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2017-03-24

しょんぼりズム

誕生月というのは放っておいても、星の巡りかなにかで勝手に快い風が頬をなでていくものかと期待していたけれど、今年はどうも閉塞感が漂う、ここ数週間。

普段からだいぶ地味な暮らしぶりなので、人様からみて分かりやすく何がどうという変化はない。特別誰かに指摘されることもなく、いつも通りといえばその通り。ただ自分の中でひっそり静かに、このしょんぼりズムを様子見していた。

「理由を挙げよ」と言われれば、身近なものから社会情勢まで5つ6つ具体的な事象は思い浮かぶのだけど、「それが理由なのか、どれが一番の決定打?」と問いただしても、どうかなぁとぼんやりした答えになる。そういう因果律にのせる話じゃなくて、なんとなくそういう時期ってことなのではと思ったほうが自然な受け止め方なのかもって気もする。

それでまぁ、どれかに要因を定めて応急処置を試みることもなく、しばらく無理に元気ぶらずに(ってもともとがあれなのであれだけども)、本を読んだりラジオを聴いたりして(ってこれもいつもと変わらなすぎるけど)、淡々と経過観察して過ごすようにしていた。キャリアカウンセラーとして、極力こういうときには自分の心の動きを丹念に観察するようにしているというのもある。

それで気づいたのは、こういう気持ちのしぼんだときに、「サピエンス全史」みたいな壮大な世界の話だけ読んでいると、私はダメなんだなってことだ。

地球の始まりや人類の始まりから今をながめる世界の捉え方に触れていると、対する自分のちっぽけさを感じざるをえない。自分の気持ちの塞いでいるのなんて、それこそちっぽけなことに思われるので、最初は大いに健全な過ごし方だと思って読んでいた。今こそ、こういう壮大な話を読むべきなのだ、と。

はじめは本当にそうだったのだけど、なにぶん読むのが遅いので、何日もかけて読み続けていると、頭の中が自分がちっぽけであるということだけに埋め尽くされてしまって、これはこれでバランスが悪いのではないかと気がついた。

外界は壮大であり、自分はあまりにちっぽけである。というのは、あまりに当たり前のことである。と同時に、とはいえこのちっぽけな自分の人生を、壮大なものとして生きているちっぽけな自分もいるのである。

一人の人間として生きていく以上、このちっぽけさからは逃れられないから、私の外側に広がる世界の壮大さと同等の壮大さをもって、私の内側にも小宇宙のようなものが広がっている、そう捉えないと健全なバランスを欠いてしまう。

外側ばかりに目を向けて、自分はなんてちっぽけなのだ…というだけで何日も何週間もやっていると、ちっぽけな自分が、自分にとっちゃそれでもすさまじい人生を生きていくということを、どう価値づけていいのかわからなくなってしまう。この浮遊感は、ちょっと健全じゃないなって思った。

なので、一旦「サピエンス全史」を手放して、一人の人間の物語を読んだり、ユングや河合隼雄さんの心理学の本を読み直すことにした。この処方箋はあっていたようだ。

あと、稀有な友人たちとのおしゃべり時間をもって、はぁ、やっぱり人は人と触れ合って生きていくのだよなぁと実感したり。ちょっとした仕事の声かけがあって、はぁ、やっぱり私は人に仕事をもらって、それでかろうじて生きているのだなぁと再認識させられたり。なんかぎりぎり乗り切った感があるけれども、そろそろ誕生月も終わるし(関係ない)、4月は久々に新しい気持ちで迎えてみようと思う。

2017-03-08

教養に向かう興味の源泉

子どもの頃から、理科や社会は苦手科目だった。たぶん最初の出会い方を失敗したのだ。物心ついたときには、すでに理科や社会が「覚えなきゃいけないこと」の集合体に見えていた。中学、高校と進むごとに苦手意識は高まって、受験はいつも国語と英語で切り抜けてきた(数学は論外…)。

大人になってから、おしゃべりの中で「え、それって小学生のときに習わなかったっけ?」という返しをもらって、「え、小学生のときに習った理科のこと覚えてるの!?」と真剣に驚いた。

そうした非凡な人たち(私からみると)との出会いに恵まれたことが、私の幸運だった。彼・彼女らが子どもの頃から純粋に興味をもって「へぇ、そうなんだ」とインプットしてきたことを喜々として語る様子に触発され、私は大人になってから理科とか社会で取り上げられる類いのことに(わりと)純粋な関心を向けるようになった。

ただ一方で、私の中に芽生えた興味は、非凡な友人らのそれとは異質なものに感じられるのも事実。生物でも化学でも歴史でもいいけれど、友人らが興味対象に向ける純粋な知的好奇心は、それ自体にまっすぐ伸びて、それに直接接続する強さが感じられる。一方の私には、それを「とことん知り尽くしたい」とか「とことん考え抜きたい」とか「とことん調べ尽くしたい」といった気概がない。

興味を覚えるようになったとはいっても、一般向けの入門書を読んだら、もうお腹いっぱい。しかも読書中から数行・数ページ読んでは、その少量を携えて自分の内側に向かっていってしまうことしばしばで、読書は遅々として進まない。

思索と言えば格好もつくが、別段どこに到達するわけでもない。読み終えれば詳細はほとんど忘れてしまうから、人に教えられるような知識も残らない。なんの分野にも一向に精通しない。

ただ自分の、世界や自分ごとをとらえる物差しが増えたり伸びたりして、自分自身が楽になっているだけだ。

昔から、この時代・この地域・今の自分周辺の価値観に限定した当たり前や常識にとらわれたモノの見方にはまりたくないという性向はあった。けど、若いときのそれはせいぜい100年200年前との比較を想定したものだった。高校生くらいのときは、江戸時代にもその考えって通用するだろうか?と、よく自問していたものだ。

その尺が、大人になってぐわっと伸びた。「ソフィーの世界」(*1)を読めば紀元前600年から、「サピエント全史」(*2)を読めば45億年前の地球誕生どころか、135億年前の物質とエネルギーの誕生とか、原子と分子の誕生から今までと、世界をとらえる物差しが一気に伸びるのだ。

持ち替えられる物差しが手もとに増えれば、そのぶん自分のモノの見方も自在になる。長いの短いの、都合にあわせて持ち替えられると、いろいろな場面で楽である。少し経つと「あれ、何億年前だっけ?」「あれ、何の始まりだっけ?」と忘れちゃうのだけど…、私は自分の物差しが増えたり伸びたりしただけで、わりと満足してしまうのだった。ここに、友人らの非凡さと、私の凡庸さがはっきりくっきり出る。

それでも、ないわけじゃない私の極めてはかない興味の芽生え。この源泉はいったい何なんだろうかと考えていて思い浮かんだのが、以前読んだ本の一節だ。

ヘーゲル的な「教養」には、自分にとっての「よい」が普遍的に「よい」ものかどうかを判断するための能力という意味がある。教養は、共同体における「よさ」が多様なものであることを教える。(*3)

こういうことかと合点がいった。私はヘーゲルが言うところの教養を欲しているのではないかと。物質とエネルギーとか、原子と分子そのものにはさしたる興味をもてないのだけど、自分のモノの見方をちょいとでも普遍的で多様なほうへもっていくことには興味がある。

普遍的なモノの見方、多様なモノの見方を完全に手中におさめるなんて、人間には到底無理な話だ。それは、あきらめている。それは前提として、昨日より今日、今日より明日の自分が、少しでもそっちのほうに近づいていけたらいいなぁという、だいぶ控えめで平凡な願いをもっている。今もっている自分の前提を崩し続けて、一段ずつでも普遍的な見方に近づいていくために教養を欲しているのだと考えれば、なるほどと思う。

この世界はどっちつかずな物事にあふれていて、狭い了見で極論を一択すれば、いろんなところに無理が出てきてしまう。そうではなくて、あれとこれの真ん中に立って、その不安定さを許容して、うまくバランスさせようとするところに、人間ならではの聡明さがあるんじゃないか。そうせんと動機づけ、その過程を下支えしてくれるのが教養だ。それを欲していると考えれば、なるほどと思う。

純粋な知的好奇心に比べれば、きわめて微弱ではあるけれども、自分なりにこの「教養に向かう興味」を大事にしていけたらと思う。

多様なモノの見方を受けとめた上で一つの着地点を見出そうとする過程で、人は優しくなれたり、強くなれたり、創造的になれたりする。ときに難しくて、もろくなったり、コントロールがきかなかったりもするけれども、教養はそこでも助け舟を出してくれる。別のやり方、別の見方、別の気の持ちようを与えてくれる。大人になって教養科目に惹かれていったのは、そうした背景があるのかもと思った。

ともあれ長きに渡って魅力的な人たちと出会い、つきあってこられてこその変化。本当にありがたい。そんなことを思いつつ書き連ねつつ、まもなく四十を終える。

*1: ヨースタイン ゴルデル「ソフィーの世界」(NHK出版)
*2: ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエント全史」(河出書房新社)
*3: 平原卓「読まずに死ねない哲学名著50冊」(フォレスト出版)

2017-03-07

内示を受けているときの頭の中

組織改編の時期、私も2月末に上司に呼ばれて内示を受けた。ここ数年、会社的にはいろいろありつつも、私自身はもう何年も同じ部署・同じ肩書きでやってきたのだけど、今回は久しぶりに異動となった。

といっても、所属している「キャリアデザイン部」ごと、事業部門から管理本部に移るというので、それについていく恰好。個人の配置転換というより、組織改編に伴う人事異動という感が強い。

名刺も「○○事業部」とか「管理本部」とか入っていないので、4月以降も「キャリアデザイン部トレーニンググループ」という、これまでと同じものを使うことになるだろう。

とはいえ大枠の所属部門が変わるということは、期待される役割も少なからず変わるということ。とりわけ私のように(何かの専門分野を内にもつコンテンツホルダーでなく)何らかのシチュエーションを外から与えられてそれを編集するような役回りの人間は、「どこに所属して誰に向かって仕事するか」の変更に影響を受けること大とも想像する。

今後は、一般クライアント案件より内部向けの比重が大きくなり、もっと長期的なスパンで組織内の人材開発を担っていくことになるのかしら。まだ、直近で何に注力したいか、先々どう展開させたいかという組織的意向を詳細には確認していないし、どこまで詰めているかもわからない。

「中の仕事」より「外の仕事」のほうが性に合うと思っているところがあって、今は、内側の仕事にどう向き合えるか、不安もないわけじゃない。どれくらい独立的に仕事ができるか、どれくらい決済能力と権限ある人を巻き込めるか、どれくらい案件一つひとつを通じて自分が成長実感をもてるか、やれることを増やせるか。

いろいろ気がかりだけど、いい歳だし、そこも含めて力の鍛えどころということなのかもしれない。基本的な指針が折り合うかぎり頑張りたい…。あと久々の席替えが待っているのも気がかり。今くらい奥まったところの静かな席に移れることを日々願っている。

このところはクライアント案件も立て込んでいるわけじゃなかったし、私自身も「研修サービスという枠組みを取っ払って、組織的なパフォーマンス改善にどう貢献するか」って、もう一つ広い枠組み(あるいは、もう一歩踏み込んだソリューション)にフレームをさしかえたいかも…と思っていたところなので、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。

やり方と環境次第では、外のクライアント仕事より新しい領域にチャレンジさせてもらいやすいかとは思うし、内情も深掘りして把握しやすい。そこで「組織のパフォーマンス改善」と「個人のキャリア開発」をうまく掛け合わせて成果を出せるようになれば、まずは社内への貢献、その経験をもって外のお客さんの役に立てる領域も広げていけるかもしれない(今でもご相談ウェルカムですが!)。

Web分野にとどまらず、自社グループが手がけるゲームや映像編集系の業界知識もたくわえて、自社→グループ各社→一般クライアントへと、クリエイティブ業界を中心に人材開発とかパフォーマンス改善に貢献していける戦力を磨いていけたら、それは私個人にとっても会社にとっても、きっと良い道筋だ。

私はわりと、機会に乗じて身の振り方を考える受け身(だけど前向き)キャリアデザイン戦法なので…、この機会をうまく活かして専門性を高めていけるといいかなぁなどと思いつつ、内示を聞いた。

会議室で内示を受けている最中というのは、だいたいこういう組み替え作業を頭の中でごちゃごちゃやりながら上司の話を聴いている気がする。自分が今関心を高めている領域と、今ふってきている環境変化と、どう組み合わせたら組織的にも個人的にも建設的な枠組みに収まるかしらとか。その枠組みの中で、直近一年くらいをどんなステップとして意味づけると有意義かしらとか。

ちょうど「パフォーマンス・コンサルティングII」(*1)も読み終えて、自分がこれまでやってきたことの延長線上に「今後掘り下げたいこと」が具体的にイメージできてきた頃合い。あとは実践の場をもっと増やして、調査・分析の経験を積む段階かなぁと思っていた矢先でもある。

「時間がない」「スキル不足」「人手不足」あたりを問題点に据えたところで立ち往生している組織があるとすれば、そこにどう介入して、組織的な問題構造を調査・分析していけるか。ここら辺を形にして、きちんと役立てるようになれたらいいなと思う。

並行して、これまでどおり「実務スペシャリストが講義して教える」だけでは成しえない効果的な学習の構造設計も増強していきたい。実務スペシャリスト(講師役)の良いサポーターとなって、クライアントの実務に直結させた演習作りとか、効果測定・検証、継続施策への展開、実践スキルとして定着する職場環境づくりなど、専門性を磨いて手がけていけたらなと思う。

あとは、研修以外のアプローチも含めて、分析後の対策を具体的に提案できるようになるためには、人事系のいろんな専門家とのネットワークづくりが必要になるだろうとも思う。これが、わりと苦手領域で難儀だけど…。

従業員のパフォーマンスが発揮されない要因が、「個人のスキル不足」1点に限定されることは稀だ。要因が一つでないなら、ソリューションだって単一ではないわけで、そこにきちんと関わって専門的に調査・分析、企画・提案、設計・開発、実行・評価していける力を磨いていくには、自分のやり方にも見直しが必要ってことだ。できるところから、にょろにょろ変えていこう。

*1: デイナ・ゲイン・ロビンソン、ジェームス・C・ロビンソン著「パフォーマンス・コンサルティングII~人事・人材開発担当の実践テキスト~」(株式会社ヒューマンバリュー)

2017-02-09

2回目の目の手術、その後

私は両目に翼状片(よくじょうへん)という病気を患って、2年半前に右目、2ヶ月前に左目の手術をして、それを切除した。

その体験記をブログに書き残してきたので(「目の手術(翼状片)」というカテゴリーにまとまっています)、私のブログには「目の手術 怖い」とか「翼状片 云々…」といった検索ワードで訪れる人がけっこういる。

のだけど、特別そういう人たちに向けて書いたのでもない個人的な吐露に終始してきたため、このことを気に病んで検索してきた人にとってバランスのとれた文章にはまったくなっていない。私のおぞましい体験記を読んだとすると、「よっしゃ、手術受けよう」とは、なかなかならないだろう。どちらかと言えば、手術を踏みとどまるほうに作用するに違いない。というのが、ずっと気になっていた。

なので遅ればせながら、ここに書き残しておきたい。終わってしまえば、やっておいて良かったと思っています、ということを。両目とも術後は順調にきているし、目には今まったくカケラが見当たらない。再発率が低い手術をしてもらったおかげもあってか、右目は2年半再発していない。運よく、腕のいい先生に執刀してもらえて、術後もしっかり診てもらえたというのは大きい。その環境あってこそと思うけれど、手術した決断に後悔は一切ない。

最近手術した左目のほうは、今ひと月おきに眼科に行って経過を診てもらっている。昨日は術後2ヶ月経ったところの診察、「今のところ順調ですね」と言われて安堵。ちなみに先生はいつも「今のところ」という言葉を欠かさない…のを私も聞き逃さない。あ、でも、右目はいつからか「今のところ」が消えた、そういえば。

この2ヶ月間は、冷蔵保存しなきゃいけない目薬(リンデロン)をさす必要があって、最初の1ヶ月は日に5回、そこから1ヶ月は日に4回、時間を守って点眼していた。保冷剤にはさんで目薬を持ち運び、家と会社では冷蔵庫に入れておくのが地味に大変だったけど、今回の診察でリンデロンとはおさらばだ。

この後は、リンデロンの1/3くらいの効きの目薬(フルメトロン)を日に4回さして、また1ヶ月後に診察に行く。たぶん、もう数ヶ月良好に進めば、通院は2ヶ月に1回ペースになり、目薬はドライアイを防ぐヒアレインというのに変わる見込み。それで1年かそこら、様子を見ていくことになる。

あとは再発防止策で、紫外線を避けた生活(ハット型の帽子、サングラスなど)はずっと続く。どこまでやるかは人それぞれだろうけど、私はもうあの手術は嫌なので、わりとこまめに装着している。日中に外で会うと、ずいぶんと野暮ったい人である。

これに今は防寒対策のニット帽とか、これからしばらくは風邪防止と花粉症対策のマスクが加わって、カバンにはいろんなものが入っている。さすがに帽子とサングラスとマスクの3つ装備だとだいぶ怪しいので、場所に合わせて2つまでに収まるようにしている。

屋内や地下鉄ではマスクのみ、表を走る電車や地下鉄でも外に出る区間はマスクとサングラス、外を歩くときは帽子とサングラスなど、なんやかんや小まめな入れ替えが必要になる。それでも、あの手術に比べたらなんてことはない。

もちろん人によって気になるポイントも環境も様々だから、これは一体験記に過ぎない。ただ、検索して訪れた人に、やっておいて良かったと思っていることは伝えないと、と思って書いた。わりに、関係ない話がだらだら続いてしまったけど。

これで、目の手術にまつわる話は終わりになるかな。ぜひとも、そうしたい。あとはプール通いを再開できたら、私的には通常モードに戻れる。リンデロンが終わったので、そろそろ再開だ。

2017-02-05

母の七回忌

もう丸6年も会っていないとは…。久しぶりにこの母の写真を見て、ぽろっとこぼれたのは、そんな思いだった。

この写真は、母が撮ってくれと言って、亡くなる1ヶ月前に私が撮った写真。新年明けて早々、2011年1月2日の彼女。年末に癌が見つかって、唐突な余命宣告から1週間も経っていない。

入院から数日で正月を迎え、元旦に病院の外泊許可がおりて、おうちに戻ってきた翌日のこと。彼女は洗面所でしっかりメイクをすると、写真を撮って!と笑顔でリビングに入ってきた。一瞬にして、遺影を…と察し、笑顔でうなずき引き受けた。そして、このひと月後に彼女は逝ってしまった。

今日は、母の七回忌法要だった。三回忌のときは、締めの挨拶を急にふられてお話ししたのだっけ。どんな挨拶をしたのか書き残してあるのを読み返すと、懐かしいと言えるくらいに時が経過していて驚く。

彼女に最後に会ってからは、もう丸6年か。こうやって振り返ると、そのすべてを時間という概念が呑み込んでいくように感じられる。私が抱えこんでいた彼女を失う苦しみも、当時はあんなに私を支配していたというのに、6年経って、穏やかで異質なものへと変わってしまった。

100年も経てば、たいがいのことは時間に呑み込まれてしまうのかもしれない。後に残されるものは、一個の人間が視界に収めるにはちょっと大きすぎる類いのものばかりなのかもしれない。

今日は、伯母夫婦や、いとこが子どもを連れて来てくれて、わいわいにぎやかに御斎の時間を過ごせた。

20年前の古いプリンタがうまく動かないんだけど、ストーブで温めると動くのよねぇとか、インターネットってピーヒョロヒョロってつなぐのでしょとか、ふぉーとうなってしまうおしゃべりも堪能できて、伯母たちの話に聴き入ってしまった。

伯母たち用に母の子ども時代のアルバムを、いとこ用に私たちが子ども時代のアルバムを厳選して持っていったのだけど、どのアルバムを持っていくか選ぶのに、実家で数十冊のアルバムをめくり、1時間たらずでやったものの、それもまた豊かな時間となった。

親戚で集う機会もなかなかなくなってしまったけれど、今日は久しぶりの面々に会えて尊い時間を過ごせた。親戚から母との思い出話を聴かせてもらう度、彼女のさりげない優しさに触れる。「思慮深く、人を大事にする」という彼女の当たり前を、静かに受け継いでいきたいと、その度思う。

2017-02-02

入れ替わる手段と目的

先日スマートニュースさんを訪問したときに、「みちくさ」(*1)という冊子をいただいた。2015年10月発行、非売品らしい。同社の皆さんが執筆陣で、01号では特集する「アラン・チューリング」の道しるべとして、独立研究者の森田真生さんを迎えている。

表紙をめくると、スマートニュース代表取締役会長、鈴木健さんの「みちくさ」から文章が始まる。ここに、ごくりっとさせられる一節があった。

人生に目的があるならば、手段もあるはずである。普通の人はそう考える。だが、手段と目的が倒錯し混線するのも、また人間の生命たる所以である。

今の世の中、どちらかと言えば「それは手段と目的を取り違えてるよ!」と指摘したり、指摘されたりがポピュラーだ。ときに、誰からみても、どんな状況にあっても、手段と目的は入れ替わることがないと、普遍的な原理原則でもあるかのように”間違い”を指摘する声も聞かないではない。

確かに、ある組織、あるプロジェクトといった共通目的のもとに事をなす文脈においては、そういうことは言える。逆に言えば、そういう前提がないと複数の人が集まって事をなすときに皆が納得する結論の導きようがなく、チームワークが働かなくなってしまう。

ただ、そういう特定文脈を取っぱらって、ひとりの人間のもとに戻して考えてみたらどうかというと、わりと手段と目的って倒錯し混線しているものかもなって、ごくりっとした後、脱力した。

学校に行くのが目的、その手段として今この道を歩いている。会社に行くのが目的、その手段として今この電車に乗っている。知識を習得するのが目的、その手段として今この本を読んでいる。仕事で成果を上げるのが目的、その手段として今このスキルアップに励んでいる。相手との合意を取りつけるのが目的、そのために今この人と議論している。

特定文脈にのせて見れば、そりゃそうなのだけど、ひとりの人間の人生からみると、途中の道草や、電車に揺られている時間に意味を見出していたり、何かを知ること自体、何かができるようになること自体、何かを作り出すこと自体、人と議論したり話し合うこと自体を、成果がどうあれ楽しんでいることもあると思う。振り返ってみれば。

高い名声と報酬を得るために始めたことが、いつしか、それ自体を面白がる自分を作りだし、もっと突き詰めたくなって高い専門技能や矜持を育むことだってある。一方で、ただ面白いと思ってやり続けてきたこと、作りこんできたものが、匠の技として高い名声や報酬につながることもある。

手段と目的は、ある枠組みを取っぱらえば、ひとりの人間の中で、わりと倒錯し混線するものなんじゃないか。特定文脈という枠組みを無視して、誰にでも、どんな状況にも通用する固定的な「手段と目的の分別」があると信じ、それを誰かれ構わず、所構わず人に強いて、自分と合致しない人を馬鹿にするような態度は、それこそ偏狭で滑稽な感じがしてくるのだった。

振り返れば、人生の美しい瞬間は、学校にまっすぐ行くつもりが蝶と花に心を奪われた、あの道草にあったと懐古する人は多い。道草は余計なものではなく、人生そのものであったと気づくのは、常に後からと決まっている。

ここだけ取り出して引くと、ちょっとキザかもしれないけど、「手段と目的が倒錯し、混線する」具合を、自分にしても、人のそれにしても、丁寧にみてとる気持ちは大事にしたい。

先日、友人らが話しているPodcastを聴いていたら、年配者が若い人に仕事を教えようとするも、どうもうまくいかないっていう話が出てきたんだけど、これはいろんな業界にある気がしている。そこで私たちが(年配者側として)できることは、ひとつに「それの面白さを魅せること」なんだろうなって思う。

やって魅せる、やらせて魅せる、語って魅せる、いろいろあるけれど、そのいろいろをそばでやり続けている先輩が身近にいる環境で育まれるものって、きっと大きいだろうと思う。それが一番実現しやすいのは、毎日通う職場だ。

憶測で世代論めいたことを言うのは健全ではないけれど、試しに言っちゃうと、今の若い世代というのは、自分たち世代と比べて、より効率化が目的化されたガチガチの世の中を生きてきた感がある。効率的なことが良いこと、これよりあっちのほうが効率的だから正しいというのを、幼少期からいろいろと耳目に触れる時代に生きてきたのではないか。

そういう世の中で育ってきて社会に出た今、まず触れたらいいのは、ずっと手段と言われてきたものを目的とみたり、ずっと目的と言われてきたものを手段とみたり、自分の中の倒錯やら混線した状態にはまることなのかもなぁとか、ぼんやり思う。

もちろん、そんな行ったり来たりを、私なんかよりずっと前から存分に楽しんできた若い人もごまんといると思う。でも、もしそうでない若者がいるなら、先輩は、こうやってやると効率的だよって指導ばかりではなくて、こうやったりするのが自分は面白いんだとか、こういうところに自分はこだわりたいんだってことを魅せていくのが大事なんじゃないかなぁと思う。

私の周囲には、作るのが楽しい、インターネットは素晴らしい、人と議論するのが大好きだという同世代や先輩がたくさんいる。こういうものが若い世代にシェアできたら、それが一番じゃないかなぁと。少なくとも若いときに私を育んだ最たるは、そういう先輩や職場環境だった。まぁ、だから別に世代論じゃないか。世代を超えて共有価値をあることって、そういうことかなぁと思う。

なんだか、どこに向かって何を書いているのかわからなくなってしまった道草語り…。

*1: スマートニュース「みちくさ」

2017-01-28

寿命100年の時代

今週は仕事でへろへろになったので、できるだけ視線を遠くに向けて週末を過ごそう。と狙ったわけじゃないけど、読みかけの「LIFE SHIFT」(*1)をもって朝食に出かける土曜の朝。

「100年時代の人生戦略」と副題のつく、この本。著者は、ともにロンドン・ビジネススクールの教授で、リンダ・グラットンは人材論、組織論が専門。アンドリュー・スコットは経済学。グラットンは近著の「ワーク・シフト」でも注目された。人のキャリアをテーマに一つの「あるべき姿」を掲げて一方向に引っ張る系の本はあまり得意じゃないんだけど、「これは読んでおかねば」感が強く、頑張って読んでいる(途中)。

冒頭に、日本の読者に向けたメッセージがつづられている。日本では、長寿化を恩恵ではなく厄災とみなす論調が目立つけど、恩恵に目を向けなさいな、と著者。

そうはおっしゃいますけれども、出だしから前半、
1.これからは多くの人が長生きするようになる
2.人生が長くなれば、必要な資金は増える
3.資金をまかなうためには、長い年数働かなくてはならなくなる
4.働く時間が長くなれば、その途中で雇用環境は大きく変貌する
5.その不確実性を前提に将来を展望し、適応していかねばならない
というので、恩恵のわりに「ならなくなる」「ねばならない」という文末が多くないですか…と後ずさりしながら読む。

100年ライフの恩恵の一つは、余暇時間の使い方を見直し、消費とレクリエーション(娯楽)の比重を減らして、投資とリ・クリエーション(再創造)の比重を増やせることなのかもしれない。

とさりげなく主語を「恩恵」と位置づけているけれども、これを「恩恵」とするか「厄災」とするかは、人によって見方が異なる気も…。などと、おっかなびっくりにページをめくっている。

ともかく、まぁお金の話は気になるでしょうから、最初に話しておきましょうってことで、その後が雇用の話。仕事して稼がねばね、ということで。その後が、知識とかスキルとか仲間とかの話。雇用を成立させる資産も大事ねって話だろう。これらを話しきった後半から、こういうふうに新しい生き方をしていこうというイキイキした話を展開していくようなので、まずは前半を乗り切らねば。

が、私は読むのが遅いので、とりあえず「ねばならない」の渦中で、メモっておきたい箇所をメモっておく。

●平均寿命は大幅に延びる
要約:過去200年間、平均寿命は10年に2年以上のペースで延びてきた。いま先進国で生まれる子どもは、50%を上回る確率で105歳以上生きる。いま20歳の人は100歳以上、40歳の人は95歳以上、60歳の人は90歳以上生きる確率が半分以上ある。

→長いっすなぁ…

●比較的最近まで、引退年齢はもっと高かった
要約:イギリスでは、1984年に職をもっていた65歳以上の男性は8%どまり、約1世紀前の1881年には73%あった。アメリカでは、1880年に80歳の人の半分近くがなんらかの職をもち、65〜74歳の80%がなんらかの形で雇用されていたが、20世紀に大幅下落。現在は、その潮流が逆転しつつある。

→進化とともに引退年齢は下がってゆくというより、時代とともに引退年齢は上がったり下がったり変動するという感じで捉えていたほうがいいかなと思った。もちろん、老後もあくせく働くというんじゃなくて、いろんな役割をもつ中に「人のために働く」「社会と公的に関わる」ところも残してバランスさせていくほうが健全に過ごせるのではないかなぁという理想イメージで。

●仕事と私生活は、もともとブレンド状態だった
引用:興味深いのは、工業化以前の社会では主に家庭が生産活動の場になっていて、仕事と私生活がブレンドされていたということだ。その後、工場が出現し、さらにオフィスが出現したことにより、必然的に仕事と余暇が明確に分離されるようになった。しかし将来は、新しいビジネスのエコシステムの中で働く機会が広がって、その境界線が崩れ、「ワーク」と「ライフ」が再統合されるだろう。

→これも上と同様。進化とともに仕事と私生活が分離していったというより、時代とともに仕事と私生活は分離したり、再統合したりするって見方のほうがいいかねぇと思った。ワークとライフを分離するのが健全というものの見方は、偏狭な気がする。そういう価値観の人もいて、そうでない価値観の人もいる。両者あって良いし、どちらも制限されずに両者とも気持ちよく働ける環境づくりが理想という感じ。

●「近さ」の価値はむしろ高まっている
引用:インターネットが登場した当時、この新しいテクノロジーにより物理的な距離が重要性を失い、私たちは自分の好きな場所で暮らせるようになると言われていた。しかし実際には、たしかに「遠さ」の弊害は問題でなくなったかもしれないが、「近さ」の価値はむしろ高まっている。

→”「遠さ」の弊害は問題でなくなったが、「近さ」の価値はむしろ高まっている”って、こういう表現で斬れるの、すごいよなぁって感服してしまう。すごいよなぁ。それだけのメモ。

なんか、全然気は休まっていない気もする土曜の朝。いやいや、のんびり読書なんて贅沢極まりない。いっぷく。

*1: リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」(東洋経済新報社)

2017-01-20

モデルの話、個々の話

今日Facebook上で「キャリアモデル」の話になって、わりと長めのやりとりになったのだけど、その途中で勢い余って「モデルと個々の話」を、長文ひとりごちてしまった。

そこではあくまでモデルの話をしていたので、個別のケースを巻きこんだ話は論点とずれるものだったんだけど、ここしばらくもぞもぞ考えていたことが、わーっと書き起こされたがる現象が脳内に発生して踏みとどまれず、あさっての方向にひた走る文章を、会話中に挿しこんでしまった。

Facebook上で(そうと知らず)長文読むはめになった方には申し訳ないことをしたのだけど…、個人的には体の外にはきだせてすっきり、きっかけをくれたことに感謝。

〜ということで、本来収まるべきだったこっちのほうにひっそり残しておく。以下は、ひとりごちた文章ほぼそのままコピペなので、ここだけ読んでもわかりづらいと思うけど、いつかのときの私用メモということでご容赦ください。

キャリアカウンセラーの立場からすると(私の性質にすぎないかもしれませんが)、あまりモデル化を推し進めて、抽象的な枠組みが個々人の生き方を規定していく、みたいな展開を恐れています。

私の根っこには、「人は誰しも例外(規格外)である」という考えがあって(ユングの言葉ですが*1)、そのもとに人に向き合いたいと思っているので、モデルをできるだけあてはめずに、よくよくその人の話を聴いてみたい…というのがあります。

「独身は」「DINKSは」というのも一つの枠組みですが、キャリアカウンセラーは個人をみるのが基本なので、私としてはどちらかというと、こういう枠組みをあてて個人を位置づけてかからないように…という意識というか、無意識のほうが先にたつタチです。時と場合によって視点を変えられる必要はあるとは思っているのですが。

例えば介護の問題にしても、その人に親の介護が実際に発生するか、両親かどちらか一方か、発生したとして何歳時点でどれくらい重度のものを抱えるか、何年続くか(がわからないわけですが、50歳で介護を終えた場合、その人には50歳以降のまた仕事人生があったりもするという意味で)、一人で支えるか、家族や親せきと分担できるか、割ける資金はどれくらいあるか、デイケアで施設に預けるか、寝泊り含めて施設で生活してもらうか、仕事とどうバランスをとるか、本人が親の介護とどうつきあうスタンスでいるかなど、介護一つとっても年齢だけでは語れない個人差があるので、キャリアカウンセラーという立場でいうと、その一人ひとりの状況や思いに対して、その人の答えを一緒に考える役割を果たしたいという思いがあります。介護は、多くの個人差をうむ一つの要素に過ぎないので、それ以外のいろんなその人のことを踏まえて。

抽象化されたモデル、パターンから一定の示唆は得たいし、専門でやるなら、その責任もあると思いますが、実際場面ではそれらの知識と距離をとって、その人が答えを出すサポートがしたいと思います。ゆえに、あまり「こういうふうにキャリアパスを形成すべし」という一般的な考えを、私は持っていません。

持っている人が提言することに意義はあると思うし、私がそういう意欲と能力に欠けているという話なのは重々承知しているのですが、私はそこでは、うまいこと人の役に立てないだろうと思っています。

なのに、おまえ、登壇なんかしてるのか!って話はあるかと思いますが、それでも私は、モデルを知ることで、「1つと思っていたものに選択肢がある」と知って思いこみから解放されることは有意義だと思っていて、とくに短時間&1対多に向けて話す構造で、私が話し手としてできることを考えると、それ以外にないと思うので、数十分の講演を引き受けた際は、そういう話に落とし込むようにしています。

*1:Carl Gustav Jung "Every individual is an exception to the rule."

2017-01-19

たまキャリ #1 前説とトークセッション出演録

昨晩は、Web系キャリアについて語らう自社主催イベント「たまキャリ #1」( #tamacareer )で、「前説」と「トークセッション」の合いの手役を担当しました。先日こちらに書いた経緯で。

前説は、前説といいながら15分の持ち時間で、WEB制作職のキャリアモデルを4パターンに展開して紹介。

第1部ではゲストお二方に、ここ15〜20年くらいを振り返った、WEB&WEB制作会社の変遷(太田さん)、WEB制作者として自身のキャリア変遷(伊原さん)をひも解いていただき、それを参加者それぞれが自分のこれまでと照らし合わせながら聴いて追体験(を期待)。

Web制作会社とBA、ここ15年の変貌(太田良典さん)
今やWeb制作者じゃなくなった私の仕事実態(伊原力也さん)

それを踏まえて第2部では、キャリアの話をあれこれ「トークセッション」。会場からのネタ提供がなかった場合にも皆さんに充実した内容をお届けできるようにと、構成をわりに作りこんでしまって、結局いただいた質問に少ししか答えられなかったのは大変申し訳なかったのですが(モデレーターの臨機応変な対応力が求められた…)、

◇ロールモデルはいますか?
◇自分のキャリアモデルはどれ?
◇仕事する上で重視することは、どれ?
◇キャリアは計画性◯割、偶発性◯割?

という問いかけに、キャリア理論も肴(さかな)にして持ち込みつつ、ゲストのお話を掘り下げていったり、ご参加の皆さんにも挙手いただいたりして、ご経験や志向性をうかがったり。わりと、「想定どおり」というより「へぇ、そうなのかー」という回答をうかがえて興味深かったです。

今回は、プロダクションを経営されている方から、WEB制作職に転向してきて1年未満という方まで幅広くいらして、WEB系の実務経験を尋ねると、「10年以上」が一番多かったものの、「7-10年未満」「3-7年未満」「1-3年未満」「1年未満」と、それぞれに手が挙がりました。

かなり幅広い層がご参加くださったので、人によって引っかかったポイントは異なると思いますが、願わくば1つと言わずいくつか、自分のキャリアを振り返ったり整理したり、組織メンバーのキャリアパスについて検討するきっかけなり種なり、持ち帰っていただけていればと、切に願っています。お忙しい中、会場に足をお運びくださった方、本当にありがとうございました。

当日使用した前説「WEB制作者のキャリアパス」と、第2部「トークセッション」の進行スライドは、Slideshareに公開しました。イベント用に作ったスライドのため、説明なしでは分かりづらい点もあるかと思いますが、ご興味があるテーマでしたら覗いてみてください。 ちなみに、5スライド目だけは、そのままだとだいぶわかりづらかったので、当日口頭で話した要旨を、後で書き起こして追記してあります。

WEB制作者のキャリアパス&トークセッション(たまキャリ #1)

2017-01-15

レジは素手

正月モードは、いつも駆け足で去っていくけれど、今年は特にそうだ。つい2週間前、「明けまして…」と言っていたなんて信じられない。今は、ただただ寒い冬だ。今年はなんだか、年始めから途切れることなく働いている。週末もいろいろ、考えること、確認して返すもの、作るもの、整理しておくことに事欠かず、あれをやったらこれ、これをやったらあれと、うなり続けている。週末にそんな時間がもてるのは、暇な人間の証拠だが…。

気分転換にあっちこっち移動しながらやっていると、とあるコーヒー屋のレジで、店員さんが調理用の手袋をしたまま支払い対応するのに遭遇した。サンドウィッチと紅茶を注文すると、「◯円です」とお代を言われ、私は代金をトレーにのせて待機する。店員さんが注文の品を用意して戻ってくると、「◯円お預かりします」「◯円のお返しです」と言って現金を扱う。その手には、白くて極薄の調理用とおぼしき手袋がされたままである。

私は、こういうの前にもどこかであったなぁと思いつつ、その手から目が離せなくなってしまう。手を凝視したまま、あれこれの考えが交錯する。お金を触る手と、食べ物を触る手を分けたいから手袋を使うのに、この手袋してお金を触ってしまったらダメなんじゃないのか?というのが、当然最初にわく疑問なのだけど、早合点は良くない、これはいけないことなのか冷静に考えてみなければと思い直す。

もちろん、このレジ対応の後に、また同じ手袋で他の客の食べ物を触りだしたら、これはアウトだ。それをしかねない危険は大いに感じられる。というか、私の前のお客さんのときから、この手袋はつけられていたのかもしれない。すでにお金を扱った手袋で、私の食べ物を触っている可能性も大いにある。私はそれで食べる気を失うほど繊細じゃないので胃袋的にはどうってことないのだが…、手袋の目的に適っていない振る舞いというところは気になってしまう。

でも、一回使い切りの手袋で、客ごとに手袋を替えているのだとしたら、話は別だ。その回のお客さんを待たせぬよう手袋のままレジ対応してしまって、次のお客さんの対応前に手袋を替えるのであれば、これは支障ないということになるのだろうか。だいぶ贅沢な使い方の気はするけれど、ありえないとは言い切れない。

いや、そうであったとしても、この薄手の手袋でレジ対応するのは妥当だろうか。客側の違和感は残るだろう。もしかして、これは調理用ではなくお金を扱う用の手袋で、お札を数えやすいとか、小銭で手が汚れないとかいうメリットを享受しているということは…。でも他の店員はしていない。他の店舗でも見たことがない。宝飾店でもないし。やっぱりこれは不自然。客としては、ちょっとぎょっとするのが普通ではないか。

ここにこれまで書いたようなことを考えて不自然を体験する客は、果たして世の中の何割くらいを占めるものだろう。この店員さんが、これを不自然に感じないとすれば、不自然に感じない客も何割かはいるということになるのか。あるいは、この店員さんも客側にまわったら、これを不自然と感じるのだろうか。

店員さんは、なぜ手袋をはずさないのだろう。極薄の手袋だと、つけたり取ったりが厄介そうではある。面倒くさい、大した問題じゃない、客を待たせたくないと思う店員さんと、わりに気になる客の心理の不一致によって生じるのか。謎は深い。

という文章をぐだぐだ書くくらいには、まだ余裕があるということ。相当である。今年も楽しく頑張ろう。

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