2019-09-08

元どおりになるものなんてないのよ

新宿にある、ビル丸ごとが本屋さんの紀伊国屋書店は、文庫本コーナーだけでも大家族がゆったり暮らせる広さを有する。そんな中にあって、POP広告が目を引き、お薦め本として平積みされていた新刊の1冊を、ほとんどジャケ買いでレジに持っていった。

本を差し出したとき、レジの店員さんが少しばかり顔をほころばせたような気がしたのは、気のせいだったのかどうなのか。ふと、もしかして、この人があのPOP広告を書いた人では?と思ったりした。

POP広告の端っこに、作った人の苗字だけでもカッコ書きで添えておいてもらったら、客もレジで書店員さんの名札を見て、にやりとできるのに。その人の薦めるものにヒットが多ければ、POP広告を目当てに本屋を訪れる習慣をもつかもしれないし、書店員への情なりファン心理が育てば、Amazonではなく、その本屋で買って帰る愛着も醸成されるのでは…などと、ぶつぶつ考えながら本屋を後にした。

というわけで、少し前から「戦場のコックたち」という長編小説を読んでいる。文章を読むのが遅いのに短編小説が苦手という、都合の悪い性質…。500ページ強あるのを、のそのそ読み進めている。

いちおうミステリー小説という位置づけのようだけど、舞台は1944年、主人公はアメリカ合衆国のコック兵、海外文学と思いきや作家名は深緑野分(ふかみどり のわき)、ペンネームだろうが1983年の神奈川県生まれとある。

主人公のティムは、ノルマンディー降下作戦で戦地に立ち、戦闘に参加しながら炊事をこなす。戦場暮らしの中で遭遇する"日常の謎"を解き明かしていく推理小説であり、戦争小説でもあり、人間ドラマもあり、人種差別の問題にも丁寧に踏み込んでいる。

次の一節は、主人公の子供時代の回想シーンだが、ここを読めただけで、この本を読んでよかったと思う。

やっと掃除を終えた僕は、泣きながら祖母に「全部元どおりになったよ」と訴えた。けれど祖母はしゃがみ、僕の目線に高さを合わせると、「元どおりになるものなんてないのよ」と言った。

元どおりになるものなんてない。なんて、一言で“本当のこと”を言い得たセリフだろうか。小説にはこうした、この一言を伝えるがために、この物語が背景として存在するのではないかと思うような言葉のひとかたまりが、さりげなく話のド真ん中に埋め込まれている。

物語の中に出てくる「おばあさん」というのは、たいてい名ゼリフをはく。ずいぶん前に読んだ伊坂幸太郎の「モダンタイムス」で、

あなたはまだ実感ないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だけだよ

というセリフを決めたのも、わりとお年を召した女性だった気がする。わりと物語のド真ん中にあった気もする。

不可逆な時間軸にそって生きるほかない私たちにとって、すっかり元どおりになるものなんてないのだけど、ここにつながるのは決して絶望ではない。元どおりに戻せない前提は、それはそれとして腹くくって受け入れて、それを糧なり肥やしにして、新しいもの・こと・関係を作り出していく未来的な広がりを暗に指し示す。そうやって伝わるように、物語が下支えをしている。

ポール・オースターの「幻影の書」の中に、

危機的な瞬間は人間のなかにいつにない活力を生み出す。あるいは、もっと簡潔に訳すなら-人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる。

というくだりがある。人って何かの前提条件を正面から受けとめて、それに向き合ったときに豊かな発想力を発揮する。元どおりにはならない現実を受け入れることで、元どおりに戻そうとするのではなく新しいものを作り出せばいいと、過去を割り切り、未来に目線を移して、より豊かに、より楽しく面白くなるように思考を巡らせることができる。

考えることは、今地点からあらゆる方向に解釈を広げ、可能性を広げる潜在能力をもつ。そうやって生きていくのが、人の営みの魅力の一つだ。

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」には、

考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる

とある。「考える」ということの尊さに思い巡らす中、ポール・オースター「幻影の書」の一節に。

結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。

この一節を読んだことはすっかり忘れていたのだけど、何冊かの本を通じてこの感覚に触れた憶えはあり、私はもう何年も、宇宙と同じ広がりをもって、人間一人ひとりも内側に小宇宙をもっているという感覚をもって生きてきた。

読んだ本の中身は恐ろしいほど短期間に忘れちゃうんだけど…、自分の中にこういう一節一節の意味するところはしっかり刻み込まれていて、私の価値観を豊かにしてくれている気がする。気がするだけかもしれないけど。やっぱりなぁ、小説はちょこちょこ読まないともったいないなって思った。

2019-08-30

[読書メモ]伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール

新刊ではないのだけど、高橋佑磨氏と片山なつ氏の共著「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(*1)が素晴らしく良書だったので、ちょいメモ。

非デザイナーなんだけど、スライドとか企画書とか、チラシとかポスターとか自分で作らなきゃいけないビジネスパーソンや学生向けに、デザインの基本ルールを教える本。

こうしたビジュアルデザインの入門書というのは、ここ数年のうちに出たものでも私が知るだけで、いくつかある。謳い文句は、だいたい「あなたはセンスがないからできないんじゃない。デザインのルールを知らないからできないだけ。デザインにはルールがある。その基本ルールを使えば、見違えるほどうまく作れるようになる!」というアプローチ。これは実際、間違っていない。デザインセンスのカケラもない私が責任もって保証する。

じゃあ、そんな類書の中で、この本に特徴的なところは何かというと、「著者がデザイナーじゃない」ことかと思う。お二人とも理学博士で、大学院で助教をされていたり、進化生態学とか植物とかがご専門の研究者。

「デザイナーではない人が、デザイナーではない人たち向けに、デザインを教える本」というと眉唾もの?と懐疑心をもってしまうかもしれないが、これがまぁ見事にうまいこと仕上がっている。マイナスにふれるどころか、確実にプラスに働いていると私は感じた。

デザイナーじゃないからこその、いい塩梅で、非デザイナー向けにちょうどいい範囲、内容量、語り口で解説をしている。

ビジネスシーンや学会発表などの場で、非デザイナーにどういう失敗が多いか。それがなぜわかりにくく恰好悪いか。わかりにくいとか恰好悪いって、実際問題どういう不都合があるのか。読みやすい可読性と、目立ちやすい視認性、読み間違えしづらい判読性をどう確保するか。どう改善して、例えば具体的にどう表現すると、どれくらい良くなるか。一言でスパっと根拠を示しながら、絶妙な加減で具体的な解決方法を記して、例えばこんな感じと作例で実証していく様がこぎみ良い。

例えば、デザイナー著作の本なら必ず出てきそうな「黄金比」という言葉は、この本の中に一度も出てこない。でも、「グリッド」について、「段組」については十分な説明がある。10ポイントくらいの文字サイズで長文を書く場合、ページ幅いっぱいにレイアウトすると、一行がすごく長くなる。すごく長くなると、読者が次の行に読み進めるときの視線移動が大変になる。つまり可読性が落ちるので、2段組み、3段組みでこうやって見せるのが良いとか。すごく実用的。

研究者だけあって、言葉の選び方がいちいち的確だし、根拠がいちいち簡潔明瞭だし、説明内容がいちいちちょうどいい塩梅。やり過ぎ感もなく、不足感もない。言葉による表現力に長けていて、さすが鍛錬されているなぁと感じた。

ビフォア/アフター、悪い例/良い例もふんだんに掲載されていて、並べて見比べてみると一目瞭然でポイントがわかるように、作例も丁寧に作られている。

デザイナーじゃないから、作例の仕上がりは「そこそこ」なんでしょう、「洗練されている」には遠く及ばずのクオリティ?いやいや、そんなことない。といって、センスの塊すぎて、自分には到底真似できないというのでもない。

デザイナーさんの著作だと、作例を見ていて、確かに書いてあるポイントも素敵さを実現している1要素なんだけど、説明していないあれこれのセンスやらノウハウやらも総動員されて全体が仕上がっている感のする作例もあったりする。これ1つやったからって、このすごいのができるわけじゃないんだよなっていう。だけど、この本の作例は「書いてあることをそのままやったら、このクオリティにできる」感があって、その点易しい。

使っているツールも、たいていはPowerPointとWordで、たまにIllustratorでどうやるか補足が入るくらい。なので、MS Officeさえパソコンに入っていれば、「具体的にどうやるの?」をすぐに一つファイルを作って試してみられる。「すぐおいしい、すごくおいしい」感がすごい。

プロのデザイナーに発注するレベルじゃない(=非デザイナーが自分でやらなきゃな)作り物であれば、これはもう十分なクオリティでは。と言っている私はデザインセンスがゼロなので、そこの評価は他所に委ねるが。

あと、デザイナーが教えるスタイルの本だと、「デザイン制作の流れ」を理解してもらおうという章立てになるのが一般的かなと思う。いきなり作り出さないで、まずは読み手が誰で、何の目的でこれを作るのかを明確にして、そのためにどういう情報が必要で、それをどうレイアウトして、配色はどうするか、文字・書体選びは?図解はどのようにというふうに、「全体から入って各パーツ」のデザイン作法に展開していく、本の構成。

正しい。正しいんだけど、それだとどうしても頭でっかちになるので、ちょっと試してみて、おぉこれは確かに!っていう体験を得るまで道のりが長くなってしまう。その途中で読み止まってしまうことも。

その点、この本は「各パーツから入って全体」へ、逆の流れで構成立てている。「書体と文字」「文章と箇条書き」「図とグラフ・表」といった要素を章立てて説明した後に、これらをどう「レイアウトと配色」してまとめあげるかを説く流れ。

門外漢だと、とにかくパーツレベルでちょっと気を付けると見違えるように良くなる一手から学んでいけたほうが、敷居が低く、手を出しやすかったりする。

ヘタに個性的なポップ体とか選ぶと読みづらいのかとか、和文をイタリックにしちゃダメなのかとか、じゃあ文字はシンプルなフォントを選んでとか、行間、字間、段落間隔をきちんと設定したり、全体を左に揃えるだけで、ずいぶんと洗練された雰囲気に変わるものだなとか。

ここを変えるだけでも、確かに良くなった!って体験が初っ端からあちこちでできると、その先も読んで試してみようというふうに動機づけられる。読んでは試す、読んでは試すと、頭でっかちにならずに読み進めて試せる構成が、非デザイナー向けとして、すごくうまい具合だと思った。

あと、アドバイスや指針が具体的。洗練されたフォントを使おうとか、格好悪いものはやめようとか言われても、それが何なのかわからないセンスない私たちには適用のしようがない問題というのがあって…。

そこんとこ、このフォントは洗練されているけど、これは美しくないとか。このフォントと、このフォントは相性が悪いとか。このくらいの線の太さは不恰好だとか、ここは余白を一文字分あけるといいとか、中に入る文字数が少ない場合は一文字分も余白をあけると不恰好だからこれくらいねとか、そういうのを視覚的に例示しながら丁寧に書いてあるのも良い。

あと、誤脱字レベルの校正ポイントを見つけたので、出版社に報告しておいたのだけど、数えたら17個。この手の本では、私の感覚だと少ないほう&ちょっとした間違いばかりだった。これらは次の改訂時とかに直してくれるっぽい。

まとめると、基本的なデザイン作法を身につけたい非デザイナーにすごくいい本。デザイナー入門書だと、デザイナーさんが書いた入門書のほうがいいかなとも思うんだけど、ビジネスパーソンという立ち位置の人であれば、これがまさしくフィットするんじゃないかしらと思う。

デザイナーさんとかだと、非デザイナーさんにお薦め書籍とか質問されることがあるかもしれないけど、私がこれを読んだ感覚だと、「デザイナー入門者」が読むべきデザイン入門書と、「非デザイナー」が読むべきデザイン入門書は、最適なものって違うよなぁという感覚。後者には、これ、いいと思います。という個人の感想メモでした。

*1: 高橋佑磨・片山なつ「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(技術評論社)

2019-08-29

組織も個人も「分業型ー統合型」行ったり来たり

Creative Villageのネットイヤーグループ シニアアートディレクター・金 成奎さん×Webデザイナー/コンサルタント・長谷川 恭久さん対談 現在のWebデザインとUI/UX、課題と今後の理想形を拝見してのメモ。

長谷川恭久さんが期待を寄せる「分業化」への流れは、「デジタルデザインはスケールがより大きく、複雑になってきているのに加え、スピードも求められるようになり、分業せざるを得ない状況」ゆえという背景事情を前提におくと、確かになと思う。

一方で、あえて分業化の功罪の「罪」のほうにも目を向けると、変化が激しい時代に、専門外の経験をはなから排除していくキャリア形成になってもどうかなと思ったりする。

そこは、長谷川恭久さんも「若いうちはいろいろなことに挑戦すべきですが」と添えている通り、あまり分業化されていない環境で上流から下流までいろいろ挑戦できる職場も、それはそれで有用なんだろうなと思い。

とすると、つまり職場にも「分業型のところ」「統合型のところ」と両方が市場にあって、自分のキャリアステップに応じて、

(1) 統合型の職場(で、駆け出しのうちはいろいろ経験する)
(2) 分業型の職場(で、(1)で見出した自分の極めたい専門性を磨く)
(3) 統合型の職場(に戻って、専門性×マネジメント力とか別の専門性とかを掛け合わせて、複数のスキルの統合を図り、自分のキャリアのユニーク度を高めていく)

という感じで、行ったり来たりしながら個々人がキャリアステップを踏んでいける職場選択ができると良いのかもしれない。言うは易しだけど。

そう考えたとき、今は専門性を磨ける分業型の職場が国内に少ない(超すごい人の席しかない)ので、そこが日本も充実していくといいという期待なのかなぁなどと思いながら読んだ。

あと、国内市場だとやっぱり、「狭い範囲しか任せられない人は、たとえそこだけは優秀にできても採用できない」感じが結構ある気もするので、やっぱり最初の下地づくり(1)は、すごい大事なんじゃないかなぁなどなど。変化が激しい時代背景も鑑みると、この下地なしに変幻自在性を高く保つのは、すごく難しい感じがする。

個人だけでなく、組織もまた、成長フェーズによって分業型をとる時期、統合型をとる時期というのがあるし、同じ社内でも事業部門や拠点によって型を変えていることもある。そういうことだから、個々人も必ずしも(1)(2)(3)の都度、別の会社に転職しなきゃいけないわけじゃない。

全然あさっての方向に向かって話を展開しているかもしれないけど、興味深く拝読しつつ、思ったこと考えたことメモ。

2019-08-25

古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し

日経ビジネスの「期待の星」ほど早い決断 辞める理由の大誤解という記事が話題になっていたので読んでみた。

「一般論やステレオタイプから想像される退職理由」といえば、「愛社精神がなく、こらえ性もなく、給与や労働時間に不満で、若気の至りで会社を辞める」と扱われがちだが、「有望株が語る離職理由」は、さにあらず。

ゆえに、優秀な人に残ってもらうための施策として、給与を上げる、残業時間を削る、厳しいノルマやパワハラ的指導をなくす対策だけ講じても、優秀な人ほど、ほんとわかってないんだなと白けて離れていってしまう事案。

じゃあ、有望株は何にウンザリして辞めていくのかというので、記事で挙がっているのは、こんなところだ。

  • 改革せずには沈むこと確実なのに、上の人が改革に非協力的
  • 仕事ができないのに上ばかりみて仕事する人間が評価されて出世頭
  • 会社が本来社会に提供すべき価値とずれた、利益欲しさの経営方針
  • 自分が納得できないもの(相手が求めていない商品)を売らされる、自分なりの正義を感じられない仕事
  • 自分が唯一関心がある業務に異動できるのが20年後と言われた
  • 組織都合の配置転換で、まったく違う部署に異動。一向に専門性獲得できず、社内価値は上がれど、欲しいのは社外価値

まとめとしては、これがまさしく「優秀な若手を組織に定着させるための基本的な考え方」として必要なんだろうなと(青山学院大学経営学部教授の山本寛氏)。

この会社で働き続けても、他の企業で必要とされる能力は十分に身に付く」と社員が思えるようにすることです。仕事を通じて得られる汎用的な能力や専門スキルを押し出し、社員が自分のキャリアを長期的に考えられるようにする。つまり社員の「エンプロイアビリティ」(雇用される能力)を企業が積極的に保証するということが重要なのです。

で、この記事を読みながら思い出したのが、先ごろ読了した小松左京の「日本沈没」の一節だった。

この本、1973年の本だけど、「古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し」というのは、戦後と呼ばれた時期からずっと、今も昔もさほど変わっていないのかもなぁと思った。「教養ある原始人」というやつだ。

古い世代の幸長(ゆきなが)は、若い世代の小野寺に対して、ゆたかな時代の「新しいタイプ」の青年というふうに、こんな眼差しを向ける。

(▼は、私が勝手に入れた見出し)

▼一つの職場での実績や、安定したポスト、金銭や地位に執着しない

決して投げやりな仕事ぶりではないにもかかわらず、一つの職場での実績や、安定したポストをいともあっさり投げすて、何の未練もないように次の仕事へうつっていく。金銭や地位についても、また、認められたとか認められないということについても、まるでがつがつしない……。物質や地位に対する執着を持たずにいられるというのは、まさに、「ゆたかな時代」に成長してきたためにちがいない……。

▼「国」「民族」「国家」に宿命的な絆を感じていない(「国」を「組織」と読み替えてみて)

日本人として生まれながら、「国」だの「民族」だの「国家」だのに、暗い、どろどろした、宿命的な絆などまるで感じていない。それでいて、国に対する「貸し借り勘定」はちゃんと意識しており、決して「恩義」を感じていないわけではない。だが、その「恩義」の感情は、民族や国に対して無限責任を感じたり「運命共同体」の逃れられない紐帯を意識したりする形で出てくるものではなく、きわめてドライでクールで、「借り」を返しさえすれば、いつでも自由な関係にはいれるものとしてとらえられているのだ。

ここで注目したいのが、幸長がこの「新しいタイプ」をどう受け止めたのか、つまり肯定的に受け止めたのか、否定的に受け止めたのかという点だ。続きを引用すると…

「強制」や「義務」や「恩義の押しつけ」「忠誠と犠牲の強要」「血縁」など、あのさまざまな紐帯でがんじがらめになっていた戦前までの日本からは、想像もできないような「日本人」が、眼の前にいることをさとって、幸長はちょっとした戸まどいといっしょに、さわやかなものを見たうれしさと、くすぐったい笑いがこみ上げてくるのを感じた。「戦後日本」は、何のかのといわれながら、その民主主義とゆたかさの中から、こういう新しいタイプの青年を生み出してきたのだ。このドライで、クールで、しかも人当たりのいい、人好きのする、おとなの悪魔的な意地悪によってつけられたねじくれた「傷」を負っていない、べたついたところがなく、物質や権力に対する執着もなく、生活に対する欲望も淡白で、さらりとした感じの青年たちは、いわば戦後日本の生み出した傑作といえるだろう。

この新しいタイプを、「さわやかなもの」として「くすぐったい笑い」をこみ上げながら受け止める。「戦後日本の生み出した傑作」とまで評してみせる。私には、これが小松左京が読者に共有せんとする、新しく異質なものを受け止めるときの、あるべき眼差しのように感じられて唸った。

彼らは自分たちを「日本人」であると感ずるより、まず「人間」であると感じており、日本人として生まれたことは、皮膚の色や顔形のちがい、背の高さ、といったような、人間一人一人が持つ、しごく当然な「個体差・群差」としてしか意識していない。彼らは、自分たちを、「日本の中でしか生きていけない」と考えてはいない。地球上、どこへ行っても自分は生きていける、と思っている。生きていくことが、特定社会内における「立身出世」への妄執とつながっていないから、どこでどんな暮らしをしようと、自分の人生を「失敗」したとか、「だめなやつ」だとか考えてみじめな思いをすることもない。──それは、新しいタイプの、いわば「教養のある原始人」ともいうべき人間かもしれない。だが、彼らの闊達さ、寛闊さ、さわやかさを、古い世代の誰が非難できよう。

新しくて異質なものって、まずは抵抗を示し、否定的に見がちなのが人間の性(さが)かもしれない。けれど、一呼吸おいて、意識的に、肯定的な解釈を与えてみようとする試みもまた、私たち人間がもちうる教養・知性というものだよなぁと味わった。小松左京、すごい…。

2019-08-09

Youtube番組「とうふメンタルラボ」にスピリチュアルカウンセラーを招いて

4月に、Youtube番組「とうふメンタルラボ」を始めるという話を書いて以来、しばらく触れずじまいで来てしまったのだけど、これまでに3回の撮影日をもちまして、2回目まで(8本の動画)がゆるゆる「とうふメンタルラボ」チャンネルにあがっていたのでした。出演者の瑠美ちゃんが編集を一手に引き受けてアップしてくれています。

そして、このほど3回目の収録の1本目(つまり9本目)が公開されました。3回目の収録では、スピリチュアルカウンセラーのみほさんをゲストに迎えてトークを展開。

これまでに3000人をはるかに超える悩み相談に対応してきたという経験の持ち主で、そのキャリアだけ聞いても、どんな相談を?どんなふうに聴いて?どんなふうに自分の中で咀嚼して?どんなふうに返しているんだろう?始めた頃と今では相談者と対面したときに入ってくる情報も違うのかしら?と、お話を伺ってみたいことがあれこれ湧いて出てきたので、その素朴な疑問を、そのまま質問して伺ってみました。

スピリチュアルカウンセラーって何する人?本人に聴いてみた!

この動画を見ていて思ったことが一つ(過去回と比較)。私は、自分が何かを話すというより、誰かに何かを問いかけてお話を聴かせてもらう役回りのほうが、自分的にすごくしっくり感があるなぁということ。

自分はコンテンツホルダーじゃなくて、魅力的なコンテンツをもつ人たちの話を引き出したり、受け取ったり、編集したりして、それを活かせるまた別のコンテンツホルダーさんのもとに届ける媒介者の役回りなんだよなぁという感覚をずっと持ちながら生きてきているのだけど、今回改めて、そこの位置取りの収まりの良さを実感したりした。

媒介者としてなら優れているのかと突っ込まれると、そういう能力の問題じゃないんです…とたじろがずにはいられないのだけど、もし世の中の人が著者と編集者タイプに大別できるとして、どっちタイプか適性をみる検査を受けたら、私はきっと編集者タイプに振り分けられるだろうなぁという感じというか。

それは、「コンテンツを自分では何もお持ちではないですね」「はい、すみません」という自己イメージともつながっているわけだけど、もはやそれを開き直って受け止めちゃっている感じがある、あがきがない、いいのか悪いのか、時々自分に問うてみたりはするのだけど、やっぱり、わりと穏やかに、受け止めちゃってる感じがあるんだよな。これは、問題なのか、問題じゃないのか。

まぁでも、なんであれ、ある程度のテーマ性をもって編集者として仕事をしていると、そこにノウハウなり知見なりたまっていって、それはそれで、その分野のコンテンツをホールドすることにもなっていくわけで、大別してどっち寄りと自分をどちらかに割り振ってみたところで、その枠組みに縛られるものでもなく、縛りようもないと自覚していればなんでもないわけで。そうすると、今ここに書いたことも、つまりはなんでもないことなのだけど…。

ともあれ、自分が投げかける疑問は極めて素朴なものなんだけど、それに応えてくれる人の話はすごくおもしろいし、これがどこかの誰かに届いて何かがそこで、ちょっとしたものでもいいから生まれたらなと思う。そういうところで自分が働けたら、身の丈にあった、すごく自分らしい働き方だなと思う。

今回も、視聴者を代表するような感じで素朴な質問を私から最初にさせてもらって、そこから瑠美ちゃん、白石さんと、濃いぃメンバー(私からするとコンテンツホルダーな魅力をもつ面々)が話を発展させていく、みほさんとの対話を楽しむ感じが楽しかった。その足場づくりというか、みんなが舞台上で本番を踊りだすまでの設えを担当して、うまく流れだしたらあとは静かに舞台袖から舞台を味わう感じが、なんか心地よかった。

その設え部が、この1本目。8分ほどのコンパクトな動画にまとまっていますので、ご興味があえば、ご視聴ください。

あと、ここまでのアーカイブもまとめてリスト化しておこう。たぶん、このゲスト回をもってちょっと一休みすると思うので。自分が話す立場の、しっくりいかなさ加減が、じんわり漂ってくる…。

▼2019年の春先、はじめての収録

とうふメンタルラボとは?はじめての企画会議(4/12)

元メンヘラもいます!勝手に自己紹介(4/19)

とうふメンタルあるある|自分がメンタルやわい(弱い)と感じる瞬間(4/25)

元メンヘラが語る!実際にいたやばいお医者さんの話(5/22)

元メンヘラが思う、お医者さん選びのコツ(5/22)

▼2019年の初夏、慣れない2回目の収録

スキルがなくて将来が不安!とうふメンタル流キャリアとの向き合い方(6/02)

『年を取るのが怖い』って不安を年長者にぶつけてみた(6/27)

自分で貼っちゃう「レッテル」が苦しいんです7/04

2019-07-31

「コミュニケーションは、慣れの問題」と置いてみる

5月に、ここに書いた「寛容になろう」が生みだす不寛容を読んでくださった方から、1冊の本を紹介されて読んでみた。「その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、『自殺希少地域』を行く」(*1)という、精神科医の森川すいめいさんの著書だ。

日本の「自殺希少地域」(自殺で亡くなるひとが少ない地域)を5か所6回にわたって足を運び、それぞれ1週間ほど滞在したときの記録に考察を加えた文章。

現地で出会う人にできるだけ声をかけ、雑談をし、少し関係が深まったと感じたときに、なぜこの地が自殺希少地域なのかを、自然な会話の中で尋ね歩いたという。

岡檀(おかまゆみ)さんの「自殺希少地域」の研究(*2)によれば、自殺が少ない地域では、隣近所とのつきあい方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答する人たちが8割を超え、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答する人たちは16%程度にとどまった。一方で、自殺で亡くなる人の多い地域は「緊密」と回答する人が約4割に達したという。

人間関係が緊密だと、つながる人の数は少なくなる。合わない人の排除が始まって、孤立が生まれる。

自殺が少ない地域では、ふだんの人間関係は緊密でないが、コミュニケーションの量は多い。ゆるく多くの人とつながっている状態、たくさんの知り合いがいるから、完全な孤立にはならない。

こうした中で、多様な人とのコミュニケーションに慣れていくし、合わない人を排除せずとも、あいさつ程度のコミュニケーションは成り立つから、困ったときには必要に応じて必要な分だけ手助けしあえる。

コミュニケーションが多いと、その人のことも手助けの方法も、手持ちの情報が豊かになる。困っている人がいると、何に困っているのかだいたい見当がつくようにもなる。車椅子の人だったら、あそこの段差のところを行き来するときだけはサポートが必要だなとか。それで、さっと声をかけて手助けして、段差のところだけ手助けしたら、あとはもうバイバイすればいい。

自殺が少ない地域は、手助けに慣れているという。そこに恩着せがましさがない。自分がただ、黙ってみていられないから、手を貸す。自分が助けたいと思うから助ける。気がかりだから、放っておけないから、声をかける。自分がどうしたいか。原動力がシンプルだ。

自殺が少ない地域の人は相対的に、自分の考えをもっているという。

自分の考えがあるゆえに他人の考えを尊重する。ひとは自分の考えをもつと知っている。違う意見を話せる。だからある人間の側やグループにつくのではなく、どの意見かによって誰と一緒になるかが決まる。ゆえに派閥がない。

また、次の老人のことばを受けた著者の弁は、私にもまったく同じように働いた。

「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい」私は島を一周する途中で会った老人のこのことばを聞いて、そうだよなと思うようになった。ひとを助けるにおいて、少し、それまでは動き出す前に考えてしまうことがあった。ここで助けることが本当に本人にとっていいことなのか、ためになることなのかどうか、と。そのつど悩んだ。しかし、このことばを聞いてからそれを実践するようにした。

行動に起こさないこと、足が動かないこと、口が開かないことが、ままある。タイミングを逃してしまい、後でやらなかったことを後悔した経験は数しれない。

自分が直観で「これは、やったらいいよ」と思うことは、たぶん自分がやりたいことなのだ。そういうことに、別の自分が耳を貸さず、真剣にとりあわずに、やらずじまいで済ませてしまったことがたくさんある。

これを躊躇せずにやっていくことが、自分をありたい自分に近づけていくんだろうなと思う。

困っているひとがいたら考える前に助けたらいい。大切なことは自分がどうしたいかだ。

コミュニケーションに慣れている、手助けに慣れている。コミュニケーションも、人助けも、慣れの問題。そう置いてみると、気持ちが楽になった。善い人ができて、そうじゃない人はできないとか、優秀な人、心根のやさしい人、親切な人、よく気のつく人じゃなきゃできないとかじゃない。

慣れの問題なら、慣れればいいだけだ。そして慣れるためには、慣れるまで意識的に自分でそれをしていく働きかけが必要だ。そこを通過して、それをするのが当たり前になったら、もうこっちのものである。今は道半ば、躊躇してしまうこともあるけれど、わりと躊躇なくできるようになったこともある。発展途上である。

せっかく、自分が気づいたこと、思ったこと、考えたことを生かしていかないともったいない。自分が気がかりに思うことに、きちんと私が耳を貸して、立ち止まって、向き合って、それに関わって、声をかけていく、行動に移していくということを大事にしたい。そう、思い直す一冊だった。

*1:森川すいめい「その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、『自殺希少地域』を行く」(青土社)
*2:岡檀さんは和歌山県立医科大学保健看護学部講師。詳しくは著書「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」(講談社)

2019-07-30

「Web系キャリア探訪」第13回、デザイナーという職能集団の長

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第13回が公開されました。今回は、今年のはじめにヤフーのデザイン部長からクックパッドのデザイン戦略部本部長に転身した宇野雄さんを取材。

ヤフーデザイン部長を務めた宇野雄氏があえて、クックパッドに転職した理由

現在38歳と、(40代からみると…)まだお若いのですが、出向や転籍を含め9社を経験、インターネット黎明期から常に最前線でデザイン業務に従事してこられた宇野さん。

職場を転々としているように見えて、一社一社で獲得してこられた経験・知見が、それぞれに骨太で、それらを着実に積み上げ&掛け合わせて次につないでいって今がある、というキャリアだなぁと思いました。

とにかくがむしゃらにやりたいことをやりまくって未熟さをつぶしていって成長実感ありまくりな若かりし日々、WebサイトからWebサービスやソーシャルゲームへ作るものが変わっていき、「数字(の変動)を見ながらデザインする」「デザインで人の感情を動かす」「デザイナーのままデザイン部長を務め、内外にデザインの価値を働きかけ、実際に価値を出す」といったステージごとの実践、いろいろなチャレンジがぎゅぎゅっと詰まったキャリア話で、たいへん刺激的でした。

デザイナーを集めた職能集団を部署として作って機能させている事業会社が国内にどれくらいあるのかわからないけれど、そういう部署に身をおいて宇野さんの身のこなしを間近で見ている若手デザイナーの方は、かなり良い刺激をもらいながら働けているのだろうなぁと思いました。

自分がプレイングマネージャーのような働き方を志向していないとしても、デザイナーの仕事をきちんと会社の中でビジネス文脈にのせて言語化・数値化し、価値化し、経営や他部署に求められる環境でデザインの仕事に携わっていくって、すごく健全だし、学びが多いし、いろんなチャレンジも思いついたり提案しやすいだろうなと。

プレイングマネージャーという言葉はよく見聞きするけれど、ではプレイヤーとして何を果たし、マネージャーとして何を果たすことで、その役割を両立させうるのか。自分にとっても部下にとっても会社にとっても、その先のお客さんや社会にとっても良い効果をもたらす振る舞いとは。そうしたことを一歩踏み込んで考えてみる材料になるかもしれません。お時間あるときに、ぜひご覧いただければ幸いです。

2019-07-18

よくある「漢字の書き間違え」をなくす10問テスト

ちょっとしたテスト問題を作ってみた第2弾。どんだけ心が折れているのか…。いや、大丈夫、健やか傾向です。

よくある「漢字の書き間違え」をなくす10問テスト

英語の勉強疲れ(と言うほど全然やっていないが)の反動でか、気分転換に日本語のほうへ行ってみたくなり…。毎日新聞校閲グループが著した「校閲記者の目 あらゆるミスを見逃さないプロの技術」(*1) という本を読んでいたら、あぁ、これをテスト問題に展開したい!という欲求が高まってきて。

とりあえず問題に展開しやすそう&広くいろんな人に基礎固めとして役立ててもらえそうな「漢字の書き間違え」にフォーカスした10問テストを作成してみました。

私がネット上をうろうろしていて頻繁に見かける漢字の表記ミス(同音異字とか同訓異字とか)を取り上げて問題にしました。今回は、テスト後に見られる「ワンポイント解説」も練って書いてみました。

学習効果が高いテスト問題とは?を念頭におきつつ、何を問題に取り上げるか、どういうふうに問うか、先々取り出せる知識として残るように(かつ、テスト後に読んでもらえるよう短文で)どんな解説を添えるか…と、設問・正解・解説をテキスト化していくのは、インストラクショナルデザインを生業にする自分にとって、すごく大事な筋トレ。

たかが10問の漢字テスト、やってくださる方に貢献できることはわずかなものだけれど、ちっちゃくとも意味はあると思えることをコツコツやっていく。わずかなこと、ささやかな貢献でも、やっていれば自分を許して、どうにか生きていけるというものだ。

地味でも価値ある仕事に、矜持とこだわりとをもって取り組む、先ほどの本の校閲記者たちには、勝手に心を寄せ、勝手に励まされながら読みました。感謝、感謝。

また、一つ前のテストを受けてくださった方、ありがとうございました。すごい救われました。今回のテスト問題も、もしご興味とお時間がありましたら、ぜひ。同僚さんや後輩さんにも、どうぞ。

ちなみに、社内研修の講師は自分でやるから事足りているんだけど、講義内容をベースにテスト問題作ってもらえない?とかのご相談も承ります(営業)。

*1: 毎日新聞校閲グループ「校閲記者の目 あらゆるミスを見逃さないプロの技術」(毎日新聞出版)

2019-07-14

間違えやすい社名を正しく覚える20問テスト

このところ「自分はぜんぜん人の役に立ててなくて、なんなんだろうな、まったく」という感覚にとらわれてちょっと塞いでいたので、ちょっとしたテスト問題を作ってみた。

間違えやすい社名を正しく覚える20問テスト

正しい日本語表記に興味がある方は、超ヒマなときとか気分転換したいときに、試してみてください。

社会人になって、SNSやWebサイト、何かしらのメディアに「ものを書く」ようになると、どこかのタイミングで出くわすのが、まぎらわしい表記の企業名。

セブンイレブンは正式名称「セブン-イレブン・ジャパン」だし、ユニクロを運営するのは「ファーストリテイリング」だし、NECは正式名称「日本電気」だし、「三菱電機」は電機であって電気ではないし。パナソニックはもともと「松下電器産業」だったのであって電気でも電機でもない。

他にも、しれっと社名のまん中におさまっているカナが「ャ」じゃなくて「ヤ」だったとか、カタカナじゃなくてひらがなで書くんだったとか、企業名表記にはそうしたひっかけ問題が、書き手を試すがごとく埋め込まれている。

一文字二文字のちょっとした違いでも、固有名詞を間違えるというのは、かなり痛い失敗。すごく、まずい失敗である。人の名前を間違えるのが超失礼なのと同じように、会社名の間違いも超々失礼である。使いどころによっては、ひれ伏してお詫び事案である。

というわけで、社会に出てから比較的早いタイミングで、みんながこの「間違えやすい社名」に触れるだけ触れておいて、まぁ忘れちゃったとしても、「なんかこれ、調べてから書いたほうがいいやつだ!」と思い出せるよう、ひっかかりを作っておければと思い、間違えやすい社名をリストアップしてミニテストを作ってみた次第。

別に、調べながら答えても一向にかまわない。正解は、20197月現在の各社のWebサイトで正式名称を確認した上でのもの。

この20社の社名を書く機会が巡ってくるかどうかは、テストを受けてくれる人が関わる業界によりけりだと思うけれど、例えばこういうところに間違いが起きやすいのね!という嗅覚を養っておくのには多少なりとも使えると思う。また、メディアにもの書く人はだいたい押さえているメジャーどころの「紛らわしい社名」をリストアップしたので、覚えておいて損はないと思う。

よろしければ、ご自身の確認用、あるいは後輩・新人育成用のプチ学習ツール、仕事を誰かに任せるときどれくらいこの辺知っているかをざっと把握するツールとして、ご活用いただければ幸いです。1mmでも役だったら、私も救われるというものです。

ちなみに、より詳しく押さえておきたい方は、このテスト問題づくりでもお世話になった記者ハンドブック 新聞用字用語集(共同通信社)あたりを読んでみるとよいかも。「紛らわしい会社名」が一覧でまとまっているはず(私は古い版しか今手元にないので、たぶん…ですが)。

2019-07-10

20-30代の生態、マネジメントする40-50代の葛藤

法人研修を提供する仕事をしていると、クライアント先で40-50代の現場マネージャー(発注者)から相談を受け、その話をもとに作った研修プログラムを20-30代の受講者(発注者の部下)に提供する機会が少なくない。

研修案件を引き受けるときには、客先の現場マネージャーにいろいろと話を聴く。どうなりたいのに、現状どこに従業員の能力不足があって問題なのか。そうした話の中では、現場マネージャーが年々、歳の差が開いていくばかりの若手をどうマネジメントしていけばいいものか、苦悩したり葛藤している様子もうかがい知ることになる。

いちいち説明が必要、わからなくても質問してこない、指示待ちが基本、安心安全な場所で練習したがる、業務時間内に勉強したがる、権限を求めず責任を負いたがらない、メンタルが弱い、何か言うとへこんで這い上がってこない、働かされている感じ、ハングリー精神に欠ける、こんな時代に社内にロールモデルがいないと嘆く、やりたい仕事ができないと嘆くわりにやりたい仕事を獲得するための具体的アクションを起こさない、無駄かどうかなんて判断できない頭で無駄を嫌う、不平不満を表立って言わずにある日突然に退職を決めてくる…とか、どうだろうか。

世代違いを要因に持ちだすと、「なんでもかんでも世代論で片づけやがって!」と拒否反応や反発を覚える人もいるかもしれないが、一方で、なんでもかんでも「世代間の違いは関係ない」と決めつけてかかるのも、それはそれで違うかなと感じる。

世の中のあらゆる「結果」は、複合的な要因のもとに起きていると思うので、その一因に世代差による影響、育ってきた環境や時代背景が違うことで双方が相容れずに発生している問題も、あっておかしくない。個体差もあれば、地域差も、世代差もあって、その他にもいろんな影響を受けて、人の違いが生み出されている。どうにも相容れないという行き違いも起きてしまう。そこで大事なことは、さまざまな要因に丁寧に目配せすること、それが一番、健全な洞察を得られると思う。

なんて考えているときに、ちょうど関心事にひっかかる英語の記事を目にした。Training MagazineというWebメディアの「企業が直面している難題」という記事で、「いかにミレニアル世代を理解し、リードし、モチベートしていくか」という12個のポイントをまとめているリストがあったので、ざっくりそのリスト部分を訳してみた。

※20年ほど離れていたところから、のっそり英語学習を再開したばかりの私が、英語の練習がてら意訳したものなので、あてにならないことこの上ないが、雰囲気の共有です…。そこはご容赦を。

ここで取り上げられているのは、米国でいうところのミレニアル世代というやつか。デジタルネイティブとも呼ばれ、「2000年代に成年期を迎えた世代」が今、職場では一線に立つ。1981年から1996年に生まれた人たちとくくると、2019年現在、23歳から38歳くらいの働き盛りだ。けっこう広いな。

THE MOST CHALLENGING ISSUE COMPANIES ARE FACING RIGHT NOW│Training Magazine

以下、「ミレニアル世代は〜だ」という12個のポイントに整理した意訳。

1.ミレニアル世代は、チームで協力して働くことを好む
すこし背伸びした目標を与え、部門間のやりとりを入れると良い。ただ、職務からはずれた活動に巻き込みすぎてもいけない。大変すぎると年間目標を達成できないだろう。

2.ミレニアル世代は、フィードバックを欲している
働きに対して、フィードバックを返そう。ただ「よくやった!」では、うまくいかない。プロジェクトごとに週1で具体的な指導を与えるようでないと、彼らは満足しない。

3.ミレニアル世代は、トレーニングにやりがいを得る
適切なトレーニングを受けられるようにしよう。予算と時間が許すなら、トレーニングを提供しよう。

4.ミレニアル世代は、仕事の「How」と「Why」を知りたい
彼らは仕事の全体像を捉えて、貢献したいと思う。会社のビジョンや戦略について話し合うブレストやオフサイトミーティングの時間を作ろう。

5.ミレニアル世代には、「フレックスタイム」が必要
仕事とプライベートを分けるのが困難で、何時にでも仕事をすれば、それを仕事として認めてほしいと思う。できるだけ彼らのライフワークバランスを尊重しよう。

6.ミレニアル世代は、高い倫理基準をもつ
みずから見本を示して、彼らを引っ張っていこう。言うだけ言って実行しないなど、この人は口先だけだと思われたら、彼らはついてこない。

7.ミレニアル世代は、説教を好まない
フィードバックやトレーニングは望むけれど、説教は求めていない。講釈をたれたり、尊大な態度をみせると、そっぽを向かれてしまう。

8.ミレニアム世代は、一人芝居で話し続けられると退屈する
ミーティングは双方向で、できるだけ楽しくやろう。皆を会話に参加させ、折りに触れ皆にミーティングをリードさせる機会をつくろう。

9.ミレニアル世代は、始めるとき「始め!」の号令が必要
きちんとスタートを宣言されないと、待機を続けて何もしない。プロジェクトを始めるときには、明確に「始め!」と宣言しよう。

10.ミレニアル世代は、自分よりテクノロジーに明るい
彼らのほうが、アプリ、ゲーム、ソーシャルメディア、Webサイト、ソフトウェアなど、様々な技術知識に秀でている。それを認めて、技術絡みのプロジェクトを任せていこう。

11.ミレニアル世代は、顧客や地域社会にとって重要な役割を果たす会社の一員でありたいと思っている
彼らの仕事観は、仕事をやり遂げて給与を稼ぐだけでは満たされない。自分たちが手がける製品・サービスが顧客に価値や利益を提供し、自分たちがうまくここにフィットし機能を果たしていることを示そう。彼らにとって「意味のある」環境を作っていこう。

12.ミレニアル世代でなくとも、報酬は嬉しい(超意訳…)
皆が感謝され、尊敬され、評価されていると感じるようにケアしよう。よくやったと褒めたり、ありがとうと伝えたり、ちょっとしたギフトを贈るのでもいい。

ここまで書かれると、「自分はミレニアル世代のご機嫌取りのために仕事してるんじゃない!」という気になるかもだけど、現場マネージャーにも見直せるところはあって、もちろん若手の側にも見直したらいいことがある。そんなふうに捉えて、とりあえずこの生態を参考までに眺めてみると、何かしら打ち手の発案に使えるかもしれない。

何のためにやるのか、どこを目指しているのかをシェアしたり意見交換する時間は大事っていうのは、別にミレニアル世代に限った話じゃないと思うけれど、そこんとこ本当に丁寧にやれているかなって見直してみるとか。

現場叩き上げで、寝る間も惜しんで休日使って知識・スキルを獲得してきた人たちには、会社でトレーニング機会を提供してあげるなんて甘ったれていると思う向きもあるかもしれないが、実務に就く前にある程度体系立てて知識をインプットしたり、練習して失敗して見直すトレーニング機会を与えてあげることで、彼らのモチベーションが高まったり、あとは自学自習していける取っ掛かりになるなら、そんなの家でやれ!の一辺倒で一切をはねのけるより、取っ掛かりのトレーニングをやってあげたほうが問題解決には話が早いかもしれない。

このあたりを丁寧に洞察深めていきたい。それぞれにどういう施策が功を奏すのかと、あれこれ考えたり情報を整理したりしている。そこで自分が、なにか働けたらいいんじゃないかと。

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