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2003-10-06

ベルリン旅行

2003年10月初旬にドイツの首都ベルリンを旅したときのお話。現実逃避にお一つどうぞ。

■2003/10/6(mon) 飛行機を遅らせた女

朝5時起床。6時過ぎには家を出発。7時半、成田空港着。チェックイン完了。初の海外一人旅も、ここまでは順調だった。荷物も預けてほっと一息。9時半の出発までだいぶ時間があるなぁと思ってぼーっとしていたら、あっという間に9時になっていた。あぁ、そろそろ飛行機に向かわないと・・・と立ち上がる。

すると目の前には長蛇の列。なんでこんなに混んでいるのだろう。月曜日だから?まぁ焦っても仕方ない、待つしかないか。そう思ってまたぼーっと順番を待っていた。ここで私が並んでいたのは何の列か。それは搭乗待ちの列ではない。手荷物検査待ちの列である。つまり未だこれから同じ飛行機に乗る人の群れではなく、これから海外に出るあらゆる人の群れの中にいたのだ。

これが誤りだったということに気づいたのは、数日後帰国の際にフランクフルト空港を利用した時のことだった。チェックインを終えたらそのまま手荷物検査→ 出国審査を済ませ、搭乗ゲートまで行ってから一息しなくてはならないところを、私はチェックインした時点で一息入れてしまって、多くの手続きを残したまま出発時刻までの時間をつぶしてしまっていたのだ。

というわけで、この時点では何の問題意識もなく、また出発時刻がせまっていることにも気づかず、のんびりと手荷物検査を終えてエスカレーターを下り、出国審査待ちの列に並ぼうとしていた。その時である。係員の女性が私の名前を叫んでいる。あれ、私のことだ!と思って、その女性に「私です」と声をかけると、「お急ぎください!列の前の方に割り込ませてもらってください!もう出発時刻です!」と、一言一言「!」マーク付きでせかされる。そういえば、並び出してからすでに20~30分経過してしまっているような気もする・・・。

ぺこぺこと謝りながら列の前の方に行き、割り込みさせてもらう。手荷物検査を終えると、先ほどの女性が「走ってください!走ってください!」と私を追い立てる。猛ダッシュ。搭乗ゲートまでたどり着いてチケットを見せると、確認もそこそこに受付の人が「早く!早く!」と引き続き猛ダッシュを促す。飛行機に駆け込み、最後の客を待ち構えていた乗務員さんや整然と着席している乗客の皆さんに申し訳なさそうにして、自分の席へと急ぐ。

着席してふぃーと一息つくと、隣の席の男の子に「出発時刻を3分過ぎちゃいましたねぇ」といじめられる。それでもまだこの時点では、本質的な問題は自分ではなく、空港内の混雑にあったと信じていた。なんと恐ろしいことだろう。そんな気の抜けた出会いで、この男の子とあれこれおしゃべりしているうち、あっという間に経由地ソウルに着いてしまった。

■2003/10/6(mon) 若者

成田から韓国までの飛行機で隣り合った男の子は、私より5歳は年下だったと思う。まだ学校を出て間もないと言っていた。お父さんがやや長期の出張でジュネーブだったかそちらの方に滞在しているらしく、その期間中にロンドン一人旅を経由して、お父さんのところへ仕事の手伝いに行くと言っていた。

最初の出会いが出会いだっただけに、またお互いに一人旅だったこともあり、その男の子は気さくにこちらに話しかけてきて、私たちは韓国に着くまでほとんどずっとおしゃべりをしていた。話す量はお互い半々くらいだったと思う。

その男の子は定職には就いておらず、音楽活動に励んでいるようだった。既成の枠組みのようなものにおさまるのがいやで、大きい野望をもって生きたいと切望しているようだった。こういうことを言う若者の中にはいろんな人がいるが、私には彼が自分なりにしっかり自分の人生を考えて生きている男の子に見えた(なんか偉そうだな)。

ただ、彼にとって学校を出た後の「一般社会」の風景はひどく薄汚れていて、くたびれていて、創造性のかけらもないような世界に見えているようだった。サラリーマンという生き方に対する拒否反応に、それは如実に表れていた。何も生み出すことなく、上司にへつらって毎日を送る組織の歯車的イメージ。新橋で酔っ払ってTVのインタビューにつかまり、真っ赤なほっぺで不景気を嘆き、小泉批判のためのマスコミの道具にされているようなイメージ。そんなものがしっかり植え付けられているように感じられた。

私は彼から、また彼と同世代の若者たちから、その偏見を少しでも取り除きたくて、いろんな話を聞き、いろんな話をした。私は今学生時代に戻りたいとは思わないし、教育の仕事に出会えたことをとても幸せに思っていること。最初は何がやりたいなんてものが全然見えていなかったこと、だけどやってみて初めて仕事の面白さを知ったこと。仕事って面白いんだよ、やりがいをもってやっている人ってたくさんいるんだよってこと。それから、サラリーマンといってもものすごくたくさんの仕事があって、ひと括りに語れるものではないこと。それでもどんな仕事にもクリエイティビティは必要だし、私の周りにはそういう力を発揮して仕事をして輝いている人がたくさんいること。そういうことを、できるだけ彼がイメージしやすいように、お説教に受け取られないように、ただの何でもないおしゃべりのように、内側に熱い想いをこめて一生懸命に話した。

彼はひどく驚いていた。「仕事が楽しいって言う人に生まれて初めて会った」と言っていた。それに私も内心驚いた。「今まで一度も聞いたことがなかった、話を聞けてよかった」と言ってくれた。とても嬉しかった。

大人は若者にもっと伝えていかなくてはならないと思う。新橋で酔っ払っているお父さんたちだって、昼間はびしっと格好よく戦士みたいに仕事に励んでいることだろう。だけど、そういう映像はなかなか伝わっていかない。マスコミも私たち一人一人も、伝えるべき対象に、伝えるべきものを、しっかり届けていかないといけない。そういう姿勢がとても重要だと痛感したひと時だった。

やる前からくたびれた印象ばかり吸収して、頭でっかちに「社会に出たくない」「フツーの大人になりたくない」なんて足踏みしてしまうのは、とてももったいないと思う。勿論いろいろな生き方があるのは良いことだ。話を聞く限りでは、彼の望む道はサラリーマンという分類ではないようだった。だけど、逃げ場ではなく自ら選んだ道が、分類するならサラリーマンに属するという生き方だって必ずあるはずだ。だから、若者が壁を作らず不安と期待両方をしっかりもって、もっと生き生きと大人社会に入ってこられるようにできればなと思う。そのために私たちができることは、きっとたくさんあると思う。

■2003/10/6(mon) 電車に乗り遅れた女

ソウルのインチョン空港着。ここでフランクフルト行きの飛行機に乗り換え。出発までは1時間弱。今度は余裕をもって乗り込もうと、次の搭乗ゲートに向かう。向かっているつもりなのに、視界からはどんどん人が消えてゆき、ついには誰もいなくなってしまった。それでも「ソウルの空港は空いているなぁ」なんて、のん気なことを考えながら写真を撮っていたら、警備員さんに「ここは写真撮影禁止」、ついでに「ここは進入禁止」と注意を受ける。じゃあ私はどこに行けばいいの?と尋ねると道案内してくれた。その後にも迷子になって危うく乗り遅れそうになったが、どうにか人並みに時間どおり搭乗することができた。

今度は周りが韓国人だらけ。黙々と10数時間の空の旅を終え、フランクフルトに着いた。続いては電車の旅。ICEという日本でいう新幹線のような電車に乗って、目的地のベルリンを目指す。が、ここでもまたトラブル発生。フランクフルト空港駅まで乗り入れているベルリン行きのICEに余裕で間に合うと思っていたら、ふと目に入った駅の時計が自分の時計より1時間先を刻しているではないか。あぁそうか、ドイツは今サマータイムなんだ!と気づいた時、本物の時計は当初乗車を予定していたICEの出発時刻を1分過ぎたところ、私はまだホームまで数100m残された地点を歩いていた。あーぁ。

それでも、もともと飛行機が遅れることもあるだろうと、我が友はこれに乗り遅れた時の経路も案内してくれていたので、作戦変更で第2の策に沿って動く。途中まで来た道を引き返し、短距離用の電車に乗ってフランクフルト中央駅に移動。そこから別のICEでハノーファまで行って、そこまで車で迎えにきてもらうことに(乗り遅れたICEがベルリン行きの最終列車だったのです)。

中央駅で友人に電話を入れ、無事ハノーファ行きのICEに乗車。これで一安心。座れるといいなぁと思ったが、乗った車両がずいぶん立派なシートだったので、これは怪しいなぁと思って制服を着ている人に尋ねると、ここはファーストクラスだと言う。何も考えず空いている席に座らなかった自分の判断に心の中で拍手喝采、スタンディングオベーション。「セカンドはあっちにあるよ」と指差しで案内してくれたが、どこからがセカンドクラスなのかわからないし(隣の車両も席が結構立派だった)、これからまたセカンドを探し、それが本当に座っていい席なのか不安に思いながら過ごすのも面倒になって、荷物を通路に置き、荷物に寄りかかって眠りに入った。とにかくとても眠かったのだ。後から友人に聞いた話によると、セカンドクラスも結構立派な席だというので、おそらく隣に見えていた車両は座っていい席だったんだろうと思う。

数時間後、寝ぼけまなこでハノーファに到着。時間はもう夜中の11時過ぎ。友人に電話を入れると、今こちらに向かっているところだと言う。そう、ハノーファは彼女が住むベルリンからまだ随分離れたところだったのだ。しかし、真夜中友人の彼が長時間車を走らせてくれて、私たちはこの数十分後無事に再会することができた。数年ぶり、それも異国の地で再会、私たちは思わずハグして挨拶を交わした。ベルリンの友人宅に到着したのは深夜2時過ぎ。夜食にドイツの黒パンをいただき、ふわふわのベッドで寝かせてもらった。

■2003/10/7(tue) 心豊かなドイツ

朝9時頃に起きてシャワーを浴び終えると、友人がパン屋さんに朝食を買いにゆくというので、子どものようについていった。昨日フランクフルトに降り立った時にはすでに日が暮れていたので、ドイツの街並みを目にするのはこの時が初めてだった。

彼女はベルリン郊外のアパートに住んでいる。ベルリンは東京23区より広い面積を有しているが、人口は少なく自然の多い街だという。実際、彼女の住むアパートの近くは、本当に緑が多くて落ち着いた環境だ。住んでいる部屋は60平方mほどあって、私や彼女が東京で一人暮らししていた部屋と比べると3倍の広さ。にも関わらず、家賃はその頃の半額以下なのだ。天井が高く窓も大きくて、とても開放感のある造りだ。

彼女は道を歩きながら電車に揺られながら、本当にいろんな話をしてくれる。ドイツに移り住んで1年足らずなのに、これだけこの国のことに通じていることに心から感心してしまった。ドイツ語を覚えるだけでなく、この国の暮らしや習慣を吸収し、文化や歴史、政治にまで関心を寄せて生活を送っている。本当にすごいなぁと思った。

彼女から聞いた話で、強く印象に残っている話の一つは、原則としてあらゆるお店は、週末一切営業してはいけないことになっているということ。スーパーもデパートも週末は一斉にお休みするのだそうだ。日本のスーパーやデパートが年々閉店時刻を遅らせ、今や食料品売り場を24時間営業にするところも出てきたことにひどく疑問を感じていた私には、この決まりがとても素晴らしいものに思えた。

これは小さな商店を守るための策とのこと。この国はそういう小さなビジネスを大切にする意識が非常に高いのだそうだ。そして、大手のスーパーやデパートに勤める従業員が土日働かずに家庭生活や余暇を楽しめるという点でも、これはとても大切なことだと思う。「できること」を片っ端からやっても意味がない。私たちは、できることだったら何でもやるのではなくて、やるべきことをやるようにしなくてはならない。最終的に人が豊かになるための取り組みでなければ意味がないのだ。

いろんな話を聞きながら一通り観光を終えておうちに戻ると、次は晩ごはん。今日は、彼の幼なじみや、彼女がこちらで知り合った日本人の友だちを呼んでにぎやかにラクレット(ドイツを代表する料理)パーティー。ドイツ語と英語と日本語でコミュニケートする大変な会だったが、派手に会を催すのではなく、こうやっておしゃべりを楽しみながら豊かな時間を共有しようとするところが、純日本人が思わず共感してしまう「ドイツ人の素敵なところ」かなぁと感じた。

つづく…としたまま、結局書かずじまいに…。

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