2018-12-10

お客2.0

先日「Designship」 という大規模なデザインカンファレンスがあったようで、私は参加していないのだけど、参加した友人知人のツイート・リツイート・いいねしたものが、開催当日Twitter上に流れてきた。そのうちの一つ、2日目のとりを務められた長谷川敦士さんの発言らしきツイートが目にとまった。

もはやデザインはデザイナーが完成形を出してるのではなく、そこにユーザーが参加することで完成する。by 長谷川さん

これを見て、最近自分の身近にあった出来事が、ふと思い浮かんだ。客先で打ち合わせしていたときのことだ。

そのクライアントさんには今、月1回ペースで半年ほど実施する社内勉強会を提供中。先方の業務パフォーマンス上の課題を整理して、ひと連なりの勉強会を企画し、そのテーマを専門とする外部の実践家を講師に招いて、一緒にカリキュラム設計・教材開発しながら勉強会を提供している只中にある。1回開くごとにクライアントとはミーティングの場を設け、今回の振り返りと、次回の構成を認識合わせする。

裏方を担当する私は、今回のレポートとあわせて、次回カリキュラムの構成を詳細項目まで出して文書にまとめ、その日の打ち合わせに臨んだ。次回の構成案には後半に、こちらの講師ではなく、先方社内の熟練社員が、自社で手がけた案件を事例として解説いただく時間枠を設けて、提示した。

前にクライアントから挙がっていたアイディアを取り入れたものではあるものの、「外部委託した研修や勉強会では、委託先(私)がコーディネートした外部講師がその場の指導役を預かりきるのが基本(責務)」と考えるのがクライアントの常なので、私はすこし前置きをして、先方社員を一部分のスピーカーにおいた構成意図を説明した。

「私の立場でこんなことを言うと、責任逃れのように聞こえてしまうかもしれないのですが、御社の求める内容を講師が単独で完璧にパッケージ化して教えきることが、最も実施効果を上げるとは言えないと考えているんです。外部講師の話を受けて、うちでは実際こういうふうにやっているとか、こういう事例があるとかいうふうに御社内の熟練者が話をひきついで展開していくことで、参加者の頭の中に自分の仕事に取り入れていくイメージが具体的に広がっていく、それによって知識定着や現場活用が促進される効果ってあると思うので、講師が全部話しきることを大前提とせずに、御社が直接話す場も設けて一緒に作っていったほうが有意義かなと思うのですが、いかがでしょうか…」

クライアントさんの中には、大きなジェスチャーでうんうんとうなずきながら聴いてくださる方もいれば、ふむーと深く考え込むようにして聴いておられる方もいた。私はしばし、向かい合う4人の発言を待った。自分の意見が絶対とも思わないし、お客さん次第である。

すると、ふむーと考えていた方が口を開いた。「でも、そういう時間は社内で完結して実施できるものって考えると、研修時間にそれをあてるのはもったいない。研修の場はやっぱり外部講師が話す時間枠として使って、社内の人間が話すのは別の機会を設けてやればいいんじゃないですかね」

それは一理ある。私は静かに、その意見をうなずいて聴いた。が、他の意見も出そうだったので、間をおいた。すると別の方が「でも、別に機会を設けて実際やりますかね?人集まりますかね」と声を発した。

私は、これを後押しする何かうまい例えがないかと考えながら、先方のやりとりを静かに見守った。「チャーシューは、チャーシューだけで食べるより、チャーシュー麺として一緒に食べたほうが、よりおいしく食せるのと同じように…」というのを思いついたが、なんだこの「なんにも同じじゃない」感は、と思って口をつぐんだ。言わなくて良かった…。

結局その場は「確かに」ということで落ち着いて、この勉強会の起案者の一人である先方の熟練社員さんが事例解説と、用意できれば自社で導入しているツールを使って、サンプルデータを扱いながら実演してくださることになった。こうやって一緒に作れるのは、すごく有意義な展開で、とっても嬉しい。

客の立場からすると、自分たちが前に立って話す時間枠が、外部委託した研修の中に入り込むというのは、その時間ぶんの講師料を無駄に払っているような感覚になるかもしれないし、まぁそこを減額してくれと言われたら、厳密にはそういうことになるのかもしれない。

でも、先方が話す時間枠が有効に作用するように、メインをはる外部講師も、裏方の私も最善を尽くして、その場を取り回すのだし、いずれにせよ、その辺りは構成を練るにあたって本質的な話ではないと思う。

研修をパッケージではなくソリューションと考えて、どう機能させるために、どういう構成がベストなのかを考えるのが基本だ。課題解決に対して、より効果的な骨組み・肉づけは何なのかを練るのが、カリキュラム構成でやる仕事。

なんて、あれこれ考えたことを、冒頭のツイートをみて思い出した次第。いわゆるユーザー体験のデザインに限らず、B2Bのビジネスシーンでも、ユーザーたるクライアントと一緒に作るって流れはあるよな、と。

最近「お客1.0」に対して「お客2.0」とは…いうのをぼんやり考えていて、それで引っかかったのもあるかもしれない。お客1.0は、売り手に「完成度の高いプロダクトの納品」を求める。サービスであっても、プロダクト的にパッケージ化された完成度の高さを求めるきらいがあるのではないか。その完成度の高さは、見方を変えれば汎用的で、画一的で、一様で、標準化された完成品かもしれない。

一方お客2.0は、自分(たち)の参画で、その意味も価値も増幅・拡張できるし、パーソナライズもできる、介入余地が残されたサービスの提供を求める。ただし客がひっちゃかめっちゃかしても、一定条件にそって使うかぎりは基本的価値は損なわれず、想定リスクも回避されるようになっている。そうした「うまくいく」サービスを高く評価する感じかなぁと。プロダクトより1レイヤー抽象度の高い品質保証を預かるような、1レイヤー下の創作プラットフォームを提供するような、そういうサービスをイメージ。

まぁ、もやんとしたイメージを書き起こしたにすぎないのだけど。自分を客の立場とみても、こびりついた「お客1.0」脳だけで性急に新しいサービスをみて「なんだ、お任せできないのか」と低評価を下したくないし、お客さんに対応する売り手の立場としても、従来型の「お客1.0」的な価値基準にとらわれず、本質的に効果的な方法は何なのかを軸において策を練りたい。

それが従来のものさしでみると、サービス提供側の手抜きのように思われる提案になることもあるだろうけど、できるだけ率直に自分の考えを伝えて、何が本質的な効き目をもつのか、お客さんとすり合わせていくコミュニケーションを大事にして仕事をしたいと思った。

2018-11-30

「Web系キャリア探訪」第7回、アフィリエイトオタクの生きる道

インタビューを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第7回が掲載されました。今回はアフィリエイト愛に満ち、その愛情を遺憾なく発揮して活躍する、フリーランスの鈴木珠世さんを取材しました。

アフィリエイトオタクが45歳過ぎてフリーランスに「会社員より今が一番楽しい!」

みずから「アフィリエイトオタクなんです」と切り出す、アフィリエイト愛に満ち満ちた女性。私は「のめりこむ」ということがなかなかできないタチなので、オタクをサポートする役まわりなのだと開き直って人生を送っていますが(なので周囲にはオタクが多い)、オタクがそのテーマについて熱心に話すさまというのは、その人に内在する生命力が満ち満ちている感じがあって、いいですよね。

なんてこの人の人生は充実しているのだろうかと、あふれだすエネルギーをいくらか分け与えてもらえたような、ありがたい気持ちになります(テーマにもよりますが…)。なので鈴木さんのお話を聴いていて、すごく元気をもらいました。

よく「Will/Can/Must」の円の重なるところに、自分の仕事領域を見いだすなんていうけれど、「オタクがそれを生業にする」というのはその理想を地でいく感じの“最強”感があります。

Willは「自分がやりたいこと」、Canは「自分ができること、得意なこと」、Mustは「自分がやるべきこと、やらねばならないこと」といった言われ方をします。

Mustは、社会的なニーズとか、組織から求められることとかって言われたりもするけれど、私は3つ目の円を「そうせずにはいられない、やるべきと突き動かされること」とか、「自分がその活動に意義や価値を感じること」っていうふうに捉えています。それが社会的なニーズ(とまで大仰にとらえなくても、他の人の役に立つこと、助けになること、人を喜ばせたり豊かにすること)に通じている感じ。

3

「オタクがそれを生業にする」っていうのは、この3つの円の重なりの、深い、深ーいところに仕事があるってことだよなぁって気がして(必ずしもそうじゃないのかもしれないけれど)、こりゃ最強だなって尊いものに感じられます。

私はオタクという人生を生きられる身の上ではないと割り切っているけれど、オタクのサポーターとして、こういう円の重なりにオタクが自分の仕事を見出し、有意義に働ける組織づくりとか社会づくりには貢献できたらいいなと思っています。

オタクオタク繰り返すと、あれだけども、ギークとかのほうがいいのか。いや、何かを好きで、得意で、それに並々ならぬ価値を見出している人というのか。そういうものを見出している人が、それを仕事にして、それゆえに充実した人生を歩めたら、本人もすごく幸せだし、社会もきっとおおいに恩恵を受けられるよなぁと。

そういう人たちが働きやすい環境づくりって、社会としても、組織としても大事に育んでいったら強いと思うのですが。こういう「半端ない人」たちが、残業時間を気にして、組織にばれないように隠れて仕事するとか、突出してすごいんだけど、はみ出し者扱いで評価されないとか、いろんな規制がきつくて働きづらいから会社辞めちゃうとかじゃなくて(いや、独立したい人が独立するのはいいことだと思っているけれど、組織に残る選択肢もあったほうが自由だという意味で)、そういう人たちが会社に所属し続けて、仲間を引っ張っていってくれたり、すばらしく純粋な生命エネルギーを周囲に振りまいてくれるような組織改革/働き方改革もあっていいんだろうなぁとか思います。

そんなこんなは、編集後記の後のつぶやきということで。ぜひ本編をお楽しみください。ほんとうの編集後記にあたる「二人の帰り道」は、本編に寄せています。最後までご一読いただければ幸いです。

2018-10-23

「Webクリエイティブ職の仕事と年収のリアル」を求めて

山口義宏さんの新刊「マーケティングの仕事と年収のリアル」*1が面白そうである。ということで、まだ読んでいない本について堂々と語ってみる。

私が長くキャリア支援の対象として関心を寄せてきたのは、マーケティング職というより、Web系のクリエイティブ職寄りなのだけど、このご時世、これとマーケティング職を分けへだてる厚い壁があるわけでもない。

いわゆるマーケティング職と比べると、Web系のクリエイティブ職にはさほど「華やかで稼げそうなイメージ」はないかもしれないが…、現代の2職種にはいろいろと共通点があるように思い、ゆえにこの本はきっとWeb系クリエイティブ職のキャリアにも役立つ内容が詰まっているに違いないと期待を寄せて、手にとってみた。

手始めに、この本の「はじめに」に書かれているマーケティング職のあれこれから、Web系クリエイティブ職との共通点らしきものを読み取って列挙してみたい(「はじめに」までは読んだ…)。

マーケティング職と、Web系クリエイティブ職の共通点らしきもの(私見)

●働く場を大別すると、事業会社と支援会社がある
●専門領域は細分化され、目につく仕事から地道な業務までさまざまある
●役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている
●給与の業界水準は決して高くない。高い稼ぎを得られるのはごく少数で、多くは経済的な処遇が期待に及ばない
●この職でやっていく成長の見通しや年収を高める道筋が見えず、閉塞感を感じている
●キャリアに閉塞感を感じる一因に、デジタル化によってマーケティング施策の専門分化が細分化された結果、自分の関わる仕事や事業、業界を俯瞰して見渡しづらい環境要因がある
●「実力を伸ばせば、年収も自然に高まる」ことを期待したい職人的指向が少なからずある
●汎用的な仕事能力の獲得を軽視し、専門知識・スキルに偏重しがち
●職務の専門知識や施策を解説する本は沢山あるけれど、職として市場価値を高め、稼げるようになるリアルなキャリアづくりの情報は少ない
●雇用する企業側も、業務理解が浅く、採用のミスマッチが頻発。育成も現場任せの徒弟制度を脱しきれず

念押ししておくけれども、ここで挙げたものは、著者の山口さん的にはマーケティング職の話として語っているものであって、「これってWeb系のクリエイティブ職にも通じるのでは?」と列挙しているのは、私の勝手な解釈にすぎない。が、どうでしょうか。なんか、うんうんって感じしませんか。誰となく。

3つ目に挙げた「役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている」とかは、そのわりに、大きく括れば1つの職種に役割が集約されつづけていないか、とかも気がかり。

マーケティング職事情は詳しくわからないが、Webの業界でいうと「いっぱしのディレクター(とかデザイナー)なら、これくらい知っておいてほしい、これくらい読んでおいてほしい、これくらいできてほしい」と求められる知識・スキルがどんどん膨らんでいき、一職種・一個人に求められる役割は肥大化していく一方。

中途採用の募集ページにあるジョブスクリプションは見直す度に厚くなり、「できれば尚可」に書き込めるだけ書き込んでいくものの、待遇面は数年前からさしたる変更なしとか…。一般の企業が求めるには、非現実的なスーパーマン像になっていないか、とか。

業界の発展とともに、年数をかけて一つひとつ知識・スキル・経験をモノにしてきた一握りの人を除くと、どうその肥大化した役割を果たせる人間になれるものかには、各方面で大きな課題を抱えているのではないか。

当事者としてのスキルの磨き方や経験の積み方も、組織としての若手の育て方も、組織としてこの職種分類のままでいいのか、もっと現実的な役割の再配分、チーム編成の見直しが必要なんじゃないかとかの課題もあるのでは。

各社によって提示できる年収だって違えば、採用できる人材も違う。社内メンバーの構成だって違ってくるし、扱う案件のタイプだってクライアント特性だってさまざま。やっぱり最終的には「我が社はどうしようか」と、それぞれの最適解を考えざるをえない。

だとしても、業界標準的な職種分類の見直しは、それはそれで意味をもつだろうか。あるいはヘタに体系化しようとせず、いろんな会社が自社のチーム編成や職種分類の考え方と実際を数多く事例共有して、意見交換して、持ち帰って各々活かすことに意味があるのか、とか。

そんなことをもやもや考えつつ、「はじめに」を読んだ。ということで、最近は垣根なくデジタルマーケティング界隈で働く人たちのキャリア支援、組織の人材育成をサポートする自分の役割にひき寄せて頭を働かせつつ、本篇のページをめくっていきたい。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください&読んでみたら、ぜひ後で語らいましょう(私は読むの遅いですけど…)。

*1: 山口義宏「マーケティングの仕事と年収のリアル」(ダイヤモンド社)

「アタマのやわらかさ」の原理。を読んで

名だたる広告クリエイターの著書を手がけてきた編集者、松永光弘さんが著した「アタマのやわらかさ」の原理。*1を読んだ。

松永光弘さんが編集者として手がけた本は、広告・デザインをつくる仕事に従事する人なら誰でも一冊は手にしたことがあるのでは、というほど。

広告というのは常に、これまでにない新しい何かを求められ、「新しい価値の提示」を役割とする。それを作るトップクリエイターは、どんなアタマのつかい方をしているのか。そこに見られる「アタマのやわらかさ」とは何なのか。どういうふうに成り立っているのか。どういうふうに養っていけばいいのか。

松永さん自身がこれまでに見聞きし、経験し、学んできたことをベースに導きだした「こういう考え方をすると、いろんなことに説明がつくし、思考を進めやすい」という仮説が語られている。

これまで広告会社や学校などでお話ししてきた内容を整理しなおし、加筆、再構成して、4回の講義のかたちにまとめたものということで、平易な話し言葉になっているので読みやすい。例もふんだんに織り込まれているので、面白いし、わかりやすい。さすが本づくりのプロだ…と、それだけで敬服する。

そして書いてあることが、ロジカルで優しい。ときにロジカルな文章はゴツゴツしていて痛かったり、優しい文章は論理性を欠いていたりするけれど、松永さんのお話は両方とも見事にそなわっているので、腑に落ちるし、自分もやってみようって心持ちに自然ともっていかれる。それを、ただ優しい語り口やロジカルな文章展開でやっているんじゃなくて、お話の中身そのものでやってくれている感じ。

話し始めに、優秀なクリエイターがやわらかいアタマで新しい価値を提示するとき、「ひらめく」というより「見つける」という言い方をする、という話がある。

ひらめける人になろうと言われたら途方もなく感じて、んなのできる人はできるし、できない人は一生できませんよってな気分になっちゃうけれど、「優秀なクリエイターはひらめくより、見つけるって言う」ということになると、新しい価値を発見する機会は自分の外に点在していて、それをうまく見つけるコツなりスキルなりを身につければ、自分にも新しい価値を発見できそうな気がしてくる。

松永さんの話の中身には、そういう指摘の鋭さと、人を動機づける優しさが両方ある。

もちろん話はそこにとどまらない。松永さんは、広告クリエイターたちと一緒にブレストしたり、彼らを著者とした本を作ったり、お酒を飲みながら話したり、議論したりする経験からいって、

みずからの発想を体系化してメソッドのようなものを編みだし、日常的に用いている人はあまりいません。本で紹介されているような、いわゆる発想法をつかってなにか考えている人も、ほとんど見かけません。たいていの人は、なんらかの課題を投げかけると、ごくふつうに考え、ごくふつうに悩み、ごくふつうに自分の意見を話します。

読んでいて心地よく、励みになった一節。でも、じゃあ優秀なクリエイターは何を共通項として特徴づけられるかというと、さまざまな視点(切り口、アングルとも)で考えなおしつづけていることが語られる。

大切なのは、最初の反応ではありませんし、発想の瞬発力でもありません。どう考えなおすか。もっといえば、望むような結果にたどり着くまで、どう考えなおしつづけるか。

何かをみたときの最初の反応が優れているかどうか、何をひらめけるかどうかで決まるんだよってことではない。最初の反応は、ごく常識的なもので構わない。むしろ常識的なものの見方でまずは反応してみて、そういう自分の価値観なり世間の常識なりを認識した後、そこに価値を固定せずに、さまざまな視点で別の価値を探しにいって、新しい価値が見つかるまで探しつづけられるか、これだってものを見つけたときに目利き力を働かせられるかどうかってところだ。

とはいえ、この「視点」というのも、物理的なものを見るのに視点を切り替えるんだったら、横からみるとか底からみるとか替えてみるのはわかりやすいけれど、往々にして私たちがみる対象は概念的なものなので、ただ視点を切り替えるといっても、どう切り替えるのってことがわかりづらいですよねってことで、それも具体的に「組み合わせで見る」ということの意義や方法について、なるほど!という話が分かりやすく手ほどきされる。

そもそもモノや人、情報の価値は、組み合わせの中で決まる

という松永さんの解釈も、なるほど!と腑に落ちるし、

編集とは、組み合わせによって価値やメッセージを引き出すこと

という定義づけも、分かりやすく浮き彫りにされていく感じ。

多くのトップクリエイターと仕事し、議論し、おしゃべりし、たくさんの時間を共有してきて、彼らの資質や特性、価値観、共通項やそれぞれの個性を見分けて深い理解を獲得した編集者ならではの実践から編み出した本。「編集者が著した本」という価値が染みわたっているような本だった。

*1: 松永光弘「アタマのやわらかさ」の原理。(インプレス)

2018-10-14

自分のレベルに合った学習方法を選ぶこと

先週は、学習分析学会が主催する「教育効果測定の基本コース」を受講した。2日間のプログラムで、受講料5万円と値は張るが、参加して良かった。狙いどおりで、ちょうどいい講座だった。

ちょうどいいというのは、講座が設定している学習目標やターゲット、そこから落とし込まれたカリキュラム内容、講師の教授スタイルが、今の自分にちょうどフィットしたものだったということだ。お昼以外ほとんど休憩もない感じで、2日連続なのに宿題もあって、ずっと頭に汗かいていた感じだったけれど、自分の求めていた通りだった。

今回の講座の参考書籍にもなっている講師の著書は数年前に読んでいて、以来その方が副理事長を務める同会のメルマガに目を通したりして、この講座の存在は知っていたのだけど、年に1回くらいしか行わないので、タイミングを逃して早数年。

今回行ってみたら、年1開催ながら参加者は4人。だいぶマニアックな講座らしく…。が、おかげで講師を4人で独占でき、数々のケーススタディも個人ワークとペアワークでやって、一人で紙に起こし、二人でホワイトボードで詰めて、双方ペア漏れなく発表しては講師からフィードバックを集中投下してもらえて、だいぶお得だった。

また、この講座は「組織の人材育成部門か、教育ベンダー会社で3年以上の実務経験を有し、自分で研修企画や研修開発を手がけている人」が対象のガチ講座、全員が参考書籍を読んだ上で参加していたので、ぐずぐずっとすることがなく、講師の脱線話はあれこれありつつ、それも楽しみながらアップテンポで進行した。

講師は、日立グループの人材開発を手がける研究所を基本の職場としていて、学会などでアカデミックなところと交流しつつも、思想としては完全に実務畑の人。フィードバックに一つ「ん?」と思ったところもあったけど、あれはきっと宗派の違い…、全体的にはすごく性に合った。

ズバズバ物言うところも、ダメなところ抜けているところを雄弁に指摘してくれるので、人によってはきつそうだったけれど、弱点を突かれに行った私としては願ったり叶ったり。

いいのか悪いのかを誤魔化したようなフィードバックや、アカデミックな型にはめてみてどうかというフィードバックだったら期待はずれだったが、実務的にみて不備不足がどこにあるか、良いところは良いと褒めてくれた上で、さらに実務的なテクニックとしてはこういう観点も押さえたらいいなどのアドバイスをくれて、自分のアウトプットのレベル感も把握しやすかった。

本を読めば知れることは本を読めばいいのだけど、その次のステップとして、その本の内容を本当に理解できているのか?ズレなく認識しているのか?実践はできているのか?を確かめるのは、自己評価では無理がある。自分の死角になっているところも、人に指摘してもらわないかぎり一向にわからないままだ。

実務で得られるクライアントや、講師(研修テーマの専門家)、社内の評価は、プロジェクトや業績に対するフィードバックであって、私の職能を対象にしたものではない。それは同職種で働く人がいない環境でやっているのだから、そのほうが健全だと思っているし構わない。

だけど、自分の職能に対する適切なフィードバックがない状態でずっとやっているのもいかんなって思う。自分で、自分が納得いく客観的評価を得られる場に出ていって、自分の職能レベルを評価してもらって、自己評価力を洗練させる必要があるよなと。成長を自己管理していくというか。

自分のように職場内外と問わず同職種とのつきあいがなくて、なんとなく環境から自分の能力を相対評価して認識することができない環境にある場合、自分が一番全うに自分の能力を冷静に適正に絶対評価できる状態を、自分で作らないと不健全に感じる。

今の自分にどういう死角があり、何はきちんと理解していて、何はそこそこできるけれど、どの辺に詰めの甘さがあるみたいなことを、へたに低くも高くも見積もることなく客観的に評価できる環境整備を怠らないようにしたい。

これを得るには、人材開発系のセミナーに足を運んで人の話を聴いたり、懇親会などで同職種の人たちと交流してもあまり意味はなくて、実案件とはいかなくとも具体的なケースで自分の力量をアウトプットして適切な講師からフィードバックをもらえる講座を見定めて参加する。これが手っ取り早い。ものによるので吟味が必要だが。

私は実際講座に出てみて、この人に評価してもらいたいという一線の実務家に自分のアウトプットを見てもらって、まずまずな評価を得られた(ふうな)のにはほっとしたし、詰めの甘いところも具体的に指摘してもらえて、こういうところの詰めが甘いよなっていう「こういうところ」がわかったのも良かった。

あと、やっぱり瞬時にぽんぽんと高いレベルで情報を整理したりアイディアをまとめていくのは難しくて、精緻化するのに時間かかっちゃうなぁという再認識。これはあまり速くできるイメージがなく、自分は時間のかかる人間だから、時間をかけて丁寧に仕事しようと開き直ってしまっているけれど、まぁそれはそれでいいではないか。

他の人とのペアワークのやりとりや、もう一つのペアの発表を受けて自分が気づいたことを指摘したり、講師が指摘を加えるやりとりからも、なんとなく自分がどれくらい見通しよく物事が見えていて、どれくらい気づけない粗さをもっているかの感覚的な理解が進んだ。

またしばらくはコツコツ実践を積んでいこうと思うけれど、これをもって自己評価の解像度を一段高めて、都度振り返りから自分ツッコミを入れつつレベルアップしていけたらと思う。

そうそう。自分が受講する講座選びって、本当に大事だ。「人は学習の目標設定が下手」って話があって(*1)、コロンビア大学の心理学教授ジャネット・メトカルフェ氏によれば、

人は新しいことを学ぼうとするとき「すでに知っていることか、自分にとって難しすぎること」をめざしがちだ

なんか、ものすごい言い当てられた感があって、この一節が気に入ってしまった。

自分が、あぁその辺は全部知ってる、わかってるーと思いながら本読んだり人の話聴いたりしているときは、自分が有能なんじゃなくて、自分が学習レベルをあげずに同じところに停滞しているのだと、まずは疑ってかかったほうがいいだろうって思った。

自分が「理解している範囲の少し先にある教材」に取り組む選択を、できているかどうか。

学習の絶好の機会は常に動いている。たえず変わり続けるので、スキルを一つ学んだら、次のスキルにステップアップしなければならない

*1: アーリック・ボーザー「Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ」(英治出版)

2018-10-07

サプライズよりワクワクを

半日がかりで旅行の手配をした。父と一緒に九州を訪ねて、あちらに住む妹とおちあって、3人で二泊三日の長崎旅行をする計画を立てた。妹があちらに住むようになって、一度父と一緒に訪れて同じように3人で旅行したことがあるのだけど、それが熊本地震の1年前だから2015年のこと。

となると、3年ぶりの家族旅行。3年前は湯布院でゆったり温泉につかった後、南下して阿蘇のカルデラの雄大さにびっくりたまげて帰ってきたので、今回は長崎に行ってみることに。

旅プランは最初、旅行に良さそうな日程に当てをつけて、今から宿が押さえられそうか楽天トラベルで様子うかがいつつ、父と妹に候補日の都合を確認。双方ともOKだったので、とりあえず飛行機の往復チケットを、父と私の2人分ネットで手配してしまう。

妹のパートナーが、それなら最終日の午後に大相撲の九州場所を一緒に見に行かないかと誘ってくれたので、それはいい!と二つ返事で旅程に組み込む。

3日目の午前中に福岡に移動して4人でランチしてから観戦する前提で、1日目と2日目の行き先を妹に情報もらいつつざっくり目処つけて、近くの宿を押さえた。車は妹がレンタカーを押さえて、長崎の間は妹の運転ですいすいすい。あとはまぁ、なんとかなるさ。

それにしても、最終日に大相撲の九州場所というのは良い。妹のパートナーにも久しぶりに会えるし、父も快い時間を過ごせるだろう。

相撲観戦の誘いを妹から聞いたとき、これを父にだまっておいて、当日サプライズで連れて行くっていうのをふっと思いついたのだけど、すぐに、それはないなって却下した。

せっかくの旅の予定。行く前から、みんな同じだけ実の詰まったワクワク時間を共有できたほうがいいではないか。当日直前にワクワクが始まって、すぐに終わっちゃうなんてもったいない。仕掛けた側だけ楽しみが長くて、プレゼントされる側が楽しみ時間が短いなんて不公平だ。一瞬のサプライズより、支度から始まるワクワクを。そう思うのは庶民思考ゆえか、あるいは一通りを想定内に収めておきたいディレクター脳の所以かも。

まぁ好みは人それぞれだろうけど、もう父に言っちゃったからいいのだ。電話の声が嬉しそうだったからいいのだ。楽しみに待って、みんなでゆったり、いい時間を一緒に過ごしてきたい。

2018-09-30

エンジニアがマネージャーになるキャリアパスの再考

及川卓也さんが「まえがき」を寄せているというので興味をもって買ってみた「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス ―テックリードからCTOまでマネジメントスキル向上ガイド」(*1)。

この本を読み始めてまず気づいたのは、自分が「エンジニアが経験を積んでマネージャーになる」というキャリアパスに対して、ちょっと距離をおいて見ていたんだなということだ。

なぜ?いつから?と記憶をたどってみたところ、当時NHN Japan執行役員/CTOだった池邉智洋さんをインタビュー(*2)したときのことを思い出した。その席で池邉さんから聴いた組織づくりの話に、私はとても共感したのだ。

「うっかりすると,エンジニアとして評価の高い人を“マネージャー”にしてしまう」けれど、「研鑽を積んだエンジニアは,単に“⁠すごいエンジニア⁠”でいいんじゃないか」「技術が優れているなら,人を束ねるより自分で書いて一騎で突っ込んだほうが効率いい」「あんまりマネージャーの数を増やしてもしょうがないかなとも」という話。

それ以前から、エンジニアがマネジメントへの転向に抵抗を示す傾向、願わくばずっと現場で開発を続けたいという志向をもつ人の声はよく聞いていたし、「エンジニアが評価されると、マネージャーに上がる」一択しか組織として昇格のしようがないのはどうなのかと思っていたので、そうじゃない組織づくりをしているところが現にあるのだなと印象深かった。

そんなことから、エンジニアを続けたい人がエンジニアであり続けられる組織づくりとかキャリアパスの整備のほうに、自分の意識も寄っていたのかなと振り返る。

でも、池邉さんも「もちろんマネージャーも1つの大事な役割⁠で」と話しているとおり、エンジニアリングマネジメントという役割・機能は、それはそれで必要不可欠なわけだし、この本の及川さんの「まえがき」によれば、エンジニアリングマネージャーは不足している状況にある。

エンジニアとしてずっとやっていけるキャリアパスの整備も大事だけど、一方でエンジニアがマネジメントを志向し、そこにやりがいをもって取り組めるような環境づくりや支援も大事なんだよなと、そういう認識を新たにした。

及川さんの「まえがき」から一部引用させてていただくと、

日本でエンジニアがマネージャーになることを嫌うのは、尊敬できるマネージャーに出会ったことがなかったとか、ついこの間まで一緒に開発していた先輩がマネージャーになったらすっかり変わってしまったとか、自分の上司は営業からの要求と部下からの要求の板挟みになり、いつもため息ばかりついているなど、エンジニアから見て、マネージャーが楽しく、やりがいのある仕事に見えていないからです。

と、そのものずばりな「あるある」感が漂う。しかし、この文章は次のように続く。

実際には、エンジニアリングマネージャーのエンジニアリング組織を健全に発展させるという役割は、ソフトウェア開発に対して技術を駆使し難局を打開していくのと共通する面白さがあります。スキル面においても類似点は少なくありません。

こう言い切って、なるほどと思わせる力をもつのは、及川さんのキャリアあってこそ。また、この本の内容も著者Camille Fournier氏の積み重ねてきたエンジニア軸のキャリアに下支えされ、説得力をもって伝わってくる。

この本は、章が進むごとに管理職のランクが上がっていく構成になっている。
1.部下(の目線でマネジメントの基本を押さえる)
2.コーチ役/メンター
3.テックリード(技術者のまとめ役)
4.人の管理
5.チームの管理
6.複数チームの管理
7.複数の管理者の管理
8.経営幹部
9.チームの文化を構築する管理者
と、はしごをのぼっていく。

新任管理者なら1〜2が該当。9はスタートアップとかの採用・評価を手がける人事担当者も良さそう。

著者が経験してきたこと、考えてきたことが丁寧に言葉に起こされて話に説得力をもたせているものの、彼女個人の経験に偏っているわけでもないし、精神論に依っているわけでもない。

エンジニアリングの世界で現場からマネジメントまで実践してきた経験なしには書けない内容だし、マネジメントに必要なスキルを分解してノウハウを解説するところもあれば、心のもち方や人への関わり方をやわらかい言葉を使って解きほぐしていくところもあり、どう振る舞うと自身のキャリア形成上どういう利があるかを理知的に語るところもあれば、こういうことを本当にあなたはできているのか?こんな考えに陥っていないか?とえぐるように詰め寄ってくる文章もある。

エンジニアという人種をよくよく理解しつつ、またその中にも多様な志向性があることを承知して、いろんな人に届くようにバランスよく言葉が編まれている感じがした。

すごく特別なことが書いてあるかというと、そうではない気もするけれど、タイトルにガイドとある通り、網羅的にエンジニアのキャリアパスを捉えて類型化してあるので、全体イメージをもつ羅針盤とするのにちょうど良い本なのではないか。

一つの職種にフォーカスしてそういうガイドが出るというのは、やはりエンジニアという職業が社会にとって存在価値があるからなんだろうなぁと思う。私はエンジニアではなく、エンジニアのキャリアを支援する舞台袖の立場だけど、うまくこの本の内容を吸収して役立てていきたい。

*1:Camille Fournier著「エンジニアのためのマネジメントキャリアパス ―テックリードからCTOまでマネジメントスキル向上ガイド」(オライリー・ジャパン)
*2: 第10回 NHN Japan執行役員/CTO 池邉智洋氏に訊く(後編)│Webクリエイティブ職の学び場研究(gihyo.jp)

2018-09-28

「Web系キャリア探訪」第6回、転職から移籍へ

Web担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」第6回が掲載されました。今回はインフォバーンの田中準也さんを取材。

6回の転職はジョブホッパー?「広告業界で部署異動してるだけだよ byジュンカム」田中準也氏のキャリア観

JR東日本企画で14年間勤めた後は、電通、トランス・コスモス、メトロアドエージェンシー、電通レイザーフィッシュ、インフォバーンと転職を重ねていますが、田中さんからすると「転職」というより「部署異動」のような感覚と言います。

この感覚、近しい業界に身をおいて同時代に働いてきた私も共感を覚えるところがあります。私の場合「○○業界で部署異動している」と思えるほど大舞台で働いている感覚はもちえないのですが、ここ20年ほど働いてきた中で、
1.企業間の壁が薄くなり、
2.企業間・企業と個人のコラボレーションが活発になり、
3.プロフェッショナルとしての個人の存在感が増していって、
4.人材の流動性も高まってきた
のは大いに肌で感じるところです。

数年単位で会社を渡り歩き、新しい職場で新しい仲間と新しいチャレンジをする人を見るにつけ、「転職」というより「移籍」という言葉のほうがフィットするなぁなんて思ったりしていました。

さて、今回の田中さんは、ネット黎明期から、その前線で仕事経験をもたれてきたわりに、「デジタルを主戦場にしよう」と決意された時期は、けっこう最近なんだなというのが驚きでした。

90年代に一度ネットの仕事に足を踏み入れた開拓者精神旺盛な当時の若者って、周囲の大人にビジネスにならんとか言われて理解を示されなくとも、どんどんデジタル、インターネットのビジネスに邁進していった印象があって。

そこでデジタル一辺倒とならずに、アナログ×デジタル双方の見通しよいところに立ち続けて、また双方の前線に立ち続けてきたところに、田中さんのキャリアのユニークさが際立つのかなと思ったりしました。

また、それは確かな田中さんの志向の表れであり、ご自身が選んできた道であり、そこに惹き寄せられるように仕事の誘いが都度やってきたと考えると、必然と偶然の絶妙なバランスの中に田中さんのキャリアが成り立っているように感じられます。

確かな志しや自律心をもってキャリアを舵取りするデザイン性も感じられれば、未知の可能性や人の縁に人生を預けるドリフト性も感じられて。どっちに依らずバランスをとりながら進んでいくのが人の道かなぁなどと思ったりしました。

というのは私の勝手な蛇足ということで、ぜひ本編をお楽しみください。編集後記にあたる「二人の帰り道」まで、ぜひご一読いただければ幸いです。

2018-09-26

問題をじっくり決める感覚

私とはまったく別の業界で専門家として働いている友人とゴハンを食べていたときのこと。友人の話の中に「自分よりもずっと手際よく筋道を固めてゴールまでもっていけちゃう人がいて、いいなぁって思うんだけど」って一言がはさまった。

あれはきっと「はさまった」というくらいが正しい。それで卑屈になっていたり、羨ましがる気持ちに足元をすくわれている感じではない。私が書きたいのは、そういうことではなくて、それを受けて私が考えたことのほうだ。

私たちはその前からあれやこれや話し込んでいて、その一言を聞いたときに私がまず思ったのは、それは友人が手際が悪いからではないだろうな、ということだった。

なぜか。それまでの話を聴くに、友人がゴールをすぐに固めないのは、一つもこれというゴールが思いつかないからではなく、他にもゴールの見出しようがあるという可能性に目を向けて、時間の許すかぎり考え抜いて最良のものを選ぼうとしているからだった。それは手際の悪さによるものではなく、妥協のなさによるものだ。

過去の経験則から、瞬時にゴールをこれと決めこんで解決の道筋を既知のパターンに当てはめるのは、経験を積めば積むほど易しくなる。そこで易きに流れることなく毎回新しい案件として向き合い、拙速に目的地を決めようとする自分に抗うのは、経験を重ねるごとに難しくなっていくのかもしれない。

友人は丁寧だった。相当に難しい問題を、相当に短期間で対処しているのは想像に難くないのだけど、本当にこれか?こういう捉え方もできるのではないか?と、一つひとつ慎重に事にあたっていることが窺えた。

私はそういうふうに思うので、それは大事にしたままでいいのでは、と門外漢ながら応じて、またあれやこれやとおしゃべりに興じた。

それから日が経ち、次のような一節に出くわした。

このようなメタ認知を専門家は容易に行っている。スペシャリストがある課題に取り組むときには、問題をどのような視点からとらえるかをじっくり考える。自分の考えに筋が通っているかどうかに感覚を研ぎすませる。どうやって答えにたどりついたかを内省する。*1

あぁ、まさにこれだなと思い、その友人のことを思い出した。

「これはどういう問題なんだろう?」というステイタスはフワフワしていて、不安に駆られると早々に問題を特定して目的地を定めてしまいたくもなる。そこをちょいと踏みとどまって、一度アイデアを拡散する可能性の旅に出てみる冒険家の精神は尊い。期限内におさまるように探索の旅から戻ってきて一つに収束させる仕事もあわせもってなんぼなんだけど。しかも旅に出られる時間はかぎりなく短いのが常だけど…。

もちろん、ゴールをどこに定めるのか検討した上で結論を出すのがものすごく速い人もいるだろう。ゴールをどこに定めるのか検討しなくてもそのとき最善のゴールをパッと導き出せる人もいるのかもしれない。

でもまぁ無い物ねだりはやめて、自分なりの歩幅で、自分なりに感覚を研ぎすませて、じっくり丁寧な仕事をしていこう。歳を重ねて経験を積むほどに、既知のパターンに瞬時に当てはめられる直観力が磨かれていくなら、未知の可能性を探索しにいく冒険心も意識的にもちこんで、うまいことバランスさせていきたい。

*関連リンク:「問題と課題を区別する話」(問題も課題も自分で決めるものだよなという4コマ話)
*1: アーリック・ボーザー「Learn Better―頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ」(英治出版)

2018-09-25

読書メモ:「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」

これは買おう!と思っていた「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」*をご恵贈いただいてしまった。本の編集者が元上司なのだ。実際に手にとってみてもタイトルどおりにコンセプト立った良い本だと思ったし、クリエイター個々人が備えておくべき基礎知識だと思うので、私なりに本の中身と魅力を紹介してみます。自分は無問題という方も、部下や後輩にいいかも?ということで。

身近なところだと「フリー素材」の扱いとか。フリーといったって、なんでもかんでも無料で自由に使っていいわけじゃなくて、大方は使用許諾する範囲が設定されているから、それを守らないといけないよっていうのが具体的にどういうことかとか。主だったところだと、次のような制限があるなぁと読みながら整理。

●商用利用はNG
個人利用に限る。自社ビジネスの利用に限らず、デザイナーやライターとしてクライアントに制作物をおさめる場合も、お金を払って使ってねというもの

●使い方を制限
モデルの写真を何か特定の商品を試しているように見せて使ってはダメとか。あとはアダルト、公序良俗に反するものには使っちゃダメなど

●使用点数を制限
素材何個までは無料で使っていいというもの。何個を超えたら有料で使ってねというもの

●ロイヤリティフリー
最初に使用料を払うなどの使用許諾手続きをしたら、あとは何度でも使っていいよというもの

●ライツマネージド
使用媒体や期間を特定した使用許諾を受けたら、その範囲内で自由に使えるよというもの

結論、フリー素材を使うときは必ず利用規約を確認すること。

「あらゆる自由は制限の中に在る」という有名な言葉がありまして(今作った)、人間が認識しうる自由は常に何かしらの制限の中にあって、その不自由を知ってこそ自由を謳歌できるものだなぁなどと想いを馳せながら読みました。死という概念を知ってこその生を生き、使用制限を知ってこそフリー素材を活かせる私たち…。

さて、「転載」と「引用」の概念も、クリエイティブ職ならしっかり押さえておきたい基礎知識。

例えば、Webサイトやアプリのスクリーンショットとか、書籍の表紙や中身を撮影した写真をSNSにアップロードとかはよく見かける。けれど、こうした他媒体への「転載」は複製権を侵害しているので原則NG。でも、「引用」の範囲内ならOK。じゃあ、引用って何?どういう条件をクリアしたら引用扱いになるの?ということになる。

本を読みつつの私なりの整理だと、このあたりがポイントか。(以下は引用でも転載でもなく、読んで整理した個人的メモのつもり)

●引用部分と、オリジナルの文章を明確に区別してあるか(カギカッコとか斜体とかで)
●オリジナルの文章(主)と引用部分(従)の主従関係が逆転していないか(量的にも、質的にも)
●引用する必然性があるか(主となるオリジナルの文章を書くのに、そこを引用する必要が本当にある?必要最低限の量にとどめてある?)
●出典が明記されているか(タイトルとURL、著者と書籍名と出版社名など)
●引用部分を改変していないか(変えちゃだめ)
●そもそも公表された著作物か(メールとか手紙とかはそもそも未公表で対象外)

プレゼンや講演資料でも、出典名の抜け落ちなんかは結構ある。クリエイターとして人前で話すときに、他のクリエイターの権利を侵害するような落ち度は避けたいもの。「そんな法律知らなかった」もまずいし、「知っていたけど軽視してor不注意でやっちゃった」もまずい。どっちにしても、すごくまずい。

あと、街並みを撮った写真に道行く人が写り込んじゃったくらいは問題ないよね、ネットにあげても。も、ちょっと待った!人物が特定できる写真は肖像権を侵害する恐れがあるし、子どもの映り込みなんかは特に慎重に扱わないと大ごとになりかねない。写真だけじゃなくて、本人とわかる似顔絵も肖像権&著作権的にNGになる恐れがある。有名人だと、パブリシティ権も要配慮。

この辺も「法的にグレイでしょ」とか「みんなやってるでしょ」とかで軽視すると、静かにクリエイティブ職としての信用を失って、無言で周りから人と仕事が去っていくので自ら注意しておきたい職業倫理。

えー、じゃあフォントやレイアウト、配色に著作権はあるの?キャッチコピーは?写真のトレースは?Googleマップは自由に使っていいの?オープンソースは無料&自由なんでしょ?

などなどに一通り答えてくれる一冊。まえがきによると、イラストレーター、Webデザイナー、ブロガー、プログラマーあたりの職種の方を読者層にイメージしているもよう。章立ても「写真・イラスト・デザイン」「文章・コピー」「プログラマーコード・ライセンス」に分かれていて、ものすごく具体的で「あるある!」なシチュエーションを取り上げて、いいのか悪いのか、どういう著作権侵害の恐れがあるのか、実際どういう判例があるか、どう使えば侵害にあたらないのかなど、丁寧に解説されています。

クライアントさんから権利関係が怪しい素材を提供されて「これ使って」って言われたら、どう対応する?とかの実務ノウハウにも言及しているし、契約書や見積もりはどう作る?とかも解説とサンプルがそろっている。法的にどうこうだけじゃなくて、各社のサービスの利用規約上こういう制限がされていることがあるので注意!とかも記述あり。自分が権利を侵害されたときの対処法もあります。

こうした知識は、もっていないと悪意なく他人の著作権を侵害してしまうリスクがあり、訴えられれば損害賠償だったり、信用失墜だったり、会社やクライアントに大打撃を与えてしまう問題にも発展しうるから、職業上しっかり押さえておきたい基礎知識。

「現場あるある!」「そう、それどうなってるの?」な問いに対して2or4ページで答えていく構成なので、ざっと目を通した後は、都度「逆引き」的に使えそう。語り口も平易だし、かわいいイラストが随所に散りばめられているのも読みやすさを後押ししています。よろしければ手にとってみてくださいませ。

*: 木村 剛大 (共著、監修)、大串 肇、北村 崇、染谷 昌利、古賀 海人、齋木 弘樹、角田 綾佳(共著)、小関 匡 (編集)「著作権トラブル解決のバイブル!クリエイターのための権利の本」(ボーンデジタル)

«円グラフと帯グラフは使い分けるものだった