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2017-11-21

活動をつなげてキャリアを編む

週末ラジオ番組を聴いていたら、お薦め図書を紹介する特集で、お笑いコンビ・カラテカのボケ担当、矢部太郎さんのコミックエッセイ「大家さんと僕」(*1)が面白いという話があり、そのまま買ってしまった。

矢部太郎さんは「実家のテレビで何度か見たことあるな」「お笑いの人だな」「ちょっと頼りなげで人の良さげな」という、おぼろげな記憶しか持っていなかったのだけど、4コマずつのコミックエッセイならさくっと読めそうだし、のんびりゆったりほんわかした空気感を味わえそうなのが今欲するところにぴったり。しかも調べてみたらKindle版があったので、すぐさまダウンロードして読み始めた。

正解だった。すばらしく心地よい読書時間&読後感。最近ごつごつした本を読むことが多かったので、ここまで気を緩めた読書体験っていうのもありなのか…と、何か許されたような気分になった。

プロフィールをみると、矢部太郎さんは40歳で私と同世代。独身で、新宿区在住。87歳の女性(大家さん)が1階に住む二世帯住宅の2階に、仮住まいしている。

引っ越してきた当初は、大家さんとの距離の近さに戸惑うも、毎月家賃を手渡しした後にお茶をご一緒するうち心を通わせて、すっかり仲良しに。一緒に伊勢丹にお出かけしたり、九州まで飛んで鹿児島を旅したり。

この大家さんが、たいそう品のある浮世離れした女性で、挨拶は「ごきげんよう」、好きなタイプを尋ねれば「マッカーサー元帥」、若かりし頃の彼女の思い出話などがあれこれ出てきて、二人の日々の会話がじんわりと染み入る。

この中で、彼が「今の仕事続けてていいのかわからなくなって来ちゃいました…」と、悩みを吐露するシーンも出てくる。

テレビのトーク番組に出演しても、滅多にない機会に緊張して舞い上がってしまい、思いっきりスベってしまう。たくさんの芸人が集まる番組で、盛り上がる会話に全然入れず、前に出られず、何もできないまま時間が過ぎていく。

そんな彼に、大家さんがなんて応えるかは、お楽しみということにして。

ここを読んだときには、ことに深い味わいがあった。彼がそんな思いを抱えていた日々が、彼の確かな手腕によって「僕の悩み」というコンテンツになり、今私はそれをお金を出して読んで味わっている。この本たいそう話題で、売れてもいるらしい。本屋さんに行った時も、目立つところに置いてあったもんなぁ。

この人はそうやって、確かに、丁寧に、人の心に届くものを形にしているんだなと。

お笑い芸人から漫画家へ、職業や職種という既成概念に縛られず、できること、やりたいこと、やるべきと突き動かされることに、「活動」という単位で一つひとつ丁寧に取り組んでいくこと、形にして届けていくこと。

これは、転換期だか過渡期だか変革期だかにある現代人にとって、すごく自然な行いに感じられるし、業界は違えど同時代を同世代として生きる同士として共鳴するものを感じて、心強く思った。というか、実際それができているのって、すごいなぁと感服した。

いつ無くなるとも変わるともしれない職種名や役職名という既成概念に振り回されるより、「活動」単位で自分が有意義だと思うことをやっていって、いくつかの活動を終えたとき振り返ってみるのが、たぶんちょうどいい。

そこに自分のやってきたことの確かな軌跡があり、それを選んだり除けてみたり、つなぎ合わせてみたり、角度をつけて置き直してみたりすると、ストーリーのようなものが浮かび上がって見えてくる。これまでの道筋をストーリー立ててみていると、この先自分が進みたい進路も、なんとなく読み取れるものが出てきたりする。

そういうのが、不確かそうで、けっこう手堅い自分キャリアの歩み方かな、などと思っている。一つひとつ、有意義な活動を丁寧にしていくこと、だよなぁ。そう励まされる本でもありました。

*1: 矢部太郎「大家さんと僕」(新潮社)。特設サイトもあり。

2017-11-18

甘い解釈策「運が悪かったのだ」

ちょっと相当、気をもむことがあって、それに対する対処法や、自分の心持ちをどう導いたら健全だろうとか、このところずっと自問自答したり思考錯誤していた。

いざ覚悟を決めて試行してみても、戻ってくる反応はなく、ではより良いどういうアプローチが自分にありえたかと反省してみるも、良さそうな代替案は浮かばず。

そもそも試行する前に、どのタイミングで、どういうやり方で、どういう言葉をつづって、何を伝えたいのかを思案して、行きつ戻りつ熟考を重ね、今の自分の力のかぎりを尽くして一歩出たのだ。

試行に対して何らかリアクションがあれば、それを受けとって反省して、新しいやり方なりスタンスを思いつく可能性も出てこようが、反応無しで別の策というのは、もはや今の自分に望めないのだった。

もっと器の大きい有能な人には対処できるのだろうか。その人はどんなアプローチで、それを軌道に乗せるのだろう。あるなら知りたい。力量の問題なら、私はこの機会を活かして、これを正面から乗り越えることで成長できるってことでは?と、好奇心と向上心をもって純粋に考えてみるも、やはり思いつけないものは思いつけない。

人に意見を聞こうにも、私からの偏った情報では、慰めようはあれど、策のアドバイスは難しかろうと思う。かといって、反応がない以外に相手方の情報を提示することができない。公平性を欠く前提で人に相談を持ちかける気にもなれない。

はたして、これをどうしたものかとしばらく考えあぐねていたのだけど、とりあえずの着地点を見出した。

運が悪かったのだ、ということにしてはどうかと。

この状況下で、自分の反省点や次の一手を見つけるのは難しい。それは、もうわかった。ひとまず今の私には対処困難な事案と考えるのが妥当だ。

しかし、この心理状態をこのまま続けるのも健康的じゃない。人生はそう長くない。健康第一、健やかな精神性を維持&育て続けることは、私にとってとても大事なことなのだ。

であるならば、いったん、自分のほうに目に見えて至らない点はなかったということにしてしまって、自分の反省点探しを切り上げ、この先これを好転させる策に頭を悩ますのもやめて、別へ気持ちを切り替える。向きをかえて我が道を前進するのが、健康的にみて最善だろうと考えるに至った。

そのときの落とし所として、「運が悪かったのだ」とするのだ。これなら、後を引くわだかまりも残りづらく健康的だ。

頭でそう至っても気持ちの引きずられる機会はちょいちょい巡ってくるかもしれないが、それでも頭の中はいくらかすっきりするし、頭が心の良き話し相手というか聴き役として機能するだろう。

そうか、そうかと、その度に頭は、私の悶々とした思いをひとしきり聴いて、こう返すのだ。

運が悪かったのだ、あまり気にするな。もしかすると、あのときこうしていれば良かったというアイデアが先々浮かぶことはあるかもしれない。それはそれで成長を喜べば良し。でも今回だって、大きな落ち度があったわけじゃない。自分の身の丈でできうる最大限のことをやってダメだったんだから、それはもう仕方のないことなんだ。自分の人生として、受け容れるほかない。運が悪かったんだ、ということにして。そういう解釈で、いいんだよ。下手にもうこれ以上、自分の反省点を絞り出そうとしてくたびれないでいい。これをそのまま引き取るのが私の人生なのだ。

そうなのだ。仕方ないよな。私には、思うところを抱えこんだまま黙り続けることもできなかったし、かといって反応を期待できない(向こうに望まれていないであろう)試行をこの先もだらだら続けることだってできない。そういう人間なのだから仕方ない。それで今ここにいるなら、この結末は自分が招いた必然なのだし、その結果は自分で引き受けるしかないのだ。

ただでさえ自分が役に立てる領域なんてニッチで細々としているのだから、長々と気落ちしていても仕方ない。微力でも自分が貢献できるところに身をおいて生きていけばいい。それしか健康に生きていく法もないのだから。

自分の側に何か落ち度がなかったか、より良いアプローチはなかったかを考える癖は大事にしたいけど、どうにも突破できないで心が塞いでいくばかりのときは、「運が悪かったのだ」と真反対に着地させるのも、やり方だなと思った。解決策でなく、解釈策を講じるのだ。

しかし、どこからどこまでを運の悪さに含めるかで、ことの大きさは変わってくる。そこはまだ、頭も決めかねている。四十にして未だ惑うのも、人生の味わいなのかもしれない。心のうち、全開である。

2017-11-14

意味を作るところ

愛聴しているTBSラジオの「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」で、これぞラジオ番組の特集っぽいのがやっていた。サタデーナイトラボ「『あれ?私、なにやってるんだろう……?』特集 by三宅隆太」

映画に出てくる、「あれ?私、なにやってるんだろう……?」に代表される、え、現実世界でそんなこと絶対言わないよねってセリフ、これだけは知っておいてほしい前提知識とか状況説明のセリフ、極端な例だとタイムボカンシリーズ(ヤッターマン)の「説明しよう!」とか、もうこっちに話しかけちゃってるよねってセリフなんかを取り上げて、その意味や奥の深さ、脚本家の匠の技などを面白おかしく解説、数々の事例を挙げて味わうという特集。面白かった。

映画の作り手や、作る過程に思いを馳せて、あちらこちらに埋め込まれた意味に目を向けてみることは、映画鑑賞の新たな味わい方につながるし、普段の生活で“向こう”の立場にまわって物事を捉えるための筋トレにもなる。

映画にかぎらず、物語のそういう愉しみ方は、もっと増やしたいなぁと思う。それがそこにあることの意味を問うていくこと。

二度三度と観てこそ味わえるのだろうけど、新しいものがどんどん出てくると、同じものを二度三度観ている場合じゃないかと、結局新しいものにいってしまう。といって、新しいものをたくさん観られているわけでも全然ないのだけど。

これは、なかなか再読ができない本も同じ。この間Twitterのタイムラインに流れてきて読んだ言葉につながった。

物語の中で雨が降れば、たかが雨でも必ず意味がある。その意味を探しなさい(*1)

これも二度三度読まないと、なかなか立ち止まったり振り返ったりして丁寧に味わえない領域な気がする。一度読んだ本にも、まだまだ発見できていない味わいがたくさん詰まっているんだろう。

と、これを書いていたら、ポール・オースターが「幽霊たち」の中で書いていた一節も思い出した。

書物はそれが書かれたときと同じ慎重さと冷静さとをもって読まれなければならない(*2)

いろんな言葉がつながっていって、自分の中で、そのことの意味が深まっていく。それもまた豊かだ。

意味を作り出すのも、一つひとつの意味にさらなる深みを与えていくのも、人の頭の中。私の頭の中、相手の頭の中。一つとして同じものはなく、同じものを同じタイミングで享受しても、それぞれが作り出す意味は、きっと少しずつ違うんだろう。

一方で必ず、自分と何か、自分と相手の間で交わした相互作用の結果として、そこに意味が生まれるんだろうな、とも思う。何もないところにポンと意味が生起することはないのだろうな、きっと。

ここ数日、いろいろと自問自答が続いていて、じわりじわり痛みを抱えながら過ごしていたのだけど、これもまた自分なりに昇華して、ぬくもりをもった意味を生起させて、育てていけたらいい。頭痛のほうは、良くなりました。

*1: ますぶち みなこさんのnote「その苦しみに、ひとつ角砂糖を」
*2: ポール・オースター「幽霊たち」

2017-11-10

父の見舞いと退院と

先日ここに記した父の手術は、当初2週間ほどで退院できるという話だった。入院初日と、翌日の手術日は、兄が車を出して終始付き添ってくれたので、私は手術の翌日に初の見舞いに行った。父は手術直後とあって管まみれ、傷口も痛々しかったが、顔を見せると少しほっとできたのか喜んでくれた。

見舞い中に看護師さんがやってくると、「俺の娘」と得意げに私を紹介した。私が頭をさげて挨拶すると、看護師の女性は笑顔で応じ、手際よく父が装着しているものの入れ替えなどにあたった。私は邪魔にならないようにカーテンの外側に出て、父が看護師さんに話しかけるのを聞くともなく聞いていた。

父が看護師さんに、こんなじいさん、誰も見舞いに来ないわー思うとったじゃろー!かーかっかっかーみたいなことを言って困らせている(もう少しガラは良かったか…)。ガキンチョみたいなことを言うのに耳を傾けながら、あぁとんぼ返りでも今日来て本当によかったなぁと、私はカーテン越しほっこりした気分になった。からまれた看護師さんはかわいそうだったが…、その手の対応は“お手の物”だろう、そういうことにしておこう。

手術の翌日はどうにか顔を見せたいと思い、夜にイベント登壇を控えていたのだけど、日中に午後半休をとって出てきて、見舞いを終えると、またすぐ東京に戻った。その翌日(木)も足を運び、その翌々日(土)も顔を出した。

2週間の中でも特に、入院から間もなく環境に不慣れな時期、手術を終えてすぐの頃は、できるだけこまめに顔を見せて励ましたいと思い、仕事の都合をつけて、ちょこまか東京−千葉を行き来した。その時期の一日一日は、入院生活後半の一日とはわけが違うし、また同じ3時間なら、1日行って3時間いるより、3日に分けて1時間ずつのほうが圧倒的にいいと思った。

実際、行くとだいたい父は、家族に頼みたいこと、気になっていることを毎回こまごま持っていた。あれを取ってほしいとか、この操作はどうするんだとか、傷口のホチキス止めしている4箇所を写真に撮ってくれだとか(血の気がひいて、こっちが倒れるかと思った…)、誰々になんとかを伝えないととか、そういう用件に一つひとつ応えていると、それだけで数十分経過していた。

そんなこんなをしながら、痛みはあるのかとか、どんな感じなのかとか、おしゃべりをした。体調をうかがうと、術後すぐは、身動きすると傷口が痛いと言っていて、私が冗談めいたことを言ったときも、お腹をおさえてイタタタと言いながら笑っていた(悪気はなかった…)。笑顔が見られるのは嬉しいが、痛い思いはさせたくない。お見舞いは按配が難しい。

それが数日おいた週末、まだ痛いのかと訊くと、傷口の痛みはもうないという。「おぉ、着実に快復しているではないですか!」と言うと、「そういえばそうだなぁ」と返ってきた。身につけていた管も一つ二つとはずれていって、点滴から病院食になり、立ち上がって歩けるようになり、そうやって一つひとつ自由を取り戻すごとに、それを言葉にして喜んだ。

週末は実家に立ち寄ってから、病院に行った。家に問題なかったこと、郵便物など整理して、窓をあけて空気の入れ替えをしてきたこと、母にコーヒーを出してきたこと(父は毎朝、仏壇に母のコーヒーを出している)を話すと、父は「ありがとう」と言って、穏やかな表情を見せた。

私は車も出せないし、手先が器用でないので特別気の利いたこともできない。いつもできることは細々とした配慮の寄せ集めだ。でも、こういうささやかなことだって大事なのだと、自分の行いをかなり肯定的にみている。おめでたい人間だなぁとも思わないではない。でも自分ができることはこういうところしかないし、幸いにして兄も妹も全然違うキャラなので、三者三様でいいバランスじゃないかと思っている。自分ができること、自分がしたいと思うことを、大事にやったらいい。やっぱりおめでたい。

さて、術後1週間したところで、お腹のなかに入れたチューブがはずれたというので、その日のうちに再手術となった。再び全身麻酔してお腹をきることになり、体力的にもしんどいだろうし、医者への不信感も募るしで、家族の間にも緊張が走った。手術の翌日お見舞いに行くと、父もさすがに疲れた表情を見せていた。

やれやれな一件があって、入院期間は3週間以上に及んだけれど、再び管もとれ、ホチキスも全部とれて、ようやっと先日、退院を迎えた。ほっとした。母が太陽なら、父は私にとって大地のような存在、といったら大げさすぎるだろうか。ともかく地震、それに続く余震がおさまったような心もちだ。

父がおうちに戻り、自由を取り戻せたのは本当に嬉しい。3週間もベッドで横になっていたのだから、体力が落ちているのは仕方ない。ゆっくり体力を取り戻して、近々に兄一家との祝賀会を、年内にも父と妹と私の長崎旅行に出かけられたらと思っている。体は日ごとに快復していく。私たちはここに、まだまだ生きているのだから。

2017-11-07

教育とコンサルティングの境い目

特に解決をみたいわけでもない与太話を、もやもやした状態のまま書く!宣言をした上で、クライアントに提供するサービスとしての「教育」と「コンサルティング」の境い目について。

Webを取り巻くデジタルマーケティング領域のコンサルタントに講師をお願いして、クライアントにオーダーメイドの研修を提供することがある。私はクライアントと講師をつなぐ裏方仕事なのだけど、提供する研修内容を講師と詰めていると、打合せの場で浮上するのが、教育とコンサルティングの境い目だ。

具体的なシーンとしては、講師(コンサルタント)が研修で取り組む演習ネタとして、クライアント先の実案件を直接取り上げたがる一方で、私が「しかし、そこまで行くとコンサルティングになってしまう」と制する、ということがある。

私もオーダーメイド研修を専門にしているので、誰にでも汎用的に使える教材作りは好まない。クライアントの事業内容や業務環境、受講者が手がける案件のタイプや規模、その人の役割や文脈などをヒアリングし、ときには実際に作ったドキュメントも見せてもらった上で、受講者の実務シーンを想定したリアリティある演習課題を作りこむ。それに熱心に取り組むことに異存はない。

ただ、受講者が「今」や「これから」手がける案件そのものを演習課題にしてしまうと、それはもうコンサルティングであり、教育とは別のサービスになる。講師が研修当日、演習のまとめに回答例を示した場合、たとえ「これはあくまで回答の一例ですよ」と付け加えたとしても、それはそのまま実案件に採用されてしまう可能性大だし、「これこそ正解」たる解決策なり納品物のように見えてしまうのは避けられないことだ。

でも、もともとコンサルティング案件としては受託していないので、それに十分な調査・分析過程を踏んでいない。見積り項目も予算も、かかる準備期間も、教育案件を前提に進めている。そんな状態で、回答例が独り歩きしては無責任だし、そもそも当初先方から求められたスコープからずれてしまっているのが一番の問題だ。

先方は、演習に取り上げた課題の答えを出来上がりの状態で欲しているのではなくて(いや、それはそれで欲していることもあろうが)、そこに自力でたどり着く能力開発を志向して、こちらに相談を持ちかけたのだ。それは自社スタッフの成長(知識・スキル獲得や態度変容)であって、今回かぎり通用する出来上がりの納品ではない。スタッフが能力を高め、個々のパフォーマンスが向上し、それによって課題が定常的に解決されるようになり、組織が中長期で盤石に成長していく体制づくりを志向しているのだ。

研修一回終えて、会場から出てきたスタッフが大いなる成長を遂げ、ハイパフォーマーに変貌しているというのは過剰な期待だ。でも、研修によって気づきや知識を得て、それが現場で発揮され、さらなる継続学習や業務改善につながっていく、その展開の一翼を担うことは可能だ。

私たちはそこに働きかけ、そこに効くように働く。そのための働き方は、とっかかりの調査・分析からして、コンサルティング案件のそれとは向きが違うし、別ものだと思う。どちらがより大きな話というのではなく、解決アプローチの違いだと思う。

業務寄りのコンサルティングのほうが適合するケースだってごまんとあるだろうし、組み合わせ技でフェーズを分けて教育→コンサルに引き継ぐやり方もあれば、コンサル→教育といった逆向き施策もある。別にどっちか一つ選ばないといけないという話でもない。それは依頼するクライアントの置かれた現状や考え方、こちらの提案次第だ。

ぐちゃぐちゃ書いている教育従事者の私も、実際の境い目は案件ごとに曖昧だし、また曖昧でいいとも思っている。研修の演習課題を実践的に作り込んでいこうとすると、落としどころは常に手探りだ。

日頃コンサルティングに向かう講師からすると、介入の仕方が間接的に過ぎる感じがして、もどかしかったりする。ときにクライアントも、くれるものなら今の問題の答えが欲しいと思う。設計・開発過程では、この辺ぶれやすい。

その揺れを都度キャッチして「ちょっと待った」を出して、話し合うことを大事にしたい。「何のためにやっているから、どう落とし込むべきか」の一貫性に注意を払って、求めるゴールと進む道がぶれないように。

線を引くのは自分なのだ。いらない線は引かない。引くべき線は引く。そうして頭でっかちにならず、力みなくクライアントの話をよく聴き、講師との腹割った議論の中で、ちょうど良い落としどころを案件ごとに探って、向きを間違えず、自分で引いた線上を確かな足取りで進みたい。やはり、なんとも言えない話に終わった。

2017-11-06

お医者さんへの期待

10月下旬からの頭痛の具合はどうなのかというと、薬をのんでいる限り、激痛が走ることはまぁ(少)ない、という感じ。

歩くときはだいぶゆっくりめに歩き、重い荷物の持ち歩きは控え、プール通いもとりあえずやめていて、この三連休はおとなしく近所か家で本を読んだりラジオを聞いたりして過ごし、昼夜お構いなしに、よく寝た。

最初に処方された筋肉を和らげる薬は効く感じがなかったけど、後に追加してもらった神経を落ち着ける薬は効いている感じがある。

一方この薬をとめたら、あのズキンズキンが右の耳後ろに再来するだろうなという違和感もある。出る人には副作用がけっこうひどく出る薬だという話も聞いていて、気が抜けない。お酒もNGだ。

さて、これがいつまで続くのだろう。近所の専門医には、処方した薬を飲み続けて、2週間後にまた来るように言われたが、なんとなく心もとない診断だ。2週間のあいだに、薬の加減をどう調整するかといった話も特にない。

頭という場所が場所だけに念のためと思い、週末のうちに調べた別の頭痛専門医のところへ、今朝行ってきた。行ってよかった。

まず、こちらからできるだけ簡潔に情報を伝えた。先生の問いに応じて、痛みのズキン感、頻度、位置など症状を伝え、レントゲンはこれ(持参)、MRIの結果はこれ(持参したが、問題なかったとの報告のみで済んだ)、飲んでいる薬はこれと提示。何の薬は効いている感じがあって、何は変化なしなど情報を補足。

あとは先生の目を見て、うんうんと真剣に話を聴く。先生は手際よく主な頭痛の種類と特徴を挙げ、「あなたは、原因がわからない(他に疾患がない)一次性頭痛。その中でも症状からして、こうじゃないでしょ、だから偏頭痛じゃない、こうでもないから緊張型頭痛でもない、リリカ(薬)が効いていることからも末梢神経系の頭痛でしょう」と説明しながら絞り込んでいく。

「だとすると、1ヶ月くらいで治まる、心配するな」との言葉をもらい、カキーンと音がなったような気がした。本塁打。私はその言葉を欲していたのだ!と思った。期間の見通しが立つことの、なんて有り難いこと。この説明で、どれだけ気が楽になったことか。

「今の薬が効いているなら、それを飲み続けて。今が朝晩2錠ずつなら、徐々に間引きしながら薬を減らして様子をみていくといい」とのこと。まだ間引ける状態ではないけど、徐々に薬を減らしていきたい。こういうのを求めていたのだ。

そりゃ、言い切れないことだっていろいろあると思うけど、やはりお医者さん(というか専門家?)にまず求めるのは、こちらの話を不足点補いながら聴きいれて、要点を押さえて状況を確認し、専門知識とこれまでの豊富な経験・事例から今回の特徴を見出し、これと分類し、要因や対応策を示し、先を予見し、専門的なアドバイスをくれること。

からの適切な治療&処方。そして願わくば、大丈夫と言ってくれること。大丈夫、心配するなと言ってもらえる機会など、いい大人になると日常でもまずないし…、それを専門家に求めるのは酷な話かもしれないけど、今回はほんと救われる思いだった。心からお礼を言って、診察室を後にした。まだ、ぎりぎりな感じだけど、引き続きできるだけ安静にして快復を待とう。

ちなみに今日の先生に、私がもともとお世話になっていた近所のクリニックを尋ねられて答えたら、「あぁ◯◯さんのところね」と返ってきて、「奥さんの方か?」と問われた。そこは、ご夫婦でやっているのだ。彼女は腕がいいよ的な話を、先生が続けようとするのと重なるようにして、私が「いえ、男性でした」と応じたら、先生、キュッと口をつぐんでしまった。やはり…。口コミを読んでいて、そんな気はしていたのだ。

2017-11-02

脳のMRI体験

十日ほど前から、急に頭痛を抱え込んだ。ズキンズキンと耳の後ろのほうが痛み出し、左から始まって、右も痛むようになった。ずっと痛いというのではなく、ズキンとするときに激痛が走るという感じ。それが、最初は頻度や時間帯が限定的だったのが、日を追うごとひどくなり、これまでにない痛み方だったので、先週近所のクリニックに行って診てもらった。

思い当たる原因は?と問われても…。いや、あるような、ないような。季節の変わり目?首痛の再来?緊張やストレス?この類いは日頃からそこそこあるもので、それにどれくらい対応できていて、どれくらい実際は参っているかなど、自分ではよくわからないものだ。最近だと父の手術&再手術があり、あとは研修提供の本番があったり、提案書の締め切りがあったり、客先での打ち合わせがあったり、そのどれも緊張はしているが、参っているという自覚症状はない。

結局、医師には「思い当たることがこれといってあるわけではないけれども、数年前に首を痛めたことはある」という話だけしたら、なんとなくそれと関連づけるようにして話が進んだ。きっと筋肉の緊張ではないかと。それで、そういう薬をもらって飲み始めたものの、どうも効いている気配がない。

数日して今週月曜を迎えると朝っぱらからずっと痛みがあり、これはもうもたないと夕方に涙目で早退、二度目の診察へ。前にいただいた薬は効いている感じがなく、筋肉の緊張とか、首由来の問題じゃない気がすると、率直に医師に掛け合う。

それで、今からでもMRIの検査に対応できるところがあるというので手配してもらい、即日MRIの検査をすることに。また神経症の類いかもしれないというので、神経を落ち着かせる強めの薬を、追加で処方してもらった。

クリニックを後にして、薬局で薬を受け取ると、予約してもらったMRIの検査施設へ電車で向かう。そこで検査してもらった結果を、郵便で翌々日の午前中までにクリニックに送ってもらい、結果はクリニックの医師からフィードバックしてもらう段取り。

18時半過ぎに検査施設に着くと、女医さんから簡単な診察と案内がある。「15分ほど狭い所に入って大きな音を聞くことになるが、閉所恐怖症とか、大きな音がダメとかないですか」と問われて、やってみないとわからないと思いつつも「(たぶん)大丈夫です」と応える。

では検査へ…と促され、男性の検査士さんに引き渡される。ヒートテックは焼ける?ので脱いでくださいということで、ロッカーで上だけ検査着に着替えて準備完了。体内に金属を入れていないかとか、時計やカードを身に着けていないかとか繰り返し質問され、緊張が高まる。うっかり危ないものを身につけて入ったら大変なことになる…。MRI検査室の重厚なシルバーの扉には、強い磁場が云々かんぬんと危険度マックスな文字が並んでいる。

中へ入ると「そこに横になって。大きな音がするので、このヘッドフォンをつけてください」と指示がある。ヘッドフォンを装着すると、小さい音量でクラシック音楽が聴こえてくる。

間もなく閉所に入っていき、検査が始まる。カンカン、ガンガン、ビビーなど、いろんな音が大音量で、閉所の外側から聞こえてくる。音がなっているときは、たいていクラシック音楽のクの字も聞こえない。ただ、騒音の音質・音域によっては聞こえるときがあって、そういうときは音楽をつかまえるようにして聴く。

長いこと検査が終わらないので、どんな検査をしているのだろうと、いろいろ想像を巡らす。この音の違いというのは、音によって脳の反応の違いをみているのだろうかと思い(そんなことはないっぽい)、私はだいぶ平静を保っているけれども、むしろこの不快音を聞いたとき、もっと不快な脳の反応を示していないと正常ではないのではないかとか冗談半分に考え出す。いや、でもなぁ、その反応を見分けたければ、わざわざクラシック音楽なんて聞かせないだろう。

また今度は、これだけ何種類ものカンカンとかガンガンとかビーとかの音を出し分けているのが全部、リアルタイムに脇で楽器をとっかえひっかえ検査士の男性ひとりが鳴らしている一人オーケストラだったとしたら、そうとうおかしいなぁと思いついてしまう。その絵を想像すると、もう表は検査士さん汗だくで、てんやわんやの大騒ぎだ。挨拶したとき、ものすごくクールな人だっただけに、だいぶおかしい。

いや、でも、ここでぷぷっとか思って脳に「面白い」といった反応が出てしまうと、この音でこういう反応はおかしいとかなってしまわないか、もう少し平静を保っていたほうが普通であると思い至り、またヘッドフォンに意識を向けてクラシック音楽をつかまえにいったりした。

ともかく15分ほどの検査を終えて、その日は帰ってきて就寝。神経を落ち着かせる薬とやらが、だいぶ強力そうなので、飲むのをしぶっていたのだけど、夜中にまただいぶ痛い症状が出てきたので、やむなくカプセルを飲み込んだ。翌朝目が覚めてみると、頭痛がない。あの神経系のカプセルは有効なのかもしれない、と思う。

月曜の晩、火曜の晩と、結局カプセルを飲まないと深夜に激痛が走るが、飲めば落ち着くことがなんとなくつかめてくる。本日水曜は、痛みはないが、薬で痛みを覆い隠しているような気がしてならない、という感覚を右の耳後ろに覚えつつ過ごす。

そして午後はお休みをもらって、クリニックへMRI検査結果を聞きに行った。で、問題は見つからなかった!ことを確認して、心底ほっとした。

実際のところ、経験のない脳の痛みに、だいぶびびっていた。まだ死にたくないよーと切実に思い、公私問わず大事な人たちと会って語らって一緒に過ごせる時間を心から愛おしく思ったりした。健康に、あと数十年、大切な人たちと過ごせたら。多くは望まないというんじゃない、それこそが私にとって最大の望みなのだ。そう痛切に思った。

この薬の効き具合だと、神経症の類いか。神経症は原因が分からないことも多いとのことで、しばらく神経を落ち着かせる薬を飲みながら様子をみることになりそう。いろいろあるお年頃。気を抜かずに、体大事にしていかないと。

2017-10-29

人材育成施策は「研修」だけじゃない

先日お客さんとの打合せの席で話題にあげて、久しぶりに思い出したスライドがある。人材開発コンサルタントの Marc J. Rosenberg氏が作成したもので、人が熟達に向かうまでの学習ステージを4つに分けて図示している。「うまくできるようになるにつれて、学ぶ方法は変わるんだよ」という話だ。

"Learning Through Four Stages of Mastery" (*1)
Marcrosenberg

まず4つのステージとは。スライドの左から、1.初心者/見習い(Novice)に始まり、2.有能な職人(Competent)になっていき、3.経験を積んで老練な職人(Experienced)となり、ついには4.熟練者/専門家(Master/Expert)になるまで。

1は、ほとんど何も知らない状態。2は、まぁベーシックなことは一通り自分でできる感じ。3は、定型からはずれるような状況でも柔軟に対応を変えて事をこなせる感じ。4は、新しいこと、より良いやり方を発明したり、他者に教えられる域。段階的に流暢にこなせるようになり、さらなる学習も俊敏にこなせるようになり、共有できるナレッジも増えていく。

こうして4ステージに便宜的に分けてみたとき、Novice寄りであればあるほど、一般的な学習ニーズをまずは持ち、Master寄りになればなるほどユニークな学習ニーズに変化していく。

とするとNovice寄りでは、公式の構造化されたトレーニングプログラムが有効に働きやすいが、Masterに寄るほど、ソーシャルな活動だったり、個々人や各々の職場に基づく非公式な学習が有効に働きやすい。

つまるところ、学習のアプローチとして、Novice寄りだと教育的なトレーニング、E-ラーニング、反転授業やシミュレーションなど、いわゆる「研修」っぽい構造化されたプログラムとの相性がいいけど、Masterに寄っていくと、実践機会の提供、コーチング、ソーシャルメディア活用、熟達に向けて欲しい情報にアクセスできる環境づくり、コラボレーションなどと相性が良くなっていく。

Masterに近づいていくと、研修の有効性は一切ないと断じるような話ではないので、そこはうまいように解釈してほしいが、組織視点で人材育成施策を考えるとき、若手には◯◯研修をやって底上げ施策を打つけど、中堅には何研修やって更なる戦力化を図るかと、研修一辺倒に考えている場合は、少し育成施策アプローチの幅を広げて考えて見るのに使えるスライドだと思う。ということで、プチ共有まで。

*1: Beyond Competence: It's the Journey to Mastery That Counts : Learning Solutions Magazine

2017-10-22

男の子だけで決めた結論

先月、父が急に「手術をする」と言い出した。急といっても、それなりにステップはあったのだけど、もともと治したいといっていた症状(足のほう)の原因は特定できておらず、検査で発見された症状(頭のほう)を処置する手術で、症状(足のほう)が改善する可能性はあるけど、変わらないかもしれない。症状(頭のほう)は、絶対手術しないとまずいレベルではない。さて、どうしますか?ということになった。

けっこう大きな手術なので、判断をする前に簡易の実験(簡単にできるが、もし効き目があったとしても1週間しか効果が見込めない)をはさんでみて症状(足のほう)がどう変化するか見てみようということになったのだけど、ある程度予想したとおり、んー、なんとも言えない、はっきり良くなった自覚症状はないけど、もしかしたら多少良くなっているのかもしれないし…という結果。

で、簡易の処置から一週間経ち、翌日には病院に行って、医師に「症状がどう変化したかレポート、手術するのかしないのか意思表明する」という前夜になった。私は父に電話をかけて、明日どうお医者さんに話すのかと尋ねた。すると、まぁその時の気分やな…と言う。こりゃ明日診察を終えてから話聞かないとわからんな…と思い、翌日改めてTEL。

「で、どう言ったの?」と尋ねると、「手術する」と言ったという。私の第一声は「あぁ、男の子だけで決めたって感じねぇ…」だった。この件では兄が全面的に診察とか検査とかの立ち会いをしてくれていて、この席も、父と、男性医師と、つきそいの兄の三者面談。そのシーンを想像するに、なんとなく、そういう流れにしかならない気がした…。

すると、どうやら図星だったらしく、父は苦笑して「そんな大きな手術とは思わなかった」と、少し揺れる想いを吐露したように思われたので、私は「大事な体のことなんだから、今からでも嫌だったら全然やめていいんだよ!」と二度三度伝えた。が、まぁ一度言っちゃったものはやっぱりなかなか…なのだった。

加えて、兄に話を聞くと、先述したとおり「症状(頭のほう)を手術して、症状(足のほう)の改善をも見込む」という話をするんだけど、父から別に話を聞くと、「症状(頭のほう)を放っておくと、認知症になるリスクがあるっていうんだよ」と言う。それで、どうやら父の中では、この段で論点が認知症リスクに置き換わっていることを察した。父は、認知症になって子どもたちに迷惑をかけるのが嫌だという気持ちを前々から強くもっているふうなので、これが判断の決め手になったのではないかとも思われた。

ということで、翌10月をむかえて先日手術をした。手術はしっかりと成功して、家族一同、心からほっとした。術後に見舞いに行くと、開き直ったのか、おしゃべりの中で「いやぁ、長男坊がいて、どうするかって判断迫られて、そりゃ引くに引けなくなるだろ」と、こぼしていた。お気にめしたのか、「おまえが言う、男の子だけでってあれだ」と、あのフレーズを持ち出して笑っていた。

男女の別を言いたいわけじゃない、実際どちらの性別にも多様な選択があって当然で、それは人によっても、その時々でも違う。ともあれ、まぁ大事な結論はうまく「男の子的・男性的・父性的」なのと「女の子的・女性的・母性的」なのと、両者引き合わせて導きたいもの。そして、自分の大切な人が素直な気持ちをこぼせる関係とか時間とかを大事につくりたいと改めて思った。とにかく、無事に手術が成功して良かった!

2017-10-20

伝えたいことがある

一昨日の晩は「セガゲームス社員のキャリア話」というイベントだった。私は第1部(概論)の講演20分と、第2部(トークセッション)では事前に登壇者お三方のインタビューを行って、当日の50分枠を構成だてる構成作家(ってなんだかわかっていないけど)のような仕事を担当(本番は会場後方で応援)。

どちらの役割も(過剰な)期待に応えられるか不安抱えつつだったけど、それぞれに独特の面白さと私なりの挑戦があり、楽しくお仕事させていただいた。当日もなかなか良い感じに進んで、懇親会にも多くの皆さんが残ってくれて盛り上がり、イベントは成功裏に終わった。ご参加者、ご関係者の皆さまに感謝。

ところで、今回は準備段階から当日登壇する直前まで、頭のなかに何度か思い出されるフレーズがあった。あれはいつのことだったか、ちょいと年上のお姉さまと二人で飲みに行ったときに言われたひと言だ。「はやしさんは、伝えたいことがある人だと思うよ」、彼女は私にそう言った。

そのときは確か、私が「基本的には裏方仕事のほうが性に合うし、目的や対象者や実施条件を踏まえて、それに適った仕組みを裏方で構造化する仕事が面白いと感じる」みたいなカクカクした話をしていて、それを聞いた彼女の切り返しが先のひと言だったと思う。

そう切り返されたとき、すーっと、そうかもなぁと思うところがあった。ただ、その後に続く彼女とのおしゃべりで私が認識したのは、私には確かに「伝えたいことがあるようだ」という一方で、「それを自分で伝えたい欲はさしてない」ということだった。

伝えたいことが、伝えたい相手に、しっかり効果的に伝わることにプライオリティがある。そのために、より適した語り手・場面設定をデザインすることに、私がしたい仕事の核がある。そして、だいたい私が採用したい語り手が、私になることはない、別の誰かだ。そういう意味では、やっぱり裏方のほうが自分の自然な役割選択なんだろう。

そんなことを再認識した飲み屋話から、また何年か経ち、今回まれな登壇機会をいただいて準備している中、彼女の言葉がふいに思い出された。が、その言葉には今回、ちがう含みがあった。自分には、裏方仕事を好む自分のほかに、「自分が伝えたいことを、自分で伝えたい」という思いや事柄もあるのかもしれない。それはそれで、別に認めていいよなと。まぁ考えてみたら、個人に「いろんな面がある」「いろんな時がある」なんて普通のことなのだ。

そんなことを考えたりしながら準備して臨んだ本番。今回ご参加くださる方に自分が伝えたいことを素で話すという気持ちを大事にして話せて、薄っぺらい殻を一枚やぶれた気がする。話の上手い下手とはまた別の話なので、あくまで個人的な感覚だけど、悔いのない形でお話しできたのは良かった。

あと、本番を終えて冷静に振り返るに、「私が伝えたい&話せること」というのは限りなく狭く、また部分的だということ。これをしっかりわきまえておきたい。5分枠であろうと、30分枠であろうと、私の話がはまるのは大概、全体の中の「前説」に位置づけられ、どう「前説」として機能させられるか、いかに「本編」に効果的につなげられるかが肝だなぁと。

そうやって考えてみると、普段からクライアント案件でやっている研修開始時の「前説」と同じで、登壇者という位置づけになっても、相変わらず黒子である。つまり裏とか表とか関係なく、全体構造の中に、うまく自分を配役して役割を果たせるよう日々精進と。そういうことなのだ。だいぶややこしいひとり語りを書き連ねてしまったので、そろそろ。

今回、ご参加の皆さんも素敵な方たちで、だからこそ得られた気づきや思いもいろいろあった。第1部の話し始めから20分ほどの講演時間、ずっと顔をあげて目を合わせてくださる方が多く、時おり頷いたり表情も豊かだった。私がほぼほぼ一方的に話しかける体裁だったのだけど、こちらが伝えたいことを、正面から汲み取って言葉を吟味してくれているような顔つきで、そのキャッチボールがすごくありがたかった。時間もちょうどに話し終えられて安堵。冒頭、頭が真っ白になって5秒ほど間をおいていたのも誰にも気づかれていなかった。よかった…。

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