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2002-01-01

2002年の話(まとめ)

■2002/12/19(thu) 「暇」つぶし

山手線に映像で広告が流れ出してしばらく経つ。
嫌なら見ないようにすれば済むことなのだけど、
広告とはひと目を引くものであるべきものだから、
単純な私は思惑通りそちらに目を奪われてしまう。
私はまた一つ、日常から「暇」を失ってしまった。

「暇」とはそのまま「退屈」を表すものだろうか。
「暇」は少なければ少ないほど良いことだろうか。
「暇」がすべて「退屈」とは限らないではないか。
考えようによっては「暇」こそ自在な創造空間。
私には、そんな気がしてならないのだけどな。

■2002/12/18(wed) 待つのだけ

からだが病むとこころも病む
こころが病むとからだも病む
1コが病むとあちこちグズる
からだもこころもあたまも病む

霧雨やむように止まぬかな
子の泣きやむように止まぬかな
病むが止むまで待ちぼうけ
待つ人はただ待つのだけ

からだあたため待っていよう
こころほかほか待っていよう
こころもからだもすこやかに
待つ人はただ待つのだけ

■2002/12/12(thu) ニューヨークと私

年末にニューヨークに行くという話をすると、皆口をそろえて「大丈夫?」と返してくれる。まず第一に、極寒の地であるということ。私の寒がりは自分のプロフィールに書き込んでもいいぐらいの特徴的事実。それもまた周囲の温度の低下に伴い、自分の体温も低下してゆくという異質な特徴をもっているため、東京で 34度台まで落ち込む私の体温は、ニューヨークではいったいどこまで下がるのだろうとの心配もある。これは結構命がけである。

ついでに、先日の雪で一気に風邪をひいた私。果たしてニューヨークで風邪をひかずに一週間を乗り切れるのか。うーむ、非常に確率低い気がする。そういえば、数年前東北にスキー旅行に行った時も、確か2日目には風邪をひいて、宿で皆を送り出したような記憶。あぁ、いらんこと思い出した。

第二に、極寒の地ゆえ、とっても「転ぶ」らしいのだ。自慢じゃないが、私は人がスムーズに歩を進める平らなところでもよくつまづく人間だ。皆がよく転ぶところなんて、私はいったいどうなってしまうんだろう。「皆がよく転ぶところでは転ばない」とか、そんな隠れた才能が発揮されたりしないだろうか。そう考えると、これはちょっと楽しみかも。何にせよ、足元には厳重注意である。

第三に、ニューヨークには危険がいっぱい。とにかく人通りの少ないところには行くな!とか、荷物は絶対手放すな!とか、レシートを必ずチェックしろ!とか、いろんなところでいろんな注意を見聞きする。ニューヨークに行ったことのある人には真剣に注意を受ける。私のような、とっても日本人で、のほほーんと気の抜けた顔って、なんかまずそうである。でも、基本的に臆病者なので、その精神を大切に旅をすることとしよう。あまりお金もってなさそうな風貌も、この旅に限っては自分を誉めてあげよう。うんうん。

不安要素はたくさん。でも、結局楽しまなくては意味がないのだ。楽しもうぞ。楽しもうぞ。あと10日ちょっとで出発。早く風邪を治さねば。

■2002/12/11(wed) はかないもの

この関係は、とてもはかないものだと感じた。
「はかない」とは、なんて息苦しい言葉だろう。

あなたの周りにも、はかないものはありますか。
それをあなたはどうしますか。

必死にそれをつなぎとめますか。
そこに吹く風に身をまかせますか。

あがきますか。
傍観しますか。

両極端な答えと答えの間に
何か、なにかある気がして。

■2002/12/10(tue) カロリーメイト中毒症

カロリーメイトといえば大塚製薬のヒット商品。私的には元祖バランス栄養食品である。昔からこいつにはだいぶお世話になっている。お世話になっている割りに、口悪く「こいつ」呼ばわりかい・・・って感じだが、私たちはそんなことで関係を悪くするような浅いつきあいではないのだ。

一時期の私はかなりこれにべったりで、「小腹がすいたらカロリーメイト」「時間が無ければカロリーメイト」「口が暇ならカロリーメイト」「移動のおともにカロリーメイト」と、かなり親密につきあっていた。私の食生活の偏りが巷で取り沙汰されるようになってからは少し距離をおいてつきあうようにしたのだが、それでも未だ食事の時間があまりとれない時には、コンビニやら駅のキオスクやらで、半無意識的にこれを手にしてしまう。

先日もそんなわけで、これを手にしてしまったわけだが、もぐもぐ食べている間に、ふと気がついたことがある。皆さん、一口に「カロリーメイト」といっても、味にいろいろあるのをご存じだろうか。「チーズ」に始まり「チョコ」「フルーツ」って、違う違う、そうじゃないのだ。私は「チョコ」が発売されて以来、「チョコ」しか食べていない。これまで熱く語ってきたのは、すべてチョコ味のことである。あとは論外。チーズ味はチョコ味の登場でそのとりこになって以来、口にしていない。フルーツ味は一口試した時に「うぐっ」ともどしそうになって以来、手にも触れていない。(きっとどれも似たようなものなのに、チョコ味と言われるとおいしく感じてしまう私って、なんか単純である。)

それはさておき、私の見解では、カロリーメイトの味はその新鮮さによって日に日に変化しているのではないかとみている。先日食したそれは、基本ぱさぱさな中にも、どこかジューシーさが感じられ、ブロックの中の密度の程よさ、さっくりした歯ごたえに、なんともいえない新鮮な味わいを覚えたのである。逆にこれまでに出会った悪いものを例に挙げると、ぎゅうぎゅうに詰まり詰まって喉つまりする感があったり、中がスキスキで虫に食われた感があったりする。何がおいしいのかは人によって違うのかもしれないが、その日のそれがとてもジューシーに感じた私は、ごく自然に「今日のカロリーメイトは新鮮だなぁ」と、しみじみ幸せを感じていた。

それから少しして、はっとした。うーん、危ない。そんな狭いところで味わいを追求していては大きくなれないぞ!という突っ込みが自発的に入った。人に言われる前に自分で気がついたので少しほっとした。うん、まだ私は大丈夫だ。もっと広い世界を見なくては!と反省した。とはいうものの、やっぱりカロリーメイトのチョコ味とは当分縁を切れそうにない。まぁ、ほどほどにおつきあいしてゆけばよいでしょう。うんうん。細く、長く、つきあっていこうと思う。

■2002/12/9(mon) 大雪

昨晩遅くから降り出した雪が、一日中止まずに降り続いた。路上での転倒や交通事故によるけが人は今日一日で200人以上、電車の運休・遅延や飛行機の欠航も相次ぎ、人の足は乱れまくったらしい。東京都心の最高気温は2.8度。12月としては観測史上最も低い値だったそうだ。そんなわけで、毎日新聞のサイトでは、本日の大雪が「関東地方を襲った雪」と形容されていた。

私はふと「ないたあかおに」の童話を思い出した。実際このお話を自分で読んだことはないのだけど、有名なお話だと以前に人からあらすじを聞いたことがある。人間と友だちになりたいと願う心優しい赤おに、子供たちに近寄ってはみるものの怖がられるばかり、なかなかその思いが届かない。そこで、親友の青おにが赤おにの願いを叶えようと、ある作戦に打って出る。友達の大切さを描いた心あたたまるお話。

今日降り続いた雪も、別に人間を「襲う」気なんてさらさらなかったのだろう。むしろ子供たちに喜んでもらえると楽しみにやってきたかもしれない。しかし、東京という街はなかなかその気持ちを受け止める余裕をもてず、身を小さくしてそれが行き過ぎるのを待つばかり。自分がやってきたのを、不本意に「襲う」と活字に表わされていることを知ったら、きっと傷つくだろうなぁと、妙に感傷的になってみたりして、部屋の中からその表情を静かにうかがっていた。

かくいう私、今日一日で一気に風邪をひいた。鼻はズビズビ、喉はガラガラ、頭はガンガン。なんだかものすごくわかりやすい風邪症状である。今週は何かと打合せや会議が多いので、自宅作業も難しそうだし、とにかく早く治さねば!ということで、今日は早めにおうちに帰り、葛根湯をごくりと飲み込んで、おやすみなさい。また部屋ではく息の白い季節がやってきてしまった。で、熱は34度台。冬の時代の再来。東京にいちゃもんつけてるばやいではない。

■2002/12/8(sun) ガスくさい感じ

たとえていうなら「ガスくさい」感じ。そういう空間に居合わせたことはないだろうか。ガスコンロに点火しようとして数回失敗した後、いかにも身体に悪そうな臭いが顔の方まで這いあがってきて、鼻から口から体内に入りこんでいっているようなあの感じ。本当にガスくさい場合は公けにできる・・・、というかできるだけ早く周知すべきなんだけど、「ガスくさい感じ」の場合、往々にしてその場で口外することができない。それらしきものを察知してしまった場合、できるだけそこで息をしないようにして、何事もない顔をして静かに終わりを待つ。できるだけ人がそれを知ることなく、その場が終わってしまうのがよい。そんな気持ちになる。だからその間はとても緊張するし、体力を消耗する。そして、そこから離れた後は一気に脱力して、どっと疲れが出てくる。

「ガスくさい感じ」というのは、例えば人と人との間に何かトゲトゲしさが感じられて、その場での本来の目的に反して敵対している様が窺える場合だったり。例えば何か表出していない裏の力が働いているような違和感というか、表舞台に人が祭り上げられていて、その人の知らぬところでその人を動かす別の力が働いているような感じがする場合だったり。すごく曖昧な感覚でありながら、私はそういう臭いに結構敏感な方で、それに気づくと逃れようなく息苦しくなる。いまいちその息苦しさの根っこをその場では解明できぬまま、ただ呼吸困難になるのだ。その場で私がわかる唯一のことは、それがそこにいる人の内側から放たれている臭いということだけだ。

私は、できるだけ早くその場を立ち去り、ガスくさい身体を浄化するように、外の風を浴びて歩く。最近、そのガスくささの素について考えながら一人とぼとぼ歩いていたら、焼きいもやのおじちゃんが「ほいっ!」と、ただでアツアツの石焼きいもをくれた。ホクホクしてとてもあったかかった。街中で配られる試供品やティッシュ、チラシなどたいてい会釈をしていただかない私だけど、こればっかりは躊躇せずに手を伸ばしてしまった。こういう時には全く異世界の素朴であったかい匂いが、なにより心身を浄化してくれるものだなと思った。おじちゃんにお礼を言ってその場を後にした私は、皮をむいてパクパク食しながら、おいもと一緒に渋谷の歩道橋を渡った。

■2002/12/6(fri) 大人の「子供の顔」

私は社会人向けの教育事業に従事している、というとなんかカタイ感じだが、実際のニュアンスをもっと正確に伝えるなら、「大人向けの小さな塾でお手伝いをしてる」って感じだろうか。名もないちっこい塾に、真剣に学びたいと思う人と、その気持ちに応えてくれるハイパフォーマー且つ温かい講師が集い、そこでお世話係をさせていただいているというところ。その実、カリキュラムはWebビジネスのプロデュース能力を鍛えるという難解なテーマで、ちょっとした体罰よりきついこと間違いなしの“頭の筋トレ”づくしが半年間も続く。

昨日はその塾の第2期の修了式だった。今期は、1期に比べて「大人」っぽい塾生たちが集まった。これまでの経験だと、社会人生活の長い人でも「学校」という場にしばらく通っているうちに、少しずつ「大人」の皮を剥いで「子供の顔」を覗かせてくる。周囲の目を気にせず、がつがつ欲しいものは「欲しい」と責めてくる。質問があれば質問をし、意見があれば意見する。人にぶつかっていくことや新しいものに挑戦することへの恐怖心みたいなものを捨てて体当たりしてくる。悔しいときには悔しい顔をして、落ち込んだときにはしょぼんとする。それでも頑張ろうと歯を食いしばってガルルッと飛びかかってくる。もちろん個人差はあるが、そういう子供の顔を見せてくるのが常だった。が、今期はそういう顔がなかなか表に出てこなかった。その素は心にもっているようなのに、人前では表に出さないということを身体に憶えこませて「大人」生活を送ってきたためかなぁと思ってみていた。それはそれで、きっとその人の生きてきた過程で必要だったことで、環境の変化だけでは自然に剥ぎ落ちないそれを無理やり剥ぐこともまた、本人にとってはストレスフルなことだろうと漠然と思っていた。だけど、やっぱりちょっとさみしい感じもして、何か隠してもっているのはわかるのに、その重量感みたいなものをイマイチ掴みきれないままに、この半年を過ごしてきてしまったような気がする。

そして、修了式。第2期最後の日を迎えた。私は、話す内容を考えてくるよう事前に皆に促して、塾生さん一人ずつに3分間話す時間を用意した。彼らが前に出て話をする時、私は彼らに一番近い特等席を陣取って、一人一人の顔を見ながら話を聞いた。私はとても驚いた。私の予想に反して、彼らが皆「子供の顔」を見せていたからだ。あぁ、やっぱりこういう顔をもっていたんだ。そんな当たり前の事実に、私は今ごろになって実感に至っていた。そりゃそうだ。あれだけ過酷なカリキュラムに立ち向かい、この半年必死に自分と闘ってきたのだ。こんな顔の一つも見せないで、修了の挨拶が述べられるかって感じである。だけど、こんなに深く実感できたのが「今」だなんて、なんて情けないことだろう。相手が自ら発してくれる視覚情報がないことで、こんなに塾生への理解を欠いてしまうなんて、コース運営者失格だよなぁ・・・と、ひどく情けないような申し訳ないような気持ちを味わいながら、半年間を省みた。

もちろんこれまでに何も感じとるものがなかったわけではないし、たぶんその機会が自己評価すると少なかったということなのだけど、もっと視野を広げてもっと深く見つめられたはずだという思いが、強く残っている。まぁ、何ごとも反省はつきもの。今期に成長がなかったわけではなく、個人的には伸びた部分も諸々あるので、一歩一歩かなぁとも思う。今期もいろいろと学ぶことは多かったけど、何より2期生に学んだことは、昨日のコレだったかなぁと思った。

「お疲れさま」という気持ちと「がんばって」という気持ちのほか、「ありがとう」という気持ちです。不束者ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

■2002/11/19(tue) 久々の海外旅行

今年の冬はニューヨークで過ごすことにした。・・・というとなんだか、「毎年冬は長期休暇をとって海外で過ごすことにしてるんざますのよ!」的リッチぶりを感じさせるが、実際のところは、まぁとりあえずなけなしの金をはたいて、今年はどうにか1週間の海外旅行を楽しんでやろうじゃないかというところ。貧乏暇なしの私にはお金も時間もこれがいっぱいいっぱいなのだが、海の外に出るなんてとーんとご無沙汰なので、年末1週間のニューヨーク旅行が今から実に楽しみである。

生まれて始めての海外体験は、高校の修学旅行でカナダを訪れた時のこと。「高校の修学旅行でカナダなんて、なんて生意気な・・・」と思われるかもしれないが、ある意味「修学旅行がカナダだったから」この高校を受験したといっても過言ではない。それを機に発行された赤くてでっかい旧型のパスポートは、数年後に家族でシンガポールを観光した際再び日の目を見ることになるが、その数日を経てわずか二カ国の旅で永眠してしまった。

仕事を始めてからはなかなかそういう時間ももてず、今年の初めにハワイで行われた兄の結婚式すら、私は不参加だった。が、このあたりを機に、「いつでも外に飛び出せるよう、とりあえずパスポートだけは用意しておこうじゃないか」と思い直し、今夏ようやく重たい腰をあげてパスポートの発券手続きをし、再び外に出られる自由を手にしたのだった。

そうするとやっぱり人間欲深いもので、今度は「年内にも海外に出たい!」と思うのだ。これを放っておくとまたどんどん頭の中で勝手に話は展開してゆくもので・・・。「この機会を逃したら、せっかく蘇ったパスポートくんも、海外での活躍ないままに国内の身分証明書だけにこき使われて葬られてしまうことになるんだぞ!おまえさん、それでもいいっていうのかい?」と情に訴えかけてきたりするんである。そんなこんなで、「始めが肝心!」と根拠のない確信めいたものに突き動かされた私は、今秋消化できなかった休日出勤の代休日をせっせこ年末に積み立てて旅の計画を進めたのだった。

これまでの海外旅行は学校なり親なりがだいたい段取ってくれていたので、あまり自分で手続きをするということがなかったのだけど、今回は1から自分でやるので、これが結構面白いものだと遅まきながらこの歳になって気がついた。といっても、もともと綿密な旅程をたてる気がないので、行き先をニューヨークに決めて、航空券とホテルの予約、あと保険の手続きをしたぐらいなのだけど、試行錯誤しながらそこに至る過程はなかなか面白いものであった。

なぜニューヨークなのか?と訊かれると、回答を適確な言葉に表すのがなかなか難しいのだが、ショッピングをしたいとかミュージカルを観たいとか、そういった明快な目的意識がとくに見当たらないのは確かだ。(きっとものすごく寒いのだろうけど)街を散策して、(きっとものすごく旅行客が多いのだろうけど)その地で暮らしている人たちの表情に触れ雰囲気を味わってみたいといったとても漠然としたもの。これを行動として表すと、たぶん「ぼーっとする」ということになるのだと思う・・・。なにはともあれ、そういう時間の中から様々なことを吸収してこられたらなぁと思いつつ、年末を心待ちにしているのである。

■2002/11/16(sat) ベルリンからの便り

ヘッダの送信日時に「Fri, 15 Nov 2002 20:15:33 +0000」と記されたEメールが届いた。国内からのメールでは「+0900」と終わる。これは、日本が世界標準時を刻しているイギリスのグリニッジより 9時間先に動いているということ。このメールを出した人は、世界の「時」の基軸に位置しているのだ。

差出人は前の会社で同僚だった同い年の女の子。昨年5月にワーキングホリデーでカナダに発った後、モントリオールで仏語・英語・バイオリンを学びながら、翻訳の仕事をして暮らしていた。その彼女から久しぶりに便りが届いたかと思えば、今はドイツの首都ベルリンに移り住んでいるという。ドイツ語を短期間で集中的に学んだ後、進学・就職を検討して2年ぐらい定住するそうだから、かなり本格的だ。なんというバイタリティ。それだけで尊敬してしまう。

私が最後に彼女と会ったのは、彼女が会社を退社すると連絡をくれた時のことだった。私はすでにその会社を辞めていたのだけど、一緒に働いている時分からなかなかゆっくり話す機会をもてずにいたので、これを機にということで、日本を発つ前に会ってお食事をすることになった。二人だけでゆっくりお話をしたのはそれが初めてだったと思う。私の退社以来しばらく音信不通状態が続いていたのだけど、久々に会ってみたら彼女の内面がぐんぐんと成長していて、ひどく驚いたのを憶えている。同い年なのにそういう言い方は失礼かもしれないが、話していると、その視野の広さや人への配慮、本質を見抜く力のようなものに、「ぐんぐん」って成長の音が聞こえてくる感じがしたのだ。

そういう印象を残して旅立った彼女だったから、今もなお着実に歩みを進めているらしいことが短い文面からも窺え、ただただ感服してしまった。心の底からエールを送りたいと思った。と同時に、自分も頑張らねばと励まされた。

こういう人とは、ほんと縁を切りたくないなぁと思う。会いたいなぁと思う。今すぐ会って話したいなぁと思う。私にそういう思いをもたらしてくれる人こそ、どんな著名な偉人より、自分にとってスゴイ人なのだと思う。そういう人を大切にして、そういう人との関わりの中からいろいろなことを学びとっていける自分でありたいと、9時間先ゆくせわしない日本の片隅で、休日の昼下がりしみじみと思うのだった。

■2002/11/9(sat) 「エッセイ」というモノ

心の声に飢えている。最近私がエッセイ本を買いあさるのは、どうもこういうところに端を発しているのではないかと、ふと思った。

人々が日々どんなことに着眼し、それについて何を考えたり思ったり感じたりして生きているのか。その多くは人によって様々でありながら、なかなか他者には語られないものだと思う。もちろんそのすべてを世に公開すべきとは全く思わないし、全部が自分になだれ込んできても困ってしまうわけだが、この声が一切耳に届かなくなってしまったら、それはきっと食料と同じように「飢え」を感覚することになるんじゃないかと思う。心の声を欲するというのは、人間のとても根源的な欲求のように思う。

学生時代には、そういう心の交流が日常の何気ない時間に自然と組み込まれていたような気がするが、ふと気づけば、そういった心の声の交換って、極めて少なくなっている。別段難しいこと、哲学的なこと、生死についてなど日常的に語りあいたいわけではない。その人がその人の日常を送る中でふと思ったこと、それをそのまま聞かせてほしいというだけの話なのだが、こういう昔当たり前にあったことが、いつのまにか失われてしまっていた気がする。

今でも会社帰りに同僚の皆さんと「飲み屋で一杯」なんて流れになることもないではないが、その開始時刻が夜中の11時とか12時、お店を出るのが深夜の2 時やら3時になってしまうので、そう頻繁に場を設けられるわけでもなく、またそう簡単にこの生活から脱しきれるわけでもない。そんなありさまなので、なかなか旧友と会う時間ももてずにいる。結果的に、心の声に飢えたような感覚に陥る時期がやってくるわけである。

そんな如何ともしがたい状況下、私が無意識に救いを求めたのがエッセイ本だったのだろう。発する側(著者)が自分の心のうちを表現したいと思い、受け手(読者)がそれを吸収したいと思う。そういう関係を大前提としてエッセイ本は流通している。心の声は「聞いて!聞いて!」と言わんばかりに、すでに存在しているのだ。その声に通ずるために、私はただ本を開くだけでいい。自分一人の都合で時間や場所を用意すれば、すぐさま著者の声に耳を傾けることができるのだ。知らぬ間に私は本屋に通いつめ、栄養補給していたわけだ。自ら口を開くより人の声を聞きたい欲の方が強い(気がする)私にとっては、この一方的に享受できるスタイルが、なかなか楽チンだったりもする。気兼ねなく見ず知らずの人が出してくれるものをそのまま頂戴できるなんて、なんてありがたいことだろう。

直接面と向かって人と話すことは何にも変えがたいもので、きっとこの先も意識的にでも大切にもっていかなくてはならない時間だと思う。が、その一方で、エッセイ本から享受する心の声も、今後欠かせないものになりそうである。「飢え」をきっかけに出会ったエッセイ本ではあるが、今なお「飢えたときの栄養補給」に限定して評価しているわけではない。エッセイ本は、面と向かって話せない“知り合いではない人”の「心の声」を聞くことができる貴重な媒体だと思う。これは、自分の身近な環境からは得られない考えや思いに出会うことであり、結果として自分の心に広がりや奥行きをもたせることができるものだと思う。また、(これは著者を知る・知らないに関わらず)「エッセイ」というモノを経由させることで、著者は「言葉で」「紙に」表現するという場からのみ表出される心のうちを明かしてくれる。エッセイは、それをそのまま受け取ることができる唯一の媒体だという点でも非常に貴重だと思う。

エッセイ以外にも、人が創作したものには様々な形があり(形がないというあり方もあるだろう)、そのすべてに創作者の「心の声」が宿っているのだと思う。そのいかなる形にも何かを見出してゆくことはそう簡単なことではない。しかし、そういうものの内側に詰まった「心の声」に目を向けられる人ではありたいと思う。五感を使って感じ取ろうとする意識は持ち続けていたいと思う。とりあえず、エッセイ本。「読む」ことで終わらず、自分のうちに「吸収する」ことができるように・・・。

■2002/10/22(tue) 「es」という映画

私は元来こわがりである。見た後の悲惨な心持ちを思うと、大金を積まれてもホラー映画など絶対観たくないと思う。(子供の頃後先考えず見てしまった「あなたの知らない世界」や「世にも奇妙な物語」など、衝撃の1シーンが今も頭の隅にこびりついて離れない。)こわがりな人間に「怖いもの見たさ」なんて言葉は通用しない。「怖いものは見たくない」これが生粋のこわがり人間というものなのだ。

こんなことを熱く語る私が、先日「es」という映画を観た。怖い映画だ。怖い、それは確かなのだが、グロテスクなホラー映画とは一線を画すサイコ・スリラーというやつ。私が日頃から関心を抱く人間の心理(の究極)に言及した映画だった為だろうか、その映画には少々の「怖いもの見たさ」を感じてしまったのだった。とはいえ、そこはやっぱり生粋のこわがり人間。以前から気にかけてはいたものの、だいぶ長いこと足踏み状態にあったのだが、ある日初冬の風にちょいと背中を押され、ひょひょいと映画館に入ってしまったのである。

ご存知の方もいるだろうが、この「es」という映画、1971年にスタンフォード大学で行われた「監獄実験」を題材にした心理劇である。20名ほどの被験者が看守役と囚人役いずれかに指名され、2週間にわたって擬似刑務所体験をするという大掛かりな心理実験。最初は、お金儲けを目的に集まった被験者たちが、お遊び感覚で和気あいあいとやっているのだが、実験開始からさほどの間もなくにわかに両者の対立が生まれ、暴力行為に発展する。終盤にいけばいくほど本当に悲惨だ。当たり前の話だが、この実験の実施はその後一切禁止、封印されている。

映画を観て、ひたすら「悲しい」「苦しい」「辛い」といったものすごく単純な負の思いに飲み込まれて涙をボロボロ流すなど、いつぶりのことだっただろうか。「実験」だろうと「お遊び」だろうと、目の前に起こることは人間にとってすべて「現実」なのだ。人間はそんなに高性能じゃない。事後に「これは冗談でした」と言ったところで、はたまた事前に「これから起こることは本当のことではありません」と言ってみたところで、目の前に起こっていることを2週間、いや1日24時間だろうと、「仮想」と割り切れるほど人間はできた生き物じゃない。そういうことを日頃から認識しておかなくてはならないと思うのだった。

日進月歩のテクノロジー、この先人間のできることは無限大に広がってゆくのだろう。しかし、実現できるものを片っ端から現実化してゆくことが本来の姿ではないと思うのだ。その是非を問い、すべきことをし、そうでないことを「しない」と判断すること。実現できることが増えてゆく中で、この判断の目を持つことが一層重要になってくるのだと感じた。技術と同じスピードで前に進むことは、人間にはできない。使いこなせないものを世の中にたくさん産み落としたところで何になるだろう。何にもならないか、もしくは自らを滅ぼす爆弾になるだけ、そう感じたのだった。

いろんな人がいろんなものを創造してゆく。その人の専門領域、趣味嗜好によっていろいろと形はあるのだろうが、「何をするのか、何をしないのか」を見極める視点を持つことは誰一人として失ってはならない。実現可能なことでも「しない」と切り捨てられる強さと賢明さを、人はもっと大切にするべきじゃないかな、と熱く考えてみるのであった。発案時がどうあれその創造過程(仕上がるまで)の間に、自分の創り出すものが世の中に災いを及ぼさないか、これを判断することができないほど、人は無能ではないはずだから。何年もかけて開発する大規模なシステムも然り、ふいに口をついて出てくるちっぽけな言葉たちも然り。

観たことに後悔はないが、実に苦い映画だった。しかしまぁ、そろそろ私も「Suica」ぐらい使いこなせた方がいいだろうか・・・との反省もあった。

■2002/10/21(mon) わかる事 わからない事

あいも変わらず海の上
小船を浮かべてえいこらしょ

風に吹かれてゆーらゆら
右に左に日は昇る

どちらに進むかわからない
どちらが前かもわからない

だけどむかしと違うのは
自分の姿が見えること

■2002/10/19(sat) だから人は生きられるのか

それを持たない人がいて
その人はそれが欲しいという
それならそれが手に入るようにすればいい
そのために何をすればいいか考えて
それを実行してみればいい
なんて簡単なこと

それができない人がいて
その人はそれができるようになりたいという
それならそれができるようにすればいい
そのために何をすればいいか考えて
それに取り組んでみればいい
なんて簡単なこと

人に好かれない人がいて
その人は人に好かれたいという
それなら人に好かれるようにすればいい
そのために何をすればいいか考えて
それを試してみればいい
なんて簡単なこと

世の中はなんて簡単で、なんて難しい。
全部そういうこと。簡単で、難しい。

■2002/10/18(fri) 黒いもの

出先から会社に戻る折り、交通量の激しい大通り沿いの歩道を行く。
薄っすらと青い空、落着きのある秋色のビル、てっぺんに黒豆が一つ。

鳥。たぶんカラス。あんなに地面から遠く離れたところに一人ぼっち。
なのに・・・。なんだろう、あの威厳は。なんだろう、あの勇ましさは。

そうか、黒いからだ。外見が黒いからそう見えるんだな。
じゃあ中身はいったい何色なんだろう。カラスの中身ってどんなだろ。

黒いものの中のほう、奥のほうって、どんなだろ。
見えるものの内っかわ、裏っかわって、どんなだろ。

■2002/10/13(sun) 冬の始まり

夏と冬。
これしか季節がないとしたら、今日が冬の1日目だ。
急坂をのぼる日曜の昼下がり、私はそれに気がついた。

冬の訪れる日は人によって様々、それでいいのだ。
どんなに世間一般のそれと時差があってもいいから、
自分の五感で気づくことがなにより大事だと思うのだ。

気がつけばもうあちらこちらに冬は落っこちていた。
遅まきながら今日自分で気づくことができて良かった。

■2002/10/9(wed) 妹はサブバイザー

私の勤め先が移転したのを機に、母が千葉から遊びにくるという。「ランチを一緒に」という話になって、妹も誘って女3人、渋いオフィス街に集まることとなった。「いいお店探しておいてね」と言われたものの、案内できるほど私もまだこの街に慣れ親しんでいないため、駅からほど近いたっぱのある建物の上の方に連れてゆき、とりあえず「景色の良さそうなお店」ということでお茶を濁しつつ、あれこれとおしゃべりを始める。

しかしまぁ、妹が22名の部下を抱える「サブバイザー」ってのには、さすがの姉も驚いた。妹は某新聞社で原稿修正の入力作業のような仕事をしているのだけど、駆け出しの社会人とばかり思っていたら、いつのまにか結構な年月が流れていたようだ。派遣社員のような形で働いていて、基本的にはかなり暇な仕事らしいのだけど、それにしても「やりたいことが見当たらない」とグダグダしていた時期を思えば、なんとまぁ大きく成長したことでしょう。役職ももって部下もって。姉さん、鼻が高いわ。私の場合、仮に能力が身についたとしても、役職やら部下やらもってやりくりするのは結構な精神的負荷を伴うことが明白なので、真っ当できる自信は毛頭なく、素直に「妹ってすごいわぁ」と関心してしまった。

といっても相変わらず「妹は妹」なのだけど、最近どうも妹が愛らしく見える。子供の頃はそれこそ1日に2度3度ケンカをして過ごすのが当たり前だった。もう少し大きくなるとあまり口を聞かないようになった。そういう期間がとても長く続いて、お互いに無関心だったり疎ましい感じがつい最近まであった気がするのだけど、このところ彼女と接触すると、彼女の自己主張の強いところや気のみ気のままに生きてる風なところがなんとも愛らしいと感じるのだ。彼女が「私の妹である」という事実が、最近不思議と心地よい。加えて、彼女を一人の女性としてみる目のようなものが出てきたようで、姉妹でありながら私の持ち合わせない人間性をもつところに、素直に魅力を感じているのかなと思う。姉としての気負いのようなものがなくなって、肩の力を抜いて妹を妹としてみたり一人の女性としてみたり、自由がきくようになった為かもしれない。長い年月を経て変わりゆくもの、変わらずにあるもの、その双方の存在を知らず知らずのうちに教えてくれる、家族って貴重だなぁと思った。

1時間ちょっとの久々の会食。父が出張で東京に来た弟さんと夕食をとった後、銀座のお店で元気に踊っちゃったらしいこと(私もそれに誘われていた、もし行ってたら・・・。)、母が就職活動中で筆記試験に苦戦していること、兄夫婦に9割方?赤ちゃんができたらしいこと、あっちゃこっちゃ話題を変えながら絶え間なくいろんなおしゃべりをした。女性ってやっぱり話し好きなんだなぁと思った。

妹の出勤時刻が近づき、そろそろお開きの時間。ほっと心癒されるひと時を過ごせた、のだが。別れ際「いいお店探しておいてね」と母にダメだしされた。んー、あなどれない。

■2002/9/4(wed) 肝に銘じたいこと

「誠実に見える」のではなく「誠実である」ということ。

■2002/8/6(tue) 風に吹かれて人に包まれて

今日は代休日。なのだけど、昼過ぎまではお仕事モードで、私にしては珍しく客先に出向いてご提案なんぞしていた。客先といっても、行き先は以前自分が勤務していた会社。仕事上ちょっと依頼したいことがあったので、慣れない頭で書いた提案書まがいの書類を持って、元上司と初めてお目にかかる本件のご担当者を訪ねてきたのだ。

久しぶりに訪れた街。相変わらず大勢の人が行き交う駅前の交差点、線路沿いを流れる淀みもいとおしい神田川。ふと気づけばもうここを離れて丸2年になるが、それまでの4年間、私はこの街でたっぷりどっぷり「喜怒哀楽」を味わった。その1つ1つが生きてゆく過程で得られるかけがえのない財産とすれば、私はここでどれだけ多くの財産を手にしたことだろう。私はもう一度落ち着いた心でそれを味わい直してみたくなって、駅から目的地までわずか1分の道々、何か思い出に残るものを探しては過去の諸々を思い返して歩いた。

何度も行き来した味わい深いはずの見慣れた街並み。探し物をしながらゆっくり歩みを進めてゆくと、不意にひどくよそよそしい風が私の肌をかすめていった。あれ、何か違う。その瞬間、一気にいろんなものが身体から剥がれ落ちてゆく・・・、というよりは、とっくのとうに剥がれ落ちていた「それ」にはたと気づかされ、そのまま自分の行き場を失ってゆくような感覚。あの頃とパッと見何一つ変わっていないように見えるその情景は、なぜだかたいそうぼんやりとして、もやがかかったように遠く感じる。私は言いようのない喪失感に襲われ、わずか1分ほどの散歩道で迷子になってしまった。

この街を初めて訪れたときに勝る疎外感のようなもの。「もう、私の街じゃないんだな・・・。」心がそうつぶやいている気がした。しかし本当はなんとなく感づいている。この独りよがりな感覚が、実は自分の心の中に起因しているということ。私はもう気がついているのだ。だから、あとは静かに受け止めるだけでいい。あとは静かに受け入れるだけでいい。その感覚に身体を慣らしてゆけるまで。ただ、その解決を時の流れにまかせていいものか、何か私自身が考えるべきことがあるんじゃないか、自分の中で解決すべきことがあるんじゃないかと、また厄介なところに勝手に迷い込んで勝手に暗中模索している。

目的地に到着すると、元上司が「よぉ!」と登場。「最近忙しくて髪切る時間もないんだよぉ・・・。」と、髪の毛のびのびにして嘆く彼の表情には確かに疲労の影。が、相変わらずの愛らしい笑顔で私を迎えてくれた。ご提案中に脇の通路を通りかかった昔馴染みの女性陣も、ガラス越しに私を見つけると元気な笑顔で大きく手をふってくれて、私は心の中でなんだか涙が出るほど嬉しかった。お仕事中だったので静かに笑って頭を下げるに留まったが、そのあたたかな温もりに触れて、なんだか心が救われたような気がした。こんな状態の私を笑顔一つで引き寄せて、震える心をあったかく包んでくれる。「あぁ、人っていいな。」と、そんなことに感動していたら「まんが日本昔話」の「人間っていいな」が頭に流れてきた。なんか単細胞だな・・・。ご担当者に提案内容をご快諾いただいて、すこし心癒されて、私は「でんでんでんぐりがえってバイバイバイ」とその場を後にしたのだった。

■2002/7/31(wed) おばさま星人

前に勤めていた会社の福利厚生で利用していた流れもあって、今はちょっと高めのフィットネスクラブに自腹をきって通っている。自分の稼ぎを考えたら、もう 1ランクレベルを落として選べば少しは暮らしも楽になりましょうと思ってはいるのだけど、「いやいや、健康には年に1回思い切ってお金かけましょうよ!」と、私のお腹の中に住み着いて高価な買い物をするとき時々登場する気っ風のいいおネエちゃんにそそのかされ、先月の年間契約の更新もそのまま大金を支払ってしまった。

それはそれでとくに後悔はないのだけど、やっぱりここはちょっとした異空間。スポーツ&お風呂後のパウダールームでは、私の普段の生活にはまったく登場しない中・上流階級のおばさま方のおしゃべりを拝聴することができる。ちなみに、私はここに来るとほとんど口を開かず、ひたすら泳いで歩いてお風呂入ってぽやーっとして出てくるだけ。ここでは「運動する」ことの他に「一人で時を過ごす」こともとても大切にしているので、これまで挨拶以外ほとんど会話したことはなく(貧血で倒れたとき以外は・・・)、頭の中で一人で何か考えごとをしているか、ボーっとした顔しながら実はおばさま談義に耳を傾けているか、本当にボーっとしているかのどれかなのだ。

しかしまぁ、ここには本当にいろんな人がいる。外人の会員さんと流暢に英語で会話を楽しんでしまう推定年齢70歳くらいの品のあるおばあさま、オードリーもびっくりなピンクのミニワンピースにつばの広い帽子をかぶって、「これ、素敵でしょ!フフ・・・。」とパウダールームで一回転してみせる推定年齢50歳の「あたくし上流階級!」(若干だみ声)なおばさま、そのおばさまのおしゃべりにつかまって明らかに嫌そうな顔を(鏡に取り囲まれた)パウダールームでそこら中に映し出されている若奥様風のおねえさま。他に目を移せばちょっと庶民的な味わいもあって、お風呂じゃ「カーッ、ペッ!」と唾はくおばちゃんもいるし、すっぽんぽんで堂々とアチコチ歩き回る女性も年齢問わずいらっしゃる。知る人知らぬ人まぜこぜになって、「裸のつきあい」というのは現代も実はこんなところに残っていたりするんだな。

今日はいつもとちょっと違う時間帯に行ったので、新しい出会い?があった。お一人目は推定年齢50歳くらいのおばさま。とにかく「これから運動するぞ」というそのスタイルがすごい。赤いハチマキ・・・もといバンダナを頭に巻いて、白地に赤いハデハデ模様のタンクトップ、光沢のあるオレンジ色のショートパンツ。足元は、なんと大柄の黒い「ドクロ」マーク・・・を散りばめたショッキングピンクの靴下。髪の毛は茶髪のベリーショート。私にはそのおばさまがたいそう謎めいて見えたが、そのおばさまにしてみれば、私はたいそう地味でつまらない「まっくろくろすけ」と映ったんだろうな・・・。

お二人目は、パウダールームにて2、3人でおしゃべりしていた、こちらも推定年齢50歳くらいのおばさま。耳に届いたのは「メールとインターネットまではできたんだけどね、Excelはバタフライ始めちゃったから手つかずね。」という言葉。最初耳にして衝撃的だったんですねぇ、これ。確かに言っていることはごもっとも。パソコンを習い始めてメールとインターネット(この切り分け方は定着してしまったから仕方ない)はもう使える、この後Excelの使い方を覚えようと思っていたんだけど、フィットネスクラブのバタフライコースを受講したらそれでいっぱいいっぱいになってしまったのでExcelは手つかずというわけ。話を聞けばウンウンとうなずけるのだけど、あぁ、表計算のExcelと泳法のバタフライが天秤にのっかって競合になることもあるんだなぁと思うと、何か未知の世界の風に吹かれた感覚。

その言葉を受けて周りからは「○○さん、いろいろやってるわねぇ。すごいわぁ。」との反応あり。○○さん、お返事に「うん。だって今時あんなのできなきゃダメじゃない?」とざっくり。誉めてくださっているおしゃべり相手さんは、明らかにあなたの言う「あんなの」ができない人とお見受けしますが、そんな言い方しちゃっていいんでしょうか・・・と、私は静かに戸惑うのだけど、その辺は全然問題でないらしく、またまた未知の世界の雨に降られた感覚。

おばさま星人はいつも謎めいている。私はこのフィットネスクラブで静かにこの謎の解明にあたっている。いや、ただただ傍観している・・・。どんなターゲットにも言えることでしょうけど、おばさまに向けたビジネスを手がけるなら、「おばさま星人を知らずしてビジネスの成功はなし」と痛く感じる空間であります。

■2002/7/29(mon) おじさまの居眠り姿

0時過ぎ。会社からの帰り道。深夜だというのに車がぶんぶん走ってやまない大通り。私は車に風に追い越されながら脇の歩道をとぼとぼ歩いていた。すると、通り沿いにそびえ立つオフィスビルの端っこで、石段に腰かけて目を閉じている初老の男性を発見。その身なりから、深夜工事現場で働いているおじさまと見てとれる。その情景に、ふと一瞬の静寂を感じる。居眠りの邪魔をしないよう、足音を立てずにおじさまの脇を通り過ぎる。

人が「夜起きて昼眠る」生活を覚え出したのは、いったいいつのことだろう。どんな事情で、どんな責任ができて、そんなことを覚えていったのだろう。今、この世の中には、仕事のために昼夜逆転生活を送っている人がたくさんいる。それを強いられている人もいれば、好き好んでそうしている人もいるだろう。だけど、たとえ頭と心が認めていたとしても、身体は本当にそれを良しとしてくれているのだろうか。身体は眠りたがっているんじゃないかな。万年ねぼすけの私は、そんなことを思いながら、真夜中の歩道を歩き続けていた。

こんな便利な世の中じゃ、裏っかわでたくさんの人が世のため人のため自分のために昼夜逆転させて深夜労働をしているんだろうな。もっともっと便利さを求めたら、もっともっと便利になって、だけどもっともっと人の生活はおかしくなってゆくのかな。わたしたちはいったい何を求めて生きているんだろう。もっともっと頑張って、もっともっと便利になった先には、いったいどれほどの幸いが待っているんだろう。その幸いを乗せた天秤のもう片方のお皿には、いったい何が乗ってしまうんだろう。

何を取って何を捨てるか、その答えは一様ではないのだろう。だけど、取るものあれば捨てるものあり、私たちがいろいろなものの中にあって均衡を保ちながら生きているのは揺るぎようのない事実。とすれば、時々はいつもいるところから一つ石段をのぼって本当のところをみていかないと、ふと気づいた時「本当に大切なもの」を失っていそうで、失ってしまったことにすら気づけない自分に落っこちてしまいそうで、怖くなる。

だから自分に問うてみる。気づいた時に問うてみる。そして、そんな貴重な気づきの機会は、ふと見かけたおじさまの居眠り姿なんぞに宿っていたりする。

■2002/7/24(wed) 空にみるのは

あ、なんかしゃべってる・・・。ふとそう思って足を止めた。昨日の夜半過ぎ、道をてくてく歩いているとき何気なく視界に入った空は、何かひっそりしゃべっている感じがした。

耳を澄まして聞こえてくるのは、地面を這うようにしてやってくる向こうの大通りの車の音だけ。頭上を仰いで目に映るのは、月もなければ星も見えない静まりかえった夜の闇だけ。だけど、確かに存在するその暗闇の中の陰影が、空になんともいえない表情を与えていた。

私の耳には声まで届かない。だけど何かをしゃべってる。何かを表現しようとしてる。そんな想いが伝わってくる。

翌朝、都会の谷底から見上げたあの空の表情をふと想い出す。空は本当にしゃべっていたのか。それなら何を云わんとしていたのか。それとも私の目の錯覚?それとも・・・。

もしかすると、空は見る人の心を映し出す鏡なのかもしれない。湖のほとりで覗き込んだ水面に自分の顔が映し出されるように、空もまた・・・。自分だけに見せているような不思議な空の顔、見たことはありませんか。

■2002/7/23(tue) ミスチル

知り合いの現役女子大生の話では、今時の大学生がカラオケに行くと「懐メロ」と称して94、95年頃の「ミスチル」を歌うそうである。オイオイ、勘弁してくれよ・・・。手を伸ばしたらまだかすかに触れることのできそうなあの時代は、もうとっくに自分の手の届かない遠くへ過ぎ去ってしまったのだと悲しくなる。悔し紛れ、自分のことを棚に上げて「ミスチルもおじちゃんになったものだ」とため息を一つ。

あの時代、思い起こしてみると、自分の周りが最もにぎやかで、自分が最も「若かったー」と思い出される時代。世代を超えていろんな人に出会い、いろんな人に心ふるわされて、だけど何一つ自分のものにできぬまま右往左往して生きていたような・・・。今思えば、中途半端な自分に後悔もいろいろ湧き立つけど、それでもやっぱり私の人生に必要不可欠だったような、私という人間を形成するのに今尚とても大きな意味をもっているような、大切な宝物。

当時はMr.CHILDREN(ミスチル)がいろんなものの第一位を独占しているような時代で、御多分に洩れず私も彼らの作品はよく聴いていた。1、2年前、まさに私たちめがけて売り出されたようなベスト盤もしっかり購入(貧乏性で「前期編」のみ)。何か具体的な思い出に結びついて懐かしむということはあまりないのだけど、あの時代の匂いのようなものが身体のまわりを包み込む感覚を味わって、あぁ歳をとって昔の音楽を改めて聴いてみるというのは、こういう音楽の味わい方ができるということなんだなぁとしみじみ実感した。

最近じゃあまり邦楽を聴くことも少なくなったけど、この音楽だけは麻薬に犯されたように一度聴きだすとやめられないものがある。「ミスチルの大ファン!キャーッ!」とか「とりあえず全部CD持ってます、フフフ・・・。」とか、そういうのは全然ないんだけど。あの時と同じ匂いに身体を包みこんで、彼らが世に送り出す音楽を、時代を超えて受け止めてみて、何かを考えてみたくて、何かを感じとってみたくて・・・。で、新しいCDを買ってしまった。

「誰々はあの時代が一番良かった」というのは、ミスチルにしてもドリカムにしても、売れたアーティストであればよく話題にされる話だけど、私は今回のアルバム「IT'S A WONDERFUL WORLD」を結構気に入っている。というか、かなり気に入っていて、おうちにいるときは最近ずっとかけっぱなし・・・。

このアルバムの中の一曲「LOVEはじめました」というので、「殺人現場に・・・暇潰しで群がる」「携帯片手にカメラに向かってピースサインを送る」中高生に向けて、「犯人はともかくまずはお前らが死刑になりゃいいんだ」と歌っちゃうボーカル桜井さんの歌声を、勇気あるなぁと感心しながら、またいろんな境遇にあって「創作に必要不可欠なものってなんだろうか」と考えさせられながら、そして「命」ってものについて深く考え込みながら・・・、今日もまた聴き入っている。

■2002/7/17(wed) はれときどきぶた

2002/7/10の「話」の中で、「誰かこれで夢診断してくれ!」と宛てもなく勝手なお願いを申し出たところ、なんとメールで「診断結果」が届いてしまった。

「こんにちは。夢診断です。」と題されたその匿名メールを受け取ったとき、私は子供のころ読んだ「はれときどきぶた」という本を思い出した。自分の絵日記をお母さんに覗かれて腹をたてた主人公の男の子が、お母さんをぎゃふんと言わせてやろうと、日記にありもしない変なことを書き出す。すると、それがつぎつぎ現実に起こってゆき、ある日「明日は晴れときどきぶた」と書いたら本当に空にたくさんのぶたが現れてしまったという、なんともおかしな物語。

送り主は「強い関心を得まして」との言葉を添えて、たいそう丁寧な診断結果を送ってくださった。その方いわく「夢とは基本的に人間の願望を映し出す心の鏡のようなもの」で、「夢自体の色彩・鮮明さ、記憶に残っている度合いはその願望の強さを表している」とのこと。私の「フルカラー」でみた夢というのは、かなり強い願望と診断されるわけです。では、あの支離滅裂なストーリーのいったいどこにどんな願望が潜んでいるというのか・・・、皆目検討がつかないという方もいらっしゃるでしょうが、その方の診断は「ほへぇー」と口をあんぐり開けて感心してしまうほど、実に論理的な解説だった。これは、その方に断りなく書いているので、内容についてはまぁこれくらいにしておいて・・・。

いやはや、Webってのはスゴイもんですな。目に見えない巨大なクモの巣に乗っかって、今踏んづけている地面とはまた別世界の不思議に触れた感覚。この別世界は、この先もずっと形をもたぬまま、こちらの世界にいろんなものを産み落としてゆくのだろうか。そのうち、空からブタさんなんかも産み落としちゃったりするんだろうか。しかしまぁ、あちらの世界に飲み込まれてしまわないよう、こちらの世界も負けず劣らず頑張らねば。こちらとあちら、うまく共存して人と人が出会い、つながってゆけるとよいなぁと思う次第です。

送り主さん、この度は本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

■2002/7/16(tue) トホホな休日

週明けの検査で、私の肺炎の勢力が衰え始めていることを知る。まだ残ってはいるものの、3~4日薬を飲みつづければ治るだろうとのこと。「肺炎のせいか薬の副作用のせいかわからないが、身体がひどくだるい」という話をしたら、薬の強度も若干落として出してくれた。これでもう一安心か、と思いつつ出勤。先週は、一日の仕事量を落として土日も仕事をしたため、いまいち身体の休まった感がないが、明日にたまった代休の1つを消化することにして、月曜は遅くまで頑張ってみた。

で、本日はお休み。とりあえず自分が病人だということを再確認しつつ、ぐったりと横になりつづける。昼間まではほんとにただグダグダと横になっていただけだったのだけど、夕方になったあたりで頭がガンガンとうなりだした。なんだろう、これは。肺炎のせいか、お昼に飲んだ薬のせいか、はたまた強い薬の積み重ねのためか。

頭痛は時間とともにひどくなり、それはまさに工事現場のクレーン車につるされた丸い大きな石の弾に「ドォーン」とどつかれているような感覚(って伝わるかしら)。これはまずいと思って、クーラーを入れず西日の差す部屋に常温で身体を横たわらせ一眠りをする。真夜中、またごちゃごちゃと夢をみて汗びっしょりで目を覚ますと、頭痛は除夜の鐘をつく「ゴォーン」程度までおさまっていた。とはいえ痛みは消えない。夜の薬を飲むため食事をとってまたゴックン。やめたら肺炎が治らないので飲むしかない。しばらくぼーっとして、また就寝・・・。

私の貴重な休日はそうして幕を閉じてしまった。あぁ、もったいない。明日の朝起きたら、おばあちゃんがドアをノックする「コンコン」程度におさまっていますように。週末には肺炎が治っていますように。というわけで、まずは、肺炎の方はじょじょに回復に向かっているとのご報告まで。

■2002/7/14(sun) seize the day

ひとは必ず死んでしまうもの
死ぬときにはこれまで手にしたもの何一つもっていけないもの
としたら「生きる」とは“死ぬまでの間に何をどれだけ味わうか”

・・・ってことかな。

■2002/7/13(sat) 肺炎の薬

ただいま肺炎中。週明けの検査まで薬を飲んで様子をみている状態。飲んでいる薬は全部で5種類。どの薬にも「副作用」という注意書きが記されており、耳なり、めまい、胃部不快感、膨満感を伴う薬を1日2回、食欲不振、眩暈、頭痛、胃部不快感、悪心、吐き気を伴う薬を1日3回服用している。何やら身体の中はすごいことになっているらしい。昨日今日とも若干フラフラして気持ち悪いのが、肺炎のせいなのか副作用のせいなのか、いまいちよくわからない。なんにしても、飲み薬だけで治せるなんて軽視せず、これだけのリスクを背負って闘わなくてはならない相手だということを自覚しなくてはならないのだと、その注意書きをじぃっと見ていて認識を新たにした。

ここで一つ気になるのが、副作用の一つ「悪心」というもの。「え、悪い心になるの?」と、突込みたくなるのは私だけではないはず。こうヤケになって「もうどうでもいいやぃ。酒持ってこーい。」みたいな・・・。気になって調べたところ、「あくしん」と読むと「悪い事をしようとする心」を意味するのだけど、「おしん」と読むと「胸がむかむかして吐き気のすること」を指すのだそう。ここでは「おしん」と読むのが正しいようです。たぶん・・・。

とりあえず、いろんなことと闘っているらしい私の身体に、私の頭も栄養と休息をかつぎこんで応戦したいと思います。お見舞いの言葉をくださった方に心からお礼申し上げます。

■2002/7/12(fri) つながっているもの

夜と朝がひとつながりだと知ったのはいつのことだったか。子供の頃はブツブツ切れてみえるものばかりだったのに、大人になってゆく過程でその一つ一つが実はつながっていることに気づいてゆく。その間に線など引かれていないことに気づいてゆく。

小学生の頃、家族で京都の叔母の家によく遊びにいった。当時の私は、京都のおばさんのおうちと自分のおうちは全然違うところにあって、「新幹線」という特別な乗り物に乗らないと移動できないものだとばかり思っていた。が、ある夏の日、自分のおうちの車で京都まで旅したら、なんとおばさんのおうちにたどり着いてしまった。そのとき、私はおばさんのおうちと自分のおうちが実は道でつながっていることを初めて知った。移動中に線は見られなかった。

地下鉄のとある駅にもぐりこみ電車に乗って他の駅から這い出てくる。学生時代はまさにこれの繰り返しだった。暗闇の中、営団地下鉄に身を任せてボーッと突っ立っていると、電子レンジでチンしたようにドアを開ければハイ!できあがり、いつも知らぬ間に目的地に着いていた。そんなある日、地下にもぐらずにのんびり道を歩いていたら、なんと隣の駅にたどり着いてしまった。もっともっと歩いてみたら、2駅3駅も先に着いてしまった。そのとき、私は地下鉄の駅と駅の間が実は地上でつながっていることを初めて知った。その間にもやはり線は見られなかった。

歩いてゆけば、泳いでゆけば、乗ってゆけば、飛んでゆけば、きっとどこまででもゆけるもの。実はどこかでつながっているもの。あいだに線など引かれてはいない。頭ではわかっていても“実感する”という意味で「知る」機会はなかなか無いものだったりする。目に見えないものならなおさら、実感することは難しい。

「夜と朝」がつながっていることを知ったのは働き出してからかもしれない。「仕事をして夜更かししていたら次の日の朝が始まっていた」という経験。これを何度も繰り返して何度も目の当たりにしてしまったとき、否定しようのない知識として頭にすり込まれてしまったような気がする。(学生時代に勉強で徹夜しなかったことが窺える)

きっとまだまだ、自分の知らないところで「つながっているもの」が、世の中にはたくさんあるのだろうなぁと思う。いずれ知ることになるのかなぁと最近思うのは、「生と死」のつながりだ。今は私の中に線が引かれているようにみえるこの2つのコトも、実は「夜と朝」がつながっているように、線はあってないようなものなのかもしれないなぁと思ったりする。別にネガティブに捉えているわけでは全然ないのです。ただそう考えると、もっと身体を大切にしなきゃなって反省できるのであります。

■2002/7/11(thu) 肺炎

数日前からノドの調子がおかしくなった。ゲホゲホ止まらないというわけではないのだけど、一回する咳がどうも重たい。「量より質」というやつで、気管を越えて肺の方から痛みが湧き上がってくるような感覚があったので、念のため勤務先のビルの中にある病院へ足を運んでみた。

「ノドに何かぬられて飲み薬出されて終わりかなぁ」と思っていたのだけど、「念のためレントゲンとりましょう」ということになって身体の中をのぞいてみると、何やら怪しい影が・・・。「念のためCT検査もしてみましょう」ということになって、その日の午後早速検査を受けた。ここまでが昨日の話。今日は検査結果を訊きに、出勤前病院に立ち寄ってきたのだ。

で、結果。呼吸器系がご専門という昨日とは違う先生が登場。私の肺の断面図を映し出しながら淡々と事細かに説明してくれた後、「で、肺炎ですね。」とな。オイオイオイオイ。びっくりたまげたぞよ。頭の中に「緊急入院」「手術」「治療費滞納」とか、いろんな言葉がぼんぼん落っこちてくる。すべては「重病」から連想する言葉たち。先生は相変わらず元気にハキハキと「肺がんじゃないから。肺炎だから。良かったね。」って。オイオイオイオォーイ。お医者さんって何か庶民感覚が麻痺してしまっていないだろうか。もっと深刻な顔して、患者さんを見つめて、「大丈夫。大丈夫だから気を落ち着けて聞いてください。」とかそんな前フリからはいる病気じゃないの?かくいう私も、もっとこう足元ふらつかせて、時々クラッとかきて壁にもたれかかってみたりして、パジャマ着て「ゲホゲホ。あぁ・・・、血がぁー。」とか、そういうことやってないとダメな病気じゃないの?とか、ぐるぐるアホなことを考えながら、しばしお医者さんの話を聞き逃す。

ふっと我にかえってみればなんのことはない、「昨日出した薬を一部取り替えて少し強いのにしましょう、で週末様子をみて、また月曜日に検査してみましょう。」とのこと。私はそのままあっけらかんと解放され、気がつけばいつもどおり1Fのカフェでお茶を買って、いつもどおりエレベーターに乗って、いつもどおり自分の席に着席している。へぇ、肺炎ってこんななんかなぁ、と我ながらびっくりである。まぁ何にしても重くなったらしゃれにならない。今日は遅くまで仕事だけど・・・、今週は土曜も出勤だけど・・・、できるだけゆったり過ごそう。皆さんも肺炎には気をつけて。ところで、肺炎ってどうしてなるんだろう。情報求む。

■2002/7/10(wed) 夢診断

今朝方みた夢は、私の頭の中に実に鮮明な記憶を残した。こんなことは久しぶり・・・、いや、生まれて初めてといっていいほどはっきり映像化されていた。フルカラーだった。私の頭の中がいったいどうなっているのか一度かっぽじって見てみたいとは、まじまじと頭を見つめられて時々人に言われたりするのだけど、今日の夢は「うーん、私も見てみたいっ!」と、思わず自分で自分の頭の中に興味を抱いてしまうほどへんてこな夢だった。

私は電車に揺られていた。窓の外は真っ暗で、真夜中であることがうかがえた。車内はちょっと薄暗い感じで、その雰囲気は「銀河鉄道999」っぽい。でも、乗客はみな普通の日本人で、都心からいくらか離れたところで帰り道のサラリーマンを乗せてガタンゴトン走っている終電数本前の鈍行電車といった風情だ。電車も乗客もちょっとくたびれた感じで、緊張のほどけた空間の中、ボックス席の1つに私は腰をおろしていた。

いつしか、尾崎豊の「十五の夜」が聴こえてくる。「誰にもしばられたくないと逃げ込んだこの夜に」ってやつ。(ちなみに私は尾崎豊はほとんど知らない。この曲は本物の声で聴いた回数より、同僚のカラオケで聴いた回数の方が多い。)流れてきたのは本物の声ではなく、電車の中央(にもなぜか席があった)に座っていた乗客の声。いきなり声を張り上げて歌い始めたのだ。若者かと思いきや、50~60代ぐらいのおじちゃん。浅黒い肌、小柄でちょっと頬のこけた感じのおじちゃんを中心に「即席おじちゃん合唱団」が成立ち、少しずつ輪を広げながら皆感情移入して歌い出した。その周りで観客と化している私たちも迷惑な感じは全然しなくて、しんみりしながら静かに受け入れていた。サビの辺りから周りの観客たちが手拍子を始めた。間合いの短い手拍子に、「この曲、2回に1回たたいた方が歌いやすいんじゃないかなぁ。」と、一人周囲に逆らって2回に1回手拍子していたのを憶えている。サビがひと段落したところで、どこからかパチパチと拍手が起こり、その音がチラホラと他の観客にも広がっていった。私も拍手を送っていた記憶がある。おじちゃんたちは涙目だった。私たちはしんみり微笑んでいた。

その辺りだったか、電車はキーキー音を鳴らしながらさびれた駅に停まった。車内放送で、車掌さんが乗客に乗り換えの案内をしている。「ドコドコ行きの方はナニナニ電車が来る“かも”しれないので、この駅で降りてお待ちください。」みたいな、ひどく曖昧な案内だった。私はその先に目的地があったのかその駅では降りなかったけど、結構な人数がその駅で降車した。ホームで列をなし、しゃがんだり体育座りしたりして次の電車を待っているようなのを、再び走り出す電車の窓から見送った。その人たちは、灰色とか紺色とか渋い色味の「ぼうさいずきん」や「もんぺ」を身にまとっていたような印象がある。なぜかその時から背景が急に明るくなっていて、朝日というより昼間の光を感じていた。畑だったか田んぼだったか一面に平たい緑と、薄い青色をした空がずっと先まで続いていた。

窓の外はその後ずっと明るいままで、車窓を楽しみながらしばし時を過ごした。線路が単線で、自分の乗っている電車が2、3両の田舎電車と気づいたのも確かその辺りだった。私は進行方向向かって右側のボックス席を陣取っていたのだけど、先ほどの駅を発ってからずっと左側の地平線ばかり眺めてきた。ふとそれに気づいたのか、左側の遠い景色から目を離し、右側の近い景色に目をやる。すると、ちょっとした土手のようなところに小さなモルモットが登場。白地にちょこっと薄茶の毛が混じっている物体がぴょんぴょんはねて土手を這い上がっていった。そこにモルモットがいることにたいそう違和感があって、ペットが放し飼いされているのか逃げ出したのか・・・と、私は飼い主をきょろきょろ探したのを憶えている。が、電車の進行とともに、すぐに視界から消えてしまった。確かこの辺りで夢は途絶えた。

え?ここまで事細かにまとまりない話書いて結局何が言いたいかって?それは私が聞きたい。これだけ情報があれば何かわからないものでしょうか。誰か「夢診断」しておくれ。私は寝ている間にいったい何を考えていたんだろう。結局のところ、頭の中が「とっちらかってる」ってだけなのかも・・・。

■2002/7/3(wed) 兄のマイホーム

昨日の母からの電話によると、兄夫婦が無事引越しを済ませたらしい。これまで東京近県のとある町にアパートの一室を借りて細々と(?)暮らしていた新婚ほやほやのカップル。兄は私と2つしか歳が変わらないというのに、また入籍から1年も経っていないというのに、「おうち買っちゃった」というのだから、なんともびっくりな話である。

「おうち」といっても、これまた都会と田舎の中間に位置するとある街の中古マンションの一室。「買っちゃった」といっても、これから30年だか35年だかの「ローン地獄」を堪能するらしいから、まぁまぁ相応な話なのかもしれない。とはいえ、生粋の東京近県民(都会と田舎のハーフ)の私に言わせれば、交通の便はいいし、大型スーパーやいろんなお店やさんなんかも立ち並んでいて、都心から程よく距離があるのもまたいい、必要にして十分な住環境。また中古とはいえ、ここ数年の間に建ったらしい新しめのマンション、子育てもノープロブレムの3LDK。長いこと6畳一間暮らしの私には、その広さを思い浮かべることすら困難な、十分すぎるスペースである。

「ローン地獄」にしたって、兄はおそらくずっとそこに住むのだろうし、万が一住まなくなっても売るなり貸すなり対応可能なオイシイ物件のようだから、きっと問題ないでしょう(他人事)。兄のようにずっとそこで立派に暮らしていくのだろうなぁと思える堅実派の人間には非常に賢い選択だと思う。なにせこれまで払っていた賃貸アパートの家賃より、マイホーム購入に際して月々支払うローンの方が断然お安いというのだから、そこそこの人生設計と度胸と頭金さえあれば、「やっぱ買っちゃうでしょう!」というのはもっともな話だと思うのだ。賃貸となるとどうしたって「お金捨ててる感」を拭いきれない、「せっかくお金払ってるんだから、たとえ35年かかろうとも少しずつ自分のものになっていったら嬉しいじゃない!」という気持ちは痛いほどよくわかる。

というのはわかるけど・・・。母よ、私に「東京でマンション購入!」を期待するのだけはやめておくれ。母は、兄の引越し話に続けて「あなたは買う気ないの?」と、軽ーい口調で私に迫ってきたのだ。おいおい、ばか言っちゃいけない。私を産んだ当人のくせに、私が立派で知的で金持ちなビジネスウーマンに変貌したとでも?遅くまで仕事してるからって変な誤解をしてるんじゃあるまいな。だいたい会う度に「警察にご厄介になった珍事件」やら「とっておきの貧乏自慢話」やら、産んだ自分が情けなくなるような話を娘から聞かされているというのに、なんとまぁ大胆なご提案をなさるのか。まぁどうやら結構な想いで、母が「東京に1コおうちがほしい!」と思っているらしいことはわかった。

なにはともあれ、私のように先々どこでどう生きてるのか自分でも皆目検討つかないような「のらりくらり人間」は決して手を出してはいけないところなのだ、と私は勝手に信じているので、私には母の望みを叶えられそうにない。というわけで、逆に「お母さんが買ったら?そしたら私、自分が住んでる間はお母さんに家賃払うよ。」と、優しくその気にさせてみるのだった。そして、本当にやっちゃいかねない母という人が、私にはたいそういとおしいのである。

■2002/6/25(tue) 心が口を開く

ここ数ヶ月(・・・といっている間に早半年近い月日が過ぎようとしていることに今気づいたのだけど)、それはそれはたいそう混沌とした毎日を過ごした。ようやく落ち着きを取り戻しはじめたとも(時々は)思える今日この頃、やっとの思いでここに戻ってきた気がする。

仕事の方も相変わらず要領悪くトロトロやっていて日々忙しいことは確かなのだけど、ここに言葉を残す時間がまったくなかったわけでもない。ふと見つけた余暇時間、何か書いてみようとPCを立ち上げたことも何度かはある。だけど、一向に言葉が出てこなかった。何時間もPCの前にしゃがみこんで、ウーンウーンとうなっていたこともあったけど、結局自分の心が閉口しているうちは、どんな言葉も生まれてこないのだ。その間に、どんなにいろんな出来事が起こったとしても。

今こうしてものを書いているのは、今日あることに気がついたからだろう。出勤途中、ボーっと歩いているときに、ふと思ったんだ。身のまわりにどんな風が吹いても、雨が降ってもやりがふっても、住む場所が変わって人も空気も食べ物もガラッと変わってしまったとしても、やっぱり私は「私として」生きてゆく以外にないのだということ。私が「私として」生きてゆくということは、私が「私らしく」生きてゆくことなのだと。それは先に述べた環境の変化だけでなく、自分自身の変化もまた同じであって、自分がどんな有形・無形の財産を手に入れたとしても、逆にどんなにひどい罪を犯してしまったとしても、やっぱり私は、私とずっと一緒に生きてゆくほかないのだ。日々の中で、私の「私らしさ」を発見したり修正したり開拓したりしながら自分を創ってゆけるのは、きっと生涯私だけなのだ。私だからできることで、だから私がやらなきゃいけないんだってことなんだな。(なんか「私」「私」ばかりでごちゃごちゃになってきたな。)

まぁ結局のところ、「私らしさ」なんて発見・修正・開拓(ときに見失うことなんかもあったりして)の繰り返しのようなものなのだろうから、この気づきもまたかなり漠然としたものなのかもしれないけど、それでもなんだかこれを受けて私の心は口を開きだしたような気がするので、私にとってはなんらか意味のある発見だったような気がする。(人に伝わる表現かどうかはちょっと自信ないけど。)

私がこれまでここに書いてきたことというのは、だいたい「私ではない誰かのこと」か、もしくは「客観的にみた自分のこと」か、どちらかだったように思う。なんにしても客観視できる状態でもって、言葉をつらつら書いてきたのだ。だけど、ここのところは自分にいっぱいいっぱいで、人のことを深く見つめて考えをめぐらす余裕もなければ、自分を安定した場所から客観的にみて何かを見出すといったことも、なかなかできずに過ごしてきた。だから書けなかった。

今日の気づきは、その大きな氷のかたまりのようなものを少しずつ解かしてくれている気がする。主観にまわりを全部かためられて、外から自分をみられなくなっていた状態を脱してきたといえばいいだろうか。少しずつ(いや、既にしゃべりすぎか)自分の言葉を取り戻しはじめているような感覚。といってまたしばらく書かなかったりすると、「なんだよ、ただの怠け者じゃないか・・・」という話になるのでコワイのだけれど、まぁ今日のところはそんなことを思っている次第であります。ほんと、人生っていろいろありますわな。

■2002/5/19(sun) ほんとのこと

生まれてからこれまでにたくさん身につけてきた
「当たり前」というやつを全部ひっぺりはがして
ゼロから1コずつ答えを探していってみればいい

ほんとは決まっていることなんてこれっぽっちで
あとは全部「自分で決めていいこと」なんだって
あとは全部「自分で決めるべきこと」なんだって

■2002/5/15(wed) 兄の披露宴

仕事を終えておうちに帰ってきたら郵便ポストに一通の手紙があった。先日式を挙げた兄夫婦から披露宴のご案内。すでに母から電話で話は聞いていたのだけど、どうやら日程が翌月に決定したらしい。

2002/2/22の「話」に記したとおり、兄夫婦はハワイでひっそり式を挙げたまま、両家の多くがいまだ顔を合わせていないのだ。昨年9月に入籍し今年 2月に式を済ませているのだけど、親戚はおろか、妹である私ですら奥さんのご親族には一切ご挨拶をしていないというありさま。この披露宴は、両家が顔合わせをする結構大切なイベントのようだ。

さて、兄の披露宴。妹一号は果たしてどう立ち回ったらよいものだろうか。披露宴といっても、料亭のようなところで30~40名くらい両家の親戚を集めて、身内だけでお食事会をするようなものらしいのだけど・・・。お行儀よくおいしいお料理をいただいていればよいのか、カメラマンか何かに徹したほうがいいのか、はたまたご挨拶がてらお酒をついでまわったりするのがよいのかしら。うむむ・・・。まぁその場になれば雰囲気に身をまかせて立ち回っているのだろうけど。こういうとき、私は自然と母の動きをみてそれに倣うのだろうなぁと思うと、母の背中は偉大だなぁとしみじみ思ったりする。

なんにしても、おそらく落ち着いて着席しているということもできない性分。せめて、初対面の人にはあがってしまうというお義姉さんの緊張を、少しでも解いてあげることができればなぁと思う。

とはいえ・・・よく考えてみれば、私自身がかなり長いこと親戚にご無沙汰しているではないか。なによりまず、自分の無礼を詫びるところから披露宴の幕は開けそうである。第一声「あらまぁ、大きくなってぇ。」のご挨拶。お世辞でいいから、そろそろ「大きく」を「きれいに」に変えてくれないだろうか。さすがにもう背は伸びないぞよ。次回ははたして何と声をかけられるのか、結果はこうご期待ということで。

■2002/5/5(sun) 喪失

露呈するにはあまりに情けない自分がそこにいて
記す言葉を失ったまま長い時間が過ぎてしまった

■2002/5/3(fri) 「渋谷で倒れる」の巻

5月。世の中はゴールデンウィーク真っただ中だというのに、私は日頃から行き来している都会のど真ん中で、急な腹痛に襲われていた。「倒れた」というとちょっと表現が過ぎるかもしれない。自力でなんとかタクシーをつかまえて近くの病院までたどり着けたぐらいのものなので、軽度といえば軽度なのだろうけど、とはいえなんとも大変な一日だった。

休日の昼下がり、渋谷のとあるカフェで、一人軽食をとりながら本を読んでいた時のこと。みるみるうちにミゾオチの辺りが痛み出して、こりゃとにもかくにも近くの病院に助けを求めるしかない!という事態に陥った。

ところが、この時私はほとんどお金をもっておらず、カフェの会計を済ませた時点で所持金はたったの700円。タクシーに乗るにしても初乗り料金で病院までたどり着けるかわからないし、病院の治療費など到底払えるはずもない。お金をおろすのが何より先決。

ひとまず目に入った近くのコンビニによろよろ向かい、コンビニの銀行マシンに「お金ちょうだい」と願い出る。が、間もなく冷たい顔で「ただいまお取引はできません」とあっさりカードを吐き捨てられた。途方に暮れるのはまだ早い。一層よろよろした足取りで渋谷の駅近くにある銀行まで足を伸ばしてみる。冷や汗かきかき歩き続けて15分、ようやくたどり着いた銀行の入り口で、私は見慣れぬヨコシマ模様を目にすることになる。銀行が完全に閉まっている、シャッターが下りているのだ。

なんでこんな時に限って・・・。今までお休みの日だってどんな深夜だって、大都会渋谷の銀行はいつも私を優しく受け入れてくれたじゃないか!なんで今日に限って、こんな真っ昼間からそんなつれない態度をとるんだー!・・・しばし放心状態・・・そもそも「5月3、4日はカードのお取り扱いもできません」なんてそんな重要なこと、なんで私は知らなかったんだろうか。なんでみんなは知っていたんだろうか。はぁ。

ここで足の力をちょこっと抜いて倒れこんだら、誰か救急車で運んでくれるだろうか。しかし救急車って後で高額の乗車料金を請求されたりするのかな。そもそも倒れたところで、この街の人は私を助けてくれるんだろうか。うーん、やっぱりタクシーしかないか。運がよければクレジットカードを使えるタクシーをつかまえられるかもしれないし・・・。いろいろな想いが交錯する中、再び私はよろよろと動き出し、駅前のタクシー乗り場へ向かった。

程なくタクシー乗り場到着。クレジットカードを使えるタクシーは見当たらないが、それを待っていられる状況でもないので、とりあえず目の前のタクシーに乗り込んで、「700円しか持ってないんですけど、初乗りで行ける近くの病院へお願いできますか。」と涙目で懇願する。初乗り料金の660円でたとえ病院にたどり着けなくても、乗せちゃったが最後!申し訳ないけど、メーターがいくらを示そうとも660円で運んでもらいますっ!そのときの私には、そんな開き直りの強さがあったように思う。

移動中はひたすら息荒くぜぃぜぃいっていてあまり記憶がないのだけど、なんとか660円圏内で病院にたどり着いてお金を支払ったのを憶えている。そのまま病院に急患でかけこんだ辺りからしばらくのことは、「ここで倒れこんでも誰かがどうにかしてくれる」と安心したのか、確かな記憶が残っていない。

結局のところ急性の胃炎かなにかってことで、要はたいしたことなかったようなのだけど。1時間点滴をうって、その後痛みが軽くなるまでしばらくぼーっと横になって、しばし病院の簡易ベッドで時を過ごした。

日も暮れかかった頃、だいぶ楽になって失礼することに。1000円ちょっとの治療費を「持合せがなくて払えません」と正面きって申し上げ滞納を願い出たところ、先方もそんな哀れな私に、1000円の治療費の“内金”を求める気も起こらなかったのか、すんなりと解放してくれた。「有り金置いていけ」と言われれば置いていくことは拒まないのだけど、なにせ「40円」しか払えない。「それでもほしいか、おまえさん」と涙無しには語れぬ話になるわけで・・・。

こんな状況下、そんなことに羞恥心を感じている余裕はないのであって、とりあえず「助けてくれてありがとう」という気持ちを胸に、病院をあとにしたのでした。人生いつなんどき何が起こるかわかりませんもので。再三私も人に注意されますが、所持金には常に余裕をもって歩きましょう。

■2002/5/2(thu) 変温動物

最近どうも体温がおかしい。私の平熱は36.2度くらいだと思うのだけど、ここのところ熱を測ると、大きくここから外れているのだ。夜になると、身体の中の熱がどんどん外に放出されていくような感覚にあって、体温を測るとたいてい35度台。始めのうちは、35度も後半に留まっていたのが、日に日に記録を更新していって35度前半が頻出するようになった。この間の最新記録では34.9度というのが出て、さすがにこれにはびっくりたまげた。このまま私の体温は 0度に近づいていくのではないかという恐怖心にあおられつつ、寒さに震えながらおふとんの中に入る日がしばらく続く。

夜床につくときと翌朝目覚めたときで、ほんの数時間しか経っていないというのに、体温が1度くらい変化していたりする。私、もしかして変温動物なんじゃ・・・。確かに夏場は暗くて冷たいところを好むし、冬は冬眠・・・はしてないけど。いや、それは人間界で生きることを強いられて、どうにか冬眠はせずに過ごせるよう身体に覚えこませただけかもしれない。「眠れ」と言われれば1シーズンくらい眠れるような気もしないでもないぞ。もしかして・・・。

とまぁ、そんな宙に浮いたことばかりも言っていられないので、とりあえず人に勧められて、お医者さんに診てもらうことにした。が、問診で「特に問題ないだろう」とのあっさりした答えをもらったので、そのまま安心して失礼しようとしたところ、これだけでは何百円のお金にしかならないと思ったのか、「念のため血液検査受けてみる?」と引き止められた。身体に針をさされるのがめっぽう嫌いな私は、「いやいや、だって大丈夫なんでしょ。」と逃げ腰だったのだけど、大人気なく押し問答した末に結局血を採られることとなり、今日はその検査結果を訊きに病院に出向いたのだった。で、「やっぱり問題ない」ということが明らかになった。「安心」を得るために、お金を出して「痛み」を買わなくてはならないなんてトホホである。

検査結果のフィードバックでは、「精神的なストレスや疲労から、自律神経が調子をくずして体温の高低が激しくなることがある」なんてことを言われる。ここのお医者さんにかかると、たいてい「精神的なストレスや疲労」という原因がついてまわる。この病院は大きなオフィスビルの一室にあるため、こういっておくと患者さんも納得しやすく、お医者さんもそこに結びつけやすくなっているんではないかなぁと、最近の私はそんなことを思いながらここのお医者さんの話を聞いている。患者さんは患者さんで、皆これを得意げに会社に持ち帰っては、「いやぁ、医者に“ストレスと疲労が原因”って言われちゃったよぉ。」なんて、上司に聞こえるように同僚にこぼしているのかなぁなんて思ってみたりもする。

なんにしても、この激動の世の中。それはそれで1つあるんだろうなぁとは思うのだけど、環境のせいばかりにもしていられないのだ。健康管理はやっぱり最終的に自己管理ですわな。気づいたら「変温動物」、気づいたらニョロニョロ尻尾とかはえてて「脱哺乳類してた」なんてことがないように、心身とも健康管理には十分気を配りたいものです。

■2002/4/12(fri) 自分のいたい場所

自分の頭の中だけで積み上げた
レンガ造りの塀なんて
自分の頭の中だけで案外簡単に
たたき割れるものだ

その塀の向こうにゆけば
遠くまで地平線が広がってる
そのまたずっと向こうにゆけば
はるか彼方まで水平線が走ってる

本当に難しいことは
目の前の塀をよじのぼることじゃない
ここにいたいのか塀の向こうにいきたいのか
自分のいたい場所を見つけ出すことだ

本当に大切なことは
水平線にたどりつくことじゃない
その場所が変わろうと変わらなかろうと
いつも自分のいたい場所に立ち続けることだ

■2002/4/10(wed) 交差点

人生のらりくらり歩みを進めているようでも
いろんな想いの行き交う交差点に出くわして
一気に行く先を見失ってしまうことがある

1つ1つの想いはみんなわたしの中にあるのに
なかなかじょうずに交通整理のできないまま
交差点のど真ん中に立ち尽くしてしまう

そこから四方にのびる道々を遠く見つめれば
どの道もその先長く続いているように見えて
わたしは前後ろもわからぬまま途方に暮れる

上を見上げれば空の色が静かに時を知らせる
わたしはまだここから抜けだせず踏みだせず
行き先わからないまま交通整理を続けている

■2002/4/9(tue) 朝からお小言

うららかな春の日、私の一日は管理人さんのお小言から始まった。

会社に向かおうと自分の部屋からマンションの入り口まで降りたところで「ちょっとちょっと」と声をかけられ、「あなた昨日1時頃に帰ってきたでしょ!」と管理人さんに行く手を阻まれる。私が「昨日はー・・・」と昨日の帰宅時のことを思い起こしていると、すかさず「私見たのよ、カメラで。あなたが1時頃ここを通るのを!」と続く。はいはい、わかったぞよ。別に嘘ついて「いえ通ってません」なんて言わんから、安心して本題にお入りなさいな・・・とは口にせず、静かにおばさまの次の言葉を待機する。(この入り口、カメラでチェックされてたんだなぁ。)

続く言葉を要約すると、昨日私が閉めた入り口のドアの音がうるさくて、今朝方その上の2階の住人から苦情がきたのだそう。その隣の部屋や、入り口目の前に住む管理人さんの部屋にだってもちろん音が響くため、うるさいので気をつけてくれ!とのことだった。引き続き、マンツーマンで「音を出さないドアの閉め方講座」が開かれ、補講で「音を出さない郵便ポストの開け閉めレッスン」もついてきた(音出てたけど)。その後「こんなのは常識的なこと、これができないんだったら出ていってもらう!」ぐらいのことを言われ、ダメ押しで「とはいえこれができないんじゃ、どこに行っても生活できないわよ!」ぐらいのこともまた吐き捨てられる。朝っぱらからおばさまにメッタ打ちにされて、トボトボおうちを出てきた。とほほのほのほである。

いまいちどれぐらいの音を出したのか疲れていて覚えていないのだけど、音をたてないようにドアを開閉するのは、日頃の管理人さんの徹底指導で習慣づいており、無意識ながらもそう大きな音をたてたはずはないのだけど、まぁそれでも管理人さんの許容範囲を越す音の大きさだったのだろう。これを言うのはたいそう言い訳がましいのだけど、後から取り付けた簡易式のオートロックのため、気を遣って閉めてもどうしたってカチッと音がなってしまう縦扉の構造、少し気を抜けばそこそこの音は容易に出てしまう。管理人のおばさまは、深夜に入り口前を歩くときは、足音が響かぬようそろーりつま先立ちでかかとをつけずに通るのが「常識」と、住人に徹底指導するお方。私の常識感覚では太刀打ちできず、時々気に障るようなことをしてしまうのも無理はない、なんて開き直りもあったりする。

しかし、ここで「いやいや、とはいってもこちらも疲れてましてねぇ。」とか「こういう簡易式のオートロックを使っているのだから、まぁ多少の音が出ちゃうのはしょうがないんじゃないですかねぇ。」なんて言ってみたところで叩き返されるだけだし、そうなるのがわかっててやるのもまた大人気ない。といって、「それだけ問題視するのなら、例えば横扉の自動ドアを導入するとか、そういう設備面からの改善策というのも、管理人さんから不動産屋さんに現状報告と問題提起をして検討願えないものだろうか。」とか、そういうアプローチをする雰囲気でもなく。何はともあれ、いけないことはいけない。ごめんなさい。すみません。何度となくふってくるかなりきつめのお叱りの言葉に、しょぼくれて謝罪申し上げる。謝ってはみるものの、さほど悪いことをした気がしていないので、謝罪の言葉もちょっと安っぽいのが自分としてもあまり気分が良くない。

これまでにもこのおばさまには嘘をつかれたり釜をかけられたり、機嫌の良いときは満面の笑みで挨拶され機嫌が悪いと完全無視される等々、結構さんざんな目にあっているので、私もちょっとおつきあいに疲れてしまっている。建物にはそこら中に注意書きの張り紙がぺたぺた貼ってあったりして、「本当に住人が気持ちよく過ごす環境づくり」がどんなことなのか、あまり共通認識がもてていないような気がする今日この頃。私も願わくば早くここを立ち去りたいのだけど、いかんせん引越資金がないのだからしかたがない。しばらくはこちらでご厄介になるしか道はないのだ。当面お互いに気を遣い合いながら辛抱しましょう。

それにしても、私はこのあたりの言葉の攻撃にあうとほんとに弱い。こういうショックはかなり持続的な痛みを伴って心に住み着くのだ。個人としての主観的な痛みというよりも、なぜああいう言葉の表現になってしまうのか、受け手の気持ちをどのように考えるのか、彼女の発言を受け入れるには苦しみが絶えない。それはまぁ、おばさまのキャラクターというか「味」として、彼女への嫌悪感に陥らないようにしながら静かに受け止めてゆくのがいいのかなぁ・・・とか、受け手としてのより良い心の落ち着かせどころと、ここから学ぶべき点なんぞをぼんやり模索してみるのだけど、まぁしばらくの間はこの痛みとともに過ごすことになりそうだ。

とりあえず、当面はドアの開閉に細心の注意を払って、できるだけおとなしくしていようとかたく誓うのであります。あぁ、早くお金貯めなきゃな。

■2002/4/8(mon) 真夜中の部屋そうじ

深夜0時過ぎ、あわてて帰り支度をし会社を出ようとするも、背後から「もう電車ないですよー。」とさわやかにむごい鐘の音。結局いつも使っているのと違う電車に乗っておうちにできる限り近づいたところで、最後はタクシーの運ちゃんにお世話になるコース。なんだかこのコースにも慣れてきてしまった・・・。おうちに帰ってきたのが1時過ぎ。パジャマに着替えてほっと落ち着いたのが2時過ぎ。それから、おもむろに部屋のそうじを始めた。

なぜだか理由はわからないけど、子供の頃から何か心のすっきりしない時は、気がつくといつも部屋のそうじをしていた。部屋をきれいにして、自分の心のすっきりしないのをどうにかこうにかごまかしてみようという無意識の試みなんだろうか。根本的には何の解決にもならないと知りつつも、それでもやはり何気なくやってしまう「習性」のようなものが人にはあるものだなぁ・・・なんて他人事のように思いながら、スポンジやらクイックルワイパーやら片手に、ただただもくもくとあちこちしゃがみこんで、真夜中の小そうじにあけくれる。

六畳一間にユニットバスとミニキッチン。あまり使い込んでいないので、そうそう時間もかけようがないのだけど、ある程度やることをやって少し部屋が落ち着いた感じになると、心もまた少し落ち着いたような気になって、心地よい疲労感とともに眠りの風が身体を包み込む。そのまま1日限りの魔法に身をまかせて床につく。

こんな魔法、いつ覚えたんだろう。いや、考えてみると自分がかけているような気もしないな。きっと天使教習生の1回目の実地訓練かなにかで、実習テキストの2、3ページ目あたりにある小さな魔法にかけられているんだろう。

小さな頃から何度もこの魔法にお世話になってきました。ちょっと心がくもり空の時でもすやすやと眠ることができました。皆さん上出来。この後の実習も引き続きがんばってくださいね。

■2002/4/3(wed) 春を迎えた我が家のエアコン

うちのエアコンの暖房機能が壊れているのは、今年2月10日の「話」でお話したとおり。すっかり春らしくなってもう安心!と思っていたのだけど、人一倍寒がりの私には、今でも夜の寒さは耐えがたい。やっぱりまだまだ夜間はエアコンに頼りたいところ・・・と思っていたのだけど、実は非常にまずい事態になっていることに昨晩気がついた。

うちのエアコンは「暖房」が効かないので、“冬”の間は暖房と認識してくれる「自動」に頼ってきたのだけど、どうやらこのエアコン、つい最近今が“春”であることを察知してしまったらしい。昨日エアコンの電源を入れてみたところ、なにやらひんやりとした空気が一気に身を覆い尽くしたものだから、あわてて電源をオフにした。ウーロン茶だと思って思いきり口に含んだらコカ・コーラだったというようなびっくり感。

自分がこれまでお世話になっていたのが、「暖房」ではなく「自動」であったことに、はたと気づかされる。これはもう仕方ない。本当にあたたかくなるまで、エアコンを使わずに生活するしかないな、とおとなしく泣き寝入りすることを決意する(と電気代も安くあがる)。

このまま慌ただしく生活していたら、ほんとあっという間に暑い夏もやってきてしまいそうだ。その頃には「冷房」が壊れちゃったりして・・・。やめよう、そういう縁起の悪い話は。まぁ万が一そんなことが起こってしまったら、“夏”の間は冷房と認識してくれる「自動」にまたお世話になろうではないか。とりあえず、しばし布団をかぶりながら待ってみるとしよう。エアコンに負けじと、私の身体が“春”を迎えてくれる日を。

■2002/4/1(mon) 月の土地販売

テレビのない我が家では、朝はラジオから情報が落っこちてくる。昨日夜更かししたせいで、今朝はジョン・カビラ氏の声で目覚めることができず、ナビゲーターがBoomTown(J-WAVE)のクリス智子さんに変わる頃、ようやくよっこらせと身体を起こし、諸々出かける準備を始めた。

そこで耳にしてしまったのが、「馬鹿いってんじゃないわー」というか、「ちゃんちゃらおかしいわー」というか、とにもかくにもびっくり仰天!寝ぼけまなこもパッチリのウソのようなホントの話。エイプリルフールなだけに、それが今日のテーマだったらしいのだけど。

クリス智子さんが紹介するに、なんでもカリフォルニアに本部をもつ「Lunar Embassy(月の大使館)」なる企業が、月の土地を分譲販売しているのだそうな。「おいおい、誰の許可とってやってるんだよ!」とは、まさに今この時使わずしていつ使う!というほどの衝撃的事実。(あれ、なんだか今日は口が悪いわ。)

誰の許可って・・・?「世界で唯一、法律的に月の土地の販売を認められた会社で、土地を購入した場合は証明書発行のほか、国連やアメリカ、ロシアなどの届け出を行っている」のだそうな。ついでに、現在の土地購入者は約100万人いるのだとか。

まぁ、すごい!ってオイオイ。そもそも「どうして月の土地を人間が売りさばけるんだ?!月って人間のものなのか?」って、普通突っ込みを入れたくなるでしょう?ならんのかいな。どういうこっちゃ・・・と、朝っぱらから頭の中で突っ込みが繰り返される。

そういえば・・・ふと思う。「地球って人間のものなのか?」という疑問。この星では当たり前のように土地が売買されているけれど・・・。完全に人間社会のビル群や住宅街で土地を売買したり、家賃を支払ったりするのは、まぁ社会的に考えてわからなくもないけど、そもそも森林を伐採したり、土の地面をアスファルトにかえてしまうとき、それってとくに人間以外の承認を得てはいないのだな、きっと。熊とか猿とか、バッタとかだんご虫とか、スギの木とかタンポポとか。あれ、これって・・・好き勝手にやっていいの?と今さらながら不思議に思う。

熊やバッタやスギの木は、人間語を叫んで止めに入れるわけではない。だからといって、何も言わないなら気にする対象にならないというのは、あまりに身勝手な話。地球は人だけのものじゃないこと、人も地球に住まわせてもらっているということ。そういう当たり前で忘れてしまいがちな事実を、当たり前のように頭の片隅において生活してゆくことはとても大切なことだなぁと思った。

当たり前のことといえば、人は人として生まれ、人であるという限界を背負って生きてゆかなくてはならないというのも、またその1つだろうと最近よく思う。なんでもできるという思い込みで悪あがきすると、人の死角でバランスを崩してゆく現実があるということ。人は目の前でできていることしか目に触れず、その死角の出来事を知るよしもない。気づけないこと自体が人間の1つの限界なのだと思う。だから限界の一歩手前で、「人は限界をもっている」という事実を、いつも当たり前のように心得ておきたい。そんなふうに思う。

ジョン・トラボルタやハリソン・フォード、トム・ハンクスも購入しているという月の土地。私がぴーぴー騒ぎ立てるこんなこと・・・百も承知で買っているなら、それはそれで素敵なロマンチストなのかもしれない。宇宙人に訴訟起こされても知らないぞよ。

■2002/3/27(wed) 心の痛むとき

なんだか心の痛む朝には
まぶしい光を浴びましょう
心も日向に顔を出すから

なんだか心の痛む昼には
お外の風にあたりましょう
くすぶる痛みも吹き飛ばすから

なんだか心の痛む夜には
柔らかなものに包まれましょう
心もすやすや眠りつけるから

■2002/3/22(fri) 電車の中で

朝の電車で新聞ひらき
昼の電車で本ひらく
夜の電車でケータイひらき
夜中の電車で口ひらく

知らないうちに日は暮れて
知らないうちに月あかり
だけどいつでも吹かれてる
しぜんの風に吹かれてる

■2002/3/20(wed) 少年の目の奥に

水そうの中で熱帯魚たちがそよそよ暮らしてる。
少年はただただ羨ましそうにそれを眺めてた。

彼は何を想ってそこにしゃがみこんでるんだろ。
彼の目の奥にはどんな世界が広がってるんだろ。

しばらくそんな未知の世界を漂い歩いていたら
両手をふさいでた荷物がふと軽くなる感じがした。

■2002/3/19(tue) 風のない部屋

目を覚ましたら、おうちに帰ってる自分がいた。

古い音楽をかけたら、子供の頃に戻ってく気がした。

この狭い部屋にぽつんと座っていると、少しほっとする。

こうしてしばらく風のない部屋でぼーっとして。

静かにあしたを迎えたい。

■2002/3/7(thu) ちっちゃい頃の物語

友達が帰った後の部屋は
すべての物音のみこんで
耳に残ってる声さえ奪う

だけど次の日学校へ行くと
その子は笑ってそこにいた
おとといよりもそばにいた

■2002/3/4(mon) 母の誕生日

今日は母の誕生日。夜に仕事をちょいと抜け、母に電話をかけてみた。第一声、「おめでとう!」と声をかけると、「まぁ、憶えていてくれたの?」と嬉しそうな声。あぁ、電話してよかったなぁと思う。実家に帰ることもできず、ただただ電話でちょこっとお話しただけだけど、何か瞬間でも快い気持ちを共有できたなら嬉しい。

51歳になったそうだけど、ほんとそんなふうには見えない。母はいつまでたってもなぜか若い。学生時代デパートなど一緒に歩いていると、よく「姉妹」に間違えられたりもしたっけ。(それはさすがに営業トークだろうとも思うのだけど、母がたいそう上機嫌だったので、何も言わずに「店員さんはそう思ったのだ」と信じるよう努めたものだ。)その頃からあまり変わった印象がない。

見た目はどうあれ、自分が大人になっていくにつれ、母との距離は着実に縮まってきたように思う。確か私が20歳になったくらいで、「これからは友達ね。」と言われ、今となっては、時々悩みや愚痴をこぼしてくれたりもして、私にはそれがとても嬉しかったりする。もちろん母親の悩みなので同時に痛みも伴うけれど、それを知らぬまま何の支えにもなれないより、それを知ってほんの少しでも母の痛みを吸収できる方がずっといい。

さて。今は子供が3人とも家を出てしまっているので、実家に住むのは父と母だけ。父はいつも帰りが遅い。家族の誕生日なんてみんなあっさり忘れる体質のため(悪気は無い)、母の電話を切った後はすかさず方々へ電話連絡。

<妹>
「あ、そういえば・・・。電話かけるっ!ありがと。あ、ついでにお姉ちゃんもおめでとう。ちょっと早いけど、まぁ、前祝いってことで・・・。」
<私>
「あ、ありがとー。」
(ついでに・・・ね。これで音沙汰なしだな、こりゃ。)

<父>
「今ねぇ、お客さんと飲んでるとこ。ふぃー。」「ん、今日?お母さんの誕生日でしょ。」「あー、はいはい。電話する。」「おまえから電話しろって連絡あったって言っとくよ。そしたら、なんていい娘をもったんだ!ってお母さんも喜ぶだろ。」
<私>
「おいおい。それ話しちゃ意味ないでしょ!家族1人1人からきちんとお祝いの言葉をもらえるから嬉しいんでしょっ!!ケーキはもういいから、おめでとうぐらい電話で言いなはれ。」
(そんな自己満足感、誰がいるかいな。)

<兄>
不通。
<私>
留守電に言葉を残す。「今日は母の誕生日。電話一本してくださーい。」
(反応なし)

こんな一家なんである。愛情がないんじゃない。表に出てこない、タイミングが悪い、鈍い、不器用・・・なだけ。兄の結婚式に参加しない私なんて、まさにその筆頭だ。そういうところにこういう会話も成り立ってしまっているだけなのだ。そう信じて早幾年か・・・。

私含め、こんな家庭環境で大変恐縮ですが、これからもそのままのあなたで、心身とも健やかに頑張ってください。私ももっともっと頭と心を豊かにして、あなたの良き休憩所になれるよう頑張ります。

■2002/3/3(sun) 時は今

過去も未来も時の中
長さもなければ深さもない
いつでも今があるだけなのに
人は錯覚の海をただよう

■2002/3/2(sat) 月夜のこと

雨の夜
頭上にほころぶ梅の花
月に代わって夜を照らす

人知れず胸の高鳴るは
雨粒にひかる月明かり
心染み入るぬくもりに

■2002/3/1(fri) 自分のなかに息づくもの

少し眠らせていた一冊、数日前から持ち歩いて休憩時や移動中にちょこちょこ読んでいる。「愛するということ」エーリッヒ・フロム著。「愛だの恋だの」と言われるところの「愛」とは一線を画す色気のない愛の話。訳者鈴木晶さんのおかげか、このテの本にしては不思議なくらい読みやすい。(私のおつむはそれほど多くを理解できていない気もするけど、まぁそこは気にしない・・・。)ここに書かれていることの1つ1つは私の価値観にとてもよくフィットして、読んでいる時間がなんだかたいそう心地よい。自分の想うところを再認識するにも、とてもよい時間をもてていると思う。といって、「何が?」と訊かれてまともに返せる頭もないので、そこはあとで中身を引用させてもらおう・・・。

このサイトにちょこちょこ言葉を残すようになってしばらく経つけれど、この本には、「あぁ、私にとってこのサイトはこういう場だったんだ。」と痛感させられる見事な一節がある。

・・・愛とは何よりも与えることであり、もらうことではない。(中略)
自分自身を、自分のいちばん大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。・・・

私がここに文章を書くときの原動力になっているのは、ここでいう「愛」なんだろうなぁ、なんて思ってしまった。うーん、しかしこれを「愛」と表現するのは妙にこっぱずかしい。何か他の言葉がないものだろうか、と思うのだけど、まぁ「愛するということ」というタイトルなので仕方ない。

「与える」という表現はなにやら偉そうに聞こえるかもしれないけど、これを受け取ってくれること、つまり「ここに時々足を運んで、つたない文章を読み、何かを感じてくれる」人がいるとすれば、それは私にとってこの上なく幸せなことなんだ。そうあることによって、私自身がここで幸せをもらっていることになるのだと思う。私は「与える」と同時に「与えられている」んだ。

私の書いたものというのは、ここにのっけた時点で私の手を離れ、読んでくれる人のもとに羽をつけてとんでいく。読まれるときにはもはや「私のもの」ではない。「読み手と私の間にあるもの」であり、そこで読み手に感じるものがあれば、それは紛れも無く「その人のもの」。決して「私のもの」ではないのだ。逆をいえば、そういう文章を書いていきたいと思うし、そうして「その人のもの」を見せてもらえたら嬉しいなぁと思う。

ちっぽけな「愛」で恐縮ですが、もし「あなたのなかに息づくもの」が出てきたら、ちょいとおすそ分けしてくださいな。

■2002/2/28(thu) やさしい詩(うた)

ひとの涙をみた夜は
天使が目の前あらわれて
やさしいうたを口ずさむ
わたしも続けて口ずさむ
そうして詩ができあがる
やさしい詩ができあがる

■2002/2/27(wed) すっぴん

気づけば、昨日は終日すっぴんだった。会社に行って仕事もしたし、当然行き来に電車も乗った。喫茶店で食事もしたし、デパートの地下で夕食も買った。

日頃から化粧直しをするようなきめ細やかさはなかったものの、都心に出る前にはとりあえず3分少々の時間をとって、とりあえず「した」という事実だけはもって出かけていたのだけど、昨日はそれすら怠った。20代女性の常識を逸脱する行為。いかん、いかん。もう少しで1つ歳もとることだし、とりあえずなにかしら「した」状態で外に出るよう心がけよう。

しかし、終日それで過ごせた「昨日の私」も私だけど、それをみても誰にも何の違和感も抱かせず、「あれ、今日は化粧してないの?」なんて突っ込みの1つも言わせなかった「日頃の私」もまた、どうなんだろう。そう考えると、はて?日頃の3分間に自己満足以外のどんな価値があるというのか。いかん、いかん。

■2002/2/26(tue) はだかんぼ

心はちっこい子のよぅなもんで
すっぽんぽんが一番好き

だのにそんなに着こんでちゃ
たいそう重かろ苦しかろう

ときにははだかんぼになって
その子の好きにさせてやれ

■2002/2/23(sat) 通りすがりの人

今日はソファに横になりながら、本を開いては・・・ぽてっ、音楽を流しては・・・ぽてっ、とひたすら眠りに落ちていた。その間に何度か訪れるぼーっとした時間、ふと昨夏に見かけた母娘のことを思い出した。

出勤途中、自宅の最寄駅近くで出くわす30歳くらいの女性とその娘らしき3、4歳の女の子。駅の階段をあがってきて商店街を歩き出す彼女たちと、何度となくすれ違う。初めて会った時、視界に入ったその瞬間2人の歩くさまに違和感を覚えた。何が異様かといえば、母親が常に子供の5歩ほど前を歩いている。日傘をさしてすたすたと。子供はそのあとを下を向いてついていく。母親に駆け寄ることもなく、常に一定の距離を保ち続けている。母親は時々立ち止まって後ろを振り返る。コンパスの違いで少しあいてしまった子供との距離が彼女の歩幅で5歩まで縮まると、また前を向いて歩き始める。半分日傘に隠れた母親の表情は常に冷たい。何度もすれ違ったけれど、いつもそんな状態。子供の顔はいつも無表情で、母親を怖がっているようにすら見えた。

「親」というのは本当に難しいなぁと思う。あの母親だって「赤ちゃんができた」「赤ちゃんが生まれた」時から、あんな冷たい表情をしていたわけではなかったのだろう。今の状態を、彼女だって予想だにしなかったはずだ。冷たい表情の裏側には「こんなはずじゃない」と泣き崩れたい気持ちも潜んでいるのではないか、そんなことを考えながら2人を想う。もちろん子供が最大の被害者であることに違いはなく、母親の心が健康になろうとも娘の受けた傷はそう簡単に癒えるものではないのだろう。ないのだろうけど、「だめな母親だっ!」とののしったところで何も解決はしない。「世知辛い世の中だねぇ。」と嘆いたところで、何も終わりはしない。そんなふうにも思う。彼女の抱える痛みをどう取り除いていくかに、この母娘の幸いがかかっているように思えた。

とはいえ、こんなことを言えるのは、私が彼女たちと直接関わりをもたない「通りすがりの人」だからなのだろう。だんなさんであったり、その両親であったり、女の子が通う保育園の保母さんからすれば、他人事では済まされない。身近にいればいるほど「だめな母親だっ!」と投げ捨てずにはおれないこともあるかもしれない。愛情あってこそ引き起こされる怒りをそう簡単に否定できるものではない。だけど、彼女の社会の中には、おそらくそこからもう1歩外に踏み出したところにある人間関係も、別に必要な気がした。「通りすがりの人」よりもう少し近いところで、客観的に事象を捉え、彼女の痛みを取り除くことに注力し、本人とともに悩み、答えを導いていける人。自分でか、人からの働きかけでかは別として、そういう何層かに別れたバランスのとれた人間関係の中に、いつも自分の身をおいておくことは大切なことなのだと思う。

今年に入って2人の友人から「出産しました」とのメールを受け取った。私の友達もついに奥さんどころかお母さんになるところまできてしまった。なかなか頻繁に会う機会はもてていないものの、「身内」と「通りすがりの人」の間にある関係性の中で、何かできることがあれば力になりたいと思う。ちっぽけながら心からそう思う。

■2002/2/22(fri) 兄の結婚式

明日は兄の結婚式。結婚式といっても、入籍は昨年9月に済ませ、奥さんとはもう半年近く一緒に暮らしている列記とした夫婦。なんにせよ、我が家では「子供が結婚式を挙げる」というのが初めてのことなので大ゴト。それも結婚式はハワイで挙げるというから大ゴトの大はしゃぎ。

・・・と、今ごろ私も空の上にいるはずだったのだけど、なぜか母国日本のこの地で「兄の結婚式」についてつらつら文章を書いている。実家に住んでいるわけでもないのに、東京の片隅に1人残ってお留守番。念のため言っておくけど、決して「来るな」と言われたわけじゃない。一応お義姉さんからは「来られなくて残念」という声をもらっているのだ。あれ、そういえば兄からは何も聞いてないな・・・。

なんにせよ断ってしまったのは私の方。理由はというと「時間をどうにも作れない」というなんとも情けないもの。実際のところ、初めての兄弟の結婚式・・・はおいといたとしても、初めてのハワイ!行きたくないわけがない。「時間は作るものだ」と言われればそれもごもっとも。・・・なのだけど、いかんせん心の余裕がなかったのだ。平日に仕事を置いてハワイに行く。時間というよりも心の余裕がなくて、どうしても踏み切れなかった。そうしているうちに日本を発つ日が訪れ、母から「行ってきまーす」と弾んだ声の電話が入り、つい先ほど私のお留守番が始まったところ。

今ごろ夜景を見下ろしながら、みんなでルンルン空の上。あぁ、うらやましい。更にうらやましいことには、今回の宿泊先、私には一生泊まることのできなさそうな超豪華ホテルの超豪華スィートルーム。お正月に実家に帰った時、ホテルのパンフレットを見せびらかされて、びっくりたまげた。このスィートルームに身をおけば、父の白髪もロマンスグレイに見えるってな勢いだ。一般庶民がこんなところに泊まってしまっていいんだろうか・・・と、そんな私の心配をよそに、恐れを知らない満足げな顔がそこには並んでいる。こうなると、私も生きているうちに一度はハワイに行かないと気が済まなくなってくる。とりあえずパスポートを小さいサイズに取り替えてみるところから始めてみよう。

留守番を終えて次に実家に戻った時の自分のありようは想像に難くない。10箱パックとかで買ってきて余らせてしまったお土産用のマカデミアナッツをほおばりながら、おんなじシーンが何枚も続く結婚式の写真を静々とめくり、多少コメントと問いかけを盛り込みながら全冊をとりあえず制覇。うらやましい気持ちがよみがえるのを、チョコを食べて慰める。自業自得とはまさにこのこと。

なにはともあれ。改めてご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに。

■2002/2/14(thu) つめ切りのありか

つめ切りって・・・おうちの中のどこに置くもの?

最近自宅を盛大にお片づけしているという知人から、そんな疑問を投げかけられたのはつい先日のこと。お部屋の中の諸々いらないものを一掃し、残ったものをしかるべき場所に配置しているのだけど、どうにもこうにもつめ切りだけは「ここっ!」という絶妙な置き場所が見つからず困っているという。

これは「答えは1つではない」という文句の象徴となるような問いだなぁと思い、真剣に考えてみた。というのも、我が家(実家)では「つめ切りは居間のペン立てにある」というのが常識だった。が・・・これをいったら吹き出して笑われた。私がなんともすんなり受け入れられるのは、どうやら幼少時代にかかった「母親マジック」によるものらしい。私が推測するに、ここにつめ切りを配した母の思考回路はこんな感じだろう。

ふと「つめ切りたいなぁー」と思った時すぐそこにあって、やる気をそがずに即切れることがなにより大事、そこに無ければ延々「今度でいいやぁー」となってのばし放題になってしまう、というので、最もふと思いそうな「居間」に置く。その中でも、細長い小物として他と一緒にまとめられて、まぁ見た感じ汚くない、且つしまってあっても頭でものぞかせてくれていれば見つけやすい、というので「ペン立て」。

ボールペンやら定規やらハサミやら細長いものがギュウギュウ詰めにされたペン立ての中にひっそり。そういわれてみると確かに、いつまでたってもクラスになじめない転校生のような顔をして長年そこにおさまっていたような気が・・・。文具とつめ切り。よく考えてみれば、その関係性は明らかに薄い・・・というか無いに等しい。「ユーザビリティの良さ」と「まぁ見た感じ汚くない」というもののおさめ方。

これに異論を唱えるとすると、「いや、もっと物としての分類にこだわるべきだ」という見解もあるだろう。たとえば「清潔になるグッズ」と称して洗面所に配置するとか、「キレイになるグッズ」と称して寝室の鏡台に置くとか。いや、しかしどう考えても遠い。ふと思ったときにそこまでとりにいくのはたいそう億劫である。

そんなわけで、きっと家庭それぞれに「つめ切りのありか」というのは違うのではないかという気がしてきたのだ。もしくは、うちが変なだけで「当然ここでしょ!」という常識的な場所があるのだろうか。それは本当に「我が家の常識」にとどまらないものだろうか。うーむ、謎は深まるばかり・・・。

おうちにある「物」の中で、つめ切りはどういうグループに分類されると思いますか。あなたは何にこだわって、どこにつめ切りを置いていますか。ちなみに、今の私のおうちでは、リモコン類と一緒くたにされて1つのカゴにおさまっている。間違いない、私は母の子だ。

■2002/2/12(tue) くしゃみ

「くしゃみ」ってのはなかなか気の利いたやつでしてね。顔出す前には必ず主人に連絡を入れるんです。「行きますよぉ、準備はいいでっかぁ?」ってね。時々間違えて、主人が準備できてないっていうのに顔出しちゃうこともあるんですが、まぁその辺のドジは本人いわく主人に似るんだそうで。たいていの場合は、結構な時間待ってくれるんです。時には、主人が口の中に含んだ食べ物全部のみ込むまで「ふんぐぐぅっ」とひたすら耐えて出番を待ってくれたりする、ほんとに主人想いのイイやつなんです。

といって、そんなのに甘えてばっかりいると、待ちくたびれて「もう知らないっ!」とかすねちゃったりもするもんで、いったん合図出しておきながら主人が準備している間にぶらりどこかへ消えちゃって帰ってこないなんて、かわいいところもあるんです。で、また現れたかと思ったら、思わせぶりな態度みせて主人をふゎーふゎー言わせておきながら、結局表に出てこないなんてこともやってくれる、おちゃめな一面も持ち合わせてるんです。

いたずら好きなところもありますけどね、いつも一生懸命なんです。主人がちょっと緊張してしまっている商談のときなど、主人を助けようともう無我夢中になって、合図も無しにワンテンポ早く出てきちゃったりしてね。主人もびっくりするもんだから、いつもの「はくしょん」が「わぁっくしょいぃぃ、うぅ~。」とかなっちゃうんです。でも、それ至近距離で見てしまった主人のお客さんはもう笑わずにはおれない。で、ちょっとお互いの緊張がほぐれましてね、商談がうまくいくなんてこともあるわけなんです。これぞ終わりよければすべて良し!なかなかどうして、ご主人の知らないところで「縁の下の力持ち」頑張ってくれてるわけなんであります。

花粉症シーズン到来ですけれども、彼のまた違った一面に触れて、少しでもおつきあいがスムーズになればなによりと思います。きってもきれない、長いおつきあいなんですから、ね。

■2002/2/11(mon) 祖父の七回忌

7年前、私は初めて「人が息をひきとる」のを目の当たりにした。その瞬間に湧き起こる嘆きの声たちは、時間とともに静寂の波にのまれてゆく。しばらくすると皆は別室に移動して部屋は一層の静けさに包まれた。私は、彼に嘆きしがみつくこともできなければ、独り部屋に残してゆくこともできず、部屋に残ってただただ二人の時間をぼーっと過ごしていた。これまでに体験したことのない静かな時間が流れていた。

あのとき、私には何が起こったのかよくわからなかった。「祖父がなくなった」という事実を人に伝えることはできても、目の前で本当のところ何が起こったのか、うまく理解できていなかった。身体がそこにあるのにどこかに行っちゃうってどういうことなのか、つかみ取れないままに時間だけが流れて・・・。なんだかそのまま7年もの歳月を過ごしてきてしまったような気がする。

今日は祖父の七回忌。昨晩母から電話が入り、「法事のほうはキャンセルしておいたからきちんと休みなさい。」とのお達しがくだる。風邪ひきの私は本日欠席となった。7つ歳をとった私が、今その場に出向いて何を思うのか・・・、どうにかこうにか帰郷しようと思っていたのだけど。今日は布団の中で静かにそんなことを考えることになりそうだ。

■2002/2/10(sun) 風邪っぴき

私はただいま風邪っぴき。別件で電話をくれた母より「もう一枚おふとん重ねて。」と指示を受けるも、うちに「もう一枚」はないのだ。「もぉー、なんでもいいからかけなさい。」というので、雪山に着ていくような厚手のコートを身にまとっておふとんに入る。まさに自宅で遭難状態。

唯一の暖房器具であるエアコンも、以前から暖房機能だけがちょっぴりおかしい。リモコンの運転切替ボタンを押していくと、自動→冷房→ドライ→送風→自動と戻る。液晶画面には明らかに「送風」の後にもう1段表示スペースが残されているのに、いつからか「送風」の後は「自動」に戻ると思いこんでしまったようで、ここに「暖房」という文字を見かけることはなくなってしまった。これに頼ることを早々にあきらめた賢い私は、今のところ暖房と判断してくれる「自動」に自分の身を預けている。温度設定ができないのはつらいけど、無いよりはまし。これで2月上旬まで持ちこたえたので、もう折り返し地点。この風邪さえ乗り切れば・・・。

ちなみに、ここ数日体温計で熱をはかってみると、毎度34、35度のオンパレード。体温計がおかしいのか私の身体がおかしいのか、はたまたこのお部屋がおかしいのか・・・。

■2002/2/10(sun) 刃

金に糸目はつけません
若者は人を売れと言う

なんてするどい刃をもって
人のこころを切り刻む

じきにこころは涙にあふれ
涙はやいばに流れ散る

濡れたやいばが錆びついて
二度とこころを切らぬよに

■2002/2/9(sat) 運命と偶然

それが運命か偶然か
答えをもとめて旅してた
答えは神さま知っている
そう信じてただ歩いてた

ある日白髪のたびびとが
こんな言葉をおいてった

どちらも人の決めたこと
お好きな方を選びなさい
幸いなことは運命に・・・
不幸なことは偶然に・・・

そうして歩みをすすめなさい
そうして重荷をおろしなさい

■2002/2/9(sat) 大御所に物申す

昨日の昼下がりだったか、電車の中で若者がご老人夫婦のおく様に席をゆずる場面を見かけた。おく様は「すみません。」と頭を下げ、だんな様は「申し訳ございません。」と失礼を詫びた。若者はそんな言葉たちに後ずさりするように、会釈をしてその場を去っていった。

謝罪の言葉というのは非常に都合のよい言葉で、「言う側が下手に出ているのだから、受け手もそうそう悪い気はしないだろう。」と思うだろうか。そう思ったら大間違い。「いいことしたなぁ」とか思っているときに相手に「すみません」とか言われたりすると、なんだか自分が相手に謝らせることをしてしまったみたいで、晴れ晴れしい気持ちも恐縮してしまうというものではないか。

大御所に物申す。そこは謝るところじゃないです。お礼を言うところです。すまないと思うところじゃないです。感謝の気持ちをもつところです。

日本中の「すみません」を訪ね歩いて、自分が使われた場面を説明していってもらったら、その多くが「ありがとう」に転身できるような気がしませんか。そうしたらもっともっと気持ちよく過ごせる気がしませんか。

■2002/2/7(thu) 異国人

なんだか理由はわからないけど、年末年始はよく街中で声をかけられた。占い勉強中のお姉さんやらアンケート調査のバイトしてるお兄さん、酔っ払いのおいちゃんに手当たり次第なナンパ小僧・・・と、よくお見かけする皆さんもいたけれど、そのほか異国情緒たっぷりな出会いが次から次へと訪れた。

ほんの一瞬の出来事でありながら印象的だったのは、休日出勤したある日の帰り道、駅に向かってぽてぽて歩いていたところ、「おつかれさま」と後ろから声がかかった。振り向くのと同じくらいに、アラビア系のお兄さんがあったかなスマイルを送りながら私の前をゆっくり通り過ぎていった。私の後ろすがた、そんなに疲れていたのか・・・と自分の背中を省みつつも、その一言だけでなんだかとてもよい休日を過ごせたような気持ちになった。

会社帰りの駅のホームでは、見た感じ日本人っぽい風貌でありながら、まったく日本語の話せないアジア系の男性に路を尋ねられ、「この電車に乗るのとあの電車に乗るのとでは、どっちの方が早くどこそこに着くか」などと、また入り組んだ回答を英語で求められたのだけど、すべて「YES」と「NO(と言いたげな顔)」と「(笑顔)」だけでクリアした。彼が降りる駅の1つ手前の駅で別れを告げ、電車を降りた私には「やり遂げたぁ・・・」という微妙な達成感があった。

ところ変わって、渋谷はハチ公とまったく逆側の歩道橋にて。「ハチ公に行きたい」と韓国人の女子大生集団がいうので、10人ぐらいを引き連れてハチ公まで案内した。頑張って日本語を話しているので、私も頑張って日本語を返した。移動時間が長かったので、丁寧でゆっくりな日本語を話すのに結構気をつかってみたのだけど、日本語が私に通じているらしいことに嬉しそうな表情を浮かべる彼女をみていると、私もなんだか幸せな気持ちになった。ハチ公に到着して驚いたことには、「ハチ公で待ち合わせ」ではなく「ハチ公が目的地」だったということ。ウヨウヨとした人垣の向こうに見えるワン公を指さして「あれがハチ公です。」と正しい日本語で伝えてみたところ、いっせいに歓声があがり、みんな飛び跳ねて喜んでくれた。あっぱれニッポン!

お次は最も衝撃的だったお方。これまた休日出勤をした帰り道、「このままおうちに帰るのも悲しかろう」と渋谷のHMVに立ち寄ったところ、声をかけていらしたのが「ヒップホップやってる」という黒人さん。なんでHMVで声をかけてくるのか?ひどく違和感があったのだけれど、「I like you very much.」とおっしゃるので、そりゃありがたいと思って「Thank you.」と返した。
その後延々30分ぐらい息つく間もなく英語と日本語のこんがらがったようなのがなだれ込んできて、私の日本語もなんだかカタコトに変容していってしまった。「ナンデ、トモダチニナレナァイ?」と尋ねるので、「ウーン、シブヤノヒト、コワァイ。」と宇宙語のような言葉を返していた。「ボク、コワクナイヨォ。I'm very kind.よぉ。」と、もうこれはケントデリカットの会話術。話の最中、ついていく気はないものの「きっと悪い人ではないんだろうなぁ。」と思っていたけれど、私はやっぱりこの手の自己PRにひいてしまう「純日本人」なのだろう。自分のことをkindという「kindな人」というのがいまいちピンとこない。その辺りだったか、この会話を打ち切る決心をして、「Thank you. Sorry. Good bye.」と精一杯の英語で気持ちをお伝えし、その場をあとにした。
1つ気がかりだったのは、彼は「自分が黒人だから怖がっているんだろう」と切なそうに繰り返し言っていて、いや別に白人だろうと黄色人種だろうと、渋谷で声をかけられてついていく気はないのだけど、「違う」といってもどうも最後までそう思い込んでいるようだった。その辺の誤解をされたまま別れてしまったようなところが、今もずっと心にひっかかっている。

そんなこんなの出会いの合間に、むすめさんを連れたコテコテ大阪おばちゃんに道を尋ねられるというのもあったな。ある意味、それはそれで異国情緒が漂っていたような・・・。

この期間、都会のど真ん中で、いつもにましてぽけーっとした顔して歩いていたんだろうなぁと今になって思う。なんだか不思議なひとときだった。結局のところ・・・、ヒトは何にもくくることはできないし、それでもどうにかしてくくろうとするなら「ひとくくり」にしかならないんじゃないかなぁと、そんなことを思った次第です。

■2002/2/7(thu) 想いと行い

人を想うということは
私の中にいきるもの

大切にするということは
あなたと私の間にある

■2002/2/5(tue) 夜明け

つぎからつぎへとやってきた
あとからあとからやってきた

ひっくひっくとリズム打ち
ほっぺを行進していった

あんまりやる気まんまんで
ひらきなおってほっといた

ほうっておいたら朝がきた
朝日はほっぺをかわかした

■2002/2/3(sun) わたしのでんわ

わたしのでんわは先頃交通事故にあって瀕死状態にある。

外を歩いているときに私のかばんからぽろっと落ちたものだから、もしや自殺未遂?いや自殺に見せかけた殺電?とのよからぬ噂もちらほらあるけど、身内の私にはただただ彼の身を案じる日々が続いている。

頭は正常なんだけど、いかんせん身体がいうことをきかない。口元はゆるみ、いつも半開き。今にもよだれが落っこちてきそうなありさまだ。みている私もつらいけど、いうこときかない自分の身体に本人も相当ショックを受けているらしく、私には彼の周囲に鏡をおかないようにするぐらいの心遣いしか為す術がない。今まで4年もの間お世話になっておきながら、なんとも非力な私。

若い頃には、場違いなところで大声を張り上げ突然わめきだしたりしてよく私を困らせたものだけど、最近では「今の若い奴にゃ、おいらもうついていけんさ。」などと小声でこぼすようにまでなってしまい、その後ろすがたには哀愁が漂っている。私は「おうち以外の場所からも、目の前にいない人とお話ができるようにしてくれる」彼を選んだまでであって、それ以上の何も求めてはいないのに、どこから情報を仕入れたのか、彼はそれだけしかできない自分、それ以上に変われない自分がやるせなくなっているらしい。私のかばんから外に一歩足を踏み出すときも、なんだか世間にうしろめたいような面持ちで、後ろ向きに這い出てくる。無理に引っ張り出すのがかわいそうにさえ思われる。

4年前、20円という値札をぶらさげて威勢良く私の前に現れた彼は、同世代の輩の2倍もの生涯を終えて、今ようやく彼らが眠るところへ去っていこうとしている。置き去りにされることを拒んではいけない。感謝の気持ちをもって静かに見送ろう。

あれからもう、4年もたってしまったのか・・・。

■2002/1/26(sat) 貧血中に思うこと

貧血で倒れる時、なぜにきまって私はいつも裸なんだろうか・・・。もともと身体はタフな方で、貧血で倒れるなんて乙女チックな体験は幼少時代からまったくなかったのだけど、貧しい食生活のためか大人になってから何度か「倒れる」という経験をしている。お酒のんじゃって、トイレで眠っちゃって・・・とかいうのは別にして、確か過去5回ほど貧血で倒れており、そのうち服を着ていたのは「駅のホーム」の1度だけ。あとは全部「お風呂ですっぽんぽん」だ。「貧血=かよわい乙女」の公式は、私にかぎって無残に崩れ去る。

今回はスポーツクラブ編。久しぶりにプールで歩き&泳いだ後に、採温室、お風呂、サウナをハシゴしてしまったのがよくなかったらしい。それも今年から新しく導入されたらしきサウナの砂時計が、5分と思いきや10分間時計。そう気づいた時には既に7分が経過していた。

脱衣所で「あぁ、これはちょっと貧血ぎみか?」と思い、2m先の椅子に腰掛けようとバスタオルを持って移動し始めたところまで記憶がある。どれぐらいの時間が経過したのか、「大丈夫ですか」と上から女性の声が降ってきた。考え事をしていたような、夢の中を漂っていたような空間から、いきなり意識が戻ってくる。確かWebプロデューサーとはなんちゃらかんちゃらと、妙に密度の濃い仕事の何某かをひたすら考えあぐねていたような・・・。「こりゃ死ぬ時とおんなじ感覚だろ。ということは、今何かの事故で生死をさまよったりすると、仕事のことを考えながら死んでいくということなのか・・・。」とかなんとか、目覚めの瞬間はそんなことを考えていた気がする。

いまいち目を開くことも言葉を発することも困難な状態が続くカラダに反して、「あぁ、そりゃこんなところでいきなり人が裸で倒れちゃ驚きましょう。」と妙に冷静なアタマが彼女に同情している。アタマはしっかり謙譲語で「お水をいただけますか?」と言葉を用意しているのに、なぜかクチは「み・・・ず・・・」とつぶやくのが精一杯。「うゎ、よわっちい声だな。そんなじゃ彼女が心配するだろ。」とアタマのお叱りを受けるが、「そんなこと言ったってどうしようもない、クチだって本意じゃない。」とかわけの分からない内輪もめをしていたりする。その女性はアタマの予想どおり「水ですねっ!」と叫び、あわててタッタカ走り去る。スポーツクラブの人もやんややんやとやってきて、タオルで身体をぐるぐる巻きにしてお水を飲ませてくれる。しばらく脱衣所の通路を占領し横になっているうち復活を遂げた私は、深々とお礼を申し上げ服を着てスポーツクラブをあとにした。

今回もまたばったり倒れたらしいことは、おうちに帰ってから発見した腰と左腕のあざが物語っていた。それにしてもこれまで「頭」を打ったことが一度もないのはなんと幸運なことか。きっと「まだまだ生きろよ」という神さまの思し召しだろう。そう思ってしまえる私は、なんとも見事な楽観主義者。翌日お礼にお菓子をもってスポーツクラブを訪れたら、事件の日にはいなかったスタッフの方にもお見舞いの言葉をいただいた。ご心配、ご迷惑おかけしました。反省なさい、私のアタマも、私のカラダも。

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