが落ち着いた頃に、もう一つ繊細な感じの植物をおきたいなぁと思っていた。ただ、引越しはもうすっかり落ち着いたというのに、「どうも今じゃないんだよねぇ」という感じがして、なんとなく新しいのを迎えることなく数週間を過ごしてきた。

そうしたら、昨日植物専門家の同僚が、私の家に置く植物を仕入れておいたと、にんまり笑って言った。私から特に頼んでおいたのでもないのに、彼女は私のおうち用に友人から鉢をもらってきてくれたと言う。私の植物熱を感じて、良いのを仕入れてくれたらしいのだ。

それを聞いて、私は「あぁ、これだったのかぁ」と思った。こういうめぐり合わせが待っていたから私は植物を買おうという気がおきなかったのだと、妙に一人で納得してしまった。「私の感覚が研ぎ澄まされている」なんてたいそうなことではない。単に私が最近こういう思考にどっぷり浸かっているというだけだ。それでも、見方をいかようにも変えられるのなら、そんなふうに見た方が世界も人生も面白くなる。だから、これでいいのだ。

彼女は今月中にもうちに遊びにくる予定、その時にその鉢も連れてきてくれるという。どんな顔をしているのだろう、今からとても楽しみで、わくわくする。

■2004/5/10(mon) 菅さんの辞任

民主党の菅代表が辞任を表明した両院議員懇談会の冒頭あいさつ。彼は「年金未加入問題で国民とわが党の皆さんに不信感を高める結果となり」と発言したようだけど、国民が彼に対して抱いたのは、不信感ではなく嫌悪感ではなかったか。

国民年金を納めていない人なんて、実際そこら中にあふれている。自分自身はしっかり払っている人でも、未納やら未加入やらしている人の免疫はもっている人が大半だろう。それを聞いて違法とか犯罪に感じたり、その人に対して不信感を抱くことは稀だと思う。国会議員は全ての期間納めなくてはならなくて、フリーターならしょうがないといった道理はないだろう。福田官房長官を思うと、年金を払っていないだけで辞任というのはどうなんだろうと思う。たとえ年金を払っていない期間があったとしても有能な政治家だったら私は続けてほしいと思うし、年金の未納期間や未加入期間があることがそのまま辞任につながるという論理はどうも腑に落ちない。ただの個人的な見解だけど。

菅さんが民主党の代表を辞任するに至った要因は、未納3兄弟だとかあれだけ叩いておいて自分も未加入?!ということでもなくて、それでも「恥ずかしいことをしました、ごめんなさい」と言えない人としての弱さではないかと思う。国民の不信感ではなく、「なんか、やな感じ」という嫌悪感が招いた結末ではなかったか。まぁ冒頭あいさつもいろいろあっての発言なのだろうけれども。

ただ、菅さんに対しては日頃から「与党を叩いてばかりで、いつも与党ありき」という印象を持っていた。与党が自分になったらこの人に何ができるんだろうという疑問が常につきまとうのだ。もう少し視野を広くすれば、戦う相手が小泉さんじゃないことなんて当たり前のことだし、国民のために何ができるかを形にするのが彼の役目だと思うのに、そういう本来的な目的を見据えて動いている感じの一切しないところが、実は今回の辞任の根っこにあると思う。

なんて、実は全然政治のことには疎いのに、なんとなーくで書いてしまった。

こんなことを書くきっかけになったのは、今日、私の上司が話してくれた「仕事をするときの約束事」を聞いていて。「当たり前のことだけど、実際常に意識して守り抜くのはなかなか難しい」ような約束事が10個くらいテキストにまとめてあって、非常に勉強になった。その最後の項目が「チームで成功する」というもの。私たちは、誰かを糾弾するために仕事をしているわけではなく、チームで目的を実現するために仕事をしている。その話を聞いている時、私の頭にふと菅さんの顔が浮かんだのだ。菅さんにもこんなことを言ってくれる上司がいてくれたら良かったのになぁと思った。かなり大きなお世話だと思うけど。

■2004/5/9(sun) 貧乏姉さま、金持ち妹子(仮名)

GW最終日に購入した冷蔵庫と炊飯器が我が家にやって来た。昨日彼ら用に買っておいた無印良品のラグマットの上、既にしっかり働いてくれている。

自称金持ちの妹が引越しの餞別にお米を送ってくれていたので、それで早速ご飯を炊く姉。炊飯器をセットしてから近所のスーパーに出かけ、野菜や調味料を買い込む。スーパーとも呼びがたい個人商店のため、品揃えが少なく一人暮らしに優しい詰め方をされた野菜も見かけない。すべて「一人暮らしなら1週間食べ続けなさい」といった感じ。

覚悟を決めて、炒め物用に野菜と調味料、サラダ油をカゴへ。そうそう、これは欠かせない!大根おろし用に、大根としらす干し、あとしょう油。あぁ満足。これでもう何もいらないや。レジに向かいお会計。

狭い台所で、久しぶりに一応料理をする。適当に切って炒めて、適当におろしてかけるだけの男の料理。しかし、炊飯器が私の女房役を務めてくれる。部屋中をあったかいご飯の匂いが包み込んでいる。これでもう十分。ひとりご飯を味わっていただく。あぁ、質素な幸せ。

食べ終えて、洗い物も終える頃、「今日は母の日!」とふいに思い出す。引越し以来まったく連絡をとっていなかったので、近況報告も兼ねて父と母と妹の携帯に一斉にメールを入れる。「今頃サザエさん?こちらは冷蔵庫と炊飯器を買って、妹子のくれたお米でご飯を炊いて、あれとこれを料理して、自炊生活を始めました。この近況報告をもって母の日のお礼の挨拶とかえさせていただきます・・・ってダメかしら」的内容を送った。我ながらなんてダメな娘なんだろう。来月までにはいったん実家に帰って母&父の日をしよっと。

すると、送信から10分かそこらで父からメールが入った。以下、全文引用。「私たちは今サザエさんをみることが出来ません。なぜなら妹子主催の父母の日お食事会を開催中なのです。ねぇさまも感謝の気持ちを形にした方がいいのでは?うまいぞ!ステーキは!!」※注:ステーキの写メール付き。

■2004/5/8(sat) 歯医者さん

「僕を恨まないでね」
「は、はい・・・?」
「神経が死ぬくらいの強い薬だからそれなりに痛むだろうけど、頑張って!」
「じ、、自業自得ですから、頑張ります」
「うむ」

土曜の昼下がり、近所の歯医者さんにて。昨日の朝からずっと歯が痛かったので、これはまずいと思って今日早速歯医者さんに行ってきたのだ。前に歯医者さんに通ったのは恵比寿勤務時代(あの、トイレに閉じ込められ警察に救出された事件現場)。当時からは、もう職場も住まいも変わってしまったので、今回は近所の歯医者さんをネットで調べて、新しいところを訪ねた。

院長先生に診ていただいたところ、「これは神経を抜かないとダメだ」と言う。そう言った後で「神経を抜かなくていい方法が一つある」と、自慢の秘密兵器を紹介するかのように先生が切り出した。そりゃもう、興味津々で「それは何ですか!」と尋ねる私。今考えると、妙に先生の筋書きにはまっている気もするが。「虫歯でもう半分神経が死んでいる状態だから、抜かなくても薬で完全にその神経を殺してしまう方法もある」そう言って先生は私に選択を迫った。そう言われちゃ、「神経抜く」なんて大それたことをして苦しむより、1週間くらい薬をつけて待機の方が断然いいでしょう!と素直に思う。即決で薬を選択。

それで、そのような処置をしていただいたところで、冒頭の会話なのである。そして「鎮痛剤出しとくからね」「ありがとうございます」って(え、鎮痛剤?)、「個人差があるから何ともいえないけど、これから6時間くらいで強い痛みは治まると思うから」「はい」って(え、6時間?強い痛み?)。ここにきてやっと薬でも痛みがしっかりあることを認識。「とりあえず今1錠飲んで、もし痛みが止まらなかったら、30分あけてもう1錠飲んで。1日6錠までは飲んでいいよ。10錠出しておくから。まぁ2錠飲めば大丈夫だと思うけど」「ありがとうございます」漠然とした不安を抱えながら帰途につく。

・・・って、2錠じゃ全然効かないよ。3錠飲んでも変化ないよ。痛い、痛いよ。帰宅後はずっとベッドに横になって目を閉じ、ひたすらもがく。もがき続ける。うぅ、うぅ、とうめき続ける。何もする気になれず、何を考える気にもなれない。痛すぎて眠りにつくこともできない。といって涙がこぼれるわけでもなく、何の発散の術もないまま、ただひたすら痛い思いだけがのしかかってくる。「うー、自業自得ですから頑張ります、自業自得ですから頑張ります」復唱、復唱。

そして、ようやく22時を迎え、峠を越した。自業自得ですから頑張りました。

■2004/5/7(fri) 21時半集合

今日は仕事の後に前々職の同僚と会った。前回会ったのが昨年の夏だったから、あれからゆうに半年以上の月日が経ってしまったということか、と驚く。多忙極める中の大脱出で21時半集合。それでもお互い都内に住まいを移していたので、0時近くまで心置きなく積もり積もったおしゃべりを楽しむことができた。

懐かしい顔に再会してなんだかほっとして、仕事の話、健康の話、私のドジ話、とにかくたくさんしゃべった気がする。加えて、受け取ってくれる宛てもなくなんとなく私の中に浮かんでいた重たい気体のようなものが、この時間に言葉という固体に変化し、一気に外にはき出されたような感覚。そんなすがすがしさを感じながら帰途につく。満足、満足。都民って素晴らしい。

■2004/5/5(wed) GW最終日のメモ書き

真夜中、ぱちりと目が覚めた。直前まで怖い夢を見ていた。絶対「アムリタ」のせいだと思う。「アムリタ」を読んだ日は必ず怖い夢をみるのだ。本を読んでいる以外の読者の時間まで侵食してくる本を書けるなんてスゴイなぁと感心してしまうけれど、怖い思いをするのはやはりつらい。私は怖がりなのだ。これがいやで眠る前には読まないようにしたのに、意味なかった・・・。

翌朝目が覚めると早々にジムへ行った。今日は明日の職場復帰に備えて日中活発に動くと決めたのだ。その後ビックカメラに行き、悩んだ末に冷蔵庫と炊飯器を購入。炊飯器はどれを買うかに悩んだけれど、冷蔵庫は買うかどうかに悩んだ。冷蔵庫を買ったらもう後戻りできないんじゃないかという不安。全くわけがわからないだろうけれど、私はこの大きな不安に頭を抱えこんでいた。冷蔵庫を買うことは、私にとって今の自分を受け入れること、今の現実を受け入れることに他ならなかった。で、買えずにいたのだと今日気づいた。

それはいいとして、とにかくうんうん悩んだ結果、よし!と決めてとうとう冷蔵庫と炊飯器を買ったのだ。週末配送してもらうよう手続きをして、しばらく時間が経過したら、自分の中で何かが少し吹っ切れた気がした。良かったのだ。

その後あちこち寄り道しておうちに戻ると、今度は台所用品を買いにスーパーに出かけた。近所に台所用品を一気に揃えられるようなお店がないので、ちょっと離れたところにあるディスカウントストアまで、20分ほど歩いて行った。

お店の前に到着したところで、学生時代の先輩に会った。もう何年も会っていなかったのになぜ今ここで?偶然か必然か。先輩は1歳ちょっとになる息子さんを乗せたベビーカーをひいてパパをしていた。パパをしている彼を見るのは初めてだったのにあまりに違和感がなく、最初に出会った頃から一児の父だったような感じで、その姿を受け入れている自分がいた。パパと少しお話をして、赤ちゃんと微笑みあって、その後1F、2Fに分かれて買い物をした。

まな板とかフライパンとかざるとかボールとか米びつとか菜ばしとかしゃもじとか計量カップとかクレラップとか、いろいろ買った。両手にごつごつした大きな袋をぶら下げて店を出た。帰り道をてくてく歩いていたら、今日のことやここしばらくのいろんなことが丸まって一気に自分の中に吸収されていった。それと反比例するように、私の中ではどんどん気持ちが軽くなっていくのを感じた。

昔当たり前に意識化して吸収してきたもの、最近当たり前のように無意識化して押しつぶしてきたものが、「今」を境にまた当たり前のように私の意識の中に入りこみ、私の内側をどんどん膨らませようとしていた。自分の原点に返ろうとしている力が働いていた。あまりに抽象的で、自分にも何が起こっているのかよくわからないのだけれど、しばらくこれをもう一度大切に育んでいきたい感じ。そうしたら、そのうち私という人間のどこかに何かが具現化されるのかもしれない感じ。こりゃ、かなりわけわかんない感じ。だから、メモ書き。

■2004/5/4(tue) 空間を割るもの

私は土日だろうと連休だろうと、「朝起きて夜寝る」サイクルを崩さず生活する方なのだけど、なぜだか今回はものすごく崩れている。この連休は、今が朝なのか昼なのか夕方なのか夜なのか夜中なのか、把握しないで過ごしている時間が異様に長い気がする。

世の中はゴールデンウィーク真っ盛りだというのに、私はちょっと体調を崩してしまって昨晩の予定もキャンセル、一層貧相な黄金週間となった。せっかく久しぶりに学生時代の仲間と会えるチャンスだったのに。結局、一昨日ばかりでなく、昨日も今日もこの連休中ずっと「ばななの日」になっている。

こちらの進捗状況は、「キッチン」の次に「ハネムーン」を読了し、現在は「アムリタ」。上巻を読み終えて、今は下巻に入ったところ。この「アムリタ」にやられている。相性の良い作家だけに、知らず知らずその世界観にはまりこんでしまっているらしい。他に何もしない状態であまり集中して長く読み続けると、その決して快活とはいえない作品世界に入りすぎて、自分や自分の周辺の空間がちょっとおかしくなってくる。

閉め切った無音の部屋で本を開いていると、「このままいくとマズイ」という妙な危機感がわいてくる。この部屋丸ごとこの作品世界に飲み込まれてしまうような恐怖感に襲われる。それで、窓を開けて風を通してみたり、ラジオをONにしてみたり、空間が外気に触れ、空気がこもらないように気をつかう。

ちなみに、ここでCDでは負ける気がした。音楽を流すだけでは軽く飲み込まれてしまう。もっと生々しい生命力をもってこの空間を割って入ってこられるものでないとダメだと思う。それにはどうしても人の話し声が必要だった。それを発するものが、私の部屋には唯一ラジオしかないことに愕然とした。貴重。

こういう自分と空間のあり方は、一人暮らしのおいしいところでもあり、危険なところでもあると思う。一人暮らしだと誰も救ってくれる人がいない。すべては、窓を開けようとする自分、ラジオをONにしようとする自分にかかっているのだ。それができている自分は、現在のところとても健全なのだろうと思う。

■2004/5/2(sun) ばななの日

朝っぱらからジムに行き、その帰り道に本屋へ立ち寄り。ぶらぶらしていると、そういえば!ずいぶん前から予定のない日1日使って「よしもとばなな」を読みふけろうと思っていたんだっけ、ということを思い出す。そういえば!誕生日のお祝いにと会社の社員会から図書券1000円分を頂いていたんだっけ、ということも思い出す。そして、私は今さして明確な目的もなく本屋にいて、そこで2つの「そういえば!」に出会っている。かつ今日は完全に暇人。これは今日決行するしかないなぁということで、一目散に文庫売り場に向かう。

いくつかの出版社を行き来して、「よしもとばなな」を探す。一般の書籍の類はたいてい著者ごとにまとめられているのに、どうして文庫本は出版社ごとにまとめられているのだろう?素朴な疑問。とりあえず角川文庫の「キッチン」「アムリタ(上)」、中公文庫の「ハネムーン」「ハチ公の最後の恋人」を買ってみる。これだけあれば、もうどっぷり「ばななの日」だ。これだけ買って、しめて2000円弱。図書券を使うとたったの900円強。な、なんて素晴らしい。庶民の味方、ビバ!文庫本。

意気揚々と自宅近くまで戻り、近所のカフェでお昼の1時過ぎから1冊目の「キッチン」を読み始める。読んで、読んで、読んで、どっぷり、たっぷりとその世界観を味わう。私はもともと読むのが遅く、間に別の用を入れることなく一つの作品を読破することがあまりない。一気にそれを読みきるというのは、なんとも幸せなことだなぁと思う。

読み終えて、私は本当に彼女の作品と相性がいいと確信に至る。彼女の作品は世界25ケ国で愛されているとはいうけれど、それでも会社には彼女の作品を苦手とする人もいた。そうなると、私のこの満たされた感は、やっぱり相性の良さもあるのだと思う。私に出会ってくれてありがとうって思う。

その後続けて2冊、3冊と満喫したのかといえば、まったく手が出なかった。読むのが遅い私でも、3時半頃には1冊目を読み終えていたし、その先に行こうと思えば時間的余裕はいくらでもあった。でも、「キッチン」1冊でいっぱいだった。一つのストーリーで胸がいっぱいだった。新しい物語を上塗りすることをしたくなかったのだ。せめて今日一日は。

というわけで、「ばななの日」とはいっても、彼女の作品を何冊も読みふける日という当初思い描いていた一日にはならなかった。ただ、当初思い描いていた以上の豊かな気持ちに満たされて一日を過ごした。結局、名づけるなら「よく眠った一日」になってしまったのだけど、夢の中までしっかり「ばななの日」だった。なぜだろう、「本を読んだ日にはしっかりとした夢をみる」ものだ。それもまた余韻というのだろうか。

■2004/5/1(sat) 近所を散策

実家の近所に住む友人が遊びにきた。以前からゆっくり散策を楽しもうと話していたのだが、それを実現する前に私が引越しをしてしまったため、私が新しく住み始めた街でそれをすることにしたのだ。

うちの近所には大きな公園のようなところがあって、そこに生きる木々は何十年、何百年と上へ横へすくすく伸びている。幹がどっしりしていて、てっぺんは果てしなく遠い。圧倒される存在感。それがずらーっと並んでいる。

鯉や亀、カルガモのカップルが気持ちよさそうに泳ぐ池のほとりで、すわり心地の良さそうな石の上に腰かけておしゃべりを楽しんだり、ぽかぽかの陽気の中、まっさらな空の下で芝生の上に座り込んで、ただぼーっとしてみたり。

そんなことをしていると、まだ歩き始めたばかりのちっこいコがやってきて、私の目の前で花を摘むと、にっこり笑ってそれをくれたりして。「ありがとう」って言うと、またご両親を引き連れてどこかに駆けていったりして。

こういう何でもないような時間の中、私はやっぱり自然に触れ、人に触れて、元気をもらっているんだなぁと感じる。そういう触れ合いなしに、元気でいることはできないのだな、と思う。そういうものに実はものすごく救われているんだということを知っていないといけないよね、と思った。

■2004/4/29(thu) 穏やかな休日

今月初旬の引越し以来、なんだかんだと予定が入っていて、休日を終日一人でのんびり過ごすというのは、今日が初めてだった気がする。

昨晩中途で入社した同僚の歓迎会で深夜に帰宅、目覚ましをかけずに床に着いた。そして今朝は10時起きのお気楽な目覚め。むくっと身体を起こすと、ラジオをONにする。のそのそ洗濯やら小掃除やらをしてみる。ラジオをふむふむ聴いているうち洗濯機が仕事を終え、私を呼ぶ。洗濯物を外に干そうと一歩外に出ると、ぽかぽかの陽気。サボテンも喜んでいる。

洗濯物とサボテンが日光浴している間、私は近所のコーヒーやさんで冷房に震えながら本を2冊読む。上司がうちのチームメンバー全員に貸し出して読ませているマンガ本だ。ものすごく切ないお話で、3巻でその山場を迎えるそうなのだが、私はまだ2巻。ほんわかあったかくて心地よい物語だ。

思いきり冷えきった身体で店の外に這い出てくると外界のなんとあたたかいこと。湯船に浸かった瞬間のように、「あぁ、あったかい」と二の腕をすりすり。そろそろ洗濯物もあったまった頃だろうと、ヒールのない靴でぺたぺたと街を歩く。日の光に全身を包まれて幸せな気分になる。なんて穏やかな一日。

部屋に戻ると、一切の雑音がないシーンとした部屋。私にはそれがたいそう心地いい。しばらく無音の世界でぼーっとした後、洗濯物とサボテンを部屋に迎え入れる。風が吹いているからこそ、静かな時間がいとおしい。静かな時間があるからこそ、吹く風も心地いい。そう思った。順番逆?ふとそう思った。

■2004/4/27(tue) 風が吹いてる

今日は風が強かった・・・というのも間違いではないのだけど、そういう話ではなくて、「一週間くらい前から私の周りに風が吹いているのを感じている」という、また超私的見解を述べようと思っている。

学生時代の友人や前職の受講生、前々職でともに働いた方など、しばらくご無沙汰していた人たちから、この時期立て続けに連絡が入った。「春だから」とか「ゴールデンウィーク前だから」とか、あてはめられそうな理由はないでもないのだろうけれど、私はこういうのを「あぁ、今そういう風が吹いているんだ」と思う。

バラバラにあってもおかしくない便りが、なぜかまとまってやってくる。別段、便りの主同士は何の関係も持たないし、引っ越したという連絡も全然できていなかったというのに。こういうのは本当に不思議なことで、私はこういう事象のことを、時間と空間の中で自然発生的に起こる「風」なのだと考える。

そして、私はいつでもそういう風を感知できる人でありたいと思う。そして、その風に乗って届いた便りを大切にしたいと思う。そして、乗るべき風には思い切って自分の身を預け、行くべきときに行くべきところへ向かっていける自分でありたいと思う。風に逆らわず、己に逆らわず、機を逃さずに。

■2004/4/25(sun) つまり、稀な事なので自慢させてください

私の通うフィットネスクラブは、更衣室を出てから螺旋階段を一回り上ったところにプールがある。今日は休日で時間があるので、ジムで30分自転車こぎをしてから一旦更衣室に戻って水着になり、その後プールに向かって螺旋階段をくるくる回り始めた。その時の話である。

泳ぎを終えて階段を下る彼と、これから泳ぐため階段を上る私。二人、螺旋階段の途中ですっとすれ違い、その後も歩を進めて5、6段の距離ができる。

彼「・・・cuse me.」(階段下からかすかに聞こえる)
私(階段を上り続ける)
彼(階段を駆け上がる)「Excuse me.」
私(彼の方を振り返る)
彼「Hi! How are you?」(さわやかに)
私「Fine, thank you.」(条件反射 ※例えFineでなくともFineと答えます)
彼「~~ talk ~~ next time?」(スマイル)
私(必死に解読の末)「No, thank you.」(つられスマイル)
彼「Oh, ~~...」
私(解読をあきらめる)「Good bye.」
彼「Bye.」(階段を下りていく)
私(階段を上がっていく)

何なんだ、いったい。すれ違いざま視界に入ったのなんて、長くとも決して1秒に満たないはず。それも階段の途中で、真正面から視界に捕らえることもできなかったはず(はっ、だから声をかけてしまったのか?)。それも水着を着ていて中肉中背(って女性でも言うのか?)丸出しの私だ(そういう趣味なのかもしれないが)。それものっぺり日本人顔な上にまったくスッピンの私だ(それもそういう趣味なのかもしれないが)。とにかく何なんだ、そのものすごく瞬間的な彼の判断力と行動力は。彼は相当さびしい状況にあるのだろうか。それもここはフィットネスクラブだよ。私にとってフィットネスクラブは「もくもくと運動するところ」だ。彼の行動にはただただ恐れ入ってしまった。

それはそうと、なんで私にこういうふうな声をかけて下さる方はみんな外国人なのだろうか。外国人か、一般の日本的価値観に乗り切れなかった日本人か。ノーマルな日本人というのが、はっきりいってない。つまるところ「もてない」という一言に尽きるのだが、そう言ってしまうと元も子もないわけで。

しかしまぁ、私にもこういうことはあるのである。結構なことじゃないか。例え本線から大幅にずれていようとも。良く言えば私は「マニア受け」するということなのだ(良く言えてるか?)。最近ではその自覚も随分しっかりしたものとなり、まれにこういうことがあると、第一印象「へぇ、この人マニアックだなぁ」と思ってしまう域に達してしまった。まぁそれもいいじゃないか。一般人に受け入れられなかろうと、日本人の血になじまなかろうと、目にとめて下さる方があるだけでありがたいことじゃないか。自信をもって生きていこうじゃないか。

■2004/4/23(fri) つまみ食いのような病

例えていうならその現象は、同僚みんなで小料理やに入り、カウンター前の大皿に盛ってあるお惣菜のあれこれを小皿に取り分けてもらって、みんなでつまんでいる感じ。

ある人はコンコン咳をし、ある人は高熱にうなされ、ある人は転んで怪我を負う。ある時は頭がズキズキし、ある時はお腹がキリキリして、ある時にはめまいのようなフラフラが襲ってくる。ここしばらく私のチーム内でそういうのが大流行している。

そういうのがどういうのかはまだ解明されていない。みんなの症状はバラバラといえばテンでバラバラ。ただ、誰のどの症状もどうも「風邪」という感じではない、というところに大きな共通点がある。

咳をしている人はもう咳を始めて1ヶ月になる。高熱の人は風邪というのでもなく、扁桃腺からやってくるものらしい。最近入社した人は入って間もなく帰り道に自転車で転んで顔や身体に傷を負った。またある人はもともとヘルニアのところを歩いていて転んでしまい、膝をついて全治2週間。転んだ翌日に高熱にうなされた。そして、ある人は現在つわり真っ只中。

これまで平静を保ってきた私も、無意識にみんなの仲間入りをしようと思ったのだろうか、あれこれつまみ食いするように、ズキズキしたり、キリキリしたり、フラフラしたりするようになった次第である。

私たちはいったい何に侵されているのだろう。風邪ではない何か、なんだか調子が悪いという何か。大流行中です。

■2004/4/19(mon) 堂々巡り、脱す

この1週間、我が家の情報源はラジオだけだった。テレビが無いのはいいとしてネットにも接続していなかったので、本当に情報の少ない空間だったのだ。そもそもNTTに連絡をとって本格的に動き出したのが引越し当日の朝だったのもまずかった。引越し後次の週末を迎え、ようやくADSLモデムやら接続ツールを入れたCD-ROMやらが新しい我が家にやってきた。

しかし、私のノートPCにはCD-ROMドライブがついていない。当初は実家に戻って親のノートPCに付いているドライブを使わせてもらおうと思っていたが、ここしばらく予定も立てこんでいて帰れそうもない。もうこの際CD-ROMドライブを買ってしまおうではないか!と思い立った。そして早速この週末に、私はビックカメラに出向いた。このご時世、きっと○千円で売っているはずだ。

しかし、いくらの問題ではなく、このご時世CD-ROMドライブというもの自体売っていないのだそうな。ビックカメラのお兄さんは「時代はDVDですからねぇ」と、かわいそうな子を見るような目で私を見る。で、結局DVD、CDとも読み書きできるという14,000円弱の高価なドライブを購入することになっていた。

しかし、持つべきものはポイントカード。「ポイントあったら使ってください」とレジのお姉さんにお願いすると、「では三千○円です」と返ってきた。そんなに私はポイントを持っていたのか。というわけで、一度出したクレジットカードを返してもらい、現金でお支払い。なんだか得した気分。ルンルン気分で帰宅。

しかし、まだネット接続に至れない。なぜだ。えぇーと、、原点に立ち返ろう。私はネット接続をしたい。ネット接続するためには、CD-ROMに入っている ADSL接続ツールをインストールしなくてはならない。インストールするためにはCD-ROMドライブが必要。で、CD-ROMドライブを買ってきた。 OK、OK。

で、、、CD-ROMドライブを読み込むにはドライバが必要。「ドライバはこのCD-ROMに入っております」・・・いや、だからCD-ROMを使いたいのに使えないからCD-ROMドライブを買ってきたんじゃん!で、「CD-ROMドライブをお持ちでない方はWebサイト上からダウンロードしてください」・・・いや、だからネット接続できないからCD-ROMドライブ買ってきたんじゃん!

私、何やってるんだろう・・・。途方に暮れる。で、本日、「ドライバをダウンロードするくらいだったら会社のPCを使っていいよ」とリーダーが許可してくれたので、会社で私用のメモリカードにダウンロード(会社帰りにビックカメラのお兄さんに頼み込もうと思って持ち歩いていた)。そしてお持ち帰り。今度こそ!

しかし、帰ってみたらなんと私がダウンロードしたのは、ドライバ本体ではなくアップデートプログラムだったことが判明。な、なんてこと・・・。でも、でも、もぉー我慢ならない。今日はどうしたって接続したいぃ、という気にもなりましょう。

そこで、自宅でうんうんと考えた挙句、助けてくれそうな元同僚に突然の電話を入れ、今から会社に行くのでドライバをダウンロードしてくれないかと相談。その足で夜9時過ぎにおじゃました次第。あまりに久々&唐突な電話だったので、彼女は結婚の知らせだと思ったらしい。こんなアホなお願いに快く応えてくれる彼女はなんて温かい人なのだろう。

そして、久しぶりに会社に訪れたので、あれこれいろんな人と再会して話に花を咲かせる。多忙極める学校長の先生とも、深夜の突然訪問だったことが幸いして校長室に入ってゆっくりおしゃべりすることができ、あぁ私はこのためにこんな堂々巡りをしていたのか、とまた超楽観的発想で幸せを感じる。

そして、雨に降られながら帰宅し、やっとこさネット接続できたのが今。何はともあれ、めでたし、めでたし。ただ思いのたけを書きました。だらだらとした文章ですみません・・・。

■2004/4/12(mon) 驚きの後の静けさ

一週間前、引越す部屋の中を確認して本契約する日、私は確かに自宅から巻尺を持参し、部屋の広さや窓の大きさを測った。それに合わせてカーテンを購入しておいた。なのに、いざ掛けてみたらなぜにカーテンがこんなつんつるてんなのか。わけがわからない。しっかり測って、「この窓には長さ200cmのカーテンが必要」と確認し、メモまでとったのに。なぜに下が35cmも空いているのだろうか。私は何をどう測ってメモったのだろう。どうしたら間違えられるのだろう。謎である。しかし、この引越しの最大の驚きはそんなことじゃない。

引越しやさんが新しいおうちに到着して、荷物を運び入れてもらっている時、私が玄関先で突っ立っていると、なんと前々職で同じ会社で働いていたお方が目の前に立っているではないか。それはもう大声出して驚かずにいられるはずがない。なんと、同じマンションの一つ上の階に住んでいるという。それまた引越し当日に会ってしまうというのがスゴイではないか。こんなことってあるんですねぇとしか言いようがない。1年後には「お醤油が切れました」とかいって、借りにいっちゃったりしてるんだろうか。世の中って本当に面白い。

引越し初日からそんな驚き2連発がありつつも、翌日から始まる新生活のなんと穏やかなこと。引越し当日中に段ボール3箱を残してあと持ってきたものはすべて片付けた。残りの3箱はつんつるてんのカーテンの下に置いておく。水曜に管理人さんが何かの点検の立会いで留守中室内に入るというので、とりあえずこのつんつるてんの目隠しをさせているのだ。隠れてないけど・・・。この3箱は次の週末に片付ければいい。今朝役所の手続きは終えたし、あとはネット接続するのと、冷蔵庫と炊飯ジャーを買って自炊体制を整えるくらいか。ただこれも今すぐには対応できないので、とりあえず良し。

テレビのない部屋で、ラジオから流れるイラク情勢と天気予報に耳を傾ける。静かな街を歩き、ラッシュのない電車に揺られ、会社に行く。明日からは朝プールに行こう。あぁ、なんて豊かな生活。この静かで穏やかな空間に漂う感じがたまらなく心地良い。なんて、昨日の「話」の作者とは思えない・・・。

■2004/4/11(sun) 私を泣かす気か!

引越し当日。準備を終えて、あとは引越しやさんを待つばかり。お昼に父がスーパーで買ってきたお寿司をつまみ、後はお茶をすすりながらひたすら待機。

引越しやさんが14時過ぎにやってくるという連絡を受け、父が2階から1階に段ボールを運ぶ。母も私も「引越しやさんがやってくれるからいいんだよ」と言うのに聞く耳をもたない。「重い」「疲れた」「汗が出てきた」とぶつぶつ呟きつつ、ゼイゼイ言いながら、1階と2階の行き来を繰り返す。そのうち「お父さんは娘のために汗かいて頑張ってるんだ」と言い出す始末。どうやら娘のために汗水流したくてたまらないらしい。結局それを傍観しているわけにもいかず私も 1階と2階の行き来に参戦。母があきれてそれを見ていた。大きな家具以外すべて階下に運び終えたところで、引越しやさんがやってきた。

少々の打合せを終えると、1階の大きな窓からどんどこ荷物が運ばれていく。私は早めに新しいおうちに電車で向かっておいた方がいいだろうということで、実家の方は母に任せて、駅まで父に車で送ってもらうことに。

引越しやさんが行き来する慌ただしい家の中、玄関まで移動して靴を履く。できるだけいつも通りに出ていこうと思うのに、母が玄関口までやってきて、「いつでも帰ってきていいからね」と、まるでホームドラマの台詞のようなことを言って優しく微笑む。私を泣かす気か!と心の中で思う。思いながら、私は必死に四角張った顔をまたどうにか丸めこませるようにして「うん」と小さく答え、少しだけ母の目を見て、少しだけ笑ってみせた。

父の運転する車に乗り込み、最寄駅まで向かう。一つ二つ何でもない話をしながら駅に近づいてゆく。車が止まり、ドアを開けようとしたところで、父が「身体に気をつけて」と呟く。前を向いたままで、無表情で、声に張りも無くて、なのにどうしてこんなにあったかくて、心がこもっているように聞こえるのか。それは「私の父の言葉だから」としか言いようがない。目のふちの熱くなるのをぐっと我慢して、ぶっきらぼうに「身体に気をつけて」と返す。そして、ドアを開け、外に出てまた閉める。いつもならそこですーっと走っていってしまう父が、少しだけこちらに顔を向けて、バイバイと手を振った。私を泣かす気か!と心の中で叫ぶ。叫びながら、それでもぐっと我慢して、四角張った顔のままバイバイと手を振り返した。その後すぐに車は走っていってしまった。

私を泣かす気か!と唇が動いた。そして私は新しい我が家に向かった。

■2004/4/9(fri) 実家を離れる理由

一人暮らしの部屋を決めた日、おうちに帰って両親にそれを報告すると、部屋中にしょげた空気が漂った。お互い平常心を保って会話するものの、どうも空気がぎくしゃくしている感じ。だけどこのぎくしゃくを投げ出して自室にこもってしまうのは何か違う気がする。いくら居心地が悪くても、この空気をしばらくの間共有することが大事で、今逃げちゃいけない、そういう気がした。私が両親にできることは、その時そんなちっぽけなことしか見当たらなかった。だから、「どうして?」という質問を避けるようにして、「いつ?」「どこに?」と質問を重ねる母に、一つ一つできるだけ丁寧に、ただ何でもない表情で答えを返した。

数日後、噂を聞きつけたらしい妹が、あっけらかんと「どうして?」という質問をしてきた。「いつ?」より「どこに?」より早く投げてきた。若いって素晴らしい。近くにいた母が聞き耳をたてている気がする。私は「時間を買うの」と答える。明確な理由だ。現在は通勤に往復3時間かかっている。都内に住むことで、これを往復1時間にするとする。そうすると、一日2時間、一ヶ月で44時間の時間を買う計算になる。また元来テレビだらだらっこの私でも、テレビがない部屋に住めば文化的な生活に時間を費やせる。さらに元来ぐうたらっこの私でも、朝に余裕ができればフィットネスクラブに通い、健康的な生活にも時間を費やせる。高い家賃で貧乏を買っても、やっぱりこういう本当に豊かな生活を手に入れたい。私は母に聞こえるように妹にそんな話をした。

ただ、実際に家を出る日が迫ってくるに連れて、私の中にもう一つ潜在的な理由が眠っていたことに気づかされる。このまま長く実家に住んでしまうと、その分だけ実家を離れるのがお互い辛くなると思う、できるだけ早めに出ておいた方がいい、というへんてこな思考回路が働いていたらしいことは間違いなさそうなのである。気づけば、あっという間に一年弱も実家暮らしをしていた。その過程で私は実家暮らしに慣れ、すでに親元を再び離れることに対して、切ない気持ちというのを感じている。7年前に家を出る時よりはるかに強い思いで。自分が引っ越した後の部屋の閑散とした様子を見て父は何を思うだろうか、毎晩駅まで私を車で迎えにきていた母はその習慣が消えていくことをどう思うだろうかと、あれこれ自意識過剰なことを考えては一人切なくなってしまったりする。何にせよ、頭でっかちでかわいげのない旅立ちの理由だ。

ただ、昨年一人暮らしをやめて実家に帰ったこと、それによってこの数ヶ月で得られたことは大切にしていこうと思う。1年前までの一人暮らし生活とは違う形で、新しい家族との関わり方を今後築いていきたいと思う。

■2004/4/3(sat) 再び東京暮らし

3月初旬のとある休日、とある不動産やさんにて。始めに紹介された物件に「あ、いいですねぇ」「見にいってみますか?」「はい」というわけで、そのまま物件を見にいき「あぁ、いいですねぇ」「決めますか?」「はい」というわけで、一人暮らしをすることになった。探し出して一軒目の不動産やさんで、一件目に紹介された物件。なんと幸いなことだろう。おかげ様で、不動産やさんの敷居をまたいだ1時間後、午前中にはゆうに仮契約を済ませていた。

自分の住まいとなる部屋は3月いっぱいまで住人がいるということで、この日中を見られたのは別の部屋、階も造りも異なるものの、まぁまぁいいでしょうということで、仮契約。そして4月を迎えて本日、実際の部屋を確認し、ちょうどクリーニング中で部屋は工事現場のようになっていたものの、まぁまぁいいでしょうということで、本契約。こういうのはフィーリングとタイミングが大事なのだ。この物件はフィーリングとタイミングが絶妙だったのだ。

そんなわけで、10ヶ月の実家生活に終止符を打ち、再び東京で一人暮らしをする予定。

■2004/4/2(fri) 役割ラベルがはがれた時

いつからだろう。ある役割をもって私の視界に登場した人でも、その役割よりまず一人の人間としてその人が自分の目に映るようになったのは。郵便やさんも、宅急便やさんも、ビル掃除のおばちゃんも、近所のおじさんも、時として両親さえも。

ある時までは、確かに郵便やさんは郵便やさんであり、宅急便やさんは宅急便やさんであり、ビル掃除のおばちゃんはビル掃除のおばちゃんであり、近所のおじさんは近所のおじさんであり、父は父以外の何者でもなく、母は母以外の何者でもなかったのに。

いつからだろう。ごく最近のような、遠い昔のような…。それは確かに成長の瞬間。

■2004/4/1(thu) 素人のクリエイティブ観

例えば私が幼稚園の年長さんだとして、例えば私のいる桃組にピカソ君が転入してきたとして、例えばある日お絵かきの時間があったとする。私は私の絵を描き、ピカソ君はピカソ君の絵を描く。その時、私がピカソ君のように絵を描けないのと同じように、ピカソ君も私のように絵を描くことはできない。

ちなみに私はとんでもなく絵が下手だ。ダウンタウンの浜ちゃん級といえば、わかる人にはわかるだろうか。それでも作者である私が「これは絵だ」といえば、とりあえず「絵」だ。そして、絶対的にピカソ以上とか、絶対的にピカソ以下なんて評価基準はありえない。

そこからすべては始まり、そこからあらゆることが生まれる。というところがクリエイティブというもののスゴイところだと思う。無責任にも私にはその先のことはさっぱりわからないが、素人にもその可能性の奥行きが無限大に深いということだけはわかる。

だから、持っている人には活かしてほしいと思う。持っているものを生かしてほしいと思う。自分の中に生まれるものを大切にしてほしいと思う。自分の外に生み出してほしいと思う。想像し続ければいい。創造し続ければいい。私が言っても何の説得力もないけれど、自分のそれを大切にしてほしい。

■2004/3/25(thu) うちの前の土のところ

うちの前には決して広くない通りを挟んで向こう側に一面畑が広がっている。畑と通りの間の、誰のものかよくわからない土のところには、何ものかよくわからない木々が通りと平行して一列に並んでいる。上の方はクモの、下の方はアリの住みかになっている。

そういえば、小さい頃の私にとって、そこは「地球の中央だか裏っかわにつながっているに違いないところ」でもあった。通りはすでにアスファルトで舗装され自分で掘り起こすことはできそうになかったが、土のところなら子どもの私だっていくらでもシャベルで掘り起こすことができる。その先にはどんな世界が広がっているのか。

ある日、私は学校から帰って日が暮れるまでひたすらその土のところを掘り続けた。しかし、一向に地球の中の方にはたどりつかぬまま日が暮れてしまった。目の前には自分の体も到底おさまり切らないくらいの小さな穴しか残らなかった。ただ仕事帰りの母親に見つかって、「こんなところにこんな大きな穴開けて!」と叱られるには十分な大きさだった。それで、すぐさま穴を全部埋めることになり、あくる日ひっそり続きをすることはできなくなってしまった。なんて中途半端な結果だ。今思えばアリにもたいそう迷惑をかけた。

そんな何でもない土のところに、最近ぽつんと花が咲いた。木々や雑草はいつも生い茂っていたが、そこに花が咲くことなど今までこの家に住んできて何十年もなかった。誰のものでも、何ものでもなさそうな土のところに、明らかに名前のありそうな花が咲いている。その存在感に、私は朝っぱらからたいそう興奮した。

その日会社に行くと、私は早速「家の前にチューリップが咲いてるの!」と同僚に話した。皆は「えー、この時期に?」「早いねぇ」「ちょっと時期間違えちゃってるかも…」と言いながら私の話を信じた。それを聞いて、そうか、ちょっと時期早いか、そういえばそうかもねぇと思いながらも疑いはなかったのだが、家に帰って母に話すと「チューリップ?あれは水仙の花よ!」と一蹴された。

「春に咲く黄色い花=チューリップ」というのは、あまりに単純発想だったらしい。言われてみれば、顔は上でなく横を向いていました。真っ黄色というよりは薄い黄色でした。葉っぱもチューリップにしては華奢すぎました。24時間後、私は同僚に訂正を入れてお詫び申し上げました。

それはさておき、この土のところ、いつまでもただの「土のところ」であってほしいと切に願う。今の世の中には、誰のものでもないもの、何ものでもないもの、それでもいいものがあまりに少なくなってしまった。だから「土のところ」はずっと表札のないまま、ただただあり続けてほしい、そう思うのである。

■2004/3/24(wed) 仮住まい

このところ、過去がずいぶん昔のことのように感じられる。
日々はものすごいスピードで過ぎているように感じられる。
未来は、あっという間に死を連れてくるように感じられる。

それは、なんだかんだ言っても仕事中心の生活の中で、今の仕事によるところが大きい。いろんな捉え方はできるが、結局のところ、「同じことの繰り返し」で、「こなしていく仕事」であることは否めない。それが、どうやら毎日のスピードを速めているらしい。だからといって、今の会社で経験させてもらっていることを真っ向から否定する気もない。私が一定期間ここで仕事をしようと決めたその目的に適う仕事を与えられていると思うし、実際勉強になっていることは多い。自分が望んでいた経験を積ませてもらっているのだと思う。だから、これはこれでいいのだ。ただ、私が最初から一定期間と考えていた通り、長く続けようと思う仕事ではないことは明白な事実なのだ。それは、その仕事の良し悪しの問題でなく、とても個人的な問題として、入社した時から変わらず、そうなのだ。

一定期間と決めてどこかに自分の身を放り込むということは、思った以上に心の暗闇を伴うものだと知った。そこで目的を見失ってしまったら、そのままなんとなくその地に落ち着いてしまうのだろうと思う。今は、ここを出たとしてその後のことなど何一つ決まっているわけじゃない。反面、今勤めているところには、いたいといえばおそらく当たり前のように来年も再来年も置いてくれるだろうという見通しがある。私の人生の見通しは、今それだけだ。その見通しにちょっと力を抜いて寄りかかってしまったら、本当にただ時間に流れ流されて、あっという間に一生を終えてしまうような気がする。このスピードで、あっという間に死期が訪れてしまうのかと思うと、ひどく死が怖くなるのだ。

私は「自分がなぜここで仕事をしているのか」ということを強く意識していかなければならない。「自分にとって長居する場所じゃない」ということも肝に銘じておかないといけない。その上で、今の仕事にも今後のことにも大切に向き合っていきたい。帆をあげて、風が吹いた時にはいつだって飛び出していけるようでありたい。まだまだこのままでは終われないのだ。よくわかっていないものの、ただそんな思いだけは確かにある。大きな不安と大きな期待、そのどちらもが、確かな存在感でそこにある。そんなことを感じながら、そんなことをさらに感じるために、私は一歩踏み出してみる。とりあえず大安吉日に。

■2004/3/19(fri) お祝いの品

同僚のおめでたい知らせを受けて、チーム皆でお祝いの品を贈ろうということになった。知らせを聞いた翌日の夜、仕事を早く切り上げた3人で早速買い物へ。胎教CDがいいんじゃないか、という何となくなアイディアだけ引っさげて、会社を後にする。

というわけで、ひとまずタワーレコードに到着したのだが、いざその手のコーナーの前に立ってみると、なんだかいかにもな「マタニティなんちゃら」というタイトルが並んでいて、どれを手にとってもメジャーどころの当たり障りないクラシックを詰め込んでいる印象。ジャケットが違っても皆同じもののように見える。

そもそも彼女はクラシックを聴くのか、という話になる。そもそも私たちは彼女の音楽の趣味を知っているのか、という話になる。あ、そういえば、中学時代にボンジョビにはまってたって聞いたことある!って全然ダメじゃん。趣味に合わないのに、もらったものだから!とか、感想を聞かれるかも…とか思って、とりあえず聴かなきゃと無理して聴いちゃって余計にストレス溜まったらどうする?という話になる。で、結局他のものを検討してみることにした。

そこから本屋に行っては、コレはちょっと同僚からのプレゼントにしては生々しすぎないだろうかとか、それであればやっぱりCDの方が無難かとか、でも無難な品で妥協するのもどうかとかあれこれ歩きまわって、結局行くところ行くところ蛍の光が流れて、結局買えずじまいで解散した…。

リベンジ、翌々日にまた仕事を早く切り上げられた4人で買い物に。先日の時点で、これから冷房がきつくなるし、ひざ掛けがいいんじゃないかという妥当なアイディアに落ち着きつつあったので、また閉店間際のデパートに滑り込んで、無事ひざ掛けをお買い物。本日しっかりプレゼントできて、しっかり喜んでもらえた。おなかからひざまで、しっかりあたためてあげてくださいね。

■2004/3/15(mon) 同僚のおめでた

今週の月曜、会社の同僚から「赤ちゃんができた!」というグッドニュースがあった。彼女は私より一つ上、学年でいうと同学年。確か昨年か一昨年くらいに入籍した新婚さんで、今回が初の妊娠だ。現在2ヶ月で、今のところつわりはひどくないという。ただ、混雑した電車の中やおなかが空いてきた時には気分が悪くなるということで、そう重くないながら日々その体調不良とつきあっているらしい。それでも赤ちゃんを産むことは以前から切望している様子だったので、その表情はとても幸せそうだ。

月曜の朝、チームの朝礼が終わった後に彼女が上司を呼び止めて「ちょっとお話が…」と口にした時、私は「お、きっとおめでただ!」とピンと来てしまった。それには後で周囲も驚いていたが、赤ちゃんを欲しがっていることを知っていたのと、彼女がそういうこと以外で上司に個別面談を申し出るイメージがなかったからだろうか。その面談の後、チームメンバーに彼女からメールが届いて、私は面談の内容を確信するに至った。

電車のラッシュを避けるため勤務時間を1時間遅らせるものの、当面これまでどおり仕事をしていく。考えてみると、私は職場などで毎日顔を合わせる人の妊娠発覚(言い回しが事件ぽいが)から出産直前までをドキュメンタリーで追うという経験をこれまでもったことがない。学生時代の友人や先輩、元同僚などの妊娠・出産はあっても、その時点では毎日のように顔を合わせる関係ではなくなっていたので、ふと気づけばもうしっかりお母さんをやっていたのだ。

だから彼女には、毎日顔を合わせて一緒に仕事をする仲間だからこそできることをして、応援していきたいなと思う。そしてその過程で、私も彼女から学ぶことがたくさんあるのだろうと思うと、ちょっとワクワクする。

■2004/3/14(sun) お片付けな週末

引越しをした後一月のうちに片付かなかった品々というのは、たいていその先も延々とダンボールの中で暮らすことになる。私の狭い部屋にもダンボールが残っていて、以前から母に目をつけられている。誰が入ってくる部屋でもないのだが、どうも我が家の景観を損ねているらしくて、どうにかしなさいとホームセンターで小さな本棚まで買ってきてくれた。

昨日はちょっと部屋のものを片付けてみようということで、ダンボールの中に恐る恐る手を突っ込んでみる。いる本で表に出しておきたい本、いる本だけど裏で静かに眠っていてくれていい本、いらない本で売れそうな本、いらない本で引き取り手もなさそうな本の4つに分類。優柔不断な私にとってこの作業は非常にきつかった。

人は何をもって「いる本」「いらない本」を振り分けることができるのだろうか。って、そりゃ人によって異なるに決まっているのだが、私の基準はとても曖昧なので、時間をおいて考える度に答えが変わってしまう。3回やれば3回とも答えが違う。ということに気づいて、結局本当に悔いのないものだけ手放して、ほとんどはとっておくコースへ。それでも20冊ほどは手放すことにした。

あくる日、母が買い物ついでにその本たちを古本屋にもっていってくれた。20冊近い本は、735円という変わり果てた姿で私の元に帰ってきた。憐れだ。高いもので一冊100円、安いものは一冊10円。そして3冊はもらってももらえずに戻ってきた。この辺ではマンガ本が最も高く取り引きされるらしい、と母。この辺てどの辺までなんだろうか。

保管に割けるスペースも限られている庶民には、あるタイミングで「生き、眠り、売り、あげ、捨て」くらいに分類してどうにかしなくてはならないものというのがある。私の周辺では「本」「洋服」「書類・手紙」の類。多くの人はこれに「CD」とか、コレクションしているもの、趣味のものが加わるのだろう。来週は「洋服」をやってみようかなぁ。

■2004/3/11(thu) そのまた翌日

こんな日は、なぜだか自然と優しい気持ちになる。いつもよりちょっぴり自分に強くなれる。心の中だっていつもより遠くまで澄み渡って見える気がする。だから、そんな悪いことでもない、そんなくだらないことでもない。大人諸君。

■2004/3/10(wed) 誕生日の翌日

涙は涙でも、悔し涙ほど人に見られたくないものはない。というのに、悔し涙ほど目のふちで食い止めきれない涙もない。というわけなので、今宵は泣きに泣いた。扉を一歩出るところまで目頭ぐっと踏ん張って、そこからぼろぼろ止まらなくなってしまった。誕生日を迎えた翌日、28歳にもなってなんでまた私はビルで電車でズビズビ泣いているのか。

望まれていることをきちんと返せなくて人に迷惑をかけている自分も情けないし、ぎりぎりのところでせき止めている感情がこぼれ落ちないように力んでつくった無表情顔でお礼やらお詫びやら覇気のない声で呟いている自分にも腹が立つ。そのご迷惑っぷりにどん底まで落ちていく己を傍で見ている自分も悲しい。

そういうの全部ひっくるめて全身から流すだけ流して、明朝からっからに晴れた顔でその扉への一歩を踏み込めるなら、あまり大人っぽくないけど、あまり格好良くないけど、それはそれでいっか、とも思う。

■2004/3/7(sun) お見合い

本当にやってくるものなのだ。まさか自分に来るツテなどないと信じて疑わなかったが、こういう話はどんな人にもやってくるものなのだろうか。一定年齢を未婚で迎えてしまうと・・・。今日外出先から自宅に戻ったら、母がちょっと言いにくそうにして呟いた。「○○のおばさんがね、お見合いしないかって・・・。」

即効「ヤダ!」と応えてしまった。びっくりしたなぁ。驚いたなぁ。○○のおばさんとは母の姉、つまり私の伯母であるが、いやぁ本当にあるものなんだねぇ、親戚のおばさんが見合い話をもってきて、というやつは。親が子の名を「○○さん」と呼ぶ家庭だけで、「趣味は乗馬」という娘さんだけに向け、行われているものかと思っていたら。まさかこんな身近なところで。

ヤダで終わるかと思えば、とりあえずもう一押ししてみようという感じで、「でも、今おつきあいしてる人はいないんでしょ?」と来た。まぁ、日頃の生活ぶりを見ていればわかりますよね。えぇえぇ、そうですよ、いませんですよ、でも、それとこれとは全然違う、論点が違うのだよ、と思いつつ、しばらく沈黙。

沈黙を破って、私は母に妹を薦めた。妹は以前「今すぐにでも結婚したいけど相手がいない」とぼやいていたのだ。本気か冗談か知らないが、私は冗談でもそんなことを口にする気が起きない。少なくとも私よりは可能性があるはずだ。しかし「年齢差がありすぎる」だとかなんだとかと言って、お相手のプロフィールに話が流れてしまった。まぁ、あとは知らない。断れない話ではないというので、「断る」に即決である。断れない話だって「断る」に即決である。

驚きから冷めてみると、その話しぶりからして、絶対「ヤダ」の一言で終わることを知っていて、それでもとりあえず本人に聞くだけ聞いてみなければならない状況だったのであろう母に同情する。そして、いつもは日曜の夜などさっさと寝てしまうのに、今日はなぜだか随分遅くまで起きていて、テレビに目を向けながら耳をそばだたせていたのであろう父の心中やいかに。

実際のところ二人がどちらの答えを望んでいたのかはわからないが、どちらにせよ当面私の答えは変わらないだろう。今日は両親をちょっと悲しい気分にさせてしまったのかもしれない。ごめんよ、いろんな意味で。

■2004/3/4(thu) 人生初の一目惚れ

今日は母の誕生日だった。何かプレゼントを!とは少し前から考えていたが、なかなか思い当たるものがない。だいたい、私に買えるものなど母はすべて自分で買えるのだ。私よりずっとお金持ちなのだから、欲しいものならすでに購入済みだろう。プレゼントとはそういうものではない、というのはわかっているのだけど、結局はそういうところに行き着いて何にも手が出ない。いらないものをあげてもしょうがないしなぁと、一緒に暮らす家族だけに現実的なことばかり考えてしまう。

で、本日を迎えてしまった。仕事を終え、いろいろなところをぶらぶらとして、最終的には実家近くまで戻ってきたところの園芸店に辿り着く。今読んでいる本、よしもとばななさんの「王国」の中に登場するサボテンに影響され、しばらくいろんなサボテンを手にとってはうーんと唸る。どうも母にサボテンというのがしっくりこない。それで、また店内をふらふらしていたところ、見つけてしまった。一目惚れしてしまった。

ステレオスペルマムという観葉植物で、背丈は10cmぐらい。それくらいで成長は止まるらしいのだが、とにかく葉っぱの緑が見とれてしまうほど美しいのだ。艶っぽくて色っぽい。私が買ったのはハイドロカルチャーというので、培養土の代わりにハイドロボールという煉瓦色の粒を敷き詰めて育てるもの。外側の入れ物に水を1cmはっておき、なくなったら水を足すだけでいいらしい。

おうちに持ち帰って、ちっちゃく誕生祝いをする。おうちには、友だちからもらったという豪華なお花がででーんと飾られていたけれど、私が買った葉っぱくんの方が断然かわいい。これまで植物にこれほど惹かれることなんてなかったのに、まさか自分が一目惚れしてしまうまでになるとは。

植物を愛する同僚の影響は大きい。よしもとばななさんの「王国」の影響もあいまって、植物への関心は私の人生の中で日々最高値を更新している気がする。たぶん、そういう時期なのだ。植物と交流を深めはじめる時期がやってきたのだ。そうやって、また無意識のうちに私は、これを運命みたいなことにしてしまっている。

■2004/3/2(tue) いいのかもしれない

それでもやっぱりやってくるのだ。ある時ふっと降りてくるのだ。予告も無しに突然に襲ってくるのだ。

だけど、やっぱりいつもはたいてい忘れていて、時々わけもなくやってくると、一人ぼっちで怯えてしまう。でも、それぐらいがちょうどいいのかもしれない。

何かを悟ろうとか、達観しようとか、私の頭でそんな術を考える方がよっぽどあさましいことなのかもしれない。

ヒトはヒトらしく、分をわきまえて、一匹の生き物として、時にそれに怯えながら生きていけばいいのかもしれない。

■2004/3/1(mon) 雪の幕開け

今日は雪が降りましたね。今年は、早くも2月中頃から4月並みの暖かい日があったり、大分では夏日を観測したなんてニュースも耳にしていたので、3月に入ったらいよいよ春真っ盛りになるだろうと信じきっていたところに、あらまぁという感じ。たいそう寒い一日でした。

もう春かと思いきや、一気に寒さが戻ってきて、へっくしょい!となる、考えてみたら毎年こんなことを繰り返している気がします。なんとまぁ成長のないこと、健康には十分気をつけて過ごしましょう。

今月は誕生月。運気も高まるにちがいない。実りある一月でありますように。

■2004/2/27(fri) 新しい仲間

今日は仕事を終えてから会社の同期と会合を開いた。歓迎会や忘年会など会社のイベントで居酒屋へ行く機会はこれまでにも二度三度あったのだが、同期メンバー6人でざっくばらんに飲みしゃべるというのは今回が初だった。

とにかく、すっごい楽しかった。日頃同じ場、同じ仕事を共有しているということも大きいが、それ以上に彼女たち一人一人の生き生きとした個性が、この満足感を生み出した要因の大部分を占めると思う。

一人一人の個性が際立っていて、そのどれもとても心地よい。基本、皆サバサバしていて、善良。互いを引き立たせあうような関わり方が心にやさしい。入社以来4ヶ月の間に、気兼ねなく本当のところを話せる空気が自然のうちに作られていた。そんな過程を経ての会合だったからだろうか。げらげら笑って、真剣に話して、皆がいろんな考えや気持ちを交換しあって。私はこういう空間がとても好きだ。

これまでの職場では「同期」という関係性の人とは出会わなかった。後から同日入社だったことに気づいた人や、入社時期は違うが年齢が一緒という人はいたけれど、正式に「同期」として肩を並べて仕事をする、という関係は今回が初めてなので、その意味でもとても新鮮。心強い仲間だなと思う。

大人になってからこういう関係性が築けるのって本当に貴重なことだと思う。(もちろん、それ以外にもここで吸収できていることはたくさんあるが)彼女たちに出会ってこんな大切な関係を築いていけているということだけをとっても、私はこの会社に入って良かったんだと思える、そんな新しい仲間だ。

■2004/2/25(wed) 朝っぱらから

いつものようにその駅始発の電車に乗り込み、座席を確保して出発を待機していた。千葉から東京まで毎日出稼ぎに出ていると、朝乗る電車というのはだいたい決まってくる。ホームで電車を待っている顔ぶれも、同じホームだけでなく向かいのホームにすら知った顔が増えていく。

その中の一人、毎朝同じ電車に乗り合わせる60歳くらいのおじさんがいる。いつも三人掛け席とドアの間にある手すりのところに寄りかかって東京まで行く。サラリーマン風の身なり。目がつるべいさん以上に開いていない感じで、失礼ながら率直に申し上げるといつ見ても覇気がない。個性的な咳を2回繰り返すのが彼の癖。

私より後に乗り込んでくるそのおじさんとは、いつも電車の中で顔を合わせるのだけど、今朝は私がホームと向き合うようにして席を陣取ってぼーっとしていたので、今日初めて電車に乗り込む前のおじさんをホームに発見した。

おじさんは駅のホームに立ち、自販機の前でビールをごくごく飲んでいた。350mlの缶丸ごと一本。朝っぱらから。こちらに背を向けてくぃーっと飲み干す。私は彼の奥さんやお子さんや部下のことをなんとなく思い浮かべながら、その後ろ姿を最後まで見つめていた。

じーっとじーっと見つめていたら、孤独感みたいな、孤立感みたいな、何ともいえない大きな石のかたまりがどっと落っこちてきて、ふいに泣きたくなった。何の化学反応だろう。よくわからなかった。

■2004/2/24(tue) 遠く、遠くへ

時はずっとずぅっと絶え間なく流れているらしい。気がつけば今は5年前になり、5年前は10年前になり、10年前はあっという間に20年前になる。ちょっと前と思っていた過去はずっと昔の過去になって、いくら手を伸ばしても決して届かないところに行ってしまう。

そんなことを思っているうちに、反対方向から未来がやってきた。20年後が10年後になり、10年後も5年後になり、5年後だってあっという間に今になる。遠くの未来だってずっと身近な未来になって、ずっとずっと先の未来もまたいずれは過去に姿を変えてしまう。

自分が動いているのか時が動いているのか、果たして何が動いているのか。気がつけば、その景色はずっと遠く、遠くへ。そんなところに私は立っている。そんなことを私は考えている。そんな自分が、好きだったり、嫌いだったり。

■2004/2/22(sun) 確定申告に行く

今日、私は初めて確定申告を体験した。とにかく、私は一度これをやってみたかったのだ。なんとなく、いっちょまえの大人がすることっぽくてわくわくする。いまいち何をしていいのかはよくわかっていなかったのだが、行ったら行ったで、行く前以上の知識は持って帰ってこられるだろうと、手元にあるそれっぽい書類を一式そろえて税務署に出向いた。なんか一人校外学習の気分だ。

今年から、一部の地域で日曜に申告・相談を受け付ける日が2日間だけ設けられたのだそうで、私も平日は仕事で行けないので、その一日を選んで今日出かけた。税務署のサイトをみると、日曜の受付は大変混雑することが予想されるのでできるだけ早めに来るように、との注意書きがある。従順な私は、日曜だというのに朝早起きして9時前に家を出た。後から振り返ってみると、一番混んでいる時間帯に行った気がする。

お役所というのは意図しているかのように何でも不便なところにあるものだ。税務署は駅から徒歩15分くらいの所。やっぱり途中で迷子になる。やっぱり途中でおまわりさんのお世話になる。足を棒にしてゴールに到着である。

案内に目をやると、不動産が何やらとお金持ちの人用の窓口は署内に、私みたいな一般庶民の手続きは臨時に建てられたプレハブ小屋でやるとある。たくさんの人がプレハブ小屋になだれ込んでいく。私も小屋の入り口をくぐる。

小屋の構えといい、優に100を越える人が幾重にも列を成し、遠くまで延びるテーブルに沿って椅子に腰掛け書類片手にあーだこーだとやっている様といい、第一印象は養鶏場である。腕章をつけた税務署員さんも飼育員に見えてくる。あちこちでコケー、コケーと騒いでいて、飼育員さんたちは360度ぐるぐる回って大忙し。ニワトリたちも実に多様で、おじさんを中心に家族連れやら金髪皮パンの兄ちゃんやら、もうあちらこちらでコケコッコーである。

私も一羽のニワトリとなって、受付から誘導されテーブル席へばさばさと移動する。テーブルとテーブルの間に飼育員さんが挟まれていて、360度ぐるぐる回りながら四方に着席した4羽の世話をしてくれる。何にも言わなくても適宜声をかけてくれて、次に何をすればよいのか具体的に個別指導してくれる。書き方はもちろん、私の場合例えば個人で仕事をした時の経費の金額をざっと出してくれたり(報酬の2割でした)。

雑然とした空間の中テキパキ対応しているのに、とても感じよくて説明もわかりやすい。受付も誘導も相談役も素晴らしい。書類を作成して、タッチパネルでデータ化してもらって、書類を提出。それなりに待ったが、その対応ぶりに感服してしまって、待たされている感が全然わかなかった。その運営力に拍手。といって本当に拍手を送るわけにもいかないので、配付していたアンケートのコメント欄にお礼の言葉を残してきた。

ついでに少しお小遣いをくれるというから、さらに幸せ。よく考えてみると、そのための手続きに出向いたはずなのだけど。私にとっては、今回何より確定申告を体験するという目的が叶って幸せだ。

■2004/2/21(sat) 「好きだから」という理由

連日連夜仕事に追われて何年も過ごしてしまうと、仕事以外の時間すら仕事感覚に浸食されてしまって、「好きだから」という理由だけで何かをすることがはばかれるようになる。

仕事では、その効果やら優位性やら効率性やらを軸に何かする決断をする。なんにもなくとも、とりあえず「好き嫌いで判断したんじゃない」という顔をしてそれにあたる。一方、仕事(広くは自分の役割)以外となれば、多くのことを好き嫌いや、やりたいやりたくないの軸で判断するのが本来のような気がする。それなのに、こう言っていること自体、そんなこと公に語ってしまっていいのだろうかと、たいそううしろめたい心持ちになる。実際はいろいろ好き嫌いでやっているのだろうけど、そう公言するのはどうもまずい気がしてしまう。

そういえば、山口智子さんも「手紙の行方」という本の中でこんなことを言っていた。「旅に出る理由を人に問われると、一瞬頭が真っ白になってしまって、「仕事です」などと、ほんとうにつまらない答えを返してしまう。説明しようとしても、うまい説明にならない。なぜならそれは、あまりにも単純なひとことで片づいてしまうからだ。「見たい」「知りたい」ほんとうにそれだけなのだ。思いきり原始的で子供用語みたいな言葉が、いちばんしっくりはまってしまう。」

もっと胸をはって「好きだから」という理由だけで何かをしていいんじゃないかと思う。何かをする理由を問われたら、もっと胸をはって「好きだから」と答えていいんじゃないかと思う。そんなことを思うようになったのは、仕事との距離感が変わってきて、感覚が正常化している証なのかもしれない。

■2004/2/20(fri) 鎖から解き放つもの

昔一度読んだ本を再び手にとった。内容を全然憶えていないのが情けないところだけど、その本を読んだ時のしみじみ「いい本だなぁ」と思った感覚だけは鮮明に残っていた。「詩の作り方」(黒田三郎著/明治書院発行)という本。

この本の魅力は、詩の作り方がわかりやすく解説されているとかそういうものではない。読み物として面白い。深い。そこに引き寄せられた本だ。ということを、ぺらぺら読み返して思い出した。著者の黒田三郎さんがまえがきで「詩」についてこう話している。

でも、時計に追われていそがしく働いている人間には、思いも寄らないようなものが、そこにあります。おとなのすっかり忘れてしまった、子どもの目のようなものです。一見わかりきったように思われていることを、おどろきと疑いと喜びと、とにかく新鮮な目で見ることです。健康なひとは、病気になってみなければ、自分の健康を考えないように、人間は自分自身のことをそうそう気にかけてはいません。今日明日のことしか、考えていません。ごくたまに昔のことや未来のことをふと思うだけのようです。詩は、こういう時計の鎖につながれた人間を、その鎖から解き放つものと言えます。

私が面白いと思うのは、これって「詩」に限定されるものではないように感じること。黒田さんにとっての詩というものが、私にとっては文章を書く時間であったり浮世離れする時間だったり、いろんな人にとっての「何か」に宿っている気がする。きっとその何かさえ持ち続ければ、それが何であれ人生の見え方は随分変わってくるし、鎖の取り外しも自由がきくようになるかもしれない。

一貫して詩のことを話しているのに、なんだかずっと「何かをもって生きることの大切さ」を語られているように思える「詩の作り方」。といって「こう生きなさい」といった説教を聞いている感じでもなくて、「詩ってこういうもんなんだよ」とのんびり話を聞いているうちに、自然と深いところを考えさせられてしまうような奥行きと柔らかな感触がある。そこが好き。

鎖の取り外し、仕事でも大切だよな・・・と昨日は仕事帰りに肩を落としながら痛感した。おかげで今日はやや復活。鎖を外す鍵は、実は自分が持っていたのでした。

■2004/2/17(tue) 不思議がいっぱい

昨晩会社から帰宅して、手を洗おうと水道の蛇口をひねったところ、流れ出した水に触れた瞬間にバチッと静電気が走った。蛇口じゃない。水から静電気って、どういうことだ。このところ少し春めいてきて、パチパチ静電気ともそろそろおさらばかと思っていた矢先に、何も水から発しなくてもいいじゃないか。

そういえば、このところ少し春めいてきてって、これまたどういうことだ。これまでの2月ってもっと真冬じゃなかっただろうか。「暦の上ではもう春」なんて、暦の上でだけ春らしくそれ以外はさっぱり春っぽくないから「暦の上ではもう春」が言葉として成立するんじゃないのか。世の中は不思議がいっぱいだ。

■2004/2/16(mon) 浮世離れのバイオリズム

お昼はいつも同僚とおしゃべりしながら食べている。「正午になると一斉に皆お昼休みをとって同僚とテーブルを囲んでランチをとる」という会社でこれまで働いたことがなかった(に等しい)ので、なんだかこういう時間の過ごし方は新鮮である。少し学生時代の感覚に近い。

今日の話題は「この一週間ぐらいは浮世離れしてそうだなぁ」という私の呟きから始まった。時々そういう周期がやってくるという私の話に、なんだか皆過剰な反応を示した。「浮世離れ」という表現があまり日常になじみのない表現だったためかと勝手に理由を決めつけて、「例えばどういうこと考えるの?」という問いに具体例を挙げて同意を得ようと試みた。「例えば、人っていずれ死んじゃうんだよなぁとか。時々考えたりするでしょ?」

そうしたら、「えー、ないよぉー」って声をそろえて返ってきた。「え、ないの?」そりゃ、私の方こそ驚きである。彼女たちいわく「何かのきっかけがあれば考えることもあるけど、何も無しに周期的に考えたりしない」というのが一致した答え。つまり親戚が亡くなるとか、そういう大それたきっかけがあるようだった。その口ぶりは、嘘でも照れ隠しでもなさそうである。いつからだろう、口にしないだけで誰しも皆実は時々浮世を離れているのだと信じ込んでいた・・・。

一時期は自分が一風変わっていて、人があまり考えていないことを自分が考えているのではないかと思った時期も確かにあった。でも、いつだったかその思い込みはポイと捨ててしまった。だって、ふと辺りを見渡せば、本を読んでも、歌を聴いても、私の何百倍もいろんなことを考えたり感じたりして、さらにそれを表現しているのだ。それらの創作物に触れる人もまた、驚くほどいろんなことを考えたり感じ取っている。そう気づかされてからというもの、みんな口には出さぬものの相応の時間を浮世離れに費やしているのだと思っていた。

でも、人の関心事なんてさまざまなのだから、皆が皆同じテーマについて考えているはずもない。私も同僚も、友だちや世の中のいろんな人も、たくさんのことを考えたり感じたり、反対に考えなかったり感じなかったりしている。そうして皆それぞれのバイオリズムの中で生きているのだ。同じことを考えたり感じたりしている人の中でも、そこには深さや広がりがあって、私はその下の方でうろうろしている感じ。そうやって人が集うからこそ、世の中は面白い。ランチも面白い。あぁ、やっと書いていることが言いたいことに近づいてきた。

■2004/2/13(fri) 赤飯を炊く

帰宅すると、母が「お赤飯を炊いた」と言う。私は「何かあったの?」と訊く。母は「別に何もないんだけどね、もち米がずっと余っちゃってたから」と答える。

しばらくして父が帰ってきた。炊飯器を覗き込んで、「何かあったのか」と尋ねる。母が、私に言ったのと同じように別に何もないことを告げる。

両親が床につき、私が夜更かしをしていると、妹が帰ってきた。私が母の代わりに「今日はお赤飯だよ」と呟くと、台所から「えぇ!」という声が返ってくる。「何かあったの?」と言いながら炊飯器を覗くので、私はまた母の代わりになって別に何もないことを告げる。

台所では、冷蔵庫の冷やご飯が電子レンジから出てきて湯気を上げている。準備万端のにわかほかほかタッパーご飯と、突如出現した正真正銘ほっかほかお赤飯の間で板ばさみにあって、妹は深夜の台所に立ち尽くしていた。さっきの「えぇ!」の舞台裏。

それはさておき、母がお赤飯を炊いて、みんなが「何かいいことあったの?」って思う家族なんて、何もいいことなくてもなんだか幸せだなぁと思う。

■2004/2/12(thu) 気の持ちよう

今朝、出勤途中に、ふと思った。というか、降ってきた。人っていずれ死んじゃうんだよなぁってのと、人生って一度きりなんだよなぁってのが、二つ落っこちてきた。電車の座席に腰かけてしばらくその二つをじーっと見てたら、もう少ししっかりと歩を進めていかなきゃって、ちょっと、いや結構、思っちゃったよ。

■2004/2/9(mon) にわか植物愛好家

仕事帰り、昨年仕事でお世話になった方々がこのほど事務所を移転されるということで、お祝いを買いに花屋さんに寄った。会社の同僚に、以前花屋に植物を卸していたという職歴の持ち主がいるので、どんなふうに決めたらいいかなど、その日のお昼にアドバイスを受けて花屋に臨んだ。まぁ結局のところ、用途と予算を告げて花屋と相談するのがいいという結論に至るのであるが。

少し残業をして会社を出たので花屋さんに着くともう閉店間際。後片付けを始める店員さんに「まだ大丈夫ですか」と一言確認を入れ店内におじゃまする。一通り見て回る。回っては見たものの、私みたいに優柔不断な人間がそのまま「じゃあ、これを」なんていきなり注文にたどり着けるはずもない。せわしなく店じまいを進める先ほどの店員さんをつかまえて、「あの、選ぶの手伝ってもらっていいですか」とお願いすることになる。

まず、用途と予算を端的に伝えなくてはと思い、「知り合いの事務所移転のお祝いで、予算は○○円くらいなんですが・・・」と伝える。すぐには店員さんの切り替えしがないようなので、さらに「で、お忙しくてなかなか面倒をみられないかもしれないので、朝一回水をあげる程度で、あとは日向に置いておけば一人でも元気に頑張っていけるようなたくましいの(かろうじて「コ」を「の」に差し替えた)が良いかと思うんですが・・・」と続ける。

すると、店員さんは「事務所移転のお祝いでしたら観葉植物が多いですね。予算が○○円くらいでしたら、○○か○○あたりでしょうか」と、実に簡潔な解を提示して表情を変えることなく口を結んだ。私はここでひどく驚いてしまった。彼女の淡白な切り替えしにではない。先に登場した「植物を愛する同僚」の愛情っぷりや話しぶりは、その仕事に携わる人の標準ではなく、彼女独特のものなのだということに気づいたからだ。そして、常々耳にしていた彼女の「植物を擬人化した表現」を、私自身知らぬ間に当たり前のものとしてごくごく吸収しており、目の前の花屋さんともそれでコミュニケーションをはかろうとしていたことにも驚いたのだった。

それからは通常の標準語に意識的に切り替えて、いくつか候補となっている植物の「一人でも頑張っていける」っぷりを店員さんに淡白に確認しながら、しばらくの後一つに決めて、配送を依頼し店を出た。喜んでくれるかなぁと思いつつ。

翌日そのやりとりについて話すと、彼女は「ごめんねぇ、代わりに謝る」と済まなそうに言った。私としては、閉店間際に押しかけ、何の知識もないのに妙に植物愛してる風な口をきくにわか植物愛好家みたいな客を、きちんと対応して送り出した店員さんを特に非難する気も起きなかったのだが、どうもそこに従事してきた人間として彼女は謝りたい気分になってしまうようだった。本来ならお客さんの希望をもっと丁寧に聞きながら決めていくべき、閉店間際でも関係ないし、 ○○円のお客さんならなおさらだ、と彼女は言う。

「植物が人間と対等に生きている」ことを当然のこととして彼らと関わる彼女の姿勢には常々感じ入るものがあったが、今日の話を聞いていて、私は花屋さんとしてぜひ彼女に会ってみたかったなぁと思った。でも、私が花屋さんではなくなってしまって「もったいないね」と言ったら、彼女は当時より気持ちよく植物と関われている、仕事をしていた時には忙しすぎて植物を嫌いになってしまいそうな時期もあった、だからこれでいいのだと返した。そういう気持ちもなんとなくわかる気はする。そうして今良い距離感で植物と関われているのは幸いなことだ。そして、だからこそ私は彼女と今一緒に仕事をできているのだし。だけど、いつかのんびりと花屋さんをすることができる環境をもてるのだとしたら、私は彼女に街の花屋さんをやってほしいなぁと思ってしまう。私はそこにお客さんとしてちょこちょこ訪れたいなぁと思ってしまう。

■2004/2/1(sun) 人の体温を感じる

この週末は、立て続けに旧友との再会を果たした。学生時代の友人や前の会社の同僚と、遅まきながら新年のご挨拶。その他、電話で話した人、メールで近況を送ってくれた人をあわせると、この一週間で十数人の友人と言葉を交わした。

それにしても、4~5人でテーブルを囲み、あれやこれやと好き放題に話題を変えながら今昔の話に興じるのは、何とも良いものである。この人たちと、この距離感で、こんな心持ちで寄り添える私はなんて幸せなんだろうと、ちょっと酔っ払った頭でしみじみ思ってしまった。

やっぱり人と直接会うというのは、何かを経由して接触するのとは全く別ものの特別な価値があると思う。それは最近仕事でも痛感していることだったりする。今は自分が支援する対象とインターネット経由限定で関わっているので、やっぱりどうしても遠い。これまでの教育現場のような距離感では、支援する対象と関われないのだ。

ユーザからお礼のメッセージなどもらうと、その人の体温は確かに感じられるし、今はその一言にたいそう救われる。職場で学ぶことも大いにあるし、今は今でここにいるべきだと信じて肯定的に仕事をしている。一人一人のユーザに対して、誠意をもって自分のできることを返したいとも思っている。

だけど、いつまでもここにいちゃいけないということも、私は知っている。お礼の言葉以上の何かを求めている欲深い自分を感じている。それはたぶん教室にあるんだと思う。教育現場独特の体温を見返りに求めているのだと思う。勝手な思い込みかもしれないけれど。

私はやっぱり、長期的には直接対面して人を支援する仕事をしていきたいのだなぁと最近よく感じる。今この期間は、キャリア支援スキルを高めるという目的もあるけれど、そういうことを自分の中でしっかり認識する時期としても裏の目的を果たしているのではないかと思う。

まぁ、そんなことを言っておきながらも先々のことはわからないし、一口に教育といっても自分の力量を棚に上げて選り好みが激しくなっていると思うので、そんなんで引き取り手があるかどうかもわからないのだが。

そんなことをぶつぶつ呟きながらも、とりあえずは今。今自分が吸収すべきこと、自分がユーザに対してできることをしっかりと積み重ねていきたいと思う。そして、いつかまたちっちゃな自分の居場所が見つかったらいいなと思う。

■2004/1/29(thu) 二度目の再会

その晩は、興奮冷めやらずなかなか寝付けなかった。無理もない。最後に会ったのがもう5年も前という大切な友人に再会した夜だったのだから。

大切な友人だったのなら、会えないまでも連絡ぐらいはとっていたのだろうと思うかもしれないが、実は全くの音信不通だった。私はそういうことを結構運命的に捉えるので、この5年は連絡をとらない時期になっていて、これを機にまた時間を共有していく関係が再開されることになっていたのだ、というふうに思う。おめでたいアタマだ。彼女もそういうことに頓着しない人なので、私たちはとにかく素直に再会を喜んだ。

私たちが最初に出会ったのは、彼女が渡米する半年くらい前だったか、期間限定で当時私のいた部署のアシスタントをしてくれることになってのこと。短い期間にたくさんの話をし、私たちは驚くほどのスピードで自然に打ち解けあった。「フィーリングが合う」とはこのことか!と強く実感させられる人だった。お別れの時はとても悲しくて、お互いボロボロと涙を流して別れを惜しんだ。その場面と心境は、今でも鮮明に思い出せる。

彼女は1年後に帰国し、またしばらくはアシスタントを務めてくれた。しかし、それも長期のものではなく、彼女はもちろん私もそれを望んではいなかった。彼女にはやりたいことがあったし、そのための渡米だった。だから、私もその実現を心から願っていた。そして間もなく彼女は夢の第一歩をつかみ、CGデザイナーの仕事に就いた。しかしそのプロダクションは沖縄にあり、二度目の別れがやってきた。

それから5年間、お互いがお互いの人生を試行錯誤しながら生きてきた。その間に私たち自身やその周辺のさまざまなことが変化したが、「フィーリングが合う」関係の根幹にあるそれぞれのありようはそのまま残っていた。再会した今晩、私たちはやっぱり打ち解けあっていて、いろんな話をしていて、ここ数年に起こったことや最近の事柄、思っていることや考えていることのあれこれを自然に共有し、夜更けを迎えた。それが、その関係性の存続を実証してくれているように感じられて、私はとても嬉しかった。

これを読んで、「あぁ、あのコか!」とわかった方、現在は東京に戻ってフリーランスとして頑張っているそうです。

■2004/1/28(wed) 前向きに苦悩する私たち

私もその友だちも、全く違う場所に立って同じ光景を見つめている。これから、どうしよう。そういう自分と対面している。それは、決して後ろ向きなものじゃない。お互い、地に足をつけ、前を向き、自分なりに今を生きているつもりだ。そういう前提にある「これから、どうしよう」。だから、私は彼女に共鳴する。

今をきちんと見つめているからこそ、これが一生続くわけじゃないし、これを一生続ける気がないことも自分で知っている。終わりを見据えているからこそ、今の暮らしにその意義や幸いを感受できる部分も大いにあると思う。

そんなところだけ、ちょっとしっかりしているふうに自分を語ってみても、結局その先を訊かれれば、なんとなくの志を抱き次の一手を模索しながら、「どうしよう」「どうなるんだろう」を繰り返しているのが今の私の現在位置だろう。

それでも、そんなことを唱えながら今のことやこの先のことを想っていると、ふとぼんやりした何かが見えてくることもあるし、良い風が吹けば敏感に反応することもできる。今はそんな曖昧な前進を続けながら、一歩先に踏み出そうとする彼女の背中を見守っている。

彼女に比べれば、微熱のように浅い苦悩がここにある。遠くに広がる光景を静観し、ここに吹く風を感じ、時にはその風に身を預けながら、目の前に続く道を歩いていく。それが、これからしばらくの自分なのだろうと思う。

■2004/1/25(sun) さようなら、白クマ

私は白クマを飼っていた。白クマが初めてわが家にやって来たのは、私が幼稚園生くらいで、白クマも人でいえば幼稚園生くらいの年頃だった。私と白クマはとても仲良しだった。私たちはすくすく育った。白クマは私の倍のスピードでぐんぐん大きくなった。

ある日、誰かが白クマを迎えにきた。家族は誰も止めなかった。私も歯を食いしばっていた。私は、誰かが悪い人ではないことを知っていた。たぶんどこかの動物園の人だ。仕方がないということを、私は前日までに親に諭されていた。

白クマが車に乗り込む直前、私たちはどちらともなくさようならのハグをした。私は白クマを全身で包み込んだ。白クマも私を全身で包み込んでくれた。私たちはすごく悲しかった。悲しい気持ちで、確かに心が通っていることを感じていた。ドナドナの歌が聞こえてきそうな切ない夢だった。

最近私はよく夢をみる。登場人物もストーリーもてんでばらばらだが、どっからそのネタ持ってきたの?と自問してしまいたくなるようなストーリーで、どれも切ないという点で共通している。前にもこんなこと書いた気がするけれど、夢はいったい誰がつくっているんだろう。本当に不思議だ。

■2004/1/18(sun) 記録より、記憶より

JR東海のCM、金閣寺が映し出されて、長塚京三さんの言葉。「写真は絵はがきにまかせて、じーっと見つめています。そのために来たんですから。」

結構前から実践していたことで、一人合点した。旅先で出会うさまざまなものをカメラにおさめることばかりに気を取られていると、それに直接触れたり、匂いをかいだり、何かを感じたりということをおろそかにしてしまう。両立できれば一番いいのだろうが、私は二つのことを同時にできない典型。三角食べもできない。欲張りはやめて、海外旅行でない限りカメラは持たない。

何十枚の写真より、その時その場所にいた自分の感覚をたくさん持ち帰りたいと思う。そうして再びその地を訪れた時、その姿に、その匂いに、その肌触りに、私の五感が「あぁ懐かしい」と感じたら、それはとても幸せなことじゃないかと思う。写真をみて「あぁ懐かしい」と振り返るより、ずっとずっと心満たされるんじゃないかと思う。アルバムを開けばいつでも感じられる懐かしさではないけれど。私の五感がそんな記憶力いいかどうかも怪しいところだけれど。

でも、開き直っていえば、記録も記憶も残らなかったとしても、それはそれでいいのかもしれない。例えば子どもの運動会で(・・・って旅じゃなくなってるけど)、応援席のお父さんやお母さんがビデオカメラで撮影することに気をとられて、記録を残すことにばかり必死になって、大声を出して応援することをおろそかにしていたら、子どもの走る姿を自分の目で見届けられていないのが現代だとしたら、私は涙が出るほど悲しい。

記録に残せなくても、記憶に残せなかったとしても、精いっぱい応援して精いっぱい走ったら、私たちの中にはいつまでだって何かが生き続けるんじゃないか、そう思う。大人になって、小学生時代の運動会のことなんて何一つ思い出せなくなったとしても、きっと形のないものが在り続けているんじゃないか。そこに今なお在り続ける何かの方が、記録より、記憶より、ずっと大切なんじゃないかって思う。

まぁ、かなり極論の話だ。記録も、記憶も、本当はすごく大切。ただ、そっちに偏りすぎちゃいけないよねって思うのだ。

■2004/1/10(sat) 自分の言葉辞典

言葉の中には、他の人が使っているのは聞いたことがあるし、言われればその意味もわかるのに、自分の言葉としては一度として使ったことがないというものが少なくない。私は語彙力が乏しく、とくにそう感じることが多いと思う。

この間も、テレビでダウンタウンの松ちゃんが、何かを見て第一声「秀逸ですよ!」と発するのを聞いて、松ちゃんってスゴイ!と思った。自分の言葉として「秀逸」という言葉が登録されているなんてステキ。私も素晴らしいものを見た瞬間、思わず(←ここがポイント)そんな熟語を発してみたいものだと思った。

知っているだけの言葉を、自分の口から発する言葉として再登録するためには、いったいどうすればいいのだろう。やっぱり一度小声で実際に使ってみるのがいいだろうか。

そのためには、まずこれまで知ったかぶってきたその言葉の意味を、辞書を引いて正確に理解することから始める必要がありそうだ。言葉の認識が曖昧だからこそ、その言葉のデビューが先延ばしにされてきたにちがいない。「秀逸」とは“ずばぬけて優れていること”を意味する。なるほど。

ではいざ使ってみようという段に及んで、そう都合よく秀逸なものが目の前に現れるはずもない。とりあえずその言葉を使えそうなシーンを自分なりにイメージして、例文を作ってみるのがいいだろう。じっくり悩んで一文作ってみる。

例文作りは、その言葉の意味を正確に理解していないと手も足も出ない。「こりゃ、秀逸ですねぇ」が優れたものすべてに使っていいという感じはしない。俳句はいいけど、テストの高得点は違う、みたいなことになる。すると、その境い目はどこだ?ということになる。創造性に対する誉め言葉として使われるということなのだろうか。例文作りはやはり難しい。というか、そもそもこの文、例文の体をなしていないのだが、そこはご愛嬌・・・。

Googleでその言葉を検索して、いくつか使用例を覗いてみるのもいい。これは新しい言葉を知ったときに時々やっているけど、使い方を間違っている人もいるので、複数例確認することが大切。何はともあれ、その言葉に費やした時間が長くなれば、それだけ頭のしわにも刻み込まれやすくなるはずだ。

本を読む習慣が身について、新しい言葉との出会いが随分と増えた。出会いは増えたものの、結局そのまま放置して、本の中に埋もれてしまった言葉もたくさんある。これからは新しい言葉たちとの出会いを大切にして、あれこれイメージを膨らませ、辞書引きと例文作成に励みたいと思う。そうして自分の言葉辞典が少しずつでも厚みを増していったら素敵だ。

■2004/1/9(fri) 考えてみても

放心状態だったというわけではない。風邪がなかなか治らず、喉の痛みと悪寒、頭痛に腹痛とあれやこれや格闘し、仕事の能率も上がらず悔しい思いをしていた。そんなわけで、ここ数日は家に帰るとすぐ布団の中にもぐりこんでいたのである。で、先日のことをあれこれ思ったり考えたりして過ごしていた。

相変わらず実感に至る状態ではない中で、時々一気に押し寄せる「やりきれない」としか言いようのない彼女への思い。その上に、これまで出会ってきた大切な人たちにも、もちろん私自身にも、いずれ必ず「死」が訪れるのだという恐怖が現実味を帯びてのしかかってくる。

その突然のことに対する理由については、こんな私がいくら考えても、これという答えが見つかるはずもない。行き着くところ、こんなことに「理由」なんてないのだ。理由なんてあるはずがないのだ。「これこれこうだったから、そうなった」なんて、あってたまるものか、ということだ。

人はそんな危うい世界の中で限りある命を生きているというだけだ。自ら生まれることも、自ら生き長らえることもできない、みんなちっぽけなただの生き物だ。国民の平均寿命がいくつなんて、最終的には個人の持ち時間になんら関係のないことだ。人の力の及ばぬところで、その人に固有の時間がただそこにある、ただそれだけだ。書いてみたものの、やっぱり何がなんだかよくわからない。うだうだ申し訳ない。

心からご冥福をお祈りいたします。

■2004/1/6(tue) 胸騒ぎの結末

真夜中に目が覚めた。午前4時前。こんな中途半端な時間に目が覚めるなんてどうしたことだろうと思った。何かが起こっていないといいな、何かが起こる予兆でなければいいな、そう祈りながら布団の中でじっと目を閉じ続けた。

今日が無事に終わってほっとした。今晩そう締めくくれますようにと、今朝ここまでを下書きのように書き残して、私は会社に向かったのだった。

一日の仕事を終え自宅に戻る途中、私は夜中の胸騒ぎを思い出した。今日あったこと。朝、信号機のトラブルで電車が遅れた。風邪が一向に治らず体調不良。その程度だ。どうやらこのまま今日を終えられそう。ほっとして私は自宅に帰ったのだ。

家でメールをチェックしたら、「悲しいお知らせです」というタイトルのメールが届いていた。昨日、交通事故で前々職の上司が亡くなってしまった。私がその会社を辞める時、直属の上司だった女性、まだ30代のはずだ。

信号無視の車にはねられ、ほぼ即死だったという。いるはずの人がいない。何でだろう。何でなのか全然理由がわからない。実感もわかないし、理由もわからない。どう受け止めていいのかも、何を受け止めるべきなのかもよくわからない。死とは何だろう。

■2004/1/2(fri) 家族旅行でスキー×麻雀×温泉

年末年始に旅行するのは我が家の恒例行事である。今回は群馬県は水上温泉へ。近くにスキー場があるというので、急遽スキーもやることになった。参加メンバーは両親と兄夫婦、妹と私の6名。大晦日の朝、8時過ぎに出発して関越自動車道の三芳サービスエリアで兄夫婦と待ち合わせ、渋滞もなく正午には宿泊先のホテルに到着した。

早速スキー場へ。両親はもう身体が動かないといってスキーは見学、途中からホテルに引き上げて温泉につかっていたので、スキーは若者4人で楽しんだ。兄は大学時代を寒いところで過ごしたのでスキーがうまい。あとの3人はどっこいどっこいだ。初級コースを何度か滑った後、皆で中級コースに足を伸ばし、奇声を発しながらどうにかこうにか降りてきた。そんなレベルである。

それでも5年ぶりくらいにスキーをやってどうにか滑って降りてこられるというのは、なかなか嬉しいものである。とりあえず幼いうちに身体に覚えこませておくものだなぁと思う。私が初めてスキーをしたのは小学生の頃。今回同様の家族旅行で苗場に行った時のこと。父は子どもたちをリフトに乗せ、リフトから降りる時点ですでにスッ転んでいる私を確認しておきながら、転び方すら教えずに山のてっぺんで私の背中をポーンと押した。私は当然そのまま雪山を落っこちていき、通りすがりの大人にぶつかって止まった。なんてはた迷惑な。

ビービーと泣いている私のところに父がやってきて、中途半端な山の途中、もう滑って下るしかないという斜面で、父は私に転び方や滑り方を教え始めた。父いわく、最初にああやって度胸をつけておいた方が上達が速いのだそうだが、兄と妹は同じ教育方法でなかった気がするのは私の気のせいだろうか。そんなことを懐かしみながら滑っていたので、今回靴を履いて雪山のスキーヤーを見上げている父の姿を目にするのはちょっと寂しい気分だった。

さて、大晦日といえばレコード大賞に紅白歌合戦。ごちそうをいただきながらテレビ観賞して就寝・・・では終われない。我が家で大晦日といえば麻雀なのだ。といってもここ数年はやっていなかったのだが、小・中学生の頃には大晦日に家族で麻雀、お正月には親戚のうちで麻雀大会というのが恒例だった。今回久しぶりにやろうということになって、「麻雀って何?」というお姉さんも巻き込んで、0時前まで家族で麻雀をしていた。運だけで結局勝ったのは私だったのだが、あいにく何もかけていなかったのでお年玉はなかった。

2004年を迎えた時には、麻雀も終えて一人で露天風呂につかっていた。目の前の渓流がザザァーという水の音を奏で、夜空には花火があがっていた。スキーをした翌日は必ず風邪をひくという習性に従い風邪ひきの幕開けとはなってしまったものの、ぜいたくな一年の始まりだった。

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