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2017-02-09

2回目の目の手術、その後

私は両目に翼状片(よくじょうへん)という病気を患って、2年半前に右目、2ヶ月前に左目の手術をして、それを切除した。

その体験記をブログに書き残してきたので(「目の手術(翼状片)」というカテゴリーにまとまっています)、私のブログには「目の手術 怖い」とか「翼状片 云々…」といった検索ワードで訪れる人がけっこういる。

のだけど、特別そういう人たちに向けて書いたのでもない個人的な吐露に終始してきたため、このことを気に病んで検索してきた人にとってバランスのとれた文章にはまったくなっていない。私のおぞましい体験記を読んだとすると、「よっしゃ、手術受けよう」とは、なかなかならないだろう。どちらかと言えば、手術を踏みとどまるほうに作用するに違いない。というのが、ずっと気になっていた。

なので遅ればせながら、ここに書き残しておきたい。終わってしまえば、やっておいて良かったと思っています、ということを。両目とも術後は順調にきているし、目には今まったくカケラが見当たらない。再発率が低い手術をしてもらったおかげもあってか、右目は2年半再発していない。運よく、腕のいい先生に執刀してもらえて、術後もしっかり診てもらえたというのは大きい。その環境あってこそと思うけれど、手術した決断に後悔は一切ない。

最近手術した左目のほうは、今ひと月おきに眼科に行って経過を診てもらっている。昨日は術後2ヶ月経ったところの診察、「今のところ順調ですね」と言われて安堵。ちなみに先生はいつも「今のところ」という言葉を欠かさない…のを私も聞き逃さない。あ、でも、右目はいつからか「今のところ」が消えた、そういえば。

この2ヶ月間は、冷蔵保存しなきゃいけない目薬(リンデロン)をさす必要があって、最初の1ヶ月は日に5回、そこから1ヶ月は日に4回、時間を守って点眼していた。保冷剤にはさんで目薬を持ち運び、家と会社では冷蔵庫に入れておくのが地味に大変だったけど、今回の診察でリンデロンとはおさらばだ。

この後は、リンデロンの1/3くらいの効きの目薬(フルメトロン)を日に4回さして、また1ヶ月後に診察に行く。たぶん、もう数ヶ月良好に進めば、通院は2ヶ月に1回ペースになり、目薬はドライアイを防ぐヒアレインというのに変わる見込み。それで1年かそこら、様子を見ていくことになる。

あとは再発防止策で、紫外線を避けた生活(ハット型の帽子、サングラスなど)はずっと続く。どこまでやるかは人それぞれだろうけど、私はもうあの手術は嫌なので、わりとこまめに装着している。日中に外で会うと、ずいぶんと野暮ったい人である。

これに今は防寒対策のニット帽とか、これからしばらくは風邪防止と花粉症対策のマスクが加わって、カバンにはいろんなものが入っている。さすがに帽子とサングラスとマスクの3つ装備だとだいぶ怪しいので、場所に合わせて2つまでに収まるようにしている。

屋内や地下鉄ではマスクのみ、表を走る電車や地下鉄でも外に出る区間はマスクとサングラス、外を歩くときは帽子とサングラスなど、なんやかんや小まめな入れ替えが必要になる。それでも、あの手術に比べたらなんてことはない。

もちろん人によって気になるポイントも環境も様々だから、これは一体験記に過ぎない。ただ、検索して訪れた人に、やっておいて良かったと思っていることは伝えないと、と思って書いた。わりに、関係ない話がだらだら続いてしまったけど。

これで、目の手術にまつわる話は終わりになるかな。ぜひとも、そうしたい。あとはプール通いを再開できたら、私的には通常モードに戻れる。リンデロンが終わったので、そろそろ再開だ。

2017-02-05

母の七回忌

もう丸6年も会っていないとは…。久しぶりにこの母の写真を見て、ぽろっとこぼれたのは、そんな思いだった。

この写真は、母が撮ってくれと言って、亡くなる1ヶ月前に私が撮った写真。新年明けて早々、2011年1月2日の彼女。年末に癌が見つかって、唐突な余命宣告から1週間も経っていない。

入院から数日で正月を迎え、元旦に病院の外泊許可がおりて、おうちに戻ってきた翌日のこと。彼女は洗面所でしっかりメイクをすると、写真を撮って!と笑顔でリビングに入ってきた。一瞬にして、遺影を…と察し、笑顔でうなずき引き受けた。そして、このひと月後に彼女は逝ってしまった。

今日は、母の七回忌法要だった。三回忌のときは、締めの挨拶を急にふられてお話ししたのだっけ。どんな挨拶をしたのか書き残してあるのを読み返すと、懐かしいと言えるくらいに時が経過していて驚く。

彼女に最後に会ってからは、もう丸6年か。こうやって振り返ると、そのすべてを時間という概念が呑み込んでいくように感じられる。私が抱えこんでいた彼女を失う苦しみも、当時はあんなに私を支配していたというのに、6年経って、穏やかで異質なものへと変わってしまった。

100年も経てば、たいがいのことは時間に呑み込まれてしまうのかもしれない。後に残されるものは、一個の人間が視界に収めるにはちょっと大きすぎる類いのものばかりなのかもしれない。

今日は、伯母夫婦や、いとこが子どもを連れて来てくれて、わいわいにぎやかに御斎の時間を過ごせた。

20年前の古いプリンタがうまく動かないんだけど、ストーブで温めると動くのよねぇとか、インターネットってピーヒョロヒョロってつなぐのでしょとか、ふぉーとうなってしまうおしゃべりも堪能できて、伯母たちの話に聴き入ってしまった。

伯母たち用に母の子ども時代のアルバムを、いとこ用に私たちが子ども時代のアルバムを厳選して持っていったのだけど、どのアルバムを持っていくか選ぶのに、実家で数十冊のアルバムをめくり、1時間たらずでやったものの、それもまた豊かな時間となった。

親戚で集う機会もなかなかなくなってしまったけれど、今日は久しぶりの面々に会えて尊い時間を過ごせた。親戚から母との思い出話を聴かせてもらう度、彼女のさりげない優しさに触れる。「思慮深く、人を大事にする」という彼女の当たり前を、静かに受け継いでいきたいと、その度思う。

2017-02-02

入れ替わる手段と目的

先日スマートニュースさんを訪問したときに、「みちくさ」(*1)という冊子をいただいた。2015年10月発行、非売品らしい。同社の皆さんが執筆陣で、01号では特集する「アラン・チューリング」の道しるべとして、独立研究者の森田真生さんを迎えている。

表紙をめくると、スマートニュース代表取締役会長、鈴木健さんの「みちくさ」から文章が始まる。ここに、ごくりっとさせられる一節があった。

人生に目的があるならば、手段もあるはずである。普通の人はそう考える。だが、手段と目的が倒錯し混線するのも、また人間の生命たる所以である。

今の世の中、どちらかと言えば「それは手段と目的を取り違えてるよ!」と指摘したり、指摘されたりがポピュラーだ。ときに、誰からみても、どんな状況にあっても、手段と目的は入れ替わることがないと、普遍的な原理原則でもあるかのように”間違い”を指摘する声も聞かないではない。

確かに、ある組織、あるプロジェクトといった共通目的のもとに事をなす文脈においては、そういうことは言える。逆に言えば、そういう前提がないと複数の人が集まって事をなすときに皆が納得する結論の導きようがなく、チームワークが働かなくなってしまう。

ただ、そういう特定文脈を取っぱらって、ひとりの人間のもとに戻して考えてみたらどうかというと、わりと手段と目的って倒錯し混線しているものかもなって、ごくりっとした後、脱力した。

学校に行くのが目的、その手段として今この道を歩いている。会社に行くのが目的、その手段として今この電車に乗っている。知識を習得するのが目的、その手段として今この本を読んでいる。仕事で成果を上げるのが目的、その手段として今このスキルアップに励んでいる。相手との合意を取りつけるのが目的、そのために今この人と議論している。

特定文脈にのせて見れば、そりゃそうなのだけど、ひとりの人間の人生からみると、途中の道草や、電車に揺られている時間に意味を見出していたり、何かを知ること自体、何かができるようになること自体、何かを作り出すこと自体、人と議論したり話し合うこと自体を、成果がどうあれ楽しんでいることもあると思う。振り返ってみれば。

高い名声と報酬を得るために始めたことが、いつしか、それ自体を面白がる自分を作りだし、もっと突き詰めたくなって高い専門技能や矜持を育むことだってある。一方で、ただ面白いと思ってやり続けてきたこと、作りこんできたものが、匠の技として高い名声や報酬につながることもある。

手段と目的は、ある枠組みを取っぱらえば、ひとりの人間の中で、わりと倒錯し混線するものなんじゃないか。特定文脈という枠組みを無視して、誰にでも、どんな状況にも通用する固定的な「手段と目的の分別」があると信じ、それを誰かれ構わず、所構わず人に強いて、自分と合致しない人を馬鹿にするような態度は、それこそ偏狭で滑稽な感じがしてくるのだった。

振り返れば、人生の美しい瞬間は、学校にまっすぐ行くつもりが蝶と花に心を奪われた、あの道草にあったと懐古する人は多い。道草は余計なものではなく、人生そのものであったと気づくのは、常に後からと決まっている。

ここだけ取り出して引くと、ちょっとキザかもしれないけど、「手段と目的が倒錯し、混線する」具合を、自分にしても、人のそれにしても、丁寧にみてとる気持ちは大事にしたい。

先日、友人らが話しているPodcastを聴いていたら、年配者が若い人に仕事を教えようとするも、どうもうまくいかないっていう話が出てきたんだけど、これはいろんな業界にある気がしている。そこで私たちが(年配者側として)できることは、ひとつに「それの面白さを魅せること」なんだろうなって思う。

やって魅せる、やらせて魅せる、語って魅せる、いろいろあるけれど、そのいろいろをそばでやり続けている先輩が身近にいる環境で育まれるものって、きっと大きいだろうと思う。それが一番実現しやすいのは、毎日通う職場だ。

憶測で世代論めいたことを言うのは健全ではないけれど、試しに言っちゃうと、今の若い世代というのは、自分たち世代と比べて、より効率化が目的化されたガチガチの世の中を生きてきた感がある。効率的なことが良いこと、これよりあっちのほうが効率的だから正しいというのを、幼少期からいろいろと耳目に触れる時代に生きてきたのではないか。

そういう世の中で育ってきて社会に出た今、まず触れたらいいのは、ずっと手段と言われてきたものを目的とみたり、ずっと目的と言われてきたものを手段とみたり、自分の中の倒錯やら混線した状態にはまることなのかもなぁとか、ぼんやり思う。

もちろん、そんな行ったり来たりを、私なんかよりずっと前から存分に楽しんできた若い人もごまんといると思う。でも、もしそうでない若者がいるなら、先輩は、こうやってやると効率的だよって指導ばかりではなくて、こうやったりするのが自分は面白いんだとか、こういうところに自分はこだわりたいんだってことを魅せていくのが大事なんじゃないかなぁと思う。

私の周囲には、作るのが楽しい、インターネットは素晴らしい、人と議論するのが大好きだという同世代や先輩がたくさんいる。こういうものが若い世代にシェアできたら、それが一番じゃないかなぁと。少なくとも若いときに私を育んだ最たるは、そういう先輩や職場環境だった。まぁ、だから別に世代論じゃないか。世代を超えて共有価値をあることって、そういうことかなぁと思う。

なんだか、どこに向かって何を書いているのかわからなくなってしまった道草語り…。

*1: スマートニュース「みちくさ」

2017-01-28

寿命100年の時代

今週は仕事でへろへろになったので、できるだけ視線を遠くに向けて週末を過ごそう。と狙ったわけじゃないけど、読みかけの「LIFE SHIFT」(*1)をもって朝食に出かける土曜の朝。

「100年時代の人生戦略」と副題のつく、この本。著者は、ともにロンドン・ビジネススクールの教授で、リンダ・グラットンは人材論、組織論が専門。アンドリュー・スコットは経済学。グラットンは近著の「ワーク・シフト」でも注目された。人のキャリアをテーマに一つの「あるべき姿」を掲げて一方向に引っ張る系の本はあまり得意じゃないんだけど、「これは読んでおかねば」感が強く、頑張って読んでいる(途中)。

冒頭に、日本の読者に向けたメッセージがつづられている。日本では、長寿化を恩恵ではなく厄災とみなす論調が目立つけど、恩恵に目を向けなさいな、と著者。

そうはおっしゃいますけれども、出だしから前半、
1.これからは多くの人が長生きするようになる
2.人生が長くなれば、必要な資金は増える
3.資金をまかなうためには、長い年数働かなくてはならなくなる
4.働く時間が長くなれば、その途中で雇用環境は大きく変貌する
5.その不確実性を前提に将来を展望し、適応していかねばならない
というので、恩恵のわりに「ならなくなる」「ねばならない」という文末が多くないですか…と後ずさりしながら読む。

100年ライフの恩恵の一つは、余暇時間の使い方を見直し、消費とレクリエーション(娯楽)の比重を減らして、投資とリ・クリエーション(再創造)の比重を増やせることなのかもしれない。

とさりげなく主語を「恩恵」と位置づけているけれども、これを「恩恵」とするか「厄災」とするかは、人によって見方が異なる気も…。などと、おっかなびっくりにページをめくっている。

ともかく、まぁお金の話は気になるでしょうから、最初に話しておきましょうってことで、その後が雇用の話。仕事して稼がねばね、ということで。その後が、知識とかスキルとか仲間とかの話。雇用を成立させる資産も大事ねって話だろう。これらを話しきった後半から、こういうふうに新しい生き方をしていこうというイキイキした話を展開していくようなので、まずは前半を乗り切らねば。

が、私は読むのが遅いので、とりあえず「ねばならない」の渦中で、メモっておきたい箇所をメモっておく。

●平均寿命は大幅に延びる
要約:過去200年間、平均寿命は10年に2年以上のペースで延びてきた。いま先進国で生まれる子どもは、50%を上回る確率で105歳以上生きる。いま20歳の人は100歳以上、40歳の人は95歳以上、60歳の人は90歳以上生きる確率が半分以上ある。

→長いっすなぁ…

●比較的最近まで、引退年齢はもっと高かった
要約:イギリスでは、1984年に職をもっていた65歳以上の男性は8%どまり、約1世紀前の1881年には73%あった。アメリカでは、1880年に80歳の人の半分近くがなんらかの職をもち、65〜74歳の80%がなんらかの形で雇用されていたが、20世紀に大幅下落。現在は、その潮流が逆転しつつある。

→進化とともに引退年齢は下がってゆくというより、時代とともに引退年齢は上がったり下がったり変動するという感じで捉えていたほうがいいかなと思った。もちろん、老後もあくせく働くというんじゃなくて、いろんな役割をもつ中に「人のために働く」「社会と公的に関わる」ところも残してバランスさせていくほうが健全に過ごせるのではないかなぁという理想イメージで。

●仕事と私生活は、もともとブレンド状態だった
引用:興味深いのは、工業化以前の社会では主に家庭が生産活動の場になっていて、仕事と私生活がブレンドされていたということだ。その後、工場が出現し、さらにオフィスが出現したことにより、必然的に仕事と余暇が明確に分離されるようになった。しかし将来は、新しいビジネスのエコシステムの中で働く機会が広がって、その境界線が崩れ、「ワーク」と「ライフ」が再統合されるだろう。

→これも上と同様。進化とともに仕事と私生活が分離していったというより、時代とともに仕事と私生活は分離したり、再統合したりするって見方のほうがいいかねぇと思った。ワークとライフを分離するのが健全というものの見方は、偏狭な気がする。そういう価値観の人もいて、そうでない価値観の人もいる。両者あって良いし、どちらも制限されずに両者とも気持ちよく働ける環境づくりが理想という感じ。

●「近さ」の価値はむしろ高まっている
引用:インターネットが登場した当時、この新しいテクノロジーにより物理的な距離が重要性を失い、私たちは自分の好きな場所で暮らせるようになると言われていた。しかし実際には、たしかに「遠さ」の弊害は問題でなくなったかもしれないが、「近さ」の価値はむしろ高まっている。

→”「遠さ」の弊害は問題でなくなったが、「近さ」の価値はむしろ高まっている”って、こういう表現で斬れるの、すごいよなぁって感服してしまう。すごいよなぁ。それだけのメモ。

なんか、全然気は休まっていない気もする土曜の朝。いやいや、のんびり読書なんて贅沢極まりない。いっぷく。

*1: リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」(東洋経済新報社)

2017-01-20

モデルの話、個々の話

今日Facebook上で「キャリアモデル」の話になって、わりと長めのやりとりになったのだけど、その途中で勢い余って「モデルと個々の話」を、長文ひとりごちてしまった。

そこではあくまでモデルの話をしていたので、個別のケースを巻きこんだ話は論点とずれるものだったんだけど、ここしばらくもぞもぞ考えていたことが、わーっと書き起こされたがる現象が脳内に発生して踏みとどまれず、あさっての方向にひた走る文章を、会話中に挿しこんでしまった。

Facebook上で(そうと知らず)長文読むはめになった方には申し訳ないことをしたのだけど…、個人的には体の外にはきだせてすっきり、きっかけをくれたことに感謝。

〜ということで、本来収まるべきだったこっちのほうにひっそり残しておく。以下は、ひとりごちた文章ほぼそのままコピペなので、ここだけ読んでもわかりづらいと思うけど、いつかのときの私用メモということでご容赦ください。

キャリアカウンセラーの立場からすると(私の性質にすぎないかもしれませんが)、あまりモデル化を推し進めて、抽象的な枠組みが個々人の生き方を規定していく、みたいな展開を恐れています。

私の根っこには、「人は誰しも例外(規格外)である」という考えがあって(ユングの言葉ですが*1)、そのもとに人に向き合いたいと思っているので、モデルをできるだけあてはめずに、よくよくその人の話を聴いてみたい…というのがあります。

「独身は」「DINKSは」というのも一つの枠組みですが、キャリアカウンセラーは個人をみるのが基本なので、私としてはどちらかというと、こういう枠組みをあてて個人を位置づけてかからないように…という意識というか、無意識のほうが先にたつタチです。時と場合によって視点を変えられる必要はあるとは思っているのですが。

例えば介護の問題にしても、その人に親の介護が実際に発生するか、両親かどちらか一方か、発生したとして何歳時点でどれくらい重度のものを抱えるか、何年続くか(がわからないわけですが、50歳で介護を終えた場合、その人には50歳以降のまた仕事人生があったりもするという意味で)、一人で支えるか、家族や親せきと分担できるか、割ける資金はどれくらいあるか、デイケアで施設に預けるか、寝泊り含めて施設で生活してもらうか、仕事とどうバランスをとるか、本人が親の介護とどうつきあうスタンスでいるかなど、介護一つとっても年齢だけでは語れない個人差があるので、キャリアカウンセラーという立場でいうと、その一人ひとりの状況や思いに対して、その人の答えを一緒に考える役割を果たしたいという思いがあります。介護は、多くの個人差をうむ一つの要素に過ぎないので、それ以外のいろんなその人のことを踏まえて。

抽象化されたモデル、パターンから一定の示唆は得たいし、専門でやるなら、その責任もあると思いますが、実際場面ではそれらの知識と距離をとって、その人が答えを出すサポートがしたいと思います。ゆえに、あまり「こういうふうにキャリアパスを形成すべし」という一般的な考えを、私は持っていません。

持っている人が提言することに意義はあると思うし、私がそういう意欲と能力に欠けているという話なのは重々承知しているのですが、私はそこでは、うまいこと人の役に立てないだろうと思っています。

なのに、おまえ、登壇なんかしてるのか!って話はあるかと思いますが、それでも私は、モデルを知ることで、「1つと思っていたものに選択肢がある」と知って思いこみから解放されることは有意義だと思っていて、とくに短時間&1対多に向けて話す構造で、私が話し手としてできることを考えると、それ以外にないと思うので、数十分の講演を引き受けた際は、そういう話に落とし込むようにしています。

*1:Carl Gustav Jung "Every individual is an exception to the rule."

2017-01-19

たまキャリ #1 前説とトークセッション出演録

昨晩は、Web系キャリアについて語らう自社主催イベント「たまキャリ #1」( #tamacareer )で、「前説」と「トークセッション」の合いの手役を担当しました。先日こちらに書いた経緯で。

前説は、前説といいながら15分の持ち時間で、WEB制作職のキャリアモデルを4パターンに展開して紹介。

第1部ではゲストお二方に、ここ15〜20年くらいを振り返った、WEB&WEB制作会社の変遷(太田さん)、WEB制作者として自身のキャリア変遷(伊原さん)をひも解いていただき、それを参加者それぞれが自分のこれまでと照らし合わせながら聴いて追体験(を期待)。

Web制作会社とBA、ここ15年の変貌(太田良典さん)
今やWeb制作者じゃなくなった私の仕事実態(伊原力也さん)

それを踏まえて第2部では、キャリアの話をあれこれ「トークセッション」。会場からのネタ提供がなかった場合にも皆さんに充実した内容をお届けできるようにと、構成をわりに作りこんでしまって、結局いただいた質問に少ししか答えられなかったのは大変申し訳なかったのですが(モデレーターの臨機応変な対応力が求められた…)、

◇ロールモデルはいますか?
◇自分のキャリアモデルはどれ?
◇仕事する上で重視することは、どれ?
◇キャリアは計画性◯割、偶発性◯割?

という問いかけに、キャリア理論も肴(さかな)にして持ち込みつつ、ゲストのお話を掘り下げていったり、ご参加の皆さんにも挙手いただいたりして、ご経験や志向性をうかがったり。わりと、「想定どおり」というより「へぇ、そうなのかー」という回答をうかがえて興味深かったです。

今回は、プロダクションを経営されている方から、WEB制作職に転向してきて1年未満という方まで幅広くいらして、WEB系の実務経験を尋ねると、「10年以上」が一番多かったものの、「7-10年未満」「3-7年未満」「1-3年未満」「1年未満」と、それぞれに手が挙がりました。

かなり幅広い層がご参加くださったので、人によって引っかかったポイントは異なると思いますが、願わくば1つと言わずいくつか、自分のキャリアを振り返ったり整理したり、組織メンバーのキャリアパスについて検討するきっかけなり種なり、持ち帰っていただけていればと、切に願っています。お忙しい中、会場に足をお運びくださった方、本当にありがとうございました。

当日使用した前説「WEB制作者のキャリアパス」と、第2部「トークセッション」の進行スライドは、Slideshareに公開しました。イベント用に作ったスライドのため、説明なしでは分かりづらい点もあるかと思いますが、ご興味があるテーマでしたら覗いてみてください。 ちなみに、5スライド目だけは、そのままだとだいぶわかりづらかったので、当日口頭で話した要旨を、後で書き起こして追記してあります。

WEB制作者のキャリアパス&トークセッション(たまキャリ #1)

2017-01-15

レジは素手

正月モードは、いつも駆け足で去っていくけれど、今年は特にそうだ。つい2週間前、「明けまして…」と言っていたなんて信じられない。今は、ただただ寒い冬だ。今年はなんだか、年始めから途切れることなく働いている。週末もいろいろ、考えること、確認して返すもの、作るもの、整理しておくことに事欠かず、あれをやったらこれ、これをやったらあれと、うなり続けている。週末にそんな時間がもてるのは、暇な人間の証拠だが…。

気分転換にあっちこっち移動しながらやっていると、とあるコーヒー屋のレジで、店員さんが調理用の手袋をしたまま支払い対応するのに遭遇した。サンドウィッチと紅茶を注文すると、「◯円です」とお代を言われ、私は代金をトレーにのせて待機する。店員さんが注文の品を用意して戻ってくると、「◯円お預かりします」「◯円のお返しです」と言って現金を扱う。その手には、白くて極薄の調理用とおぼしき手袋がされたままである。

私は、こういうの前にもどこかであったなぁと思いつつ、その手から目が離せなくなってしまう。手を凝視したまま、あれこれの考えが交錯する。お金を触る手と、食べ物を触る手を分けたいから手袋を使うのに、この手袋してお金を触ってしまったらダメなんじゃないのか?というのが、当然最初にわく疑問なのだけど、早合点は良くない、これはいけないことなのか冷静に考えてみなければと思い直す。

もちろん、このレジ対応の後に、また同じ手袋で他の客の食べ物を触りだしたら、これはアウトだ。それをしかねない危険は大いに感じられる。というか、私の前のお客さんのときから、この手袋はつけられていたのかもしれない。すでにお金を扱った手袋で、私の食べ物を触っている可能性も大いにある。私はそれで食べる気を失うほど繊細じゃないので胃袋的にはどうってことないのだが…、手袋の目的に適っていない振る舞いというところは気になってしまう。

でも、一回使い切りの手袋で、客ごとに手袋を替えているのだとしたら、話は別だ。その回のお客さんを待たせぬよう手袋のままレジ対応してしまって、次のお客さんの対応前に手袋を替えるのであれば、これは支障ないということになるのだろうか。だいぶ贅沢な使い方の気はするけれど、ありえないとは言い切れない。

いや、そうであったとしても、この薄手の手袋でレジ対応するのは妥当だろうか。客側の違和感は残るだろう。もしかして、これは調理用ではなくお金を扱う用の手袋で、お札を数えやすいとか、小銭で手が汚れないとかいうメリットを享受しているということは…。でも他の店員はしていない。他の店舗でも見たことがない。宝飾店でもないし。やっぱりこれは不自然。客としては、ちょっとぎょっとするのが普通ではないか。

ここにこれまで書いたようなことを考えて不自然を体験する客は、果たして世の中の何割くらいを占めるものだろう。この店員さんが、これを不自然に感じないとすれば、不自然に感じない客も何割かはいるということになるのか。あるいは、この店員さんも客側にまわったら、これを不自然と感じるのだろうか。

店員さんは、なぜ手袋をはずさないのだろう。極薄の手袋だと、つけたり取ったりが厄介そうではある。面倒くさい、大した問題じゃない、客を待たせたくないと思う店員さんと、わりに気になる客の心理の不一致によって生じるのか。謎は深い。

という文章をぐだぐだ書くくらいには、まだ余裕があるということ。相当である。今年も楽しく頑張ろう。

2017-01-10

Web系キャリアを語らう会に出演

自社で主催するセミナーイベントの前説(まえせつ)と、第2部のトークセッションの「合いの手」役を担当することになりました。

昨年ひょんなことから、ゲスト講演者との打ち合わせに同行することになり、気がつけば社に戻って企画書を書いていた。打ち合わせの帰り道の某部長のニヤリ顔を見逃してはいないが…、巻き込まれたというよりは、渡りに船と解釈して、せっせと作る。それで全体の構成を考えていくと、ゲストトークを補完する役割が必要で、とにかく誰かがやるっきゃない…ということで、その役を自分に割り当てたのも自分。なので、つまり、やるっきゃない。

そんなこんなで、本番も間近に迫って参りました。どれだけうまくその役割を果たせるかわかりませんが、ともかく頑張ります。開催は1月18日、来週水曜の晩、渋谷で開催です。駅の地下道から直通なので寒くないし、軽食も出るし、飲み物も出ます。平日の晩に2時間ばかしのおしゃべり、ちょっとした新年会のゼロ次会にも、ぴったり。テーマに関心のある方は、ぜひ気軽に足をお運びください。会場でお待ちしております。

詳細・お申込みはこちらから。
「会社を変えず、中身を変え続けてきた人」たまキャリ #1
http://peatix.com/event/212340/

この週末はその準備にあたっていたのだけど、やりだすとまぁ、あれこれネタが出てきて、なかなか収拾がつかない。半分くらいは構造立てて、あと半分くらいはご参加の皆さん、ゲストと一緒に当日作っていけたら一番と思いつつ、そういうのができるパフォーマンス力に乏しく。身の丈をわきまえつつ、どう頑張るか。思案のしどころです…。

それはそれで頑張るとして、私は思うのですが、変化が激しくて、10年後、20年後の世の中がどうなるかよくわからんという時代には、それでも無理やり「世の中」の予測を試みて決めてかかるより、わからんものはわからんものとして、「自分」のことをよく理解しておくほうが、キャリア選択において能率よく合理的じゃないかなと。

もちろん、まったく世の中の流れをみないのも極端で、それなりに大きな潮流をとらえておくことは大事だと思うのですが、でも世の中にiPhoneがポンと出てきたら、ガラケーやFlashのコンテンツ制作が立ち行かなくなるみたいに、一社なり一人の天才ががらっと世の中を変えてしまって、自分が前提にしていた市場が総崩れみたいなことは今後だって十分起こりうるわけです。

そう考えると、曖昧な未来予測に基いて自分のキャリアをごりごりにデザインしてかかるよりも、今の自分、これまでの自分をよくよく理解しておいて、世の中が変化したときに、自分をその変化にどう適応させたら自分的に好ましいか、自分の答えが短時間で出やすい状態にしておくのが賢明ではないか。私はそんなふうに考えています。

そうした自分を知るエッセンスって、自分一人で考えていてもなかなか得がたいもので、人の話を聴いたりして、人との比較をきっかけに気づくことが多分にあるので、広くWeb系のキャリアにフォーカスして、そういうものを持ち帰ってもらえる会にできたらなと思います。

2017-01-07

お仕事関係の年賀メール

お仕事関係でお世話になった方への年始の挨拶は、メールをしたためて仕事始めの週に送っている。会社で年賀メールを一斉配信するというのもやっているけれど、それと別に、自分個人で「昨年何の案件を手がけて、誰にお世話になったのか」を振り返る。

何十年と仕事していると、お世話になった人なんてわんさかいる。会社の仕事案件以外でも、いろいろとお世話になっている。どれくらいお世話になったかでランク付けして「この人は送る、この人は送らない」などと、やりたくはない。だけど、どこかで止めておかないと仕事が始められないし、来週以降に送っても、きまりが悪い。

なので、ここ数年は、年末のうちに去りゆく一年を振り返って、その年に手がけた会社の案件でお世話になった方をリストアップしておいて、かなり限定的にはなるけれど、その方々には年始に自筆で(といってもメールだけど)便りをしたためるようにしている。

1月4日から6日までの3日間で送った新年の挨拶メールは40通くらい。クライアントのご担当者や、パートナーとしてプロジェクトに関わってくださった皆さん。ほか、いくらかそうでない方にも送りたくて送ったりするのだけど、それで40通ほど。

自筆で一人ひとりに…と言っても、自分の近況報告や意思表明の類いは誰に送るのでもさほど内容に変化がなく、あまり書き換えることもない。一方で、その方に向けたメッセージは、昨年どうお世話になって、どんなふうに感謝していて、前にお会いしたときはこんな感じだったけど今はどんな具合かしら…なんて考えながらメールをしたためていると、一通一通おのずと変わってくる。だから、まぁ自分のところはコピペでもいいか…と自分を許している。

今年はわりと仕事始めから忙しかったので、朝早めに会社に行って年賀メールを書いて送る感じになったのだけど、せわしない中でも一人ひとりを思い浮かべながらメッセージをしたためるのは、なかなか豊かな時間である。

年始のお忙しい中、ご返事をくださる方も多く、いろいろと近況を伺えたり、お会いする機会を得たりもする。年賀でもないと、遠慮が先に立って連絡がとりづらい方ばかりなので、「年賀」という国民的行事は、奥手に優しい、なかなかありがたい機会だなぁと思う。

2017-01-03

お正月の親戚めぐり

元旦は、早起きしてお雑煮づくり。お雑煮づくりは、ミツカンとクックパッドのおかげで滞りなく…。餅は網焼きして、具は鶏肉、大根、にんじん、ほうれん草、三つ葉。気張らず無理せず、オーソドックスに着地。事前に買っておいたおせち料理に、作ったばかりのお雑煮を恐る恐る添えて出し、仏壇の母には海老やあわびなど彼女が好きなもの、華があるものを皿にのせて出す。今年は父とふたり、静かに新年を迎えた。妹には無事に料理担当の任務を終えたことを写真つきで報告した。あとで「心配してたんだよねぇ」と返信があったけど、ほんまかいな…。

8時半には表に出て、父の運転で、まずは近所の八幡宮にお参り。小さい宮で、参拝客も一人二人しかいなかったので、数分で出てきて、その足で近くのスーパー銭湯へ。大きいお風呂にちゃぽんとつかると、こちらもさくっと切り上げて、10時過ぎには叔父叔母の家へ。ふたりを車に乗せて、祖母の暮らすグループホームに向かう。

私の祖母は、大正8年生まれの97歳。認知症がだいぶ進んでいるのだけど、ここ数年体調はわりと安定していて元気。しばらく握手したまま話していたのだけど、手の甲がすべすべで、あったかかった。私のことは誰かわかっていないようだったけど、それでも私の目をしっかりと見て、愛おしそうな眼差しでゆっくり口を開き、お話ししてくれる。伯母いわく、この日は機嫌がよかったそうだ。

そちらをまた後にして、伯父伯母をおうちに送り届けつつ、そのままお邪魔して、伯母の手づくりおせちをいくつかつまませてもらう。この母の姉夫婦は、とても優しく穏やかな人たちだ。母をなくしてから、より一層私たち一家を気にかけてくれている気がする。しばしの歓談は、父と私の親子漫才を聞かせたようでもあったが、ともかくしばらくおしゃべりして正午に失礼する。

今度は兄一家。実家に戻る途中、「もうすぐ家に戻るからお待ちしていますよ」と兄に連絡。午後2時過ぎに兄一家がやってきて、再びお雑煮(またドキドキ作って出す)とおせちとお刺身と…。お年玉とお菓子といちごと…。こちらも2時間ほどだったか、ちょこちょこつまみながらおしゃべり。

兄一家と会うときは、私はだいたい義姉とおしゃべりしている気がする。今回は、甥っ子らが人見知りだという話になった。義姉が「とくに下の子は恥ずかしがり屋で、慣れない人を前にすると私の後ろにすっぽり隠れてしまう」と言う。上の甥っ子もそばにいて、その話を聴いて「そうそう」と相づちを打つ。

打ちつつも、彼も彼で、わりと人見知りだ。私や父には、なかなか打ち解けて話せずに遠慮がち。自分の子どもの頃のようで、その所在なさのようなのが私にはよくわかる。

私はいい機会だと思って、義姉のほうを見ながら、自分も子どもの頃から人見知りだったと話す。すると、義姉も「そう言われると私もそうだった」と笑う。私は、子どものとき親戚の家に行って時間を過ごすのがなかなか難儀で、自分から話すネタを広げられるわけでもないし、ふられた質問には真面目に答えるのだけど、「はい」とか「そうですね」とかで終わってしまう。そんな話をすると、義姉も「そうそう」と意気投合。

私の子どものときは、それでもお正月に祖母の家に行くと、同世代の従兄弟がたくさん集まっていたから、みんなでゲームなど(まぁお正月は概ね麻雀だったのだが…)やっていれば良かったけれど、今はうちに来ても大人ばかりで、子どもはふたりだけだから、なかなかねぇ、と私。大人になるにつれて、なんだかんだ共通の話題も探しやすくなって楽になってくるねぇ、と義姉。

上の甥っ子がそのおしゃべりを横で静かに聴いていたので、それで少しでも、「へぇ、なんだ、みんなも一緒か…」と心軽くしてくれていたらなと思う。甥っ子の表情をうかがうことはしないでおいたので、どんなふうに彼が聞いたかはわからないのだけど。

夕方になって兄一家が帰ると、一気に静かになって、そのまま就寝へ一直線。父に続いて、私も20時くらいには床についた。早すぎるが…。

2日も朝は、父とふたりで近くのスーパー銭湯に行ってお風呂に入り、電車で成田山の新勝寺へ。昼間に着いたのでたいそう混雑していて、行きは入場制限で歩いては止まり、歩いては止まりの繰り返し。帰り道もなだらかに続く坂道をのぼり続けて、父はそうとう疲れたと思う。けれど、私がその後、実家の近所で友だちと会う予定を組んでいたために、ほとんど休憩をいれずに歩き続けてくれた。家に帰って、おいしいビールが飲めていますように。

中学時代の友だちとは夕方から会って、夜まで近所のマクドナルドで話し込む。もう、かれこれ10年くらい続けている恒例行事。いつもより暖かいお正月だったけど、これをしてひとしきり話した後、彼女とマクドナルドから出てきて夜道を歩きだすと、正月だなぁと実感する。そうしてまた、東京に戻ってきた。

3日は、頭を仕事モードに切り替えねばな一日。あの宿題やっておかなきゃ、あの本もまだ読み終えていない…と、8月31日の小学生の気分。

今年はなんとなく、開放的な気分がある。身が軽い感覚。例によって特別これという目標を立てているわけじゃないんだけど、目の前のこと、先々のことをよく見て、環境の変化に順応したり、与えられる機会に適応したり、素敵な人からもらう刺激を大事に味わったりする中で、それまでの自分とほどよく調合して、変わっていけたらいいと思う。タテに一つ、ヨコに一つと、自分の活動を広げていけたらいい。そんな一年の始まりです。本年もどうぞよろしくお願いします。

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