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2003-01-01

2003年前半の話(まとめ)

■2003/6/29(sun) 明日から合宿

明日から合宿に参加してくる。何の合宿かって、自動車免許の合宿。「合宿免許って、学生がするもんなんじゃないの?」という突っ込みは、耳にタコができるほど聞いておりますよ。まぁ、そうかたいこと言わずに。

通学でとれるものなら、もうとっくにとってるわぃ!というのは冗談ではない。もう7年ほど前になるだろうか。1社目の会社を退社した際、私は確かに教習所に通っていたのだ。しかし、まだ「S字」やら「クランク」やらという時期に次の就職先が決まってしまい、それが面白かったり夜遅かったりで徐々に教習所から足が遠のき、結局期限切れになってしまったのである。

そんな私なので、今回再び免許を取ろうと思い立ったものの、私は通学じゃとれない!それでは前の二の舞になる・・・と怯えてしまうのも無理はない。それだけは回避せねば!ということで、今回は(この歳にして)合宿を選んだ次第である。

短期集中で田舎道でAT限定だったら、こんな私でもどうにかなりそうではないか。そんなわけで、明日からしばらく旅に出ることになった。いつ戻ってこられるかはわからない。最短で合格すれば16日間くらいで戻ってこられるらしいのだが、最短で取れる自信ははっきりいって全くない。家族にも「そのうちそっちに移り住んじゃったりして・・・プププッ!」なんていじめられているが、何も言い返せない。

答えは戻ってきてからのお楽しみ。もし環境が許せば、こちらでも状況報告をさせていただくので、どうか応援してやってください。よろしくお願いします。

■2003/6/25(wed) 見えざる手

今日は久しぶりに予定が何もない日。午前中プールに行って、お昼過ぎには家に戻ってきた。母は夕方から友だちとお食事に出かけるそうで、私はお留守番。自分の部屋でごろんとしているうちに、ちょっとうたた寝。意識を失いかけていたところに、電話の音が聞こえてきた。

受話器をとると「あぁ、いたいた」との声。近所に住む中学時代からの友だちである。暇だから今から遊びにいっていいかと言う。ちょうど予定のない日に電話をしてくるなんてめぐり合わせだなぁと思って二つ返事でOK。15分後くらいにはこちらにやってくるという。なんだか懐かしい感覚。友だちから電話がかかってきて今から遊びにくるなんて展開、中学以来かもしれない。

実は彼女と会うのはここ一週間で3回目。とはいえ、それ以前は一年に一度会えればいい方だった私たち。中学卒業以降、年に一回も会わない年もあったと思う。ただ、どの時期をとってみても、何かその時はそういう時期だったんだなぁ、今は彼女と会う時期なんだなぁという、何かよくわからない納得感が自分の中にはある。ここ数年は互いに千葉を離れて暮らしていたのだが、私が6年ぶりに千葉に戻る数日前に彼女も千葉に戻ってきていて、連絡をとりあって二人して驚いた。彼女と私の間に注がれる「何か」があるんだと思う。

いろんな場面で、ふと「見えざる手」の力を感じることはあるのだが、彼女と関わっている時の自分にはそう感じる機会がとても多い気がする。身のまわりに起こるいろんなことが「偶然」という言葉では片付けられなくなるのだ。人には見えない何らかの力が働いているのだと思えてならない。第六感で何かを感じている自分を感じる、不思議な感覚である。

日本には無宗教の人が多いが、当たり前のように「神」のいる国もある。人の力の及ばない領域があると思って生きた方が、何かと生きやすいものだろうと思うのだが、日本はそうではない。ただ、そんな日本でも多くの人は「見えざる手」の力を感じた経験があるのではないか。偶然とは思えないこと。だけど、決して誰かの策略でもないこと。結局のところ、その力のことを、ある国では「神」と名づけているだけなのかもしれないと思ったりする。そんなことも、今日彼女とおしゃべりしたのだった。

■2003/6/23(mon) 6月中は活発に

この日曜は、休日にも関わらず(といっても毎日休日なんだけど・・・)ちょっとした強行スケジュール。ご飯とお味噌汁で朝食をとった後、朝8時半には家を出て、今月まで契約している都内のフィットネスクラブに出向きひと泳ぎ。そこから千葉にとんぼ返りして、正午には兄夫婦の家を訪問、HUBとLANケーブル(複数のコンピュータをつなぐ機器類)を借りる。その後12時半には友だちの家におじゃまして、パソコンの先生をする・・・つもりが、かなりおしゃべりモード。そこでそうめんをごちそうになる。そこも16時には失礼して、16時半からは家族でテニスを楽しむ。1時間半汗を流して帰宅。戻り次第、シャワーを浴びて晩ごはん。食後は、兄から借りてきたHUBとLANケーブルを使って、自分のPCからインターネットに接続できるよう環境整備。人身事故はあったものの、とりあえず予定はすべてクリア。朝と夜で体重が1kg違った。

今日は今日で、また質素な朝食をとって朝9時前に外出。役所で保険や年金の手続き。その後都内のフィットネスクラブでスイミング。それから渋谷に移動して定食やさんで昼食をとる。前にそこで食べた時は感じなかったのに、今回は「味つけが濃いぃ・・・」とひぃひぃいう私の舌に、普通の感覚を取り戻しているんだ!とちょっと興奮。その後デパ地下でおいしそうなプリンを買って、横浜に住む友だちの家に。彼女はすでに1児の母。1歳の男の子を抱いて、雨の中駅まで迎えにきてくれ、久々の再会と赤ちゃんとの初対面に、幸せなひと時を過ごす。彼女は、ごくごく自然に溢れんばかりの愛情を子に注いでいて、その姿がとてもたくましく、とてもとても美しかった。赤ちゃんが話す言葉は、「ばっ」とか「ぶー」とか、さざえさんに出てくるイクラちゃんのよう。でも、表情がとても豊かで、笑ったり泣いたり大忙し。家中を走り回って、ママも大忙し。初対面でも女性には慣れるのが早いそうで、私にもたくさんの笑顔をくれた。

ここのところ、なんらかの手続きや手配→プールで水泳→人と会っておしゃべりというのを、1日の予定に全部突っ込んで結構忙しく過ごしている。6月中はずっとこんな生活。あと一週間ぐらいすると、また生活ががらっと変わるので、今のうちにみんなから元気をもらって元気だめしておかないと。

あ、体重はすぐもとに戻りました。まぁ、そういうもんですよね。束の間の夢。

■2003/6/22(sun) 人身事故

キキィーーー。プール帰りの電車の中で突如耳に響いた轟音。私が乗っていた各駅停車の下り電車がちょうど駅に停車していた時のこと、向かいのプラットホームに入ってきた快速線の上り電車が、悲鳴のような音をあげて急停車したのだ。程なく駅全体に危険を知らせるブザー音が鳴り響くと、各駅・快速の上下線とも静止を余儀なくされた。

辺りをきょろきょろ見回していると、「ただいま、快速線上り電車で人身事故が発生しました」とのアナウンスが入る。まさに今隣に止まっている電車のことである。3人の駅員さんが線路に降りてきて、しゃがんだり立ち上がったりを繰り返しながら事故のあった電車の脇を通り抜けてゆく。死傷者を探しているのだ。向かいのプラットホームでは、警察が「事故を目撃した人はいませんか!」と叫びながら情報収集をし、消防隊も死傷者の救護に必死である。

電車は快速線の方が早く動き出すだろうというアナウンスがあり、各駅停車に乗っていた私も、事故の遭った快速線のホームへと移動して電車を待つ。人だかりができているが、あるところまで近づくとその先は怖くて進めない。何かを見てしまったら、もう取り返しがつかない。あとで後悔してどんなに身体をゴシゴシ洗っても、一生私の記憶から放れないのだ。私は安全地帯で30分ほど待機し、再開した下りの快速線に乗ってその場を後にした。

その日、所用を済ませて夜家に帰り、先ほどの事故をネットで調べてみると、その駅で50代の男性がホームから転落して死亡したと報じられていた。日曜の昼下がり、ホームにいる人もまばらで、中年の男性が「誤って」落ちることなど、まず考えられなかった。きっと・・・、そう思った。

私は、自殺という行為に対して何か言えるほど成熟していない。人それぞれに、それなりの事情があるわけで、頭ごなしに何かを言うことは決してできない。その人のことが見えない状態では、その人に向ける言葉も出てこない。

ただ、その電車を走らせていた運転手さんのことを思うと、その人のことを何も知らなくとも、目頭が熱くなる。その人には何の罪もないだろうに、一生忘れられない深い傷を負うに違いない。その傷を負わせた罪はとても重い。不透明な中でも、それだけは確かなことだと思う。

今の私が漠然と思うのは、その対象が自分であれ他人であれ、「人を殺す」という行為は対象を問わずとても罪深いことなのではないかということ。自分だったら好きにしていいというのは、人の勝手な思い込みのような気がする。金八先生じゃないが、人は人と人の間で生きているもので、自分だけで「在る」ということは、この世に生まれた時点でまずありえない。同じように、自ら「なくなる」ということも、あってはならないのではないか。なんとなくそう思う。

■2003/6/20(fri) 家の電話応対

最近手をやいているのが家での電話応対。一人暮らしをしていた6年間、私が受けていたのは自分個人の携帯電話(PHSだけど)と会社の電話。そのいずれかの流派で対応することが身についてしまっているため、一般家庭にかかってくる電話の応対というのがどうもしっくりいかない。

昨日も今日も、昼間に家にいると営業の電話がかかってくる。クーラーの掃除器具とか、油を一滴も含んでいない基礎化粧品のご案内など。相手も慣れているので、昔のように「うちは結構ですから」と言って引き下がってくれるものでもなく、どうしても第一声でパーンと跳ね除けることができない。いくら聞いても最初から買う気はないので、長く話させるのも申し訳ないのだが、それでも長く聞かせようとするので仕方ない。「別にこれをお勧めしようというお話ではないんです」とか言われて、お勧めしないのになんで電話かけてくるんじゃい・・・とも思うのだけど、そんなのでちゃちゃを入れても話が長引くだけだし。

今日は妹が傍にいて、私が受話器を耳にあてたまま困り顔で妹の方を見ると、妹が「貸しなさい」という目で手を伸ばし、バトンタッチするや否や「うちは結構ですから」といって、ぷちっと電話を切った。そしてお説教された。「どうせ買わないのに話し続けさせてもあっちだって疲れるでしょ、ぷちっといきゃーいいのよ、ぷちっといきゃー」とそんなたくましいことを言う。「それは重々承知なんだけどさぁ、でも話をしているのをぷちっと切っちゃうのもまた心苦しいし、とりあえず多少無理やりでも双方合意の上で会話を終えたいじゃない?」妹からのアドバイスは「お姉ちゃんは昼間の電話を取らない方がいい!」という結論。うん、私もそう思う。避けてはいけないのかもしれない。だけど、こういうことに慣れたくない自分もいるのだ。はぁ、なんて貧弱な姉なんだろう。

昨日は昨日で、中学時代の友だちが家に遊びに来ている時に電話がなってとったものの、どうしてもセリフが会社モードになってしまって、家庭用が出てこない。横で聞いていた友だちも、最初のうちは、営業の電話なのに随分丁寧な対応するんだなぁと思って聞いていたらしいのだが、最後に「はい、かしこまりました」と私が口にした時には、「そりゃーない!」と思ったそうだ。そうかも。家庭用だったら「はい、わかりました」とか「お伝えしておきます」ぐらいでちょうどいいんだろう。なんか、難しいなぁ。そんなわけで、まだまだ「家庭」に生きるにはいろんなことに不慣れな私。課題は日常にてんこもりなのだ。

■2003/6/18(wed) 千葉県

東京や大阪のような派手さもなければ、由緒正しき観光名所というわけでもない。といって「佐賀県」のように歌に乗せて密かな笑いを誘うこともできず。千葉県ってこれといった特徴のないところだなぁと思うのは、地元民に限ったことだろうか。「東京の隣」とか「東京ディズニーランドは実は千葉にあるんだ」とか「九十九里浜は湘南よりは海きれいだよ、沖縄には負けるけど」みたいな。「だから何?」って言われたら身も蓋もないようなネタしか挙げられない。実は私、そういうなんでもないようなところが一番好きかもしれない。

子どもの頃、沼地に行っては、ザリガニやおたまじゃくし、蛙をとって暗くなるまでどろんこになって遊んだ。空き地に行っては、縄模様が入った縄文式土器を拾ったりみんなでボール遊びしたりして遊んだ。道路もみんな遊び場だった。そんな十数年前からこの辺りにも一気にマンションが立ち並んで、沼地も空き地もそのほとんどが姿を消してしまった。いつもお世話になっていたボロボロの駅も、数年前ピンピカの駅に変わってしまった。

それでも最寄駅から実家までの道を行けば、少しは昔そのままの風景に出会える。畑の前に無人の八百屋さん、にんじんやとうもろこしが並ぶ段々畑、そこから見える景色の美しいこと、「車道に狭し歩道に広し」の道路、いつもは歩行者の道なのが、車が通り過ぎる度「歩行者が車に道を譲ってあげる」感じ。昔はまったく意識しなかった一つ一つの風景が不思議と浮き上がって見えてくる。

やっぱり自分の生まれ育った土地は好きなものだ。ずっと好きでいたい、ずっとほっとする場所であってほしいものだ。そう思う。やっぱり故郷はいいもんだろう。戻ってきて良かっただろう。うーん、こうまで言っておいてなんだけど、実はそう単純なものでもないかもしれない。正直東京がいいなぁと思ってしまう自分もいるのだ。社会人になってからそのほとんどを東京で過ごしたためか、なんというか逆ホームシックのような不思議な感覚に陥っているのも確か。

それでも故郷にはこうあってほしいと思ってしまう自分勝手な心のうちに触れると、まるで故郷のことを「亭主元気で留守がいい」みたいに思ってしまっているようで、とても後ろめたい心持ちになる。苦い気分だ。もうしばらくこのままで、気持ちを寝かせて時間を積み重ねてみようと思う。何はともあれ、この場所が好きなのだという気持ちを大切にして。

■2003/6/16(mon) 最後に明かされた恐るべき事実

今日は朝6時前に起床し、引越しの最終準備。お風呂に入って着替えを済ませ、ご飯を食べて・・・とやることを全部やってしまった後、お片づけにお掃除、管理人のおばさまにお菓子をもってご挨拶。あとは、9時半まで窓の外を眺めてぼーっと待機。

時間になると、電気、水道、ガス、引越しやさんと次々にやってきた。みんなここの管理人さんには手をやいている様子。このマンションに初めて立ち入ったらしい水道やさんは、早速1階の玄関先で管理人さんにいじめられたようで、4階にある私の部屋まであがってくると、「管理人さん、怖いっすねぇ」と怯えていた。

引越しやさん選びは、管理人さんが「あたしに任せて」というので、彼女お気に入りの業者さんにお願いした。そんな経緯があったので、搬出作業中はとくにトラブルもなし。管理人さんに再度お礼を申し上げ、私は電車で実家に向かった。実家では母が対応してくれて、搬入もスムーズに。

とりあえずすべてを中に入れ終え一息ついたところで、引越しやさんが一言。「管理人さんとはうまくいってたんですか?」私、「面白い質問しますねぇ」と思わず笑ってしまった。

この引越しやさん、管理人さんのお気に入りだけに、あのマンションの引越しはもう10数件手がけているらしいのだが、早い人だと住んで2ヶ月でギブアップして出ていってしまうらしい。入る時・出る時ともその人の引越しを担当されたそうで、その住人は「もう絶えられません」と随分疲労していたらしい。

戸数は40あるかないかぐらいだが、一月に引越しを数件受けたこともあるらしく、どうやらものすごく人の出入りが激しいようだ。そして引越し作業の途中、皆一様に管理人さんの愚痴をこぼすのだそうで・・・。

私が2年間住んだと話したら、「それはすごい!なかなかできることじゃない」と誉められてしまった。「いやいや、あの管理人さんに気に入られるなんて、並大抵のことじゃない」と私も負けじと誉め返す。何にせよ、一般的にみてもかなりストレス度の高い館に私は住んでいたらしい・・・ことを今になって知る。

確かに不快なことは多かったし、この場で愚痴をこぼしたこともあった。が、私はそれでも立派に成し遂げられた方なのだ!と妙に自分が誇らしく思えてしまった。しかし間違ってもあの館に再び住まうことはない。残された者たちよ、頑張りたまへ。

■2003/6/15(sun) 引越し

今、私は10数個のダンボールに囲まれている。明日でこの部屋ともお別れ。千葉の実家にいったん戻ることにしたのだ。明朝がそのお引越し。数日前から少しずつ荷造りを始め、残すところあと1割ぐらいといったところ。

始めは淡々とやっていたのだが、いつもの癖で、ものを片付けていると手を動かしながらいろんなことを考え出してしまう。ふと気がつくと、窓の外を眺めてぼーっと考え事をしている。で、「あっ」と気がついてまた再開。ここ数日それの繰り返しである。

私は気分がめいった時などにものを片付けたりお掃除を始める習性がある。そうしていると、なぜだか自分自身と対話しやすい空間が広がり、終わる頃には何かがみえていたり、少し気分が晴れていたりするのだ。トイレ掃除とか、お風呂掃除とか、クイックルワイパーで床掃除したりとか。

そこから発展してなのか、何でもなくお掃除をしていても、自然と考えが自分の内側に向かっていくらしい。今回は「引越し」という大規模な片づけなので、今気になっていることに延々と考えが及んでゆく感じ。あることが、少しずつわかりかけてきているような気もするが、今回は考えていることもまた大物なので、まだまだ言葉にならない。何にせよ、ここ数日の引越し準備の時間は結構有意義だったように思う。

引越し前夜ともなると、なんだか無性に悲しい思い出ばかり蘇ってくる。このおうちに住んでいる間は、なんだか悲しいことや辛いことが多かったなぁ。そんなことを思って、しょぼんとしてしまう。よく考えてみれば楽しいこともたくさんあったのだが。きっと最後の夜だから感傷に浸りたいのだろうよ・・・、優しい私はしばらく彼女をそっとしておいてやる。で、後で「いい加減になさい!」と身体を揺さぶって片付けを再開させる。

■2003/6/13(fri) 今日1日で30人くらいと話した

今日は、先日までお世話になっていた会社にお菓子をもってふらっと遊びに。私の頭からつま先まで、服も靴もまったく「黒」がない姿を見て、社長をはじめみんな驚いていた。フフフ。そうなのだよ、あなたを驚かせるために白を着ていったのだよ。驚いてくれてありがとうございました(じゃないとさびしい・・・)。

なぜ6/10の退社日から数日過ぎたこんな中途半端な日に会社を訪れたかといえば、同じビルにある親会社にお勤めの方が、私の退社日になんと餞別をお持ちくださったそうで、その日私は有給消化でお休みをいただいていたため、今日はそれをいただきにゆくと同時にお礼にうかがったのである。

親会社のフロアにそろりそろり足を踏み入れてみると(ここで1回つまづいて笑われた)、なんだかんだとこの3年間にお世話になった方ばかり。お礼を申し上げてしばらく歓談していると、私が運営を担当していた塾の塾長とも、多忙極めるスケジュールの中しばしお話する時間がもてた。勤務期間中はいつもこちらがお世話になるばかりだったのに、皆さんとてもあたたかく迎えてくださって、本当に来てよかったなぁと気持ちよい心持ちで会社を後にする。

その後は、そのまま時間をつぶして夜の予定につなごうと思い、渋谷で時々おじゃまする喫茶店に。カフェオレをいただきながらぼーっとしていると、そのお店の人の中でもあまり自らお話されない印象だった店長らしきおじさまが、しばし私のおしゃべり相手をしてくださって、常連の1年生に昇格した気分を味わう。私にはそういうお店がないので、ちょっと嬉しい。

それでもまだ時間が余っているので、また昔時々足を運んだ別の喫茶店に。アップルティーをいただきながら、またもやぼーっ。クーラーもボーっ。どっちの喫茶店もクーラーがきつく感じるのは、私の身体がおかしいのだろうか。どんどん具合が悪くなってきて、結局いったん自宅に避難。1時間ほど常温で身体をあたためて、今度は水道橋へ。

前の前の会社で一緒に仕事をした同い年の女の子と私も存じ上げるお方の結婚披露飲み会に参加。この会には、私がそこに入社してから3年近くお世話になった部署の新旧メンバーが集っていた。昔同じ空気を吸って遅くまで仕事をした仲間と時を越えて交流できるのはとても幸せなこと。また、参加者の半数を占める私の退社後入社した方々と、こうやって楽しくお話できるというのも素敵なことだなぁと思う。

この場が実現したのも、幹事をしてくださった私の初代上司の呼びかけと、なにより主役のお二人を祝福したいという皆の思いが重なりあってこそ。どうもありがとうございます。二人の間に吹く風は春のそよ風のように自然でさわやかで、見ていてとても心地よかった。どうか末永くお幸せに。

■2003/6/12(thu) 臆病者の宿題

間違っていることなんてわかってる。
人に言われる前に気づいてる。
それしてる最中からもう感づいてる。

イジワルな人はそれを指摘してくる。
私は「イジワルー」と思う。
だけど私はイジワルな人が好きだ。(意地悪は嫌い)

だからそれに応えたいと思う。
応えたいと思うけど、正解がわからない。
間違ってることはわかっても、正解はわからない。

たぶん、それをわかるまでにすごく時間がかかる。
だから私は歯をくいしばって静かにしてるほかない。
私は静かにしてるだけ、人はそれにあきれるだけだ。

だけど、正解を自分で見つけられないなら仕方ない。
その時点で「静かにしてる」以上のことができないなら。
これ以上「静かにしてる」未満のこともしたくないから。

どうしたらわかるようになるだろう。
どうしたらできるようになるだろう。
大切な人を、本当に大切にするということ。

内側からわかっていきたい。何か手がかりがほしい。
今わかるのは、それが私と人との間にあるということ。
万人に通用する正解など、きっとないのだということ。

■2003/6/11(wed) 海を見た

昨日の予告どおり海に向かった。大荒れだった、私の体調が・・・。朝から少し腹痛があったのだが、とりあえず出発してみたのだ。しかし、時が経てば経つほどひどくなってゆく。でも、もう出てきちゃったし、海に行く宣言もしてきたし、今日は降水確率も5割をきってたし、思い立ったが吉日っていうし。意地っ張りにとって、「有言実行」とは良くも悪くも特効薬だとわかった。

結局、電車に乗り込んでガタゴト揺られているうちに「鎌倉ぁ、鎌倉ぁ」。着いたからには、いざ由比ガ浜。あとは若宮大路を直進するのみ。で、歩き始めたはいいものの、体調は悪化する一方。かなり死にそうな状態になって、おじいちゃんやおばあちゃんにも抜かされながら、あきらめずに一歩一歩足を前に出す。ゆっくりでもこれを繰り返していれば、きっと海が見えてくるはず。数十分歩いたところで、ようやく海が見えてきた。静かに歓喜の声をあげる。

海到着。すると、どうしたことだろう。自分でも驚いてしまったのだが、すーっとお腹の痛みがひいてゆくではないか。砂浜に足を踏み入れたところで急に。嘘っぽいけど本当の話。意識はどんどん海に魅了されてゆく。ずーっと見ていても一向にあきない。海に背を向けてみても、すぐに振り返ってまた見とれてしまう。足が海の方に向いてしまう。どうしてなんだろうなぁと不思議に思って少し考えてみたのだが、たぶん理由は「私が地球上の生き物だから」。なんとなくだが、そんな気がした。

ぼーっと立ち尽くして海を眺めたり、砂浜を歩いたり。泣いても笑っても、内股で歩いてもガニ股で歩いても、急にダッシュしても急に立ち止まっても、誰も何もとがめない空間。それがとても新鮮に感じられた。また、広くて大きな海を目の前にすると、そこにいる小鳥と自分が全く大きさの変わらない小さな命をもっているのだと感じられた。そうしてふと気づけば3時間ぐらいがあっという間に流れていて、海って本当にすごいなぁと思った。

もう帰ろうかという時、突然ある不安に駆られた。私はこの海から何かを持ち帰れるのかなって。このまま電車に乗っておうちに帰ったら、また昨日と変わらない自分に対面するのかなって思うと、なんだかとても悲しかった。海に答えを求めていた。自分の中で「よくわからないこと」の答えを海に求めていたのだ。そんなの自分で生み出すしかないのに。

海を見たくて、実際見にいってみたら、やっぱり見にきて良かったぁと思って、それで十分。最後は「また絶対に来るから」と、どうにか自分を説得して切り上げてきた感じ。どんな道も行きより帰りの方が短く感じられるものだけど、素敵な場所に行った時ほど、帰り道がもっとずっと長く続けばいいのになって切なくなる。今日がそうだった。やっぱり行って良かった。

⇒写真はこちらをどうぞ(5枚)。

■2003/6/10(tue) サザンを聴けば

「パブロフの犬じゃないんだからさぁ」とは思うんだけど、久しぶりにサザンオールスターズのベストを聴いてみたら、ものすごい勢いで海に行きたくなってしまった。なんなんだ、この強大な力の源は・・・。

というわけで、明日は海に行くぞ。梅雨入り?知るかぃな、そんなもの。行きたくて行ける状況なら、もう行くしかないのだ。海さん、明日はお願いだから、どうかやさしく迎えてください。やさしい声で、やさしい顔で、やさしい心で。

■2003/6/9(mon) のっぽさんの帽子やら

最近私が欲しいものといえば、帽子、靴、日傘。他にもあげればきりはないのだろうけど、とりあえずはこの3つ。今日は別段「買い物をしよう!」と気合いを入れて出かけたわけでもないのだが、素晴らしい出会いがあってこのうち帽子と靴を一気に手に入れてしまった。

私が気に入っている帽子の形は「のっぽさんタイプ」。昔、教育テレビの「できるかな」にゴンタくんと一緒に出演していた「のっぽさん」がかぶっていたようなの(色は替える)。以前まさにその形の黒の単色&チェックのリバーシブルの帽子をもっていて、ものすごく気に入っていたのだが、ある日どこかでなくしてしまってそれ以来。あちこちのお店を探し回ってはみたものの、一向にそれに近いものとはめぐり会えず、他の形でお茶を濁して早幾年か。同じものを2個買っておかなかったことをどれだけ後悔したことか。

今日は、あの素晴らしさに比べれば多少見劣りするものの、まさに「のっぽさんタイプ」の帽子とめぐり会って思わず衝動買いしてしまった。リバーシブルで、ベージュ単色&茶と白のストライプを即購入。色違いで、黒単色&黒と白のストライプも他店から取り寄せてもらっている。生地の肌触りやツバの広がり加減など、やはり前のものにはかなわないが、それでもこれを買わずにはいられない。なんなんだろう、この必死具合は・・・。

そこから勢い余って、靴屋さんへと足を伸ばす。長いことヒールの高い靴しか持っていなかったので一足ぐらい平べったい靴を、と思っていたところでしょ。財布のヒモが緩んだ今のうちに買っておかないと、また面倒くさがって買わずじまいになるぞ。誰にそそのかされているのか知らないが、そんなお告げに導かれて、前から平たいのを買うならコレと決めていた「Clarks」の靴を購入。

あとは日傘を残すのみ。この際一気に買ってしまおうか、とも思う。2、3年前に買って、一度電車でなくしたのがなんと後から手元に戻ってきて息を吹きかえしたのを機に大切に守ってきた日傘があったのだが、つい先日不覚にもやっぱり電車に置き忘れてしまって駅の忘れ物取り扱い所でもお手上げ状態に。悔しいけど、夏に向けて新しいのを買わなくてはならないかなぁと思っていたところ。しかし、まだ傷を負ってから日が浅いため、踏ん切りがつかない。

あの再会を果たして以来、深い愛着のあった紺色の日傘。あのコは今ごろどこで何をしているんだろうか。もっとお金持ちな人のところに拾われて幸せにやっていればいいが。いや、金持ちは忘れ物の日傘を持ち帰ったりしないよな。雨傘兼用にされてずたぼろになっていなければいいけど。・・・なんてことを考え始めると、どんどん申し訳ない気持ちになる。結局今日は買う気になれなかった。日傘さん、本当にごめんなさい。

■2003/6/8(sun) ドジは6月病

ここ数日蒸し暑い日が続いている。そのためかなんなのか知らないが、最近本当にドジが多い。平面の道でつまづくのは朝飯前、自分の足につまづくこともままあり。「あぁ、次の電車は特急だから乗っちゃだめだなぁ」と思った1分後に、駅に到着した特急電車に乗って遠くまで連れて行かれたのは今日のこと。その誤りに「はっ」と気づくのもまた、当初の目的地から遥か遠くの駅まで連れ去られた後の、とある停車駅にて・・・。

とはいえ、上に挙げたドジは過去にも幾度となく経験のある話で、一応免疫はある。しかし、昨日はこんな私ですらこれまでに経験したことのない新型のドジとの遭遇があった。ある飲み会の帰り道で渋谷駅にいた私は、切符売り場を経由して改札の方へ向かっているところだった。遊び帰りの若者たちがごくごくと改札機に飲み込まれてゆく。

混雑した人ごみの中、私も足早に歩きながら目の前に迫ってくる改札機に快く飲み込んでもらおうとしていた・・・のだが、なぜか切符が見当たらない。今買ったばかりなんだから手に持っているはず。ない。あぁポケットにしまってしまったか。ない。あれ、リュックサックはしばらく肩から下ろしていないし。でも、券売機にお金を投入した記憶は鮮明に残っている・・・。はっ!もしかして切符を取り忘れた?

あわててUターン。切符売り場までたったか走ってゆくと、遠めにも不思議な一台の券売機が目に飛び込んできた。人が一人も前に立っていないのに、「いくらの切符を買うか選んでください」と料金ボタンを赤く光らせている券売機を発見。どうやら私、「切符を取る」以前に「切符を買う」行為すら忘れ、ただお金だけ投入して立ち去ってしまっていたらしい。

こんなことがあっていいのだろうか。まったく記憶がないのだが、「お金だけ入れて立ち去る」なんて、さぞかし敏速かつアホな姿だったに違いない。私が誰かのそれを目撃したら絶対に吹き出してしまうが、「私以外の誰かが私の目の前でそれをやってくれる」確率は限りなく低い。

お店のレジで買い物したものを置き忘れてしまうことはあるだろう。それについては、私以外の人がやってしまっているのを目撃したこともあるし、おそらく「あぁ、あるある!」という類のポピュラーなドジなのだと認識している。が、今回の一件をお店でのそれに例えると、あまりにアホである。お店に入って、レジに行って、お金だけ置いて、店を出てくる。アホというか、バカである。

全部蒸し暑さのせいだ。そうに違いない。私以外のみんなにもそんなことが頻発しているのだろう。免疫のない人はそんな自分の失敗に今ごろ動揺しているかもしれない。でも、大丈夫。私もそうだから安心して。これは蒸し暑さのせい。じきに落ち着きます、きっと。

■2003/6/7(sat) 熱帯魚の世界

私が通っているフィットネスクラブには、フロント前に小さなラウンジがあって、10人くらいはゆったりくつろげるふかふかのソファが置いてある。その中でも間隔を開けて4つ横並ぶ一人用のソファはたいそう立派なもので、身体を横にして足を放り出しても全身を優しく包み込んでくれる。その4つのうちでも特等席なのが、熱帯魚が泳いでいる水槽を斜め前に配したソファ。

なかなかそれに座る機会をもてずにいたのだが、最近は時間にも余裕ができたので、その席が空いているとスポーツ後しばらくそこに横たわって時間を過ごしたりしている。始めのうちは熱帯魚たちのそよそよ泳ぐのを見入っているのだが、そのうち目がとろりんとしてきて、最後には絶対うたたねしてしまう。気がつくと1時間以上経過していたりするが、そうして目覚めたときの幸せなことといったらこの上ない。気持ちよすぎて二度寝してしまうこともある。

ここで眠りぐすりのような効果を発揮してくれる熱帯魚は、これまでいろんなところで通りすがりに見かけたそれとは全く違うものとして私の目に映る。熱帯魚は1、2分でちらりと鑑賞するものじゃないなぁと思った。リラックスした状態で、ぼーっと、ただぼーっと視界に入れて時を過ごす。すると、ある時ふとそれを鑑賞していることの快感にたどり着く。あぁ、熱帯魚が好きな人って、この感覚を味わっているのかぁなんて、よくわからないながら感じ入ってしまう。

熱帯魚たちは、ただそよそよと泳ぐばかり。学校も職場もなければ、家庭の問題に苦悩している様子もない。彼らの日常は驚くほどシンプルに流れているように思われる。人間はなんでこんなにたくさんのいろんなことに苦悩しながら生きているんだろうと不思議に思えてくる。その反面、自由奔放に生きてたくさんいい思いをしている側面もあるから、要は欲張りってことか。

でも、彼らにとって「とあるフィットネスクラブのラウンジの片隅にある小さな水槽の中」が世界の全てという現実もある。そう考え始めると、たいそう狭苦しい一生にも感じられてくる。すぃーすぃーと二掻きしたらすぐに世界の果てがやってきて、180度向き直る。またすぃーすぃーと泳ぐと、すぐ目の前に世界の果てが・・・。一生がその繰り返しなのだ。

弱肉強食の世界とはいえ、人間の観賞用に熱帯魚が自由を失うというのは、どうなんだろうか。唯一の解などないような気もするが、ぐっすりとひと眠りさせてもらった後に夢うつつそんなことを考えていた。

■2003/6/5(thu) 謎の黒装束

京王線は明大前駅。乗り換えのため構内を歩いていると、黒っぽい色の服を着た中年層の男の人たちが10人近く、プラットフォームに上がる階段の下の薄暗い通路の端で、何か身支度でもしているかのように小さな動きを繰り返しながら、何の会話をするでもなく寡黙に不ぞろいな列をなしている。

むしむしとした昼下がり、行き交う人は皆夏の装いなのに、そこだけこれから冬山に向かうかのような格好。長袖長ズボンで、一様に黒いサングラスをかけマスクをしてリュックサックをしょっている。何かを待機しているのか、しばらくそこから動く気配はない。なんなんだろうか。そう思いながら、少し距離をおいて彼らの脇を通過し、プラットフォームへの階段をゆっくり上がってゆく。

ちょうど階段の一歩目を上がろうとしたところで、おばちゃんが隣り合わせた。彼らを横目に見ながら、私と同じく「何なのかしら」と通り過ぎてきた。おばちゃんのスゴイところは、これを心の中で言わずに口に出して言えてしまうところである。しかも一人でいるのに。

階段を半分上がったぐらいで、おばちゃんがまた「何なのかしら」と振り返る。私も彼らが視界から消えたのをいいことに、少し安堵して「何でしょうねぇ」と返してみた。階段には私とおばちゃんしかいなかったので、何も言わないのも無視しているようで申し訳なかったのだ。すると、おばちゃんは市原悦子(家政婦は見た!主演)みたいな目つきをして、「例の“白装束”かしら?」と続けた。が、私、間髪容れずに「いやぁ、黒いですから・・・」と返してしまった。

大人げ・・・ならぬ、子どもげなかったかもしれない(いや、子どもでもないが)。しかし、「今の人たち=異様な集団=白装束」というおばちゃんの解釈は、私には「風が吹けば桶屋が儲かる」的な距離感をもって聞こえてくる。あと何十年か生きたら、私も理解できる域に達するのだろうか。うーん、なんかあんまりなりたくない・・・。

何が言いたいかって、別に異様な人がいましたっていう話ではない。いつもボケボケ言われているこの私が、「人に(それも見ず知らずの)突っ込みをいれた」という記念すべき事実をここに記録し、相方になってくれたおばちゃんに感謝の意を表明し、みんなに自慢したかっただけである。その後とくに事件にもなっていないようなので、本当に登山愛好会の皆さんだったのかもしれません。疑ってごめんなさい。

■2003/6/4(wed) 山口智子のチリ縦断記

先月末に発刊されたばかりの「手紙の行方」(ロッキング・オン)という本を読み始めた。山口智子さんの処女作である。彼女は、私が「テレビドラマをよく見ていた時代」の最後を飾る、凛とした美しさをもつ魅力的な女優さんだ。

この著作は、南北4千kmを超える南米チリを縦断しながら、彼女自身の手で文、写真、イラストを下ろしてゆくというもの。333ページもある大作で、まだ頭の方しか読んでいないけど、彼女の表現がとても豊かであることにはすでに疑いの余地がない。一つ一つの出来事に対して彼女が思うこと、考えることには、とても深い味わいがある。

~人生は突然降って来るものを、受け止めるかやり過ごすか、そこが肝心なのかもしれない。~

私が読み始めるやいなや、心を揺さぶられた一言。「突然降って来るもの」は自ら制御できるものではないが、「受け止めるかやり過ごすか」は自分次第で、そこには確かに自由がある。そう考えると、やっぱり人生とは、人の力の及ばないところと、及ぶところ両方から成り立っているのだろうと思う。状況によっては、それが5分5分とは思えないこともあるだろうけど、でもたいていの場合9分1分でも、自分で考えられる余地は残されているだろう。もしそう感じられない時には、判断の機会を見て見ぬふりしていないか、「一般的な答え」をそのまま「自分の答え」に摩り替えていないか、もう一度落ち着いて確認してみる必要があると思った。

~旅に出る理由を人に問われると、一瞬頭が真っ白になってしまって、「仕事です」などと、ほんとうにつまらない答えを返してしまう。説明しようとしても、うまい説明にならない。なぜならそれは、あまりにも単純なひとことで片づいてしまうからだ。「見たい」「知りたい」ほんとうにそれだけなのだ。~

旅をするなら何よりそういう動機で出発したいよなぁと思う。その反面、この本は、彼女が「見たもの」「知ったもの」の先にある何かを、確かに私たちに届けてくれているように思える。いい本に出会えた。あと3百ページが楽しみだ。

■2003/6/2(mon) 神さまと人間さま

人間とそれ以外の生き物の関係と、神さまと人間の関係をひもづけてみたら・・・ということを考えた。

人間とそれ以外の生き物の関係。例えば。
1.人間とアリ
時には集中して見入ることもあるけど、たいていの場合(とくに大人になると)彼らのことなど全く気にせず歩き、走り、車を走らせ、踏んづけてしまってその命がどうなろうとしったこっちゃない。
2.人間とネズミ
自分の生活圏内で彼らに出会うと、退治しようとする。もしくは生活圏外に追い払おうとする。その時、彼らの生命を脅かそうとも、さして痛みはない。特別な場合を除いて(ミッキーマウスに生まれるとか)、たいてい気持ち悪がられる。場合によっては、人間がよりよく生きるために、実験に身体を使われたりする。
3.人間と犬
お金持ちな飼い主にめぐり会えば、たいそう贅沢な暮らしを送れることもある。一般家庭では、鎖につながれて、まぁそこそこの生活。あとは飼い主の愛情の度合いに大きく左右される。飼い主に捨てられたり、野良犬として生まれたりすると、自由奔放に生きられるか、または人間に邪険にされて地獄をみるか、どちらの可能性もある。

かなぁ・・・と思ったりするわけである。それ以外にも、蛙だったら?とか、ゴキブリだったら?とか、蛇だったら?とか、カバだったら?とか、植物だったらどうだろう?とか、いろいろ例えはあるのだが、その先に話を進めてみる。

では、「神さまと人間の関係」ってどうなんだろうということである。ここでいう「神さま」とは、無宗教の私などが漠然と考える「神さま」というのが前提なんだが。私たちは、「神さまは人間の幸せを願っている」という勝手な解釈をしているのかもしれない。でも、例えば神さまがマクロ的に「地球の幸せを願っている」というのは、なんだか自然な感じもするが、上のような関係性をみた上で改めて考えると、たかだか一匹の「人間」の生命をどれだけ大切に思うだろうか、という気がしてくるのだ。

別に卑屈になっているわけではないのだが、そんな手の届かないものより、隣りにいる人間をまずは信じたいよねって、ただふと考えてみたのである。

■2003/6/1(sun) 地味がいい

私は黒い。肌の色は白い方だが、服の色はたいがい黒い。季節を問わず、肌はあまり露出せずに全身黒で覆っていることが多いので、「修道女」とか「魔女」とか言われたりする。時々茶色い服とか着ていくと、「うぁっ、茶色っ・・・」とのけぞられたりする。洋服やさんに入ると、どうしても黒い方黒い方へと吸い寄せられてしまう。意識的に「今日は黒を触らないこと」なんて誓いをたてて買い物に出かけることもあるが、少しでも気を抜くとすぐに黒い生地をすりすり触っている自分がいて、ちょっと怖い。

なぜ黒なのか。もう長いこと黒を着ていてそれが習慣づいているので、今では「黒が一番落ち着く」としかいいようのないところもあるのだが、大もとをたどれば、黒は日光を通しにくいので肌が焼けにくいとか、色音痴でも黒でまとめておけば無難とか、細く見えるとか、地味で目立たない(場合によっては黒の方が目立つらしいけど・・・)といったところ。あまり派手な色は、身に付けていることに疲れてしまってダメなのだ。

季節を問わず黒集めに何かと重宝するのが「COMME CA DU MODE」。真夏に黒いロングスカート(薄地)を売っている稀有なブランドである。今日は、COMME CA DU MODEを含めいくつかのブランドを展開するファイブフォックスの社員販売会があるというので、知人の誘いでバーゲンに出かけた。

50~80%オフ。女性が集まる婦人服売り場が戦場でないわけがない。私はこういうことで心身に傷を負うのがいやなので、第一線には近寄らず、こぼれものをおとなしく拾うようにして参戦する。それでも、第一線の様子は否応なく目に入ってくる。女って怖い・・・と思う。男性スタッフが売り場に新しく服を追加しようとすると、身体ごとぶつかっていって一気に取れるだけつかみ取る。全身全霊の手本みたいな動きをする。とりあえずできる限りを手中に収めておいて、後からいらないものを一つ一つカゴに戻してゆくというやり方である。そしてまた入り口付近に立ち、新しい服の登場を待機する。私がせこせこ見ている売り場の服たちなど、当の昔にチェック済みらしい。

私の戦利品は上3着、下2着。5着買って2万5千円。単純計算で1着5千円。ちなみに、定価は1着1万~2万円台である。最終日だったためか、午後からの参戦だったためか、今回あまりピンとくるものはなかったのだが、それでも使っちゃうものです、バーゲンというのは。うーん、まぁ大切に着ましょう。ちなみに、買った服の色は黒とベージュが半々。地味で結構。シンプル万歳。

会場は原宿。台風一過の休日、街は今時の若者で溢れ、オバサンはとても疲れてしまったよ。当分原宿を歩くのはやめておこう。今日の締めは、落ち着いた街並みにたたずむお気に入りのおそばやさんで野菜天せいろ。黒い服をひっかけて、そば屋でつるり。私はやっぱりこっちの方が好きだ。

■2003/5/31(sat) 出し切って収束

今週から有給消化のため会社に行っていないのだが、なんだかんだと予定が入って、あっという間に1週間が過ぎた。古くからの知り合いや、現職でお世話になった方と会ってお話をしたり、勤め先の歓送迎会に出向くなど、たくさんの皆さんとお話する時間をもたせていただいた。

本当にありがたい。いろんな人の支えがあって私は生きているんだなぁと、こういう時に痛感する。人生の転機って本当にそうだ。前の会社を辞めた時もそうだった。でも、今回はその時以上に強くそれを感じている。そのことをきちんと自分の中で意識化したいという意志が働いているのだと思う。しっかりと胸に刻んでおきたい、そう思う。

この1週間。人と会う時間は夜に集中するため、日中は一人で今後のことを考えている時間が多かった。あまり前に進んでいる感はなく、どちらかというと日々方向を散らかしている感じ。「一人であれこれ考えて、人と会っていろいろ話して」と、このサイクルを数日続けていると、少しずついろんな方向性が見えてくるのだ。その一つ一つを、まずは肌感覚で「どうかなぁ」と味わってみる。そんな時間を過ごしていた。

時間はとったものの結果的には良かったと思っている。物事を収束させて、ある決断をする前段階には、とにかく可能性としてありえる方向性をあれこれと出してみる時間って大切だと思う。ブレストみたいなもので、くだらなかったり突拍子もないものでも、とにかく出してみる。出し切って、目の前に全部並べてみて、組み合わせてみたり、順序を入れ替えてみたり。そうやってから物事を収束させていった方が、後に後悔が残らないと思うのだ。

でも、収束させてゆく時期をずるずる延ばし延ばしにしてもいられない。こうやって支えてくれる大切な人たちに対して、また自分自身に対しても、精一杯の誠意をもって行動したいと思う。これから一つ一つ答えを出してゆかねば。

■2003/5/28(thu) 人生づくりに思い悩む

最近は、自分の人生についてあれこれ思い悩んでいる。公私とも結構な大波小波が押し寄せている。もがいているようでもいて、そのまま波に飲まれているようでもいて。とはいえ、そう長いこと漂っているわけにもいかず。結局のところ、今はとにかく「思い悩んでおります」としかいえない状況。

喫茶店でお茶飲みつつ、おそば屋さんでとろろそばすすりつつ、電車に揺られつつ、プールで泳ぎつつ、FM聴きつつ、お風呂につかりつつ、ベッドに横たわりつつ。うむむ・・・。いろんな人とお話する機会ももたせていただいていて、それぞれの生き方を学んでは。ウムム・・・。難しいです。自分の人生づくりは本当に難しい。そう痛感する今日この頃。

今、この時期。つまり、職歴は社会人教育一筋7年、27歳女性、一人、これより職無し、家も引っ越そうというタイミングで、あれこれ私的な事情も抱えつつ、過去の様々な反省も踏まえつつ。これからどこで何をすべきなのか。例えば、来年3月までに何を手に入れていたいのか、どう過ごしてゆきたいのか。それを、2、3年後までに広げてみたらどうなのか。今だからできることも考慮すべきか。突拍子ないことも含めて、あれこれ考えている。

小心者ゆえ、なかなか心豊かに休暇・・・というわけにはいきませんが、それもまた私の人生。身体の方は申し訳ないほどしかと休めております。

■2003/5/27(tue) はじまりはじまり

先週末で最終出勤日を迎えたものの、週明け早々所用がありまして、昨日はちょこっと出勤したのでした。なので、今日から「会社に行かない平日」のはじまりはじまり。

昨晩は0時前に就寝。今朝は7時起床。朝からプールに行って(結局ラッシュにもまれてる)、泳いだ後のミストサウナで恰幅のいいチリ人に声をかけられしばし歓談。なんでも、渋谷のど真ん中に豪邸を持ち、シルバーのお店を7店舗ももっているのだとか。ものすごい金持ちっぽい。恐るべし、チリ人。

とはいえ歓談したところで私がお金持ちになれるわけではないので、質素にウィンドウショッピングを楽しんで、お茶やさんで本など読んで帰途につく。最寄駅まで着くと、近所のおそばやさんでとろろそばをつるり。いやぁ、庶民の幸せ。ごくらくごくらく。

で、この後はお休み気分さようなら。自宅に戻って残りの仕事をせっせこ片付ける。久しぶりに集中、集中。夜8時に終えて一息つく。ふぃー。

明日からは本格的に休憩するぞ!というわけにもいかないのだけど、まぁま休憩しつつ、一つ一つ。

■2003/5/26-2(mon) 品のある言葉

やっぱり汚い言葉は使うものじゃないな。先ほど書いた話の中に汚い言葉を含んでしまったら、それがずっと気になって頭から離れない。自己嫌悪。このままじゃ眠れない。なので、反省文。

やっぱり、私は品のある言葉を使いたい。せっかく美しい日本語があるのだから。そうして美しい言葉を使っていると、自然と美しい心が生まれる。いろんなことを、いろんなものを、いろんな人を、いとおしく思えるから不思議だ。

自戒の念をこめて?先ほどの話はそのまま・・・。でも、言葉の反省をしているうち、先ほどの「男性」もなんだかちょっとかわいらしく思えてきました。でも、やっぱりちょっとだけです・・・。

■2003/5/26-1(mon) 車内のマナー「愛の囁き編」

※興奮のあまり、ちょっと言葉が悪くなってしまいました。すみません。

真昼間、そこそこ混雑した山手線に乗って移動中のことである。恵比寿駅で乗ってきた2人組の男女。男性は30代後半くらいで体格は大柄。紺色のジャケットの内側に薄黄色のチェックのシャツ。開襟の胸元にはシルバーのネックレスが鈍く光る。下は渋い青色のチノパンに黒い靴。大きな顔に大きなタレ目がデンとある。女性の方はとても小柄で、「ケバイ」の逆をゆくタイプ。ふち無しの眼鏡をかけ、ベージュのカットソーに、下は落ち着いたエンジのロングスカート。図書館とかに勤めていそうなマジメ風のお姉さん。一応二人は知り合いらしい。

恵比寿を出発すると、しばらくの沈黙の後おもむろに男性が口を開いた。
男性「“ハワイ”のスペルを頭の中に思い浮かべてみてもらえますか?」
女性「は?」
なんだ、突然。頼まれちゃいないが、私も静かに頭の中に書いてみる。
男性「書けました?」
女性「はぁ」
頼まれちゃいないが、私も書けました。
男性「その頭の文字を“H”から“K”にかえてみてください。会った時からずっとそう思ってたんです」
「Hawaii」の“H”を“K”にかえると・・・。お姉さんと私、同時にそれをやってみる。「カ、ワ、イ、イ。」は、何言ってんの?お姉さんと私、たぶん同時に心の中でそう呟く。

今時こんなシチュエーションでそんなこと言う人いるかぃ?絶句。さぶいぼ。隣りのおじさんも絶対聞いてるよ。おなかの中で小人のおじさんがおなか抱えて笑ってるよ。指差してひぃひぃ言ってるよ。そして何なんだ、彼女に向けられたその自称マイルドな微笑みは・・・。「もう、恥ずかしがっちゃって」とでも言いたげな余裕の笑顔。照れてるんじゃないんだよ。嫌がってるんだよ。気持ち悪がってるんだよ。ひいてるんだよー。何で数分前に会った私がわかるのに、あなたがわかってあげられないのよ。いやぁ、参った。参りましたよ。

と、私は勝手におなかの中で大騒ぎしているが、お姉さんは当事者だけに、顔をこわばらせてはいるものの、淡々と交わそうと努めている。
女性「それ、誰のこと言ってるんですか?」
男性「もちろん、君のこと」
女性「それ、今まで何人の人に言ってるんですか?」
男性「君が初めてだよ。Hawaiiの“H”を“K”にして、カワイイって、ね」
おいおい。この期に及んで得意げに解説するなー。口にできるんだったら、最初から「カワイイ」って言え!「君のことがカワイイと思ってる」って言えー!

かわいそう。お姉さんかわいそう。今絶対「うげー、気持ち悪い。それ以上近寄らないでぇ。なんでこんなところでそんなこと言ってんのよ。ばっかじゃないの。このスケベおやじ!」とか思ってるんだろうなぁ。

そんなことしてる間に五反田に到着。そのままお姉さんは彼につかまれる腕を何度も振り払いながら、五反田の街に消えてゆきました。いったい、どういう関係なんでしょうか。まぁ、こんなふうに取り上げちゃいけないのかもしれません。しれませんが、真昼間から混雑した車内で「それ」は、話のネタにはなりますが、やっぱり周囲の迷惑になりますので、ご遠慮ください・・・ますか。

■2003/5/23(fri) 退職のご挨拶

唐突ですが、この度3年間お世話になった会社を退職することになりました。そう言って、「あ、そう」と返されるのはたいそう寂しいことである。「突然の話で恐縮ですが」と恐れ入りながらも、やっぱり驚いてほしいのが世の常人の常。そんな自分勝手に気づいて「驚いてくれてありがとう」と返したら、「驚いてお礼を言われたのは初めてです」と返ってきた。確かに・・・。

今週の頭から、お仕事でお世話になった方や知人に向けて、退職のご挨拶をメールで送った。これを機に、私を「その会社の人」ではなく「個」として登録し直してくださるような方もいて、とてもありがたいことだなぁと思う。その反面「その会社の人」でなくなると同時に、もう関わらなくなってしまうという関係も勿論あるわけなのだが、そうやって人は各々自分らしい人とのつながりを築いてゆくのだなぁと思う。

退職の挨拶に対する人の反応というのは面白い。3年前と比べると、今回は結婚を意識したコメントが多く寄せられた。「寿退社」「花嫁修業」と問う直球勝負もあれば、変化球で?「~にも~にもベビーができて今はベビーブーム」といったものも。この切替しはいったい・・・。「おつかれさま」の一言があった上であれば、近況を添えてくださっているのだと理解もできるが、いきなりベビーブームに始まりそのままベビーブームに終わっていかれると、さすがにこれは「おまえも早く結婚して子供産め!」と言われているんだろうか・・・と思えてならない。まぁ、無理なものは無理なのだからしかたないのだが。

そんなわけで、とりあえず「寿」のつかない退職をすることになりました。6月半ばより宙ぶらりんしますが、今後とも只者の私をよろしくお願いします。

■2003/5/22(thu) 妖精あらわる

昼下がり、駅に向かって通りを歩いていると、前方から「あーあー」と可愛らしい声が聞こえてきた。何だろうと思って顔を上げると、おめめパッチリの1歳くらいのコが、乳母車に乗って空を見上げている。空といっても遠くのお空ではない。どこか中途半端に近くの空(クウ)を仰いで「あーあー」言っている。仮にこのクウを「それ」と表現すると、それに声をかけている風にも見える。

なんだなんだ?と思ってそのまま観察していると、今度はそれに手を振り出した。間違いなく、それに微笑みかけてもいる。たぶん、それに微笑み返されてもいる様子だ。ついでに、それに手を振り返されているようにも感じられる。

おぉ!これが西村知美の語る噂の妖精か。私は静かに興奮した。まさに今、私の目の前で、妖精と人間が対話をしているのだ。このコにはきっとピーターパンに出てくるティンカーベルみたいなのがパタパタ見えているに違いない。すごいなぁ。まっさらに澄んだ心なんだなぁ。私は憧れのまなざしでそのコを見つめながら、その乳母車とゆっくりすれ違った。

本当に妖精かどうかはわからない。でも、私はその時真剣に信じてしまった。そのコの澄んだ目の力がそれを真実にしていたのだ。それが妖精か否かは別として、ちっちゃいコらには、私たちに見えない素敵な何かが見えている。私にはそう思えてならない。

■2003/5/21(wed) 爆笑したい!

“爆笑”という言葉に妙に惹かれてしまう今日この頃の私。昨晩本屋のレジ前で、「松尾スズキによる爆笑エッセイ」と記された文庫本が平積みされているのを発見し、思わず手にしていた雑誌に加えて衝動買いしてしまった。

「大人失格 子供に生まれてスミマセン」(知恵の森文庫)という本。帯には、「この本は、電車の中、または人前で読んではいけません。」との注意書きが記されている。ご忠告ありがとう。とはいえ、私は電車の中でこそ読みたいのだよ。駅のフォームで、喫茶店でこそ読みたいのだ。仕方がないじゃないか。そんなわけで、早速人前で本を開いて読み始める。

いやいや、こういう忠告は素直に聞いておくものである。一本目に乗った電車からいきなりふき出してしまった。帰宅ラッシュで電車はコミコミ。どうにかこうにか、頑張って聞けば咳ばらいともとれなくもないぐらいの中途ハンパな感じにまとめあげてみたつもりだったが、声にしてみれば「んぐっ・・・けほっ」ってな感じでものの見事に分離している。顔も緩む。肩も揺れる。もうだめだ。やっぱり満員電車では止めておこう。そう思い直して、ひとまず本をしまう。

でも、やっぱり気になってしまうのだ。せっかく移動時間を楽しく過ごせるアイテムを手にしているというのに、なぜ我慢しなくてはならないのだ。そうして、 2本目の電車に乗り継ぐと再び本を開くのである。電車1本1ふき出しまでOK。誰がOKなのかわからないが、とりあえず私のOKが出ているということで読書再開。文庫本は電車に最適だ。軽いし安いし、実に良心的である。

そんなわけで、2本目、3本目と「1回ふき出すまで読める」という条件付きで読み進める。これに負けては女がすたる。私は必死に笑いをこらえた。「この先危険区域」というのを笑いの触角で察知すると、その先の一歩は気合を入れ直して臨んだ。笑っていることを人に気づかれないためには、2つのことを守りきれればよいのだ。笑っている顔を人に見られないことと、笑い声を人に聞かれないこと。

まず顔だ。とにかく本と向き合い下を向く。たとえ端の方から緩んだ横顔を見られたとしても、私がその視線に気づかなければ掟には触れない。何せ私はこれの選手であると同時に、審判でもあるのだ。私に気づかれなければそのままこの試合は続行できるのである。

次に声。これは、小さく口を開けて、笑い声を息として体外に送り出す通り穴を始めから作っておいてやることが肝要だ。思わずふき出してしまうという場合、「ぷぷっ」と声化してしまうのは、口を閉じているからである。口を開いて喉元に意識を集中していれば、いきなり笑いが襲ってきた時でも、(ある程度の規模までなら)うまく息化することができるはずである。この時あまり大きく口を開けていると、やはり怪しいので注意が必要だ。肩の揺れにも用心。

そんな努力を積み重ねて、ほぼすべてのページを人前で読破した私は、一方で大きな達成感を味わいながら、もう一方では何か本来の旨みを逃してしまったような感覚に襲われる。なぜだ。そもそも私がこれを手にしたのは達成感を味わいたかったからだろうか。いやいや違う。本来の旨味の方だ。笑いたかったからだろう。爆笑したかったからだろう。なのになんで私は必死に笑いをこらえる状況下に身を置いて頑張っていたのだろうか。あぁ、もったいない。終わってしまったものは仕方がない。書いてある内容を忘れた頃に、またおうちで読み直し、今度こそ爆笑するとしよう。そうしてしばし本棚に眠る。

教訓。本は使用上の注意をよく読んで、正しく読みましょう。

■2003/5/19(mon) 都会の生活

会社帰り、自宅の最寄駅に到着して商店街を歩いていると、ウーウーとうなりながらパトカーが一台、二台と迫ってきた。一人の警官は、テレビでよく見る大きな盾を片手に持ってこちらの方に駆け寄ってくる。なんだ、なんだ?キョロキョロしてみるものの、彼らの目指す場所は私が今通り過ぎてきた先にあるらしく、何が起きているのかさっぱりわからない。これが気にならないはずがないのだが、なにかと物騒な今日この頃。覗きにいって流れ弾にでもあたっては、親も悲しむし、私も辛い(し、痛い)。というわけで、そのままずんずんと直進して家に帰った。その後のことはわからない。新聞社のサイトをみても、とくにそんなニュースは載っていないし、いったい何があったというのだろう。

こういうとき、近所づきあいがあると何気なくこういう情報が入ってくるんだろうなぁと思う。気がつけば、私も都会の生活をしているんだなぁと、ちょっとさびしい気分になる。隣のおうちの人の顔も名前も知らないし、この街のこともあまり知らない。知らないということがさびしいというよりは、関心を抱かずに暮らしてきた自分自身にさびしさを感じているのだと思う。住み始めて2年後に、ようやく窓の外の富士山に気がついたように。人は「関心」を失ったらおしまいなのだと思う。何がなんだかわからない事件のニオイに(・・・は全然関係ありませんが)、もっと人や物事に関心を寄せること、触れること、感じることに前向きでありたいなぁと気づかされた今宵でありました。

■2003/5/18(sun) おじいちゃんな一日

今日は早朝5時に目が覚めた。お昼過ぎまで寝たり起きたりを繰り返し、短い夢をたくさん見たが、どの回も目覚めが悪い。内容はほとんど憶えていないが、1 コだけ鮮明に残っているのは、自分の髪がものすごく薄くなっているというもの。描写が衝撃的なだけに、これだけ意識に残されていってしまったのか。起きてからしばらくしてふと思い出し、反応鈍く一人びっくりする。

いいかげんお昼過ぎまでグダグダしていると、日中にちょっとぐらい外に出ておいた方がいいかなぁという気になる。それで、外にごはんを食べに出かけることにする。行き先は近所のおそばやさん。ここではいつも「卵とじそば」を注文するのだが、今日は気分を変えて「野菜きしめん」なるものを頼む。が、野菜炒めを乗っけたようなアツアツのきしめんが出てきて、あぶらっこいやら舌をやけどするやらで、しょぼくれて店を出る。

とぼとぼ歩いておうちに帰ってくると、ラジオをかけてしばらくぼーっとする。お風呂に入ったり、部屋の掃除をしたりして、今度は昔聴いたCDをとっかえひっかえかけては昔を懐かしむ。また、ぼーっとしていると、日が暮れていた。

なんだか一貫しておじいちゃんな1日。隠居するにはまだ早いぞ、若造。

■2003/5/17(sat) また、いつかどこかで

「また、いつかどこかで」そんなことを言われたら、「9割方ないな」と思いつつ「そうですね」と笑って返すのが人の常である。しかし、私が今日彼女と交わしたそれは、同じ言葉を発しながら内心はまったく違うものだった。発する側の彼女と受け取る側の私、その双方が確信に近いものを胸に秘めていた。それが必要なんだという確信。それに価値があるんだという確信。

私たちが「9割方ある」と比率を逆転させてこの曖昧な言葉を交わしたのは、未来を予測する力が働いてのことではない、未来を創造する力が働いてのことだろう。未来にそれがあることの確率を推測しあったのではなく、「また、やろう」という意志を交換しあったのだ。言葉少なに。

このやりとりをして、私は次にそれに直面するまでに、彼女の最強のパートナーとなれるよう自分を磨いておかねばと思った。彼女はすでに最強である。その彼女が一層力を蓄えてくるのだ。また、いつも私たちの支えだった人たちも。私もうかうかしてはいられない。

今ここに残す言葉たちが、この先いつか落ち込んだ時の自分を救ってくれる気がする。そう思いながら、未来の自分に向けてこれを書き記している。ここまで書き終えてからもう一度、たった5行の彼女のメールを読み返したら、なぜだか涙がぼたぼた落っこちてきて止まらなかった。

■2003/5/12(mon) オブジェクト指向

目の前につらい出来事が起き、しばらくそれとつきあってゆくという場合、私はその現実をオブジェクト化することがある。長いことそれに直接触れていると自分の心が痛むことを察知して、箱の中にしまいこんでそれと関わろうとするのだ。そうして平静を保ってその現実とやりとりする。

だけど、しばらく箱の中にしまいこんでいると、ある時本当にいいのかって自分に突っ込みが入るんだ。今この瞬間に、目の前にある現実を心から受け入れて、胸が苦しくなる経験を避けていていいのかって。日常茶飯事ではまずいけど、何するでもなく一人でいるある時に箱の中から自分の手でそれをすくい上げ心の目でその現実を直視する時間も、それが「過去のこと」になる前に必要なんじゃないかなって思うのだ。

箱の中にしまっているうちに、それをどうとも思わない自分になっていたら、身勝手ながらその方がずっと悲しいことなのだ。だから、ある夜部屋の電気を消して横になった後、ふっとそんなことを思ってむくっと起き上がる。箱を開き、心を開いて、その現実を見つめてみようって思うのだ。目の前にそれがある今のうちに。そうして、その現実を受け止めて「じわっ」とする心に触れると、悲しい反面、少しほっとするのである。

■2003/5/11(sun) ニッポンの朝

たっぷりの大根おろしに、たっぷりのしらす干し。そこにしょうゆをくるりとかけて、あつあつのご飯とひやひやのそれを一緒にして頬張る。その脇には油揚げとお豆腐とねぎのお味噌汁が湯気をあげて待機している。たったこれだけで、この上ない幸せ。幸せって、買うと高いが、作ると安い。何の根拠もないが、寝ぼけまなこでそう思った。はぁ。幸せな休日の朝。アッパレニッポン。

■2003/5/9(fri) 信じるものは救われる

今日は朝から胃が痛い。なぜ胃だとわかるかといえば、以前も同じところが痛くなって医者にかかったところ「胃炎」と診断されたからだ。

以前その痛みに遭遇した時(2002/5/3の「話」参照)は初めての経験だったので、それが胃の痛みだと思わなかった。確かなことは、その痛みがミゾオチの奥にあることだけ。そこで私は、その痛みをもつ器官が「呼吸器系」の何かだと思い込んだ。とくに根拠はないのだが、私の頭の中では、ミゾオチを境に上部は呼吸器系、下部は消化器系に分かれており、ドーンというよりはキリキリ、ジャイアンというよりはスネオにいじめられているノビ太、鈍痛というよりは鋭い痛みの感覚が、消化器系の入り口というよりは呼吸器系の出口で痛んでいるように感じられたのだ。この長さにして何の説得力もない説明だが、まぁ実際間違っていたのだから致し方あるまい。

当時呼吸器系に痛みがあると信じて疑わなかった私は、そこに痛みを覚えてから瞬く間に呼吸困難になった。息がゼイゼイいって、本当に苦しかった。おおもとのミゾオチの奥の痛みよりも、息がうまくできないことの苦しみの方がはるかに勝っていた。そんな状態で病院に駆け込んで医者にかかってみると、「そこは胃です」と言われ、とにかく息をゆっくりするよう指示を受ける。指示通りに意識して呼吸を整えてゆくと、なんだ、ゆっくり息できるじゃないか・・・と、一気にこれまでの自分のパニックを恥じたのだった。

今、私は同じところが同じように痛むので、これが胃炎だと信じている。もしかして当時のお医者さんが実は間違って診断していたり、私がその当時の痛みと同じものだと勘違いしているだけで、実は呼吸器系の何某かが痛んでいるのだとしても、たぶんこの痛みで私が呼吸困難になることはないような気がする。人というのは強くアホな生き物だ。人とくくっていいかわからないが、とりあえず私という生き物はそうなのである。

■2003/5/5(mon) 里帰り

ゴールデンウィーク後半の三連休をつかって、一泊二日で実家に帰った。一人暮らしを始めて丸6年。私が帰省するのは、たいてい年末年始、お盆、ゴールデンウィークの年3回になるのだが、実家にはその都度何かしらの変化がある。冷蔵庫の位置が違うとか、テレビが新しいのに!なんていうのは序の口。庭がなくなって駐車場になっていたり、外壁の色が変わっていたり、私の部屋が父の部屋に!と毎回変化に富んでいる。

いつ帰っても変わらぬ我が家とはいかない。だけど、これを願うのは出ていった者のわがままだと思っている。自分が出ていった後だって、そこに住む人間はそこで今を生きているのだ。だから、住環境が変わってゆくということは、そこできちんと今を生きようとしている意志の現れなのだと受け止めている。

で、今回は何が変わっていたかというと、車が一台なくなって一台増えていた。迎えにきてくれた母の車で我が家に戻ると、十数年お世話になっていた車がなくなっており、見慣れぬシルバーの車が一台。あれ、どういうこと?母に尋ねると、新しいのを買ったのだという。新しいのが父と妹用、今乗っているのが母用というわけ。なんてリッチな家なんだ。免許をもたない私は指をくわえてみてるだけ。長年私をあちこちに連れていってくれた車とお別れの挨拶ができなかったのは無念である。

もう一つ変わっていたのは「住人」。先月妹が一人暮らしをやめて実家に戻ってきたのだ。これまでも、私とは比にならないほど頻繁に実家に戻っていたので、さして変わった感はないのだが、2階に上がってしっかり散らかった妹の部屋を見ると、あぁ戻ってきたのだなぁとしみじみするのであった。

実家に戻って何をするかといえば、まぁあまり何もしないでいるというのが答えになるのだが、私が戻るとたいていする家族行事といえばテニスだ。車で10分ほどのところにあるテニスコートに出向き、炎天下で1時間。日焼け防止対策が欠かせない。半袖のTシャツの上に、フードつきの長袖トレーナー、下は長ズボン。首にはタオルを巻き、フードをしっかりとかぶった上に、黒い帽子(ハット)を装着。妹に白い目で見られながら、華麗にテニスを楽しむ。

5分ぐらいすると、フォームはめちゃくちゃだが、ラリーは続くようになる。1時間やるだけで身体はボロボロになるが、汗びっちょりになりながら球を追ってあっちこっち駆け回るのはとても気持ちいい。やっぱりテニスは楽しい。

そのままの姿で自宅に戻り、シャワーを浴びたら、その後は父を相手にインターネット講座。あれやこれやと説明しているうちに、夕方近くになってしまって、里帰り終了。あっという間の24時間。今度はせめて二泊しようと思う。あぁ、なんかすごい日記っぽい終わり方だ。

■2003/5/2(fri) 四次元ポケット

心は四次元ポケットのようなもの
広くて深くて底なしだ

忘れてしまいがちなのは
自分とおなじ底なしのポケットを
みんなも一つずつもっているということだ

■2003/5/1(thu) どんづまり

子どもの頃、ジーコジーコとひたすら直進するちっちゃなロボットと遊んだ。彼は大きな壁に行く手を阻まれても、そのままジーコジーコと手足をばたつかせ、ただただ体力を消耗していた。彼の姿が今の自分に重なってみえる。私は今もがいている。

■2003/4/29(tue) 木梨憲武さんの個展

今日はみどりの日、昭和天皇の誕生日だ。今年の「ゴールデンウィーク」は、そう呼ぶにはちょっと物足りない連休で、暦どおりに仕事をしている人も多いはず。しかし、ぽつぽつと穴あきでとれる休日だからこそ、例年よりその一日が貴重に感じられるともいえる。今日はせっかくのお休みということで、代官山ヒルサイドフォーラムで開催されている、とんねるず木梨憲武さんの個展「Go With The Flow」を訪れた。

私は木梨さんの絵が好きだ。彼の絵をみて、「この絵が好きだ」とか「この絵を自分の部屋にかけたい」とか、そういう気持ちがどういうものなのか実感できた気がする。あたたかくて力強い心がその一つ一つを生み出している。一枚一枚の絵からとても優しいパワーを感じるのだ。描かれる人も草花も空気も、みな柔らかくてあたたかい。絵を見る時間がこれほど幸せだったのは初めてかもしれない。たぶん、私にとってはピカソより素敵だ。

木梨さんの個展が開かれるのは、これで4回目とのこと。1年1回ペースで開催しているようで、今回は昨年の個展を終えた後からこれまでの1年間に創作した絵画、ペン画、デッサン約100点が展示されている。心地よく、リラックス、流れのまま。そんなコンセプトで創られた色とりどりの作品たちだ。

お子さんの作品も展示されており、奥さんの安田成美さん(女優)の絵もポストカードになっていた。木梨さん本人以外の木梨ファミリーは、以前恵比寿のドラッグストアで見かけたことがある。安田成美さんは、想像していたよりずっと小柄でほっそりとしており、男の子二人を連れて、マネージャーさんらしき人と一緒にお買い物をしていた。あの時に放っていたあたたかな家庭の匂いが、個展会場にも同様に漂っている感じがした。

■2003/4/27(sun) 終末

自分の上に何も見えなくなった瞬間
世界一可能性から遠い人間になる

■2003/4/26(sat) 日常茶飯事

「開運のために小銭を数える」(1コ前の話を参照)なんてのんきなことは言っていられない。お財布を開くと、想像以上に中身がさみしいことになっているではないか。朝から必死に小銭を数えてしまった。まず家を出て駅で切符を買う時に、お札入れが空っぽであることに気づく。いろいろ紙きれは入っているのに、お金の紙は一枚も無し。しかし、小銭入れを開くと500円玉の他ちらほらと銀色のコインが見える。切符を買うのに500円玉を登場させなくても事足りそうである。とりあえず行きは乗り切れそうとみて、切符を購入し電車に乗り込む。

ここで注釈だが、私はここ1年以上定期券を買っていない。おそらく1年半くらいか、毎日切符を買って通勤している。なんでかと言われても、これといって何の理由も見あたらない。機を逃しているとしかいいようがない。ちなみに、切符通勤して1年を過ごすというのは、今の会社に入ってからこれで2度目。つまり、3年近く勤めているうち2年半ほどは毎日切符を買って通っているのだ。これまでに何の得もない。良い子は真似しないように。以上、注釈。

会社の最寄駅に無事到着。コンビニに立ち寄って朝ご飯を買っていくにあたり、500円では心もとないなぁと不安が募る。そこで駅前でお金をおろしていこうとお世話になっている銀行に足を踏み入れたところ、まぁなんという人の多さ。ATMの前は長蛇の列。そのまま失礼する。コンビニに到着して、再度手持ちの小銭を入念に数える。結果、550円あまりの所持金を確認。一つ一つ価格をチェックしながら、商品を選りすぐってゆく。

よし、これで大丈夫。レジのお姉さんの「4XX円です」という「4」の数字を聞いて、胸をなでおろす。得意げに500円玉を差し出す。善良なお客さんとして、ふふんとその店を後にする。お店を出て、すかさず小銭を数える。50円玉2枚、10円玉3枚、5円玉1枚、1円玉5枚。しめて140円なり。あとはこの先徒歩1分の会社に向かうだけ、銀色コインが2枚ついていれば怖いものはない。次に買い物に出る前に銀行に行かないと。自分の席に座って今一度小銭をチェック。開運祈願。ポストイットに「銀行!」。こんなのが私の日常。

■2003/4/25(fri) 開運のカギ

暗雲立ち込める本日、「今日の占いカウントダウン(フジテレビ)で魚座は最下位」との悲報が今朝方メールで届けられた。私は魚座なのだ。「開運のカギは、財布の中の小銭を数えろ!」らしい。なんじゃそりゃ。

占星術が導き出すものに、各星座のその日のランク付けまでできたとしても、「開運のカギが財布の中の小銭を数えること」までははじき出せないだろう。つまり、これは何らか占星術の抽象的な教えを、かなり限定的になるものの具体的な行動に落とし込んだアドバイスになるよう、仲介役の占い師さんが自分の想像力でここに落ち着かせているものだと思う。

こういうロジックで、「財布の中の小銭を数える」に至る手前の開運の施策を考えてみる。要するに、あんまりいいことないから、小さいことでも一つ一つに目を向けてちっちゃな幸せを味わいなさいよ、とかそういう教えだったのかなぁと勝手に考えているのだが、ちょっと安易すぎるだろうか。

それにしても、この「今日の占いカウントダウン」。テレビ局には苦情も入っていると聞くが、確かに自分の星座が最下位になっているのを通告されて朝が始まるというのもなんだなぁ。別にランク付けしなくてもいいじゃんさ、という気にもなるわな。でも、一度知ると気になってしまって、見る見ないの選択の自由があるのに結局見ちゃって苦しんでテレビ局に苦情いれてるんだろうなぁ。人って複雑な生き物。

お薦めなのは、FMラジオ「J-WAVE」の「BOOM TOWN」という番組の中で朝9:50くらいからやっている「スターマン」という占いコーナー。占い界ではおそらく有名な鏡リュウジさん監修のもと、スターマンがわかりやすくその日の星をよんでくれるのだが、ここでは何の星座が調子いい悪いという話ではなく、「今日の星の巡りはこうで、それはこういうことを意味しているから、今日は皆さんこういうふうに振舞うとよいでしょう」といった三段論法で全体向けのアドバイスをしてくれるのだ。抽象的な教えを具体的な行動例に落とし込む想像力も、実にしっくり・・・というか面白くて、飲み込みやすい。ランキングで落ち込むこともないし、お薦めだ。

何はともあれ、小銭を数えながら小さな幸せに目を向けながら、今日1日を頑張って乗り切ろう。すきすきのお札入れを見ても、余計落ち込むことだし。

■2003/4/24(thu) メリル・ストリープに学ぶ

雑誌「Newsweek」(TBSブリタニカ発行)を初めて買った。「シネマ!シネマ!シネマ!」と題された映画特集。表紙はマトリックス姿(真っ黒)のキアヌ・リーブスとキャリー・アン・モス。駅のキオスクに並ぶ雑誌たちの中でも一際目立っていた。で、先日買ってしまった。

たまにはあちら(米国、というか外国)の雑誌を読んでみるのも面白いなぁと思った(日本版ですが)。インタビュー記事などを読んでいると、あちらの人たちのものの考え方や感情の動き方が垣間見られたり、インタビューをした側がどういうふうにその人を言葉で描いてゆくのかがみてとれ、大変興味深い。

映画特集の中には、ジャック・ニコルソンのインタビュー記事や、映画「めぐりあう時間たち」で共演したメリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマンの座談会記事などがある。観ればみるほど好きになる「恋愛小説家」で主役を演じたジャック・ニコルソンの生声もかなり衝撃的だったが、それにもましてメリル・ストリープ。彼女はなんだかすごいことを言うのだ。

「悲しすぎる選択でも、それが最善だというときが人生にはある」

私にはとてもとても口にできないセリフだが、彼女ぐらいの歳になって、そんなことを自然と語れてしまったらすごいなぁと思った。いくつになっても、そんなことできる器にはなれない気がするが。なんだか恐れ多い一言だった。

そして、やっぱり言葉ってすごいなぁって思ったのだ。こうやって断定して言われると、あぁそうか、そうなんだって気になってしまう。言葉が事実をつくっている感覚というのか、言葉に現実が作られてゆく感覚というのか。とにかくすごい。

言葉の威力は絶大だ。ほんと良薬にも毒薬にもなる。私にはまだまだそれをうまく処方する力量がない。ずいぶん足りない。反省することしきりである。

■2003/4/21(mon) タクシーの運転手さん

今晩は、23時半過ぎから急遽社内で会議が始まった。会議室にこもってあれこれと。結局会社を後にしたのは深夜2時前。帰りは当然タクシーコース。

一人でタクシーに乗ったときのその空間は、結構お気に入り。何かしようかなぁと思っても、夜だと車内は暗いし、車の中で小さな文字を見るとすぐ酔うたちなので、本や仕事の資料も開かず、それに悪気も感じずに最初から何かすることをあきらめられる。といって、一人で乗って眠ってしまうのもどうかなぁと思うので、必然的にただぼーっとするのである。

今日の運転手さんは行き先を尋ねた後何もしゃべらないお方で、車内にはラジオが程よい音量でかかっていた。頭が会社モードだったためか眠気にも襲われず、ぼーっとするにはとても良い空間となった。しかし、そんな悠長なことは許されない、ちょっと変わった運転手さんもいる。私がこれまでに出会った印象的な運転手さんは・・・。

一番愛らしかったのは、私が「乗せたお客さん第2号」だった人か。最近は脱サラしてまだ新米だというおじさんの運転手さんが非常に多い。その運転手さんはその日がデビューで、動き出してから少しして私が二番目のお客さんだと教えてくれた。メーターをスタートし忘れたり、目的地に到着してもドアを開け忘れたり。でも、そういうことを全部許せてしまうような愛嬌のあるおじさんだった。怖い人を乗せる前に一通りできるようになって!と心から願った。

新米さんの中でもとことん開き直っている人は、タクシーの運転手になるための試験勉強に使った地図を私に手渡し、「蛍光ペンでラインを引いてある試験範囲の道しか覚えてないから、それに沿って道順を説明してくれる?」という人もいたし、目的地までの経路がわからないようで、新米と悟られないために「どういう経路で行きます?」ときりかえしてくる人もいた。本当にベテランの人は、この一言の後に自分の知っている2、3通りの経路を提示してお客さんに選ばせるので、そこに差が出てしまってばればれなのだ。なんてことを考える客はイヤなお客であるよ。

次に困った運転手さんは、カーナビに頼りすぎの人。カーナビを得意げに使ってみせるのはまだいいのだが、「あれー、こっちだったっけー」とカーナビに疑問を投げかけつつも、自分よりカーナビの言うことを信じて、結局道を間違えてしまい、あとでUターン。これはかなり情けなかったぞ。知らない道ならまだしも自分の知っている道なのに、カーナビにゆだねて道を誤っていては、ちょっとプロっぽくないだろう。

最後に一番怖かった人。タクシーに乗り込んで行き先を伝えると、「××まででいいの?どこまでだって連れていってあげるよぉ。」と不敵な笑みを浮かべたお方。近場だったらちょっとしたイヤミかなぁと思えばいいけど、5~6千円はする距離をお願いしてこれを言われたので、かなり引いた。「ハハ・・・」と乾いた笑いを返してみた。あとはひたすら沈黙に耐えた。

他にも、とくにお話好きの運転手さんとのやりとりには、これまでいろんなエピソードがあったと思うのだけど、忘れてしまったなぁ。もったいないから、また何かあったらここに残してゆこう。こういう体験談、おそらく誰しも持っていることでしょうね。

■2003/4/20(sun) ちんどんやさん

この週末は土日とも仕事で五反田に来ている。そして、二日連続駅前でちんどんやさんを見かけた。なんでまた休日の真昼間に五反田でちんどんやさん?さっぱり意味がわからない。

私が「ちんどんや」という言葉を覚えたのは悪口からだ。子供の頃、兄弟げんかになると決まって「バカ、アホ、トンマ、マヌケ、チンドンヤー」と、自分の知るかぎりの悪口言葉を勢ぞろいさせて叫んでいた記憶がある。(語彙が少なくて思いのたけを伝えきれていないのが無念だ。)

しかし、私はその頃「チンドンヤ」の意味を知らなかった。ただ悪口の一つとして単語登録されていただけなのである。今思うとちんどんやさんに申し訳ないことをした。ちんどんやさんがどういう人なのかを知ったのは、小学生時代に担任の先生が読んできかせてくれた黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」の話の中に登場した時だったと思う。それが広告、宣伝とまでは頭がまわらなかったが、三味線や太鼓で音を鳴らし派手な装いで人目を引く人たちを指すものなのだと理解した。

昨日今日と五反田でちんどんやさんをしている方々は、桃色のお着物を召して、ぴーひょろひょろドンドコドンと鐘や太鼓を鳴らし、ゆらゆらと人並みに揺られている。ここまではイメージ通りなのだけど、よぅく見てみると、さしている雨傘はビニール傘、配っているのは普通のティッシュで、大きなお世話だがトータルコーディネートにもう一歩足りないなぁという感が否めない。

でも、そもそも五反田の渋いビル群をバックにちんどんやさん・・・というところからして似つかわしくないのだな。なぜかと考えてみれば、私のちんどんやさんはもう20年近く前に頭の中で思い描いた、そこからまた数十年遡ったトットちゃんの生きた世界にあるからなのだと気づいた。それでは無理もあるまい。

■2003/4/19(sat) 鉄腕アトム

先日、学生時代にお世話になった先輩から「おやじになりました」とのメールを受け取りました。その先輩と出会ったのは私が18の時。その頃から、小学生くらいのやんちゃなお子さんが二人ぐらいいてもおかしくないぐらいの妙な落ち着きをかもし出していたお方ですが、あれから早9年。とうとう本物の「おやじさん」になられたようで、関係各位に一斉に配信されたのであろうニュースリリースの文面から、なんとも幸せそうな様子が伝わってきました。

お子さんは男の子で、名前を何にしようかとあれこれ悩んでいる様子。私はお祝いの返信に添えて「アトム」はどうかと提案しました。その子のお誕生日は 2003年4月7日。まさに鉄腕アトム生誕の日だったのです。でも、よくよく考えてみると、その日に生まれた男の子ってみんなアトムと命名されるんじゃないかしら。その日周辺生まれの子たちの間では、実はかなりありきたりな名前になってしまったりして。そんなことを思ったのは、そのお方に返信を差し上げた後のことなのですが、まぁたぶんアトムにはしていないと思うので大丈夫でしょう。結局何という名前にしたのか、結果発表の日が楽しみです。

さて、3月半ばあたりからにわかに巷を騒がせ始めた鉄腕アトム。彼の生誕が今年の4月とは、誕生日の数日前初めて知りました。古く昔から慣れ親しんでいるアトムが「今生まれた」というのは、なんだか不思議な感覚です。つい先日生まれた彼の存在が、これまでに多くの科学者を生み出し、日本のロボット産業を世界一に押し上げたという事実(朝日新聞のサイトに書いてありました)。偉大なり、御茶ノ水博士。

私の世代から上は久々の再会といった感じですが、ここ最近のアトム人気で初対面した世代もまたあるようです。先日通勤途中に出会った5、6歳の少年は、車内の広告を指差して「パーマンみたいのがいる!」と叫びました。小さな人差し指の先にいるのは鉄腕アトム。世の中に「鉄腕アトムを知らずしてパーマンを語る男がいる」とは、びっくりたまげました。お母さんが「あれはアトムよ」と返すと、「アトムって外人?英語しゃべるの?」と。うーん、斬新。(でも「パーマン」だってネーミング的には日本人ぽくないよね。)「世代交代」という言葉がいずれわが身を襲ってくることを、少しだけ意識した出来事でした。

この子や先輩のお子さんが大人になる頃には、きっとロボットが大活躍しているんだろうなぁと思います。夢見る科学者たちの研究の積み重ねがロボットを実用レベルに引き上げる日ももうすぐ。ただ、例えば20年後、我が家の家政婦ロボット「ロボンジョ」様と、となり町に住んでいる見ず知らずのおじさんと、突発的な事故で二人がそろって生命を脅かされている現場に居合わせた時、その時代の私たちはどちらを救いに駆け出してゆくのだろうと考えると、ちょっと恐ろしい気もします。また、出した答えは悩んだ末のものなのか、迷うことなく当然の答えなのか。現代ですら、溢れるモノたちとうまくつきあってゆくことに四苦八苦している私たちが、今以上に大切なものが増えた時どうなってしまうのか、思考がおばちゃんの私にはちょっと怖い気もしてしまうのです。

■2003/4/18(fri) 食べず嫌い

とんねるずの番組に「食べず嫌い選手権」なるものがあるが、あれは実際のところ「食べず嫌い」ではなくて「食べてみて嫌い」だろうと、中学だか高校の時分からずっと思っていた。嫌いになってしまったエピソードを聞くと、嫌いになる前にたいてい一度はそれを口にしているからだ。

えばっていうことではないが、私には列記とした「食べず嫌い」がある。まず、コンビニに売っている「イチゴジャム×マーガリンのコッペパン」。これは人によってはポピュラーなものらしく、小さい頃からその組み合わせで食べてきたという人がたまにいるようだが、私には信じられない。コッペパンに挟まれて、なんでイチゴジャムがマーガリンとべっとり交わらなくてはならないのか。あぁ、わからない。

続いて、こちらもまたコンビニで堂々と商品化されているものだが、「イチゴ×生クリームのサンドウィッチ」。これは透明の袋に封じ込められて売り場に並んでいるのを視界に入れるだけでも、ちょっと後ずさりしてしまうほどだ。申し訳ないが、目を合わせられない。きっとイチゴもパンも本意ではないに違いない。といって、別に生クリームを責めているわけでもないのだが。これを考案した人間の脳みそがおかしいんじゃないか?でも、これをおいしそうに食べている人を間近で見てしまったことがあるから、これを考案した人が少なからず世に幸せを提供していることは事実なわけで・・・。うーん、複雑だ。

先日はローソンの新商品で、「チーズ×おかかのおにぎり」というのを見かけた。全身をのりに包まれたそれは、外見で危害を加えるものではなかったが、いかんいかんと思いながらも踏みとどまれず、のりの中へ中へと想像を膨らませてゆくと、Oh my God...。レジに持っていったら「温めますか?」とか聞かれちゃうのかなぁと考えが及んで、またその先に行っちゃダメだ!と思いながら、電子レンジの中でとろけるチーズとよろけるおかかの交わってゆく様をキャンバスに描いてしまって、Oops...。お米は勿論のこと、チーズさんもおかかさんだって本意じゃないわよねぇと遠巻きに同情の念を送りつつ、しばらくおにぎり売り場の前で顔をうねらせた後、私は紅鮭おにぎりを手に静かにその場を後にした。

つまり、素材それ自体の「うまい・まずい」は一度はそれを食べてみてどうなるかというものだが、明らかに組み合わせの気色悪いものは、一度たりとも口に入れることなく「食べず嫌い」に登録されてしまうのである。最近の若干苦し紛れともとれる新商品には、そういうものが非常に多い。まぁ、昔から「酢豚×パイナップル」「メロン×生ハム」に代表される異色の組み合わせはあったけど。誰がいったいどういう経緯で考案に至ったのだろうか。

世の中には気の合う人、気の合わない人がどうしたっているだろう。気の合わない人とは一定の距離を置いてつきあうことで、逆に互いの存在を認め合えることだってあるだろう。私には、これまでに挙げた彼らの関係がどうもそれに当てはまるような気がしてならないのだが、これに異議を唱える人は世の中にどれぐらいいるのだろうか。うーん、なんかたくさんいそうだなぁ。メタメタに打ちのめされそうだなぁ。はぁ、私ってこういう頑固おやじみたいな頭でいるからクリエイティビティがいつまでも高まっていかないのだろうか。でも、素材をとことん生かすタイプの職人さんだっているわけで、私はそっちタイプで創造力を高めていけたらいいかなぁ。そのままでいいんだよ。いや、むしろそのままの君が最高なんだ!みたいな感じで。

■2003/4/17(thu) 海外行きのバス

聞き違いや読み違いの多いことが、私が天然ボケと呼ばれる所以(の一つ)でもあるわけだが、今日は朝から1ボケー(←単位)。

出勤途中、渋谷駅のバスターミナルへ目を向けると、発車したばかりのバスと目が合った。おでこのところに記されたそのバスの行き先は「海外」。そんなアホなぁ!と目をパチクリさせて今一度見てみるも、やっぱり「海外」・・・なんてことはなくて「清水」だった。(ちょっと似てるでしょ)

でも、実際がなんだったかなんてことは、この際どうでもよい。渋谷発の海外行きバス。これ、よくないですか?雑然とした都会から常夏のパラダイスへ。その旅の行方をあれこれ空想しながら一人夢心地で出勤。

いやいや、現実的に考えたらそりゃいろいろありますわよ。そんな長時間座ってたら腰が痛くなるわぃとか、長距離バスみたいに後ろにトイレがついてないのは辛いわぁとか、パスポート持ってきてないよぉとか、今日の打合せどうすんのさっとか。

まぁ、そんなことはとりあえず置いておいて、日常の一切を忘れてそのバスに乗り込む瞬間のワクワク感と、バスの窓から差し込む太陽の光が南国のそれに変わった瞬間のウキウキ感を想うと、それだけでちょっと幸せになれるではないか。

ここしばらく頭の中が仕事に占拠されているためか、つかの間の空想の旅にちょっと幸せな朝だった。世の中の人は私とは比べものにならないほど働いているというのに、情けないことしきり。まぁ、いきなり「できる君」になるわけでもなし、時々仮想の旅に出ながら1コずつやっていくしかないわな。

■2003/4/9(wed) 部屋の契約更新

なんだかんだ言いながら(2002/4/9の「話」参照)、今住んでいるマンションに住み始めて早2年の歳月が過ぎようとしているらしい。管理人さんは相変わらずである。先月顔を合わせた時に、いきなり不機嫌顔で「あんた、もうそろそろ更新時期なんだから、どっちにするのか決めてちょうだい」と攻められ、不意打ちにたじろぐ小心者の私。決める期限まであと一月も猶予があるのなら、いきなりそんな怒らなくたっていいじゃない・・・といじけてしまう。

で、とりあえず考える時間を設けてみる。まぁ決してベストな環境とはいえないわな。が、引越しすることを考えれば、ここで更新する方がはるかに安上がり。先立つものもないし、ここだって一旦玄関の内側に入ってしまえばそう悪くない環境だ。更新とするかなぁとなる。なんか、こう書くと考えるまでもない答えの導き方だな・・・。

そうこうしているうちに、更新するか否かを報告する期限が1日過ぎてしまったようで、玄関口で呼び止められ、「ちょっと!昨日までよ、期限。」と叱られた。期限って普通通達されないものなのか。以前お世話になった不動産やさんがたまたま懇切丁寧なだけだったのかなぁ。そんなことを思いながら「あ、はいはい。更新します。更新でお願いします。」と返す。すると、「更新でいいのね。家賃上がるけど。」って、おいおい。そういうのって、「更新します」って言わせる前に伝えるもんなんじゃないの?と思わず、心の中で声を大にして突っ込み。ちょっと唖然として、「はぁ」と答える。「まぁ千円だからね」って、おいおいおい。自分でフォローするなよぉ。私のセリフだよ、それは。

というわけで、千円値上がりしたお部屋に住み続けることにする。その後も更新手続きの書類のやりとりで、「あんたはいつもつかまらない」など叱られつつ契約書類を渡されて「自分と連帯責任者の署名・捺印を入れて、1週間以内に提出せよ」と指令を受ける。そこでふと気づいてしまったのが、契約書類と一緒に同封されている、不動産やさんが作成したらしい「契約書の記入方法」みたいなご案内資料。その日付欄にあるのは、この日からさかのぼって1週間も前。不動産やさんから管理人さんの手に渡ったのは、もしかして1週間前なのかなぁ・・・などと疑念を抱きつつ、部屋に戻ってすぐさま実家に電話。これから送る契約書に、連帯保証人の署名・捺印をして即効送り返してもらうようお願い。まぁ、どうにかなりそう。

いやぁ、気づかれするなぁ。不動産やさんも私同様尻にしかれているんだろうなぁ。なんか、言い返したところで非生産的な戦いに陥って互いに体力を消費するものの発展的解決を得られないのが想像できちゃうから、弱虫な平和的解決に走っちゃうんだよなぁ。まぁいっかーと。不動産やさん、実権取り戻さないかなぁ。まぁこの山は乗り切れそうだし良しとするか。ぐじぐじ愚痴言ってすみませんです。

■2003/4/7(mon) サクラ咲く

今春初めに出会ったのは、言葉の中のサクラだった。

「散ることを知りながら 咲くことを恐れない」

これは、用美社の「拝啓サクラさく」(黒田征太郎/絵 日暮真三/文)にある言葉。すでに品切れの本らしく、私もこの本を手にしたわけではないのだが、 03/4月号の「ダ・ヴィンチ」で宮沢りえさんがこの本のこの言葉を紹介しているインタビュー記事を読んで、深く心に刻まれた言葉だ。

それが効いてかなんだか知らないが、今年はなんだか妙にサクラが目につく。世の中こんなにサクラがあったっけか・・・と思うほど、一本のサクラの木があちらこちらで私の視界に入っては意識化され、しばし目を奪われてしまう。

ぷりぷりっとしたエビみたいでおいしそうに見えたり、つるるんとした子ブタのお尻みたいでかわいらしく見えたりと、なんだかいろんなものを連想してしまうこともあれば、ただただその美しさに心奪われ、ぼーっと見とれてしまうこともある。

昨年までは、「まぁ、きれい」とは思うものの、正直あまり気にとめてなかったような気がするのだが、今年はずいぶんと扱いが違う。私とサクラが直に向かい合っているというのか・・・。サクラに向かって「サクラさん、あなたは本当に美しいです」とお伝えしたくなるような心持ちになるのだ。

これは、私が歳をとったせいだろうか。いろんなものに深みや味わいを感じられるようになっているという過程での出来事なのだろうか。例えば、昔大嫌いだったナスやピーマンを、ある日「おいしい」と感じてしまって、そんな変化が親にばれるのがちょっと照れくさくてしばらくは無表情で食べていたが、そんな年月をも乗り越えて、今や親公認の好物になってしまった・・・ような出来事の、もっともっと大人バージョンなのだろうか。

10代は食物。20代は植物か。30代はどんな大人の味わいを得ることができるのだろう。やっぱり食物に戻って、唐辛子とかタバスコとか、辛いものが大好きになったりするのかなぁ。ケホッ。あな恐ろしや・・・。

■2003/4/6(sun) 母との電話

所用で久々に母と電話で話をした。父は留守で、お葬式に行っているという。「誰のか」と聞けば「部下」のだという。まだ30代の男性。一昨日の晩に酔っ払って赤信号に飛び出し、タクシーにひかれて即死したのだという。とはいえ目撃者もおらず、ひいた運転手の証言しかないため、実際のところはよくわからないらしい。彼には責任ある仕事を任せていたらしく、父のショックは大きかったようだ。

会ったことがないとはいえ、「父の部下」というとちょっと身近である。30代というのは、やはりあまりに早すぎる。「元気に顔を合わせた翌日にその人がこの世にいない」というのは、ちょっと受け止めがたい。こんな話を親から聞くと、一層心にドンとくるものがある。彼の親御さんの気持ちを思うと、なんともいたたまれない。子供ももたない私には、その痛みの深さを推し量ることなどまず不可能だろう。

しばらく東京で一人暮らしをしていた妹が、明後日の晩に実家に戻るらしい。一時帰宅ではなくお引越しだ。妹は一人暮らししている間も実家にはちょくちょく帰っていたようだったが、それでも基本的には夫婦二人暮らしがしばらく続いたため、また騒がしくなりそうと母はとても嬉しそうだ。私が実家に戻った時にはまたテニスをしようなど、久しぶりにあれこれおしゃべりをした。

今日の電話の間は終始しみじみとした雰囲気が漂っていた。母の話というより、母の声に惹かれていた。聞き慣れた声から伝わる温もりに、知らず知らず寄りかかっていた。やっぱり母は偉大なり。大人になってからというもの、一番甘えん坊の妹が一番親孝行しているような気がする。私もちょっと見習いたい。

■2003/4/2(wed) 雨の一日

雨が降りそうなのに、傘を持たなかった。
置いてないのに、会社の置き傘を期待した。

会社に向かう途中からぽつぽつ降り出した。

雨が上がるのを期待して、昼ごはんと一緒に傘を買わなかった。
雨が上がるのを期待して、晩ごはんのときも傘を買わなかった。

仕事を切り上げて会社を出たら本降りだった。

もう買おう!と決めたのに、傘を買い忘れた。
今まさに雨にぬれているのに、傘を買い忘れた。

そのまま家までたどり着いた。
ずぶぬれだった。
アホやん、と思った。

■2003/4/1(tue) ふがいない自分に乗って

まずい
超低空飛行だ
足ひきずってるよ

もうちょっと
どうにかこのままで
力たくわえていこう

からだ上向きにして
障害物にぶつからないうちに
雲の上まで上がらないと

■2003/3/29(sat) 1日

わたしの心がどんなでも、太陽は昇りまた沈む。
ときにそれは残酷で、ときにそれに救われる。

■2003/3/25(tue) 戦争は人間の性?

「武力行使は最終手段だ」とする向きが少なからずある。何をもって最終手段となりうるんだろうか。「リスクは伴うが、それによって本質的な問題解決が得られる」とでも?そうでないことは、既に周知の事実である。戦争は、たとえ一時的な休戦状態を迎えることができても、健全な関係にはつながらない。不平等な主従関係を生むか、一層の対立関係を生むだけ。果たして、それは私たちが唱える平和の姿だろうか。次の戦争の火種をまくだけ、本質的な問題を水面下で悪化させているだけのように思える。この一時的で見せかけの解決を得るために、相も変わらず人は戦争を起こし続けているのだろうか。

「戦争が最善策とは思っていない」と返す人もいるだろう。苦渋の選択なんだと。「戦争反対」っていうんだったら、それに代わる代替案を出してみろよ、と言いたい人だっているはずだ。実際、みんなを納得させられる解決策を提示できている人など誰一人としていない。だから、一時的だろうと見せかけだろうと、少しでも解決へ進む可能性があるなら、その道を選ばざるをえない、じっとしているわけにはいかないのだという声もあるだろう。ただ、武力行使が最終手段として適切ではないという認識があるのなら、そのことを明言し、その代替案として少しでもベターなものを検討することは重要なことだろう。世界中の頭脳をかき集めて考えたら、何か出てこないものだろうか。その人は間違いなく21世紀の発明王になれるだろう。

それでは、もっと平和的な解決策が発明されたと仮定して、人は本当に戦争を起こさなくなるだろうか。どうも、きなくさい臭いがする。実際は、世界平和を欲するがためではなく、武力行使によって支配したい、天下をとりたいがために戦争を望む人がいるのではないか。今でこそこんな理由は正当とみなされないため直接的表現を避けているが、人が古くから多くの犠牲を払って大小様々の「いくさ」を続けてきた理由はそこにあるのではないか。人って生き物は、多かれ少なかれそういう欲をもっている。いわば人間の性。そういう生き物である以上、この世から戦いがなくなることはないのかもしれないと思えたりもするのだ。

「率直なところ戦いたいんだよ、私は。」ということになれば、話は早い。戦いたい人は戦いたい人だけどこかに集まって戦えばいいのだ。「戦いに敗れたら勝者に支配されるのを覚悟で臨む」「戦いたくない人を巻き込まない」これだけ守ってくれればいいではないか。もちろん、戦いに勝てば敗者を支配できる特典つきだ。戦いたい人は身一つで戦地に行くべきなのだ。自らは戦地に降り立つことが怖くてできないのに、他の人をまるで手下のように戦地に送ったり、お金だけ出して人に戦わせたり(支援と呼ぶ)、というのはずるい。戦地に降り立ち、自ら血を流して戦いたい人だけ、そこで戦いを楽しめばいい。戦いたくて集まっているんだから、そこで命を落としても、それは本望というものだろう。一人の人間としてその命が惜しいと思うなら、戦争をしたり、それを支援するなんて、おかしな話だと思う。そういう単純な話だと思う。こういう意見は幼稚だろうか。

そして、こんな世の中で私たちが決して忘れてはならないことは、戦争に賛成する人、無関心な人がいる一方で、こんなにたくさん声を大にして戦争反対を訴える人がいるということ。世界の平和を望んでいる人がいるということ。世界中に。つまり、まだまだ世の中捨てたものじゃないということも、皮肉な言い回しではあるが、戦争を通じて証明されている。

■2003/3/23(sun) 初詣と公園さんぽ

昼間は美容院、夜は高校時代の友人たちと会食。その間にいくらか時間が余るので、美容院を出た後、近くの明治神宮と代々木公園を一人で散策することにした。駅付近は人でごった返していたが、明治神宮の入り口までやってくると、あらゆる音が一気に飲み込まれてゆくのを感じた。

本殿までの参道を行けば、行き交う人たちの半数近くが外国人。日本の良いトコロに近づけば近づくほど、その場を共有する人の外国人率は高まり、日本人の濃度は薄まってゆく。なんだか、少し滑稽だ。

大木たちがちっぽけな私を見下ろす中、彼らに導かれるようにして私は本殿に向かった。自分が何ものでもなく「ただの人である」という気持ちになる。本殿までの道はこれぐらい長いほうがいいんだな、きっと。自分の心を清めてから足を踏み入れるために、この長さはちょうどいい。そんなことを思いながら、砂利道を歩き続けた。

実は私、これが初詣になる。今年初めてお参りをしたのだ。手水を使って、いざ拝礼へ。奮発してお賽銭は50円玉をえいっ。ニ拝ニ拍手一拝。頭の二拝を飛ばしてしまったが、まぁ良しとしよう。目を閉じて、さぁお願いごと・・・しようと思うと、私は毎回何も出てこない。いつの頃からか神前で目を閉じると頭が空っぽになってしまって、何のお願いごともこれといって浮かんでこないようになった。だから、私はたいてい静かに目を閉じているだけなのだ。清らかな気持ちで、ただ手を合わせるようにしている。

そうすると、毎回きゅうっと頭が痛むような感覚に陥る。何か心身の悪いものでも神さまが排除してくれているんだろう・・・と、しばらくそのままにしておく。それからしばらくして、そういう感覚が和らいできた辺りで、私は目を開いて一拝し、その場を後にする。少し身体が軽くなったような面持ちで、私は今来た道を戻った。

続いてお隣りの代々木公園へ。公園の入り口では、ツッパリ頭にして全身黒皮をまとった30~40代くらいのお兄さんたちが、ロックンロールな踊りを楽しみながら出迎えてくれる。たぶん10年くらい休んで、最近復活したのだろう。ずっとやってるなら、そりゃすごい・・・。その先にはスケートボードの新たな技に挑戦する若者たち。10年後に訪れたら、彼らに再会できるだろうか。門をくぐると、その先は本当にのどかな公園がだだっ広く続いている。ここもまた、外人さんが多い。ジョギングしたり、サッカーしたり、ローラースケートしたり、ダンスしたり、ごろんとしたり、皆思い思いに過ごしている。

こういうだだっ広い空間で遊びを生み出せるのが人間のすごいところだと思う。街にいると、「遊び方」を街の方から提供されてしまう。そして、その多くは企業の戦略にはまってしまっているに過ぎなかったりする。それはそれでいいけど、それを与えられない環境に身を投じて、自分で自分のやりたいことを生み出してみるのも悪くない。遊びに限らず。このご時世、「与えられない環境」に自らを誘わずして、ここの筋肉を使うことは難しいことのように思う。公園で休日を過ごす人々にそんなことを学ぶ一日だった。

■2003/3/21(fri) 道しるべ

最近の私。とても難しい問題にぶち当たって、自分がどうすればよいのか答えに迷ったときは、こういうふうに考えるようにしている。どうすれば、どうあれば、自分が誠実に生きていると、自分で自分のことを認められるだろうか。そんなことを指標にして答えを出す。

正解なんてわからない。難しい問題とは、答えをどれに決めたところで、これが最善の選択だったと言い切れることなどあまりない。自分にとっての誠実な答えが、必ずしも他の人にとってのそれと合致するかどうかもわからない。

それでも、自分の心に問いかけて、「自分の誠実とはこれだ」と自分に偽りなく選んだ答えには、どこか頼りがいがあって、ずいぶんと心救われるものである。こんなふうに考えるようになってから、少し強く生きられているような気もする。

とはいえ、これはそう簡単にあらゆることに対してできることではない。自分に余裕がなかったりすると、そういう指標を持ち出す前に、のちのち後悔するようなことをしてしまうこともある。もっと自然に、もっと私のものにしていきたい。あらゆる場面で、その限りを尽くして、誠実であるということ。

その人にとっての道しるべ。その何かをもって生きるということが、自分を生きるということなのかもしれない。

■2003/3/13(thu) 郵便局で泣いたこと

2年半くらい前になるだろうか。もう十分にいい大人だったのだが、郵便局で泣いてしまったことがあった。その日はちょっと調子を崩していて、会社はお休みをいただき、おうちで静かにしていた。が、一人暮らしなので、自分でご飯を買いに(その頃もやっぱり)コンビニまで行かねばならず、ついでに・・・ということで、最寄りの郵便局まで何かの振込みに出向いた時のことだった。

とぼとぼ歩き、程なく郵便局に到着。小さな「まちの郵便局」で、人もまばら。何の振込みだったかは憶えていないが、それが郵便局で振込みできるものなのかどうかわからなかった私は、とりあえず窓口のおばさまに「これ、こちらで振込みできます?」と尋ねてみた。すると、彼女は「大丈夫ですよ。」と言ってそのまま手続きに入った。滞りなく処理を済ませ、私はその場を後にした。どこにも泣くところなんてないじゃない・・・。そう。なにげない日常の1コマに過ぎない。だけど、私はこの間に泣いちゃったのである。

郵便局に来たいい大人が窓口で一人泣いているなんて、かなり怖いと思う。それもせめて郵便だったら、何か深い思いを届ける郵便物で感極まってるとかなんとか、まだ言い訳の考えようもあるが、振込み用紙片手に泣かれちゃ、窓口の人も薄気味悪すぎるだろう。相当お金に困ってるのかしら、この人・・・とか。幸いなことに、私は帽子を目深にかぶっていたので、たぶんばれていなかったと思う(願う)が。

それで、本題はなんで泣いたりしたのさって話だが、その間の私の心の中をひも解いてみると、それはもう、とてもとても揺さぶられていたのである。窓口のおばさまは、私の小さな不安をあっさり吹き飛ばしてくれた。それも、「教えてあげる」感じではなくて、ものすごくなにげない感じで。そう装ったのではなく、彼女にとっては本当に何気ない問い合わせだったのだろう。それでも、私からしてみれば、それは立派な専門知識の提供。その後、電卓をすばやく打って、お札を手早く数えて、あっという間に手続き完了。これは紛れもなく私には成しえない専門技術。目に見えないところにも、おそらくいろんなノウハウが詰まっている。そんな一連の姿を目で追っているうちに、なんだか目頭がじんわり熱くなってきてしまったのだ。

みんなそれぞれに、自分の受け持った仕事をして人の役にたっているんだなぁと思った。なにげない日常の、人と人とのふれあいの中に、感動はたくさん詰まっているんだなぁと思った。そんなあれこれに目をやっていたら、涙がいくらあっても足りないくらい。でも、忙しさやせわしなさに振り回されれば、人の目はどんどん乾いていってしまう。だから、こういう涙を心の中で隠れてでもいいから、流し続けられたら幸せだなぁと思ったのだ。

郵便局からの短い帰り道、転職して間もない私が思ったこと。郵便局の人は本当にたくさんの人の役にたっている。一方、私がこれから新しい仕事を通じて支援できる人はものすごく限られている。だけど、今日お世話になった彼女と同じくらい、これから出会う人たちの役に立てたら素敵だ。なんだかそんなことを思っていたら、郵便局で泣いてしまった。おかしいね。でも、あの頃を初心と呼ぶのなら、今春また初心にもどって頑張りたいな、と思う今日この頃である。

■2003/3/10(mon) 27歳になりました

昨日は私の誕生日でした。27歳になりました。今年はなんだかいろんな人に祝ってもらった感じです。0時を迎えたときには、仕事で運営に携わっている塾の卒業生や講師の皆さんと一緒にいて、花火ぱちぱちのカクテルで(集まりついでに)祝ってもらいました。おうちには花束や小包・・・まではさすがにいきませんが、両親や友人から「おめでとう」メールがたくさん届いて、とっても幸せな一日でした。うれしいな。ありがたいな。

その中のメールで、ちょっとどきっとさせられた一行、ご紹介します。学生時代の友人から。「なかなかお姉さんなお年頃になったじゃないかと思うのに、あんまり変わってないような気もするし、でも誰とも一緒じゃない自分らしい人生を送ってきたって自覚があると思わない?」

まだ若いのに(って同い年の私が言うな?)こういう視点で人生を斬れるなんてすごいなぁってまず感心してしまいました。確かに「誰とも一緒じゃない」し、どうも「自分らしい」感じがする。“どこにでもありそうな”なんて自虐的に言うことはたやすいけど、よぅく考えてみると、やっぱりみんな全然違うよねって思うのです。自分ではない誰かが、これまでの私の人生を動かしてきていたとしたら、きっと今の自分はこうではないと思います。だから、なんだかんだいって自分らしい人生を歩んできているんだなぁって、はっとさせられたのです。そして、「自覚がある」ってことを自覚させてくれた友人の一言ってすごいよなぁと思うのです。

自分だけの人生、これから一年だけの私の27歳、大切に過ごしたいと思います。この日、昼間以降は寝正月ならぬ寝誕生日でしたが、ゆったりとした一日を過ごすことができました。まぁ後々ここにも書いてゆこうかと思いますが、いろいろ反省したり、思うところもあり、またせっせこ自分を磨いてゆかねばなぁと思っています。相変わらず不束者ですが、この一年も皆さまどうぞよろしくお願いします。

■2003/3/8(sat) きりのない話

人は何のために生きているんでしょう。うーん、なんかありがちな問いかけ。こういうセリフが腐るように転がっている世の中っていうのもどんなもんだろうと思いつつ、でもやっぱりそれを問いかける自分というのは突如現われてしまうもので、巷で見聞きするそれとは全く別の質感をもって自分の内側に自然発生する。自己実現したいのか、人に必要とされたいのか、ただ穏やかに生を終えたいのか、人が本来的にもつ共通のこれってもんはあるんだろうかと。

人にはいろんな欲があるのでしょう。でも、これだけは!って欲は何なんでしょうね。何があれば、何さえあれば、なにはともあれ人は幸せに生を終えられるのでしょう。それさえわかれば、ここから脱することなんてきっとたやすいことなのに。そんなドつぼにはまると、結局目の前の課題を棚上げして、そう簡単にわかるはずもない生の意味について考えあぐね、時間をずるずる費やすことになる。

でも、これが最初からみんなわかっていて、課題を解決するのがもっとたやすいことだったとしたら、そこに生の意味はあるんだろうか。と、またこんがらがった方へ導かれる。結局、そうたやすくちゃ面白くもなんともないだろう、答え探しもまた人の道ってことなんじゃないかと。そもそも人に共通する絶対的な欲なんて、現代に存在するのだろうかと。そんなわけのわからないところにふらふら流れついてしまう。

では仕切りなおしてもう一度。人は何をしに生まれてきたんでしょう。すでに、人を創った何者かとその意味を共有することはできないぐらい、人という種類の生き物は勝手に進化しすぎてしまったのではないかと、そんなふうに思う。いまや「子孫を残して死ぬ」だけでは達成感も満足感も得られない、欲張りな人間さまがいる、そう思う。ちょっとちょっと、そのためだけに私を生かしたっていうのかい、あんた!みたいな。ただの凡人が生の意味を問いかけていること自体、何よりその証拠だと思う。

だからこそ、人をやっている私たちは、人を創った何者かが想像しえなかった息苦しさを感じているのかもしれない。生の意味を問いかけ悩み苦しむ姿を、人の創造者は予想していただろうか。もしかすると、そんな問いかけをすること自体、実は設計上の人という生き物の許容量を超えているのかもしれない。そんな中で、人の生きる意味について納得できる解答を見つける能力をもつのは、もはや人の創造者ではない。人をやっている私たちだけなのではないか。例え創造者に唯一の解答をもらったところで、進化してしまった私たちがその答えに納得できるかといったらまず難しいのではないか。

とはいえ、人をやっている私たちにだって、それを見つける能力があるかは疑わしい。というか、これを書きながら思うのは、おそらく人に共通する生きる意味を見つけることなど、私たちにはできないだろうということ。唯一できる可能性があるのは、自分にとっての生きる意味を見つけること、せめて探索する能力はある。そして、それは逆に自分以外にはなしえないのではないかと、そんなふうに思う。ということはつまり、それを見つけられる可能性がある期間というのも、必然的に「自分が生まれてから死ぬまでの間」ということになる。要するに、自分が生きている間に、自分自身が探そうと思い立ち、実際に探して、それを見つけ、実感するまでの一通りをやらないと答えはわからない。

あれ、もしかしてそういうこと?。私・・・、もしそれをすべて成し遂げられたら、結構やりきった感あって生を終えられるのかも、と思った。あれ、一気に答えが近くなってないかしら。でも、これってもしかしてやっとスタート地点に立ったということなのでは・・・。あれ、一人遅れをとっているんでは・・・。

※このお話はフィクションであり、「人を創った何者か」氏は架空の人物です。

■2003/3/5(wed) 母の言葉

昨日は母の誕生日だった。自宅に帰ってから実家に電話をかけたが外出中の様子。私は母の携帯にメールを入れた。

「お誕生日おめでとう。この際何歳になったかはおいといて、楽しい誕生日にしましょう。」

すると、ほどなく母から返事が届いた。

「ありがとう!いつもと変わらない一日だったけど、あなたからのメールで百倍元気になったよ。」

うぅ。私はこういうのに弱い。親からのちょっとあらたまった言葉というのか。とても切ない気分になる。なんか、意味もなく泣きそうになる。その晩は、母の言葉を独り占めして眠りについた。

■2003/3/4(tue) 不気味な影

最近の本屋には、店の大小を問わず「心を癒す」コーナーが常設されている。「あなたは一人じゃない」なんて、いかにも心に優しそうな言葉が本の帯に並べられて。私は元来おめでたい体質なので、根っこの方ではいつも「自分は一人じゃない」ということを信じきって生きているようなところがある。だから、落ち込んでも0まで落っこちてしまうことはない(0の定義にもよるけど)。私の定義でいえば、たぶん私は0にはなれない人間なのだろうと思っている。ただ、そうならない体質とわかっていながらも、というかそうはなれないとわかっているからこそ、0まで落っこちるぐらい脱力したいような心持ちになることもある。そんな時に「あなたは一人じゃない」なんて叱咤激励されても、救われているようでいて実はものすごく疲れてしまう。今にも自殺しようとしている人に決して言ってはならない言葉が「頑張って」だと聞いたが、その感覚に通じるところなのだろう。(もちろんそういう本に救われることもあるわけで、決してその価値を否定しているわけではないのですが、まぁ身勝手なもので。)

そんな物騒なことを考えながら、本屋を後にして帰途につく。電車乗り換えのため、渋谷駅の雑踏の中を歩く。そこで、人ごみの中に不気味な光を放つ影を見つけた。30代くらいの男が3人、大きな柱を背にして立っている。行き交う人の波をじーっと見つめて、一人一人品定めするように鋭い視線を送っている。獲物を狙っている目に違いはないが、明らかに占い師や美容師の見習いではなく、水商売のスカウトでもナンパ目的でもない。もちろん迷子になった子羊でもない。何者かわからないのに、それらでないことははっきりとわかる。これまでに見た誰より、比にならないほど陰気な目つきだったからだろう。

なぜだろう。彼らが視界に入るやいなや、「あ、来る」と思った。予想的中。そのうちの一人が、人ごみをかきわけて一直線に近づいてきた。私の横について、「すみません・・・」と声をかける。険しい感じでは決してないのに、腕にかけられた指先からものすごい勢いで負のパワーを感じた。何者か予想がつかないがゆえの恐怖だけではない。それを超える不可解な何かに押しつぶされそうになった。私は完全無視して足早に逃げ去った。何の用件かわからない状態なら、通常はせめて会釈程度して失礼する。だけど、今回はそういう余裕が一切なかったのだ。止まっちゃだめだ、目を合わせちゃだめだ、一歩譲ったらたぶんそのまま飲み込まれる、そう思わせる何かがあった。幸い、その後はとくに追われることもなく無事次の電車に乗りかえた。

なぜ、第一印象だけで、そんな大きな恐怖に襲われたのか。残りの帰り道はそればかり考えていた。つまりこういうことだったのではないか。直感的に黒い影を背負っているように見えた彼らに人ごみの中で自分が選ばれてしまったこと、それが自分の中に負の気持ちがあることを見透かされてしまったように思われて怖くなった。「あ、来る」が「あ、見つかった」に限りなく近い感覚だったのはそのためか。私は、自分の中にある負の感情に振り回されることを恐れていただけだったのかもしれない。弱っている時に人の手が加われば、案外簡単に0に落ちてしまうのではないかという不安が、過剰反応を引き起こしていたのではないか。もしかして私の精神状態が良くなかったがために、濡れ衣着せられちゃったのかしら。本当は道を尋ねやすそうな人を探している地方から出てきたばかりの人だったりして・・・。でも、やっぱり普通じゃなかった。結局「すみません」の後には何が続いたのだろう。こりゃ、知らぬが仏だな。

■2003/3/2(sun) 二年後の発見

薄っすらと青いキャンバスに、すーっと真っ白いラインを描く。カーテンをぱぁっと開いて窓を全開にした先に、遠近法を無視したような大きな山が一つ。雪化粧した富士山だった。目に映るその姿は、圧倒的な存在感を漂わせているのに、そこには全くいやみがない。ただ、美しかった。

二年近く住んでいるというのに、どうして気がつかなかったんだろう。自分の家の窓から富士山が望めるということ。日の光を通す薄っぺらなカーテンは、何かを閉ざしているという感じもなかったため、長いことカーテンを閉めきって生活を送ってきた。ここに越してきて二年近くたった今日、このカーテンが窓から見える景色をずっとさえぎってきていたのだと知った。

富士山発見は嬉しいニュースだが、反面ちょっと自己嫌悪。自分は自分の部屋の世界すら堪能できていなかった。前にこの部屋に住んでいた人は、住み始めてどれくらいでこの発見にたどり着いたのだろう。何かに失格の気分。もっと自分の身近にあることから大切にしていきたいよね、と自分に語りかけてみた。

■2003/2/26(wed) 367円の支払い

「367円です。」と告げられ、なんでもない顔してお財布に手を伸ばす。あれ、そういえば私、昨日あたりからあまりお金を持っていなかったような。いや、でもさ、お札が切れてたとしても、小銭で500円ぐらい持ってるよな。あれ、ない?小銭入れの中の、この色合いと枚数。絶対無理。お札は?千円札一枚ぐらいあっても・・・。はぁ、ない。仕方ないか。

「すみません。カード使えますか。」「あ、はい・・・。」通いなれた会社近くのコンビニで、お茶とヨーグルトなんぞ入れたちっちゃなビニール袋をレジの台に乗せてクレジットカードで367円を清算。この瞬間、レジの人と周囲の皆さんに「この人の所持金って366円以下なんだぁ。」とばれる。ついでに、この瞬時の判断はたぶん300円も入っていなくて、この冷静な態度はかなりの常習犯ってのもばらしている。

「レジ前に来てお金が足りない」というのは、たぶん一度は皆やったことがあると思うけど(あるよね?)、実際どれぐらいの恥ずかしさを味わうものなのだろう。額にもよるのかな。1000円がないのか、300円がないのかって。周囲にどれぐらい観衆がいるかとか、レジの人は同姓か異性かとか?私はというと、真顔でされるとさすがに怖いと思うので苦笑いこそするものの、本当のところさして気にならなかったりする。

カードの使えないお店では、レジの人に値段を一品ずつ確認してもらいながら、所持金で支払えるところまで買うものを減らしていったこともある。銀行に行ってお金をおろして戻ってくるまで、レジの端の方に商品を置いておいてもらったこともある。もちろん「お金がなくて買えません」といって、そのまま商品を戻して失礼したこともある。

これまでの豊富な経験が、もう仕方ない、またやっちゃったね、という割り切りをさせてくれるようになった。失敗は人を強くするものね。でも、失敗を反省しないと、人は成長しないものね。

■2003/2/25(tue) お料理三昧

そう頻繁にできているわけでもないが、ちょこちょことお料理を続けている。ここ1週間ぐらいで新しく作ったのは、キムチ鍋、ほうとう鍋、肉じゃが(お味噌汁付き)だ。新作以外にも、土曜は友人と会った帰りに実家に泊まったので、日曜のお昼に両親に豚汁を披露した。

キムチ鍋は、市販のキムチを買ってしまえば、なにげに超お手軽料理だ。実家近くのスーパーで「ご自由におとりください」というキムチ鍋のレシピを見つけて持ち帰ってきたのだけど、キムチに豚肉、もやし、にら、きのこ・・・とそれらしいものを加えてぐつぐつ煮ていれば、あっという間にそれらしいものに仕上がる。私はベースに「キムチ鍋の素」みたいなのを入れた。口にした瞬間あっという間に寒い部屋がポカポカの春になる。はく息の白い部屋にお住まいの方にはお薦めの一品だ。室温に合わせて辛さを調節しましょう。

ほうとう鍋は、はっきりいって「かぼちゃスープうどん」だった。会社帰りの夜遅く「何かチャチャッと作れるものを」と思って手を伸ばしたのが、冷凍食品の「ほうとう鍋」だった。加えて、かぼちゃやにんじんなど具を別に揃えた。このお料理ブームが到来してから初対面のかぼちゃ。1/2個を買ったのだけど、これが固くてなかなか切れない。種を落とした後包丁を入れる度に、「うっ」「おぅ」「やっ」と小さく声を発しながら戦った。終戦間近にふと気がつくと、左手の人差し指から出血していた。いったいどこで負傷したのか、全然わからないのが怖い。包丁?いや、ザルを洗っている時かも。できればザルを洗っている時がいい。刃物ぎらいの私には包丁でケガをしたというのは事実として受け止めるのがきついのだ。ということで、ザルでケガをしたことにして、冷静に料理を続ける。で、かぼちゃをぐつぐつ煮込んだ末に、かぼちゃって案外早く火の通るものだということと、冷凍されたうどんの中に、適当な大きさに切ってあるかぼちゃやにんじんが一緒に冷凍されていることに気づく。お鍋はあっという間にかぼちゃ色に染まり、その中にまた冷凍されたそれらを投入。かき回してみると、まさに「かぼちゃスープうどん」。でもね、おいしかったのよ。かぼちゃ好きにはたまらない一品に仕上がりました。

肉じゃがは、やっぱり強敵だった。材料は結構普通のものなくせに煮汁が難しいのね。ダシ汁にお酒とみりんと砂糖としょう油と。お料理本の分量も全然当てにならないことがわかり(その通りに入れたら顔がしょう油色になる)、適当にやるしかないのだけど、その適当がどんなものなのかわからない。あれは味音痴には作れない代物だ。舌を鍛えて、お料理も経験を重ねながら、またトライしたい一品。

実家で作った豚汁は、前に作っていることもあって、無事成功をおさめた。が、実家のガスコンロは火力が強い。あぁ、現代っこはこんな贅沢品を使っているのかと驚いた。キッチンも広いし、物を置く場所にも困らない。調理器具や食器もたくさんあって、我が家ながらすごいなぁと感心してしまった。母からは「なんにもしてなくてもどうにかなるものねぇ」と言われた。一応ほめ言葉として受け取っている。気分は上々である。

■2003/2/23(sun) 20代のくくり

自分の誕生日が近づいている。最近自分の歳がわからなくなることがある。25か26だった、という感じ。同い年の友人に話したら、そのコもそうだという。

少し突っ込んでみると、20代は21~23歳、24~26歳、27~29歳でそれぞれひとくくりという感じがあるという結論に至った。だから、そのひとくくりの中にしばらくいると、歳を忘れてしまう。24から25になる境にはもっと深い溝があって、もっと感慨深いものかと思っていたけど、実際越してみたら意外に全然衝撃がなかった。それより23から24になる時の方が、なんだか「大人」ってものが否応なく近づいてくる気がして、誕生日の前後に重圧があった気がする。

そして今。26から27になる瞬間をもうまもなく迎えようとしている。3年前と同じように、いつもとはちょっと違う重みを感じている。3年前より一歩先の「大人」にならなきゃいけない感じ。ちょっとプレッシャーだ。

といったところで、結局は毎年と同じように気がついたら0時をまわっていて、気がついたらその日が終わっているのだろう。だけど、昨年よりちょっと襟を正して、いろいろと考えながらその時を静かに迎えたいような気がする。記念日なんて、結局は本人の受け止め方次第。心豊かに大切に過ごしたい。

■2003/2/22(sat) 友人と過ごす快感

今日は友人の出産祝いを買いにみんなでお出かけ。彼女たちとは昨年末に会って以来。この間はそう日が経っていないけど、年末会うまでの間は長いことご無沙汰だった。ただ、最近の交流から私にとってとても大事な人たちだということが、これまで以上に深く心に刻まれたようなところもあって、今年はできるだけたくさん会いたいと思っている。

年末に会った時は、クリスマスパーティーと称して集まった。ごはんはメキシカン。トルティーヤにチキンやアボガド、数々用意されたおつまみを挟んでみんなでほおばる。ケーキもあってお酒もある。こたつに入ってわいわいおしゃべりする。あぁ、こういうのっていいなぁってしみじみ思った。なんだか久しく味わっていなかった感覚。この空間にいる私は、とても開放的だった。

仕事を中心に生活するようになってから、人とコミュニケーションする時に自分の発言への評価の目がついてまわるようになった。今これを口にしても意味をなさないとか、こういう言い方をしたら誤解を招くかもしれないとか。そんな中で、自分の言葉にいちいち評価をつけずに、無意識のうちに心のネジを緩めて好きにしゃべることができるのは、彼女たちとこれまでに築き上げてきた関係性あってのことだろう。

互いの価値観を臆せずぶつけ合い、言いたいことは言い、言いたくないことは無理に言おうとも、引き出そうともしない。それぞれが個としてしっかり立っていて、真正面から向き合っていて、お互いを大切に想っている。そういう信頼関係が根底にある。だから、自分がどういう意見や考えをぶつけても、相手がどういう意見や考えをぶつけてきても、まずはしっかり受け止めて理解しようとするし、それが自分に合わなければ合わないと言う。自分に適応すればそう伝える。そして、それを吸収し共有してゆく。そういうことが、ごく普通にごく自然に行われている。傍からみれば、ズバズバと互いの言葉を斬り合って一見乱暴にうつるかもしれないけど、実際私たちの間にあるのはなんとも優しい感触なのだ。

今日も楽しく買い物をして、その後はバカ話からシリアスな話まで遅くまで話し込んだ。とても素敵な時間を過ごした。おうちに帰った後、みんなから「楽しかったね」とメールが飛び交った。ごく自然に。楽しかったことを感謝の気持ちをもって伝えたくなる。気持ちを通わせたくなる。不思議なほど快い気持ちがそこにはあった。

■2003/2/21(fri) 出産祝いの品

短大時代の友人が先日赤ちゃんを出産した。友達の出産というのは、結婚をはるかに超える驚きがある。といっても、彼女はまだ驚きの少ない方の部類?で、穏やかに幸せな家庭を築いていくんだろうなぁという雰囲気漂う落ち着いた女性。私をそういうふうにみる人もいるが、実際は彼女と真逆をゆく価値観。お互いに「価値観が合わないよねぇ」と笑いながら話した日々が懐かしく思い出される。さて、出産祝いの品を贈ろうということで、まずは他のみんなで集まることになった。

4人でメールを行き来させ、買い物の予定を立てる。彼女と直接連絡をとった友人から、「リクエストを聞いたらおんぶひも&洋服が欲しいらしい。洋服っていっても今着れるやつだって。」と情報が入る。私はこう返した。「今着れる服」って何を意味するんだろう。サイズは普通サイズでいいのかな。お腹ゆったりめとか?汚れてもいい服とか、授乳しやすい服とか、そういう意味?なんか特別な意味合いをもっているなら、それ専門のお店を探してから買い物する街を決めたほうがいいのかもね。

そこに全員から突込みが。「赤ちゃん用の服だよ。欲しいのは。」「ってゆーか、赤ちゃんの服が欲しいってことじゃないの?!」次々に。あれ、解釈が違う?私以外全員一致。前にボタンがあった方が授乳しやすいのかなぁとか、妊娠前とはちょっと体型が変わってるのかなぁとか、おうちで洗濯できて赤ちゃんにも柔らかい感触の生地がいいかもとか。出産後の本人の洋服をあれこれ考えていたのは私だけだったらしい。なんで気づかなかったんだろう、私。

人の解釈って、同じ言葉を受けても異なるから面白い。私としては、そもそも友人本人に贈るお祝いなんだし、おんぶひもだって赤ちゃんじゃなくてお母さんが身につけるものでしょ?だから洋服も・・・って屁理屈が一応ある。まぁ、「らしい」の一言で受け入れてくれる仲間なのでいいのだけど(いいのか?)、んー、なんか「やってしまった」という感じ。明日また「本気?」って突っ込まれるんだろうなぁ。本気も本気。大真面目。というわけで、週末は赤ちゃんの洋服とおんぶひもを買ってきます。

■2003/2/17(mon) 自暴自棄

本を読んでいるから眠れないのか
眠れないから本を読んでいるのか
頭すっからかんのところをみると・・・

ハンパな自暴自棄キャンペーン中
棄てたり拾ったりで疲れを溜めてる
疲れを癒す眠りは一向に訪れない

棄てきれないから苦しいんだろう
まだどこかで頑張ってるんだろう
完全放棄するのが惜しいんだろう

それなら拾い上げるしかないだろ
それなら起き上がるしかないだろ
もうしばらく本を開いていようかな

■2003/2/12(wed) 私とわたし

てくてく道を歩いている時間が好きだ
がたごと電車に揺られている時間が好きだ
ちゃぷんとお風呂につかっている時間が好きだ

私の管理下にいないわたしが自由にものを考えて
私にいろんな気持ちを残していってくれるから

あなたはどんな時に「私」の束縛から放たれますか
あなたはどんな時に「わたし」と心を通わせますか

■2003/2/11(tue) ある時期をともに

昨年末のニューヨーク旅行に行く前に買った一冊、「ニューヨークで見つけた気持ちのいい生活」。って、そのままやんけって感じなんだけど、「ニューヨーク」って言葉に妙に敏感になっていて、装丁もまた大変気持ちよかったので、本屋さんで見つけて衝動買いしてしまった。ご存じ女性向けWebマガジンの「cafeglobe.com」で01年12月から半年ほど連載されていたものに若干の加筆・修正をしてまとめたエッセイ集だとか。

著者の渡辺葉さんは、95年単身ニューヨークに渡り、舞台女優や演出家、また翻訳やエッセイのお仕事をして暮らしているのだそう。02年にはプロのダンサーとしてデビューし、忙しくも充実した日々を送っているご様子。そんな彼女のエッセイ連載終盤の一節が、心に深く刻まれた。彼女が、友人に「葉って、けっこう友人関係に変化があるよね」と言われたという話から。

・・・それでもいい、と思う。人は、変わっていくものだから。私自身も変わるし、アナタもキミも、彼女も彼も、変わっていく。それぞれの関係も、変わっていく。もちろん、古くからの友人とまめに連絡を取り合い、お互いの世界が変わってしまっても「どうしてる?幸せにしてる?」って気遣い合えたら素敵だ。でも、たとえ短い時間でも、人生のある時間を共有して、そのあいだ互いに刺激し合い、分かち合い、尊敬し合い、愛し合えたら-それだけで、「ありがとう」って思うのだ。・・・

これは、深い。すごく味わい深い言葉だった。日々変わってゆく中で、人はいろんな距離感をお互いに作ってゆくのだと思う。「誰からもいずれは離れてゆく」というわけでもないし、「誰からもずっと離れるべきでない」というのでもない。どっちもあるし、何十年って人生の中では、対1人との関係の中にもいろんな時期があると思う。そういうのって、本当に見極めるのが難しい。ただ、なんにしてもこういう気持ち、ある時期を共有したその人を大切に想う気持ちは大切にしたい。離れてゆく人も、これから先近くにいる人も。そのことだけは、どんな不透明な中でも紛れもない真実なのだと思った。とても大切な気持ちを知った。

■2003/2/6(thu) 車の正面衝突

会社から帰って一息ついたところ。夜10時過ぎ。たった今、自宅前の大通りで、ガチコン!と車の事故が起こった。私のおうちはマンションの4階で通りにも面しているので、ベランダ側の窓を覗くと部屋からでも事故現場がよく見える。トラックとタクシーと乗用車の3台がヘンテコな角度で交差点のど真ん中に立ち往生している。タクシーと乗用車は結構なことになっている。両方とも前方部分がぐちゃぐちゃだ。人はよく見えないが、一人が携帯電話片手に車の辺りをうろつきながら、110だか119だかに連絡をとっている様子。ここは深夜も車の往来が激しいので、これからしばらくは渋滞になりそう。早くも周囲の車からぷっぷーという苦情が鳴り響いている。

しばらくして救急車の音が近づいてきて止まった。再び覗いてみると、トラックがいなくなっている。タクシーと乗用車が正面衝突したようだ。乗用車に乗っていた人が消防隊員に救出され、横になって救急車に運ばれている。しばらくして消防車の音。消防車って何をするんだ。車の中から白いタンクが出てきて、その中の白い粉のようなものをタクシーと乗用車の間の通りに山盛りにしてかけていっている。何のためだろう。またしばらくして今度はパトカーの音。通常こういう順番で来るものなんだろうか。

通りはグルグルと赤い色に染まっている。車はぷっぷくとわめきちらし、おまわりさんはぴっぴーと交通整理をし、通行人はうようよとやじうまをしている。またしばらくして、2台目の消防車が到着。どんどん騒がしくなってゆく。

気になって仕方ないので、本をもってお風呂に入った。事故から1時間ほどして再び覗いてみると、事故車はなくなっていた。みんないなくなっていた。おまわりさんも消防隊員さんもやじうまの皆さんも。いつもどおり車が行き来している。これ以降にその道を通る人には、いつもどおりの大通りだ。

■2003/2/6(thu) それとして生きてきた

ふと仰いだ空にハトが飛んでいるのを見て、
もし私がハトに生まれていたらと考えた。

えさを見つければ無心でそれに食らいつき、
木かげを見つければしずかに羽をやすめる。

本能のままに空を飛び本能のままに生きる。
疑いもたず子を産み疑いもたず死んでゆく。

私はハトじゃないので実際がわからない。
私はハトと話せないので真実はわからない。

でもなんとなく、気持ちの遠い感じがする。
喜びも痛みも、人に比べると浅い気がする。

ややこしいことに考えが及んだりしないし、
心に痛みや苦しみを負うこともないとして、

神様が私をそれに変えてくれるといったら、
私は「人がいい」と思わず拒むのだろう。

これまで「人」として生きてきた以上
この先も「人」として生きていきたいと
そう言わざるをえないなんらかの魅力を、
人はどこかにもっているのかもしれない。

一方、ハトはハトで、ぼくはハトとして
この先も生きていきたいというのなら
それはとてもすてきなことだと思う。

■2003/2/5(wed) 読書の効用

読書には「現実逃避」という一面があると思う。本を読むには、まずそこに目を落とさなくてはならないし、次第に耳も細かい現実の音を感知できなくなってゆく。その本に没頭すればするほど、あたかも自分の五感から映し込んでいるかのように、その本の世界が自分を支配してゆく。同時に、目の前の現実から自分が切り離されてゆく感覚だ。

現実逃避って言い方は聞こえが悪いかもしれないが、目の前の現実が快いものであれば、それはただ他の世界へのお散歩に感じられるだろうし、現実がその時あまり心地よいものでなければ、現実逃避と感じられることもあるかもしれない。

ただ、いずれにせよ単純に「お散歩した」「逃避した」というだけでもなく、その本の世界によって、心が浄化されて帰ってくるような気がしている。現実世界で抱え込んでしまった負の感情をやわらげてくれたり、ごちゃごちゃっとした現実を遠くから見つめなおせる心の余裕をいくらか養ってくれる。

目の前の現実に何か変化が加えられるわけでは決してないけれど、そこにいる自分の心のありようにはなんらかの変化がある。心が軽くなっていたり柔らかくなっていたり、現実を真摯に受け止められるようになっていたり。本を読むってすてきな時間だと思う。いまさらながら。

■2003/2/3(mon) ルンルン気分

今朝、道端でふっとわいてきた言葉。それは「ルンルン気分」。別段そういう気分だったわけでもないんだけど(と断ってしまうのもいとかなし)。一番最近「ルンルン気分」を味わったのはいつのことだろう。そう問われると、回答に窮する人も多いのではないだろうか。「ルンルン・・・ねぇ。」と、遠くを見つめてしまったあなた。そう、「ルンルン」って、結構究極をいく言葉なのだ。

子供の頃は、胸のうちに悩み事の一つや二つあったとしても、このときばかりはそんなことすべて忘れてルンルン気分!っていうのがいろいろあった気がするのだけど、大人になるとどうもそう単純には事が進まなくなってくる。こっちはうまくいったけど、あっちはまだうまくいっていないといった感じで。考えることの数が増えたのと、その重さが子供の時のそれとは比にならないのと。理由はいろいろあるんだろうが、どうもすべてを忘れて大好きなカレーライスに食らいつくってなことがなくなっていっている気がする。どこかで何かがこんがらがっていることを忘れきれない自分。

だけど、そんな中で大人になってから出会えた「ルンルン気分」には、自分にとって何かものすごい人生的な価値あるものの隠されている気配がする。ルンルン気分の素は一人一人のどこか隅っこに必ず潜んでいると思う。もうこの時ばかりはとりあえずルンルンなのだ!って何か。周囲から見ればちっぽけなことでも。長いことそれとご無沙汰してしまっていても。それが、実はものすごく大切なことのような気がして、朝っぱらからルンルンについてウンウンうなりながら会社までやってきた。

いろんなものを削ぎ落としたところにある絶頂の喜びのようなもの。でありながら、全然お高くとまっていなくて、すごく身近にあるもの。自分の究極の幸いって何なんだろうって考えるのはひどくしんどい気がするけど、自分がルンルン気分のときって何をしていたときかなぁ、どんなときかなぁって考えてみるのは、そう難しいことじゃない気がする。探し求めて「えいこらせ」っていうよりは、散歩してたら「あ、見つけちゃった」みたいな感じ。だけど、そういうところの裏側にこそ、実は自分の唯一無二の幸せが何なのかってヒントがぴとってくっついているように感じられた。

■2003/2/1(sat) ビーフシチューに滅多打ち

そろそろか、いやまだまだ、と思っていたら、本当にやってきた。お料理失敗の日。今日はビーフシチューを作ってみたのだけど、以前のクリームシチューと同じ要領でやれば間違いないと思っていたら、まんまと罠にはまったというか、ほーれ足元すくわれたというか。

今回も、クリームシチューの時同様エスビー食品の「とろけるシチュー」にお世話になったので、それ以外の作り方の違いというと、ビーフを使うという点だけ、あとは何から何まで全部一緒なのだが、どこで失敗したかというと、おそらく買い物だ。牛肉選びに失敗したのだ。オーストラリア産を選ぶか和牛を選ぶか。ここでの浅薄な考えが失敗を招いたのだ。

だってオーストラリア産の方が半額近く安かったのだ。おんなじように赤いほっぺして並んでいたら、初心者マークの私としては、まぁさほどの違いはなかろうなと思って、オーストラリア産を選んでしまうではないか。もっと痛々しい顔してぐったりしていてくれればいいものを。で、持ち帰って煮込んでみたところ、灰汁が出るわ出るわの大騒ぎ。出来上がりは、お肉の臭みが染み込んでしまっただけならまだしも、お肉がかたくて食べられない。というわけで、お肉は飾りにして浮かべておいて、ビーフシチュー色の「野菜シチュー」を食した。残念。でも、やっぱり手作りはなんだかんだいって食べられちゃうので、お肉以外は全部たいらげた。

今回の教訓。お料理初心者は良い素材を使おう!これ重要なポイントだ。良いものを使えば、相当変なことして痛めつけない限り、たいていおいしい料理になるはずだ。もともと悪い素材を使って、それをおいしくする腕などないのだから、最初から高品質な素材を選んで作る。その大前提として、自分の身の上を考慮し「高価でない食材」でできる料理を作るよう心がけることが肝要である。うむ。まだシチューの素が残っているので次回リベンジである。和牛とともに、力を合わせて戦おうぞ。

■2003/1/31(fri) みにくい防火管理者

2003/1/7の「話」で、誤って防火管理者講習を受講する会場に受講申請に出向いてしまった話をした。これで「受講当日に迷子になることはないだろう」と宣言して終わった。間違いなくそのはずだったのだが、なんだか間違いが起こってしまった。昨日今日と、防火管理者の講習を受けるべく消防署に出張したのだが、初日の朝、私は思いっきり迷子になってしまったのだ。

思い起こせば、いやな臭いはその前夜からぷんぷん漂っていた。講習を受ける前日の会社からの帰り道。「あ、受講票を会社に忘れたっ!」と気づいた時には、既に2本目の電車に乗り継いでガタゴト揺られていた。がーん。ショック。そうだ、そう、「ここに置いておいたら忘れるぞ、忘れるぞ。」って思ってたんだよ。それなら、そうだ、カバンの中に入れておけば良かったじゃない。なんでそんなことに気がつかなかったんだろう、まったく。はぁ。どうしよう。もう夜も遅いし、ここまで来ちゃったし、これから会社に取りに戻るのもなぁ。明日の朝とりにいくしかないかぁ。朝何時起きになるんだろう。ただでさえ授業9時開始で、いつもよりめちゃめちゃ早いのに。あー、電車もラッシュ真っただ中なんじゃないの?と、頭の中では言葉がボコボコと生まれてくる。気づき→落ち込み→ 反省→悩み→あきらめ→奈落の底と、その電車の中の私の表情は、勢いよく七変化していたに違いない。

そんなわけで、翌日は6時半起き。(ちなみにいつもは9時とかに起きている私。)7時に家を出発して、まずは会社へ。それで1時間経過。そこでちょっと朝食もとってしまって、受講票をしっかりしまって次は受講会場へ。自宅からなら電車一本で行けるところ。つまり、Uターン以外の何ものでもない。ラッシュは想像したほどではなく、無事最寄駅まで到着。ただ、電車の遅れもあって、駅に着いた時点で授業開始まで残り10分ほど。急がねば。

ここで以前と違う出口から出てしまったのがまずかったのだが、それでも私の頭の中の地図では、目の前の大通りを歩いて、きりのいいところで左の細道に折れてまっすぐ行けば、目的地まで続く緑道にぶつかるはずだった。しかし、一向に緑道が現われないのだ。おかしいなぁと思いつつも、きっともう少し先に行けば・・・と、自分を信じてしまったのが一層まずかった。あぁ、もう9時になってしまった。ということで、小走りからじょじょに本気で走り出す。うーん、まだぶつからない。しばらく走ったところで、遅ればせながら「もしかして、道間違ってるんじゃない?」という不安に突然襲われる。近くで「回送」にして停車しているタクシーの運ちゃんをつかまえて、地図を開いて道を尋ねる。すると「お嬢ちゃん、駅から来たの?まったく逆方向に来ちゃってるよー。」と。「ここから歩いていく距離じゃないよ。」と。そんなアホな。で、「回送」にしてるけど、乗せてくれるのかなぁと思ったら、「あぁ、ほら後ろからタクシー来た。あれに乗っていきな。」と、他のタクシーを勧められ、私はお礼を言って、急いで他のタクシーに乗るのだった。おじちゃん、よっぽど疲れてたのね。

結局、最後はタクシー移動。会場に到着した時には15分ほどの遅刻。受講の案内には「遅刻した場合には出席と認めない」ようなことが書かれていたので冷や汗ものだったけど、受付のお兄さんに「ぎりぎりセーフです」と苦笑いされ、静かに会場へ。扉の向こうには、どーんとでっかい教室に200~300人の人がぎゅうぎゅう詰めにされていた。いろんな人がうやうやいる中、指定された席に行って腰を降ろす。やいなや、今度はお財布から小銭がじゃらじゃらと床に落ち・・・。うーん、まさにおつむの悪い子。はぁ、これ以降は一切目立たぬように、ひっそり真面目に受講しよう!と心に誓う。

というわけで、スタートはかなりひどいありさまだったが、「跡」でお言葉をくださった消防隊長さんのおかげで、居眠りすることなく2日間しっかり受講して、最後の効果測定も満点で(かなり簡単だけど)、修了証を手にして帰ってこられたのだった。講習はとても興味深く、しかしながらかなりのボリュームを2 日間でざぁーっとさらっていくので、とにかくこれからが大変。とりあえず、重大な責任であって、やらなきゃいけないことは盛りだくさん、大変だけどとても大切な業務であるということを認識してきた。一言でいうとそういうことです。

■2003/1/28(tue) となりの力

晴れわたった空の下をぼーっと眺めていたら、
この世界がなんだかきらきらと輝いてみえた。
目に映るものすべてに新しい命が宿ったよう。

そうか、昨日一日中降り続いた雨のおかげだ。
雨の日があるから、晴れの日が一層清々しい。
苦しい日があるから、楽しい日が一層心地よい。

昨日の力を借りて、今日は朝から少し気持ちいい。

■2003/1/25(sat) 続いてます、お料理

昨晩は「肉野菜炒め」を作った。具は豚肉とキャベツとニンジンともやし。味つけは塩コショウと料理酒を少々。油揚げとお豆腐のお味噌汁も作った。ご飯も合わせて3品。一気に3品作ったのはこれが初めて。

今朝はその材料のあまりものを使って「野菜のコンソメスープ」。キャベツとニンジン、あとクリームシチューを作った時に買った冷凍のブロッコリーの余り。それに、ずいぶん昔から置きっ放しだったコンソメスープの素を一つ。最後にお塩で味を調えて。お料理本を開かずに目の前にある材料をみて「何が作れるかなぁ・・・」と考えて作った記念すべき一品。

ここのところ、しつこいくらいにお料理の話が出てるけど、スタート位置が低いだけに、なんか着実な進歩が感じられて嬉しいのです。

■2003/1/24(fri) 意志のありか

今は感情でなく意志で動く時
そんな気がする
だからずっと探してるんだ
私の意志が何なのかって

■2003/1/23(thu) 「大丈夫?」

大丈夫じゃないときの「大丈夫?」って一言は
瞬間的にそれにすがりつきたい気持ちになる。
それまで平気を装っていたのに、一気に決壊。
涙腺がゆるんで情けないほど甘えん坊になる。
本日、「大丈夫?」と声をかけてくれた皆さま、
本当にありがとうございました。

■2003/1/23(thu) からだのことば

しばらくその辺を浮遊していたのが
昨晩撃沈して今朝がた底についた

面白いようにぼろぼろ落っこちてくる
朝からずっとしゃべっているようだけど
何を言っているのかさっぱりわからない

■2003/1/19(sun) 坊主に毛が生えた

昨日は鍋だった。そう、先週末の「三日坊主」は今週末見事復活を遂げ、昨晩はお鍋、今朝はその残り汁でおじやを作ったのだ。

しかしながら、ビギナーズラックもそろそろ期限切れの様相を呈してきたか、今回はお題が「お鍋」でなかったら、まず間違いなく失敗していただろうと思う。これまでのお料理も、たいていレシピそのままには作っていない。分量も適当、材料もあるものは省いたり、またあるものは他のものに入れ替えたりと、結構自由にはやってきた。が、今回のお鍋は、それにもましてかなりアレンジを加えた・・・というか、ほとんどお料理本のレシピを無視して材料を用意しており、よくもまぁこんな何のやり方もわかっていない状態で、おいしくいただけるものに仕上がったものだなぁと、自分でも驚いてしまった次第である。

今回は、作り始める段階からお腹も空いていたし、お金もそう費やしてはいられないので、お鍋のだしを手軽な「ほんだし」に逃げてみた。ちょっと「金魚のえさ」っぽい。それはそれとして、問題は残りの材料をどうさばくかである。今回採用した具は、鶏肉、鮭、豆腐、まいたけ(しめじのつもりが、隣りにあったこれの方がおいしそうで採用)、えのきだけ、糸こんにゃく、白菜、小松菜(ほうれん草だと思って買ったが、食べた翌日袋を見て小松菜と発覚)、これくらいだったと思う。お肉以外は水洗いして、白菜と小松菜(くどいが、ほうれん草のつもりで)はお料理本にしたがって本番前に塩ゆでしてみた。

ここまでは(たぶん)良しとして、適当に切り分けたこれらの材料を、お鍋にどの順番で放り込んでゆけばいいのか、これが全くもって検討つかなかった。実家ではどうだったっけ?お店ではどうだっけ?と頭の中に回想シーンを流してみるも、たいていお鍋の中にたくさん詰まった状態でテーブルに運ばれてくるものだから、事前にどういう手が加えられていて、どういう順番でお鍋に入れられているのかさっぱりわからない。いや、もしかしたら順番なんてないのかもしれないし。

もうこうなったら「強い者順」でいくしかないな。そう思った。どういう意味で強いのかはよくわからないが、なんとなく強そうなのからお鍋にじゃんじゃか入れていったのである。「一筋縄ではいかなそうなやつから」ってことだろうか。それが先ほど述べた順番である。これって、どうなんだろう。たぶん、きっと、まず間違いなく、どこか間違っている気がする。が、何が間違いなのかは皆目検討がつかない。答え合わせしてくださる方募集中。

こんなわけのわからない感じで、ただぐつぐつとしばらく煮込んでいただけなのに、食べてみるとうまいんだな、これが。一つ一つの素材の味が、口にするごとにじわじわーって身体に染み込んでくる。お鍋って偉大である。母なる大地である。お鍋ほど懐の深い料理はないかもしれない。こんな私の行いをすべて許して、それはそれはおいしいごちそうと化してくれるのだ。また、翌朝はおじやの素となって、最後の最後まで心身をあたためてくれる。こちらは朝寝ぼけまなこで作ったものだから(それが理由かどうか謎だが・・・)調味を一切忘れてしまったのだけど、お皿に盛ってからの味つけでも十分おいしかった。やっぱり日本の冬は鍋。私の坊主頭も少しずつふさふさと温かくなっている。

■2003/1/16(thu) 死について考えること

私が沈没した時の行動パターン、部屋のおそうじをして哲学の本を手にとる。さて、今日は部屋のおそうじをした。その後ある本を手にとり、小さいユニットバスの湯ぶねにつかった。手にしたのは「哲学はこんなふうに」。

この本を買った理由は、2002/3/1の「話」で出てきたエーリッヒ・フロム著「愛するということ」と同じ訳者だったから・・・と思って買ったところ、ただの勘違いだった。が、読んでみると、この方(木田元さん)の紡ぐ言葉もまた心にすとんと落っこちてきて、とてもわかりやすい。というわけで、結果的には買って正解だった。著者はフランスで大人気というAndre Comte-Sponville氏。ちなみに、この人の本は他にも一冊持っているが、訳者の異なるその本は、私にはお手上げだった。

この本は全12章から成っており、道徳、政治、愛、死、認識、自由、神、無神論、芸術、時間、人間、叡智、これらのタイトルが掲げられている。今日はどれを読もうかと選ぶ章によって、その人の今の心理状態が暴かれてしまいそうなほど力のある言葉ばかり並んでいる。私が今日選んだのは「死」という章。別にそれを希望してのことではない。物騒なことを考えているわけではないのでご安心を。つまりこういうことなのだ。

・・・もしぼくたちが死なないなら、ぼくたちの存在が死というもっとも茫漠とした背景の上に置かれていないとしたら、人生がこれほどまでにかけがえのない、貴重な、すばらしいものでありうるだろうか。(中略)なににもまして人生を愛する-いずれにせよ、あるがままのもろくてあわれな人生を愛する-ためにこそ、人生をもっとも適切に楽しむためにこそ、最高の人生を送るためにこそ、死を考えなければならないのだ。・・・

私自身読後に意識化されたことではあるが、死に向かいたくて「死」を読んだのではなくて、生に向かいたくて「死」を読んだのである。「死ぬ気になれば」とはよく使われる表現だけど、自分の死を視野にいれることで、身の周りのいろいろなことがとても受け入れやすくなってくる気がする。これが空とか海とか大自然相手になってしまうと、ちょっと大きすぎることがある。私の人生から切っても切り離せない「私の死」というものが、日々いろんなものを受容しなければならない中で、最も手ごろな支えになることがあるのだ。

1時間ほどしてお風呂からあがってきた、身体も頭もふやけた状態の私にはわからなかったが、しばらくたってみると、「そうか、そんな想いで私はいつも哲学の本を手にしていたのだな」と気づかされた。

■2003/1/15(wed) 遠い雑音

ふと気づくと、全身が辺りの雑音から切り離されていて、地球から取り残されてしまったような感覚に陥ることがあるんだ。あらゆる音がすべて自分とは等距離に離れていて、ものの大小や自分との物理的な距離を問わず、すべてが遠く、ぼんやりと鈍い音だけが自分の耳に届く。

小学生時代のプールの授業時間に体験した感覚に近い。水面の上では皆の声でがやがや騒がしいのに、ぶくぶくって一人水面下に潜ってみると、一気にその雑音たちが自分から距離をおいて、遠くに遠くに聞こえる。今、自分は一人ぼっちなんだって感じる。でも、そこでは、顔をあげればすぐにまたその雑音たちが自分を包み込んでくれるとわかっているから、少しスリリングな感覚を味わっても、とくにさびしいとは感じなかった。

しかし、街中でふいにそれに遭ってしまった今、私には為す術がない。逃れようなく、たださびしいだけだ。自らどこかに潜り込んだわけでもないから、どこかに這い上がってその音を得ることもできない。雑音が戻ってくるまで、ただひたすらさびしいという気持ちを受け止めつづけるしか法はない。

いや、もしかすると、私は全然別の空間で、知らぬ間にどこかに潜り込んでいるのかもしれない。だとすれば、私はその空間において這い上がる術を模索すべきなのか。それとも、やっぱりただ時を待つべきなのか。

人の声も足音も、電車のベルも、すべてが遠い。とても遠い。地球が遠い。

■2003/1/13(mon) 三日坊主の成就

クリームシチューに始まり、2日目は豚汁、3日目はお味噌汁と、この3連休、「晩ごはんをすべて自炊する」大作戦を見事成し遂げた。やや尻つぼみにはなったものの、2日目の具だくさん豚汁(詰め込みすぎたかも)も心身がほっとあったまって、ほんと大成功だった。うぅ、嬉しい・・・。

「三日坊主」って実はすごいことである。だって3日もやってしまうのだ。2日じゃない、3日だぞ。(2徹できても3徹はできんだろう。)あとは波の乗らせ方次第で、いくらでも先に行けるはず。きっと・・・努力次第で・・・。

ここで「2品、3品作りなさいよ!」とか「1日3食作りなさいよ!」とか野暮なことは言っちゃいけない。こういうおめでたい人は、しばらくどっぷりと幸せの湯に浸らせておくのが一番なのだ。いやぁ、すごいなぁ。どっぷり。いい湯だな。

■2003/1/11(sat) クリームシチュー

私は今日クリームシチューを作った。少しでも私と「食」について話をしたことがある人であれば、おそらくこの一文だけ読んでおののいていることだろうと思うと、私って恐ろしいと思う。自慢じゃないが、私は日頃まったくお料理をしない。見かけはしそうに見えるらしいので、「見かけだまし」とか言われることもあるが、そんなことは知ったこっちゃなくて、ここで公言するように料理は全然しないのである。1回目の一人暮らし(4ヶ月)では、仕事から帰るのが夜7 時、8時くらいだったこともあって、「炊く」「ゆでる」「焼く」ぐらいはやっていたのだが、それも到底料理と呼べるようなものではなかった。そして、2回目の一人暮らしから(5年半)は本当にやっていない。数回何かを「ゆでる」ことをした思い出があるだけ。日夜外食産業に貢献し、コンビニのお世話になっている。

さて、動機は不明だが、今日はなんだかシチューを作ろうということになって、一気にシチューのことで頭がいっぱいになった。私にとって料理とはそういうものなのだ。何か作ろうと思った瞬間から「ははぁ」と頭を垂れ、それ(例えばシチュー)にひれ伏している自分がいる。そこらの考え事とか悩み事なんて、一気にどこかに吹き飛ばされて、それに没頭する。無我夢中!全力投球!つまりは全く余裕がなくなるのである。それは冷や汗ものでもあるし、それを突き抜けた爽快感も味わう。「お料理なんてちょちょいのちょい」の諸君、どうだ!(ある意味)うらやましいだろう。

そんなこと言っている場合ではなくて、とにかくシチューづくりである。まずは材料と作り方を調べるところから始まる。最近は何千、何万というお料理のレシピがWebで収集できるから便利だ。「クリームシチュー」と「レシピ」で検索して、そのうちの一つに狙いを定める。材料をメモにとって、いざお買い物へ。

スーパーは、ぶらぶら歩いているより、その都度目的意識をもって見て回る方が断然面白いと思う。細かいところに目がいき、そこにいろんな発見がある。今回歩いていて思ったのは、「最近のスーパーは一人暮らしに優しいなぁ」ということ。私が知っている(15年くらい前の?)スーパーの食料品売り場って、ジャガイモもニンジンもタマネギもいくつかビニール袋にまとめたものしか売っていなかった。それが今は、(ここが東京だからなのかもしれないが)そのどれも一つから売っているではないか!それだけではない。「カレーセット」と称して「ジャガイモ2コ、ニンジン1本、タマネギ1コ」のセットが売っているのだ。まさに、まさに、一人暮らしのための野菜セットである。これにはひどく心を打たれてしまった。カゴの中の野菜をすべてもとに戻して、すぐさまそれに切り替えたのは言うまでもない。

新しい発見ばかりでなく、過去にもっていた知識との懐かしい再会もある。お野菜や肉・魚なんかは、大きさやなにかによって一つずつお値段が違うのだな。ここ何年も「100円のものはどれも100円」という買い物しかしていなかった私にとって、同じような顔をして並んでいる一本のニンジンでも、一つ一つ微妙にお値段が違うというのが、なんだかとても新鮮で、念入りにその姿・形を見入ってしまった。次第に、母の買い物についていっていた頃の自分の知識が呼び起こされ、「そういえばそうだったよなぁ」と、頭の中で久々の再会を喜んでいる感覚を味わう。食料品売り場って本当に面白い。なぜか鼻歌も出るし、なぜか歩き方も軽快になる。この空気感、いったいなんなんだろう。

「カレーセット」に加え、むきえびやらブロッコリーやらを次々買い物カゴへ放り込み、あとはシチューの素。レシピには小麦粉と牛乳と・・・とか書かれていたのだけど、自分をわきまえて行動しましょう!ということで、エスビー食品の「とろけるシチュー」を採用。一歩一歩、楽しく着実にゆきましょうよ。ということで、お買い物終了。

あとはざくざく切って、じゅうじゅう炒めて、ごとごと煮込んで、灰汁とって、最後に味つけして、おぉ!なんだ、やればできるじゃないかっ!あったかくておいしい。色合いも豊かだし。この達成感、たまらないわ。やっぱりホワイトソースづくりの戦いに挑まなくてよかった。新しいことって、まずはこういう小さな成功体験を積み重ねて、次のステップに自分をいざなってゆくことが大切なのよねぇ。うんうん。エスビー食品にお世話になってしまったことを正当化するあれこれを頭の中に並べながら、幸せ気分で洗い物を済ませ、床につくのでした。

■2003/1/10(fri) NOVAうさぎ

最近のお気に入り、それは「NOVAうさぎ」である。「いっぱい聞けて、いっぱいしゃべれる」って、あれ。セリフだけ繰り返し聞いていると、それはそれでちょっとやかましいのだけど、あのドナルドダック顔負けの見事な腰のふりを見ていると、もうたまらなくいとおしい気持ちを抱いてしまう。最近その愛らしい姿が常時見られるところを発見してしまった私は、ちょこちょこ訪れては、口元どころか顔全体をゆるませて幸せにひたっている。

皆さんも、辛いことや悲しいことがあった時には、どうぞ足を運んでみてください。「NOVA」のプロモーションページ。これだけ見ていても確かにかわいいんだけど、乙な見方としては、うさぎのところを右クリックして「拡大」、さらにもう一度「拡大」。すると、それはそれは、もうかぶりつきたいぐらいかわいさ倍増した「NOVAうさぎ」が目の前にどっかんと現れます。一気にあなたも「NOVAうさぎ」のとりこ。どうぞお試しあれ。

「NOVA」のサイト上で、「NOVAうさぎ」を最も堪能できるところは、おそらく「NOVAうさぎ誕生秘話」というところ。そうなんだけど、なぜでしょう。先ほどのプロモーションページの片隅にいる「NOVAうさぎ」の方が断然かわいく、いとおしく見えるのは・・・。とっても不思議。皆さんもこの二つぜひ見比べてみてください。(あ、今かなり暇な方か、もしくは目の前の現実から逃避したい方だけで結構です。)私だけかなぁ・・・。なんにしても、心がとてもなごみます。はぁ、かわいい。

■2003/1/8(wed) 残酷

誰よりも近くに歩み寄った二人なのに
あるとき誰よりも遠く離れ離れになる

■2003/1/7(tue) わが社の防火管理者

昨年の夏、私が勤めている会社は事務所を移転した。早4ヶ月ほどお世話になっているこのビルには、「1フロアに一人、防火管理者の資格を有する人を配置しなくてはならない」といった決まりがあるらしい。細かい規定はよく知らないが、入居にあたって「防犯管理者」やら「防火管理者」やらを定め、書類に名前を埋めてビルの管理会社に提出しなくてはならなかったようだ。うちのような小さい会社では、とりあえずそういうものをみんなで分担してみたりするわけなのだが、ひょんなことから「防火管理者」の欄には私の名前が記されることとなった。こういうのを担当すると公的機関の講習やら訓練やらに参加できる(しなくてはならない)というので、実は私、やるなら「防犯管理者」を狙っていたのだが、よくよく話を聞いてみると「防犯管理者」に講習はないのだそう。それを知った時にはすでに遅かった。「講習なんて面白そう!」との私の軽はずみな発言を耳にしてしまった社長は、講習付きの「防火管理者」に即効私を任命してくれていたのだった。私は「防犯管理者」の講習が受けたかっただけなのに・・・。とはいえ、少し楽しみではあるのだが。

そんなことを言っていたのは昨夏の終わり頃。ふと気がつけば、もう年を越しているではないか。仕事が忙しいのを理由に、だいぶ長いこと講習を受ける手続きをせぬまま時を過ごしてしまった。「防火管理者」となった人は、速やかに消防署の講習を受け、テストに合格しなくてはならないそうなのだが(そんなの事前に聞いてないぞ)、なにせ平日2日間を終日拘束されるので、年末まではなかなかその余裕がもてなかったのである。というわけで、晴れて本日、講習を受けるための申請に出向いたのであった。電話やネットからは申し込みができず、直接指定された申請場所に出向かなくてはならないので、今日は珍しくお昼過ぎから表に繰り出したのだ。

地図も持った、顔写真も持ったし、あとは現地で申請書を書いて提出するだけ。準備万端である。最寄駅に着き、駅のすぐ先から目的地まで伸びている緑道をまっすぐ歩いてゆく。今回は迷子にもならなさそうだ。緑道は車通りに沿って長細い公園になっている。学校帰りに鉄棒を楽しむ女の子たち、ベンチにあぐらをかいてゲームボーイを楽しむホームレスのおじさん(ハイテク!)、ある程度広い公園なら必ず一人はいる(が、なぜか必ず一人しかいない)ハトと戯れるおじさん、いろんな人たちの脇を通り抜けて、私は目的地に向かってずんずん歩を進めた。しばらく行くと、左手に消防学校の校庭がみえてきた。30~40人くらいの集団が制服をびしっと着て列をなし、訓練を行っている。緑道を挟んでこの向かいが講習所のはず。建物の奥へゆくと、スムーズに受付までたどり着いた。

はて。どうも様子がおかしい。受付は無人でインターホン呼出し。周辺には「~~認定発行」やら「~~受験申込」やら難しそうな資格の用紙が並んでいるが、「防火管理者」という文字はどこにも見当たらない。受付付近にいる数人の男性も、どうも本格的な感じだ。何の「本格的」かはよくわからないが、「消防」に関する「本格的」な何かを求めてここにやってきているふうなのだ。なんか、私浮いてるぞ。場違いだぞ。そう思いつつも、とりあえずインターホンを鳴らしてみる。

やってきた受付のおじさんは、微妙な間をおいて気の毒そうに「受付はここじゃないんだよ」と言う。がくん。ここは講習を受けるところ、受講申請は所轄の消防署または出張所を訪ねてほしいとのことだった。がーん。そういわれると、そんなふうに記されていた気がしないでもないような・・・。うぅ、落ち込んでいても仕方がない。会社から最も近い受講申請先を調べてもらうことに。すると、なんと会社と同じ丁目、番地違いにあるではないか。とほほ。とりあえずお礼を申し上げ、引き返すことにする。場所を教えてくれた受付のおじさんは「わざわざどうも」と、同情の目と苦い笑みを浮かべて私を送り出してくれた。

その後、多少迷子になったものの、無事受講手続きを済ませ、私は会社に戻った。まぁま、講習所の下見はばっちりなので、受講当日に迷子になることはないでしょう。しっかり受講して、しっかり管理者しましょう。社長、そのご判断に後悔はございません、よね・・・?

■2003/1/5(sun) 家族旅行のさなかに

この週末は、妹が運転する車で1泊2日の家族旅行。行き先は千葉県南房総の館山。わが家は千葉県にあるので、寄り道しながらでも3~4時間で宿に到着する。これぐらいドライバーに不安があると、逆に開き直って無心になれるもの。飛行機に乗る時にパイロットに命を預ける感覚で頭を空っぽにし、出発するやいなや私はガーガー眠りに入った。

出発から2時間ぐらい経過した頃だっただろうか、父だか妹だかの「海だ!」という声に目を覚ました。大波に揺れる海がいきなり目に飛び込んできて、その猛々しさにしばしみとれていた。この日は本当に風が強く、荒れ狂ったような海が目の前に広がっていた。しかし、お天気は晴天。澄み渡った空の下、日の光に照らされてみえる勇ましい海は、車中から見ている限り、実に神秘的なものだった。

それにしても風が強い。歩くのはやっとこさ。途中身動きがとれなくなることも度々。しょっちゅう自分の身体が風に飛ばされる感覚を味わう。ひどい時は呼吸もできなくなる。ニューヨークよりひどい。恐るべし、館山。ものは次々に倒され、木々は今にも折れそうになりながら踏ん張っている。建物の中にもキューキューと暴風の音が響きわたり、聞いているだけでも身震いがする。渋谷駅前の交差点のデシベルに匹敵する音の大きさだ。「旅先の海岸でのんびりお散歩」なんて、到底無理だったのは言うまでもない。

こんな風の中で、ビクともせず平然と今日の仕事を終え海の向こうへ静かに沈んでゆく太陽が、とても立派に思えた。雲一つない空も、実に穏やかな表情で頬をほんのり赤く染めて、ただやさしく海を見つめているようにみえる。

偉大な大自然を目の前に、また何も強いられることのない時間を通して、私はいろんなことを考えていた。いろんなことを感じていた。いろんなことを想っていた。とても悲しかった。とても苦しかった。とても切なかった。

■2003/1/3(fri) 交通事故

新年早々、母が交通事故に遭った。今日は兄夫婦、妹も実家に集い、みんなで新年のお食事会ということになっており、夕飯時になって、最寄駅まで兄夫婦を車で迎えにいった時のことだった。すき焼きの準備が整った食卓を前に待ちぼうけていた父と妹、そして私。少し帰りが遅いかなぁと思っていた矢先、母から電話が入り、受話器の向こうから「事故に遭った」とちょっとしょげた声。

すでに兄夫婦を車に乗せていた時に起こったようだけど、3人ともけがはないとのことで、まずは一安心。ただ、母の愛車はへこんでしまったそう。「これから警察を呼ぶところで帰りが遅くなるから先に食べていて」とのことだった。

とりあえず私たちは食事を済ませた(え、非情?)。しばらくして母から再び連絡が入り、警察の現場検証が終わる頃に車で迎えにきてくれないかという。(注釈:一応車が二台あるのですが、こっちは中古で購入し、10年以上わが家にいる元気なお年寄り。「父の車」と名づけられています。)父が了解し、様子見がてら早速お迎えに。

妹と私がおうちで待機していると、今度は父から「ケーキ食べるか?」と電話が入る。電話をとった妹の「ケーキ?そんなこと言っちゃってて大丈夫な状況なの?」から推察。母たちは事故に遭った車に乗ってそのまま帰れることになり、すでにこちらに向かっているとのこと。結局父は一人で帰ってくることになったらしい。で、とりあえずケーキを注文。(え、非情?)

そんなこんなで、やっとこさみんなおうちに集合。母の話によると、スーパーの駐車場出口から道路に出ようと待機していたら、右からやってきた車が左にウィンカーを出したので、その車はスーパーの駐車場に入るものだと思って道路の方に車を出したところ、その車が結局曲らずに前進してきたので、ゴツンとぶつかってしまったのだとか。兄にいわせると「6:4ぐらいでうちが負けるかなぁ」とのことだった。

母は19歳の時に免許を取り、すでに30年以上運転しているので、これくらいの事故に遭っても結構冷静である。どちらが悪いか不明な段階で、ぶつかった相手に「すみません」なんて口が割けても言わなさそうだし、今回は相手方が結構動揺していたようで、「向こうの人は事故に遭ったの初めてっぽかったわねぇ」なんて話している。免許とりたての時「10:0でこっちが悪い」事故に遭った妹に言わせると、「事故に遭ったのに冷静な人ってめちゃめちゃ腹立つー」のだそうだ。「私みたいにもっとあたふた動揺しろよぉ」って思うんだって。

なにはともあれ、事故には気をつけましょう。元旦に交通安全のお守りをいただいてきたばかりの出来事だったそうだから。自分の身は自分で守るよう気を抜かずに最善を尽くしましょうってことですわな。

気を取り直して食卓に着席し、父より新年のご挨拶。「皆さん、新年アタリましておめでとうございます。ウッシッシ。」母が「絶対言うと思った」と呟いた。

■2003/1/2(thu) 一人で過ごすお正月

今年のお正月。元旦を一人で過ごしたのは生まれて初めてだったかもしれない。実家に帰るとネット接続ができないに等しいので、NY旅行の「話」を東京の自宅で仕上げてから帰郷しようと思って、元旦の昼間から書き始めたら、結局2日に突入してしまった。昨日から休み休み一人黙々と文章を書き続けている。FM ラジオを小さめの音で流しっぱなしにして、気になる音楽が流れ出したら、手をとめて耳を傾けてみたり。こういう時間の使い方、とても懐かしい感じがする。うーん、実に地味である。

お正月に一人ぼっち。これって、帰るところがあるから平気でできることだよなぁとふと思った。自分の帰りを待ってくれている場所なしに一人で過ごすとしたら、精神的にかなりまいる気がする。今日中には実家に帰るつもり。週末は一泊二日の家族旅行もあるのだ。

さて、今年の過ごし方。仕事に励むのももちろんだけど、今年はそれ以外のところでも自分磨きに力を注ぎたいなぁと思う。こういうふうに文章を書いてゆくことは、自分を探求してゆくことにもなるし、つたない文章ながら私にとっては大切な創作活動でもある。文章を書く時間をはじめ、本を読む時間や旅する時間、自分の今後について考える時間など意識的に増やしていきたいなぁと思っている。あと、人と話す時間もこれまで以上に大切にしたい。

いろんな時間を過ごす中で、いろんな自分がうまく混じりあっていって、今より一つ二つ大きな自分になって来年を迎えられればと思う。本年が実りある一年でありますように。

■2003/1/1(wed) 今朝の小雪は

大晦日の晩、無事ニューヨークから帰国し、諸々片づけをしてようやく落ち着いたのは夜10時過ぎのこと。もうくったりとしてしまって、10時半には眠りについていた。気がついたら寝ていたというのではなく、おふとんの中に入って電気を消して、年明けを待つことなく潔く床についた。1月1日0時に起きていなかったことなんて、小学生の低学年以来かもしれない。目を覚ませば元旦の朝6時。昨年の睡眠不足をすっかり解消し、気持ちのよい目覚めだった。

朝9時ぐらいだったか、ちょっと外に出てみたら、小雪が降り出すところに遭遇した。ちろちろと降った後、しばらくして止んだ(11時頃には「お天気雪」を体験)。とても短い時間のこと。とても小さな空の下のこと。昨日の夜更かしでまだみんな眠っているのか、今朝のひどい冷え込みに外出を控えているのか、外ですれ違う人の数はとても少なかった。果たして、この雪に触れた人は何人いるだろう。この雪の降り始めに居合わせた人は何人いるだろう。一年の始まりの静かな朝、私は自分がとても貴重な体験をしたような気がした。

今年は充実した一年になりそうな気がする。小雪につられて、そんな期待感がちょっとわくわくした感じで心を駆け巡った。私の一年の始まりは毎回結構淡白であって、実際のところあまりこういう感覚は味わわないのが常なのだけど、今年はなぜかこんなふうなことを思った。なぜだろう。とても不思議だ。

考えるに、たぶんこの裏側には「これまで以上に充実した一年にしなければ」という意志だったり、願いだったり、想いだったり、があるんだろうなぁと思う。昨年は本当にいろんなことがあった年だったから、今年はそれを省みながら、本当にいい一年にしなくてはならない。なんだかちょっと切実な想いがある。今日の小雪が神さまからのエールだと勝手に思いこんで今年一年頑張ろう。

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