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2018-06-11

知識の伝承より、気持ちの伝染

部下や後輩に「教える仕組み」をいくら作っても、社内で「学び合う場」をいくら設けても、そこに学ぶ対象そのものをおろしろがっている人がいなければ循環しないだろうなぁと思う。逆に、それをとことんおもしろがっている人が一人そこに入れば、仕組みは未整備でも、その場の影響力は計り知れなくなる。

そんなことを考えさせられたのが、森毅(もりつよし)さんが「河合雅雄著作集十 学問の冒険」の月報に書かれたという次の一節だ。

学問というものは、伝承よりは、おもしろがることで伝染するものだろう

自分の学問を、後継者に伝承する気などない。「おもしろくてたまらぬ」から研究をする。すると、その傍にいる人に、その「おもしろさ」が伝染する。伝染した側は、別にうつした人の真似をするというのでなく、自分がおもしろいと思うことを、自分がおもしろいようにやる。そうすると、それぞれが自分の個性に従って独創的なことをしているんだけど、グループとしての相乗効果をもつことになる。

そういうことが述べられていて、すごくしっくりきた。「学問」を「仕事」に、「研究」を「学習」に置き換えても同じことが言えるよなって思う。この一節に私が触れたのは、河合隼雄氏の著書「『出会い』の不思議」(*1)を読んでのことだけど、河合先生も、この話を紹介した上で次のように述べていた。

学問研究にかぎらず、すべての創造性を必要とする領域に通じることである。知識を伝えるのではなく、態度が自然に伝わるのだ。

少人数で集まった空間に、そのテーマをめちゃめちゃおもしろがっている人がいるとか、いつも会社で斜め向かいに座っている人がめちゃめちゃ仕事楽しそうにしてるとかの影響力とかって軽視できない。会社の席の配置なんかは、考える人は相当に考えて人材育成施策に含んでいるだろう。

私もオーダーメイド研修を扱う仕事がら、人に講師をお願いするときには、やっぱりその研修テーマをおもしろがっている実務エキスパートに講師をお願いしたいって思う。あぁ、あの人を今回の受講者の皆さんに引き合わせたいって思って、お声がけすることが多い。そうして引き合わせた現場で、講師と受講者の間に生まれるもの、知識やノウハウを超えて講師から受講者に伝わっていくものを肌で感じると、すごく幸せな気分になる。

オンラインで学べる仕組みも、一斉に人を集めて講義をするのも、効率の良さを考えると良い仕組みなんだけど、効率がいいからといって、「全部これでやろう」とか「一元管理しよう」とかいって一つの手段にこだわりだすと、手段が目的化してバランスを崩す。狙う効果によって手段を選択できるのが良いのであって、効率的な手段に全面移行して、非効率だけどユニークな効果を生む手段を手放してしまっては、結局選択肢は豊かになっていないのだ。

少人数で人が人と直接会ったときに受け渡しできるものの計り知れなさを大事にして(合理化も、もちろん大事にして)、うまいバランスをとって学習環境をデザインできる仕事人でありたい。

先の本は、このくだりの後に、次のような一節が続いた。

グループとして共に仕事をしているものの、各人は別個の個性を生きる者として、強い孤独を感じる。共におもしろがりつつ孤独に耐える力をもつことが独創性を養うことになろう。

この一文には「孤独」の肯定的なとらえ方が感じられる。ひとつ前の話に、自立と依存は反対概念ではない、一切の依存をしないのは孤立だという話を書いたけど、それにのせて言えば、孤独と孤立は別物なんだよなって整理させてくれる一節でもある。孤独を抱えながら自立して生きるときに、人と健やかな依存関係をもって支え合えるのが自分の交友関係かなぁなどと思い、親しき友たちにありがとうって思った。

*1: 河合隼雄氏:「『出会い』の不思議」(創元こころ文庫)

2018-06-08

必要な経由地

最短距離を狙うと、そんな所に立ち寄るのは無駄にしか感じられないのだけど、そこを経由せずしては、目的地にたどり着けないということが、あるんだろうなぁ。

必要な経由地、必要なまわり道。河合隼雄さんの「対話する人間」を読んでいて、そんなことを思った。

河合先生のところに、ある母親が幼稚園児の息子を連れて相談に来た。来訪理由は、その子が知能がおくれているとは思えないのに、言語に著しい障害が見られるためと言う。確かにその子はまったくことばがうまく話せないので不思議に思って、母親と話し合ってみると、こんなことが分かった。

母親は子どもを早くから「自立」させようと思って、なるべく抱かないようにし、寝るときも幼いときから一人で寝させるようにした。はじめのうちは子どもも泣いていたが、ほうっておくと慣れて泣かずに寝るようになり、親類の人たちもそれを見て「よい子」に育っていると評判だったという。

河合先生の見立てでは、このことこそが、子どものことばの発達をおくらせる大きな要因だった。子どもは発達に従って自立していく。母と子が肌を触れ合って感じる一体感こそ、子どもが健康に育っていくための土台になるのだけど、子どもの自立をあせりすぎたため問題が生じてきた。

親離れ、子離れということばにおびやかされて、親のほうが性急に親子の絆を切ろうとしてしまうことから生じる問題は大変多いのだという。

実際、この話に納得した母親が関わり方を改めると、この子はだんだん母親に甘えるようになり、赤ん坊に立ち返ったように母親に甘え、その後にだんだんと普通に育っていくようになった。

甘えるという所を通過しなかったために、幼稚園児から赤ん坊のところまで引き返して、そこから戻ってきたのだ。

十分に接触を体験したものこそが、うまく離れることができるという、一種の逆説めいた真理

を河合先生は指摘する。

最短距離を目指すと、最初から自立の道へまっしぐらという頭になるが、それに必要不可欠な経由地は案外、反対側のほうにあるというのは、わりといろいろな分野に潜んでいそうだ。

まぁ多くのことには個人差があって、誰しもに必要な経由地ということではないだろうけど、だからこそ取り扱いに慎重を期する。

例えば学生が起業したいと言ったときに、「起業したいなら、今すぐ起業したほうがいい」と説く大人と、「一度就職したほうがいい、それからでも遅くない」と説く大人といる。「どっちでも選んで、選んだほうを正解だったと思えるように生きていけばいい」みたいな話もあるが、あぁあのときやっぱりこうしておけば…と後悔するのも人生で、それを次の原動力にすることも経験価値だ。

ともあれ頭ごなしに、「起業したいなら、すぐ起業する以外ないっしょ」という一択でもなくて、人それぞれに、場合によっちゃ真反対に思われるような経由地を挟むことが無駄じゃないってケースもあるって見方は、含んでおいていいんじゃないかなと思う。もちろん、すぐ起業もありという前提である。

ちなみに、自立と依存の関係についても、よくある誤解を、先の本の中で河合先生は指摘していた。

自立と依存は反対概念ではない。

依存しないのが自立だと思うのは大間違いで、それは孤立だという。自立している人は、自分がどこにどういうふうに依存しているかに自覚的で、依存の自覚と感謝がある。そういう人を自立している人というのだ、と。

人間がそもそも矛盾的存在であることをわきまえるなら、按配というのは常に大事にしたいところ。いいかげんを自分でバランスさせるというのは、いつも、いつも、大事なことだ。それは、誰かじゃなくて、自分でやることなのだ。

2018-05-15

ピン案件

今年のはじめから、純粋なコンサルティング案件を一つ引き受けているのだけど、そこのお客さんから「すごいです!これが僕のやりたかった内容です!」とメールをもらって、涙ちょちょぎれるほど嬉しい今晩。祝杯でもあげたいところだけど、明日の朝に緊張する仕事があるので、残業そこそこにコーヒーやさんに寄り道して一杯。

ここでいう純粋なコンサルティング案件というのは、やりたい研修の講師はクライアント社内(今回だと先方の代表取締役)にいる前提で、研修プログラムを作る裏方に私がピンで入る案件。

社員に教えたいことがあって、教えられる人も社内にいるんだけど、研修やってもいまいち伝わった感がないとか、現場に変化がないとか、効果検証ができていないといったお客さんのパフォーマンス向上を裏方サポートする仕事だ。

私が普段よく手がけているのは、講師もこちらでコーディネートして、まるっと研修プログラムをオーダーメイド提供するタイプの案件なので、そういう分かりやすい形をもたない「私単体の働き」をお買い上げくださるというのは、ちょっと特別なのだ。

通常手がけているオーダーメイド研修も、請負契約で何か納品するというのではなく、準委任契約で役務提供する形をとっているので、コンサルティングに近しい形態ではあるのだけど、お客さんからすれば「講師」の役務提供が核になっていると思うので、「裏方」だけで発注いただく案件は、私的にコンサルティング純度高しと感じられる。

実際にどんなことをするかというと、今回だとまず何のために研修をしたいのか、をさらに引き戻して、社内の人材・人材育成にどんな問題意識があるのかから話しこんで、どういうパフォーマンスができるようになってほしいとか、理想と現実にどんなギャップがあるのかとか、いろいろ聴かせてもらった話を持ち帰って、明文化して構造化してドキュメントに整理する。そのために研修としては何ができて、現場で何をすべきかを整理して、研修のゴールを、最終的に目指すパフォーマンスゴールと分ける。

研修の全体像を整理した上で、優先度の高い研修プログラムから個別具体的に作り込んでいく。今回は、講師兼代表の方が過去使ったスライドを再編集して、こういうことを伝えたいというのを送ってくれたので、そのスライドから逆読みして、個別の研修プログラムの狙いやゴール、そのための教授方針、カリキュラム構成、教える際の講義ネタ、キメのコピー、演習ネタ、事例、演出などを作り込んでいった。

いただいたスライドから、それを効果的に、能率よくインストラクションするには?というのを考えながら教材をまとめる。で、今日そのスライドを仕上げて、こんな感じで作り変えてみましたがどうでしょうかと、作り変えた意図の説明を一つひとつ付けて送ったところ、冒頭の返信メール。

いやぁ、嬉しかったな。歳をとるごとに、大きなお客さんだけでなく、知人友人の立ち上げた会社のサポートを手がける機会が出てきているのも楽しい。そうした案件だと、研修屋さんという型にはまらない形で、こんなことできないかなと相談いただけることも多くて、これがまた有りがたいし面白い。

手段に縛られたくないので、こういう案件ばかりで埋め尽くしたいとは思わないし、講師と組んでやる仕事にはそれはそれ特有の面白さがあって大好きなのだけど、この手のピン案件も細く長くやっていけるといいなぁって思った。

ありがたいことに、春から夏にかけてはあれこれの案件が並走して忙しく過ぎていきそう。いっこいっこ大事にやっていこう。

2018-05-06

ゴールデン学習

ゴールデンウィーク(GW)の大半は、地味すぎるが勉強に費やした。あと映画をいくつか観たり、父と根津神社を散歩して(ここの空気は好い)、国の重要文化財にもなっている近くの「はん亭」で好物の串揚げを食しつつゆったりおしゃべりしたのがハイライト。

GWに入る前、私の目の前には分厚い課題図書が2冊。WordPressの入門書(PHP入り)と、PHPの入門書(SQL入り)。別に誰かに出された課題じゃないけれど、あるクライアントさんの研修案件でこの辺りを手がけることになったので、GW中に基礎知識をインプットすることに。

私が講師をするわけじゃないものの、プロジェクト全体をより良く進めていく上でも、効果的・効率的な学習方法を模索していく上でも、学習テーマの知識はあるに越したことはなく、そういう意味で自己評価しても、私の前提知識は不足感を覚えざるをえない状況だった。

学習者の知識習得度を測る筆記テストの問題作成は、これまでの経験上、講師(学習テーマの実務エキスパート)が作って、私がそれに校正を入れるより、私が問題を作って、講師にそれを監修してもらうほうが能率的に良い問題ができるのだけど、自分にテスト問題のたたき台を作れるだけの知識がなければ始まらない。

まぁそんなの一朝一夕にはもちろんいかないわけだけど、行けるところまで行って、できるだけ良い仕事をしようというので、広く浅い全般知識の上に、それぞれの入門知識を肉づけていくことに。

しかしまぁ、学習範囲というのは四方八方に広がっていくもの。WordPressを使うならPHPも。っていうか、そもそも私の場合は、あわせてプログラミングを学ぶ必要があるわけで。さらに、PHPが真価を発揮するのはデータベースと組み合わせたときって話になると、SQLもご一緒にどうぞ!となる。

SQLは20年前に初級シスアドの資格取るときに勉強したなぁとか、データベースもその頃作り&使い込んでいたなぁとか遠い記憶があるけれども、頭にのぼるのは面影ばかりで、使える知識の残っている感がまったくない。などと開き直ってページをめくっていると、概念は変わっていないので、思いのほかすらすら進められて喜んでみたり。

ともかく、WordPressの「Wor(ぅわ)」を口にした途端、一気にそういう新しい世界の広がりに触れ、過去学習した世界との関わりに再会することになるのを観察して味わい深く思った。

で、とりあえずGW前半に、WordPressとPHP基礎。後半にPHP基礎とSQLと、その掛け合わせを学習。GW最終日に振り返ってみると、PHPがきついのなんの…。PHPに踏み込むと、まるで炎天下に砂浜に出て、タイヤを腰に巻いて走っているように学習スピードが鈍化。

プログラミングの考え方は好みなんだけど、プログラミングそのものの運動神経がない。というのは、もともと自覚していたけど、改めて認識。のそのそ、のそのそ、亀の歩みだ。

PHPの学習は、だいぶ体育に近い。本を読むだけだと、概念やら考え方やら書き方やら薄らぼんやりしかつかめない。実際にスクリプト書いてみて、頭と体を一緒に動かすと、それで、体が感覚的にわかってくれることがあるので、書いてみて体の反応に期待する、みたいなことをやっていた。

それでも、まだ取り損ねている感、ものにできていない感があちこちに残り。しかし立ち止まってもいられないので、先へ進める。そうすると、自分の足場の不安定感が半端ない。

それでは健康に良くないと察してか、PHPを勉強していると、ケーセラーセラー♪という歌が、よく頭のなかに流れてきた。たぶん脳内のどこかで危険サインが出て、自動制御で陽気な音楽を流してくれているんだろう。うまくできている。

餅は餅屋。いい言葉だなぁと思う。人類は異なるタイプで成り立ち、助け合って生きていくのだ。多様性が大事なのだ。人には得手不得手があり、凹凸があり、その組み合わせで補完し合えるからこそ、種として強いのだ。人が不得手なところで、自分がわりと得意なところなり、やって辛くないところは思い切りやろう。自分がそれをしている間に、自分の不得手なところを百、万、億の人に助けてもらっていることに感謝して生きていこう。そうだ、そうだ。苦手なことの学習体験は、こういうことを再認識する機会として有効だなぁ。などとひとしきり考え終えると、また勉強に戻る。ケーセラーセラー♪は、もうとっくに流れ終わっている。

そんなわけで、この勉強で自分がサポートできる仕事の質が、実質的に大きく変わるとは思えない状態でGWが暮れつつはあるのだけど、クライアント、講師、受講者が当たり前にもっているベース知識をもってサポートする、自分なりのたしなみは大事にして、この案件に臨みたい。来年覚えている自信はまったくないけれど…。

2018-05-03

三歩冷やして二歩温める

ゴールデンウィークに入ったあたりから、世の中がすこぶる寒い。なかでも都内の地下鉄の寒さといったらない。

ぐっと真夏なみに気温が上がったのを受けて、ぐぐっと空調の温度を下げにかかったようだけど、あわてるな、まぁとにかく落ち着け!と、都内の空いた地下鉄に乗るたび思う。黄金週間で混雑が緩和された車内、人がまばらだから余計に冷房のキンキンぐあいが骨身にしみる。

私は夏場でも長袖が基本なのだけど、これだと薄手の長袖では身がもたない。今朝は半袖Tシャツの上に薄手の長袖シャツを着て出かけたが、腕の部分が一枚なので、地下鉄に入るやいなや寒くてブルブル。表に出てきたときの空気の温かさに、湯船につかったときのような安堵を覚えて、思わずふぃーっと声がもれた。

なぜ、こう(空調で)三歩進んで(服装で)二歩下がる的な温度管理で、(ちょうどいい)一歩を手に入れなければならんのか。

私の寒がりが一般とずれているとしたら、まぁそれは仕方ない。でも、もし私の希望する一歩が平均と大差ないとして、最初から絶妙な歩幅で一歩を狙ったら、電気代も減らせるし、着る服も減らせて身軽だ。それだと使うお金が減っちゃうじゃないかと言われると、そうかもしれないけれど。そうやって、出すぎて、引っ込めて、行ったり来たりしながら暮らすのが人の常というものなのか。

ゴールデンウィークが明けて車内が混み出すと、もう少し適温になりますよってことなら、人の混雑度に応じて空調を弱めたり強めたりチューニングできれば良いのだろうな。電機メーカーとかが、その辺は作ってくれそうだけど、お高いのだろうな。地下鉄車内をショールーム的に使って、「どうです?うちのエアコン気が利くでしょう。これ、我が社が作ってるんです」というのを乗客に体験してもらって…という取引で安くしてもらえないものか。

いろいろ震えながら考えているうちに降りる駅に着いて、腕のあたりをすりすりしながら表へ急ぐ。私はとりあえず長袖2枚で、巻き巻きものも携えて夏を過ごすことになりそう。知っているのだ、私の寒がりが極端だということ。

と、、この文章に意味などないのだけど。そういうものも、分をわきまえれば世の中には存在していいのだと思う。

2018-04-30

匂いが見つからない

4月はなんだか忙しく過ぎていった。気がつけばゴールデンウィーク突入。前半3連休は仕事と、その仕事を成し遂げるための知識インプットで過ぎていったのだけど(終わっていないけど)、今日の午後は「匂い」をつかまえに街へ出た。早々にボディシャンプーを買わなければならないのだ。

私は生活雑貨全般、ひとつ買ったら、ずっとそれを使い続けるタチで、いろいろ取り替えてみるという熱意なり探究心を持たない。シャンプーもコンディショナーも、歯磨き粉もハンドソープも、ティッシュもトイレットペーパーも、洗剤もお掃除クリーナーも、全部「前と同じもの」、あれば「つめかえ用」を何十年と買い続けている。

なんなら居酒屋のドリンクだって、最初に頼んだものをずっとおかわりし続けるのが常だし、水着もゴーグルもくたびれてくると同じものに買い替えたいと思う(が、モデルチェンジが激しくて、なかなか叶わない)。

そういう客の場合、「きちんと製造・流通・販売され続ける定番」を選んでおくと苦労がないわけだけど、そもそもその手のことに関心が低いからそういう客になっているわけで、検討に検討を重ねて最初の製品選びができているわけではない。

なんとなくそこにあって使い始めたものが、なんとなくそこにあり続けるから無くなっては買い替え続けて長いつきあいとなる。それが、あるとき急に店頭から消えてしまうと、私は浦島太郎のような気分で棚の前に立ち尽くす。

おおかた私の生活雑貨はライオンと花王によって支えられており、そちら方面は非常に安定しているのだけど、それ以外のメーカーのものとなると、製品生命はそれほど盤石ではない。

今回、それがボディシャンプーで起きてしまった。決して製品が販売中止になったわけではなく、製品ラインナップとしてはあるという。とはいえ、しばらく品切れが続いていて、本国から取り寄せられる時期に目処はたっていない。新宿店がダメで、丸の内店もダメ。となると(正規品としては)日本にはないそうで、次に入るのは秋頃になるか、もっと先になるかも読めないという。

そんなのありなのかと思うけれど、ないものは仕方がない。今後のことも考えると、これはもっと安定した製品への乗り換え時期が巡ってきたということだろうと思い、別の製品検討に入った。

とはいっても、どうしたらいいのか。前と限りなく同じ成分(香り)のものを探す方向か、それともせっかく7〜8年ぶり?に切り替え機会を得たのだし、歳も歳だし、ここでオーガニックとかなんとか健康配慮系に振りきったほうがいいのか。それとも流通の安定性を重視して、近所のドラッグストアで買えるのから選ぶのが得策か。はたまた基礎化粧品とか買っているところのにブランドをまとめるか。

シャンプーとコンディショナーは、10年前だか15年前だかに健康寄りの(ちょい高いけど、髪に良くなさげな添加物が入っていない系)に変えたんだよな。で結局、ずっとそれを使い続けている。となると、ここで選ぶボディシャンプーも、場合によっては60歳くらいまで使うのでは…とか。いや60歳で長年使い続けたものを変えようとは思わないだろうから、そうすると死ぬまでか…とか。さすがに毎日使って、それを何十年使い続けるとなると、自分の体に影響大きそうである。

でもなぁ、もうしばらくボディシャンプーは香りで選んでみようか、とも思う。どちらかというと、強く体にまとわりつくような香りをむしろ避けたいというところがあり、下手に変えて香りが気になると嫌だなぁという不安もある。そんなんで方向も定まらぬまま、ふらふらとネットをさまよい、しばらく情報収集。

まず現在地を確認しよう。自分はそもそも、今のボディシャンプーのどの成分の香りを気に入って使っていたのか。それが定かではない。調べてみると、そのボディシャンプーの香りは匂いの5種盛りみたいにブレンドされたものらしく、まずはそのどれが自分の好みなのかを知るところから始めてみようと思い至る。

それで、街に匂いをつかまえに行ったのだ。書かれている5種の名前を、別のブランドの店舗でかいでみるのだ。サボンとかロクシタンとか、ふだん行き慣れぬ、いい匂いのするお店やさんに入ると、店員さんが声をかけてくる。「何かお探しですか?」

「あの、匂いを探しているんですが…」と応える。それ系の専門店なのだから、そういう問い合わせは(私には非日常でも)このお店の人たちにとっては日常的にあるんだろうと思って口にしたのだけど、ちょっと不思議そうな視線を送られたので、さほど一般的な問い合わせではなかったのかもしれない。

ともあれ事情を説明して、あれこれ匂いを嗅がせてもらうも、どれも違う気がする。全然関係ないやつとかも、いろいろ紹介されてかいでみるも、うーん、うーん。ちょっと検討してみます…と、あっているのかどうなのか服屋を去るときと同じセリフを使って失礼。いい人生経験にはなったが、結局何も買わずじまい。

夜になっても、各所で手洗いしながら試したボディシャンプーの匂いが手からもくもくあがってきて気になる。こっちじゃないっぽい。じゃあ、どっちだ。手元のボディシャンプーは残り少ない。もうしばらく検討だ。

後日談(2018/5/3追記):
乗りかかった船とばかりに、今日は「香りのデパート」みたいなところに足を運び、10数種類のボディソープを手にとっては匂いを確認してみたのだけど、どれもピンとこず。というか、ほとんどは、うぉっと顔をしかめてしまった。
ここに来て、自分が好ましいと思う匂いは、ものすごく限られているのだということを知った。というか、今使っているのが唯一のよう。たぶん絶妙にブレンドされているってことなんだろうな。
で、どうするか。無臭の、基礎化粧品とか買っているところのブランドにまとめるか、今使っているのをAmazonで輸入代行業者から買うか、どっちかにしよう。

2018-03-31

「無料で読む」熟語

無料で読ませているんだけど「購読者」「購読ユーザー」と書いているメディアがあって、これは明らかに間違っているよなと思う。「購読」は「買って読む」ことを意味するので、無料メディアでは使わないよなと。

それはそれとして、じゃあ無料の読み物系メディアが、読んでくれている人をどう呼んだらいいんだろうと考えると、ちょうどいい言葉がぱっと出てこない。「読む」を熟語で言い表そうとして、真っ先に思い浮かぶのは、やはり「購読」であり、次が出てこない。読み物は売り物として普及したという背景によるものなのか。

これが動画だと、テレビのおかげか無料で観ることを前提とした「視聴者」という言葉がすっと出てくる。聴くコンテンツだと「聴取者」、というより「リスナー」という言葉が、ラジオのおかげですっかり定着している。これも無料前提。

Webサイトは「閲覧者」が一般的だけど、これがメルマガだったり、読み物系のニュースアプリともなると、基本的に「記事を読む」というスタンスなので、「閲覧」という言葉がフィット感を欠いてくる。

意味的にいい感じなのは「閲読(えつどく)」だと思っているのだけど、これはいまいち一般化していないのが難点。巷であまり聞かない。でも、読むを内包した感じが好ましい。そして、これなら無料メディアでも心置きなく使える。

ということで、今のところ私の中では、みんながもっと使うようにして、「閲読」という言葉をメジャーシーンに押し上げるのがいいんじゃないかと思っている。が、もうすでに別の言葉が普及しているのを私が取り逃がしているだけなのかもしれない。今一度、慎重にその辺の言葉に触れてみることにしよう。

いずれにせよ、「無料で読む」という体験が世の中に増え、一般化(大衆化)された言葉を欲している。これが時代の要請というやつか、などと思う。

追記:そっか。読者か。

2018-03-22

「Web担当者Forum」でキャリア話の連載開始

地味にも程がある…と写真見て思わず突っこんでしまいましたが、時すでに遅し。服装のことを一切気にかけず第1回の取材に赴いたため、都会の迷彩服か!みたいな装いになっていますが、まぁ平常運転…。何はともあれ「Web担当者Forum」での連載が始まりました。

「Web系キャリア探訪」というコーナーで、森田雄さんとともに、Web系の仕事に携わる方を訪ねて、その方のキャリアや、組織の人材育成をテーマにインタビュー、月1回ペースでお届けしてまいります。

第1回は「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

事業会社でWebマーケティングやネット戦略系のお仕事に携わっている方、あるいは専門家としてその手の領域を手がけられている皆さんに、自分のキャリアや、組織の人材育成を考える際にお役立ていただける情報や論点をネタ提供していけたらと思っています。

この手のことって、自分ひとりで考えるのがわりと難しく、限界あるテーマだと思っていて、他者や他社という比較対象をもって、照らしあわせることで見えてくる自分や自社の特徴や価値観、現状や課題の発見があれば嬉しいです。

で、やってみてまず思ったことは何かと言うと、人の話を聴くのはほんとうに楽しいなぁということ。その人が経験してきたこと、その過程で感じたこと、考えたこと、逡巡、今振り返って思うこと、最近考えていること、今後に思うこと、そうしたことをじっくりと、その人の選ぶ言葉で、表情で、声で、話を聴かせてもらうというのは、たいへん豊かな体験です。

クライアントやパートナーと打ち合わせで話し込んだ後にも、友人知人とひとしきりおしゃべりを楽しんだ後にもよく思うことなのだけど、今回縁あって、これまであまりおつきあいのなかった方面の方々の話を聴く機会に恵まれ、貴重な時間を過ごさせていただいています。

が、相変わらずインタビューは難しい。私は瞬発力が乏しいので、事前の準備を入念に…と思っていろいろ下準備はしていくのだけど、人のキャリアの話って、つまりは人生そのものの話なので、お話に引き込まれて、へぇ、ほぉと聴き入っていると、さらに周囲に頼りになる人がいると、舵取りがどんどん人任せになっていってしまう…。

今のところ、当初の懸念を上回るパフォーマンス不足をひしひし感じながらやっているのですが、下手に引き締めにかかってせっかくのお話に集中できなくなっては元も子もないので、まずはこのフォーメーションならではのトークを楽しみつつ、回を重ねながらゲストのお話を引き出すレベルアップを図っていけたらなと思っている次第です(甘いですか、ですよね…)。

第1回の記事内でも最後に書きましたが、今どきは一社の中でロールモデルを共有すれば事足りる世の中でもなく、Web界隈のように人材流動性が高い業界こそ率先して、キャリアや人材育成について、企業間をまたいだ情報共有を活発にして、刺激を交換しあえたらいいかなと思っています。また企業組織に属していない方にもお役立ていただける記事をお届けしていきたいと思っていますので、今後どうぞ、ごひいきに。

あと個人的には、仕事を面白いと思っている人の声が、もっとネット上に出回って、それが若い人にも届いたら嬉しいなと思っています。社会人が、皆いやいや仕事して、18時の終業を待っているばかりじゃないし、仕事と自分の関わりをこんな表情で話す大人もいるんだってことを、写真とあわせて記録し、届けられたら嬉しいなと。

2018-03-19

「その仕事は自分の成長につながらないのでやりません」考

一般のクライアントからいただく研修案件だと、Web系の学習テーマを扱うことが多いのだけど、自社やグループ会社、あと友人知人の会社からもらう相談は、キャリア形成や若手育成に関するテーマのほうが多い。

ということで、とある案件の下調べがてら、新卒社員の育成とかメンター方面の本を数冊買ってきて読んでいるのだけど、そのうちの一冊がリクルートコミュニケーションエンジニアリングの船戸孝重氏、徳山求大氏の共著本「折れない新人の育て方 自分で動ける人材をつくる」(ダイヤモンド社)。

で、そこに出てくる話で、これはワークショップなどの意見交換ネタにいいんじゃないかと目に止まったのが、帯にもなっているこれ

部下に仕事を頼んだら「嫌です。その仕事は自分の成長につながらないのでやりません」と返ってきました。どうする、なんて応える?

もちろん参加者をどう構成するかで、学びのほどは変わってくるんだけど、いろんな人の考えや仕事ぶりに触れられる問いかなぁと思う。酒の肴にして「自分だったら、どうします?」って話題にしてみるのも楽しそう。こういう意見交換で、淡々と神業を出してくる人っているしなぁ。

ちなみに、社内でワークショップ的にやってみようという場合は、自分のところの環境でありそうなシチュエーション、仕事内容を具体的に情報加えてお題を出すのをお勧めします(そういう前提情報がないと、深く思考を練ることができないので、なんとなくな考え方の交換に留まって中途半端に終わる可能性が高い)。

あと、そもそもそういう感じのことを言いそうな人は採用していないという会社は、もっと現実的に起こりそうなケースで意見交換したほうが有意義だと思う。

ちなみに、この本の中で紹介されたのは、こんなシチュエーションだ。

ある会社の営業セクションでのこと。営業部員の人事異動に伴い、顧客の担当替えが行われた。会議の席で、「Aさん、君はBさんから引き継いで、下期から大手のX社を担当してくれ。Bさんは新たにベンチャー系の中小企業を担当してほしい」と課長が指示した。すると、入社一年目のBさんは、「嫌です」と即答。課長が「何でだ?」と尋ねると、Bさんは悪びれることもなく答えた。「そのお客様を担当しても、私の成長につながらないからです」

これは実話で、当の上司は、あまりの驚きに声が出ず、二の句が継げなかったという。実際こういうシーンに突然直面した場合、すぐに気の利いた対応をするのは難しそうだ。

課長の立場で、人によってどんな展開が考えられるかなぁと、いろいろ考えてみた。

●絶句。静かに心のシャッターを下ろし、それ以降極力その人に関わらないようにして放置。頼みたかった仕事は別の人をアサイン
●激昂。怒りに身を任せて、つべこべ言わずにやれ!と怒鳴って従わせる
●情で押す。会社や世の中ってのはさ、自分がやりたくないことでもやらなきゃいけないこともあるしさ…と、会社や世の中を主語に説き伏せる
●論破。「おまえは自分の成長に何がつながって、何がつながらないかをすべて見通せているのか、じゃあ何はそれで何は一切成長につながらないか説明せよ、そう考える根拠も説明せよ」と理攻め・質問攻め。相手の死角や非合理的な信念をつき、息の根をとめる…
●淡々と事を進める。「じゃあ、やらなくてもいいから代案をくれるかな。この仕事を誰かがやらないと、うちもX社も困るのはわかるね。じゃあそれ、君じゃない誰がやるべきで、その根拠は何か、その人の了解と私の納得を得られるように論理立てて説明してくれるかな」など

自分がその人のメンターなりカウンセラーだったらどう関わるか考えてみると、やはりこの人の「成長志向」に機会を見出すのがいいか。そこに軸をたてて、まずはその人にとっての成長イメージを具体的に理解することに努め、そこから今回の仕事と、その成長イメージとの関連性を見いだして具体的に提示してあげられればベスト。

どうにもつながらなかった場合、それまでに聴かせてもらった話から他の機会を見出して、「この仕事を引き受ける」ことに「自分の成長につながらない無駄な仕事」以外の、どんなプラスの解釈がありうるかを一緒に考えて、思考を広げていく感じになるか。

(1)あなたは、どんな成長を希望しているのか
(2)どういう仕事だと、その成長につながって、どういう仕事だとつながらないと思うのか
(3)私は、あなたの望む成長に、今回の仕事経験がこういうふうに意味をもつと思うけど、それについてはどう思うか
(4)今は欲していないけど、経験を通じて得られれば、後から振り返って「やって良かった」と思えるタイプの成長もあるだろうし、あなたが今計画している成長ゴールと、その道筋だけにがんじがらめになるのはもったいないような気がするけど、それについてはどう思うか。そのゴールを急ぐ、あるいは経験の取捨選択にこだわる理由が何かあるのか

みたいな話をじっくり話しあってみて、一緒に考えの道筋を探っていく時間が大事な気がする。正解はない前提で。と、まぁいろいろ考えてみたけど、なかなか興味深い問いなので、とりあえず酒の肴にして話を聴いてみよう。

2018-03-14

100の事例解説より、自分で事例研究へ

法人向けに研修プログラムを作って提供する仕事をしていると、「事例解説」を求められることが多い。先方ご担当者から「事例をふんだんに入れてほしい」と求められることもあるし、受講者にとるアンケートでも「事例がたくさんあって分かりやすかった」という感想コメントは定番だ。

事例解説というのは、たしかに有効なアプローチだ。新しい概念や方法論の説明って、ただ聴いただけでは、なかなかぴんと来ないもの。事例解説を加えると、それを現場でどう使うのか、どう組み込むと効果的なのか、どういうドキュメント&コミュニケーションで周囲を動かすのか、どういう所がはまりポイントなのか、どういうリスクヘッジや根回しが必要になるかなど、文脈にそって具体的なイメージをもてる。

概念説明だけでは取りこぼしてしまう"痒いところ”を、ストーリーに織り込みながら解説できるので、聴き手は自分の持ち場に取り入れやすくなるし、新しい概念それ自体の理解も深まる効果が期待できる。もちろん話し手がそういう話し方をすれば、という条件つきだけど。

優れた事例解説には、事例解説ならではの学びがきちんと埋め込まれている。一件の事例から、あるいは複数の事例を横に並べて、熟達者はこういう観点をこんなふうに解釈して、再現性あるノウハウをこんなふうにストックしていくのか、という思考プロセスを学べるように話す。逆に、一事例から下手に拡大解釈して他にそのまま適用することがないようにも、注意を払って解説をする。そういう事例解説は、何か新しいことを学びはじめたとき概念説明と一緒に聴いておけると、知識基盤を固めやすく、その後も能率よく知識をアップデートしていける。

と、私は事例解説というアプローチに、それならではの価値を感じている。のだけど、数を聞いたら聞いただけ身になるというものでもない、とも思っている。

知識基盤を作ったら、あとその上にトンテンカントンテンカン更なる知識ノウハウを積み上げていくのは、自分の仕事にしたほうがいいのではないか。つまり、その後も延々と事例解説を他者に(だけ)求めるのではなく、自分で(も)事例を世の中から収集し、分析し、そこから学べるポイントを抽出し、応用できる状態でストックしていくように切り替えたほうが、スムーズに血肉化するのではないかと思う。

というわけで最近「事例を前年よりさらに多く」と求められた案件では、100の事例解説より自分で事例研究を!として、受講者が自分で事例を集めて、自分で分析して、自分で他のメンバーに解説し、事例研究を交換しあうミニ演習を、提案に盛り込んだ。

ワークシートを配って、そこを埋めてきてもらう形なら、そのシートの構成次第で難易度や所要時間はチューニングできる。受講者のレベル感や時間枠に合わせてどうワークシートを作り込めるかは、こちらの腕の見せ所だ(これがテキトウだと効果は見込めなかったりする)。

宿題で、ちょっと事例を持ってきてもらって、次の回にグループごとに事例を解説しあってもらえば、事例とそのポイントを自分で説明する訓練にもなるし、「どこどこ社も、こういうふうに取り入れて、こんな反響が得られているんですよ」などと話せるようになれば、明日からのちょっとした営業トークにも取り入れられるかもしれない。

事例解説を欲しがる人から、事例解説を与える人、ネタを持ち寄って交換しあう人間関係に変わる。そういう研修プログラムを提供したい、そう思った。実務家には、現場から持続的に学び続ける能力が必要だと思うし、そういう能力獲得を後押しする支援をしていきたい。

もちろん、数十分のセミナー時間枠で、そのテーマを一から説明する必要がある対象者なのに、ただインタラクティブで盛り上がるからという理由でワークショップ形式を持ち込み、解説もそこそこに事例研究をやらせるのは違うと思う。でも、一定の時間枠を確保できて、自由に研修をデザインできるなら、事例解説だけでなく、「事例から何をどう学ぶかポイント解説→事例研究の演習」を組み込んでみるといいんじゃないか。

「お客さんの要望をそのまま形にするのではなく、背景にある潜在的ニーズを読み取って提案するのだ」とはよく言うけれど、お客さんからオリエンを受けたとき、「事例解説を厚くしてください」ってわかりやすい要望を出されると、そのまま「事例解説を厚くします」って、要望に応えそうになる。素直さとも言えるが、思考停止とも言える。

それでほんとに、より高い効果が見込めるか、いやぁ、違和感あるなぁと思ったら、その違和感を大事にしたい。きちんと違和感に気づいて、そのもとをたどって言葉にして、どうだったらいいのか考えて、そっちのアプローチも作って提案する。そんなふうに、本当に意味がある、現場パフォーマンスを変える学習経験って何だろうっていうのを練って提案するのを当たり前の感覚として研ぎ澄ましていきたいと思った最近の一件。

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