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2002-12-23

ニューヨーク旅行

2002年12月末にニューヨークを旅したときのお話。どうぞご賞味ください。

■2002/12/23(mon) へぼい旅路

いよいよ出発の日。今日から7泊9日のニューヨーク旅行が始まる。うふ。素直にとても楽しみである。「胸が躍る」とはこういうことをいうのだろう。こういう感覚を味わえる要素って、自分の人生の随所に自ら散りばめてゆく努力が絶えず必要だよなぁと思う。

成田空港までは、最もお金のかからない経路を選択。JR山手線で日暮里駅まで出て、そこから京成本線の特急で成田空港駅まで。日暮里駅から片道千円で着く。「成田エクスプレス」やら「京成スカイライナー」なんて、そんなゴージャスな乗り物は利用しないのだ。いや、単にできないだけなんだけど。

とはいっても、選択理由はそれだけではない。京成線は、名前の通り「東京」と「成田」をつなぐ千葉県民御用達の電車。千葉県のローカル線だけあって、実は JRより断然短距離で東京-成田間を結ぶ線路を持っているのだ。JRの場合、東京から千葉県の中央部(千葉)まで下ってから、再び千葉県の北東部(成田)に這い上がってくる経路でしか線路をもっていないため、たどる道のりが非常に長ったらしい。まぁ、一旦乗車してしまったらさほど気にならない話で、今調べたら乗車時間も変わらないようなので、最終的に「格好良さ」では圧倒的に負けてしまうわけなのだが。

いやいや、ここで少し、千葉県生まれ千葉県育ちの私から、京成線の魅力的な一面を紹介させていただこう。子供の頃、一人で京成の電車に乗った時のこと。とある駅で、やってきた電車に乗り込んだところ、ガタンゴトンと走り始めた後に、「ガーッ」と全車両のドアが一斉に開いたことがあった。それでもなお走り続けている。何かはさまったまま走り出してしまったのか。なんにせよ、普通ブレーキをかけないものだろうか。子供ながらに疑問符を打った。電車はそのままドアを閉めて、車内放送で詫びることもなく、何事もなかったかのように走り続けた。その日は休日で車内もさほど混雑していなかったので事なきを得たようだったが、私含めドア付近に立っていた乗客は冷や汗ものである。そんな電車である。

高校時代は、江戸川の土手で鉄橋をわたる京成線を寝ぼけまなこでぼーっと眺めていた時のこと。目に入る車両ごとに次々外観が変わってゆくので、一気に目が覚めてしまった。使える車両をつぎはぎに組み合わせて、3種類の柄の車両をくっつけて1本の電車を走らせていたのだ。そんな電車である。

なんでこんな話をするかって?「格好良さ」でJRと競い合ったところで勝ち目はないのだ。京成は「へぼさ」で勝負だ。愛らしいではないか、このへぼへぼ感が。人から長く愛されるものとは、どこか「へぼい」ものなのだ。・・・というのは、たいてい地元民だけに生まれる感情だったりするのだが。

なにはともあれ、そんなへぼくも愛らしい電車に揺られて、ニューヨーク旅行は始まったのである。で、空路はユナイテッドエアライン。どうやら、そろそろつぶれるらしいという噂。おやつの時間に、お湯入れて4分のカップラーメンを出されたときには唖然とした。こちらもまた、地元民には「へぼい」感じで愛されているんだろうか。うーん、気持ちは少しわかる気がする。

■2002/12/23(mon) 「かっちょいい」

さて、14時間ほど飛行機のエコノミー席に縮こまっていたら(これはかなりきつかった)、ジョン・エフ・ケネディ(JFK)空港に到着した。「日本23日 17時」を出発して、「ニューヨーク23日15時過ぎ」にたどり着いた。ニューヨークは日本より14時間遅れの時間を生きている。私はこれから半日近く、ニューヨークの23日を過ごすことになるのだ。

JFK空港は現在修築中らしく、(そのせいではない気もするが)到着ロビーはひどく寒々しかった。キオスクのようなお店が1つ、あとはトイレだけ。すぐに外に出てタクシー乗り場へ向かった。空は晴れわたり、寒さはさほどでもない。油断大敵だけど、この穏やかな出迎えは実にありがたい。一気に風邪をひいて初日から倒れるということは、とりあえずなさそうである。白タクの運ちゃんにつかまることもなく、無事黄色いタクシーに乗って一路マンハッタンへ。

「トンネルを抜けたら、マンハッタンだった。」しばらくもぐっていたトンネルを抜けて目に飛び込んできた光景は、私の頭にそんな一行を思い浮かべた。まさに、ここがニューヨークである。第一印象、それはもう「かっちょいい」の一言に尽きる。「かっこいい」じゃなくて「かっちょいい」。尊敬語的に相手を高めて称えたい気持ちと、謙譲語的に自らをへりくだって相手を称えたい気持ちが、興奮でぐっちゃぐちゃになって、それでもとりあえず言葉に表現してみようと試みたら「かっちょいい」って、あらまぁスラングになってるやん・・・みたいな(ニュアンス伝わるかしら?)。

とりあえず、立ち並ぶ建造物がすべて「かっちょいい」のだ。ホテルもアパートメントもショップも、石造り、煉瓦造りの独特な重厚感を漂わせている。私はこの重厚感に人一倍弱いのである。格子状に区画整理された通り、10人並んでも歩けそうな幅の広い歩道、大人の雰囲気漂う街の灯り。うーん、うっとり。

初日から4泊するホテルに到着する頃には、すでに辺りが暗くなっていた。チェックイン後、荷物を部屋に置いて間もなく外出。SOHOまで徒歩で下り、早速数点洋服を購入。なんだ、こんなにあっさり買い物するんだったら、本当に服などあまり持ってくるんじゃなかった。が、今回は初体験なので仕方ない。次回は身軽にやってこよう。それにしても安い。ニューヨークとはいえ、東京と比べるとやはり格差があると思う。私はブランドもの情報にうといので、カジュアルな服やさんのお値段比較しかできないけど、それにしてもこりゃ「海外でまとめ買い」したくなる日本女性の気持ちもわかるわなぁ、と思った。

街を実際に歩いてみた印象は、「よくしゃべる」である。複数でいる人はもちろん、一人でも歌を歌っていたり、はっきりした口調で独り言を言っていたり、見えない誰かに熱く語りかけているふうな人もいる。「I love you. You love me.」とかなんとか。大通りの向こうの人に話しかけるような大声で叫んでいる人も見かける。そういう人が決して珍しくない。地下鉄では、ホームのみならず車内でも、アカペラで歌を歌ったり、ギターを持ち込んで弾き語っていたりする。車もよくしゃべる。何かっていうと、「プッププップ」とすぐクラクションを鳴らす。サイレンの音もよく耳にする。でも、そういうふうに人が発する音たちを、街並みが全部吸収しちゃってる感じがあったりするんだな。だから最終的にはやっぱり「かっちょいい」んである。これから1週間、短期間ではあるけど、いろんな表情を見てみたいと思う。

■2002/12/24(tue) アメリカンな心の表出

今日は主にSOHO地区を散策。とりあえず、買い物に際しての基礎英会話として、「Can I try this on?」で試してみて、「Can I have...?」で注文し、他に何か相手に望むことがあれば「Can you...?」で伝える。これでどうにか転がってゆくものなのかなぁということを理解した。といって、習得できたわけでは全くないのだが。同行する友人の見様見真似。娘になったような気持ちで、親の振る舞いをみながら1つずつ覚えてゆく。あとはもう、頻出の単語や熟語、構文やら文法なんぞ思い出しつつ調べつつ、実際に英語で表現し続けてみるほか上達の道はないのだろうなぁと思う。

で、伝えるのはできたとしても、相手の言うことを理解するのが、これまたとても難しい。早口だし、人によってなまりがあるし、しゃべっているときの表情が怖いし。そこで、うぅっ!と怖気づきそうになった時に、最後「にこっ」と微笑まれたりすると、もう最高潮に幸せな気分になってしまって。こういうところが日本人の弱っちいところなのかなぁ、なんて心の中で苦笑してみたりする。

しかし、しばらくすると、こういう最後の「にこっ」が逆に自然に感じられるようになってくる。日本の接客は一般的に微笑みを絶やさない。日本にいるとそれが自然であって、それがないと逆に「感じが悪い」ととられかねないようなところがある。だけど、こちらのお店をいくつかはしごしてみると、とくにレジなどは、みんなぶっきらぼうな顔をしているのが一般的で、だけど最後に自然な笑顔を浮かべて「Good holiday!」と声をかけてくれたりする。人によって表情は様々で、それこそレジの故障で機嫌の悪い人なんかはめちゃめちゃ怖い顔をしていたりしたのだが、その人本来の個性が覆い隠されていないという意味では共通している。それが、私にはとても新鮮に、また人として自然に感じられたのだった。

また、慣習的に交わされているらしい挨拶も、実に素晴らしいと思った。お店に入ってゆく時には、「Hi.」と交わし合う。お店を出てゆく時には、購入したしないに関わらず、「Thank you.」と交わし合う。「感情」が先行して「言葉」が生まれると考えるのが一般的だと思うけど、私は慣習的に発する「言葉」が、心に自然と「感情」を生むこともあると考えている。ここでいうと、店員と客が慣習的に発しているこれらの言葉たちが、自然と互いの心を通じ合わせ、緊張を解き、感謝の気持ちを生んでいる気がするのだ。言葉ってそういう力を持っていると私は信じている。

言葉については、日本人がなんでもかんでも「すいません」で済ませてしまいがちなところを、こちらでは「Excuse me.」「I'm sorry.」「Thank you.」ときちんと使い分けている点も、とても素晴らしいと感じた。言葉と感情のつながりをもっと大切に、私もきちんと「すみません」「ごめんなさい」「ありがとう」を使い分けたいなぁと思った。

ここでは、一人一人の個性がきちんと立っていて、その上でそれぞれが自分の役割を担っているんだなぁと思った。日本がそれを見習ってしっくりいくのかといえば疑問だけど、とにかくこの辺りは実にアメリカらしいなぁと感じた。

■2002/12/25(wed) 極寒のクリスマス

さて、今日はクリスマスだ。日本ではクリスマス・イヴに重きが置かれているけど、こちらではクリスマス当日がメインのご様子。といっても、外出しても街ににぎわいはない。とにかく、どこのお店も閉まっているのだ。みんな家族や友達とパーティーを楽しんでいるに違いない。ついでに、今日は朝からどしゃぶりの雨。お昼ぐらいから、それが雪に変わって積もりに積もったのだった。そんなこんなで、街は一層閑散としている。静かなホワイトクリスマスだ。

お店が閉まっていることについては、悪い気はしない。むしろ喜ばしいことだ。こういう感覚は、日本が最も異国から学ぶべきところだと思う。お金至上主義にならず、また古いものだったり面倒くさいものだったりを短絡的に排除しようとせず、人が生きてゆく上で最も大切にすべきものが何なのか、もっと真剣に考えて答えを出すべきだと思うのだ。例えば元旦にお店を開くべきかどうか、例えば「~~の日」と定めたその経緯を無視して、休日を月曜日に移動させ連休を増やすべきかどうか。例えば古い建物を取り壊して、新しく建て替えるべきかどうか。新しく築いてゆくことや、簡便化してゆくことばかりに目を向けてしまうと、これまで築いてきて守るべきものを見失ってしまいがちだ。本当は新しくものを築いてゆくのと同じくらい、またはそれ以上に、それを守ってゆくことの方が大変なことなのだと思う。守るものとそうでないものを適切に取捨選択し、それを保ち続けながら、時に修正を入れたり、時に向上させてゆかなければならないのだから。

とはいえ、ホテルでじっとしているのもつまらない。ニューヨークに来たら、絶対にベーグルを食べよう!と心に決めていた私は、ホテルから歩いていける距離のベーグルやさんまで、大雨の中とりあえず朝食に出かけた。ほとんどのお店が閉まっているところ、そのベーグルやさんはオープンしていてくれ、私は念願のベーグルを食すことができた。私が注文したのはアボガドをはさんだベーグル。とってもおいしい。ものすごいボリュームだけど、朝食と昼食に、それを半個ずつ食べた。この地で一品頼むと、たいてい私の普段の食事の三食分の量が出てくる。そしてまた味が実に濃厚。恐るべし、アメリカ人。

午後はどう過ごそうかというので、とりあえず映画館をあたってみることに。ただいま上映中の「007」に狙いを定める。毎回裏切ることなく爽快なストーリーが好きなのと、あれなら英語がわからなくても楽しめそうとの理由から。ハリウッド映画を多く上映しているという映画館まで地下鉄を使って移動。映画館はやっていたのだが、「007」がやっていない。受付のお姉さんに他の映画館を紹介してもらい、徒歩でそちらに向かう。しかし、そこもやっておらず、次へ。そんなことをしているうちに、大雨は大雪に変わってしまい、まさに極寒。その後も強い風吹く雪の中を悲鳴をあげながらさまよい歩き、ようやく数軒目で「007」に巡り会えた。その後「The Lord of the Rings」も観て、とりあえずどうにか「映画を堪能した一日」にまとめあげることができたかなというところ。想像どおり「007」はわかりやすかったが、「The Lord ~」は日本に帰ってからおさらいしないと観たことにはならなさそうである。

それにしても、アメリカ人が皆笑っているところで、自分が笑えないのは切ない。笑いが起きる前に、「あ、ここ笑うところだ。」とは読みとれてしまう不思議を味わいながら、それはわかっても意味わからずして一緒に笑うこともできない自分がひどくかわいそうであった。んー、しょぼい。

■2002/12/26(thu) 寒さに完敗

実のところ時差ボケである。一昨日は13時起きだった。さすがに午前が全くないのはまずいだろうということで、昨日は10時半に起きて、どうにか午前中にホテルを脱出。今朝も同じだ。夜ホテルに戻ると、一旦は疲れて眠りつけるのだけど、2、3時間で目が覚めてしまって、そこから延々朝6、7時くらいまでおめめぱっちりである。それでも、身体の疲れだけでもとろうということで、ベッドに入って目を閉じて、静かに眠気の再来を待つ。お昼寝の時間に一人なかなか寝付けない保育園児の気分。朝方になるとようやく意識を失う。結構厄介だ。早く慣れたい。

さて、昨日と打って変わって今日は朝から良いお天気。しかし、ものすごーく寒い。絶えがたい。にも関わらず、今日はマンハッタンをずっと南に下り、海近くのグラウンドゼロを見に行ってきてしまった。2001年9月11日のテロ事件で崩壊したワールド・トレード・センターの跡地だ。普通こういうのはじっくりと見て、いろいろ感じとって、ものを考えて、しばらくその場所で時を過ごしたりするのが普通なのだろうけど、寒さの極限で自分の身を守るのに精一杯だった私は、情けないかな、かなり短い時間で退散してきてしまった。その先に自由の女神もあるというが、とてもじゃないが、これ以上海に近寄ることなんて絶対にできない!そう確信した私は、極寒の地専用の厚手のコートを買ってまた戻ってくればよいではないか!と、風が吹く度奇声を発しながらかなり怪しい感じで、自由の女神に背を向けてその場を後にした。

SOHOまで引き返して、コートを探しながら散策。で、結局コートを2着も買ったのだけど、どちらも日本で着る用になってしまった。極寒の地専用のごっついコートは買えずじまいで、夜が更けてしまったのだった。でも、日本から着てきたコートよりあったかくてとても幸せ。

こちらに来て以来、本当によく歩いている。今日は、これまでに蓄積された足の疲れとひどい寒さのため夕食に出る気力もなく、ホテル内のレストランで軽食をとって休むことにした。

あたたかい部屋に戻って振り返ってみるに、この目でグラウンドゼロを見たからといって、何かを改めて感じるというのはあまりなかったというのが正直なところだ。飛行機がビルに突っ込む瞬間、煙にまかれて逃げ惑う人たちのリアルな映像に勝る衝撃はない。現在工事中のグラウンドゼロを見るより、頭に残るその映像を思い出す方が、ひどく苦い味がする。ただ、周辺のビル群も一部が崩壊したままになっていたりして、未だ事件の爪あとが見られる光景だったのは事実である。

■2002/12/27(fri) 洗濯ネット

今日はお引越しの日。今朝まで泊まっていたホテルは4泊しかとれなかったので、別のホテルを今日以降3泊予約してある。別のホテルとは「Hotel Chelsea」。アレン・ギンズバーグ、ジャニス・ジョップリン、ジミー・ヘンドリックス、アーサー・ミラーなど、数多くのアーティストがそこで生活したのだそうで、今なおアーティストの生活拠点となっているようだ。私が宿泊した部屋の隣りも、おそらく絵描きと思われる男性がそこを住まいとしているようだった。

ロビー、受付、1階からおそらく最上階までの階段の壁面には、そこで暮らしを営んだのであろう様々な画家の絵が数多く掛けられていて、その建物全体にアートの香りがぷんぷんと漂っている。1880年代に建設された建物。部屋の扉の閉まりは今ひとつ、鍵をかけるのも一苦労だったが、人の温もりが感じられるような、なんだかとてもあたたかいホテルだった。

無事ホテルの引越しを済ませると、ベーグルやさんでまずは朝食。その後、昨日たどりつけなかった自由の女神を見ようと、新しいコートを着てマンハッタン南端に向かった。海の向こう遠くに見える女神さまを拝んで、トリニティ教会などを訪れ、Wall Streetを散策して、18時過ぎくらいにはホテルに戻った。コインランドリーで洗濯をすることにしていたためだ。ホテルから徒歩5分ほどのところに見つけたコインランドリーに洗濯物を持ち込み、いざ洗濯へ。今日の一大事は、日も落ちきったその時から始まったのだった。

洗濯ネットをホテルに忘れてきてしまったのだ。下着が痛んだり他の洗濯ものにひっかからないようにするためのネットである。んー、これがないのは辛い。ということで、友人をそこに待たせてネットをとりに帰る。すると、今度はホテルの鍵が開かない。うぅ。数分ドスドス頑張った後、やっぱり無理だということで、受付に助けを求めにゆく。エレベーターの中でセリフの練習である。「Excuse me, I can't open my room's door.」あとは「Help me!」か何か言えば要件は伝わるだろう。

受付で「Help me!」の手前まで伝えると、電話中だった中年男性がちょっと待つようにというので、その場で静かに待機。しばらくしてがたいのいいお兄さんが受付に入ってくると、彼が私を助けてくれることになった。見かけがごつい割りに、お兄さんはとても穏やかな人だ。エレベーターの中で、あの鍵はtrickyでねぇと、開け方を丁寧に教えてくれた。左に回しきった後に、一旦ドアノブを手前に引っ張って、そこから鍵を左に強く押し込むとかなんとか、ものすごく高度というか、ややこしいコツが必要なのだった。自分でやってみて!というので、レッスンの通りにそれをやると、本当に開いた。コツをつかんだ私は、めちゃめちゃハッピーな笑顔で「Oh! I see. Thank you so much.」かなにか言って、お兄さんにお礼を言った。お兄さんも笑顔で返してくれた。

だいぶ時間をとってしまったので、急いで部屋に入ってバッグに手をかける。ガーン。また失敗である。洗濯ネットはスーツケースの中。スーツケースには鍵がかかっている。その鍵はリュックの中。そのリュックは・・・、コインランドリーに置いてきてしまった。とほほ。こんなに苦労して部屋の中に入ったのに。すでにこんなに時間がかかっているのに、この上もう一往復友人を待たせるわけにもいかない。結局ネットに入れて洗う系統のものは洗濯をあきらめて、手ぶらで友人の待つコインランドリーに戻る。事情を説明するやいなや、「しょぼい」と言い放たれる。確かに、しょぼい。まぁ、いいんだ、英会話できたし。

コインランドリーは、また実に興味深い空間だった。東京のコインランドリーはとても薄暗くて汚い印象がある。私は洗濯中おじちゃんに水着を盗まれたこともあるので、あまりいい印象がない。一方、ここのコインランドリーは実に居心地が良い。室内の幅は東京のそれとさほど変わらないものの、奥行きは東京の3、 4倍くらいあってとても広い。天井も高いので閉塞感がない。右側に洗濯機が、左側に乾燥機がずらーっと整列していて、そのうちのいくつかがグルングルン回っている。お掃除のお兄さんもいて、とても清潔な環境だ。

「庶民のふれあいの場」みたいな感じもあって、新しい人が入ってくると「Hi!」と声をかけあったりする。洗濯が終わるのを待っている間にやってきたお兄ちゃんには、そこで販売しているいくつかの洗剤の違いを尋ねられたりもして、私にはわからないと答えるしか脳がなかったけど、私の友人が「これで良ければ使って」と使いかけの洗剤を差し出すと、彼は本当に嬉しい様子で元気にお礼をいってその場を去っていった。どうやら洗濯をしにきたのではなく、ここには洗剤を買いに来たらしい。なにかそういう自然な触れ合いを体験できたことが、ここでの大きな収穫となった。

■2002/12/28(sat) 美術と私

私は「美術」なるものに非常にうとい人間なのだけど、せっかくニューヨークに来たのだからということで、グッゲンハイム美術館に出かけてみた。休日のためか館内は大変混雑していて、ゆっくり鑑賞するという感じでもなかったが、とりあえず渦巻き上の建物を上から下まで作品を観ながら歩いた。

感想を一言でいうと「よぅわからん」ということになるのだけど、そこには単に不明快な感じだけではなくて、「痛い」感じとか「怖い」感じなんかがつきまとう。私が訪問した時にはちょうど映像と写真を中心に展示物が構成されていて、その多くがとても繊細で、シリアスな感じ。あったかい感じやコミカルな感じのものってなくて、どれも鋭くずっと背後をつきまとってくる感じがするのだ。

映像や写真は、本来現実をそのまま映し出すものだから、基本的にはものすごく直接的で、尖っていて、触れるととても痛いもののような気がする。その形態の特性が、映し出されるもの自体、またその演出によって、柔らかくなったりあたたかくなったりするのかなぁと勝手に考えてみたりしているのだが。今回観た作品は、どれもすごく痛かったのだ。たぶん目の肥えていない私が観ていることが多いに関係していると思うのだけど。そう考えると、結局「よぅわからん」ということになる。一人消化不良を起こしているような感覚に陥る。

まぁ、わからないならわからないなりに、つべこべ言わず、「なんかいい感じ」とか単純に好き嫌いの感覚で楽しめばいいのだろうけど。そういう意味では、私は若い頃のピカソの絵が一番「いい感じ」かなぁ。観ていて疲れないし、それを見ている目に柔らかい感触を味わうのだ。ただそれだけの理由。

映像と写真の世界を脱して絵画のコーナーに入ったら、一気に眠気が襲ってきた。興味がわかないから眠くなったのか、その空間が急に柔らいだように感じたから眠くなったのか。今もって私にはどちらの理由かわからない。なんにせよ、私にとって美術作品とは相変わらず未知の世界で、相変わらずとても謎めいている。

■2002/12/29(sun) サプライズ

明日にはもうここを離れなくてはならない。あっという間の1週間。そんな気もする一方で、ふとニューヨークに来た1週間前を思い出そうとしたら、それがひどく昔のことのようにも思われ、不思議な感覚に落ちた。浦島太郎が龍宮城に行く逆バージョンのような感じ。随分長いことここにいるような気がするのに、日本に帰国してみたら実はそんなに日が経っていなかったのね、と安堵するような気がして。

今日は週末に各地で開かれるフリーマーケットの1つを覗いてみたり、SOHOの辺りを散策したりしながら、帰りの荷物を入れるためのバッグと明日午前中に発つ飛行機に乗り遅れないための目覚し時計を探して歩いた。しかし結局収穫はなくて、バッグはホテルの近所で半額で売っていたDIESELのバッグを購入。ここには後半結構通ったが、わかりやすくゲイのお店だった。店員さんはしゃがむとお尻が半分見えちゃうし、ムキムキ男性のポスターがでかでか貼ってあったり、奥の方には「I'm a gay.」と書かれたTシャツが売られていたりした。ちなみにチェルシーはゲイの街らしい。私にはある意味安全な街である。話を戻して、目覚まし時計はもともと気に入ったものがあったら買おうぐらいに考えていたので、ホテルのモーニングコールを依頼することにした。

ホテルに戻って一息した後、受付までモーニングコールの依頼に出向いた。このホテルにそんなサービスがあるのかどうかが不安の種。また、この私が正確に依頼内容を伝えられるのかどうか、これまた一層不安。これに失敗すると、まず乗り遅れる。それはまずい。エレベーターの中で、用意したセリフを口に出して練習しながら受付に向かう。受付に着くと、先日部屋の鍵が開けられなかった時に助けてくれた強面のお兄さんが一人腰掛けていた。

「Excuse me. Can I make a wake-up call tomorrow morning?」と、用意していた言葉を、つまずかないようにゆっくりと口にした。すると、すぐにOKの返事をくれて、部屋番号と呼出時刻を尋ねられた。すべて回答用意済みの質問。「8 o'clock.」との答えに、「朝早いねぇ」(英語を思い出せない)と反応していたが、その理由を説明する言葉がすぐに出てこなくて、「そうなのよぉ」という顔をして「Yes.」と答えた。んー、情けない。何はともあれ、しっかりとお願いできて一件落着。「よろしくお願いします」という顔をしながら「Thank you.」と伝え、私はその場を後にしようとした。

その時である。すでに彼の視界から消えている私に、「君は日本から来てるの?」と受付奥から声がかかった。彼の英語はとても聞き取りやすくて、すぐに意味が理解できたので、そのままYESと返事をし、受付の前まで戻って彼の話に耳を傾けた。彼が今おつきあいしている女性は、小林さんという日本人なのだそう。彼はまだ日本に来たことはないそうだけど、彼女から話に聞いている日本についてのあれこれをいろいろと話してくれた。

しばらくすると、受付に「お菓子の家」を手にした中年男性が陽気な顔をしてやってきた。受付のカウンターの上に、それをドスンと勢いよく置くと、「お菓子の家」の屋根もまたドスンと落っこちてしまって、外壁の1つもバタン。一気におうちが崩れた。私は思わず声を上げた。びっくり顔の私を見て、その男性はバリバリとそのお菓子の一部を割って、かわいいキャンディーのくっついたビスケットを私に分けてくれた。そこからしばらく受付のお兄さんとその中年男性と私で会話を楽しんだ。

「お菓子の家」をもって現われた男性は、ここのホテルの住人なのだそう。ドイツからいらしたバイオリン奏者。普段は音楽の先生をしているそうで、この「お菓子の家」はその生徒さんからの手作りプレゼントなのだそう。その男性は、「このホテルにいるみんなでこのお菓子を分けてほしい」と受付にやってきたのだった。なんて素敵なお話。そして、話の一部始終を聞き取れた自分にも感動。いくつか自ら質問できた自分にも感激。ハハ、しょぼくて結構である。思いがけない体験を持ち帰って、幸せに床につく。旅終盤にしてようやくきちんと眠れるようになった。

■2002/12/30(mon) 最後の失敗

朝、結局モーニングコールより早く目が覚める。8時前に起床、お風呂に入って、荷造りを完了させ、最後にアメリカンな食事をとろうと朝食に出かける。

ホテル近くの「VENUS」というお店。アメリカンな料理を楽しむならココ。さて、今日はいつも見ていたメニューと違う。朝食メニューは別にあるようだ。私は、店員のお姉さんに「Brown bread」と「One egg, scrambled on the roll」を注文。スクランブルエッグをパンで挟んで食べようと考えた。しばらくして、トーストにマーガリンがぬられた「Brown bread」が到着。そのまま手をつけずに、タマゴの到着を待つ。またしばらくして、お姉さんが「One egg, scrambled on the roll」を持ってきた。そこで、私はショックのあまり、思わず声を上げてしまった。「タマゴ」じゃなくて、「タマゴを挟んだパン」が出てきたのだ。

「タマゴ」が単身でやってきてくれるのを心待ちにしていた私と一人身のトーストの心は無残にも引き裂かれた。私のショックな悲鳴を聞いて、お姉さんはいたずらに笑ってみせた。「わーん、それならそうと最初から言ってくれー!」と涙しつつ、でもそんな想いを英訳することもできず、とりあえず気を取り直して「タマゴを挟んだパン」をいただくことにする。うっ、でも最初に到着したトーストの方があったかくておいしそう。途中からタマゴだけ単身トーストのパンに移し変えていただくことにする。うぅ。最後にしてやられた。

アメリカのメニューを理解するには、食文化への理解を含めて相当時間がかかりそうである。まぁ、それも一つの楽しみ。ニューヨーク旅行、最後の朝食の美しい思い出。お姉さん、どうもありがとう。

■2002/12/31(tue) 旅の終わり

ニューヨークから日本に戻る機中で、大晦日を迎えた。帰路もやはりユナイテッドエアライン。で、おやつの時間、懲りずにまたカップラーメンが出た。とある日本人の「日本人はおやつ感覚でカップラーメンを食べるよ」なんて一言に端を発しているのだろうと勝手に推察しているのだが、あながち間違っていない気がするのは私だけ?

行きの飛行機で見かけた乗務員さん数人がまた乗っている。疲れているのか、座席のボタンで人を呼んでも数回に渡って誰も来てくれなかったり、食事を出すのにものすごい時間がかかっていたり。人のアサインも大変な状況なのかなぁと勝手に心配してしまった。大きなお世話である。そんなこんなで、飛行機はやっぱり狭いところでじっとし続けるので、とんでもなくしんどかったが、無事成田に到着することができた。

ニューヨークに旅立つ際には、早くから自分の腕時計をニューヨークの時刻に合わせていたのだが、日本に戻る機中はなかなかそうもいかない。時計を日本の時刻に戻さなくてはならないことはずっと気にかけていたのだが、もったいなくてなかなか行動に移せない。結局そのまま飛行機を降りて、電車に乗って、家までたどり着いてしまった。今日は大晦日。さすがに年明けまでには直さないと、とどこかで思った記憶はあるのだが、おうちに着いた時点で、いろんな力がひゅーと抜けてしまいさっさと眠ってしまったので、未だ私の時計は14時間前を刻している。さて、いつ時計を戻そうか。いつ旅を終えようか。

とはいえ、高校時代に修学旅行で訪れたカナダから帰国する際に感じた「やだー、帰りたくないー!」というだだっこみたいな気持ちと、今回はだいぶ異なる気がする。かなり冷静な感覚だ。予想どおり、海外でしばらく暮らしてみたいという思いは強くなって帰ってきたが、当時に比べればあまり無防備にものを考えることをしなくなったのだろう。でも、考えたことを推し進める実行力は、昔よりも格段伸びているはず。あの頃には結局実現できなかった夢をこの先実現できればいいなぁと、静かに思いを巡らせている。

■2003/1/2(thu) 旅とは

旅とは、他人の鏡を借りて己を省みる機会を得るものである。
旅とは、己を日常生活から引き離す手段である。
旅とは、ただ単純にいいもんである。

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