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2017-01-20

モデルの話、個々の話

今日Facebook上で「キャリアモデル」の話になって、わりと長めのやりとりになったのだけど、その途中で勢い余って「モデルと個々の話」を、長文ひとりごちてしまった。

そこではあくまでモデルの話をしていたので、個別のケースを巻きこんだ話は論点とずれるものだったんだけど、ここしばらくもぞもぞ考えていたことが、わーっと書き起こされたがる現象が脳内に発生して踏みとどまれず、あさっての方向にひた走る文章を、会話中に挿しこんでしまった。

Facebook上で(そうと知らず)長文読むはめになった方には申し訳ないことをしたのだけど…、個人的には体の外にはきだせてすっきり、きっかけをくれたことに感謝。

〜ということで、本来収まるべきだったこっちのほうにひっそり残しておく。以下は、ひとりごちた文章ほぼそのままコピペなので、ここだけ読んでもわかりづらいと思うけど、いつかのときの私用メモということでご容赦ください。

キャリアカウンセラーの立場からすると(私の性質にすぎないかもしれませんが)、あまりモデル化を推し進めて、抽象的な枠組みが個々人の生き方を規定していく、みたいな展開を恐れています。

私の根っこには、「人は誰しも例外(規格外)である」という考えがあって(ユングの言葉ですが*1)、そのもとに人に向き合いたいと思っているので、モデルをできるだけあてはめずに、よくよくその人の話を聴いてみたい…というのがあります。

「独身は」「DINKSは」というのも一つの枠組みですが、キャリアカウンセラーは個人をみるのが基本なので、私としてはどちらかというと、こういう枠組みをあてて個人を位置づけてかからないように…という意識というか、無意識のほうが先にたつタチです。時と場合によって視点を変えられる必要はあるとは思っているのですが。

例えば介護の問題にしても、その人に親の介護が実際に発生するか、両親かどちらか一方か、発生したとして何歳時点でどれくらい重度のものを抱えるか、何年続くか(がわからないわけですが、50歳で介護を終えた場合、その人には50歳以降のまた仕事人生があったりもするという意味で)、一人で支えるか、家族や親せきと分担できるか、割ける資金はどれくらいあるか、デイケアで施設に預けるか、寝泊り含めて施設で生活してもらうか、仕事とどうバランスをとるか、本人が親の介護とどうつきあうスタンスでいるかなど、介護一つとっても年齢だけでは語れない個人差があるので、キャリアカウンセラーという立場でいうと、その一人ひとりの状況や思いに対して、その人の答えを一緒に考える役割を果たしたいという思いがあります。介護は、多くの個人差をうむ一つの要素に過ぎないので、それ以外のいろんなその人のことを踏まえて。

抽象化されたモデル、パターンから一定の示唆は得たいし、専門でやるなら、その責任もあると思いますが、実際場面ではそれらの知識と距離をとって、その人が答えを出すサポートがしたいと思います。ゆえに、あまり「こういうふうにキャリアパスを形成すべし」という一般的な考えを、私は持っていません。

持っている人が提言することに意義はあると思うし、私がそういう意欲と能力に欠けているという話なのは重々承知しているのですが、私はそこでは、うまいこと人の役に立てないだろうと思っています。

なのに、おまえ、登壇なんかしてるのか!って話はあるかと思いますが、それでも私は、モデルを知ることで、「1つと思っていたものに選択肢がある」と知って思いこみから解放されることは有意義だと思っていて、とくに短時間&1対多に向けて話す構造で、私が話し手としてできることを考えると、それ以外にないと思うので、数十分の講演を引き受けた際は、そういう話に落とし込むようにしています。

*1:Carl Gustav Jung "Every individual is an exception to the rule."

2017-01-19

たまキャリ #1 前説とトークセッション出演録

昨晩は、Web系キャリアについて語らう自社主催イベント「たまキャリ #1」( #tamacareer )で、「前説」と「トークセッション」の合いの手役を担当しました。先日こちらに書いた経緯で。

前説は、前説といいながら15分の持ち時間で、WEB制作職のキャリアモデルを4パターンに展開して紹介。

第1部ではゲストお二方に、ここ15〜20年くらいを振り返った、WEB&WEB制作会社の変遷(太田さん)、WEB制作者として自身のキャリア変遷(伊原さん)をひも解いていただき、それを参加者それぞれが自分のこれまでと照らし合わせながら聴いて追体験(を期待)。

Web制作会社とBA、ここ15年の変貌(太田良典さん)
今やWeb制作者じゃなくなった私の仕事実態(伊原力也さん)

それを踏まえて第2部では、キャリアの話をあれこれ「トークセッション」。会場からのネタ提供がなかった場合にも皆さんに充実した内容をお届けできるようにと、構成をわりに作りこんでしまって、結局いただいた質問に少ししか答えられなかったのは大変申し訳なかったのですが(モデレーターの臨機応変な対応力が求められた…)、

◇ロールモデルはいますか?
◇自分のキャリアモデルはどれ?
◇仕事する上で重視することは、どれ?
◇キャリアは計画性◯割、偶発性◯割?

という問いかけに、キャリア理論も肴(さかな)にして持ち込みつつ、ゲストのお話を掘り下げていったり、ご参加の皆さんにも挙手いただいたりして、ご経験や志向性をうかがったり。わりと、「想定どおり」というより「へぇ、そうなのかー」という回答をうかがえて興味深かったです。

今回は、プロダクションを経営されている方から、WEB制作職に転向してきて1年未満という方まで幅広くいらして、WEB系の実務経験を尋ねると、「10年以上」が一番多かったものの、「7-10年未満」「3-7年未満」「1-3年未満」「1年未満」と、それぞれに手が挙がりました。

かなり幅広い層がご参加くださったので、人によって引っかかったポイントは異なると思いますが、願わくば1つと言わずいくつか、自分のキャリアを振り返ったり整理したり、組織メンバーのキャリアパスについて検討するきっかけなり種なり、持ち帰っていただけていればと、切に願っています。お忙しい中、会場に足をお運びくださった方、本当にありがとうございました。

当日使用した前説「WEB制作者のキャリアパス」と、第2部「トークセッション」の進行スライドは、Slideshareに公開しました。イベント用に作ったスライドのため、説明なしでは分かりづらい点もあるかと思いますが、ご興味があるテーマでしたら覗いてみてください。 ちなみに、5スライド目だけは、そのままだとだいぶわかりづらかったので、当日口頭で話した要旨を、後で書き起こして追記してあります。

WEB制作者のキャリアパス&トークセッション(たまキャリ #1)

2017-01-15

レジは素手

正月モードは、いつも駆け足で去っていくけれど、今年は特にそうだ。つい2週間前、「明けまして…」と言っていたなんて信じられない。今は、ただただ寒い冬だ。今年はなんだか、年始めから途切れることなく働いている。週末もいろいろ、考えること、確認して返すもの、作るもの、整理しておくことに事欠かず、あれをやったらこれ、これをやったらあれと、うなり続けている。週末にそんな時間がもてるのは、暇な人間の証拠だが…。

気分転換にあっちこっち移動しながらやっていると、とあるコーヒー屋のレジで、店員さんが調理用の手袋をしたまま支払い対応するのに遭遇した。サンドウィッチと紅茶を注文すると、「◯円です」とお代を言われ、私は代金をトレーにのせて待機する。店員さんが注文の品を用意して戻ってくると、「◯円お預かりします」「◯円のお返しです」と言って現金を扱う。その手には、白くて極薄の調理用とおぼしき手袋がされたままである。

私は、こういうの前にもどこかであったなぁと思いつつ、その手から目が離せなくなってしまう。手を凝視したまま、あれこれの考えが交錯する。お金を触る手と、食べ物を触る手を分けたいから手袋を使うのに、この手袋してお金を触ってしまったらダメなんじゃないのか?というのが、当然最初にわく疑問なのだけど、早合点は良くない、これはいけないことなのか冷静に考えてみなければと思い直す。

もちろん、このレジ対応の後に、また同じ手袋で他の客の食べ物を触りだしたら、これはアウトだ。それをしかねない危険は大いに感じられる。というか、私の前のお客さんのときから、この手袋はつけられていたのかもしれない。すでにお金を扱った手袋で、私の食べ物を触っている可能性も大いにある。私はそれで食べる気を失うほど繊細じゃないので胃袋的にはどうってことないのだが…、手袋の目的に適っていない振る舞いというところは気になってしまう。

でも、一回使い切りの手袋で、客ごとに手袋を替えているのだとしたら、話は別だ。その回のお客さんを待たせぬよう手袋のままレジ対応してしまって、次のお客さんの対応前に手袋を替えるのであれば、これは支障ないということになるのだろうか。だいぶ贅沢な使い方の気はするけれど、ありえないとは言い切れない。

いや、そうであったとしても、この薄手の手袋でレジ対応するのは妥当だろうか。客側の違和感は残るだろう。もしかして、これは調理用ではなくお金を扱う用の手袋で、お札を数えやすいとか、小銭で手が汚れないとかいうメリットを享受しているということは…。でも他の店員はしていない。他の店舗でも見たことがない。宝飾店でもないし。やっぱりこれは不自然。客としては、ちょっとぎょっとするのが普通ではないか。

ここにこれまで書いたようなことを考えて不自然を体験する客は、果たして世の中の何割くらいを占めるものだろう。この店員さんが、これを不自然に感じないとすれば、不自然に感じない客も何割かはいるということになるのか。あるいは、この店員さんも客側にまわったら、これを不自然と感じるのだろうか。

店員さんは、なぜ手袋をはずさないのだろう。極薄の手袋だと、つけたり取ったりが厄介そうではある。面倒くさい、大した問題じゃない、客を待たせたくないと思う店員さんと、わりに気になる客の心理の不一致によって生じるのか。謎は深い。

という文章をぐだぐだ書くくらいには、まだ余裕があるということ。相当である。今年も楽しく頑張ろう。

2017-01-10

Web系キャリアを語らう会に出演

自社で主催するセミナーイベントの前説(まえせつ)と、第2部のトークセッションの「合いの手」役を担当することになりました。

昨年ひょんなことから、ゲスト講演者との打ち合わせに同行することになり、気がつけば社に戻って企画書を書いていた。打ち合わせの帰り道の某部長のニヤリ顔を見逃してはいないが…、巻き込まれたというよりは、渡りに船と解釈して、せっせと作る。それで全体の構成を考えていくと、ゲストトークを補完する役割が必要で、とにかく誰かがやるっきゃない…ということで、その役を自分に割り当てたのも自分。なので、つまり、やるっきゃない。

そんなこんなで、本番も間近に迫って参りました。どれだけうまくその役割を果たせるかわかりませんが、ともかく頑張ります。開催は1月18日、来週水曜の晩、渋谷で開催です。駅の地下道から直通なので寒くないし、軽食も出るし、飲み物も出ます。平日の晩に2時間ばかしのおしゃべり、ちょっとした新年会のゼロ次会にも、ぴったり。テーマに関心のある方は、ぜひ気軽に足をお運びください。会場でお待ちしております。

詳細・お申込みはこちらから。
「会社を変えず、中身を変え続けてきた人」たまキャリ #1
http://peatix.com/event/212340/

この週末はその準備にあたっていたのだけど、やりだすとまぁ、あれこれネタが出てきて、なかなか収拾がつかない。半分くらいは構造立てて、あと半分くらいはご参加の皆さん、ゲストと一緒に当日作っていけたら一番と思いつつ、そういうのができるパフォーマンス力に乏しく。身の丈をわきまえつつ、どう頑張るか。思案のしどころです…。

それはそれで頑張るとして、私は思うのですが、変化が激しくて、10年後、20年後の世の中がどうなるかよくわからんという時代には、それでも無理やり「世の中」の予測を試みて決めてかかるより、わからんものはわからんものとして、「自分」のことをよく理解しておくほうが、キャリア選択において能率よく合理的じゃないかなと。

もちろん、まったく世の中の流れをみないのも極端で、それなりに大きな潮流をとらえておくことは大事だと思うのですが、でも世の中にiPhoneがポンと出てきたら、ガラケーやFlashのコンテンツ制作が立ち行かなくなるみたいに、一社なり一人の天才ががらっと世の中を変えてしまって、自分が前提にしていた市場が総崩れみたいなことは今後だって十分起こりうるわけです。

そう考えると、曖昧な未来予測に基いて自分のキャリアをごりごりにデザインしてかかるよりも、今の自分、これまでの自分をよくよく理解しておいて、世の中が変化したときに、自分をその変化にどう適応させたら自分的に好ましいか、自分の答えが短時間で出やすい状態にしておくのが賢明ではないか。私はそんなふうに考えています。

そうした自分を知るエッセンスって、自分一人で考えていてもなかなか得がたいもので、人の話を聴いたりして、人との比較をきっかけに気づくことが多分にあるので、広くWeb系のキャリアにフォーカスして、そういうものを持ち帰ってもらえる会にできたらなと思います。

2017-01-07

お仕事関係の年賀メール

お仕事関係でお世話になった方への年始の挨拶は、メールをしたためて仕事始めの週に送っている。会社で年賀メールを一斉配信するというのもやっているけれど、それと別に、自分個人で「昨年何の案件を手がけて、誰にお世話になったのか」を振り返る。

何十年と仕事していると、お世話になった人なんてわんさかいる。会社の仕事案件以外でも、いろいろとお世話になっている。どれくらいお世話になったかでランク付けして「この人は送る、この人は送らない」などと、やりたくはない。だけど、どこかで止めておかないと仕事が始められないし、来週以降に送っても、きまりが悪い。

なので、ここ数年は、年末のうちに去りゆく一年を振り返って、その年に手がけた会社の案件でお世話になった方をリストアップしておいて、かなり限定的にはなるけれど、その方々には年始に自筆で(といってもメールだけど)便りをしたためるようにしている。

1月4日から6日までの3日間で送った新年の挨拶メールは40通くらい。クライアントのご担当者や、パートナーとしてプロジェクトに関わってくださった皆さん。ほか、いくらかそうでない方にも送りたくて送ったりするのだけど、それで40通ほど。

自筆で一人ひとりに…と言っても、自分の近況報告や意思表明の類いは誰に送るのでもさほど内容に変化がなく、あまり書き換えることもない。一方で、その方に向けたメッセージは、昨年どうお世話になって、どんなふうに感謝していて、前にお会いしたときはこんな感じだったけど今はどんな具合かしら…なんて考えながらメールをしたためていると、一通一通おのずと変わってくる。だから、まぁ自分のところはコピペでもいいか…と自分を許している。

今年はわりと仕事始めから忙しかったので、朝早めに会社に行って年賀メールを書いて送る感じになったのだけど、せわしない中でも一人ひとりを思い浮かべながらメッセージをしたためるのは、なかなか豊かな時間である。

年始のお忙しい中、ご返事をくださる方も多く、いろいろと近況を伺えたり、お会いする機会を得たりもする。年賀でもないと、遠慮が先に立って連絡がとりづらい方ばかりなので、「年賀」という国民的行事は、奥手に優しい、なかなかありがたい機会だなぁと思う。

2017-01-03

お正月の親戚めぐり

元旦は、早起きしてお雑煮づくり。お雑煮づくりは、ミツカンとクックパッドのおかげで滞りなく…。餅は網焼きして、具は鶏肉、大根、にんじん、ほうれん草、三つ葉。気張らず無理せず、オーソドックスに着地。事前に買っておいたおせち料理に、作ったばかりのお雑煮を恐る恐る添えて出し、仏壇の母には海老やあわびなど彼女が好きなもの、華があるものを皿にのせて出す。今年は父とふたり、静かに新年を迎えた。妹には無事に料理担当の任務を終えたことを写真つきで報告した。あとで「心配してたんだよねぇ」と返信があったけど、ほんまかいな…。

8時半には表に出て、父の運転で、まずは近所の八幡宮にお参り。小さい宮で、参拝客も一人二人しかいなかったので、数分で出てきて、その足で近くのスーパー銭湯へ。大きいお風呂にちゃぽんとつかると、こちらもさくっと切り上げて、10時過ぎには叔父叔母の家へ。ふたりを車に乗せて、祖母の暮らすグループホームに向かう。

私の祖母は、大正8年生まれの97歳。認知症がだいぶ進んでいるのだけど、ここ数年体調はわりと安定していて元気。しばらく握手したまま話していたのだけど、手の甲がすべすべで、あったかかった。私のことは誰かわかっていないようだったけど、それでも私の目をしっかりと見て、愛おしそうな眼差しでゆっくり口を開き、お話ししてくれる。伯母いわく、この日は機嫌がよかったそうだ。

そちらをまた後にして、伯父伯母をおうちに送り届けつつ、そのままお邪魔して、伯母の手づくりおせちをいくつかつまませてもらう。この母の姉夫婦は、とても優しく穏やかな人たちだ。母をなくしてから、より一層私たち一家を気にかけてくれている気がする。しばしの歓談は、父と私の親子漫才を聞かせたようでもあったが、ともかくしばらくおしゃべりして正午に失礼する。

今度は兄一家。実家に戻る途中、「もうすぐ家に戻るからお待ちしていますよ」と兄に連絡。午後2時過ぎに兄一家がやってきて、再びお雑煮(またドキドキ作って出す)とおせちとお刺身と…。お年玉とお菓子といちごと…。こちらも2時間ほどだったか、ちょこちょこつまみながらおしゃべり。

兄一家と会うときは、私はだいたい義姉とおしゃべりしている気がする。今回は、甥っ子らが人見知りだという話になった。義姉が「とくに下の子は恥ずかしがり屋で、慣れない人を前にすると私の後ろにすっぽり隠れてしまう」と言う。上の甥っ子もそばにいて、その話を聴いて「そうそう」と相づちを打つ。

打ちつつも、彼も彼で、わりと人見知りだ。私や父には、なかなか打ち解けて話せずに遠慮がち。自分の子どもの頃のようで、その所在なさのようなのが私にはよくわかる。

私はいい機会だと思って、義姉のほうを見ながら、自分も子どもの頃から人見知りだったと話す。すると、義姉も「そう言われると私もそうだった」と笑う。私は、子どものとき親戚の家に行って時間を過ごすのがなかなか難儀で、自分から話すネタを広げられるわけでもないし、ふられた質問には真面目に答えるのだけど、「はい」とか「そうですね」とかで終わってしまう。そんな話をすると、義姉も「そうそう」と意気投合。

私の子どものときは、それでもお正月に祖母の家に行くと、同世代の従兄弟がたくさん集まっていたから、みんなでゲームなど(まぁお正月は概ね麻雀だったのだが…)やっていれば良かったけれど、今はうちに来ても大人ばかりで、子どもはふたりだけだから、なかなかねぇ、と私。大人になるにつれて、なんだかんだ共通の話題も探しやすくなって楽になってくるねぇ、と義姉。

上の甥っ子がそのおしゃべりを横で静かに聴いていたので、それで少しでも、「へぇ、なんだ、みんなも一緒か…」と心軽くしてくれていたらなと思う。甥っ子の表情をうかがうことはしないでおいたので、どんなふうに彼が聞いたかはわからないのだけど。

夕方になって兄一家が帰ると、一気に静かになって、そのまま就寝へ一直線。父に続いて、私も20時くらいには床についた。早すぎるが…。

2日も朝は、父とふたりで近くのスーパー銭湯に行ってお風呂に入り、電車で成田山の新勝寺へ。昼間に着いたのでたいそう混雑していて、行きは入場制限で歩いては止まり、歩いては止まりの繰り返し。帰り道もなだらかに続く坂道をのぼり続けて、父はそうとう疲れたと思う。けれど、私がその後、実家の近所で友だちと会う予定を組んでいたために、ほとんど休憩をいれずに歩き続けてくれた。家に帰って、おいしいビールが飲めていますように。

中学時代の友だちとは夕方から会って、夜まで近所のマクドナルドで話し込む。もう、かれこれ10年くらい続けている恒例行事。いつもより暖かいお正月だったけど、これをしてひとしきり話した後、彼女とマクドナルドから出てきて夜道を歩きだすと、正月だなぁと実感する。そうしてまた、東京に戻ってきた。

3日は、頭を仕事モードに切り替えねばな一日。あの宿題やっておかなきゃ、あの本もまだ読み終えていない…と、8月31日の小学生の気分。

今年はなんとなく、開放的な気分がある。身が軽い感覚。例によって特別これという目標を立てているわけじゃないんだけど、目の前のこと、先々のことをよく見て、環境の変化に順応したり、与えられる機会に適応したり、素敵な人からもらう刺激を大事に味わったりする中で、それまでの自分とほどよく調合して、変わっていけたらいいと思う。タテに一つ、ヨコに一つと、自分の活動を広げていけたらいい。そんな一年の始まりです。本年もどうぞよろしくお願いします。

2016-12-31

年末年始の役割変化

今回の年末年始の帰省は、ちょっと勝手が違う。料理担当の妹がいないのだ。ここのところは毎年妹も帰省していたので、大晦日は妹が作った年越しそばを家で3人で食べていた。元旦のお雑煮作りも妹が担当。私はおせち料理の手配、父の年賀状作り、洗い物と、不器用でもできることをわらわら担当…。

しかし今回は妹が帰省しない。それで、「2人だったら年越しそばは外で食べようよ、お雑煮もいいでしょう。2人分じゃ材料も余っちゃうし。そのほうが合理的だろ」と父。あっさり「じゃあ、お言葉に甘えて…」と誘いにのる私。そんなわけで今年の年越しそばは、父とふたり実家近くのお蕎麦屋さんへ足を運ぶ。

でも、さすがにお雑煮は作らないと。元日には兄一家が来るのだ。甥っ子たちには、やっぱりおせち料理とお雑煮を用意して迎えてあげたいじゃないの。兄一家と一緒なら、材料もそう余らないだろうし。そうくどくも、「いいよー、いいよー、家で食べるだろう」と父が言う。うーん、いやー、でもなぁ、やっぱり例年うちで食べているんだから、そこは期待に応えたいところ。

それで強硬策に出て、「おまえのお雑煮じゃ食べる気にならん、どうかお願いだから止めてくれというなら止めますけれども、そうでなければ作りますよ」と返すと、父も降参して「じゃあ作ったら」と話が落ち着く。そうだと言われたら後がなかった…が、想定どおりこちらに気を遣って言ってくれているだけだったようだ。

それでお蕎麦屋さんの後、父と一緒にスーパーへ移動。電車の中で、クックパッドのお雑煮レシピをいくつか読み比べてきたので、そのメモを見ながらお雑煮の材料あれこれを買い物かごへ。あと、甥っこたちが磯辺巻きも食べたりするので海苔と、ジュースとお菓子。それから、元旦に母方の伯父伯母と一緒に、祖母に会いにいくことになったので、それぞれにお年賀を用意。そんな買い物をしていると、ぎりぎりまでまったくなかった年末感が一気に出てくる。

そういえば、スーパーに向かう途中で、雲ひとつない夕暮れどきの空のもと、家々の合間から実に立派な富士山が見えたのだった。びっくりしたなぁ。あの美しさはいったいなんなのだ。目を奪われるとは、まさにこのことだ。

買い物を終えて外に出ると、日はとっぷり暮れていた。家に帰ると、仏壇で母に手を合わせ、なんとなく一息つく。

兄に、伯母にと連絡をして明日の予定をたてたり、甥っ子たちのお年玉を用意したり。年末年始なんて、母がなくなる前は、実家でただぼーっと過ごすばかりだった気がするけれど、ここ数年は家族行事の段取りを考えることが増え、年をおうごと役割というのを意識する。まぁ最低限のことしかやっていないのだけど。

もう、こんな時間。しっかり眠って、明日のお雑煮作りをきちんとやり遂げなくては(実は緊張している…)。というわけで、きっと今年も0時を迎える前に床についてしまうだろう。

今年を振り返ると、なんだろうな。仕事は、人のご縁でいろいろチャレンジしたり活動の場を広げていく機会に恵まれた一年だったな。気分的に、なんだか喪があけていくような感じもあったな。どきどきしたり、ほっとしたり、気合入れたり、辛抱辛抱と耐え忍んだり、ふわーっと開放感に満たされたり、いろんな気持ちがあった。

大切な人たちと時間をともにできたことにも、すごく感謝する一年。年末ぎりぎり、というか、ほんと昨日のことだけど、数十年ぶりの再会もスペシャルだった。時を重ね、年を重ねていくって、自分じゃコントロールできないし、受けて立つしかないすさまじいことでもあるけれど、やっぱり素敵なことだなぁと思う。そう思えるのはみんなのおかげで、今年も本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

2016-12-29

年末のラブリー案件

12月半ば、目の手術を終えた週の週末に、新規引き合いの連絡が入った。その週は自宅療養のため、ずっと有給休暇を取っていたのだけど、日曜の晩に家で会社のメールをチェックすると、社内の人からのメールで、研修というか何というか…なクライアントからの相談話があるとのこと。

手術が終わったタイミングで新規引き合いの連絡をくださるなんてラブリーすぎる!しかも、相談内容の模糊模糊(もこもこ)感が食欲をそそる。というので、身を乗り出して読んだ。今年はこうした「研修然」としていない人材開発に関わる相談ごとに数件恵まれた。すごく嬉しい。

メールには、電話でざっと聞いたかぎりのクライアントの相談ごとが記されている。とりあえず月曜のうちに、「そういう相談に対応できそうか&どれくらいの見積もりになるのか」を返事する必要があったので、与件に目を通してピンと直観が働いた「この人に参画してもらえたら!」という方に連絡をとって、いろいろ情報・意見交換させていただいた。

翌日の月曜日に一次対応を返すと、その週の木曜朝イチに直接訪問して、クライアントとお話しできることになる。水曜日の抜糸までは仕事に集中できる状態でなかったけれど、抜糸を終えた直後から一気に楽になることは前例から予想がついていたので、「ぜひ」と返して下準備を自宅で粛々と進めた。木曜の朝イチ、客先でいろいろ話をうかがい、年始早々に提案書を出す約束をして持ち帰ってきた。

すごく挑戦しがいのある案件だ。私は頭の回転が速くないので、これは、どういう案件なんだろうというのを整理するのに時間がかかる。この案件の複雑性を、どう読み解いていって、どういうプロジェクトと位置づけたらいいのだろう、それをどうカイロプラクティック的に提案書の前段にまとめて、クライアントと「こういうプロジェクトとして位置づけ直しませんか」という話に整理したらすっきりするだろうか、というようなことを、真っ白いA4紙にあれこれ書きなぐりながら、数日整理に明け暮れた。

それを提案書の前段部のドキュメントにまとめて、仕事納めの昨日夕方、参画してくださる方と打ち合わせ。私が組むのは教えるプロではなく、学習テーマの実務スペシャリストだ。彼も、クライアントが身につけたいスキルを本職として一線で活躍するプロフェッショナルであり、彼に向けて「先方からこういう話をいただいて、それを私はこういうふうな案件と捉えているんですけど…」と、まずは共有させてもらう。

そこで、素晴らしいご褒美をいただいた。その方は私がすごく仕事人として信頼&尊敬している人なのだけど、彼が私の作った提案書の前段部をみながら一通りの説明を聴いた後、感動した、こういうののバイトできないの?と言ってくれたのだ。いやぁ、これは年末に、この上ないフィードバックだった。

そういう前段部を作れると、相手の力をその場でぐいっと引き出せて、企画の骨もぐいっと固まる。あぁ、いい提案に仕上げて先方に提示したい!と思う。これも爽快なんだけど、きちんと具体的な仕事の中身について話しこんだ上で、自分の尊敬する人から、自分のアウトプットについて褒めてもらえるというのは稀有なことで、これがまたすごく嬉しかった。

私は、同じ職種の人が周囲にいる環境で働いていないので、人がこの手の案件に対して、どういうヒアリングをして、どういう提案を起こして、どんな提案書にまとめるかという比較評価が全然できない。だから、提案書に対する自己評価はあてにならず。あてにならないから、下手にしようとせず自己評価はくださない状態で、何年も走り続けている。とにかく案件ごと体当たりでやって、出してみて、クライアントの反応をもって内省する。それの繰り返しだ。それを何年もやっていれば、それなりに鍛えられて伸びていくところもあるだろう、という淡い期待…。

私の提案書のモデルは、前々職で一緒に働いていた凄腕の仕事人のそれで、もう10年以上前に目にしたもの。当時は、まさか後々、自分が法人向けに提案書を書くようになるとは夢にも思っていなかったけれど、彼女の提案書の校正を頼まれたりして読み込んでいたのが、私が書く提案書のモデルとなった。今でも、彼女ならもっとシャープな言葉で書くだろう、彼女ならもっと素早く論点を整理して仕上げるだろうなぁなどと思う。そういうモデルが実体としてあるのは、すごく健全だ。

ただ、優秀な人がどう書くかという具体的なモノをみる機会が、今はほとんどない。提案の基本型「問題をクリアに特定して、それをどうやって乗り越えるのを今回の課題設定として、それを具体的にどうやるか」という三段論法を理解したら、あとはやってなんぼ…のところが大きい領域だと思って、せっせと実践の日々。

今職場に何を求めるかといったら、オーダーメイドで、人材育成系の課題解決を求められている感じの多種多様な相談が、自分のところに舞い込んでくる、今の環境なのだ。そこで、1件1件いただける相談を大事にやるのが一番だと思っている。

自己評価力を高めようとか、同職種の人たちと切磋琢磨する中で自分の能力を鍛えあげようというふうに考えたら、人材開発系のコンサルティング会社に転職を試みて…という道もあろうけれども、今からそれをする気もわかない。気概が足りないからか?と自分を疑ってみないわけでもないけれど、冷静に考えるに、職場に同職種がうじゃうじゃいればいいというものでもない。いいメンターに出会えなければ転職の意味がない。わりと賭けである。

私が興味があるのは、自分のスキルアップより、求められる場所で自分のパフォーマンスを上げることだ。自己評価力を高めるために職場を変える年齢でもない気がするし、転職に時間と気力をあてる暇があるなら、一つでも今の環境でいただける案件に取り組んで、意味ある仕事をしたいと思う。

それにしても40歳は、年寄り発言をするには早すぎるが、もう若くもない。上に20歳分の先輩、下にも20歳分の後輩がいて、なかなか微妙なお年頃だ。

ともあれ、体当たりできる今の環境に身をおいて、自分が貢献したい場所で、貢献したい業界に向き合って、自分の力のかぎりを尽くして1件1件事にあたって、守備領域を広げていって、そのプロセスで着実に伸ばしていく環境づくりをしていくほうが肌にあう。

来年も模糊模糊した案件に取り組んで、それを、うーむと考え込んでA4紙に書きなぐったり、ドキュメント上で精緻化したり、尊敬するプロフェッショナルの方とのお話の中でいろんな刺激をもらって、揉んで揉まれて鍛錬して、少しずつでも自分のやれることを豊かにしていけたらいいなぁと思う。

2016-12-26

過剰に働くことの是非

自分のやりたいことが、たまたま仕事とかぶらなかったら好き放題にできて、たまたま仕事とかぶってしまって、それがいわゆるサラリーマンの仕事だった場合、1日何時間以内になさい、深夜労働はダメなどの不自由を強いられるのはちょっとおかしい気もする。

過剰に働かせてはダメという規制が、過剰に働いてはダメという規制と直結しない仕組みを練る必要があるということか。

組織が過剰に働かせることは規制しつつ、個人が過剰に働く自由を奪わない。

日々の暮らしを大事にして長生きしたい人もいれば、命を削ってでも何か一つのことをやり遂げたい人もいる。そんな単純な言葉で二分できず、仕事観も人生観も人の数だけあるし、ひとりの中でも変化する。

両極に価値が見出せる世界に生きている前提に立つと、個人の自由な選択を保障するには、知恵をしぼって中庸な介入方法を創り出さないといけない。おそらくは言葉を使って。

というようなことを最近もやもや考える。時勢に照らして、まともなことを言っているかどうかは、よくわからないけど。

2016-12-25

静けさという音

この週末はちょっとした旅に出て、ずいぶんと静かなところを歩いた。遠くに山が見えて、空には小ぶりの雲がいくえにも重なって、それでもだだっ広い空を埋め尽くすなど程遠く、視界には360度に青空が広がっていた。

せっかくなので、知らない土地をずんずん歩いた。目の前の景色も、さまざまに表情を変えていった。原っぱの乾いた土の上を歩いたり、足元にぐにゅっと懐かしい土の感触を覚える湿地を歩いたりした。自分の背たけの倍はあろうかというススキの草原に見下されて、その前にぽつんと立って一緒に風に吹かれたり、その脇をてくてく歩いたりした。暮れだした太陽が白い雲のふちを輝かせて、空に光の弧を描いていた。

歩きながら「静けさ」という音があるんだなと思った。静けさは、ゼロじゃないのだなと。自然がふかす、静けさという音のなんという心地よさ。家の中の「しーん」とした無音も好きだけど、それとまったく別の、独特の静けさ。自然のなす静けさは「しーん」ではないのだな。あれを音にするなら、なんて言葉になるんだろうと考えてみたけれど、うまい音を見つけられない。自然はなかなか言葉に展開できない。

河合隼雄さんの「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」に、こんな一節があった。

われわれは太陽について、雨について、あまりにも多くの知識を得たために、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなった。

冷たい風が吹くと一気に寒くなり、日なたに出ると一気に温かくなった。ちっぽけで、かけがえない体験だった。

«目の手術リターンズ、抜糸終了