2019-01-05

家族の当たり前と非日常

この年末年始は妹も帰省したので、家族みんなで会えて嬉しかった。大晦日は父と妹と私そろって近所のスーパーで買い物をして、家に帰って年越しそばを食べ、父が寝ている横でNHKの紅白歌合戦を妹と観た。松任谷由実が出て、サザン・オールスターズが出た。ユーミンと桑田さんが、一画面にドアップで一緒に歌って踊って胸騒いで腰ついて笑っていた。平成30年が暮れた。

元旦は3人で近所のスーパー銭湯に行った後、母のお墓まいりへ。今回はお正月なので松を選んだのだけど、花筒にさすと、ひときわ凛として美しく華やかだった。

その後はお刺身やらお寿司やらスーパーで買い物して家に帰り、お昼すぎに兄一家を迎えた。居間と食卓をかねた広間に7人。奥の間で、母の写真がこちらを向いて笑っていて8人。集合写真を撮った。

甥っ子たちが年々大きくなっていくので、おせちもお刺身もお寿司もお雑煮も、どんどんなくなっていく。頼もしい。彼らが持参したお年賀の、どら焼きもみかんももぐもぐ甥っ子らの胃袋へ。持ち込んだものも結局全部持ち帰ってもらうので、「お年賀には自分が食べたいものをもってくるといいよ」と甥っ子らにアドバイス。2段重に減らしたおせち料理も、来年は3段重に戻してもいいかもしれない。

日が暮れだした頃、兄一家は義姉のほうの実家へ移動。私たち3人は、母の姉夫婦の家に挨拶に行く。父と私は、暮れに亡くなった祖母の葬儀で12月にも会っていたけれど、妹は数年ぶり。再会できて良かった。

そこで伯母から、祖母の遺産相続の話があった。うちは母(祖母の末娘)が亡くなっているので、相続権が私たち孫3人に移っていると言う。即答で、妹も私も辞退を表明。当たり前、という共通の感覚。家族だな、と思う。

翌日の1月2日は、恒例の成田山新勝寺へ3人で出かける。妹が帰省すると、車で連れて行ってくれるのでありがたい。朝早めに出たので、渋滞に巻き込まれることもなく、参道で牛歩することもなく、かなりスムーズに参拝できた。

それにしても朝8時、近所のパン屋でカツサンドやらカレーパンやら食べて出かけて、スムーズな参拝の後、10時半すぎには特上のうな重を食べられる父と妹の胃袋ってどれだけ活動的なのか。感心して2人が頬張るのを眺めつつ、私はお茶をすすってのんびりする。

さらに父と妹は、帰りの車の中で食べる甘栗を参道で買っていた。「これは助手席の人がむいて、運転手に渡すんである」と父が言うので、助手席の私はせっせと甘栗をむいては妹に手渡す。まさに助手。

それにしても、家族と恒例行事をするっていう当たり前は、なんだかすごく心地いい。家族と過ごすというのが非日常になって久しいけれど、それだけに味わい深い年末年始、歳を重ねるごと大事に感じられる。

2019-01-03

陸と海の境い目

波打ちぎわに行くと、陸と海の境い目はずっと揺らいでいる。波が寄せれば、そこは海となり、波が引けば、そこは陸となる。

ものの定義をたどれば、そんなことはないのかもしれない。0.0001秒ずつの変化をとらえれば、境い目は変化しながらも常にあり続けているし明解であると言えるのかもしれない。

でも、概念として常に明解に分けられるかどうかより、そこにあり続ける揺らぎのほう、明解に分かちがたいリアルワールドに目を向けたい。

そう思うのは、概念的に頭の中で考えて同定したり結論を出してしまいそうな危うさを恐れてのことかもしれない。

現実は、頭の中で思いえがく概念世界よりもっと境い目が曖昧で、ぐちゃぐちゃで、その時々で変化してってものなのに、概念世界だけにとどまって思案していると、そのことがわからなくなってしまう。

一方で、リアルワールドに直接触れてみれば人は一瞬にして理解することができるし、自然界は有無を言わさず人に飲み込ませる力をもつ。この世界の混沌を、この世界に概念上の矛盾があまた存在するという常識を。

というか、そもそも混沌とした世界への理解を進めたいがために、人が便宜的にあれやこれやに名前/言葉を与えてしゃべり出しただけで、リアルワールドは今も昔もぐちゃくちゃの混沌に変わりない。

自然界が創造した人の心も、混沌としていて矛盾に満ちている。相反する気持ちを両方とも内包している上、名前のつけられないどっちつかずのもやもやがまとわりついていて、一言ではこう思っている、こう考えていると言い切れないことが、いくらでもある。

一言考えを述べれば「でも反面、こういう気持ちもあって…」と、後追いで言葉を添えたくなる。そういうことは別に珍しいことじゃない。人の心とは、そういうものだと思っている。

やわらかい気持ちと、かたい気持ち。気高さと低俗さ。公平と差別意識。はねつけたい気持ちと、受け入れたい気持ち。ここを発とうとする気持ち、ここに留まろうとする気持ち。挑戦心と恐怖心。人なつこい気持ち、人を遠のけたい気持ち。

いつも揺らぎの中にあって、意思や運や縁や、ちょっとしたきっかけでもって、私たちはあたかもどちらかを自ら選んで意思決定したかのようにみえる外見上の変化を遂げたりもするけれど、変化の前も後も、変化のない日々も、内側には混沌とした気持ちがごちゃまぜにあって、いつもそれを一つの体の中に入れている。

意識できているものもあれば、無意識に潜んでいるものもあって、すがすがしい気持ちで丸ごと受け入れられることもあれば、一体の中に抱え込むのは到底無理ということもある。

概念世界のようにはなかなか、きれいに整理整頓や取捨選択ができないリアルワールドで、その混沌を、矛盾を、大事にみていきたい。ないものとして済まさないで、落ち着かないからと見て見ぬふりをしないで、「あって当然」と正面から受けとめて、両手を広げて受けいれて、今年はとりわけ人の心の揺るぎや多面性を丁寧にみて、大事に関わっていきたいと思う。そんな一年の始まり。本年もおつきあいのほど、どうぞよろしくお願いします。

2018-12-30

仕事納めつつ来年の風をよむ

今年の年末はギリギリまで通常業務だった。年によっては、仕事納めの日は一年を振り返り、お世話になった方々にメールをしたためるなんてこともあるのだけど、今年はそうした余裕がなくて、あれこれ案件にあたっているうちに年内最終日が終わった。

仕事納めの今週、火曜日は今年最後の研修提供日があり客先へ。本番を終えた後は、その日のうちにアンケートを読み込んでレビューしてレポート作ってクライアントに報告して講師の検収して売上計上しての諸々手続き。

翌日の水曜日は、先週引き合いいただいた新規クライアントの訪問。ここのお客さんは、なんとご指名。勤め先のコーポレートサイトの問い合わせフォームから、私の名前を出して問い合わせをくれたのだ。通常、サイトからのお問い合わせは「こういう研修をしたいのだが」といった相談が多く、ご指名なんてめったにないこと。会社の誰も無反応だったけど…笑、ひとりでひっそり感激した。

で即レスしたら、すぐ会えることに。訪問した際のやりとりで期待に応えられたかはわからないけれど、あれこれ聴いたり話したりして帰ってきたら、その日のうちに、段階的にこういう形で関わってほしいという旨ご連絡くださり、その場合の見積もりを求められた。

私も即日にお返ししたいと思い、ひと通りの概算見積もりを試算して速攻で返信したら、第一弾の案件が来月実現と相成った。展開が早い。

一気に契約やら受発注の書類の手配が必要になり、バタバタと作成してはハンコもらって提出して。

嬉しい、と同時に気も引き締まる。この第一弾って、試されてるんだろうなぁとも思うし、期待に応えられるだろうかという思いも去来するけれど、結論、期待に応えられるように頑張るのみだ。

年末になっていきなり浮上したその案件は、私が普段おもに手がけているデジタルマーケティング領域の実務研修(の裏方)ではなく、その人たちのキャリア開発支援をテーマとする仕事で、裏方もあれば、表方に立つ役割も含む。

「人のキャリアを支援する」というのは常に私の中で、自分の仕事の中枢においているテーマだし、実務研修の裏方仕事も、その一環ととらえて個人的にはやっているんだけど、ど真ん中のキャリア開発支援を案件としていただくのは稀なこと。

今回いただいた案件も、私の仕事の出来次第では、発展的にサポート領域を広げていけそうなので、来年はそちら方面の仕事を厚くしていくって流れにあるのかもなぁと、風まかせに思う年末だ。

また、こうして外部委託を含まず、自分単体で受託してクライアントと二人三脚、そうやって成立する仕事領域も来年は、もう1つ2つ増やしていけるとバランスいいなぁとも思う。

「こだわり」は、わりと勝手に発動されるから自分の無意識に預けておくとして、自分のやり方、役割、活動範囲を変えていったらいいところは、意識的に開放していきたい。

そんなこんな年末に振り返れるのも頑張ろうって思えるのも、ほんと出会い関わりをもってくれる方々のおかげ。感謝して、来年も自分の仕事を大切にしていきたい。

2018-12-22

親戚に送る喪中はがきの文面

祖母が亡くなったのが12月も半ばで、ちょうどその一週間ほど前に、父の年賀状を手配したばかりだったので、こりゃいかんと郵便局に急いで「待った!」をかけた。

父の年賀状は「郵便局の総合印刷サービス」というのを使っていて、印刷から投函まで一通りネットで手配して、向こうでやってくれるのだけど、Webサイト上でみるかぎり、「キャンセルは申込みから1時間以内」としか書いていない。

もはや止められないのか…とあきらめかけるも、わりとでかでかとウェルカム風に「インターネット専用お問い合わせ先」が案内されていたので電話をかけてみると、すんなりキャンセルしてくれた。電話客とネット客で、受けられるサービスに違いがあるのかぁなどとも思ったのだけど、電話かけてみるものだな。今や電話というのは「押しの一手」手法とも思える。

さて、年賀状をキャンセルした後は、同じサービス、同じ送り先で、喪中はがきの手配をしなくては。しかし、ちょっと待てよ。父方の親戚筋と、親戚以外の皆さんには一日も早く喪中はがきを送らないといけないが、一方で母方の親戚筋には、祖母の初七日も過ぎないうちから喪中はがきが届いては、ちょっと手際がよすぎやしないか、配慮に欠けるよな…。

ということで、前者は早々に送る手配をし、後者は1週間待って、初七日を過ぎてから送る手はずを整えることにした。父にその旨伝えると、「おまえ、芸が細かいねぇ」と笑う。いや、お父さん、これは芸じゃなくて気遣い、心遣いです。

誤って送っちゃいけないと思い、「○○さんは何系の人?」と、よくわからない人名をリストアップして一人ずつ電話で確認をとり、「あー、それは会社の同僚でさー」とか「そいつは部下だったやつ」とかやりとりしながら情報整理。一通りの分類を終えて、第一弾の喪中はがきの印刷・投函手続きをした。

告別式を終えた週末には第二弾、母方の親戚筋に喪中はがきの手配をする。ここで迷ったのが、喪中はがきの文面だ。父の立場からすると、私の祖母は「丈母」(妻の母)という続柄となる。喪中はがきを送る先は、喪主だったり、もっと祖母と近しい関係の人たちだったりで、葬儀でも顔を合わせている面々だ。

喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます
丈母○○○○が○月○日に九十九歳で永眠いたしました

までは、上のサービスでは文面固定なので変更はきかない。呼び捨てなのも仕方ないとして、その後に続ける文章は相手に合わせたい。が、いまいちしっくりいく文面が「喪中はがき」のテンプレートにないのだった。

同一人物の他界で喪中にある親戚にあてた文面というのは、郵便局も想定していないようだし、ネットで調べてもなかなか文例に行き当たらない。仕方ないので、いくつか文例を参考にさせてもらった上で、お手製で次の文面にした。

皆さまにおかれましては静かにご越年のことと存じます
向寒の折くれぐれもお体を大切にお過ごしください

ちなみに第一弾で、父方の親戚筋、親戚以外に送った文面はこちら。

新年のご祝詞を申し上げるべきでございますが
喪中につき勝手ながら欠礼させていただきます
明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます

同一人物の他界で喪中となる親戚同士の喪中はがきの文面というのも、ネット上で共有知をもてるといいのでは、と思った次第で、簡単にメモを残しておく。これが適切だというわけでは全くないけれど…。

ちなみに、喪中はがきの文面には句読点はいれない&近況報告は入れないこと。あくまで、喪中のため新年の挨拶を控えさせていただくことを告げるのが趣旨である、とのこと。

2018-12-21

「Web系キャリア探訪」第8回、転職から1ヶ月は地図をつくる

インタビューを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第8回が公開されました。今回は、セールスフォース・ドットコムのエバンジェリスト熊村剛輔さんを取材。

44歳、転職は10社目。サックスプロ奏者からIT業界へ転身した男の人生

「転職先では、まず地図をつくる」って、概念的だけど分かりやすい、いい表現ですよね。自分で、自分の居場所を作るのって大切。1ヶ月って期間を設定しているのも、なるほど!というか、さすが「プロ転職家」。

新卒社員として同期と一斉に入社した場合は、ある程度お膳立てされて段階的に居場所や役割を与えてもらえるかもしれないけれど、転職した場合や、新卒でも一人でポンと入った場合は、自分で立ち回って、いろんな人にコミュニケーションをとりにいって、まずはその世界の地図をつくるのが大事。

「地図をつくる」のって、ただ静かに様子をうかがって観察した結果をマップに描き起こすだけじゃなくて、自分のこれからの人間関係を作っていく極めてアクティブな活動を内包しているところが見逃せないポイントだと思う。

そうした地図づくりから、職種や階級などの組織に与えられた役割にかぎらず、個人としてここでどう役立てそうかを自分で模索したり開拓していく能動性が、転職には欠かせないと思う。

また、そうやって手探りで自分の役割をたぐりよせていく自律的なキャリア形成が、21世紀の標準的なスタンスになっていくとも思っている。

私は(ほぼ)最初の転職のとき、これができなくって苦労した。もう20年近く前のことだけど、前の会社を辞める決断をして送り出されるとき、お世話になった人たちから「あなたならどこにいっても大丈夫よ」なんて言われて、自分も新しい環境への順応性は高いほうじゃないかと、どこか高をくくっていたのかもしれない。

自分で自分の役割をつかんでいく意識、自分の使いものにならなさ加減を直視して不足分を恥さらして身につけていく根性が希薄だった。これで転職してから半年くらいは、夜中だけ出てくる蕁麻疹に苦労した。

今振り返れば、20代のうちに谷に落ちておいて軽傷で済んで良かったなぁと思う。あぁそうか、自分で自分の役割や居場所って作っていくんだって大きな学びを得られて、その先の転職時に蕁麻疹が出ることはなく、自分で自分の働きどころを形作っていったり、自分の不足するところを正面から受け止めるスタンスが前提になった。

さて、本編の話。「エバンジェリスト」なんていうと、自分のキャリアとは結びつかないかなぁという印象をもつ方が大半かもしれませんが、熊村さんの転職歴は、なんと10社。ベンダー側と事業会社側、いずれの立場でも複数の企業を経験されているので、いろんな方に、自分のキャリアとの共通項を見いだせる部分はあるかな、とも思います。

また、居場所を変えているからこそ見えてくる熊村さんの首尾一貫した仕事への向き合い方には、刺激をもらったり共感するところも、いろいろあるかもしれません。

一人の人間の人生である以上、それがどんなに変化に富んだものでも「1本のシナリオ」にまとめられうるものだと私は思っていて、それぞれにどんな意味をもたせ、前の経験と後の経験にどんな関係性を見出すかも、本人次第。

意味づけは自在であり、また自分次第であり、自分の意味づけにこそ意味がある、とも思う。だから、一つひとつの経験を編みこんでいって、そこに自分にとっての価値を実感できることが、きっと何より大事なことなんだと思う。

熊村さんは、自分が何を大事にしてどこでどう働くのかに自覚的で、丁寧に言葉に起こしてその辺りをお話しくださっているので、自分のキャリアの解釈を広げてみるのに良い刺激をもらえるかも。ご興味ございましたら、ぜひご一読くださいませ。

2018-12-18

読書メモ:「Design Systems - デジタルプロダクトのためのデザインシステム実践ガイド」

元上司でボーンデジタル編集者のおかもとさんから、新刊「Design Systems - デジタルプロダクトのためのデザインシステム実践ガイド」(*)をご恵贈いただいた。

Webデザイナーは、「モジュール型でパターン主導のデザイン」を取り入れ始めている。というのは肌感でもわかるところ。利用者視点でみても、パターン化されていて使い勝手がいいWebサイトが多くなっていると思うし、Webデザイナーの周辺で働く身としても、デザインガイドライン、パターンランゲージ、パターンライブラリ、スタイルガイドといった言葉はよく見聞きするようになった。

これにはちゃんとした理由があって、近年のWebはユーザーの画面・デバイス・地域の別を問わず、より多くの人々に、さまざまな環境から利用できる提供の仕方を求められているから。

提供する情報・機能だって、日々の連絡、情報収集や意見交換、調べ物や記録、買い物、役所手続き、ラジオや映画など、もはや日常生活に不可欠なインフラだから、「こういう条件を満たさないと使えません」なんて言っている場合ではない。

紙のチラシやパンフレットの置き換えとして“静的なページ”をデザインする移行期は、とうに終わりを告げたのだ。

というわけで、いろんな人・環境・利用シーンにあわせて自在に組みかえられるよう、再利用可能な細かいモジュールに分割して、パターンを利用し、柔軟&迅速にプロダクト・機能・インターフェースを構築する必要が出てきた。

そのパターンには2つあって、この本では「機能パターン」と「認知パターン」に分けて解説している。

●機能パターン
行動に関連するもの。インターフェースを構成する具体的な要素のこと。ボタン、ヘッダー、フォーム要素、メニューなど、実体のあるインターフェースの部品モジュール。これが一貫したデザインで作られていないと、使う側は大変な困難を強いられる。

●認知パターン
ブランドや外観に関連するもの。プロダクトの個性を視覚的に表現するエモーショナルな外観のこと。口調、タイポグラフィ、色の選択、アイコンのスタイル、余白、レイアウト、形状、インタラクション、アニメーション、サウンドなど。こっちはこっちで、抽象的ではあるものの、無意識的にユーザーが大いなる影響を受けているもの。

機能パターンは名詞や動詞に似ていて、認知パターンは形容詞に近い。あるいは、前者は常にHTMLベースで実装し、後者の多くはCSSプロパティで実装するという分け方も、わかりやすい説明だ。

2つのパターンは、連携してプロダクトのインターフェースを作っており、その大元締め「デザインの原則」に基づいて展開されるもの。

この本では前半で、「プロダクトの目的とエートス(価値)の明確化→デザイン原則の定義→原則からパターンへの落とし込み(機能パターンと認知パターンの定義)→チームでの言語の共有」といった流れで、基礎編を構成している。

じゃあ後半は…というと「応用編」は、監訳者の佐藤伸哉さんが前書きで「デザインシステムとは、単にデザインガイドラインを作ることではなく、むしろ組織論や運用論です」と記している、ここかなと。

デザインシステムを組織で確立・維持していく上では、作って納品して終わりでは済まされない。サイトを公開した当初はデザインの一貫性があったが、時間経過とともに崩れていってしまって今や見るにたえない状況…といった話はよく聞くけれど。

一旦公開した後、品質維持できるかどうかは相手次第というのではなく、最初から「長持ちする」ように作るの含めて作り手の手腕ととらえて、「長く一貫性を保てて、それでいて拡張性があるデジタルプロダクトをどう構築するか」という高みを目指すのに良書ではないかと思った。

対象読者は、「デザインシステム思考を組織の文化に組み入れることを目指している、小中規模のプロダクトチーム」、特にお薦めしたいのは「ビジュアルおよびインタラクションデザイナー、UX実務者、フロントエンド開発者」とのこと。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください。って、まだ読み始めなんだけど…、ご紹介まで。

おかもとさんがnoteに「Design Systems日本語版の作りかけ断片集」を公開しているので、ご興味ある方は、こちらもどうぞ。

*:著者はアラ・コルマトヴァ氏。原著は「Design Sytem - A practical guide to creating design languages for digital products」(Smashing Magazine刊)

2018-12-16

祖母が99歳の生涯を終える

おばあちゃんが亡くなった。母方の、私の祖母だ。数日前に、満99歳になったところだった。大正、昭和、平成ときて、あと少しで、もう一つの元号を経験するところだったけれど。99年、生きたのだ。ここ数年、健康状態は落ち着いているようだったから、老衰ということになるだろうか。

母が亡くなったのが59歳だから、祖母は母より40年長い人生を生きた。人の一生って、99年もあれば、59年の人生もある。40年て、すごいよな。私の人生が、ほぼまるまる入ってしまう。祖母には人のおばあちゃんになってからの人生が40数年もあったのだ。母がおばあちゃんとして生きたのは5〜6年ほどだろうか。

祖母はひいおばあちゃんとして10数年、おばあちゃんとして40数年、私の母親を含む女の子3人の母として70数年、そのずっと前から続く人生が99年。大正時代から毎日が続いていたのだ。

そんな通りいっぺんの区切り方と別に、祖母には本人ならではの、自分の人生のくくり方というのがあるのだろう。とりわけ、どのへんの時代を懐かしく思い出すのか、そんなことはまったく想像つかないほど、たいしたおしゃべりもせずに見送ってしまったけれど、身内というのはそういうものかもなぁという気もする。

私たち一家は、祖母の家の近くに住んでいたので、子どもの頃はよく、祖父母と、母の姉一家が住む家に顔を出していた。私たちは、いとこらと一緒に遊んで過ごした。けれど私は人見知りで、さほど打ち解けていなかったので、なんとなく週末連れていかれては数時間をそこで過ごすという感覚だった。

「おばあちゃんこ」というには程遠い。おばあちゃんにしても、私に対して特別な印象はもっていなかったように思うけれど、「末娘の長女」ということでは気にかけてくれていたという感じか。成人式には着物を用意してくれて、それを着て挨拶に行ったときは喜んでくれていた気がする。

そんな孫の目線から今「おばあちゃんとの思い出」を振り返ると、やっぱり一番印象深く思い出されるのは、母がなくなる数日前におばあちゃんが病院にやってきて、親子対面したシーンだ。

母の姉が、おばあちゃんを施設から病院へ連れてきてくれて、私は病室の外でおばあちゃんを出迎えると、車いすを押して、母のもとへ連れていった。だから私の視界にあったのは、ずっとおばあちゃんの後ろ姿だ。ベッドの上でおばあちゃんを迎える母の表情と、おばあちゃんの小さな背中が、光景としてやきついている。

おばあちゃんは、母が余命わずかということを知らなかったけれど、病院のベッドで病いを患っている様子をみるや、車椅子から起ち上がって「かわいそうに」「どこが痛いの」と母に近づき、手をとって優しくさすった。泣いていた。

当時書きとめた話「おばあちゃんが来た」を読むと、目頭が熱くなってしまう。何を言っていたか、何を感じたか、書きとめておいてよかったな、と思う。

祖母と最期に会ったのは、1〜2年前の年末年始に帰省したときだ。実家から車で数十分のところにある老介護施設に、父と伯母(母の姉)夫婦と一緒に挨拶に行った。その日は機嫌も良かったらしく、私たちを笑顔で迎えてくれたが、私のことは誰だかわからない様子だった。体は一回りちっちゃくなった感じで、手をとってしばらくさすっていたのだけど、家事をしなくなった手はすべすべしていて、あったかかった。

あの穏やかな体調のまま安らかに眠りにつけたのであれば、大往生ということになるだろうか。でも、もう何年も施設暮らしだったのは、もの足りなかったかな。できるだけ頭も体も心も健康に歳をとっていきたいと思う。祖母も、母も、身をもって私に生と死を教えて、この世を去っていった。私は彼女のつくりだした自分の生を、私なりに生きるしかない。この世界に母を、私を送り出してくれて、ありがとうございます。

2018-12-13

家族で長崎旅行

11月下旬の3連休は、父と妹を誘って長崎を旅した。父と一緒に飛行機に乗って羽田から長崎まで行って、九州に住む妹と長崎空港でおちあい、3人で長崎を旅する計画。と、ここまでは前に書いた。大切な思い出になったので、人の役に立つ旅行記にはならないが、この記憶を書きとめておきたい。

初日。仕事が、旅行計画段階では予期していなかった切迫した状態で連休突入となり、ぐぬぬぬ…という感じだったのだけど、自分が東京にいればなんとかなるというわけでもない「待ち」状態がほとんどだったので、そわそわする気持ちをなだめて日中はひとまず、家族と過ごす時間を大切にする。

行きの飛行機、父が少し前のめりになって小窓から景色を望む横顔をみて、あぁやっぱり旅を計画して良かったと心から自分を許す。3年前、同じように父と一緒に九州の妹のところに会いに行って3人で旅行したのだけど、その帰りみち、羽田からのモノレールに乗っているときに父が、「飛行機旅行はなかなかもう一人じゃできないものなぁ」というようなことを言っていたので、また近いうちに妹のところへ一緒に行く計画を立てようと思っていたのだけど、あっという間に3年経過…。これは2018年のうちにやるっきゃない!と一念発起して実行に移したのだった。

2時間のフライトは、富士山が見える席と逆だったものの、よいお天気だったので、日本列島の初冬の山々を眼下に楽しめた。

途中、父がCAさんに「この飛行機は今、どれくらいの高度で飛んでるの?」と、試験問題のような質問をした。CAさんが「○○フィートです」と答えるまでは良かったが、父が「何メートル?」と聞き返すと、CAさん側の空気がかたまった。

そういうのってなにげに、新人さんほど答えられて、ベテランほど答えられない質問なんじゃ…と、父の隣りで通路側に座る私は恐る恐るCAさんの顔を見上げた。ベテランふうじゃないの…。

ペアを組んでいる向かいのCAさんに「1フィートって何メートルでしたっけ」と小声で聞いているのが耳に届く。ごにょごにょ相談して何かしらの計算をしたらしく、「4千メートルくらいですね、富士山のちょっと上くらいを飛んでいます」って答えが返ってきた。

父は「あ、そう」と返す。え?その計算あってる?富士山のちょっと上くらいって飛んでいいのか?と思いつつ、静かにCAさんを見送る。

一呼吸おいて、「計算まちがってない?富士山のすぐ上すぎない?」と父にこそこそ話しかけると、「年寄りの質問なんてテキトーに返されるんだよ」と、でかい声で言うので、いかん、ここはもう掘り下げるとこじゃないと撤収。

後で調べてみると、普通は飛行機って高度1万メートルくらいを飛んでいるとか。4千メートルはさすがに、CAさんの計算間違えだったのではないか。酷な質問であった…。が、別に父もいじめたくてそんな質問したわけじゃない。素でそういうことが気になる人なのだ、という気がする。私はそんな質問、ひとりじゃしないので面白いなと思う。

さて長崎に着くと、空港を出たところに妹が車で乗りつけて待っていてくれた。長崎空港は海にぽっかり浮かぶようにしてあるので、そこから橋を渡って、すぐの大村市でお魚料理を食した。到着が14時頃、晩は宿で夕食をとる予定だったので、軽く…と言いながら、あれこれ注文。

言わんこっちゃないと思うのだけど、妹がうなぎの骨をのどにつまらせて、しばらく辛そうにしていた。あんな涙目で苦しむリスクを負ってまで、人はなぜうなぎを食べるのか。うなぎが偉大なことは、認めざるをえない。

そこから雲仙温泉まで、2時間ほどのドライブ。妹が運転手、父は後部座席を希望するので、私は助手席に。3人で車に乗るときは、これが定位置。宿に着く頃には日が暮れていた。部屋からは海が一望できた。

二人をお風呂に送り出し、私はこそこそ仕事。その後、部屋に用意してくれたそこそこの夕食を楽しむ。わが家族は寝静まるのが早いので、晩はこつこつ仕事。0時前には就寝。

朝までに途中なんどか目が覚める。はじめは高い空にあった月が、目を開くたびに海に近づいていく。日の入りは見逃したけれど、月の入りはこの部屋から楽しめそうだと思う。

そうして、ちょこちょこ目を覚ましては、月がその位置とともに表情を変えていくのを眺めた。闇夜に浮かぶ月の存在は大きい。海は、夜空の主役をたてるようにして、光の線を海面に走らせていた。

朝に近づくにつれ、月の放つ光は薄白く控えめになっていく。地球の表面に近づくほど月は大きくなって、鷹揚さが増してくる。最後は見えるか見えないか、ぎりぎりまで薄まって空の色と見分けがつかなくなって、こちらに気づかれぬようにひっそり姿を消した。毎朝こうして力強さを手放し、おおらかに消えていっているのか。

2日目は、雲仙普賢岳に行って、寒い寒い言いながら、すばらしい景色をたのしむ。ここまで景色が良かったら、もうロープウェイであそこまで登らなくても十分だよね、寒いしね、お金もかかるし…ということになって、ロープウェイ乗り場で十分満足して山を下った。安上がり一家。あと雲仙地獄なる湯気で一帯もくもくしたところを観光したりした後、長崎市街にドライブ。

ランチは「二見」という料亭へ。長崎に住むグルメな方に旅行の話をしたら、「ここに行くといいよ」と薦めてくださったお店。女将さんによれば、小泉元首相も何度か足を運んでいるとか。大きな生簀(いけす)があって、そこも見学させてくれ、これが真鯛で、これが鰻でと、いろいろ紹介してくださった。

お部屋に入ると、旅館の客室みたいになっていて、窓の外には橘湾が広がる。ベランダのようになっていて外にも出られる。海がとってもきれい。底まで見えるし、魚が泳いでいるのも見えた。天気も良かったので、最高の眺め。

そして、お料理がまたすごい。ボリュームたっぷりで、豪華。どれも新鮮で、おいしい。お魚好きの人で、「ここは奮発して!」というときには、ものすごいお薦め。父も大満足で、いちいち前日の宿の料理と比べては、ここの料理を褒め称えていた。

そこからグラバー園や大浦天主堂など、長崎市街を観光。あちこち急坂がすごい。2日目にとった宿は大浴場がないホテルだったので、日帰りで利用できる稲佐山のホテルアマンディに寄ってお風呂&夕食をとっていくことに。

お風呂もいろいろ種類があってゆったり。からだを洗って館内のジャグジーにつかった後、もう十分お風呂にはつかったなと思ったのだけど、ずっと外の露天風呂につかっている妹のほうに全く顔を出さずにお風呂をあがるのも、姉としていかがなものかと思ったのがまずかった。

外に出て露天風呂にちゃぷん。夜景をみながら妹と二言三言会話を交わして数分。まだまだ入っている様子の妹を残して、「先にあがります」と出ていったまでは良かったが、お風呂場から出てきて、数人が鏡越しに髪を乾かしたりとかしたりしているあたりで、あれ、これ、まずい感じでは…と思い始める。

水、飲まないと、倒れる。あと、数歩、行けるか。お金、出して、自販機へ。ひとまず、ロッカー、どこ?私の、ロッカー、どこだっけ。わ、無理。見つけるまで、もたない。倒れる。これは、まずい。

というところで、両膝ががくっと折れて床につく。「すいませーん」と人を呼ぶ。反応得られず。もう一回、「すいませーん」と声を出す。直後、力尽きてロッカースペースで、ばたんと全身倒れ込んだ。

2度目の「すいませーん」のおかげか、バタッ音のおかげか、気づいてくれた女性が2、3人やってきてくれた。そのうちの一人が幸いにも看護師さんだったために、ものすごい落ち着いて面倒をみてくれた。

「水、ください」と懇願し、スポーツドリンクのようなものを持ってきてもらってストローからごくごく飲むと、一気に楽になった。大ごとにならないようにと起き上がろうとするも、「もう少し横になっていなさい」と看護師のお姉さんが制するので、言うことを聞く。

お店の人などがわさわさやってきて、バスタオルでぐるぐる巻きにされて、恥ずかしすぎる状態から脱する。

「誰かと一緒に来てるの?一人?」と訊かれたので、「妹が、中に、います」と答える。「妹さん、名前は?」と訊かれたので、フルネームで答える。数人が妹のフルネームを呼びながら、お風呂場のほうへ向かっていく。あぁ、こりゃびっくりさせますね、すみませんねと思いつつ、引き続きぐったり倒れている自分。

意識はある。過呼吸にもなっていない。起き上がれと言われれば、たぶんゆっくり起き上がって動き出すこともできなくはないくらい。両膝をついてから倒れたので、ケガもひざ小僧の青あざくらいで済むはず。

集まってくるお店の人たちが救急車を呼んだほうがいいかというのを制して、看護師さんが「大丈夫、大丈夫、息もしているし、脈も正常だから。血圧って測れるかしら」などとやって、その場をうまくコントロールしてくださっている。ありがたすぎる。

しばらくして、その場でゆっくり起き上がると、とにかく平身低頭で謝ってお礼を言う。最初からだいぶ低い体勢にあるわけだけど…。目の前にいる人が看護師さんというのは途中からわかっていたので、「たのしい旅行中に仕事モードにしてしまって本当に申し訳なかったです」と謝ると、「地元の利用客だから気にしないで」とあったかい笑顔で返してくれた。180度ぐるりと見回すと、ホテルの人など5〜6人が私たちを取り囲んでいた。もう平謝り。

大ごとにはならずに済んで、本当によかった。お風呂上がりの父とおちあってご飯をともにする頃には、笑い話になった。父は話を3倍にして親戚に話すネタに仕立てあげそうだけど。

そこに入っているレストランで、稲佐山からの夜景をながめながら晩ごはん。ここもかなり良かった。父も満足げだった。

ホテル着。着く前から妹が「レトロなホテルじゃなくて、ただの古いホテル」というので(予約したの私…)、あれー、そうだったかなぁと思いつつも恐る恐る行ってみると、普通にいい感じのホテルで、最上階のすばらしい景色の部屋。どうやら妹は「ユニットバス」と書いてあるのを読んで、その印象だけで「ただの古い」に結びつけていたらしい。すごいな、それ。

3日目。当初は長崎観光の後、福岡までドライブして妹のパートナーとおちあい、九州場所の千秋楽を4人でみる予定だったのだけど、チケットがうまいこととれていないというのが発覚。それならまぁ夜遅くの福岡発の飛行機を待たず、もっと早い飛行機で切り上げるかということに。

とはいえ福岡発は満席で前倒しがきかなかったので、今いる長崎発の飛行機をチェック。こっちはとれたので、福岡に行かず長崎からお昼に東京へ発つことに。午前中、長崎原爆資料館と平和公園に行き、この日も良いお天気の中、3人で歩いた。

妹に長崎空港まで車で送ってもらい、父と私は羽田へ。妹は福岡に戻って、パートナーと無事に九州場所の千秋楽を観られた。横綱不在で、貴景勝が18年ぶりの小結優勝を果たすのを観戦したようだ。

父と妹とよい時間を過ごせて、姉さん満足。せっぱつまっていた仕事のほうも、向こうで皆がふとんに入った後やったのと、東京に戻ってきてからあれこれやったのとで、どうにかうまいところに着地。よかった。旅の起案と宿の手配は私だけど、あっちでの旅程は妹まかせ。すばらしいコーディネートに感謝、感謝。あと運転もおまかせすぎた。

こちらに戻ってきてから、富士フイルムのサービスで、とった写真の20枚くらいをフォトブックにして、父にプレゼントした。母にもいいおみやげができたと喜んでくれた。父は母の写真をかばんにいれて旅行につれてきていたので、二晩連続であわびを食べたことも、ずっとお天気が良くて楽しい旅行だったことも、一部始終知っているかもしれないけれど。

2018-12-10

お客2.0

先日「Designship」 という大規模なデザインカンファレンスがあったようで、私は参加していないのだけど、参加した友人知人のツイート・リツイート・いいねしたものが、開催当日Twitter上に流れてきた。そのうちの一つ、2日目のとりを務められた長谷川敦士さんの発言らしきツイートが目にとまった。

もはやデザインはデザイナーが完成形を出してるのではなく、そこにユーザーが参加することで完成する。by 長谷川さん

これを見て、最近自分の身近にあった出来事が、ふと思い浮かんだ。客先で打ち合わせしていたときのことだ。

そのクライアントさんには今、月1回ペースで半年ほど実施する社内勉強会を提供中。先方の業務パフォーマンス上の課題を整理して、ひと連なりの勉強会を企画し、そのテーマを専門とする外部の実践家を講師に招いて、一緒にカリキュラム設計・教材開発しながら勉強会を提供している只中にある。1回開くごとにクライアントとはミーティングの場を設け、今回の振り返りと、次回の構成を認識合わせする。

裏方を担当する私は、今回のレポートとあわせて、次回カリキュラムの構成を詳細項目まで出して文書にまとめ、その日の打ち合わせに臨んだ。次回の構成案には後半に、こちらの講師ではなく、先方社内の熟練社員が、自社で手がけた案件を事例として解説いただく時間枠を設けて、提示した。

前にクライアントから挙がっていたアイディアを取り入れたものではあるものの、「外部委託した研修や勉強会では、委託先(私)がコーディネートした外部講師がその場の指導役を預かりきるのが基本(責務)」と考えるのがクライアントの常なので、私はすこし前置きをして、先方社員を一部分のスピーカーにおいた構成意図を説明した。

「私の立場でこんなことを言うと、責任逃れのように聞こえてしまうかもしれないのですが、御社の求める内容を講師が単独で完璧にパッケージ化して教えきることが、最も実施効果を上げるとは言えないと考えているんです。外部講師の話を受けて、うちでは実際こういうふうにやっているとか、こういう事例があるとかいうふうに御社内の熟練者が話をひきついで展開していくことで、参加者の頭の中に自分の仕事に取り入れていくイメージが具体的に広がっていく、それによって知識定着や現場活用が促進される効果ってあると思うので、講師が全部話しきることを大前提とせずに、御社が直接話す場も設けて一緒に作っていったほうが有意義かなと思うのですが、いかがでしょうか…」

クライアントさんの中には、大きなジェスチャーでうんうんとうなずきながら聴いてくださる方もいれば、ふむーと深く考え込むようにして聴いておられる方もいた。私はしばし、向かい合う4人の発言を待った。自分の意見が絶対とも思わないし、お客さん次第である。

すると、ふむーと考えていた方が口を開いた。「でも、そういう時間は社内で完結して実施できるものって考えると、研修時間にそれをあてるのはもったいない。研修の場はやっぱり外部講師が話す時間枠として使って、社内の人間が話すのは別の機会を設けてやればいいんじゃないですかね」

それは一理ある。私は静かに、その意見をうなずいて聴いた。が、他の意見も出そうだったので、間をおいた。すると別の方が「でも、別に機会を設けて実際やりますかね?人集まりますかね」と声を発した。

私は、これを後押しする何かうまい例えがないかと考えながら、先方のやりとりを静かに見守った。「チャーシューは、チャーシューだけで食べるより、チャーシュー麺として一緒に食べたほうが、よりおいしく食せるのと同じように…」というのを思いついたが、なんだこの「なんにも同じじゃない」感は、と思って口をつぐんだ。言わなくて良かった…。

結局その場は「確かに」ということで落ち着いて、この勉強会の起案者の一人である先方の熟練社員さんが事例解説と、用意できれば自社で導入しているツールを使って、サンプルデータを扱いながら実演してくださることになった。こうやって一緒に作れるのは、すごく有意義な展開で、とっても嬉しい。

客の立場からすると、自分たちが前に立って話す時間枠が、外部委託した研修の中に入り込むというのは、その時間ぶんの講師料を無駄に払っているような感覚になるかもしれないし、まぁそこを減額してくれと言われたら、厳密にはそういうことになるのかもしれない。

でも、先方が話す時間枠が有効に作用するように、メインをはる外部講師も、裏方の私も最善を尽くして、その場を取り回すのだし、いずれにせよ、その辺りは構成を練るにあたって本質的な話ではないと思う。

研修をパッケージではなくソリューションと考えて、どう機能させるために、どういう構成がベストなのかを考えるのが基本だ。課題解決に対して、より効果的な骨組み・肉づけは何なのかを練るのが、カリキュラム構成でやる仕事。

なんて、あれこれ考えたことを、冒頭のツイートをみて思い出した次第。いわゆるユーザー体験のデザインに限らず、B2Bのビジネスシーンでも、ユーザーたるクライアントと一緒に作るって流れはあるよな、と。

最近「お客1.0」に対して「お客2.0」とは…いうのをぼんやり考えていて、それで引っかかったのもあるかもしれない。お客1.0は、売り手に「完成度の高いプロダクトの納品」を求める。サービスであっても、プロダクト的にパッケージ化された完成度の高さを求めるきらいがあるのではないか。その完成度の高さは、見方を変えれば汎用的で、画一的で、一様で、標準化された完成品かもしれない。

一方お客2.0は、自分(たち)の参画で、その意味も価値も増幅・拡張できるし、パーソナライズもできる、介入余地が残されたサービスの提供を求める。ただし客がひっちゃかめっちゃかしても、一定条件にそって使うかぎりは基本的価値は損なわれず、想定リスクも回避されるようになっている。そうした「うまくいく」サービスを高く評価する感じかなぁと。プロダクトより1レイヤー抽象度の高い品質保証を預かるような、1レイヤー下の創作プラットフォームを提供するような、そういうサービスをイメージ。

まぁ、もやんとしたイメージを書き起こしたにすぎないのだけど。自分を客の立場とみても、こびりついた「お客1.0」脳だけで性急に新しいサービスをみて「なんだ、お任せできないのか」と低評価を下したくないし、お客さんに対応する売り手の立場としても、従来型の「お客1.0」的な価値基準にとらわれず、本質的に効果的な方法は何なのかを軸において策を練りたい。

それが従来のものさしでみると、サービス提供側の手抜きのように思われる提案になることもあるだろうけど、できるだけ率直に自分の考えを伝えて、何が本質的な効き目をもつのか、お客さんとすり合わせていくコミュニケーションを大事にして仕事をしたいと思った。

2018-11-30

「Web系キャリア探訪」第7回、アフィリエイトオタクの生きる道

インタビューを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第7回が掲載されました。今回はアフィリエイト愛に満ち、その愛情を遺憾なく発揮して活躍する、フリーランスの鈴木珠世さんを取材しました。

アフィリエイトオタクが45歳過ぎてフリーランスに「会社員より今が一番楽しい!」

みずから「アフィリエイトオタクなんです」と切り出す、アフィリエイト愛に満ち満ちた女性。私は「のめりこむ」ということがなかなかできないタチなので、オタクをサポートする役まわりなのだと開き直って人生を送っていますが(なので周囲にはオタクが多い)、オタクがそのテーマについて熱心に話すさまというのは、その人に内在する生命力が満ち満ちている感じがあって、いいですよね。

なんてこの人の人生は充実しているのだろうかと、あふれだすエネルギーをいくらか分け与えてもらえたような、ありがたい気持ちになります(テーマにもよりますが…)。なので鈴木さんのお話を聴いていて、すごく元気をもらいました。

よく「Will/Can/Must」の円の重なるところに、自分の仕事領域を見いだすなんていうけれど、「オタクがそれを生業にする」というのはその理想を地でいく感じの“最強”感があります。

Willは「自分がやりたいこと」、Canは「自分ができること、得意なこと」、Mustは「自分がやるべきこと、やらねばならないこと」といった言われ方をします。

Mustは、社会的なニーズとか、組織から求められることとかって言われたりもするけれど、私は3つ目の円を「そうせずにはいられない、やるべきと突き動かされること」とか、「自分がその活動に意義や価値を感じること」っていうふうに捉えています。それが社会的なニーズ(とまで大仰にとらえなくても、他の人の役に立つこと、助けになること、人を喜ばせたり豊かにすること)に通じている感じ。

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「オタクがそれを生業にする」っていうのは、この3つの円の重なりの、深い、深ーいところに仕事があるってことだよなぁって気がして(必ずしもそうじゃないのかもしれないけれど)、こりゃ最強だなって尊いものに感じられます。

私はオタクという人生を生きられる身の上ではないと割り切っているけれど、オタクのサポーターとして、こういう円の重なりにオタクが自分の仕事を見出し、有意義に働ける組織づくりとか社会づくりには貢献できたらいいなと思っています。

オタクオタク繰り返すと、あれだけども、ギークとかのほうがいいのか。いや、何かを好きで、得意で、それに並々ならぬ価値を見出している人というのか。そういうものを見出している人が、それを仕事にして、それゆえに充実した人生を歩めたら、本人もすごく幸せだし、社会もきっとおおいに恩恵を受けられるよなぁと。

そういう人たちが働きやすい環境づくりって、社会としても、組織としても大事に育んでいったら強いと思うのですが。こういう「半端ない人」たちが、残業時間を気にして、組織にばれないように隠れて仕事するとか、突出してすごいんだけど、はみ出し者扱いで評価されないとか、いろんな規制がきつくて働きづらいから会社辞めちゃうとかじゃなくて(いや、独立したい人が独立するのはいいことだと思っているけれど、組織に残る選択肢もあったほうが自由だという意味で)、そういう人たちが会社に所属し続けて、仲間を引っ張っていってくれたり、すばらしく純粋な生命エネルギーを周囲に振りまいてくれるような組織改革/働き方改革もあっていいんだろうなぁとか思います。

そんなこんなは、編集後記の後のつぶやきということで。ぜひ本編をお楽しみください。ほんとうの編集後記にあたる「二人の帰り道」は、本編に寄せています。最後までご一読いただければ幸いです。

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